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2022年7月 2日 (土)

「育業」への違和感

 東京都が,育児休業の愛称(略称?)を,「育休」から「育業」にするそうです。小池百合子知事お得意のパフォーマンスという感じで,賛否両論があるようです。
 そもそも「育児休業」を「休む」ととらえているのは,これを「育児休暇」と間違って呼んでいる人が多いからではないかという気もします。法律上は,「休暇」ではなく,「休業」なのです。たしかに休業も「休む」ことではあるのですが,休業には,会社の都合による休業というものも含まれる概念(労働基準法26条を参照)で,年次有給休暇とは違うのです。実は,育休は,「休業」であるという本来の名称を徹底するだけでも,社会の意識は少し変わるのではないかと思っています。
 ちょうど10月から育児介護休業法が改正されて,男性の育児休業のいっそうの促進が図られるタイミングでもあります。何か仕掛けたいということかもしれませんが,どうせなら,言葉よりも行動であり,幹部職員がみんな率先して育休をとればどうでしょうか(最近では年の差婚もあるので可能性がないわけではありません。育児をしていない人は,年休を完全取得するのでもいいでしょう)。そうすると雰囲気が変わって,若い人も育休を取得しやすくなります。もっとやるなら,子どもが生まれたら,必ず夫婦やカップルはともに育休を取得することを義務づけてしまう方法もありえます(前にも,このようなことを書いたことがあります)。
 ただ,「育業」への根本的な違和感は,実はそういうことではないのです。育児を「業」務とすることに違和感があるのです。小池知事は,業には,仕事という意味だけでなく,「努力して成し遂げる」という意味があると言いますが,普通の人にとっての語感はやはり「仕事」でしょう。「育業」と言われると,なんだか仕事としてやることという感じがしてしまうのは,私だけでしょうか。育児というのは,人間にとっての基本的な営みです。ある意味で本能的なことです。どうしたら,もっと本能に回帰できる状況をつくれるかも,どうせなら考えてもらいたいです。ワーク・ライフ・バランスというのは,最近,あまり強調されなくなった気がしますが,それだけ浸透してきたのかもしれません。ワーク・ライフ・バランスの精神は,ワーク偏重の生き方を変えて,ライフにもっと目を向けることです。ライフは,生活だけでなく,生命という意味もありますし,人生という意味もあります。人間という「生物」として,「生命」に関わる場としての家族のことを考え,「生活」を充実させていくことが「人生」の価値であるとすれば,育児や介護が中心に据えられるのは当然のことです。仕事は,そうした人生の中の一部にすぎないのです。現実は,なかなかそうはいかないのかもしれませんが,「育業」は,ワーク・ライフ・バランスとは逆の,ライフもまたワークの論理に組み込んでしまおうという感じに思えて,昭和的なものだなと思いました。育児は大変なことであり,そのことにかんがみて,仕事と同格にしようとする発想はわからないではありませんが,それもやはり昭和的なのです。そもそもキャチフレーズ的な言葉で,こういうことをやるのには限界があるということでしょう。ほおっておいても,育児や介護のために休んだり,少なくともテレワークもとれないような職場には優秀な人材は集まってこないでしょう。育休は「育休」のままでよいです。

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