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2022年7月の記事

2022年7月31日 (日)

労働事件と数学は相性が悪い?

 労働委員会の仕事で扱う現実の事件は,和解で解決することも多く,そこでは労働法の専門的な知見は,正しい紛争解決の大きな道筋を立てる意味はありますが,実際の紛争の解決には,法的な論理的解決よりも,説得の技法などの心理的な要素が大きいです。和解がうまくいかなかった場合には,命令が出され,さらに取消訴訟などで判決が出ることになりますが,そこでも事実関係を意識した実質的妥当性を追求する解決を模索しており,論理だけに頼っているわけではありません。
 労働法研究者は,労働委員会の委員になって命令を出す仕事をすることがある一方,今度はそうした命令や判例について,判例(命令)評釈という形で分析する仕事もします。そこでは労働法の知見が最も重要となりますが,事実関係からみて,なぜそういう解決に至ったのかという実質的妥当性もみなければ適切な分析にはなりません。これは定性的分析といえます。ただ,ある論点についての判例全般をまとめて研究するとなると,個々の事件の事実関係や結果の実質的妥当性までは細かくみていられなくなり,定性的に分析することはかなり難しくなります。だからといって,定量的な統計分析になじむかというと,そうはいえません。経済学において実証的な判例分析がほとんど行われてこなかったのは,このことに関係しているかもしれません。ただし,労働事件のような紛争一つひとつの個性が大きいものとは違い,紛争がある程度パターン化している法分野であれば,統計的な処理や定量的な分析ができるかもしれません。そういう場合は,データを集めて,AIに学習させることができ,それによって,ある程度の判決予測をできるようになるでしょう。これは文理融合の研究として,ぜひ進めてもらいたいです。
 ところで,ポアン・カレ(Jules-Henri Poincaré)というフランスの有名な数学者の有名な言葉に,「La mathématique est l'art de donner le même nom à des choses différentes.」(数学は,異なるものに同じ名を与える技法である)というものがあります。定量的な分析をとおして,いろいろな出来事の連関性(因果関係など)を明らかにすることができるというのは,数学の本質です。(以下は,私が勝手に話をふくらませたものですが)黄色人種5人,黒人3人,白人4人がいて,合計で12人と算定できるのは,人種の違いを超えて同じ「名」を与えたからです。しかし,異なる人種を同じ「人」というレベルで抽象化することによって,みえなくなるものもありそうです。抽象化は平等という理念に結びつきそうですが,それは形式的な平等であり,実質的な平等とは異なります。数学のもつ形式的な割り切りは,現実の多様性に溺れてしまわずに,現状を的確に捉えるときには必要不可欠ですが,生身の人間の現実の生活からみると,見落とされる部分(たとえば差別の存在)が多いアプローチといえそうです。上記の例でいうと,5+3+4=12 は,左辺から右辺に移ったとたん,世界が変わるということであり,ほんとうに両者はイコールなのかという疑問があるのです。黄色人種と黒人と白人に「同じ名」を与えてよいのか,ということです。
 これと関係したことではないのでしょうが,数学者は,かけ算よりもたし算のほうが難しいと考えているという話が,NHKの望月理論(ABC予想という難問を証明したという望月新一教授の理論)を特集していた番組で出てきました。鍵となるのは素因数分解です。(以下は,私が勝手に解釈しているものですが)例えば4×624という式の場合,それぞれを素因数分解すると,(2×2)×(2×3)=(2×2×2×3) となり,左右両辺は同じものといえます。ところが,同じ数字をたし算した場合,4610 は,左辺は(2×2)と(2×3)で,右辺は102×5)なので,右辺にいくと,左辺の32つの2が消えて,新たに5が増えて,構成要素が大きく変わっています。たし算には,こうした変異が起こるのです。
 黒人3人のグループが4つあるという場合の総人数は,3×412となり,このような構成要素の変異は起きません。ただ,ここでは左辺の「3」と「4」の意味が違っています。「3」はある同質グループの人数で,「4」はグループの数です。たし算のときのような異なるものに「同じ名」を与えているわけではありません。かけ算は,同質グループのものを,そのまま増やしているから,本質には変異が生じず,量的な変化が生じているだけなのです(こうみると,小学校の算数における「かけ算の順序問題」,すなわち乗数と被乗数の順番をまちがえて書くと先生が×をつけるのはおかしいかという問題は,×をつけた先生側に理があることになります)。かけ算は,左辺の被乗数(かけられる数)の選別で,異質のものを排除しているということもできそうです。かけ算には,本質的な変異が起こらず,おさまりがよいのですが,このことが私たちの社会にどのような意味をもっているのかは,よくわかりません(たとえば,右辺が一定の場合,左辺の被乗数が大きくなると,乗数は少なくなり,社会の分断が少ない状況となる,というような捉え方はできるかもしれませんが,これは除法の話でしょうかね)。
 いずれにせよ,子どもたちが算数を習う前に,親たちは,たし算やかけ算とはどういうものかを,自分自身で一度よく考えてみてもよいかもしれません。とはいえ,5+3+4≠12どというと,子どもを混乱させるとして叱られるでしょうが。
 話を元に戻すと,ポアン・カレのいうような数学的技法は,抽象的な思考を要するものであり,こういうことが得意な人は高度な思考も可能となり,世間では優秀といわれるでしょう。具体的な例で示してもらわなければ理解できない人というのは,どことなく頭脳レベルが低い人とみられがちです。しかし,抽象的な思考は,AIが得意とするものであり,それよりは,現実の黄色人種と黒人と白人の違いをみて,それを全部足した数字にどんな意味があるのだというような思考をする人のほうが,これからは重要となるのかもしれません(後者はAIではできないので,人間が比較優位をもっている)。労働事件の解決も,こうした具体的な思考こそが大切なのでしょう。抽象的な思考で臨むと,たいてい和解はうまくいきません。
 数学教育の重要性がよく言われますが,それは実は,数学の限界を教えるというような逆説的な意味でとらえたほうがよいのかもしれません。数学素人の放言ですが。

2022年7月30日 (土)

本日の神戸労働法研究会

 今日は,大学院生と研究生により,それぞれ沖縄医療生活協同組合事件(那覇地判2022323日)と社会福祉法人緑友会事件(東京高判202134日)の報告をしてもらいました。前者は,パワハラとプライバシー侵害の事件です。パワハラについては,労働組合内部での組織構造上の上下関係のなかでのパワハラが問題となったものですが,LINEでの発言によるという現代的な要素のあるケースでした。パワハラ発言の期間は短いにもかかわらず,100万円という比較的多額の慰謝料が認められており,その妥当性についても議論しました。また,判決は,労働施策総合推進法30条の2のパワハラの定義と損害賠償責任を直接結びつけていることについても問題があるのではないかという議論がなされました。同法上のパワハラ概念は,事業主の措置義務との関連で出てくるものであるのに対し,損害賠償責任は,本来,安全配慮義務(労契法5条)や労働契約上の信義則を根拠とする職場環境配慮義務などに違反することから生じるもので,両者は理論的には直結しないということからくる疑問です。それに労働施策総合推進法によると,文言上,「優越的な関係」が要件となるなど,同法上の限定的なパワハラ概念を前提とすることになるため,この定義を参照することまではよいとしても,事案によっては,かえって労働者に不利となる可能性があります。プライバシー侵害については,パワハラをしていた医師が勝手に被害者とその妻の電子カルテを閲覧していたことが,プライバシー侵害の不法行為であると認められたのですが,閲覧行為と個人情報保護法違反との関係はどういうものか,また,本判決が医師を雇っていた生協の民法715条の使用者責任の免責(相当の注意)を認めなかった判断について,事業主のデータセキュリティーのあり方ということもからめて議論しました。
 緑友会事件については,均等法93項・4項と労契法16条との関係を中心に議論しました。問題の根幹は,均等法93項の趣旨をどう捉えるか,つまり妊産婦の保護という趣旨をどこまで大きく考慮して,解雇の有効性を判断すべきか,ということにあり,それによって94項の証明が認められる範囲に影響が出るのではないか,というようなことを議論しました。解釈によっては,均等法94項の1年という要件は,労基法19条違反の解雇と同様の解雇禁止期間に近いような機能をもつ可能性もありそうです。本件では,そもそも解雇事由が認められなかったということで解雇無効となり,その結論は妥当と思いますが,かりに解雇事由が認められる場合において,動機の競合のようなことになった場合,均等法94項の存在により,結論がどのような影響を受けるのかなども議論をしました。
 どちらの事件も,最初は単純な事件のように思えましたが,立法論も含めて理論的に深く検討していくと,いくらでも掘り下げることができそうでした。上記の論点以外にもいろいろな議論ができて,個人的にはたいへん勉強になりました。少し賢くなったかもしれないと思って1日を終えることができるのは有り難いことです。

2022年7月29日 (金)

野球のはなし

 夏の甲子園の兵庫県代表は,母の母校の社高校となりました。ベスト4では,最近の甲子園常連であった神戸国際大学附属以外は,長田,加古川西,そして社と公立が残っていました。決勝は,神戸国際と社の対戦となりましたが,延長のタイブレークの14回で決着がつきました。この試合は観ていませんでしたが,激闘だったようです。今年は報徳で決まりだろうと思っていたのですが,そう簡単ではありませんでした。公立勢しかも進学校といわれている高校がベスト4に残ったのは,驚きでした。
 兵庫県勢は,甲子園に地理的には近いものの,県内で勝ち抜くのに多くの試合をこなさなければならず,そこでかなり疲弊しています。社高校にも,しっかり静養をとって,本番では力を発揮してもらいたいです。
 プロ野球は,あのどん底にいた阪神が知らぬ間に5割に復帰して2位にまで浮上していました。ヤクルトが独走ですが,盤石ではなさそうです。阪神は投手陣が固まってきたので,打撃陣が奮起すれば,かなりヤクルトに迫ることができるかもしれません。今日もヤクルトに快勝して,貯金1となりました。今年は広島に勝てていないので,そこがポイントでしょうかね。

2022年7月28日 (木)

暑さ対策

クールな生活

 近年の暑さは,私たちが子どものころの暑さとは質が異なっているように思えます。外に出ると,命の危険があるような気がします。ましてやコロナです。ただ,自宅にこもりっきりの弊害もあるので,できるだけ室内で運動をしようとは思っていますが,なかなかできていません。無駄な買い物にならないか悩んだ末に数年前に購入したSIXPADのお世話にもなっています。
 テレワークの導入の壁となるものの一つに住宅問題があるでしょう。自宅で仕事部屋をもっている人は,それほど多くないかもしれません。リビングを使ったり,子どもの勉強部屋を借りたりしているというようなことを聞いたこともあります。研究者の場合,研究場所について自宅派と職場の研究室派に分かれると思います。私は,かつては研究室派でしたが,いまは完全に自宅派です。自宅派の場合には,自宅に仕事部屋をキープしている人が少なくないでしょう。しかし,自宅に仕事部屋をもつことができるのは,労働者一般からすると例外でしょうし,自宅派の研究者であっても,自宅で十分な研究環境が実現できているかは別問題です。
 ちなみに私の場合は,仕事部屋はもっていますが,狭い部屋なので,エアコンを設置していません。エアコンを設置すると効きすぎるのが心配です。暑がりであった私は,10年くらい前まではガンガン冷やさなければ暑くて耐えられなかったのですが,いまは効きすぎると体調が悪くなることもあり,エアコンがやや苦手になってしまいました。ただ私の部屋は,北西向きなので,夏は午後の遅い時間になるとすさまじく暑くなります。35度くらいまで上がってしまうこともあります。ということで,扇風機をつけながら,となりますが,それに加えて,クールリンクとかアイスリンクとか呼ばれるもの(商品の一般的な名称はわかりません)を活用しています。冷蔵庫に入れておくと凍って,それを首に巻くと冷やっとします。1時間半くらいはもちます。外出時も着用しています。もう一つは,クールベストです。こちらは冷凍庫に入れた保冷剤を入れたベストです。これは3時間くらいもちます。クールリンクとクールベスト,それに保冷剤のようなものをタオルにくるんで腰に当てるというようなことをして,この酷暑に立ち向かっています。エアコンを使わないエコなやり方ですので,政府から誉めてもらいたいですね。今日の労働委員会のWeb参加でも,これで乗り切りました。
 もっとも,こうした古典的な氷や保冷剤を使った暑さ対策が効いているというよりは,私が暑さに鈍感になった部分も大きいような気がします。そういえば,外出しても昔ほど汗をかかなくなりました。楽な反面,着実に老化は進んでいるということでしょうから,少し寂しい気もします。

2022年7月27日 (水)

前期の授業終了

 今日で前期の授業が終わりました。あとは期末試験だけとなりました。今日やったのは明日の授業分のオンデマンド動画の収録ですが,とにかく終わってよかったです。今学期も,私の場合は完全リモートであり, LSではリアルタイム型,学部はオンデマンド型と異なるタイプのリモート授業をやりました。いろいろ失敗もあったのですが,一つひとつ乗り越えてきたと思っています。LSはソクラティックメソッドなので,私が何か話をするのではなく,事前に出している質問に対する答えを受けて授業を展開するというスタイルでした。そのため,リモートであることのデメリットは私にはあまり感じられず,むしろ教室でやっていたらマスク越しで話して聞きづらいとか,議論をしづらいということが起こりそうでした。それに,私はソクラティックメソッドといいながら,かなり話をしてしまうのですが,マスク越しだと,すぐに苦しくなるので,そうたくさん話をすることもできなくなり,授業の内容も変わっていたことでしょう。対面型でやるときはマスク着用というのであれば,私には今学期のようなオンライン授業でやるという選択肢もなければ困ります。
 学部のオンデマンド授業は,できるだけ学生が目の前にいるつもりで話をしました。最初は言い間違えたら,もう一回収録し直すなんてこともしていましたが,実際の授業では,言い間違えに気づいたら,その場で訂正して進んでいくので,オンデマンドであっても同じようにすることにしました。間違って喋った部分が残ってしまうのがイヤだという感じもあったのですが,そういう「潔癖主義」は捨てました。
 今週月曜日は,一般社団法人経営研究所の「人事部門責任者フォーラム」に呼んでいただき,講演をしました。「アフターコロナ後の働き方と法」というテーマですが,未来志向の私の労働法の世界をお話したつもりです。充実したコメントをいただき,私も勉強になりました。この講演は,私も参加者も全員リモートということで,最近は,この講演スタイルばかりです。この講演は夜開催でしたが,現在は,夜開催のものは体力に自信がないので,新たな依頼はお断りしています。
 8月には経済同友会の「規制・競争政策委員会」での講演を予定しており,さらに915日には,佐藤博樹さんがナビゲータをされるウェビナーで,テレワークのことを話す予定です(どちらもリモートです)。前者は会員限定ですが,後者は,参加は無料ですので,もし関心がある方は,こちらをみてください。
   こんな感じで,テレワークを実践しています。コロナの感染状況が急速に悪化するなかで,安心して仕事ができるので助かっています。

2022年7月26日 (火)

自民党と旧統一教会

 安倍元首相の亡くなったあと,気になる話が出てきました。この悲劇の思わぬ副産物です。もしかしたら政界では常識であったのかもしれませんが,これほど多くの自民党議員が旧統一教会と関連があるとは知りませんでした。いまでも同じかわかりませんが,私たちが大学に入学したときは,クラスごとにオリ合宿というのがあって,上級生が「オリター」としていろいろなアドバイスをしてくれるのですが,そのなかの重要なものとして,「原理研」には気を付けろというのがありました。とくに地方から出てきた人などは狙われやすいということで,私の周りでも「原理研」に勧誘されて,一度も授業で見かけず,そのまま,二度とキャンパスで会わなかった人がいました。原理研と関係する統一教会の活動に身を投じたのだろうと言われていました。その後も,統一教会は,合同結婚式などで世間を騒がせ(私が中学生くらいのころにファンであった桜田淳子の参加は驚天動地でした),カルト集団として,多くの被害者を出してきました。
 それでも多くの政治家がこの組織と関係をもってきたのは,集票力があったからなのでしょう。安倍さんが支持していたということで,安倍系の議員は安心して統一教会と関係をもってきたのかもしれません。集票力のある組織に,政治家はなびくのです。その組織がカルトであろうと関係ないのでしょう。先の参議院選挙で兵庫県から当選した自民党議員(閣僚)も統一教会と関係があったようです。身近なところから,こういう議員に厳しい視線を向ける必要があると思っています。そのためにも,メディアはしっかり情報を出し,野党は追及をしていく必要があるでしょう。

2022年7月25日 (月)

藤井五冠の棋聖防衛

 藤井聡太棋聖(五冠)は,永瀬拓矢王座を退けて,棋聖を防衛しました。これで3期連続となります。初戦は二度の千日手となるなど死闘の末に敗れましたが,その後は3連勝しました。最終局は快勝でした。
 同時に進行していた豊島将之九段との王位戦の第3局も行われ,藤井王位(五冠)の完勝でした。じわじわと攻め勝ったという感じで,強いなという印象を与えました。豊島九段の先勝で始まりましたが,藤井王位の2連勝で,藤井ペースになりつつあります。
 その豊島九段は,大橋貴洸七段との王座戦挑戦者決定戦に勝ち,永瀬王座への挑戦となります。王位戦とあわせ,無冠返上への戦いとなります。
 竜王戦は,藤井竜王への挑戦に向けてトーナメントが進行中です。ベスト4に上がってきたのが,稲葉陽八段を破った山崎隆之八段で,次の対戦は永瀬王座です。稲葉八段は,その対局の4日後にもJT日本シリーズで山崎八段と戦い,今度は雪辱しました。実力者どうしなので,重要な棋戦でぶつかりますね。竜王戦のベスト4は,このほか広瀬章人八段が上がってきており,高見泰地七段と佐藤天彦九段の対局の勝者と戦います。竜王戦の挑戦者の予想は難しいですが,永瀬王座が挑戦権を得て,棋聖戦に続いて藤井・永瀬戦となる可能性が高いように思えます。

2022年7月24日 (日)

これからの社会保障への不安

  7月22日の日本経済新聞の経済教室で,八代尚宏先生が「参院選後の岸田政権の課題(下) 高齢化社会の不安払拭急げ」という論考を発表されていました。全世代型社会保障構築会議の中間整理において,年金や医療・介護の費用の膨張にどう対応するかという論点が欠落していることを批判されていました。年金制度は,祖父母が孫からお年玉を取り上げているようなものだとし,高齢者の定義を75歳とすべきだと主張されています。75歳現役社会を前提に,制度設計をし直すべきということで,これは雇用政策にも関係してきます。私はこうした改革は不可避だと考えており,激変緩和は必要ですが,できるだけ早く着手すべきでしょう。高年法の改正で,20214月から70歳までの高年齢者就業確保措置の努力義務が導入されましたが,こうした措置の年齢上限はさらに5歳引き上げることも必要でしょう。しかし,より根本的には,雇用も自営もふまえた75歳までの就業促進策をどう実行するかが重要で,その鍵となるのは,高齢者が持続的に能力を発揮できるようにするためのデジタル技術の活用です。
 年金については,国民年金の保険料を廃止して,年金目的消費税を導入すべきという提言もされています。かつて八田達夫先生は,日本労働研究雑誌605号(2010年)の提言「国民年金は,所得税や消費税で賄うべきか,人頭保険料で賄うべきか」 で,国民年金の保険料は,所得税でまかなうべきという提言をされています。私も消費税よりは所得税のほうがよいと思っています。ただ,八代先生も,「豊かな高齢者から貧しい高齢者への同一世代内の所得再分配を強化し,後世代の負担を減らす工夫も必要だろう」と述べておられており,そうした工夫の一つは,年齢に関係なく,豊かな人から,貧しい「高齢者」への所得再分配が可能な税制の活用ではないかと思っています。
 一方,医療・介護については,財政の問題と同時に,マンパワーの問題もあります。医療人材のことについては,宇沢弘文の社会的共通資本の考え方に賛同するということを何度も述べていますが,それとは別に,ここでもデジタル技術の活用が求められると思います。急速に医療人材や介護人材を増やすことができない以上,いかにしてデジタル技術を活用して,省力化・効率化を図るかがポイントです(これも何度も述べています)。デジタル技術の活用は,高齢化社会への対応にしろ,医療・介護人材の不足への対応にしろ必要不可欠なものであり,政策の基本は,常にここから始まるのです。

2022年7月23日 (土)

走れコウタロー

 山本コウタローさんが亡くなりました。まだ73歳という若さで,残念です。フォークソングファンであった私ですが,とくに彼のファンというわけではなかったのですが,吉田拓郎をテーマにした卒業論文(一橋大学)を書いているということを知って気にはなっていました(その後,本として刊行されています)。しかし,そういうことを知るよりも前に,すでに彼もメンバーであったソルティ・シュガーというグループの「走れコウタロー」という曲で,その名は知っていました。当時(1970年)は,大人も子どももみんな口ずさんだ曲です。メンバーの名前が歌のタイトルや歌詞に入っているのも変わっていましたけど,当時の美濃部都知事のモノマネを入れたり,競馬の架空の実況中継を入れたり,小さいころには意味がよくわかりませんでしたが,とても面白いです。パロディ精神にあふれる若者の勢いが感じられ,1970年代の香りがします。その後は,「岬めぐり」という,これまた誰もが知っている「普通の」名曲があります。ギターの練習曲に最適でした。山本コウタローが亡くなり,吉田拓郎は引退ということで,寂しいですね。
 ところで,いまの若い人は知らないでしょうが,私たちの世代は,ほぼ例外なく,子どものときは,毎朝,ピンポンパンを見ていました。いまでもピンポンパン体操は,踊れるかどうかはともかく,歌詞はすぐに口ずさむことができます。この歌詞は,子ども番組とは思えないほど,パロディだらけのハチャメチャなのですが,ある意味では傑作です。作詞は,あの阿久悠で,作曲は小林亜星でした。当時のお茶の間で大人気であったドリフターズの「ズンドコ節」を思わせる出だしも,耳に残ります(ドリフのズンドコ節も大ヒットして,私もよく歌っていました。ちなみに,氷川きよしは,その後,全く異なるズンドコ節をリリースしていますね)。
 その歌詞のなかに,「走れキンタロー」というのが出てきます。ソルティ・シュガーの歌のコウタローは馬でしたが,こちらはおそらく下痢かなにかでトイレに駆け込む人間という設定になっています。「ワニのおよめさんは水虫で困る」という歌詞もあって,子どものときにも大声で面白がって歌っていました。
 これをNHKの「おかあさんといっしょ」の歌に採り入れてもらうことは無理でしょう(もともとNHKの番組ではできないような歌を作ったということですから)が,どこかの番組で体操つきで復活させてもらいたいですね。子どもたちは絶対に飛びつくと思いますよ。「走れコウタロー」も歌詞を変えて,踊りもつけて,子どもたちに歌って欲しいですね。この曲もリズミカルで子どもたちが喜ぶでしょう。
 

2022年7月22日 (金)

国民葬の正しいやり方

 安倍元首相の葬儀は国葬でやることが閣議決定されたそうです。国葬とすることによって,国家行事となるのでしょう。この葬儀は,安倍元首相への弔意に基づき行うというのは違った性格をもつことになるでしょう。人の死亡の政治的利用と思えなくもありません。多くの税金が使われる可能性もあります。すっきりしないものがあります。
 読売新聞オンライン(https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220714-OYT1T50431/)によると,岸田首相は,多大な功績があったからだと言っているようですが,政治家の功績について,同じ自民党内で評価するだけでは国葬の理由としては不十分に思えます。もし自民党内でそういう声が多いのであれば,自民党で葬儀をやればよいと思います。
 多くの国民が,葬儀の行われた増上寺や奈良の亡くなった場所に詰めかけているのは,その非業の死を悼む気持ちからであり,その政治的な功績とは関係がありません。安倍元首相は有名人であり,スターだったのです。彼が来るといえば,見に行きたくなるという人だったのです。そういう人だから多くの国民が悼んでいるのです。私だって近くに住んでいれば,手をあわせにいくでしょうが,だからといって国葬を望んでいるわけではありません。
 時代の流れは,葬儀はシンプルにというものです。安倍元首相のご家族がどのような葬儀をするかについては,他人がとやかく言うことではありませんが,政府が,国葬として盛大な葬儀をすることが,故人をしのぶ良いやり方であるという発想に基づいて行動しているのであれば,それに違和感をおぼえる国民は多いでしょう。
 かりに政府で何かやりたいのであれば,クラウドファンディングで資金を集めればよいのです。あっというまに億単位のお金が集まるでしょう。葬儀の費用って,いくらでもかけることができるものですが,クラウドファンディングで集まった資金が民意であるとみて,その範囲でできることをやるというのが,ほんとうに国民の気持ちに寄り添った葬儀になるのではないでしょうか。
 多額の税金を使うとなると,アベノマスクなどの安倍政権時代のネガティブなことが想起させられて,かえって国民の弔意に水を差すような気がします。物価高で国民の生活苦が本格化すると予想される秋に,こういう国家行事をやることの政治的センスも問われることになるでしょう。
 首相が私人として安倍元首相追悼プロジェクトを立ち上げて,クラウドファンディングで資金を集め,国民の弔意を全面に受けながら国民葬を主催するというのであれば,反対する人はいないでしょうし,野党も反対できないでしょう。そして,岸田首相は若者も含め多くの国民から大喝采をもって迎えられるでしょう(そういうときに,補助的に国費を投入するということも,あまり反対する人はいないと思います)。
 どうやったら自民党の保守派に気に入ってもらえるかということではなく,どうやったら国民の多く(自民党支持者だけでない)に気に入られるかを考えてほしいものです。税金は,国民のことを考えて,大切につかってください。
 

2022年7月21日 (木)

服装の自由と人事労働法

 コロナ前にはよく行っていたワインバーでアルバイトをしていた神戸大学の工学の大学院生が,キーエンスに就職するという話を聞いたとき,良い会社に入れてよかったねと声をかけた記憶があります。デジタル時代において,センサーの重要性が高まるなか,センサーと言えば,キーエンスというイメージだったからです。
 ところで,この会社は,接待なし,Yシャツは白という決まりだそうです。また組織内での「知の共有」を進めて,生産性と報酬を高めていると,先日,日本経済新聞で紹介されていました。接待なしで営業力を高めてプロの仕事をし,しかもそのノウハウを惜しみなく部下や同僚に提供するという形で,組織力を高めているのでしょう。Yシャツを白に統一するのも,余計なことに気を回すことがないようにというプロ精神からくるものなのかもしれません。
 白Yシャツの強制は私には無理ですが,そういう個人的な趣味の問題だけでなく,法的にはどうでしょうか。髪の色や髭については,労働判例がいくつかありますが,服装は,制服にみられるように,業務上の必要性があれば,企業は押し切ることはできそうです。ただ,私の価値観では,服装は人格的価値にかかわるので,少し気になります。
 誰も興味ないかもしれませんが,私の『人事労働法』(弘文堂,2021年)でも,服装規制のことを扱っているので,いちおう書いておきます。『人事労働法』では,就業規則による労働条件決定(内容形成)とその個人への適用(個別適用)を区別しており,まず前者については,服装はデフォルト(標準就業規則)では,人格的利益にかかわるもので,個人の自由にゆだねられるべき事項と解されますので,個々の企業の就業規則で服装規制を設ける場合には,「標準就業規則の不利益変更」の手続(過半数の納得同意と反対従業員への誠実説明。詳細は301頁)が必要となります。次に,服装規制を個々の従業員に実際に適用するときには,当該従業員に誠実説明を尽くさなければなりません(73頁を参照。本のなかでは書いていませんが,実務的には,内容形成のところで行われた誠実義務が,個別適用で求められる誠実義務を含むと解されることはあると考えています)。逆にいうと,こういう手順をふんでいれば,その企業の服装ルールにしたがうことを,従業員に強要してもよいのです。誠実説明とは納得同意を得るための手続であり,それを尽くしていれば,最終的に同意を得られなくてもかまいません。『人事労働法』では,企業には,従業員の納得同意を得なければできないことと,従業員の納得同意を得るよう誠実説明を尽くせばできることを分けていますが,服装規制は後者の範疇に入ります。
 ただこの議論の前提として,服装を人格的利益に関わる事項としていることについては,異論があるかもしれません。もしデフォルトにおいて,企業は服装規制ができるということになれば,「標準就業規則の不利益変更」は省略でき,より簡便な「標準就業規則の組入」の手続(詳細は300頁)でよいことになりますが,その場合にも,実際に従業員にその服装規制を適用する場合には誠実説明を尽くさなければなりません(ここでも,実際には,内容形成の際の誠実説明は個別適用の場合の誠実義務を含むと解されることがあるでしょう)。

2022年7月20日 (水)

経営者の言葉

 日本経済新聞に掲載されている「決算トーク」で,ある有名企業の社長が,買い物客が目的以外の商品のついで買いが少ないとし,商品開発や広告宣伝を強化して,この状況を打破していきたいと語っていました。
 株主向けのコメントであり,そうみると普通の内容なのかもしれませんが,顧客としては,いかにして目的外の商品を買わないようにするかが大切だと思っていますので,あまり良い気分はしません。
 これは「クロスセル」と呼ばれるマーケティング手法の一つなのでしょう。私たち消費者は,店舗に行くと,ついで買いを誘う仕掛けがなされていることを自覚して,賢い消費をするように心がけなければならないでしょう。個人的には,本命の商品のついでに別の商品も買ってしまうと,あとで後悔することが多いです。店舗で,消費者がその価値に気付いていない商品を推奨することはあってよいと思いますし,ナッジでつつかれる程度であれば良い気もしますが,いずれにせよ,ほんとうに必要なもの(そして,食料品以外では,長く使えるもの)を,適正な価格で,厳選して買いたいものです。消費の喚起は経済にとっては重要かもしれませんが,経営の王道は,社会にとって必要な商品を生産し,その情報がその商品を必要としている個人に到達したうえで消費されていくようにすることでしょう。上記の社長の「商品開発や広告宣伝」という発言が,そのような意味であればよいのですが,「ついで買い」に言及した流れで言われると,ちょっと違和感をおぼえてしまいました。どんな安価な商品でも,「ついで買い」ではなく,十分に吟味して納得して買ってもらいたいと,経営者には言って欲しいです。
 テレ東のWBSで早稲田大学の入山章栄教授が,関西の万博が盛り上がっていないのは,企業経営者が「思想」を語っていないからだと言っていました。そうだなと納得してしまいました。経営者は,自社のビジネスが,どのような考え方に基づき,どのような方法で,社会課題の解決のためにビジネスをやっているかを語る必要があると思います。

2022年7月19日 (火)

ブルシット・ジョブ

 大学教授の仕事には,教員として授業を行うなどの大学の用務以外に,研究者として行う原稿執筆依頼,講演依頼,取材やインタビュー依頼などがあります。後者については,メールの返事は,即断即決で即時にしています(一方,研究関係以外については,すぐには返事しないことや,できないことはよくあります)。
 先方からは,こちらがすぐに返事をすると驚かれることもあります。でも,研究関係では,実質的には,個人事業者のようなもので,自分ですべて決定できるため,時間はかかりません。講演などは,かつては出張となる場合がほとんどで,日程調整が大変であったので,簡単に返事できないこともありましたが,いまはオンラインでのものしかやりませんので,引き受けると決めれば,Google Calendar を空きをみて,すぐに決めることができます。空いている日程があれば教えてほしいという依頼はやや面倒ですが,調整相手が一人であれば,「アイテマス」が,Google Calendarと連動したすぐれもので,たいへん役立ちます。
 もっとも,こちらがスピード感をもってやっても,相手が大きな組織になると,私への返事が遅いことは多いです。忘れたころに返事が来て,何の用件だったか記憶を戻すのに困るようなことも,ときたまあります。上司がいて,その承諾を得るなどの手順が必要となるのでしょうが,私に依頼する程度の仕事であれば,現場に権限を降ろして,てきぱきと決めてくれれば助かりますね。
 そういえば,かつてある人から,その上司が私と話したいので,時間をとってもらえないか,というメールを受けたことがあります。さらに挨拶をしたいというので,メールで十分かと思うのですが,Zoomでミーティングを設定しました。そのときには,その上司が出てくるのかと思っていると,その部下の方がでてきただけでした。用件もあまり具体的ではなく,どうも私とのアポをとにかく取ってこいということだったのかもしれませんが,本人ではないので要領の得ない話となり,最後はお断りしました。「時間泥棒」の匂いがしたからですが,こちらとしては,決定権限のある人と直接やりとりをしたいのです。そういうことを言うのは,私が組織人ではないからですかね。
 少し前に流行った「ブルシット・ジョブ」というのは,無意味で,つまらないもので,しかも相手方からも嫌がられるようなジョブのことであり,組織のなかでは,上司からこういうジョブが命じられることが数多くありそうです。ブルシットって,bullshit (牛の糞)のことで,酷い名称ですね。上司のみなさん,部下にそんな仕事をさせないようにしましょう。自分がかつてやらされていたからといって,それを繰り返してはいけません。
 個人の良さは,身軽で,意思決定が速いだけでなく,ブルシット・ジョブからも解放されていることかもしれません。もちろん私も教員としての面では,組織の一員であり,ブルシット・ジョブとまでは言いませんが,納得できないような仕事をせざるを得ないこともあります。そんな仕事であっても,定年までの辛抱だと思うと,むしろ楽しんでしまおうという気分ではありますが。

 

2022年7月18日 (月)

海の日の授業

 海の日は休日なのですが,LSの授業カレンダー上は授業日です。私の場合,月曜日に授業が入る年が多いので,ハッピーマンデーはあまり意味がないことが多いです。うっかり授業をすっぽかさないように注意しなければなりませんね。
 LSは,今学期はリアルタイム型のリモート授業です。ちょうどコロナ感染が広がってきているなかですが,リモート授業ですので,影響を受けません。ただ感染した学生は,無理をすれば受講できるかもしれませんが,こういうことに備えて録画しているので,体調が快復してから視聴してもらえばよいでしょう。
 昨年の後期からの一連の労働法の講義も,いよいよ終わりに近づいてきました。今日は,不当労働行為の不利益取扱いと支配介入を扱いましたが,とくに第二鳩タクシー事件に時間を割きました。ケースブックでは,不利益取扱いの判例のなかに置かれていますが,これは労働委員会の救済命令の裁量にかかわる判断として,不当労働行為に関する最も基本的な判例の一つです。解雇が不利益取扱いの不当労働行為と判断されたとき,救済命令として発するバックペイ命令から,中間収入を控除できるか,あるいは控除すべきかが問題となったもので,この判決は,控除必要説にたった従来の判例を変更して,控除裁量説を採用しました。ただし,当該事案では,控除しない命令は違法としました。この判決については,このブログでも何度か取り上げたことがありますね。
 反組合的解雇の救済は,行政救済と司法救済が併存するという意味で,一種のデュアル(←修正)・エンフォースメントであると思います。行政法の視点からは,行政的手法にどこまで私法(司法)的手法を加えることができるかといった議論とか,独禁法でも私訴論とかで,デュアル(←修正)・エンフォースメントが話題になりますし,さらにダブル・トラック問題(ここでは民事裁判と準司法手続である労働委員会の行政手続の併存)もあります。デュアル(←修正)・エンフォースメントのほうは,救済の手法を増やすという点では労働者にプラスになるので労働法的観点からは肯定的に受け止められることが多いでしょうが,ダブル・トラックのほうは深刻な問題があります。私は立法論としては,シングル・エンフォースメント,シングル・トラックに賛成していますが,拙著『人事労働法』では,もう一ひねりしています。雇用差別問題一般について,就業規則をどう適用するかということに重点をあてて,納得規範を適用して処理することを提唱しており,納得同意を得るべく誠実説明をしている場合には違法な差別には該当しないとしており,組合員に対する不利益な人事上の措置についても,組合員への誠実説明を尽くしていれば民事上は有効であるが,ただ労働組合の固有の利益の侵害部分は不当労働行為救済手続で救済されると主張しています(同書66頁,237頁を参照)。

2022年7月17日 (日)

労働協約の地域的拡張適用

 季刊労働法の最新号(277号)でJILPTの山本陽大さんの「労働組合法18条の解釈について」という論文が掲載されています。茨城県で労働協約の地域的拡張適用が認められたケースを素材として,中労委の決議などを批判的に検討して,労組法18条の解釈論を丁寧に展開しています。神戸労働法研究会での報告でも聞いていたのですが,今回,論文として読んで,あらためて,たいへん勉強になりました。
 山本さんは,論文の最後で,「歴史的に振り返ってみたとき,本件が,企業別組合を中心とした日本の集団的労使関係システムにとっての転換点となっていた可能性もまた,否定できない」とし,「労働協約において一般化した規範を法律化するといった,ドイツをはじめ欧州諸国においてみられる形へとシフトさせる可能性すら秘めているように,筆者には思われるのである」と述べて論文を結んでいます。
 そういうことかもしれないのですが,私は少し気になったのが,本件での使用者側の対応です。使用者側は実質的にヤマダとケーズデンキ(もう一つのデンコードーはケーズの100%子会社のようです)で,それぞれの企業別組合と単一協約を締結していたのですが,両企業の間に何らかの合意があったのかどうかです。労働組合側は上部団体が関与していたので,統一的な行動をしていたのでしょうが,使用者側も統一的な行動をしていたのであれば,これは実質的には使用者団体と産業別組合との地域レベルの産業別協約の拡張適用の事案とみることができそうです。
 本件で問題となった労働条件は,賃金ではなく,休日でした。企業側が協約を締結したのは,他の業界からみて年間休日数が少ない家電量販店業界で,できるだけ人材を確保するためには休日の増加が必要であったという事情があったようです。今回の拡張適用の申立をしたのは,労働組合側ですが,企業側も反対はしていませんでした。このことは,今回の労働条件の改善が,労使双方にとってプラスになる面があることを示しています。拡張適用は,協約適用外の企業が,人件費を抑えるために,協約水準より低い労働条件を設定することを防止する意味があります。そのかぎりでは,協約適用外の労働者の利益は反射的なものにすぎません。
 ところで,かつて最低賃金法には,労働協約の拡張方式があったのですが,利用が低調ということもあり廃止されました。もともと労働協約の地域レベルの拡張適用には,地域の最低賃金の設定という機能があり,最低賃金法とリンクしていたのです(いまは削除されている労働組合法18条4項を参照)。また,最低賃金には,かつては業者間協定方式というものがありました。ところが,これは使用者側が設定するもので,労働組合が関与していないので,適正な最賃額が保障されないなどの理由から廃止されました(ILOの最低賃金条約の批准問題も関係していました)。
 ここからは私の妄想が入りますが,今回のケースは,労働組合の成果という見方もできそうですが,有力な事業者が同意をしていたという事情こそ決定的であったのではないでしょうか。山本論文でも紹介されているように,地域的拡張適用においては,使用者間の公正競争の確保という趣旨があります。ただ,これは法律で明記されたものではありませんが,最低賃金法では,「事業の公正な競争の確保に資するとともに,国民経済の健全な発展に寄与すること」(1条)が目的として明記されています。賃金以外の労働条件においても,ほんとうは,この公正競争の確保による国民経済の健全な発展というのは,欠かせない視点であり,地域的拡張適用の趣旨において考慮されるのも妥当だと考えられます。
 今日のような人材不足の状況下では,企業側には労働条件の引上げのメリットがあるのであり,自企業だけでやると競争上不利となるおそれがありますが,今回のように地域レベルで有力企業が同時に行えば,そのおそれを解消できるのです。また,企業側は,もし有力企業で共同歩調をとれば,その地域の家電業界は支配できるので,残りの少数の協約適用外企業で独自の労働条件が締結されてもさほど大きな影響はなく,だから企業側からはあえて拡張適用を申立てをしなかったのかもしれません。
 私がこういうことを書いたのは,「人事労働法」の議論と関係するからです。企業は,適切なインセンティブを付与されれば,労働法の理念に沿った行動をとるはずという人事労働法の企業観には批判もあると思います。ただ,私のこうした企業観の前提の一つに,現在の企業には,良い人材を集めるための努力が欠かせない状況にあるという点があります。これは景気変動による労働市場における需給状況の変動とは関係のない,人口動態の傾向的変化からくる構造的な問題です。
 家電業界がどうかはさておき,今後,単純労働は機械により省人化していきます。デジタル技術を使いこなす人材が必要となります。休日にしろ,賃金にしろ,ある程度の水準のものを提示しなければ,人材は他の企業や他の業界に流れていきます。そうであるならば,労働組合の交渉力に期待した労働条件の向上だけではなく,企業側に直接働きかけるような政策も効果的です。業者間協定方式の最低賃金など論外という見解もあって廃止されてしまったのでしょうが,業者間協定方式を行政とうまく連携して行えば,労働法の理念をよりよく実現できる可能性があります。この発想は,最低賃金だけでなく,いろんなところに応用できるのではないかという気がしています。企業や業界の自主規制(self-regulation)や共同規制(co-regulation)の議論にも関係します。
 ちょうど労働法の新たな規制手法論について再勉強しているところだったので,山本さんの論文を読みながら,以上のようなことを考えていました。

2022年7月16日 (土)

人間ドック

 先日の水曜日に,人間ドックに行ってきました。速報での結果は例年とそれほど変わっていませんでした。感覚的にも,無理した生活をしておらず,ただ在宅が多いので体重が少し増加していることは毎日の測定からわかっており,実際そのとおりでした。ショックであったのは,身長が縮んだことです。毎年少しずつ減っていて,どこまで減るのか心配です。でも,こればかりは老化現象なので,どうしようもないのでしょうね。
 胃の検査は,今回はないと言われて驚きました。これまでは,何も選択しなければバリウム検査だったと思うのですが,どうも胃の検査をするかどうかがオプションであったようで,何も選択しなかったので,検査はありませんでした(昨年は胃カメラを選択したので,このことに気づいていなかったのかもしれません)。まあ,ピロリ菌は陰性なので,2年に1回でよいかなと思っています。
 腸の検査はとくにしていませんが,腸はとても重要ということを, NHKプラスでみたヒューマニエンス「“腸” 脳さえも支配する?」でも採り上げていました。脳のない腸だけの動物の存在など,私たちの進化のなかでの腸の優位性がよくわかりました。脳の神経細胞は,もとは腸から生まれたのだそうです。たしかに,腸の健康が,精神的な健康に決定的な影響をもっていることは知っていました。ということで,私はゴボウ茶など腸環境によいものを好んで飲んでいます。
 健康診断の結果でメタボとされれば,特定保健指導を受けることが義務づけられ,その実施率が低ければ医療保険(共済)の保険料が引き上げられるそうです。しかし,この指導は専門職がやっているといいながら,私の経験ではとてもプロの仕事とは思えませんでした(前にも書いたことがあると思います)。国が健康に配慮してくれるのは有り難いと言うべきなのでしょうが,保険料の引上げといったムチの政策ではなく,いかにしたら個人が自ら健康管理ができるかを考えた誘導的な施策を採用すべきでしょう。たとえば,行動経済学の知見をとりいれて,AIを活用した自己健康管理を促すアプリを活用するなどです(厚労省は,デジタルは苦手かもしれませんが)。意味のなさそうな特定保険指導を受けなければならないと思うこと自体が,フラストレーションになって,精神的な健康によくないです。かりに特定保健指導を受けるとしても,せめて人間ドックにおいて受診機関を選択できるのと同様,実施機関を選択できるようにすべきでしょう。

2022年7月15日 (金)

王位戦第2局

 王位戦第2局は,藤井聡太王位(五冠)が,挑戦者豊島将之九段を下して,11敗となりました。第2局は,豊島九段が3時間近い大長考をした後に指した一連の手があまり良くなかったということでした。トッププロがこれだけ考えても最善手を指せない将棋の難しさと奥深さを感じます。AIがプロ棋士の研究でも活用されている今日,対局前に当該戦法について十分に研究をして準備しておかなければ,その場で考えてもなかなか挽回できないということなのかもしれません。一方で,まだあまり研究されていない未開拓の領域に持ち込んで力勝負を挑むという戦法もあるのでしょうが,実力者どうしのタイトル戦では,そういう荒っぽいことはしないでしょうし,たぶん仕掛けたほうが負けるでしょう。
 藤井聡太五冠と棋聖戦を戦っている永瀬拓矢王座への挑戦を争う王座戦の挑戦者決定トーナメントは,勝ち上がった豊島九段と大橋貴洸六段の勝負となりました。大橋六段は,トーナメントの1回戦で藤井聡太五冠を下して調子に乗っており,難敵を下してタイトル初挑戦となるかが注目です。
 里見香奈女流四冠の編入試験の相手が決まりました。若手四段が5人集められました。「女には負けられない」というような感覚をもつ時代ではないと思いますが,三段リーグの突破という正規ルートで入ってきた若手四段には,編入試験という迂回ルートでプロ棋士の世界に入ってくることについて複雑な感情があるかもしれません。そう簡単にこのルートの突破を認めるわけにはいかないでしょう。しかも世間も注目します。女性活躍推進時代と合わせて報道するところもでてくるでしょう。男性棋士としては,ここで厚い壁となり名を揚げたいところでしょうが,ファンとしては里見さんに,勝って新しい時代を切り拓いてほしい気持ちもあります。

2022年7月14日 (木)

ジェンダーギャップ指数の読み方

 恒例の世界経済フォーラム(WEF:World Economic Forum)のGlobal Gender Gap Report2022年版が発表されました。日本の総合順位は116位で,先進国のなかでも,また東アジア・太平洋地域のなかでも最下位ということで,みっともない感じです。もっとも,こういうランキングは,何に着目して評価されたかが重要です。主たる評価項目は,Economic participation and opportunityEducational Attainment, Health and SurvivalPolitical Empowerment4つで,それぞれ経済,教育,健康,政治と略することができるでしょう。このうち,日本は,教育は1位ですが,経済が121位,健康が63位,政治が139位です。たしかに,経済と政治が低いのはわかるのであり,ここは改善しなければならないところですが,健康が63位というのは解せません。WWFは,Sex ratio at birthHealthy life expectancy でみたようです。つまり,出生時の男女比率と健康寿命です。実は日本は,前者は1位,後者は69位なのです。日本は平均寿命も健康寿命も女性のほうが高いのですが,健康寿命の男女差はそれほど大きくありません。ここがマイナス評価となったのでしょうか(レポートを詳しくみれば説明してあるかもしれませんが,それは他の方の分析に任せます)。健康寿命の男女差が順位を引き下げている(比重はそれほど大きくないかもしれませんが)とすると,大いに疑問があります。むしろ平均寿命が女性のほうが男性よりかなり長いことなどもふまえると,健康面での格差があるとは考えられず,それに教育レベルでの格差がないにもかかわらず,管理職の女性比率や政治面での議員・閣僚の女性比率が小さいということを,どう読み説くかというこそ大切です。教育水準が上がっても,そういう女性人材を,日本社会は十分に使いこなせていないことが問題なのです。これは人権問題というようなことではなく,日本社会の仕組みが非効率になっていると捉えるべきでしょう。人権問題とみてしまうと,実は女性の幸福度はそれほど低くないといった議論も出てきて,話が混乱してしまいます。私は個人的には,政治家になりたくない,管理職や経営者になりたくないと女性が思うのなら,それを尊重すべきであるので,結果としてのジェンダーギャップだけながら必ずしも問題視しませんが,実は,その根底にある日本社会の(かつての成功の基礎となった)「男の論理」で,女性の能力発揮が妨げられている状況があることが,真の問題だと思っています。能力ある女性が,大企業から離れて,フリーランスになったり,スタートアップで活躍したりするのは,組織文化に愛想をつかしているという面もあるはずです。能力ある女性に見捨てられるような組織が社会に数多く存在している状況こそ,日本の危機なのです。
 政治の世界はなかなか変わりそうにありません。今回の参議院選挙で,女性の当選者が増えたとはいえ,まだわずかです。それのみならず,その選挙スタイルは旧来型のようです。全員をみたわけではありませんが,当選したら支援者に囲まれて万歳をして,深々と頭を下げてお礼をするというようなところに象徴されています。これでは男性文化に染まった女性が増えただけではないかという懸念があります。そういう女性が増えてジェンダーギャップの数値が減少しても意味がないのです。男女は別であることを前提に,男性中心の論理,文化,考え方を揺るがせて,新しい風を吹き込むことこそ,女性に期待したいのです。それは,新しい価値観をもつ人が増えている若い男性にもフィットするものです。こうして男女ともに,生きていくうえでの様々な場面で選択機会が広がっていくことが理想です。
 ところで,私の周りをみてみると,大学は,普通の社会よりも比較的男女平等が進んでいるところだと思いますが,労働委員会の委員をみると,どうでしょうか。全国における労働委員会委員の女性比率,さらには会長,会長代理の比率を一度,調べてみてもよいでしょう。絶望的な数字が出てくる予感があります。さすがに中央労働委員会は,公益委員は,(名前だけからの推測ですが)女性が7人いて約半分です。会長代理には,両角さんがいます(いつかは,女性会長が誕生するかもしれませんね)。

2022年7月13日 (水)

侮辱罪の厳罰化への疑問

 

 刑法231条(侮辱罪)の法定刑が引き上げられ,懲役または禁錮,罰金が追加されました。懲役または禁錮は,将来的には,拘禁刑に統合されますが,侮辱罪の改正のほうが先に施行されましたので,当面は懲役または禁錮という刑は残ります(拘禁刑の導入される改正刑法は,公布の日から3年以内の施行とされています)。
 侮辱罪は,事実を摘示せず,公然と人を侮辱する場合に適用されるものであり,侮辱とは,「他人の人格を蔑視する価値判断を表示すること」と解されています。今回の改正の理由は,「近年における公然と人を侮辱する犯罪の実情等に鑑み,侮辱罪の法定刑を引き上げる必要がある」とされていますが,とくにネット上の誹謗中傷への適用を想定したものと言われています。政治家の言動や政策への批判は,侮辱にあたると解すべきではないのですが,それが必ずしも明確ではないことから,懲役刑まであるとなると,政治的言論についての重大な制約となるおそれがあります。ちなみに関西弁のアホは,関東弁のアホとはずいぶんとニュアンスが違うものであり(「探偵ナイトスクープ」の「アホ・バカ分布図」も参照),通常は,少なくとも主観的には侮辱の意味が含まれていませんが,私が政治家をアホ呼ばわりすると,侮辱罪でつかまらないかという心配が出てくるわけです。
 ネット上の誹謗中傷が人権侵害になることがあるのは,よくわかります。それへの対処は必要です。しかし,そのための方法として,法定刑の厳罰化をするというのは,はたして効果的な方法でしょうか。公訴時効の関係もあるのでしょう(従来は1年でしたが,改正後は3年となりました。刑事訴訟法2502項の7号適用犯罪から6号適用犯罪に変わったからです)が,むしろ刑事訴訟法25027号で,軽い犯罪であっても公訴時効が1年というのが短すぎるので,こちらのほうを,たとえば2年に引き上げるというような改正もありえたかもしれません。
 刑罰は劇薬であり,別の目的(上記の政治的な言論に対する弾圧目的)に悪用されることが心配です。著名人の自殺などのショッキングなことがあり,処罰感情が高まっていることは理解できますが,性急な法改正であったような気がします。そもそも,厳罰化によっては,ネット上の誹謗中傷を抑止することはできないでしょう。デジタル時代における個人の人権保護は,デジタル技術を使って図るという,ここでもデジタルファーストの考え方で臨むべきだったのではないでしょうか。たとえば,刑法学者やこの分野に詳しい弁護士に集まってもらって,何が侮辱であるかの具体例をデータ化してAIに学習させ,侮辱に該当する発言をネット上で発信すれば,アラームが出て,それにもかかわらず発信したら処罰可能というようなことはできないでしょうか。アラームが出たときに,すぐに削除すれば許されることにするのですが,このようなソフトなやり方のほうが言論に対する対応としては妥当でないかと思います。

2022年7月12日 (火)

最強の女性判事

 RBG(Ruth Bader Ginsburg)が,もし生きていたら,アメリカの連邦最高裁の現状をどう言っていたでしょうか。Trump政権になって,最高裁判事が,次々と保守系に入れ替えられるなか,自分は死ねないとして,ガンを患いながらも必死に頑張ったGinsburg。前にも書いたことがありますが,最後は執念だったのでしょう。しかし,20209月に力尽きました。そして,Trumpはすぐさま,保守系の女性判事を選びました。リベラル派は,いまは少数派です。人工中絶反対派が多数となったあとの,最高裁の判例変更は,アメリカ社会のこれまでの亀裂を決定的なものにしたようにみえます。法制度を含め,民主主義国の先生として,アメリカから多くのことを学んできた日本にとって,今後はアメリカは反面教師であり,私たちは,自分たちのことは自分たちで考えていかなければなりません。
 NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」は,いつも楽しみにしていますが,最近配信された「RBG 最強と呼ばれた女性判事 女性たち百年のリレー」は,感動的でした。数日前に選挙のことを書きましたが,性差別問題においても,女性の選挙権の獲得は大きな課題でした。女性の参政権が認められたあと,女性たちが求めたのは,偏見による機会剥奪との闘いでした。RBGの印象的な言葉は,女性は優遇を求めているのではない,男性が踏みつけている足をどけてほしいのだ,というものでした。
 この番組で描かれたアメリカ社会における男女の不平等の根強さは驚くべきものでした。アメリカの人種差別はよく言われてきましたが,男女差別はそれほど遠くない過去まであったのです。私は男女の役割分担というのはあってよいと考えていますが,そのことと,男女の同権とは別の問題です。男女は同権で,そのうえで男女が,社会からの抑圧や偏見を受けることなく,自由に自分の生き方を選択できて,機会が与えられる社会がつくられるべきだと思っています。
 この番組は,イギリスで100年以上前に,女性参政権を訴えるために,国王の馬のまえに飛び出して,蹴り殺されてしまった女性Emily Davisonの話から始まります(この映像は不鮮明であってよかったと思うほど,とてもショッキングです)。多くの男性よりも優秀であったにもかかわらず,女性であるというだけで差別され,政治運動の際には何度も投獄され,そこで拷問を受けてもめげず,最後は命をなげうって抗議したということが,そんなに遠くない昔にイギリスで起きていたのです。
 そんなDavisonに影響を受けたというRBGを最高裁判事に選んだClinton大統領は賢明な選択をしました。政治的にリベラルかどうかというような次元を超えて,知性があり,公正で,そして実行力もある人材を,連邦最高裁判事というアメリカでの最高の要職につけたのです。人事とはこういうものでなければなりませんね。RBGは,法の力で,社会改革を進めました。
 Clinton 元大統領の妻であるHillaryは,女性にとって最も厚そうなglass ceiling(見えない天井)を突き破る一歩手前まで行きましたが,最後に力尽きました。しかもロシアも選挙戦に関与していたというのですから,すさまじい壁にぶつかったといえます。ただHillaryの敗戦の弁は潔く,女性たちに多くの希望を与えるものでした(Trumpの見苦しさとは対照的です)。
 日本でもおりしも男女賃金格差の開示が義務付けられるなど,女性活躍推進への動きは進みつつあります。重要なのは,まだ組織の上層部にいる守旧派であり(そこには,女性であっても男性社会の論理に適合して成功した人も含まれます),こういう人たちは女性に対する偏見があるだけでなく,デジタル化などの新しい動きへの変化の壁になっています。必要なのは組織風土の変化です。
 政府与党にもまだ保守的な人たちがたくさんいます。それが変化するかどうかの試金石は,選択的夫婦別姓制ではないでしょうか。日本の最高裁は,夫婦同姓(同氏)制を合憲としましたが,4人の違憲判断がありました。最高裁は,決して,選択的夫婦別姓制に後向きなわけではありません(ちょうど1年程前に,このテーマでブログを書いています)。RBGのようなインパクトのある判決は,現在の日本の最高裁に期待できないかもしれませんが,それでも最高裁はメッセージを送ったと思います。立法府は自ら動く必要があります。安倍氏は反対派の代表でしたが,安倍氏亡きあと,自民党内の空気はどう変わっていくでしょうか。

2022年7月11日 (月)

兵庫にも第7波?

 参議院選挙で自民党が大勝したことにより,今日の日経平均株価は大きく上がりました。景気対策への期待から,ということでしょうかね。岸田首相は,選挙がない黄金の3年間を手に入れたのであり,これには期待と不安が相半ばですが,これまでの実績からは,私には不安のほうがちょっと大きいです。参議院選挙後にやると先延ばしにしていたいろんな政策が,どのように実行されていくか注目です。
 当面は,コロナの第7波に向けた対策に全力で取り組んでもらいたいです。兵庫県も,斎藤知事は,第7派宣言はしていないようですが,危機感を示しています。町にでると,今月に入り,マスクをしない人が目立つにようになってきました。私も,外出時に,周りに誰もいなければマスクはしませんが,マスクをしている人が近づいてくれば,エチケットとして自分もつけますし,マスクをしていない人が近づいてくれば,予防のためにマスクをつけます。ということで,どっちにしても,あごにかけているマスクを,人が近づいてくれば鼻にまで引き上げています(マスクのおかげで,にんにくやニラを遠慮なく食べられるのは,よいことですね)。
 リモート会議に参加していると,現場にいる人はマスクをしていることが多いです。マスクをしていないリモート参加者どうしは,顔の表情がよくみえて,普通の会議となるのですが,現場の人はマスク越しで話し,表情もよくみえないので,なんとなく議論がしづらいです。私はマスクをして話すとすぐに苦しくなるので,マスクをずっとしていなければならない場には行かないようにしています。そのため,リモート会議しか参加していません。
 現在,企業も,テレワークを止めるところ,継続するところ,さらにこれに固定するところに分かれてきました。予想できたことではありますが,いつも述べているように,最後に残るのは,テレワークに対応したところでしょう。大半の会議はリモートでできるはずなのです。それでも,出勤を促すのは,対面のコミュニケーションは新しいアイデアを生みやすいというメリットがあるからだと,よく言われます。たしかに他人の話を聞くと,勉強になることは多いです。ただそれがリモートで,できないわけではないでしょう。むしろ,アイデアのわくところとは,「馬上・枕上・厠上」の「三上」であるという言葉もあります。現在では馬上はちょっと違うでしょうが,電車やバスに乗って外をみているとアイデアが湧くことがよくあります。「厠」はアイデアよりも,情報収集の場所ですね。アイデアという点では,むしろ個人のリラックスした環境が大事な気がします。コミュニケーションは情報収集の方法であり,それならリモートでもOKだと思います。
 まあ,対面とテレワークそれぞれのメリットがあるのでしょう。テレワークをするかどうか個人の選択に任せるという企業もあり,労働者としても,それが一番良いと思います。場所主権という考え方からも,在宅か出勤かの二者択一でないほうがよいです。とくに介護や育児などの家族的な負担のない人は,在宅やリモートを好きなように選択して働けたほうがよいのかもしれません。ただ,いったん家族的な負担がかかってくると,テレワークの有り難さが身にしみたものとなるでしょう。
 高校時代の3人の友人と定期的にやってきた飲み会は,20202月を最後にストップしています。少人数なのでやってもよいのかもしれませんが,でもいまのコロナの状況を考えれば,とても実施する気にはなれません。私は感染しても重篤化はしないでしょうが,他人に感染させないように行動制限がかかること自体が困ったことになります。一定の年齢になって,いろいろ社会的責任や家族的責任を担うようになると,窮屈ではありますが,できるかぎり自制せざるを得ないのです。コロナも早く治療薬が普及して,インフル並みになってほしいものです。

2022年7月10日 (日)

安倍元首相事件の影響

 暑さとコロナのぶり返しや,安倍元首相の死亡という暗いニュース(何度もテレビで流されたものをみて,脳に残ってしまい,その夜は寝苦しかったです)で,陰鬱な日曜日でしたが,そういうなか,参議院選挙の投票に行ってきました。投票場は,歩いて15分くらいの近所の小学校ですが,行って帰ってくるだけでぐったりです。オンライン投票に変えてもらいたいものです。投票場でのあまり手際のよくないアナログ的な手順も,不快指数を高めました。現場で働く方は頑張っているのでしょうが。
 ところで,安倍元首相の襲撃事件について,奈良県警の不手際が指摘されていますね。起きたことがあまりにも重大なので,警備態勢が批判されても,しかたがありません。ただ,あのような無防備な場所で演説ができること自体が,日本が平和で安全であることの証しともいえます。前の参議院選で当時の安倍首相の遊説に対して,野次を飛ばした人が排除された事件で,今年の325日に札幌地裁で国家賠償を認める判決が出ていますが,その当時から,警察が聴衆の野次などに神経質に対応していたことがわかります。襲撃者がいるとすれば,政治的な背景がある人で,そういう人は本人に向かって野次を飛ばしたり,何か叫んだりするだろう,という思い込みがあったとすると,どうしても背後は警備の死角になってしまいますが,今回もそういうことだったのでしょうか。
 警察としては,個人的な逆恨みによる強い殺意をもっていて,しかも銃の扱いに長けているような人の犯行となると,その対策は難しかったのかもしれませんが,言い訳にはならないのでしょうね。今後,日本で外国の要人を招いた会議などを実施するためには,日本の警察の信用を回復する必要があるでしょう(来年は広島サミットもあります)。テロリストに狙われる危険性のある外国の要人からすると,政治家として日本で最も重要な人の一人(元首相で,首相退陣後も与党の最大派閥の領袖であった)が,白昼堂々と,演説中に背後から銃弾を1回のみならず2回も発射されて殺されるような国には,怖くていけないでしょう。安倍氏の事件は,自民党の勝利に貢献した可能性があります(香典票)が,そのような影響だけでなく,警備についての国際的な信用を失墜させた影響も心配です(アメリカのBlinken国務長官は,弔問に日本に立ち寄ってくれるそうですが)。

2022年7月 9日 (土)

増税の条件

 7月6日の日本経済新聞における中外時評で,「増税認める社会の条件は」というタイトルの斉藤徹弥論説委員の記事が出ていました。「増税が受け入れられるには,負担増になる人が恩恵を受ける人に共感を抱き,情けは人のためならずと感じる想像力が要る。こうした社会は公共意識が高く,地域でも,国家でも,分断を避けられる余地があると感じる。」と書かれていて,国民の公共意識の重要性を説き,日本はこういうものが足りないのではないかという論調のように思えます。
 公共意識の重要性は言うまでもありませんし,高校の必修科目に「公共」が加わったことは,その内容がどういうものかということにもよりますが,基本的には妥当と思います。
 ただ増税を認めるための条件については,もう一つ重要な視点があります。記事のなかにも出てくる五百旗頭眞先生は,東日本大震災のあと,阪神大震災のときの経験もふまえて,震災復興税を唱えたという点について,もう一つ重要なことをおっしゃっています。先生は復興税の提言をされたあとに,「全額国費負担」となることを聞かされたそうです(https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/54486.html)。そのため,「結果として『国が負担するならやれることは全部やろう』ということが起きたと思う」とし,「日本全体が人口減少の局面にあるなかよりいいものを作ることと,より大きいものを作ることは別のことだ」という指摘をされています。つまり,税金の無駄遣いが起きてしまったということです。
 国民の不満は,復興税それ自体ではなく,それが無駄遣いされてしまったのではないかという疑念にあるのです。国民は,税金をどのように使うのかということについて,政府を信用して託したのに,その信用が裏切られたのではないかという不満があるのです。この点こそが,増税の前提条件に関係するのであり,その不満や懸念が解消されれば,おのずから国民は増税に応じるのです。
 持続化給付金の詐欺はひどいです。一般国民だけではなく,役人まで手を染めました。これは詐欺をしたほうが悪いのですが,でもこれほど多くの詐欺が起こるとなると,制度に欠陥があったといわざるをえないでしょう。これも税金の使い途に対する緊張感のなさにあるのではないか(いつものようにデジタル化の後れということなのですが)と思われてもしかたがないと思います。
 震災復興のときに財務省で財源確保の中心になったのが,今回,次官になった茶谷栄治さんと言われています。財務省の大エースで,満を持しての登板となった茶谷次官には,歳入面だけでなく,歳出面についても,しっかり役所の立場からコントロールしてもらいたいです。
 ところで,日経の記事のメインは,滋賀県の知事選で現職知事が「交通税」をかかげて戦っている点でした。たしかに,これなら使途も明確であり,その内容も正当なものと思われます。こういう増税はあってよいのです。もちろん無駄な支出を切り込んだうえでのことですが。
 一方,国政では,月100万円とはいえ,文書交通費についての杜撰な取扱いがやはり政治不信を生んでいます。ここで法改正をして,全額使途公開くらいやっていればよかったのですが,今回の法改正は,日割り支給を認めるだけで根本的な改正になっていません(名称も「調査研究広報滞在費 」に変わっていますが,これまでの目的外利用をただ正当化しただけとみえなくもありません)。これでは,余計に政治不信を生んでしまうでしょう。そんなことは十分に予想されるのに,でも改正できない国会議員をみると,やっぱり税金を託すことは難しいなという気持ちになってしまいます。国民が公共意識をもちたくても,もちづらくしているのは,政治の責任ではないでしょうか。

2022年7月 8日 (金)

平和と言論の大切さ

 この日本で,政治家が銃弾に斃れることがあるなんて信じられないことですが,そういうことが起こってしまいました。安倍晋三氏のご冥福を,心よりお祈りします。岸信介の娘である安倍氏の母も,逆縁はほんとうにお気の毒です。
 私の生まれる前の事件でしたが,当時の野党第一党の社会党の浅沼稲次郎委員長の暗殺事件は,子どものころから,誰に教えられたわけでもなく,何となく知っていて,政治家というのは大きな危険と背中合わせの仕事だという思いをもっていました。あれから半世紀以上が経ち,この浅沼事件やさらに戦前の原敬暗殺,515事件,226事件などは,はるか昔の歴史上の出来事となり,政治活動とは平和的なものだというように多くの人が思うようになっていたと思います。元総理大臣で,なお与党内で権力をもっていた人が,選挙遊説中に殺されるなど,とても想像できないことでした。
 ただ,Putinの戦争が連日,メディアで報道され,アメリカで頻発している銃の乱射事件(個人だけでなく,警官も起こしている)も伝えられているなかで,なにか暴力的なものが私たちの日常に入り込んで,慣れを生んでしまうのではないかという懸念がありました。もちろん,これが今回の事件と関係しているのか,よくわかりませんが。
 今回の犯人に政治的な動機があったかよくわかりませんが,もし犯人が暴力で政治を変えようとしたのであれば,それは大きな間違いです。政治への不満は,言論と投票で表明すべきなのです。何のための普通選挙でしょうか。男女に関係なく,財産に関係なく,誰でも18歳以上であれば選挙できるのです。このことのもつ価値と力は重いものです。
 もちろん,今回の参議院選挙で,安倍氏の死への同情というだけで,自民党に投票するという行動はすべきではありません。「野党の言うことは聞かない」といったような民主主義の根幹を崩す発言をする大臣がいる与党内閣には,厳しい目を向けなければなりません。いずれにせよ,国民は,冷静に,どの政党や議員が平和と人権を守ることを最も真剣に考えているのかを判断し,そういう政党や議員に託すしかないのです。その努力を惜しんで,暴力に訴えても,何も変えることはできません。暴力は,結局は,権力者を利することになります。権力者による国民の自由の抑圧を正当化することになりかねないからです。たとえ権力の壁は厚くても,そこで歯を食いしばって言論を守ることこそ,私たちの社会の未来にとって大事なのです。選挙に負けた大統領が,議会を占拠するよう呼びかけるような野蛮な国になってはいけないのです。安倍氏の死を無駄にしないためにも,平和と言論の大切さを,私たちはいま一度しっかりかみしめ,子どもたちに伝えていかなければならないでしょう。

2022年7月 7日 (木)

サラダ記念日

 7月7日は「七夕」といっても,旧暦のものですから,今日じゃないよねと思いながらも,そんなことを言ったら,季節行事のほとんどは,日を変えなければならなくなるので,そこはこだわらないことにしましょう。
 7月6日は,俵万智の「サラダ記念日」の日でした。
  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日。
 この歌しか知らなかったのですが,35周年ということで盛り上がっているようなので,Kindleで買ってみました。この本が出た1987年というのは,どんな年だったでしょうか。Wikipedia でみると,あまり私の記憶に残っていることはなかった感じがします。そのなかでも印象に残っているのが,自宅のあった西宮市で起きた赤報隊の事件です。35年前の憲法記念日でした。この事件は風化させてはいけません。また,ちょっと驚いたのが,巨人の江川卓が引退したのも,この年だったことです。もっと後だったような気がしていました(江川が引退を決めるきっかけとなった広島の小早川のホームランは,下宿のテレビで観ていました)。ということですが,いまから思えば,1987年といえば,やはり「サラダ記念日」の年だったということかもしれません。
 俵万智さんは,私より年齢が一つ上の同世代ですが,彼女はこの本で24歳で一気に大スターになったわけで,いわば同世代の出世頭という感じです。ちなみに先ごろ十七世名人になった谷川浩司さんも,私より1歳上ですが,彼は1983年に21歳で史上最年少の名人になっているので,これこそ同世代の大出世頭ですね。二人とも現役バリバリで,張り合うのはおこがましいですが,私も負けないように頑張りたいです。

 

2022年7月 6日 (水)

ユーザーインターフェイス

 630日の日本経済新聞の「私見卓見」でマイナポータルのユーザーインターフェイス(UI)の質の悪さが指摘されていました。政府の提供するアプリは使いにくいことが多いです。なぜそうなのか,ほんとうのところは,よくわかりませんが,おそらくユーザー目線で仕事をしていないことが原因でしょう。お役所仕事という言葉で済まされては困ります。これだけ不満の声が出ているのに改善されないのは,なぜか。上にたつ人に問題意識がない,あるいはやる気がないからではないでしょうか。例えば,いまデジタル大臣って存在感がないですが,何か仕事をしているのでしょうかね。それに政治家は,政府の提供するスマホアプリを使っているのでしょうか。使っていたら少しは違うのではないかと思うのですが。ITを使って生活していない人に,これからの時代の政治をされてはたまったものではありません。
 ただ,おじさん大臣たちが,スマホを使っていないのは,これもUIの問題かもしれません。おじさんたちが使いにくい仕様になっているかもしれないからです。もっとも,偉い人は,自分でスマホを使わなくてもよいから,結局は,UIはあまり気にならないのかもしれませんが,もし自分で全部やるとなると,UIが気になるでしょう。スマホを買って,政府関係のアプリも使ってUIを実感してもらいたいですね。
 スマホアプリのUIでは,目的達成までのステップができるだけ少ないことが重要です。見やすさやボタンの位置の配置なども重要です。父がスマホを断念したのには,いくつかの理由がありますが,それは父側に問題があるというより,UIに問題があったと思います。私は,現在のiPhone でそれほど不満がありませんが,ただそれは慣れているだけで,使いやすいものが出てくれば,とっとと乗り換える気持ちは十分にあります。
 ちなみにパソコンのECサイトは,楽天市場が妙に使いにくいと思うのは私だけでしょうか。情報がゴチャゴチャしていて,Amazonのほうが使いやすいです。でも,これは慣れのせいかもしれません。
 iPhone やAmazonが良いと思えてしまうのは,UIがすぐれているからなのか,それとも,すでに取り込まれてしまっていて,その慣れによるにすぎないのか,ということを冷静に見極めると,もっと快適なユーザー生活ができるのでしょうね。ただ年齢がいってくると,この慣れの要素が重くなって,スイッチングコストが高くなってしまうところが問題なのでしょう(父には,ガラケーから無理にスマホに変えてしまったことを,申し訳なく思っています。結局,いまは固定電話ですが,LINEでのやりとりができなくなってしまいました)。高齢化とデジタル化が進行するなか,高齢化仕様のデジタル機器のUIの質の向上に期待したいです。サービス業者のスイッチも簡単にできるようになれば,なお良しです。

2022年7月 5日 (火)

ILO条約未批准問題

 ILOの中核的労働基準に関係する8つの条約のうち,日本は,2つの条約が未批准として残されていました。それが,強制労働禁止に関する第105号条約と雇用差別禁止に関する第111号条約です。
 ところで,国家公務員法における争議行為禁止規定(982項)は,合憲性をめぐって争いがありました(理論的には,いまなおある)が,とくに同項前段で禁止する違法な行為のあおりなどに対しては刑罰が科される点が問題とされてきました。その刑罰規定は長らく「110117号」だったのですが,第204回国会(2021年)において,同号が廃止され,111条の2が新設されました。1101項は懲役または罰金が科されるものでしたが,そこからはずして禁錮または罰金刑としたのです。懲役と禁錮の違いは,懲役では労働(所定の作業を行うこと)が含まれる点にありました(刑法122項)。公務員の政治的行為の禁止(1021項)も同様です(110119号は削除)。この改正がなされた法律は,その名も「強制労働の廃止に関する条約(第百五号)の締結のための関係法律の整備に関する法律」(議員立法)であり,政治的行為の禁止に違反する行為としての罰則や争議行為のあおり等に関する罰則としての懲役刑が,105号条約との抵触があったということで,その点を改めたということです。そして,今般の国会で,「強制労働の廃止に関する条約(第百五号)の締結について承認を求めるの件」が全会一致で承認されました。これにより,政府は,105号条約の批准手続を進めることになります。
 これはよかったのですが,今般の国会では,刑法改正がなされ,禁錮に関する刑法13条が削除され,12条の懲役が拘禁に変わり,同条2項の「所定の作業を行わせる」がなくなり,従来の禁錮と同様の「刑事施設に拘置する」だけになりました。そして,拘禁については,「拘禁刑に処せられた者には,改善更生を図るため,必要な作業を行わせ,又は必要な指導を行うことができる」となりました(同条3項の新設)。  
 これにより,国家公務員法110条で科される刑も拘禁刑となります。このため,前年になされた同法111条の2の分離をする必要がなくなったため,いったん111条の2に実質的に移されていた110117号と19号は,それぞれ16号と18号に復活することになりました(なお,地方公務員法についても,同様のことがなされています)。拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(2022年,弘文堂)の第161事件(全農林警職法事件)では,事件当時の国家公務員法の110117号のままになっていますが,現在では,111条の21項,そして,改正法が施行されれば,110116号が該当条文になります。
 ところで,もう一つの未批准条約であるILO111号条約はどうなるのでしょうか。途上国も含めて大多数の国が批准しているにもかかわらず,国内法との不整合があるとして批准しないことは,日本のイメージを悪くしているおそれがあります。国内法を整備することが大切というのは,条約の精神からすると,それ自体はまっとうなことですが,日本の現行法が批准するに値しないものかはよくわからず,むしろそこを厳格に考えて批准をしようとしないこと自体が,日本の国益を損ねている可能性がないでしょうか(日本人が,外国から,雇用差別が改善できていない遅れた国の国民とみられかねません)。
 この問題について,YouTubeで検索していたら,参議院外交防衛委員会で共産党の井上哲士議員が質問している動画をみつけました。そこで,厚労省の役人が答弁のなかで,国内法で111号条約と不適合なものの例として挙げていたのは,意外な(?)条文でした。それは,労働基準法611項の年少者の深夜業の禁止規定があるなか,交代制によって使用する満16歳以上の男性についてはこの限りでないとなっており,この男性にだけ許容している部分が差別的ということのようです。ただ,この規定については,即刻,改正を発議することでよいのではないでしょうか。また,妊産婦以外の女性に対する,坑内の有害業務の禁止(同法64条の22号)もネックになるということのようですが,これくらいの規定で,第111号条約の批准に向かうことができないというのは,国民への説明として通用するでしょうか。また前述の公務員の政治的行為の禁止が,政治的見解による差別の禁止を定めるILO111号条約と抵触するという点は,多少重い論点となりますが,これとて,国家公務員法102条1項は違憲論もあり,改正の余地がないわけではなく,そこまでいかなくても,井上議員も指摘していたように,公務員の労働基本権の制限は乗り越えて団結権保障等に関するILO87号や98号に批准していることからすると,あまり説得力がないように思います(もちろんILOからは,公務員の労働基本権の保障について何度も勧告を受けているようであり,政府はそれにこりて,簡単に批准できないということかもしれませんが)。
 ILO関係は,従来ほとんど勉強してこなかったので,特段の専門的な私見をもっているわけではありませんし(『注釈労働基準法(上巻)』では「国際労働基準」が割り当てられ,字数がきわめて限定されるなか,内容の薄い紹介だけしていますが),上記のコメントには思わぬ誤解があるかもしれませんが,ただ,普通の国民の感覚として,ILO111号条約になかなか取り組もうとしない政府の態度は問題ではなかろうか,という問題提起はしておきたいと思います。

2022年7月 4日 (月)

KDDIの通信障害

 IoT社会の恐さを感じましたね。スマホは,携帯電話としてはほとんど使っていませんが,いちおうKDDI系の格安の登録をしていて,これをメインとしているので,親族からの緊急連絡などで,つながらなければどうしようという恐怖を感じました。短時間で復旧するのかと思っていたら,全然そういうことではなく,私のスマホに携帯電話のアンテナが立ったのは,今日の夕方近い時間帯でした。自宅にいると複数の通信手段があるので,それほど心配はないのですが,外出時にこういうトラブルがあると困ります。通信手段を複数もって行動することの重要性を改めて感じました(最近はスマホで支払はすべて済ませることができるので財布を持ち歩かないことも多いのですが,公衆電話を使えるように小銭をもっておくことも大切ですね)。
 今回のことで一番困ったのは,KDDIの回線が使えないというニュースがあったとき,それによって何ができなくなるのかがわからなかったことです。例えば,近所のコンビニに行って,スマホで支払うことが可能であるのか,電車に乗るときにスマホのタッチ(私はSuicaを使っていますが)で大丈夫なのか,という情報は入ってきていませんでした。今回は外出していないので別に問題はありませんでしたが,こういうことについて迅速に情報を提供して欲しいですね。情報があれば,トラブルを回避する方法もあるので。
 こうした大きなトラブルが起こることを完全に避けることは難しいのかもしれません。もちろん,KDDIをはじめ通信会社は真剣に事故防止に努めてもらいたいですが,それと同時に,こうしたトラブルが起きたときのために,私たちはどのような予防策をとっておくべきなのかについてレクチャーしてもらいたいです。

2022年7月 3日 (日)

モルヒネ誤投与事件に思う

 ネットニュースでみましたが,必要量の100倍のモルヒネを投与されて90歳代の患者が死亡した事件で,処方した医師と調剤薬局の薬剤師が書類送検されたそうです。医師のミスですが,薬剤師もそれを見逃したようで,ひどい話です。薬剤師が処方箋の内容について,発行した医師に問い合わせることを「疑義照会」というそうですが,それが機能していなかったのでしょう。その背景には,医師と薬剤師の力関係があるのかもしれません。疑義照会されると不機嫌になる医師がいるという噂もあります。もしほんとうに疑義照会をしにくい状況がもしあるのだとすると,それは患者軽視も甚だしいことです。なお,薬剤師法24条には,「薬剤師は,処方せん中に疑わしい点があるときは,その処方せんを交付した医師,歯科医師又は獣医師に問い合わせて,その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによつて調剤してはならない」とされ,違反には50万円以下の罰金という刑罰がついています(326号)。ただ,今回の薬剤師の書類送検は,この罪ではなく,業務上過失致死罪(刑法211条)の容疑ということのようです。
 ところで,医師も人間であるからミスもあるでしょう。それをチェックするのが薬剤師であり,そこできちんと対応できないのであれば,ロボット調剤と同じであり,むしろそれに任せたほうがよいといえます。こういうチェックも今後はAIに任せたほうが安心であるともいえるのであり,処方箋を機械的に処理するだけであれば,薬剤師不要論も出てくることになるでしょう。これは「AIが仕事を奪う」の典型的なテーマであり,人間の調剤ミスの割合を考えると機械化を進めたほうがよいという議論もあるのです。今回のような重大なミスがあり,また疑義照会という法律上の義務でさえ機能しにくい状況が解消できそうにないのなら,本気で機械化を考えていくべきでしょう。薬剤師の人たちは,これは一部の人の問題で,大多数の薬剤師はきちんと対応していると言いたいでしょうが,こうしたありえないミスで人が亡くなっていることの重みを認識してもらう必要があります。国民が納得できるような改善策をしっかり提示できなければ,その職業上の権威に大きく傷がつくことになるでしょう。
 もちろん医師側にも問題がないとはいえないでしょう。私は宇沢弘文の『社会的共通資本』(岩波新書)の考え方に深く賛同しており(前にも採り上げたことがありました),宇沢は医療制度を社会的共通資本の典型の一つに挙げ,医療制度を市場メカニズムに乗せることを批判し,医師が医学的見地から最も望ましいと判断した診療行為をおこなったときは,そのときに必要となる費用が医療機関の収入となるべきであると主張しています。医師の報酬は,それにふさわしい高いものが保障されるべきであるという主張も含まれているのですが,その前提には,医師がどのような医療が必要かについて,その専門性と職業的倫理に基づき明確に提示することが大前提となっています。医学教育は,専門性だけでなく,職業的倫理の習得もさせなければならず(やってくれているとは思いますが),そうしたプロが必要と考えるものは,社会できちんと負担すべきということになるのです。それが国民にとってきわめて重要な医療サービスの提供体制を整備するための基本的な枠組みということです。私は,この考え方は正しいと考えますが,現実の医師にどこまでの倫理性があるのかが気になります。大多数の医師は職業倫理をもって誠実に仕事をしていると思います。しかし,例外もいるのであり,その例外的な医師に患者としてぶちあたらないようにするために,どうすればよいか。それは医師側から,自分たちの職業的権威とプライドをかけて対応をしてもらえたらと思います。上記の薬剤師と同じことです。
 ミスがあったあとの対応が重要です。医療事故はよくあることで仕方がないということで済まさず,誰一人もミスで亡くなることがないように努力してもらいたいです。今回の事故は重大なインシデントとみて,厚生労働省も医師会もしっかり対策を講ずるよう望みたいと思います。

2022年7月 2日 (土)

「育業」への違和感

 東京都が,育児休業の愛称(略称?)を,「育休」から「育業」にするそうです。小池百合子知事お得意のパフォーマンスという感じで,賛否両論があるようです。
 そもそも「育児休業」を「休む」ととらえているのは,これを「育児休暇」と間違って呼んでいる人が多いからではないかという気もします。法律上は,「休暇」ではなく,「休業」なのです。たしかに休業も「休む」ことではあるのですが,休業には,会社の都合による休業というものも含まれる概念(労働基準法26条を参照)で,年次有給休暇とは違うのです。実は,育休は,「休業」であるという本来の名称を徹底するだけでも,社会の意識は少し変わるのではないかと思っています。
 ちょうど10月から育児介護休業法が改正されて,男性の育児休業のいっそうの促進が図られるタイミングでもあります。何か仕掛けたいということかもしれませんが,どうせなら,言葉よりも行動であり,幹部職員がみんな率先して育休をとればどうでしょうか(最近では年の差婚もあるので可能性がないわけではありません。育児をしていない人は,年休を完全取得するのでもいいでしょう)。そうすると雰囲気が変わって,若い人も育休を取得しやすくなります。もっとやるなら,子どもが生まれたら,必ず夫婦やカップルはともに育休を取得することを義務づけてしまう方法もありえます(前にも,このようなことを書いたことがあります)。
 ただ,「育業」への根本的な違和感は,実はそういうことではないのです。育児を「業」務とすることに違和感があるのです。小池知事は,業には,仕事という意味だけでなく,「努力して成し遂げる」という意味があると言いますが,普通の人にとっての語感はやはり「仕事」でしょう。「育業」と言われると,なんだか仕事としてやることという感じがしてしまうのは,私だけでしょうか。育児というのは,人間にとっての基本的な営みです。ある意味で本能的なことです。どうしたら,もっと本能に回帰できる状況をつくれるかも,どうせなら考えてもらいたいです。ワーク・ライフ・バランスというのは,最近,あまり強調されなくなった気がしますが,それだけ浸透してきたのかもしれません。ワーク・ライフ・バランスの精神は,ワーク偏重の生き方を変えて,ライフにもっと目を向けることです。ライフは,生活だけでなく,生命という意味もありますし,人生という意味もあります。人間という「生物」として,「生命」に関わる場としての家族のことを考え,「生活」を充実させていくことが「人生」の価値であるとすれば,育児や介護が中心に据えられるのは当然のことです。仕事は,そうした人生の中の一部にすぎないのです。現実は,なかなかそうはいかないのかもしれませんが,「育業」は,ワーク・ライフ・バランスとは逆の,ライフもまたワークの論理に組み込んでしまおうという感じに思えて,昭和的なものだなと思いました。育児は大変なことであり,そのことにかんがみて,仕事と同格にしようとする発想はわからないではありませんが,それもやはり昭和的なのです。そもそもキャチフレーズ的な言葉で,こういうことをやるのには限界があるということでしょう。ほおっておいても,育児や介護のために休んだり,少なくともテレワークもとれないような職場には優秀な人材は集まってこないでしょう。育休は「育休」のままでよいです。

2022年7月 1日 (金)

王位戦始まる

 藤井聡太王位(五冠)に豊島将之九段が挑戦する王位戦が始まりました。第1局は,豊島九段が攻め倒しての快勝で,藤井王位には珍しい完敗でした。時間も十分に残していたことからすると,豊島九段の研究成果が出たといえそうです。AIはみんなが活用できるようになっているのですが,それをきちんと使いこなして重要な棋戦での勝利につなげるのは大変でしょう。初戦の勝ちっぷりをみると,藤井王位がデビュー当時にまったく勝てなかった強い豊島九段が復活して,再び藤井王位の壁になるのではないかという期待も出てきても不思議ではありません。ただ,豊島九段は,今期の残された棋戦のうち竜王戦はすでに敗退しているので,まさにこの王位戦で藤井五冠に勝負したいところです。豊島九段は,王座戦でもベスト4に残っていて,永瀬拓矢王座への挑戦を狙っています。
 将棋界のビッグニュースとして,里見香奈女流四冠が,プロ棋士の編入試験を受けることを,ついに表明しました。女性初のプロ棋士が誕生するかは大注目です。対戦相手となる棋士はまだ発表されていないと思いますが,緊張するでしょうね。里見さんの最近の充実度からすると,5局のうち3局勝つというハードルはそれほど高いとはいえず,棋士になれる可能性は5割くらいはあるのではないでしょうか。里見さんは,女流の棋戦とはいえ,タイトル戦を何度も戦っていて勝負度胸は満点でしょう。
 将棋の男女格差は,女流棋士の急増にともない,将棋人口の違いだけから説明するのは難しくなっているかもしれません。男女に本質的な実力差はあるのか。もし里見さんが道を開けば,そのあとどんどん女性のプロ棋士(女流棋士ではありません)が誕生するかもしれません。それにより,男女の実力差は,ほんとうはなかったんだということが証明できればいいですね。

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