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2022年6月23日 (木)

山形大学事件・最高裁判決に思う

 前にこのブログでも採り上げた,山形大学事件・仙台高裁の判決は,上告審で破棄されました。労働委員会としては一安心というところです。最高裁が,誠実交渉義務について割とくわしく述べるという副産物までありました。
 本判決は,第二鳩タクシー事件・最高裁大法廷判決の原点に返ったのだと思います。同判決を参照して,次のように述べました。
 「労働委員会は,救済命令を発するに当たり,不当労働行為によって発生した侵害状態を除去,是正し,正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復,確保を図るという救済命令制度の本来の趣旨,目的に由来する限界を逸脱することは許されないが,その内容の決定について広い裁量権を有するのであり,救済命令 の内容の適法性が争われる場合,裁判所は,労働委員会の上記裁量権を尊重し,その行使が上記の趣旨,目的に照らして是認される範囲を超え,又は著しく不合理であって濫用にわたると認められるものでない限り,当該命令を違法とすべきではない。」
 大法廷判決は,労働委員会の裁量が広い理由を,「使用者の右規定違反行為に対して労働委員会という行政機関による救済命令の方法を採用したのは,使用者による組合活動侵害行為によって生じた状態を右命令によって直接是正することにより,正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復,確保を図るとともに,使用者の多様な不当労働行為に対してあらかじめその是正措置の内容を具体的に特定しておくことが困難かつ不適当であるため,労使関係について専門的知識経験を有する労働委員会に対し,その裁量により,個々の事案に応じた適切な是正措置を決定し,これを命ずる権限をゆだねる趣旨に出たものと解される」としています。
 いずれにせよ,今回の判決が,「正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復,確保を図るという救済命令制度の本来の趣旨,目的」が再確認されたことは,当然とはいえ,重要な意味をもっています。仙台高判の内容は,最高裁のまとめをそのまま引用すると,「本件命令が発せられた当時,昇給の抑制や賃金の引下げの実施から4年前後経過し,関係職員全員についてこれらを踏まえた法律関係が積み重ねられていたこと等からすると,その時点において,本件各交渉事項につき被上告人[大学側]と上告補助参加人[組合]とが改めて団体交渉をしても,上告補助参加人にとって有意な合意を成立させることは事実上不可能であったと認められるから,仮に被上告人に本件命令が指摘するような不当労働行為があったとしても,処分行政庁が本件各交渉事項についての更なる団体交渉をすることを命じたことは,その裁量権の範囲を逸脱したものといわざるを得ない」というものでした。
  団体交渉の目的を,労働条件についての合意の達成に限定し,それが事実上不可能であれば,団交を命じることは労働委員会の裁量を超えるとしたものといえますが,労組法72号で団体交渉拒否が不当労働行為の一類型に含まれ,労働委員会による救済が認められているのは,上記の大法廷判決に即していうと,団体交渉拒否が組合活動侵害行為の一類型であり,それにより集団的な労使関係秩序が乱されるので,それは専門的な知識経験に基づく労働委員会の命令により回復することが必要だということなのです。誠実交渉義務違反があったとの判断の適法性は司法審査に服しますが,いったん侵害された労使関係秩序をどのように回復させるかは,その要否も含めて,労働委員会が広い裁量をもって判断できるというのが,最高裁大法廷の述べていることです。
 仙台高判は,3重の意味で誤っていたのでしょう。第1に,誠実交渉義務によって乱された集団的労使関係秩序が,時間の経過だけで回復したかどうかという視点が欠落し,「有意な合意」の達成の事実上の可能性だけしかみなかったこと,第2に,誠実交渉義務においては,要求事項についての合意達成の可能性の真摯な模索が大切なのですが,それは要求を受け入れない,あるいは受け入れられない場合であっても,それについて労働組合の納得を得るように,十分に説明する義務があるという点を見落としていることです。第3に,根本的な話として,労働委員会が,何のために存在し,どういう点に着目して不当労働行為の救済という仕事をしているのかについての理解が不十分であったことです。
 最高裁は,当然とはいえ,まっとうな判断をしたと思います。差戻審では,不当労働行為の成立については否定される可能性が残っていますが,労働委員会の救済命令について,過剰な司法審査は排除されるべきということが確認されさえすれば,この最高裁判決は十分に意味があったといえます。
 なお,この判決をめぐっては,誠実交渉義務違反が,どのような意味で不当労働行為となるのか,という理論的な難問も実は関係しています。これは上記のように,集団的労使関係秩序の侵害という観点から説明されるのでしょうが,仙台高判(および山形地判)のような考え方が出てきたのには,団体交渉の要求事項が組合員の労働条件である場合,組合員の個別的利益と組合固有の集団的利益が交錯し,そのなかで(結果として)個別的利益を重視する視点があったのではないかということです。個別的利益の救済可能性がなければ,不当労働行為の救済も不要と単純に考えてしまったのではないかということです。第二鳩タクシー事件は,1号事件における個別的利益と集団的利益の関係が論じられたものであり,反対意見もあったことから,最高裁内でもこの点について激論がかわされたことが推察されますが,多数意見も集団的利益の固有性(独自性)を認める判断はしています。2号事件は,1号事件と違い,漠然と集団的利益を守るものと考えられてきたとは思いますが,でも要求事項に関係する個別的利益(実質個別紛争だけでなく,このケースのように集団性のある個別的利益というものもありえます)について回復可能性が事実上ないという場合に,集団的利益を軽視すると,仙台高裁のような判断が出てしまうのでしょう。不当労働行為救済制度における個別的利益と集団的利益の関係は,私の修士論文以来のテーマであり,依然として理論的に解決されていないと思っています。そして,理論的な検討が不十分であると,今回の下級審のような不適切な判決が出てしまう可能性があるということです。これは研究者の責任です。

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