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2022年6月11日 (土)

遺憾という言葉

 連日,政府への不満を書いているようですが,言葉を大切にしてほしい,国民を納得させてほしいという渇望からくるものです。ついでにもうひとつ言いたいのは,よく使われる「遺憾である」という言葉についてです。北朝鮮の挑発にも,この言葉が使われたことがあります。今後,ロシアや中国との関係でも,いっそうこの言葉が使われるかもしれません。「遺憾」というのは,どういう意味で使っているのか,よくわからないことが多いです。よくわかっていないこちらのほうが,教養がないのでしょうか。
 私が座右に置いている(でも全部読み切れていない)本の一つに谷沢永一『知らない日本語 教養が試される341語』(2003年,幻冬舎)という本があります。その冒頭に「遺憾に思う」という言葉が出てきます。「日本語で最も悪用されている言葉である」という衝撃的な説明で始まります。遺憾とは,「思いどおりにならず,心残り,残念,惜しいことをした」という意味で,「そこにはお詫びの意味はまったく含まれない」のであり,謝罪の言葉ではないのです。また,他国の暴挙について「遺憾」を使うのはもっとおかしいことになりそうです。著者は,「日本の通用語から『遺憾』という二文字は消すべきだと思っている」とまで書いています。謝罪であれ,抗議であれ,「遺憾」のような相手に伝わらない意味不明の言葉を使わずに,「謝罪」ならきちんと謝る言葉を使い,「抗議」であれば,きちんと「抗議」や「非難」の言葉を使うべきでしょう。ミサイルをめったやたらに飛ばしてくる国に遠慮はいらないでしょう。
 最近の衆議院議員の「パパ活」問題について,与党の幹事長は,「事実としたら大変遺憾なことだ」と述べたと報道されていますが,これも言い直したほうがよいと思います。これは状況からすると,謝罪でも抗議でもないので,そうなると原義のとおり「残念だ」ということになりますが,何がどう残念なのかよくわからないので,取り方によっては,かなり問題議員の肩をもっていることになってしまいます。そういう気遣いをしているのであればともかく,そうでなければ,「遺憾」を使うのは,(政治村では通用する用語だとしても)国民向けにはリスクがあるのではないでしょうかね。

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