「しっかり」やっているかは国民が判断すべきもの
以前にブログで,政府の答弁で「しっかり」という言葉を使いすぎることへの不快感を書いたことがあります。中身がないのに「しっかり」というような言葉で,前向きな感じを出しているだけのことが多いからです。昨日書いたこととも関係しますが,外面だけを着飾って,内容がないというのでは困るのです。現政権の岸田首相の答弁も,当初は,前の首相よりは良いと思っていましたが,最近は,不満に思うことが多いです。依然として「しっかり」という類いの言葉が多いです。官房長官はもっとひどいですが(名前もなかなか覚えられませんし,下を向いて話していることが多いので,顔もよくわかりません)。とはいえ,立憲民主党の国会議員が岸田首相の「しっかり」の回数を数えていたという産経新聞の記事をみて,ちょっと笑ってしまいました。1805回だそうです。この議員の言わんとしているところは,わからないではありません。もちろん,回数が問題なのではなりませんが,国民はもう気づいているのではないかと思います。内容のないスピーチは,聞かされるほうが時間の無駄です。
イギリスのJohnson 首相は,パーティ問題で国内的には危機で,先日も与党内の信任投票にかけられて何とか乗り越えましたが,それでも彼はテレビでみる限りですが,国民に向かって語る姿勢はしっかりわかります。おそらく日本の政治家のようなスピーチをしていれば,とっくの昔に首相から引きずりおろされていたのではないでしょうか。もう一つイギリスでのElizabeth女王のスピーチを特集していたNHKの番組を観たとき,女王がここというとき国民に向かってスピーチをして,国民に勇気や希望を与えるのに(そして王室の威厳の向上に)大きな役割をはたしてきたことを知りました。スピーチの重要性は,彼女の父であるGeorge Ⅵ(ジョージ6世)が吃音であったためスピーチで悩んだ姿を描いた「英国王のスピーチ」という映画を観ればよくわかります。日本でも天皇のスピーチは,国民に語りかけようとする姿勢がみられてよいのですが,政治家にそういうのが弱いのが残念です。
北朝鮮が何発ミサイルを撃っても,「全力で抗議する」とか「しっかり対応する」とか,そういう言葉を連発するだけです。しかも語調も力強さがなく,どことなく北朝鮮に遠慮しているようにも聞こえます。勇ましければよいというものではありませんが,もうちょっと「しっかり」しろと言いたいところです。国民は,一つ間違って日本の領土に着弾したり,漁船や航空機にぶつかったらどうなるのか,ということを心配しているのです。そういう現実的危機にさらされているという感覚を政府は共有していないように思えてしまうのです。
「しっかり」という言葉を使うのなら,「国民の皆さんにしっかり対応していると評価してもらえるように努める」という表現に置き換えてもらいたいです。「しっかり」やっているかどうかは,自分でいうのではなく,国民に評価してもらうべきものでしょう。
「平和のための新しい構想」も,どこが「新しい」のか,具体的に述べてもらわなければ困ります。防衛費の相当な増強って,それのどこが新しいのでしょうかね。ここでも,「新しい」かどうかは,自分でいうのではなく(側近たちの間だけで「新しい」と評価しあっているだけではなく),他人(国民や他国)に評価してもらうべきものではないでしょうか。昨日も書いたように,そういうようにしておかなければ,かえって信用を失うリスクがあることに注意したほうがよいでしょう。
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