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2022年6月 3日 (金)

みずほの裁量労働制廃止に思う

 昨日の日本経済新聞で,みずほ銀行が,企画職に20年前から導入されていた裁量労働制を廃止するという記事が出ていました。裁量労働制が,過重労働を引き起こし,行員の働きがいを奪っていることが理由のようです。
 導入されていたのは裁量労働制のなかの企画業務型裁量労働制(労働基準法38条の4)だと推察されますが,今回のみずほの動きが,大企業における企画職における裁量労働制の「失敗」を意味するものであれば,これは労働法的にも注目すべきものとなります。裁量労働制,とりわけ企画業務型裁量労働制はもともと評判がよくないところがあり,やっぱりこういう制度はないほうがよいという議論になっていかないかが心配です。
 注意すべきは,この銀行の企画職が,ほんとうに裁量労働制に適した業務をしていたのか,です。労働基準法上は,企画業務型裁量労働制について,「事業の運営に関する事項についての企画,立案,調査及び分析の業務であつて,当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を大幅に労働者の裁量に委ねる必要があるため,当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする業務」を対象とするとしています(同条11号)。みずほでは,もしかしたら「当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしない」というような働き方になっていなかったのかもしれません。もし,そうだとすると,裁量労働制は,企業が,割増賃金(労働基準法37条)を支払わずに長時間労働をさせることが可能なシステムにすぎないものとなります。本来,そうならないように,厳格な要件(労使委員会の5分の4以上の多数で,所定の事項についての決議をして,労働基準監督署長に届け出ることなど)が導入されているのですが。
 私は裁量労働制については,こうした厳格な要件があるため,使い勝手が悪いので見直しが必要だという主張と並んで,この制度を導入しても,日本ではこれに適したプロ人材が少ないことが問題だという観点からの懸念も表明してきました。自らの裁量で業務を遂行し,賃金は成果で評価して決めてもらうという人材がもっと増えなければならないのですが,そういう人材が少ないので,日本企業の競争力は高まらないのです(類似の問題意識で,かつて現代ビジネスに寄稿したことがあります。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55457?imp=0)。
 みずほも,結局は,企画業務型裁量労働制にふさわしい人材がいなかったということなのでしょうかね。時間管理(さらに健康管理)をきちんとできるだけの裁量が与えられていない労働者が,割増賃金のない働き方をさせられるとなると,働きがいがなくなってしまうのは当然でしょう。ほんとうは,その逆に,時間管理も健康管理も自分でやるから,しばられない働き方をさせてほしいという人材を多く抱えなければダメで,そのためにも現在の法規制は厳格すぎるという声が企業のほうから出てきてほしいのですが,今回のみずほの動きは,その逆のようです。
 そう思ってしまったのは,日本経済新聞で連載されていた「みずほリセット100日」を読んだからでもあります。記事で指摘されていたのは,閉鎖的な企業風土,「言うべきことを言わない,言われたことだけしかしない」行員たち,社内のデジタル化やデジタル戦略の遅れ,取引先への上から目線,出世のモチベーションが専用車のあるポストにつくこと,情報システムという基盤技術をベンダー任せにしていること,文系出身で占める経営企画部の力が強く,ポストは年次で決まる要素が強いことといった数々の大企業病でした。もちろん,その解決に挑んではいるものの,記事をみるかぎり,なかなか結果が出そうにありません。おそらく,これはみずほだけでなく,他の業界も含めた大企業に共通する問題であり,また役所にもあてはまるものでしょう。上記のような大企業病があるかぎり,優秀な若者は逃げていくでしょう。
 裁量労働制の廃止という時代に逆行する動きのなかに,本来なら従業員のやりがいを高めるために活用可能な裁量労働制を使いこなすことができなかった企業の「未来のなさ」が現れているように思います。

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