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2022年5月29日 (日)

M機械事件

 追い出し部屋の実態を裁判所が克明に認定したM機械事件(別に会社名を書いてもいいですが,いちおう配慮してMとしておきましょう)の東京地裁判決は,会社側がどうして和解できずに判決にまで至ってしまったのかと思ってしまいますが,この判決文のパワハラの実態を知ってしまうと,この会社に入社しようとする人はいなくなるのではないかと心配します。それはともかく,法的には,この判決の前半部分の,試用期間の延長の可否という論点が興味深いです。裁判所は,就業規則上は明文の根拠がないもののの,試用期間の延長ができることがあるとしています。試用期間は,留保解約権が付着していて,労働者の雇用を不安定ならしめるという意味で,労働者に不利な面があるのですが,すでに留保解約権が有効と認められるような状況にあり,そのうえで能力や適性をさらに判定するために,試用期間を延長しようというのは,労働者にとって有利な面もあるので,試用期間延長イコール労働者に不利,とは決めつけられないところです。そういうことも考慮したのか,裁判所は,一定の要件下での試用期間の延長の合意(最終的に6カ月まで延長)を肯定しています。ここでポイントになるのは,就業規則における試用期間3カ月という規定と,試用期間を延長する個別の合意との関係を労働契約法12条の問題とみていることです。もし同条の問題だとすると,試用期間を延長する個別合意はいっさい認められなくなります。しかし,労働契約法12条の定める最低基準効は,就業規則に「違反」する労働契約の効力がどうなるかというを定めたもので(同条の見出しは「就業規則違反の労働契約」),その労働契約の効力を論じる前提として「違反」があったかどうかをみる必要があります。文言だけをみると,「基準に達する」かどうかを問題とすべきことになりますが,その「達する」かどうかという点も,「違反」の有無を問題とすべきことになるのです。本件のような場合に「違反」があったかどうかは,就業規則の趣旨をどう解するかによりますし,さらに労契法12条の趣旨からも,禁反言の原則に実質的に反しないような場合,すなわち労働者が自由かつ対等な立場で就業規則に抵触する労働契約を締結した場合には,12条は適用されないとする解釈も可能です。というようなことを,実はかつて毛塚勝利先生の古稀記念の論文集に寄稿した「就業規則の最低基準効とは,どのような効力なのか」山田省三ほか編『労働法理論変革への模索』(2015年,信山社)113頁以下で論じています。同論文は,日本労働研究雑誌680号の学界展望(「労働法理論の現在~201416年の業績を通じて」(2017年)でも取り上げていただいていますが,すでに労働法学ではおそらく誰からも忘れられている論文です。とはいえ,私自身は,最低基準効を突き詰めた基礎理論的な論文を書いたつもりで,こういうのが,ときどき具体的な事案の解決で「活用」可能なことになるのが,おもしろいです。ということで,この事件でも,試用期間の延長について,十分にインフォームされていて同意をしたものであれば,有効とする余地があるということになります。現在の私の人事労働法の議論では,納得同意を得ていれば有効としてよいという主張になります(『人事労働法』(弘文堂)では,40頁の補注⑶の最後に一言言及しているにすぎませんが,その前提には,上記の論文で展開した理論的検討があるのです。上記論文は,参考文献として,同書31頁に挙げています)。
 なお,試用期間の延長の合意が認められても,解雇(留保解約権の行使)が有効となるとはかぎらず,本件では,解雇を有効とするのは難しい事案であったと思います(本件では,判決は,試用期間の延長は認められないと判断し,その後の解雇は試用期間中の留保解約権の行使ではなく,普通解雇によるものと善解したうえで,結論として解雇は無効)。私は試用期間における解雇制限には副作用が多いと考えており,2007年に初版を刊行した『雇用社会の25の疑問―労働法再入門』(弘文堂)でも,実は最初に書いた原稿は,第9話「会社は,試用期間において,本当に雇用を試すことができるか」でした(第3版まで,内容を多少修正しながらも,このテーマは維持しています)。今後,ジョブ型の即戦力採用が増えてくると,試用期間の果たすべき役割がより大きくなります。長期的な労働契約関係の初期段階である試用期間の特徴を前提とした三菱樹脂事件・最高裁判所大法廷判決の射程は狭くなります。ただ,ジョブ型が増えても,企業は,試用期間中の解雇は容易にできると安易に考えてはだめです。私見では,どのような能力や適性を必要とするのかという採用基準を具体的に明確にし,その要件に合致していない場合でなければ解雇できないのであり[修正しました],ただそのハードルを超えさえすれば,解雇回避努力の要請は原則として課されず,そのあとの要件は,きちんと誠実説明を行う手続義務に収斂されるのです(拙著『人事労働法』110頁および208頁以下を参照)。本件は,採用基準の明示が不十分であった可能性があり,そうなると,人事労働法の観点からも,解雇が無効とされることになります。
 政策的には,試用期間中(だいたい6カ月くらいまで)の解雇規制は緩和してよいと思いますが,そのときでも,きちんと手順を尽くす必要があるのです。そういうことを果たしていれば,本件のような企業にとって不名誉となる判決が出なかったかもしれません。納得同意の重要性を再認識する事件だと思います。
 法律論はともかく,私のような尖った人間は,本件で解雇されたような新入社員にシンパシーを感じないわけではありません。判決も,社会人経験のない若者への暖かい目線を感じられます(裁判官も,尖った人なのかもしれません)。ただ,立場が変わって自分の部下にこういう人がいたら困るだろうというのも率直なところですね。パワハラ発言をした上司としては,内定の段階で,きちんと人物を選別していてほしいと思っているかもしれませんね。

 

 

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