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2022年5月25日 (水)

天性を発見し,個性的に輝かせる

 これからは定型的作業が機械化され,人間は自らの才覚を発揮していかなければならない,というようなことを言うと,そのような能力がない人はどうすればいいのかという質問を受けます。この質問者の頭には,人々の能力にはある種の序列があって,高い能力をもつ人と低い能力しかもたない人がいるという考え方があるのでしょう。しかし,私は,世の中にある様々な社会課題について,それを解決するための能力というのは多種多様であり,そしてそういう能力を備えている人も多種多様であると考えています。そこには垂直的な序列があるのではなく,水平的な広がりがあるのです。それは小学校のクラスでも,かならず算数が得意な子,歌が上手な子,運動が得意な子,字がきれいな子,手先が器用な子,絵が上手に描ける子などがいて,クラスの種々の活動では,そうした能力をうまく組み合わせて取り組んでいくことができるということを,子どもたちはおそらく実感しているはずです。ところが受験なるものが,そのなかの特定の科目を重要視して評価し,それを社会の序列につなげてしまっていたのです。そもそも学校で教わるのは特定の科目にすぎず,大学入試もその中のさらに特定の科目だけを試験科目として合否判定に利用するのであり,これは非常に偏ったことをやっているのです。センター試験(現在は大学入学共通テスト)のいろんな科目についてまんべんなく総合的に良い点を取れることは,ある時代においては社会に貢献できる能力を測るうえで有用であったのかもしれないですが,これからの社会においては違っています。もっと一つのことに尖っている人が必要なのです。そういう意味で,いつも述べているように,大学入試は根本的に変えなければいけないと思っています。
 要するに,苦手を克服するのではなく,得意を伸ばすことこそ大切なのです。勉強すべきなのは得意分野なのであって,苦手分野は勉強しなくてもいいのです。これは日本人にとってみれば,大きな発想の転換になると思います。 自分の苦手分野が何かを知っておくことは大切ですが,それを必死になって克服しようとしても時間の無駄であることが多いのです。そこでうけた挫折感が,将来の生き方に悪影響を及ぼす可能性もあります。苦手なところはどうやったら他人を利用したり,機械や技術を利用したりすればよいかということを学んだ方がよいのです。例えば,私は英語のヒアリングが得意ではありませんが, 実は日本語のヒアリングも得意ではありません。聴覚検査では出てこないことですけれども,騒音がある場所や小さな声については,聞き取ることが苦手です。歳をとってくるとその弱点が一層はっきりとしてきましたが,若いころからそういう傾向がありました。日本語でさえそうなのだから,外国語がたいへんであることは言うまでもありません。私のような場合,もちろんヒアリング能力を高める訓練をすることは,一定の効果はあるわけですが,時間がかかってしまうのであり,それだったら最初から機械を使うことを考えた方がよい(いまならポケトークなどに頼る)ということになります。これは一例ですが,苦手分野は苦手分野として自分で理解して,それをどう克服するかについては,自分の能力を高めることではなく(その努力に意味があることもあるでしょうが),その時間とエネルギーは,どうそれを別の方法でうまく乗り切るかという観点で実践的なスキルを磨くほうに費やしたほうがよいと思っています。 
  たまたまノーベル賞受賞者の江崎玲於奈博士のWikipedia をみることがあったのですが,そのなかで非常に印象的な言葉がそこで紹介されていました。江崎博士の実際の発言かどうかはわかりませんが,その内容は素晴らしいものです。要点は,人間の能力は,天性という遺伝情報と,環境による育成という遺伝外情報取得の要因で決まるのであり,「天性を見いだし,育成に努める」のが 教育の基本理念である,ということです。自分の「天性」の発見(それは自分のゲノム解読)をして,それが個性的な光彩を放つよう「天性」を最大限生かすように「育成」するのが,教育の目標である,というのです。親や教師だけでなく,これこそが政府の取り組むべき教育の最も重要な目標です。私の考えていたことが,ここに見事に語られると思い感激しました。

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