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2022年5月 6日 (金)

人はなぜ働くのか

 昨日は休日の話をしましたが,やはり働かないことの価値をもっと考えたいですね。こういう問題意識は,若いときのイタリア留学体験の影響が大きいです。
 労働と失業・貧困を対置すれば,労働は良いこととなります(すくなくも収入が得られる)。山中伸弥さん流のwork hard もよくわかるのです。ただ労働の意味を,労働しないという反対の視点から再考できないかということにも,私はこだわってきました。
 実は『雇用社会の25の疑問―労働法再入門』(弘文堂)の最終話は,初版から3版まで,働くことの意味を問うテーマにしてきました。労働法の再入門というとき,最後の最後はこのテーマに行き着くのです。法律に関心のある読者にはスルーされてしまいそうなテーマですが,本人としては,単なる最後の付け足しというものではなく,真剣に採り上げてきたつもりです。
 初版(2007年)の第25話(最終話)は,「ニートは何が問題なのか。―人はどうして働かなければならないのか―」というタイトルでした。そこでは,働くことを無条件に善と考えて,働かないニートに対して批判的な目を向けることへの疑問を提起しました。しかし,働くことの意義については,結局は,読者に投げかけた形で終わっています。
 第2版(2010年)の第28話(最終話)も,タイトルは同じでしたが,終わり方は少し違っていました。「エピローグ」という小見出しをつけて,左京泰明氏の『働かないひと。』(2008年,弘文堂)にふれながら,「仕事をすることは,社会の中の役割分担である」という話を採り上げています。ここに働くことの本質があるのではないかと思ったのです。これが現在,労働とは,個人が分業して,社会課題の解決のために貢献すること,という私の労働論とつながっていきます。
 第3版(2017年)の第25話(最終話)は,第2版までのサブタイトルだけを残し,少し修正して「私たちにとって,働くとはどういうことなのか。」というタイトルにしました。もうニートという話題でもないからです。AIやロボットの出現を視野に入れながら,人間の労働とは何かということを根本的に考えなければならない,という問いかけで終わっています。そのなかには,ブッシュマンの生活にも言及しています。労働というものを,生存というものの根源的な行為に結びつける発想を,そこでは示しています。
 こうしたなかから,2020年の『デジタル変革後の「労働」と「法」~真の働き方改革とは何か?』で示した(上記のような)労働論につながっていきます。
 人が働くのは,根源的には,動物としての人間の宿命であり(食料を確保するためには動かなければならない),それが徐々に社会を形成するなかで,その一員として社会に貢献する行動へと広がっていきます。そうした貢献は社会への責務としてとらえなければなりません。労働の義務性です。しかし,どのようなことで貢献するかというところで,本人の選択の余地もあります。もちろん,適職を選択したほうがよいのですが,適職は何かは自分で見つけ出すのであり,そこに自己決定の余地があるのです。企業の事業活動も,実は労働の延長線にすぎないのですが,雇用という働き方が出てきて,個人の労働の主体性が失われてしまいました。
 私が『雇用社会の25の疑問』で初版以来ずっと問い続けてきてことの私なりの答えが,いまようやく固まりつつあります。しかし,それもまだ通過点にすぎません。さらに,拙いものであっても,自分なりの思索を深めて,世に問うことができればと思っています。

 

 

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