メーデー
今日もまた昨日の話の続きです。教育の目的を「社会課題の解決への貢献」と書きましたが,これは私が労働の定義として書いていたものとほぼ同じです(詳細は,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(2020年,日本法令))。つまり,私たちは生きていくために社会をつくり,その構成員は,社会に生起する諸問題を解決すべく分業して貢献する存在なのです。教育には,私たちが,そのような労働をするうえで必要な情報を伝える役割があります。
このような労働の根源的な価値を実現するために,19世紀以降は,私たちの多くは,企業という場をとおして雇われて労働することになりましたが,雇われない働き方は,企業を媒介とせず,あるいは企業と連携して,上記のような意味での労働をするようになりつつあるというのが,私の時代認識です(このことは,上記の本でもふれていますが,先月脱稿した島田先生の古稀記念に寄せた論考でさらに展開しています)。
ところで,本日はメーデー(May Day)です。労働者の日です。労働組合が存在感を示すべき日です。連合はすでに4月29日に雨天のなか,中央大会を開催していました。芳野会長は,自民党との接近を試みるなど,現実路線に走ろうとしているようにみえますね。松野官房長官もゲストで呼ばれていましたが,テレビでみる限りでは,いつものように原稿棒読みでした。連合は,こんな人でも来てくれたら嬉しいようですね。
労働の世界が大きく変わってくるなか,この大会にフリーランスの代表者が参加したということが報道されていました。労働というものを広く捉えて運動のウイングを広げていくことは悪いこととは思えません。連合のもつ政治力を活用していくことは,フリーランスの地位向上にも有力なのかもしれません。もっとも,現実は,労と使の対立という図式ではとらえられなくなっています。デジタル技術の発展は雇用労働者それ自体を減らしていきます。雇用以外の働き方を包含しようとする前に,雇用という働き方が大きな変化を見せつつあることに,どう対応するのか。それが今後の連合,さらには労働組合運動の最大の課題ではないかと思っています。
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