「雇用なき労働に法の保護」という日経新聞の記事について思う
今朝の日本経済新聞の「真相深層」で,ベルコ事件のことが採り上げられていました。北海道労働委員会で救済命令が出た事件について,中央労働委員会において和解が成立したことなどが紹介されていました。偶然にも,昨日,労働委員会の会合で,この和解の話を聞いていました。
この救済命令については,2020年10月に中央労働時報(1266号)で評釈を書いています。細かい法解釈上の問題についていろいろ論じていますが,実は一番伝えたかったことは「おわりに」で書いたことで,それは,使用者性をめぐる法律紛争という狭い視野にとどまっていると,世の中に起きている本質的な動きを見逃すということです。ベルコのように,本社はその機能を圧縮して,事業の実行部隊を業務委託の代理店を使うというビジネス形態が出てきたのはなぜかということから考えていかなければなりません。これはBPO(Business Process Outsourcing)の一種といえますが,そういうビジネスモデルが出てきたのは,ICTの発達と関係しているのです。組織に取り込んで指揮命令して人を使うということをしなくても,事業経営を遂行できるようになってきているのです。もちろん,事業を効率的に遂行する場合には,業務委託契約であっても,なんらかの統制をかける必要があるわけですが,その統制を労働法の世界でどう評価するかが,いま問われていることです。私は,ベルコ事件は比較的アナログの世界に近い事例で,統制色が伝統的な労働法に近いところもあるので,使用者性を認める解釈もありうるとは思っていますが,ただ,こういう事例は,ほんとうは使用者性があるかどうかという図式でとらえるべきではなく(とらえようとしても,余計に紛争がこじれてしまいます),企業に社会的責任を自覚した行動をするよう誘導するのが労働委員会の仕事だという趣旨のことを書いたつもりです。私の『人事労働法』の基盤にあるのは,このように企業の社会的責任をベースに,いかにして「法の理念を企業に浸透させるか」(同書のサブタイトル)を考えていくかというものです。ベルコは,その葬儀ビジネスの中核にいる以上,末端で代理店さらにはその従業員として働いている人に対して,その就業条件などについて一定の社会的責任を負うべきなのです。しかし,ベルコと代理店の従業員との関係が,労働法がフルセットで適用されるような関係かと言われると,にわかには判断できません。法の世界は,裁判にせよ,労働委員会にせよ,判断しろと言われると白黒つける判断をしますが,そうなると使用者かそうでないかという極端な話になります。なぜそうかというと,それは,そういうことしかできない法のつくりになっているからです。だから法を変えなければならないのですが,法が変わるまでの間は,企業がたとえ法的責任が明確でなくても,道義的な観点から社会的責任を果たさなければならないのです。それに,そもそも法といっても,ハードローのようなものばかりではなく,むしろ社会的責任とリンクしながら,企業を良き経営をするよう誘導していくという関与の仕方もあるのです。私が目指しているのは,そういう法のあり方です。そこでは厳密な法的責任と社会責任の境界線は明確でなくなっています。このあたりのことは,プラットフォームの責任という観点から,昨年5月12に日本経済新聞の経済教室にも書いていますので,関心のある方は参考にしてください(既存の発想に凝り固まっている人は,理解できないでしょうから,時間の無駄なので読まなくて結構ですが,何か新しい可能性を模索しているという人は読んでみてください)。
今回の和解がどういう内容であったのかはよくわかりませんが,ベルコ側がその社会的責任を自覚して,労働組合との協議(団体交渉ではない)に応じ,傘下で働く人たちの利益に配慮した行動をとったということであれば,私が提案していた解決法につながるものです。
日本経済新聞のような経済界の動きに関心の強い読者がいる新聞では,新しいビジネスモデルが新しい技術環境のなかで生まれてきて,そこに既存の労働法との齟齬が生じてきているという本質的な変化を指摘するような記事があればいいのになと思います。
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