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2022年4月の記事

2022年4月30日 (土)

教育の目的

 昨日の話の続きです。自分自身の「優勝」をめざすという話です。
 私自身を振り返っても,若いときには競争社会に巻き込まれていました。そもそも小学校に入学したときから,成績をつけられて,競争せよと言われていたわけです。試験で良い点をとるのは,自分にとっての満足感があるし,親も喜ぶし,周りの人からは尊敬されるし,良いことばかりです。そして,知らぬうちに,良い点を取れない人に対して優越感をもつようになります。しかし例えば私が小学校4年生で到達したことを,誰かが5年生でようやく到達できたとして,その1年の差は大人になったときに,どれだけの違いを生むのでしょうか。50歳くらいになると,無視しえる程度の差でしょう。
 まえにこのブログで,教育における修得主義と履修主義のことを書いたことがあります。修得主義で行こうということです。修得主義を徹底させて,早く進める人はどんどん進んでもらい,そうでない人はゆっくり進んでもらうというのでよいのです。そういうことになると,教師は対応がたいへんとなりそうですが,それを回避するために,AIを使うのです。アダプティブラーニングです。いつも書いている話ですが,いまこの話が重要と思うのは,教師の労働時間が問題となっているからです。
 NHKの番組でも,この問題は採り上げられていました。このままでは教師のなり手がいなくなる危険があります。学校側が労働時間の規制を遵守するのは当然ですが,問題の根幹は,医師の場合と同様に,業務量の多さにあります。これを解決しなければどうしようもありません。教師の仕事をできるだけ軽減し,本来の知的労働中心のものに変えるためには,デジタル技術の活用は不可欠です。介護労働なども同じですが,今後はデジタル技術を活用して業務軽減ができない職場には誰も来なくなるでしょう。アナログ職場の教育現場には良い人材は来なくなります。そうすると教師の質は下がり,意識が高く裕福な家庭は,デジタル対応ができて職場環境が良く優秀な先生が集まってくる一部の学校に子どもを行かせるようになり,教育格差が生まれます。働き方のデジタル対応は,待ったなしの課題です。
 もちろん,より重要なのは,教育内容です。実は修得主義だけでは不十分なのです。これもNHKの番組で,山中伸弥先生が,「VW」の重要性を語っておられました。「VW」は「Vision Work hard」の略です。「Work hard」のメッセージは多少気を付けなければなりませんが,日本人には(幸い?)あまり難しいことではありません。問題は「Vision」です。山中先生にとっては,これは研究における「Vision」なのですが,人生における「Vision」に置き換えることもできます。私は人生のVisionは「社会課題の解決のための貢献」に置き換えることができると思っています。その貢献の仕方は,個人の特性に応じて変わってしかるべきです。教育の目的とは,子どもたちが,どのような方法で,自分なりに社会課題の解決に貢献できるかを探すことの手助けをすることなのです。山中先生の場合は,生命の謎にせまり,いま治すことができない病気も治せるようにすること,というVisionを,30歳くらいのときに見つけたと言われていました。「社会課題の解決のための貢献」というのは大きすぎるVisionなので,それをこのように具体的なVisionにして明確化することが必要です
 この意味の具体的なVisionレベルの探索についてまで,アダプティブラーニングに採り入れていくことが,これからの教育に求められています。教員の問題は,こういう新たな教育に携わることができる人をいかにして探し(あるいは育成し),そうした人に,いかにして意欲をもって教育を取り組んでもらえるかということにあります。教育政策から,教員の人事管理まで,多様な問題がそこには横たわっています。業務量が増えるかもしれませんが,業務の質は大きく変わります。おそらくここでもデジタル技術の活用が重要なポイントとなることでしょう。

2022年4月29日 (金)

勝率より勝数

  阪神タイガースが,どん底から少しずつ這い上がろうとしています。もちろん今シーズンの優勝は,とっくに諦めており,最初はそれはとてもつらいことでしたが,皮肉にも,とても大事なことを教わった気がしています。これまで,どうしてそんなに優勝にこだわっていたのでしょうか。いまでは,たった1勝であっても,勝利をすごく喜ぶことができます。優勝を争っているという気持ちになると,他のライバルチームが勝ったり負けたりしたことが気になるわけですが,優勝のことを考えないと,他のチームが勝とうが負けようが関係なくなります。阪神タイガースが良い試合をしてくれれば十分だし,それで運良く勝ってくれればとても満足という気持ちになってきました。
 やっとお前もそういう境地に達したかと笑われるかもしれませんが,やっぱりプロ野球は勝たなきゃいけない,優勝目指さしてくれなきゃ,という気持ちはずっともってきたのです(1964年から1985年までの阪神の暗黒時代は私の子ども時代と重なっているので,優勝に縁遠いペナントレースというのは何度も経験はしているのですが)。
 昨日の将棋の桐山九段の話ではありませんが,勝利を積み重ねることがとても大切で,それは長い時間をかけたものほうが価値があるのかもしれません。勝率を考えると一定期間内にたくさん勝ったほうがよいのですが,勝率より勝数なのです。それは,一つひとつの試合を大事にしていくことが大切だということにもつながります。そういうことは,もちろんわかっていたつもりですが,おそらく今の自分の心境とぴったりして,妙に腑に落ちるところがあったのです。阪神は,今シーズンは40勝でよいし,当初の目標であった80勝は,来年度に達成すればよいというような感じです。
 人生でいえば,他人と競争しないで自分のペースで自分なりのものを積み重ねていく。それが自分にとっての「勝利」であり,それが積み重なっていくことが自分の人生の「優勝」 につながるという感じですね。
 ということで,今日,阪神が巨人に勝って4連勝となったのは,非常に満足度が高いです。ダントツの最下位ではありますが,それは関係ないのです。優勝を期待せず,ましてや勝利も期待しなければ,勝ったときの喜びもひとしおです(参照点の引下げ効果)。弱小球団ファンの自虐ネタと思われるかもしれませんが,本人はそうは思っていません。

2022年4月28日 (木)

叡王戦が始まる

 今日は真夏のような日でした。身体がびっくりしてしまったようです。体調維持が難しいですね。ここ何年かは,天気が悪い日(低気圧の日)は体調があまりすぐれませんし,暑すぎる日もまた同様です。若いときは天気や気圧や温度の変化がどうかなど全く気にならなかったのですが,寄る年波には勝てないということでしょう。年相応に,できるだけ無理をせず,体力を温存していかなければと思っています。
 ところで将棋は今日から叡王戦が始まりました。藤井聡太叡王(五冠)に出口若武六段が挑戦しています。フレッシュな対戦ですが,初戦は藤井叡王の快勝でした。久しぶりの対局だと思いますが,藤井五冠は充実していましたね。
 久しぶりに谷川浩司九段のことを書きます。谷川九段はこの4月に還暦を迎えました。藤井五冠と同様,中学生でプロになった谷川九段もついに還暦です。寄る年波に勝てないと言えば失礼ですが,昔ほど勝てなくなっています。ただ昨日は,これまで対戦成績が悪かった若手の大石直嗣七段と熱戦の末,167手の長手数で勝っています。まだまだ若手には負けないぞという将棋を指されていて,嬉しかったです。同じ日,関西将棋会館では,引退が決まっている桐山清澄九段が最後の対局を終えました。74歳です。最近は豊島将之九段の師匠というほうで名が知られていますが,勝数は歴代10位(現役4位)の996勝という大棋士でした。桐山九段のことを考えると,還暦など若いといえるでしょう。ちなみに谷川九段の勝数は1363勝で歴代3位です。歴代1位で現役でもある1497勝の羽生善治九段を追い抜くのは無理でしょうが,歴代2位の大山康晴15世名人の1433勝は,なんとか追い抜いてもらいたいですね。勝率は年とともに下がっても,勝数は減りません。勝数には,その棋士が積み重ねてきた歴史が現れているように思います。これだけは藤井五冠がいくら強くても,まだ手に入れることができないものです。

2022年4月27日 (水)

感謝されない日本

 日本経済新聞の電子版で「ウクライナ政府がツイッターに投稿した各国の支援に感謝を示す動画に日本への言及がなかったことがわかった。」という記事が出ていました。武器支援をしていない国は,感謝対象から除外されたようです。後から追加で「感謝」されたようですが,武器を提供しない支援など,やっている国の自己満足程度のもので,やられたほうはさほどは感謝していないのでしょう。命が危険にさらされ,祖国滅亡危機にあるともいえるわけですから,武器支援国こそ感謝の対象となるのは,わからないではありません。日本のほうも,他人に感謝してもらうためにやっているわけではないから,別に感謝されるかどうかは関係ないと格好つけたいところでもあります。ただ,国民の税金を使ってウクライナ支援をしているのですから,感謝されていないとなると,あまり意味のない支援にお金を無駄に使っているのではないかという疑問が出てきます。なぜ感謝されないような支援をしているのか。ウクライナは,そもそもアメリカの議会で真珠湾攻撃発言をしたり,昭和天皇とヒトラーと同列にしてみたり,日本に十分に配慮をしているとは思えません。基本的には利害関係がないので,うまく支援をもらえれば有り難いという程度の国に思われている可能性もあります。近くにいない外国というのは,その程度のものかもしれず,それがとくに問題とは思えません。日本も,ウクライナ支援は,ウクライナへの同情もありますが,国益にかなうからやっているという冷徹な計算があると思います。それでもいいのですが,感謝対象国から外されてしまうのは,世界に日本のプレゼンスの小ささを露呈してしまったことにはなっていないでしょうか。これではかえって国益を損ないます。もっとお金を有効に使う必要があります。
 ところで日本に来たウクライナ人の不満として,英語が通じないことがある,ということが報道されていました。これはウクライナ人にかぎらず,日本に来た外国人が共通して言うことです。私たちが,昔タイに行ったときに不安に感じたのは,英語が通じないことでした。外国に行って通じる言葉がないというのは不安なものです。現在,日本人のなかにウクライナ語を学ぼうという人が出てきているようで,やりたい人はやってもらってよいのですが,ウクライナ人の支援にはつながらないでしょう。ウクライナの人が求めているのは,おそらくサバイバルするのに必要なコミュニケーションであり,現在なら,ポケトークなどの翻訳機械を提供するほうが,よほど意味があるのではないかと思います。デジタル技術がここでも課題解決のために最優先されるべきなのです。
 意味のある支援,感謝される支援とは何か。自分たちの自己満足で行動していると,善意の押し売りになってしまいます。国民の善意の行動は止められませんが,政府レベルは,よく考えて行動してもらいたいです。とりあえず何かやればよいというのは,安倍政権で終わりにしてもらいたいです。

2022年4月26日 (火)

パラサイト―半地下の家族

 アカデミー賞もカンヌのパルム・ドール(Palme d'Or)もとった作品ということで前から関心を持っていましたが,Prime Videoで無料配信しているのに気づいたので,観てみました。坂の上の豪邸に住む富裕なパク一家と貧民窟にある半地下の家に住むキム一家。凄まじい社会的格差があり,とても接点などなさそうなのですが,キム家の息子ギウが,留学する友人から,パク家の娘の家庭教師を引き継ぐよう頼まれたことから接点が生まれ,ギウはパク家の幼い息子ダノンの美術の家庭教師に妹のギジョンを推薦し,さらにパク家のお抱え運転手をギジョンの策略で追い出し,キム家の父をその後任に据えることに成功し,さらにパク家の家政婦が桃アレルギーであることを利用して,咳き込む彼女が結核の疑いがあるとして追い出して,キム家の母をその後任に送り込み,結局,キム家は家族全員がパク家にパラサイトすることに成功しました。もちろんパク家の人たちは,彼らが家族であるとは知りません。ただしダノンだけは,4人のにおいが同じであることに気づいていました。
 パク家がダノンの誕生日に泊まりがけのキャンプに出かけたため,その留守中にキム家の4人が酒盛りをしていたのですが,ここから話が急展開します。まず家政婦の前任者がやってくるのですが,恐ろしい告白をします。さらに大雨となり,キャンプを切り上げてパク家が突然帰宅することになります。
 実はこの家の地下には人が住んでいたのです。半地下どころではなく,日の当たらない地下に住んでいるという究極の下層民がいたのです。でもパク家はそのことを知りません。前家政婦は,借金取りから逃れて地下に隠れていた夫にこっそり食料を与えていました。パク家の不在を知った前家政婦は,何とか夫に食料を与え続けてほしいと懇願に来たのです。最後は,ダノンの誕生パーティのときに悲劇が起こり,ギジョンは殺され,父親はパク家の主人を殺してしまいます。細かいところは映画を観ての楽しみ,ということにしておきます。
 この映画が韓国の格差社会の現実を示しているかどうかわかりませんが,おそらくそれほど乖離したものではないのでしょう。徹底的に下品だが,たくましく生きているキム家,上品で嫌みもないパク家ですが,でも両者が接してしまうと,どうしても相容れないものが出てきてしまいます。キム家がいくら取りつくろっても,パク家はキム家の悪臭に耐えられないのです。しかし,この悪臭はキム家の人たちは自覚していないので,指摘されてもどうしようもないのです。これは単に体臭だけではなく,どうしても隠すことができない貧民としての臭いというものを象徴しているのでしょう。そこに格差の絶望的なところがあるような気がしました(ただ,パク家の長女がギウに恋してしまうところは,恋はこういう格差を簡単に超えてしまうことを示しています。もっとも,こういう恋は,いっときの情熱にかられた「熱病」であり,それが覚めたときには,たいていはうまくいかなくなるのですが)。
 どことなくコミカルな感じのする前半とサスペンス風の後半の落差が見事で,うまく作られていると思いました。また半地下の風景,地下室の中の様子,豪邸からみた窓の風景のコントラストもうまいと思いました。最後は,ギウがいつか金持ちになって,あの豪邸を買い取って,地下に逃げ込んだ父親を救い出したいと考えているというところで終わっているのですが,それはどうみても無理そうであり,このままこの父親は一生,地下で生きていくのかということを連想させて,なんとも後味が悪い終わり方になりました。しかし,ここで安易に,ギウが成功してハッピーエンドということにしなかったところが,映画の成功につながったのかもしれませんね。

2022年4月25日 (月)

書評御礼

 島田陽一先生が『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』(明石書店)の書評を法学セミナー(6612118119頁)で書かれていたことを先週知って,今日,ようやくPDFファイルを入手しました。大学によく行っていたときには,教員控室に,ジュリスト,法学セミナー,法律時報などの最新号が置かれていて,それをみることによって,最新の文献を確認していたのですが,コロナ後はすっかり大学に行かなくなってしまい,そうした情報を確認することもなくなっていました。別に最新の情報を追わなくても,私の場合,とくに研究に影響することもないのでかまわないのですが,まさか書評が掲載されているとは夢にも思っていなかったので,お礼が遅くなりました。担当編集者の方も法律専門ではないので,気づかなかったようです。
 しかも,この本は,一般人向けに書いたつもりなので,研究者の方には基本的には献本しておらず,研究者の方に書評をしてもらえるとは思っていませんでした。
 ということで,長い言い訳になりましたが,こういう失礼なことをしているのに,島田先生が書かれていた内容は,ほんとうによく本書の意味を理解してくださっていて,感謝の言葉もありません。島田先生には昨年も学会のワークショップに声をかけていただくなど,いろいろお気遣いいただいており,日頃から感謝しているのですが,そのわりには,何もお返しができていないことを,申し訳なく思っております。学会の重鎮の先生に私の問題意識をしっかり受け止めてもらい,それなりの評価をいただいたことは,今後の研究活動への大きな励みになります。

2022年4月24日 (日)

人事労働法からみた労働者派遣法40条の6の問題点

 昨日の神戸労働法研究会で,東リ事件・大阪高裁判決についてオランゲレルさんに報告してもらいました。何度検討しても,いろんな論点が出てくる判決です。
 私は,ビジネスガイド(日本法令)に連載中の「キーワードからみた労働法」の第177回「労働契約申込みみなし制part2」のなかで,この判決に言及しています。その原稿のなかでもふれたのですが,労働者派遣法40条の8(厚生労働大臣の助言等の規定)が注目される規定です。発注企業は,偽装請負かどうかの判断について,厚生労働大臣(都道府県労働局長)が判断を示せば,それに従った行動をとるかどうかが,免責につながる法適用の潜脱目的や善意無過失性の成否とリンクさせる解釈をとることが望ましいのではないか,ということが昨日の研究会でも少し議論されました(労働局が偽装請負と判断したにもかかわらず,請負を継続すれば潜脱目的ありとし,労働局が偽装請負でないと判断したのであれば,それを継続しても潜脱目的なしとするなど)。人事労働法の観点からは,行為規範性を重視するので,偽装請負の該当性というような,一般の人には(のみならず専門家にとっても)判断が難しい規範が問題となる場合には,ことのほか,行政の事前の関与が重要となると思います。立法論的には,本格的な事前審査手続を導入すべきだと考えています(拙著『人事労働法』(弘文堂)88頁)。
 ところで,規範の曖昧性というのは,実は,労働者側にも影響することがあります。「キーワードからみた労働法」の上記論考のなかでは,日本貨物検数協会(日興サービス)事件もとりあげていますが,そこでは労働者の(みなし申込みへの)承諾の有無が問題となりました。承諾の意思表示については,1年間の制限があるのです(労働者派遣法40条の62項を参照)が,この事件では,所属する労働組合が団体交渉で直接雇用を求めているだけでだったため,これでは承諾の意思表示にならず,その後に個人が意思表示をしたときは1年を経過していたので,労働契約の成立は認められないとされたのです。しかし私は,この判断には疑問があると書いていました。私は,40条の6の立法政策的な面からの妥当性については疑問をもっているのですが,それはさておき,法律でこういう制度を設ける以上は,その趣旨に沿った解釈が求められるのであり,そうした観点から,労働者の意思表示の有無を厳格に解釈するこの判決には違和感をおぼえたのです。この事件には控訴審判決(名古屋高判2021年1012日)が出ていたのです(「キーワード」の執筆時には,控訴審判決のことは知りませんでした)が,それは地裁判決の結論を維持したものでした。裁判所は,40条の6のような規定は,立法論的に望ましくないものであり,解釈論としても,直接雇用の成立要件を厳格に解して,同条があまり強いインパクトをもたないようにしたとみることもできるかもしれません。ただ,労働者側からみると,前述のように偽装請負の成否の判断が難しいために,承諾期間(「当該労働契約の申込みに係る同項[40条の61項]に規定する行為が終了した日から1年を経過する日までの間」)の1年の起算点も不明確になるのであり,しかも承諾の方式について明文の規定がない以上,労働組合に直接雇用のことを任せていた労働者の行動をネガティブに評価することは,労働者にやや酷な気がします。
 派遣先に偽装請負などに関して説明義務があったとまでいうのは行き過ぎであり,その点では判旨相当ですが,曖昧な規範に翻弄される労使双方の状況をみると,この規定はそれ自体に根本的に問題があるという気がします。
 偽装請負などの違法派遣があれば,派遣先と直接雇用が成立するという立法政策は,前述のように私は反対ではありますが,それを導入する政策的立場があることまでは否定しません。ただ,そうした政策的立場を立法化する以上,きちんとその制度を前提に当事者が行動できるようにし,裁判をしても不意打ち的な結果が出てこないような制度にしなければなりません。そういうことをせず,しかも日本貨物検数協会(日興サービス)事件のように不明確な規範の影響が労働者側にネガティブに出てくるとなると,いったい何のための法改正であったのかということになります。
 企業側は「法適用の潜脱目的」や「善意無過失」の免責によって,不明確な規範の弊害をある程度緩和することができるようではありますが,「法適用の潜脱目的」や「善意無過失」自体が明確な概念ではありません。実際に,偽装請負とされたときにも,なおこの概念によって制裁を免れることができるかは,裁判をしてみなければわからないでしょう。一方,労働者側は,承諾の要件や承諾期間についての規定が曖昧で(そもそも労働者の承諾期間の制限ということが正面から規定される内容になっておらず,みなし申込みの拘束期間が1年という定めが同条2項および3項で定められているにすぎません),あとは裁判所にしかるべく解釈してもらえばよいということになっています。以上のことは,裁判法学的労働法の欠点そのものなのです(前掲・拙著の序章も参照)。こういう欠点は,40条の6の政策的・理論的問題を論じるより前に,労使双方のウィン・ウィンを目指す人事労働法の観点からして,容認しがたいものです。
 以上のような問題意識を共有してもらえる研究者や実務家が増えればいいのですが。

2022年4月23日 (土)

ウクライナ戦争報道に思う

  ウクライナでのロシアの軍事侵攻について,テレビでは連日なまなましいシーンが映し出されています。何度も同じようなシーンも出てきます。昨日からは集団墓地の衛星画像も何度も映されています。軍侵侵攻による破壊の進行はよくわかるのですが,ここまで細かく戦争の進捗状況を,映像をつかって報道する必要があるでしょうか。当初はウクライナの悲惨さに心を痛めていましたし,いまでもそうですが,これだけ連日報道されていると,あまり観たくなくなってきました。まず小さい子どもがいる家には,最初は戦争の悲惨さを教えるためにもみせる必要があるとはいっても,これだと慣れてしまってかえって逆効果かもしれません。一方,いつまでも慣れずに,トラウマのようになってしまう人もいるでしょう。死体をみせなければよいということではないのです。テレビというのは,音を消すことができますが,画像を消すことができません。ビデオ会議ではビデオオフができるのにテレビはなぜできないのでしょうかね まあ音声だけのテレビだったら,テレビではなく,ラジオになってしまうのですが,一時的な画像オフ機能があってよいような気がします。戦争報道が必要なのは言うまでもありませんが,映像の使い方をもっと工夫して,とくにNHKの19時のニュースなど子どもが普通に観る時間帯の報道は気を付けてもらいたいですね。ついでに言うと,Zelenskyy が,外国の議会で何を語ったかなどを,追っかけて報道する必要はないのではないかと思います。
 過激な映像を使わなくても,人々に正確な報道,さらに冷静な判断ができるような報道ができるはずで,それを期待したいです。一方で,日本とロシアの対立が深刻になっていっています。ウクライナがどんどん軍事大国化していることも不安です。それはウクライナへの不信ということではなく,両国の戦争を煽ってしまっているのではないかという不安です。ロシアが悪者で,ウクライナが可哀想な犠牲者という捉え方はそれでよいのです(いつも書いているようにロシアは信用できない国です)が,それをあまりに図式化し,さらに映像でそれを固定化してしまうなかで,見落とされているものがないかを冷静に考えておく必要があると思っています。

2022年4月22日 (金)

名人戦第2局

 名人戦の第2局は,渡辺明名人が勝って2連勝となりました。この将棋も初戦に続き渡辺名人の快勝でしたね。挑戦者の斎藤慎太郎八段は力が出せていません。このまま連敗するわけにはいかないでしょう。なんとか巻き替えしてほしいです。
 王位戦の挑戦者決定リーグは,かなり盛り上がっています。紅組は豊島将之八段に土がついて,31敗となり,同じ星の伊藤匠五段と最終局を戦います。同じ31敗の近藤誠也七段も最終局に佐々木大地五段に勝てばプレーオフの可能性が残っています。白組は羽生善治九段が連勝して22敗と盛り返し,挑戦争いの可能性を残したようにみえました。最終局は31敗の澤田真吾七段との対局で,もしこれに勝って,同じ31敗の池永天志五段が22敗の糸谷哲郎八段に敗れれば,32敗で4人が並ぶことになります。この場合,直接対決の成績が優先するので,複雑ではありますが,最終的には糸谷八段の挑戦になるようです。もちろん池永五段と澤田七段は勝てば4勝でトップとなり,ともに勝てばプレーオフです。そして,紅組のトップと挑戦者決定戦となります。勝った方が,藤井聡太王位とのタイトル戦7番勝負となります。
 叡王戦は,タイトル戦初登場の出口若武六段の挑戦が決まり,来週から藤井叡王とのタイトル戦5番勝負が始まります。出口六段は,兵庫県明石出身なので,応援したいですね。
 棋聖戦は,渡辺名人と永瀬拓矢王座が勝ち残り挑戦権をかけて対局します。こちらは本命が勝ち残ったという感じで,勝った方が,藤井棋聖とのタイトル戦5番勝負となります。
 待ち受ける藤井五冠は,これから忙しいタイトルシーズンとなりますね。タイトルをもつと挑戦権を得るための対局をする必要がなくなり,しかも藤井五冠はタイトルを5つももっているので,対局数は減り,勝率も少し下がるかもしれませんが,これはトップ棋士の地位についたことの証しです。

2022年4月21日 (木)

バンデラス ウクライナの英雄

 こんなご時世でなければ観ることがない映画だったでしょう。Prime Videoで「バンデラス ウクライナの英雄」というウクライナ映画を観ました。
 いまロシアの攻撃を受けて大変な状況に陥っているウクライナ東部の村において,乗り合いバスが襲撃されて,乗客が射殺されるという事件が起こります。バスにロケット弾を撃ち込んだのは,実はウクライナ人ですが,彼はロシア側の武装勢力に民兵として加わっていました。しかし,バスには自分の叔母が乗っており,それを殺してしまった罪の意識から,その場から逃げ出してしまいます。彼は襲撃した仲間から狙撃されますが,なんとか逃げおおせたことが後からわかります。襲撃したのは親ロシア派の武装勢力で,彼らはこの襲撃をウクライナ政府軍の仕業であると吹聴して,住民のウクライナ政府への反感を高めようともくろんでいました。そうしたなか,主人公のアントン(別名バンデラス)が,ウクライナ政府からこの襲撃の調査をするために特殊部隊員として送り込まれてきました。彼は,この村の出身でした。
 村の住民は親ロシア派のプロパガンダを信じて,ウクライナ政府は自分たちの敵で,ロシアがそれを助けてくれると信じています。アントンの説明に対しても,容易にはそれを信じようとしません。しかし最後に,村がロシア側から銃弾を撃ち込まれて焼かれてしまい,自分たちは騙されていたことを知るのです。
 政府軍にはロシア側のスパイがいて,彼が殺人を繰り返します。そしてアントンを心配して前線にやってきたアントンの恋人にまで魔の手を伸ばします。スパイ捜しと,恋人の救出劇でハラハラさせるというサスペンスの要素も,本映画にはあります。
 戦争の描写は,テレビなどでみる都会への激しい攻撃とは違いますが,でも実際の戦争は,こういう感じなのだろうと想像することができました。またウクライナ東部に親ロシア派の住民が多いと言われていますが,この映画をみると,それはロシアのプロパガンダで洗脳されているからではないか,という気もしてしまいます。現在の戦争のことを知るためにも,この映画は一見の価値があると思いました。もちろん,映画自体は,あくまで反ロシアのウクライナ視点なので,そのことは注意をしておく必要があるでしょうが。

2022年4月20日 (水)

日本労働弁護団編著『新労働相談実践マニュアル』ほか

 

 日本労働弁護団編著の『新・労働相談実践マニュアル』を,お送りいただきました。私のような者にまでお気遣いいただき感謝いたします。労働者にとってのマニュアルなのかと思いましたが,拝読すると,本書は,タイトルどおり,弁護士の方など相談を受ける側のマニュアルなのですね。細部の論点にまで気配りされており,実務に大いに役立つでしょう。外国人労働者の相談という項目も含まれていて,よかったです。実は今日,学部授業(オンデマンドの録画)で,強制労働の説明をしているところで,ついつい外国人技能実習生の問題点を熱く語ってしまいました。現代の奴隷問題から私たちは目を背けてはいけません。労働弁護団の方たちにも,いっそう頑張ってもらう必要があるでしょう。ところで,本書の内容こそ,今後はデータで蓄積して,随時,情報をアップデートし,相談はチャットボットで対応するというようにしたらどうかと思いました。
 また,川口美貴さんから『労働法』(信山社)もいただきました。すさまじいスピードの改訂で早くも第6版です。つい先日,第5版をいただいたばかりと思っていたので,驚きです。いつも,どうもありがとうございます。同書は,拙著『人事労働法』でも参照した部分があったので,修正する必要があるか,これから確認させてもらいます。

 山川隆一編『プラクティス労働法』(信山社)も,執筆者の方からいただきました。まことに,ありがとうございます。こちらは第3版です。「信頼の執筆陣により,基礎から応用的視点まで,読者を的確に導く最新型テキスト」という帯の言葉がぴったりです。個人的には,もう少し若手研究者が自由に書ける欄があってもよいのかなという印象ですが,それは本のコンセプトからして仕方ないのでしょうね(たとえば皆川宏之さんは,もっと労働者性のところで腕をふるいたいのではないかと思ってしまいました)。

 

 

 

2022年4月19日 (火)

吉野家常務発言に思う

 吉野家のHPに,「株式会社吉野家常務取締役企画本部長が,4 16 日に開催された外部における社会人向け講座にて講師として登壇した際に,不適切な発言をしたことで,講座受講者と主催者の皆様,吉野家をご愛用いただいているお客様に対して多大なるご迷惑とご不快な思いをさせたことに対し,深くお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。」という謝罪文が掲載されていました(https://www.yoshinoya-holdings.com/file/20220418_apology.pdf)。
 発言内容は,ネットで報道されていますが,文脈から切り離してそこだけをみるのは適切でないことが多いのでコメントは慎重である必要がありますが,吉野家が,謝罪して人権やジェンダー面でも問題があったとしているので,ネット情報は概ね適切なのでしょう(さきほど,この常務が解任されたというニュースもみました)。ネットの見出しでは,「生娘シャブ漬け戦略」というような,ちょっと耐えがたい表現で出ていますが,どうも男性と付き合いだした女性は,男性に食事をおごってもらっておしいしいものを食べるため吉野家の牛丼は食べなくなるので,そうならないうちにこの味を教え込んで中毒にすることが必要だ,という趣旨のようです。この発言者は,マーケティングのプロで,テレ東のニュースでは実名も出ていましたが,実績がかなりある方のようなので,これは成功する戦略なのでしょう。
 このような表現がどうかとか,女性に対する見方が一面過ぎるとか,そういうところはもちろん問題ですが,それよりも,私はマーケティングというのは,いったい何なのだろうということを考えさせられました。マーケティングとは,大学の経営学部の授業で学んだり,この大学のような社会人講座で外部講師から学んだりするものなのでしょうが,素人の私の理解では,自社の商品を,ほんとうに必要とする人に,その価値をわかって購入してもらうために,どうすれば商品の情報を伝えることができるかを考えたり,また社会における人々のニーズをとらえて,商品開発に活かすことを考えたりするものなのかなと思っていました。吉野家の牛丼が,舌の肥えた女性には食べてもらえないものであり,それを舌が肥えるまでに食べさせて,その味の中毒にさせるというのが,もしかりにマーケティング戦略だとすると,それは最悪の方法ですね。飲食業界の企業は,本来,大衆が食べたいと思っているが,簡単には食べられない物や味を提供するところに意味があって,舌が肥えたら食べなくなるようなものを,無理に食べさせるようにするというのは,企業の使命感という点でちょっと許しがたいものといえます(企業が商品を売るためにニーズを無理矢理創出するということ自体が,過剰生産や過剰商品を生み,環境に負荷をかける資本主義の問題点として,今日,批判の対象となっているのです)。もちろん,おいしさは犠牲にしても,安くするから食べに行きやすくなるという形でサービスを提供するのは,問題がありません。人々の値段や味の嗜好は多様であり,それにあった商品を提供するというのも,これは広義の社会的課題を解決しているのであって,そういうことであれば企業の存在意義があります。
 上記の講義でも,いままで味わったことがなかった人にも牛丼の味を知るための機会をつくり,この値段でこの味が食べられるということを知ってもらい,牛丼を食べたい人が増えるようにするのは,社会的にも意味があることで,社会的課題の解決に貢献するという企業の使命にもつながるという内容であったのなら,それは格調高いもので,大学で教えるにふさわしいものといえるでしょう。ちょっと表現はまずかったが,実はこういうことが言いたかったという講義ならよいのですが,どうだったのでしょうね。でも飲食業界ですから,食品だけでなく,表現も「まずかった」というのはダメですよね。解任されても仕方ないのですが,解任理由が表現の問題というだけで,実際にこういう戦略をとってきたということであれば,この企業の評価はガタ落ちとなるでしょう。企業としての早急の釈明が必要でしょう。
 SDGsやESGの時代の今日,旧来型の資本主義は大きく変貌を遂げ,企業にはこれまで以上に,倫理性が求められる時代になっているという大きな変化をとらえた講義をしなければ,今日ではお金を払って聞く価値はないでしょう。

2022年4月18日 (月)

『労働法における最高裁判例の再検討』

 注目していた労働法律旬報の連載が書籍化されました。『労働法における最高裁判例の再検討』(旬報社)です。お送りいただき,どうもありがとうございました。いまやマスメディアで労働法というと,濱口さんか沼田さんかというくらいの存在感のある沼田雅之さんが筆頭編者で,浜村彰,細川良,深谷信夫共編という書籍です。労働法学の重鎮と次代のエースが編者に入ったという感じでしょうか。この連載では,石田信平さんの三菱樹脂事件の論文をゼミで扱ったこともありました。
 古い判例を検討し直すという企画はとても重要だと思います。採り上げられている最高裁判決は,いずれも重要で,LS生などが深く学習するのに役立つでしょう。解雇に関するものやロックアウトに関するものが落ちているのは,前者は制定法となったから,後者は実際上の重要性が低下したから,ということでしょうかね。日本食塩製造事件などは,解雇の観点からも,ユニオン・ショップの観点からも,採り上げてもらいたい判例でしたし,このほか第二鳩タクシー事件も,労働委員会関係者としては気になるところですが,ないものねだりですね。
 第四銀行事件では,私の判例評釈も批判的に検討され(沼田さん),また,日新製鋼事件では,私の論文が批判的に検討されています(井川志郎さん)。前者については,第四銀行事件の評釈を書いたころ,私自身もともと判例の就業規則法理に批判的な集団的変更解約告知説を発表していて(『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)で書いた集団的労働条件の段階的構造論),ただ,それはそれとして判例をどう評価するかという難しい作業をしていた頃のことを懐かしく思いだしました。第四銀行事件の最高裁判決は,みちのく銀行事件の最高裁判決とともに,『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に掲載はしていますが,先週から始まった今学期の学部の授業で,いきなり就業規則の話をしたときには,秋北バス事件以外は,詳しくふれませんでした。就業規則論自体は重要ですが,私の『人事労働法』(弘文堂)では,すでに新たな理論フェーズに入ってしまっています(詳細は,同書34頁以下)。後者のほうは,日新製鋼事件について,デロゲーションを認めた判決だという私の理解への批判がありましたが,前からこの点は,皆川宏之さんの指摘もあり,それはおっしゃるとおりかもしれないと思っています。ただ,労働基準法の強行規定性というのは,それほど絶対的なものではないのであり,この判決をそうしたことを示したものとして挙げてもよいだろうと思っています。もっとも,この点についてもまた,『人事労働法』では,上記の就業規則論と関係して,新たな理論フェーズに入っていて,判例がどうかということより,強行規定の任意規定化を理論的にどう展開すべきかということに関心が移っています。
 ところで,私も実は判例を新たな視点で学生たちに学んでもらいたいという観点から,10年前に『労働の正義を考えようー労働法判例からみえるもの』(有斐閣)を刊行しています。今回の沼田さんたちの本のような硬派なものではなく,軽いタッチで描いています(ただし内容は決して軽くはなく,もしかしたらむしろ難解もしれません)が,比較して読んでもらえれば,労働判例を多角的に理解できるのではないかと思います。

 

2022年4月17日 (日)

社会的共通資本としての医療とDX

 4月15日の日本経済新聞の出口恭子さんの経済教室は,医療介護DXが成長を底上げするという内容でした。DXが私たちの最も深刻にとらえるべき医療や介護という社会的課題の解決に役立つことがわかりました。医療や介護の現場におけるアナログ体質はつとに指摘されており,私も父のことを通して,それを実感していました。医療や介護において,もっとデジタル技術をうまく活用できないかと思うことがよくあります。いつも書いていることですが,医療や介護に従事する人たちの献身的な働きぶりには,ほんとうに頭が下がる思いなのですが,もっと効率的に働く方法があるはずだと思うこともよくあります。これは現場の労働者ではどうしようもないことでもあるので,経営者たちがデジタル技術を使えるところはデジタル技術を使うというデジタルファーストの精神で臨んでもらう必要があります。そのためにもデジタル人材が,もっと各所で活躍するという状況が出てこなければなりません。そのうち,きつい仕事には人が集まらなくなり,ほんとうに医療や介護が回らなくなる可能性があります。コロナ禍で露呈した医療提供体制の問題点は,将来における医療介護従事者不足の問題を前倒しで国民に示してくれたという面がありました。医療や介護は人間がすべてやらなければならないというのは大きな間違いであって この経済教室の論考でも出てきたように,プロセスにおけるデジタル化によるイノベーションがまずは重要なのです。日々のちょっとした作業をデジタル化することだけでも,ずいぶん仕事が楽になるでしょう。そしてその浮いた時間は,別の肉体労働に充てるのではなく,DXをどのように活用すれば,医療や介護の目的を実現できるかということに知恵を絞る作業に充ててもらいたいのです。 医療介護サービスの目的は何なのかを定義し,そのために,いまやっている作業はほんとうに必要なのか,同じ目的を達成するために別の効率的な方法はないかという視点で事業の再検討をしていくことが大切です。
 もちろん医療や介護の効率性というのは,それはFriedman 的な市場メカニズムをどんどん導入して行くべきという話とは全く違います。むしろこの分野は,政府が徹底的にサポートすべきものであって,病院の経営者が金策を考えなければならないということでは困るのです。医療や介護こそ税金で支えるのに適した分野です。経済学者の宇沢弘文の有名な「社会的共通資本」 という考え方があります。医療はこの社会的共通資本の代表例です(同タイトルの岩波書店の本の第5章も参照)。医師たちの育成や業務(治療など)の費用(もちろん報酬も含まれる)は,社会で支えるべきものです。国民も医師も,この貴重な社会的共通資本を無駄に使わないように,互いに倫理的な行動をとっていくことが,求められているのです(医師側は「ヒポクラテスの誓い」)。デジタル技術を活用した効率化と人々の倫理的な行動とは,よりよく社会課題を解決するという目的のための車の両輪です。こういうことをサポートするための制度設計をすることこそ,法の役割ではないかと思っています(国民皆保険などの日本の制度は世界に誇れるものではありますが,なお課題は山積しています)。



 

2022年4月16日 (土)

『労働者派遣法(第2版)』(三省堂)

 鎌田耕一・諏訪康雄編,山川隆一,橋本陽子,竹内(奥野)寿著『労働者派遣法(第2版)』(三省堂)を初版に続いてお送りいただきました。どうもありがとうございます。労働者派遣法にしぼった体系書であり,執筆メンバーの充実ぶりからもわかるように,信頼性の高い本です。労働者派遣法は,授業では,まとまって扱うことはあまりないのですが,個々の判例を扱うときに,労働者派遣のケースがけっこうあって,労働者派遣についての知識を要するという場面が少なくありません。法人格否認の法理,雇止めなどがそれです。もう一つ,重要なのが,昨日も言及した使用者性の問題です。労働者派遣とそれと隣接する業務委託契約(偽装請負がありうるので)の場合における派遣先・委託先の使用者性の問題です。
 実は兵庫県労働委員会で,先月,大学が警備業務を委託していたことに関係した国際基督教大学事件の東京高裁判決(2020610日)を採り上げて検討する機会があったのですが,この判決は,中労委の結論は維持しているものの,使用者性についての判断枠組みについて,中労委と見解が違っていました。この事件は,セクハラ問題を契機とする解雇について,最終的に撤回されたのですが,それについて大学側が,労働組合から求められたこの件で謝罪や金銭補償をすることを議題とする団体交渉を拒否したというものでした。大学側の使用者性は一貫して否定されているのですが,問題は判断枠組みです。朝日放送事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(2022年,弘文堂)の第179事件を参照)が基本となるのですが,中労委は,この議題は「解雇を含む一連の雇用管理,すなわち,採用,配置,雇用の終了に関する決定に関わるもの」であり,こうした「一連の雇用管理に関する決定について,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していなければならない」という基準を示しました。一方,取消訴訟の地裁は,「雇用終了の決定について,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していることが必要であり,かつ,それで足りるというべきである」とし,高裁判決もこれを支持し,「当該労働者の採用の場面において,当該事業主が雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配,決定できる地位になければ,仮に当該労働者の配置や契約終了(解雇)の場面においては,これを現実的かつ具体的に決定できる立場であっても『使用者性』は否定されることになるが,そのような結論は相当でないといわざるを得」ないとして,中労委の判断は採用できないとしています。結論は,雇用終了についても,雇用主と同視できる程度に現実的かつ具体的な支配力を有していることが否定されたのですが,判断枠組みは大きく異なっています。
 裁判所は,団体交渉事項ごとに使用者性を考えるという帰納的アプローチを明示的にとっており(相対説),私はこういう立場にもともと反対なのです。集団的労使関係における当事者とは誰かというのが先決問題であるべきであり(演繹的アプローチ),たとえ当該事項について具体的な支配決定力があっても,それと使用者性とは別問題なのだと思っています。中労委も帰納的アプローチのように読めなくもありませんが,ただ少なくとも,この事件等での判断枠組みは,当該団交事項における具体的な支配決定力にとらわれないという点では,結論としては演繹的アプローチと近似してくる面があると思っています。
 ちょうど,この論点について,上記の本で言及されていました。山川先生が書かれている箇所なので,とくに注目されます。派遣の場合,派遣先が直接雇用を求める議題で団体交渉が申し込まれた場合において,それが採用に関する事項であるので,その採用に関する点で,雇用主と部分的同視できる現実的かつ具体的に支配,決定できる地位にあるとすれば,使用者としてそれに応じなければならないのかという論点において,山川先生は中労委のすでに先例のある中国・九州地方整備局事件の判断に言及したうえで,もし上記のような採用の点だけで使用者性を認めてしまえば,労働組合が採用を求めて団交を申し入れたあらゆる事業主が使用者に該当してしまうという不都合があるとし,さらに事業主が労働者を採用するということは,単に採用するのにとどまらず,その後の配置や雇用終了等の雇用管理を行うことも想定されているので,使用者該当性の判断は,採用,配置,雇用の終了の一連の雇用管理全般について雇用主と部分的に同視されるかという観点に立ってなされることが必要だと述べておられます(284頁以下)。この点は初版でも言及されていた部分ですが,第2版では前記の国際基督教大学事件にもふれて「謝罪や補償にかかわる団交も委託元の行為が解雇と同視されることを前提とするのではないか,また,雇用の終了は労働契約の解消を意味するが,これについてのみ雇用主と同視される場合は,委託元が取引先としての力関係の中で委託先にその従業員の解雇を求めたにとどまる場合とどう異なるかといった問題を検討する必要が生じよう」(286頁)というように,裁判所の判断基準にかなり不満をにじませるコメントをされているのが興味深かったです(山川先生が中労委の会長をされていた時の事件だから当然かもしれませんが)。

 

2022年4月15日 (金)

「雇用なき労働に法の保護」という日経新聞の記事について思う

 今朝の日本経済新聞の「真相深層」で,ベルコ事件のことが採り上げられていました。北海道労働委員会で救済命令が出た事件について,中央労働委員会において和解が成立したことなどが紹介されていました。偶然にも,昨日,労働委員会の会合で,この和解の話を聞いていました。
 この救済命令については,202010月に中央労働時報(1266号)で評釈を書いています。細かい法解釈上の問題についていろいろ論じていますが,実は一番伝えたかったことは「おわりに」で書いたことで,それは,使用者性をめぐる法律紛争という狭い視野にとどまっていると,世の中に起きている本質的な動きを見逃すということです。ベルコのように,本社はその機能を圧縮して,事業の実行部隊を業務委託の代理店を使うというビジネス形態が出てきたのはなぜかということから考えていかなければなりません。これはBPOBusiness Process Outsourcing)の一種といえますが,そういうビジネスモデルが出てきたのは,ICTの発達と関係しているのです。組織に取り込んで指揮命令して人を使うということをしなくても,事業経営を遂行できるようになってきているのです。もちろん,事業を効率的に遂行する場合には,業務委託契約であっても,なんらかの統制をかける必要があるわけですが,その統制を労働法の世界でどう評価するかが,いま問われていることです。私は,ベルコ事件は比較的アナログの世界に近い事例で,統制色が伝統的な労働法に近いところもあるので,使用者性を認める解釈もありうるとは思っていますが,ただ,こういう事例は,ほんとうは使用者性があるかどうかという図式でとらえるべきではなく(とらえようとしても,余計に紛争がこじれてしまいます),企業に社会的責任を自覚した行動をするよう誘導するのが労働委員会の仕事だという趣旨のことを書いたつもりです。私の『人事労働法』の基盤にあるのは,このように企業の社会的責任をベースに,いかにして「法の理念を企業に浸透させるか」(同書のサブタイトル)を考えていくかというものです。ベルコは,その葬儀ビジネスの中核にいる以上,末端で代理店さらにはその従業員として働いている人に対して,その就業条件などについて一定の社会的責任を負うべきなのです。しかし,ベルコと代理店の従業員との関係が,労働法がフルセットで適用されるような関係かと言われると,にわかには判断できません。法の世界は,裁判にせよ,労働委員会にせよ,判断しろと言われると白黒つける判断をしますが,そうなると使用者かそうでないかという極端な話になります。なぜそうかというと,それは,そういうことしかできない法のつくりになっているからです。だから法を変えなければならないのですが,法が変わるまでの間は,企業がたとえ法的責任が明確でなくても,道義的な観点から社会的責任を果たさなければならないのです。それに,そもそも法といっても,ハードローのようなものばかりではなく,むしろ社会的責任とリンクしながら,企業を良き経営をするよう誘導していくという関与の仕方もあるのです。私が目指しているのは,そういう法のあり方です。そこでは厳密な法的責任と社会責任の境界線は明確でなくなっています。このあたりのことは,プラットフォームの責任という観点から,昨年512に日本経済新聞の経済教室にも書いていますので,関心のある方は参考にしてください(既存の発想に凝り固まっている人は,理解できないでしょうから,時間の無駄なので読まなくて結構ですが,何か新しい可能性を模索しているという人は読んでみてください)。
 今回の和解がどういう内容であったのかはよくわかりませんが,ベルコ側がその社会的責任を自覚して,労働組合との協議(団体交渉ではない)に応じ,傘下で働く人たちの利益に配慮した行動をとったということであれば,私が提案していた解決法につながるものです。
 日本経済新聞のような経済界の動きに関心の強い読者がいる新聞では,新しいビジネスモデルが新しい技術環境のなかで生まれてきて,そこに既存の労働法との齟齬が生じてきているという本質的な変化を指摘するような記事があればいいのになと思います。

2022年4月14日 (木)

ちむどんどん

 NHKの朝ドラの「ちむどんどん」を毎日観ています(観る時間帯は朝ではありませんが)。朝ドラを観るのは久しぶりです。「あぐり」以来でしょうか。最初は戦後20年くらいのまだアメリカ占領下の沖縄の話で,戦争の傷跡がまだ残っています。沖縄は,アメリカ軍が上陸して大変な被害を受けました。本土は空襲や原爆でやられて,これはこれで悲劇なのですが,沖縄は,いまのウクライナと同様,敵が上陸してきたのです。日本の最前線になってくれた沖縄に降りかかった悲劇を,私たちは真剣に受け止める必要があるでしょう。本土復帰から50年の今年。515日は大切な日となります。ただ,沖縄の人(うちなんちゅう)は日本に復帰したかったのでしょうか。アメリカの統治下はいやだとしても,日本でよかったのか聞いてみたいところです。沖縄の人たちに対する私たちの複雑な気持ちは,琉球王国を薩摩藩が支配しようとしたところから始まり,いまなお米軍基地により苦しめられていることへの申し訳なさから来ているのです。2019年に焼失した首里城は,第2次世界大戦のときにも焼失していました。沖縄の人の魂ともいえる首里城は,戦火でいったん奪われていて,再びまた被害に見舞われたのです。早く再建してもらいたいです。「ちむどんどん」でも,戦火のことが,第2話で出てきていました。
 沖縄の悲劇的な歴史とそれとあまりにも不似合いな島の美しさと人々の優しさ,貧しいなかでも人としての心の豊かさを失っていないところなど,この朝ドラは,ちょうどロシアの侵攻によるウクライナ人の悲劇で心を痛めている私たちの心に何かを訴えかけるものになっている感じがします。もちろん,ドラマの本筋は,もっと明るいものでしょう。暢子役の女の子をはじめ俳優陣がとてもよいです(仲間由紀恵もお母さん役が似合う年齢になりました)。グルメの話も興味深いです。ラフテーも,沖縄そばも大好きです。今日は「いただきます」の由来もきちんと説明してくれていて,子どもたちの教育にもよいです。今後の展開が楽しみです。

2022年4月13日 (水)

解雇の金銭解決

 昨日の厚生労働省の研究会で,「解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的論点に関する検討会」の報告書がまとまったそうです。ずいぶん時間がかかりましたね。参加者には,私がよく知っている人もたくさんかかわっているので,悪口を言うのは控えたい気分ですが,私からすると,あまり意味のない検討会という評価になります。優秀な先生方の貴重な時間を奪ってしまい,もったいないという感じです。
 解雇の金銭解決を,労働者からの申立てのみに絞ることからして,本質からずれてしまっているのであり,間違った行き先のレールに乗っているから,どんなに頑張っても望ましい結果はでないでしょう。この検討会は,親会合のほうで,法技術的な議論になりがちだったから,まずは法学のほうでしっかり検討してくれということでタスクフォース的に始まったのでしょう。法技術的な問題は,法律家だけが集まると喜んで何時間でもやれますし,私たちのやっている研究会なども,そういう議論をよくやっています。しかし,法律の専門家以外の人が入ると,そういう議論はできるだけせずに,より大きな視点から相互に建設的な議論ができるようにする必要があるわけですが,解雇に関しては,そういう議論ができなかったから,法律家だけでやってくれという話になったのでしょう。国民はこの検討会の報告書の意義はよくわからないでしょうし,おそらく報道しているマスメディアもよくわからないまま,解雇に関するルールが変わりそうだから,たぶん大事なことだろうと思って報道しているのではないかと思います。
 私たちが提案しているのは,解雇の金銭解決は,使用者が完全補償をしなければ解雇できないという厳しい規制です。これを反対するのは,むしろ経営者側のほうであり,そこをどう連合が説得して妥協点を探るかという手順を踏んでいくのが,解雇規制をめぐる議論の行き詰まりをブレイクスルーする唯一の道です。そのためには,連合がまず私たちの提案している制度をよく理解してくれなければなりません。
 コロナ禍での補助金の大盤振る舞いが終わると,大リストラが起こるおそれがあります。そのとき現行法では,解雇が有効で,労働者には失業給付しかないということが起きてしまいます。私たちの提案している金銭解決は,企業にとって帰責性がない場合も含め,完全補償をしなければ解雇を有効としないので,こういう悲劇を避けることができるのです。もし労働組合側が,それでも,私たちの提案する金銭解決制度に反対するのであれば,その理由を知りたいところです(実現が難しいというのであれば,わからないわけではありませんが,本質的な反対理由にはなりませんよね。それを突破する政治力がないと言って白旗をあげているのと同じですから)。

2022年4月12日 (火)

ワクチン休暇

 今日から学部の授業も始まるはずでしたが,私が原因ではない事情があり,休講でした。それで補講はオンデマンドで行うことになり,あわてて動画を作り,配信しました。個人的には,オンライン授業は,対面授業とクオリティは変わらず,むしろ多数の受講生がいる大講義においては,どうせ授業はかなり一方通行にならざるをえないので,オンデマンドのほうが,意欲ある学生にはよく届き,復習もしやすいので良いと思っています。文部科学省がオンライン授業に消極的にみえるのは,理系とかをみているのかもしれませんが,少なくとも法学部の授業で,オンライン授業がダメな理由は明確ではありません。ちなみに社会人大学院生となると,仕事の都合で東京などに戻らざるを得ないというようなこともあり,そうなると単位取得に困るのですが,授業がオンラインで配信されていれば,その問題が解決するのです。こうした例からもわかるように,本気で教育機会を保障するということを考えるならば(例えば,北海道に住んでいる人で私の授業を聴講したいという(奇特な)人がいて,でも金銭的な事情で神戸に来れない人を想定せよ),むしろ大学はオンラインで授業を配信することこそ原則とすべきで,これにより台風があるから休講とか,そういうことも避けられるのです(もちろん,授業のなかには,どうしても対面でなければできないようなものは,とくに理系では多いでしょうが,それもまたARやメタバースの活用により克服できるかもしれません)。
 もう一つ気になるのは,やはりコロナですね。新規感染者は減っていません。対面型の大講義は密集を引き起こします。授業だから仕方がないという発想よりも,オンライン授業であれば避けられるという視点が必要かもしれません。それはさておき,現在のコロナ対策について,私も大竹文雄さんたちが言っているように,いまとなれば強い行動規制が必要とは思っていません。飲食店は最近ときどき行ってはいますが,そこで感染しそうな感じは全くないくらい,対策が行き届いています。もちろんいろんな飲食店があるから,一概に大丈夫とは言えませんが,国民の自主的な行動でかなりの予防ができるように思います。むしろ自主的な行動ができない子どもたちや,うまく防御態勢がとれない高齢者や病人のところこそ問題なのであり,それは経済行動の規制とは違うタイプの規制が必要だということですよね。ワクチン接種も気になります。原理主義的なワクチン反対派はさておき,副反応がいやでワクチン接種をいやがる人もいるわけで,その気持ちはわかるので(そうは言っても,私の場合,ワクチン3回目のときは,腕が腫れた程度で,結局,仕事には何も支障はありませんでしたので,副反応のつらさをほんとうにはわかっていないかもしれませんが),そこに何らかの対応をするということはあってよいと思います。ワクチン接種した人が,就業に著しく困難な場合には,休暇を保障するということをすればどうでしょうか。これは労働基準法67条の生理日の休暇にならったものですが,若者が感染源となっている事情があるのなら,機敏にピンポイントの対策をとってもらいたいです。社員に休暇をとられて困る中小企業に助成するというのとセットでもいいです(生理日の休暇は無給ですが,場合によっては政府が助成して賃金補償してもよいでしょう)。飲食店に営業規制をして,それで損失補填の補助金のようなものをつけるというコロナ対策よりも,よっぽど意味があると思いますが,どうでしょうかね。 

 

2022年4月11日 (月)

授業開始

 今日からLSの授業が始まりました。今学期も私はオンライン・リアルタイム型で授業を実施します(LSでは私のようなオンライン派は少数です)。労働法は,後期から始まり,前期が後半戦となりますので,2年生の受講者は前回とほとんど同じです。今日の初回は労働時間がテーマで,いつものように判例を手堅く学んでもらおうという気持ちで臨みましたが,ついつい理論的な話など,いろいろ脱線してしまいました。講演で2時間やるときよりも,ソクラティックメソッドの100分のほうが疲労度は大きいです。学生の答えに対応し,質問を変えていかなければならないなど,アドリブが必要だからです。何度やっていても,シーズン当初は慣れないところがあり,数回は学生と私の呼吸を合わせていくために時間をかける必要があります。ただ対面よりオンラインのほうが,その時間は短くてすむと感じています。
 ところで話は変わりますが,尚美学園大学の入学試験で,拙著『誰のためのテレワーク』(明石書店)が題材として使われました。著作権二次利用の許諾依頼が来たことで,そのことがわかりました。いままで新書では何度か入試問題に使われたことがありましたが,この本は初めてです。入試問題に使ってもらえるのは非常に嬉しいことです。同時に,穴埋め問題などが出されると,言葉をしっかり吟味して使う責任があるということを,改めて感じさせられて,ピリッとした気分にさせられます。

2022年4月10日 (日)

食糧確保―貿易と平和の重要性

 人類には性欲があり,セックスをすることを止められないが,それにより増える人口を支えるほどの食糧の生産性の向上は期待できず,貧困は不可避となる。
 近代経済学の父であるアダム・スミス(Adam Smith)とほぼ同時期に活躍したマルサス(Malthus)は,1798年に刊行された『人口論( An Essay on the Principle of Population)』で,このように唱えました。今日では,食糧生産性の向上により,マルサスの予想を克服できたといえるのですが,日本など先進国の一部で人口減少が進んでいるのは,人口増が人類の存続に脅威となることを直感した若者が,性欲という本能さえも抑制しつつあるのかもしれません。
 ところで,食糧生産に適した国もそうでない国もありますが,後者の国も貿易を通じて食糧を輸入することができます。そうして,世界中のどこにでも食糧を行き渡らせることができています。また,食糧を生産できても,他国より生産性の高い商品の生産に特化したほうがよいというのが,リカード(Ricardo)の比較優位論です。このためには国家間での自由な貿易が保障されなければなりません。
 ところが,今回,ウクライナの戦争で,世界有数の穀物輸出国であるウクライナからの輸入が滞って困っている国があるようです。世界では小麦を主食とする国が多いので,これは大きな問題でしょう。日本でもロシアとの貿易を止めようとする動きのなかで,食糧以外にもいろいろな輸入品が来なくなり,日本経済に大きな影響が出てきそうです。こういうこともあるので,自給率を上げたほうがよいという意見もあるのですが,これは非効率な面もあります。ほんとうは貿易によって,各国が比較優位となる商品の生産に特化したほうがよいのです。自給率の引上げはある程度は必要でしょうが,どのようにして日本が比較劣位だけれど必要という商品の輸入を確保できるかが大切です。確かにロシアや中国に頼るのは危険でしょう。とくに食糧品は生存に直結するので,食糧確保体制をどうするかというのは,とても重要です。
 サバンナの弱者であったホモ・サピエンスは,いかにして食料を確保するかということを考えて,知恵を絞って生き延びてきました。マルサスが悲観した貧困は,技術革新と並んで,リカードが唱えた自由貿易による国際分業によって回避できたかもしれません。しかし,戦争は,これを崩壊させてしまうのです。第2次世界大戦以降,世界中の人が忘れかけていた平和の有り難さを,いまいちど思い直す必要があります。経済安全保障というと,秘密漏えいやサイバーテロのような話が出てくるのですが,食糧やエネルギーをどこまで自給し,どこまで他国に頼るか,頼るとすればどこの国か,そしてリスクをどう分散するか,というようなこともまた,国民の経済的な面での安全保障という点で重要ではないかと思います。
 おそらく,このことは,これから食糧問題やエネルギー問題が国内で本格的に起きたときに,もっと注目されるようになるでしょう。

2022年4月 9日 (土)

村田は頑張った

 桜は葉桜となり,緑が目立ち始めて,シーズンがそろそろ終わろうとしています。来週から授業が始まるので,ゆっくり桜を観るのは明日が最後になりそうです。
 今日は,ボクシングの村田諒太とゴロフキン(Golovkin)の対戦を,Prime Video で観ました。伝説的なチャンピオンを相手に,村田はよく頑張ったと思いますが,相手が強すぎましたね。途中から手が出なくなりました。9回にセコンドからタオルが投入されたのも仕方ないです。日本は井上尚弥など比較的軽いクラス(バンタム級やスーパーフライ級など)には世界的な王者がいますが,ミドル級などの重いクラスとなると厳しいです。過去も村田以外は,竹原慎二がチャンピオンになっただけで,それ以上のクラスになると皆無です。それだけでも村田諒太はすごいといえます。
 ゴルフのマスターズは,松山英樹が2位で決勝ラウンドです。連覇が視野に入ってきました。連覇となると大変な偉業ですが,達成できるか楽しみです。
 大リーグの大谷翔平は,毎日が偉業という感じですが,もう少々のことでは驚かなくなりました。開幕投手で「1番ピッチャー」なんてことが,あの大リーグで起こるなんて,いったい誰が想像できたでしょうか。これだけでもう歴史に名が残ります。筒香は必死に頑張っていますね。なんとか成功してほしいです。鈴木誠也は活躍できそうですね。ダルビッシュやマエケンはすっかり大リーガーとして定着していますが,マエケンは今シーズンは肘の手術のリハビリとなりそうです。田中マー君は,もう大リーグに戻らないのでしょうかね。
 NPBでは,阪神タイガースが今日も広島にボロ負けで110敗となりました。もうやけくそで,どうせ負けるなら,徹底的に負けて,解体的出直しをして欲しい気持ちです。

2022年4月 8日 (金)

フードデリバリー配達員の就業環境整備に関するガイドライン

  日本フードデリバリーサービス協会が,329日にフードデリバリー配達員の就業環境整備に関するガイドラインを発表しました。私も同協会理事として,ガイドラインの策定のための委員会の委員長を務めました。なんとかガイドラインの発表にこぎつけることができて,とりあえずはホッとしています。事務局の方の超人的な努力で短期間にまとめることができました。私がこの協会に理事として参加したのは,フリーワーカー(自営的就労者)の就業環境の改善について,外部の意見を注入するという形で役に立てるのではないかと思ったからです。こういうガイドラインの策定は,初めは考えていなかったのですが,ガイドラインという形で自主規制をしていくことは良いことだと思っていました。
 私個人のギグワークについての見解は,昨年5月の日本経済新聞の経済教室で書いています。そこではフードデリバリーサービスのことを例に挙げて,そのサービスのもつ社会的価値を認めたうえで,事業者は法的に使用者であるかないか,配達員が労働者であるかないか,というようなことにかかわらず(もちろん司法や労働委員会の判断がでれば,それに従うのは当然のことですが),人間の労働力の利用に関わっていることには変わりないので,社会的責任として就業環境の整備をすることが必要だということを書いています。そうした努力をすることによって,業界の評判が高まり,事業の継続的な成長につながることになります。配達員,事業者,さらには飲食店や利用者などの四方良しとなることが目標です。具体的にどういうことをガイドラインに書き込むかは,この業界特有のいろいろな問題もあり,そこは事業者の判断にある程度よらざるをえないのですが,労働法,経済法(独禁法や下請法),デジタルプラットフォーム透明化法なども参考にしながら,就業に関する諸条件の透明性をできるだけ確保し,配達員のプラスとなるような情報提供は積極的に行うようにして,そこで引き続き働きたいと思ってもらえるような就業環境をつくることを念頭に置きました。そのためにも,事業者には,このガイドラインを守ろうという意識を強くもってもらうことが必要です。業界の自主規制ということで,どうしても事業者の都合のよいものになっているのではないかという懸念をもたれがちなので,そういうことにならないように,かなり意見を述べましたし,事業者側はよく対応してくれたと思っています。
 私は『人事労働法』においても,企業には良き経営をする経営上の動機があるはずであり,そこをうまくつついて誘導できるようにすれば,労働者にもプラスになると考えています。ハードロー的なあり方への疑問です。今回のガイドラインは雇用労働者ではなく,自営的就労者の問題であり,そうなるとこうした発想による誘導がいっそう適したものとなるでしょう。自主的な業界ガイドラインという手法がどこまで成功するかは,近年の規制手法のあり方をめぐる議論の高まりのなか,研究者としても注目すべきところです。

2022年4月 7日 (木)

名人戦始まる

 昨日から名人戦が始まりました。桜の季節といえば名人戦です。渡辺明名人に,斎藤慎太郎八段が挑戦しています。2年連続の挑戦は見事です。全勝で挑戦といきたかったのですが,最終戦で糸谷哲郎八段に敗れてしまい,勢いがつかなかったですね。昨年の名人戦はあまり力を出せなかったので,今年は頑張ってほしいところです。ただ渡辺名人は,関西勢には絶対的な強さを誇っているので,厳しい戦いが予想されます。斎藤八段の何となく人の良さそうなところが気になってしまいます。名人を獲るためには,もう少し鬼気迫るものをみせてほしい気はします。ということで,初戦はどうだったかというと,渡辺名人の快勝でした。来年は,A級に昇級した藤井竜王が挑戦者になる可能性が濃厚なので,藤井時代が来る前の最後の名人戦となるかもしれません。
 NHK杯は,豊島将之九段の初優勝となりました。羽生善治九段は準決勝まで頑張りましたが,豊島九段に敗れました。松尾歩八段は頑張りましたが,決勝は完敗でしたね。羽生九段は,棋士生活初めての負け越しのシーズンとなり,しかも勝率は3割台でした。つい最近まで生涯勝率で7割を超えていた羽生九段としては信じられない成績ですが,体調不良があるのか,それとも棋力が低下しているのでしょうか。50歳を超えると,いろんな面で力が衰えてくるのは仕方がないところで,そこにAIという経験的価値を駆逐するような武器が棋界を席巻しているので,さしもの羽生九段ですら,かなり苦しいかもしれません。今期は,フリークラス宣言をせずに,B1組で頑張るようですが,昇級候補に挙げることは難しいでしょう(佐々木勇気七段と千田翔太七段が昇級候補でしょうね)。

2022年4月 6日 (水)

真実告知義務

 阪神は昨日連敗を脱出したとはいえ,後半はまったく点がとれず,その悪い流れのまま,今日の試合に入ってしまいました。伊藤は力投して,打点もあげるなど孤軍奮闘しましたが,92死でつまずいてしまい,結局,12回にチームも力尽きました。抑えの投手が不足している弱みが出てしまいました。今シーズンの目標は,優勝などはとんでもなく,なんとか勝率5割を目指すことになりそうです。
 話は変わり,ビジネスガイドの最新号の「キーワードからみた労働法」は,「真実告知義務」というテーマで書いています。個人情報の適正取得やプライバシーなどが問題となっている今日,これは意外と難しい論点です。聞いてはいけないことを聞く方も聞く方だけれど,嘘をつくのもダメだよね,という従来の常識的な議論ではおさまらない話です。それに,真実告知義務には,もっと複雑な話もあって,言って欲しいことを言ってくれないという不作為は,どう評価すべきなのか,という論点もあります。
 ドリームエクスチェンジ事件・東京地判でも,この点に関連して,少し気になるところがあったので,採り上げて紹介しました。この事件では,バックグラウンド調査を人材サービス会社がきちんとやっていなかったことから,企業が前職での本人の地位を誤解してしまっていたということがあり,理論的には,企業が誤解していそうなことについて,労働者側は積極的に誤解をなくすよう真実を述べる義務があるか,という論点があります。なおこの事件は,このほかにも,採用内定取消の有効性,解雇無効とされた場合の賃金請求,中間収入の控除,訴えの利益などの重要論点について,いろいろ興味深い判断をしています。下級審判決とはいえ,検討に値するものだったので,神戸労働法研究会で,1月に千野弁護士に報告していただきました。

 

2022年4月 5日 (火)

 今年は桜を,長い期間,鑑賞できている気がします。強い風が吹かないでくれているからでしょう。自宅の周りに,満開の桜を観られるところが多いことも,いままではあまり意識したことがありませんでした。桜を意識し,毎日桜を鑑賞しても飽きないという心境になったのは,年齢のせいでしょうか。ウクライナでの戦争という,おぞましい出来事が起きているなか,呑気に桜を観ていてよいのかという気もしますが,明日何が起こるかわらかない世界に生きているという感覚が,桜の刹那的な美に気持ちを向かわせているのかもしれません。
 毎日,寝るときには,今日と同じように明日が来たらよいなと願い,同時に昨日と同じように今日を過ごせたことを感謝しています。日中は,目の前に与えられている仕事を淡々とこなしていくのですが,幸い,私の仕事(研究)は,未来のことを考えるものが多く含まれています(そういう研究テーマを選択しているのですが)。そういう仕事をしているときには現実から遠く離れることになるのですが,でもそこで考えている未来のことなど,戦争や地震などがあれば,たちまち崩れてしまいかねないということも自覚しています。平和でなければ,あらゆる未来のシナリオは無に帰します。ただ,平和を最優先に考えたとき,いったい私(たち)に何ができるのでしょうか。たとえばPutinにどう働きかけることができるでしょうか。その無力感は,逆に自分の日々の生活の小さな幸せに意識を向かわせます。
 イタリアの友人の労働法学者Maurizioからのメールのなかで,コロナ禍で人生観が変わったということが書かれていました。彼の住むMilanoは,新型コロナウイルスが欧州中に広がる拠点となったと言われているところで,多くの人が亡くなっています。メールの内容は,これまでの人生はいろいろ苦労も多かったが,今後は自分の人生をもっと大切にしようというものでした。私は彼ほど苦労はしていないと思いますが,ほぼ同世代の彼が考えていることは,なんとなくわかる気がします。私たちは労働法というものを職業にしているので,ワーク(仕事・労働)とはどういうものなのか,それについて法律家として,あるいは一人の人間としてどういうことができるかを,もう一度ゼロから考え直して,しっかり発信していきたいと思っています。
 そんなことを考えながら,明日もまた桜を鑑賞できたらと願っています。

2022年4月 4日 (月)

山本陽大編『現代ドイツ労働法令集』

 山本陽大編著,井川志郎・植村新・榊原嘉明著の『現代ドイツ労働法令集』(独立行政法人労働政策研究・研修機構)をいただきました。どうもありがとうございました。大変助かります。
 一応むかしはドイツ語をかじっていたので,とりあえずドイツ法の文献などを読むときには原語であたることにしていますが,いつも読んでいるわけではないので,ときたま読むとなると,かなりしんどいです。最近では,ドイツ語にかぎらず,外国語文献は,昔ほど読む機会はなく,たまに読む必要があるときは,デジタル化されているものは,DeepLでとりあえずの訳を確認したあとで,原文を読むということが増えてきています。もちろん学生には,もし聞かれればDeepLなどに頼るなと言ってしまいそうですが,AIの発達がある以上,できるだけAIを利用すべきという日頃の主張からすると,今日のDeepLの精度であれば,これをむしろ活用しない手はないと言うべきなのかもしれません。もちろん,研究者がその外国法の専門家となるためには,教科書や論文は原語を一つひとつあたって,しっかり読み込む必要があるのは言うまでもありません。ただ,そのときに,法令については,いちいち読み込むのが大変なので,本書のような本があると,ほんとうに助かります。研究者以外の実務家にとっても,法令の信頼できる翻訳書があることが有り難いのは言うまでもありません。しかも本書では,各法律の最初に解説までついています。ドイツ法は,なんだかんだ言って,日本の労働法において最も重要な意味をもつ外国法の一つです。
 地味ではありますが,こういう法令集を刊行したことは,JILPTの大きな業績として誇れると思います。できれば他国についても,こういう法令集を出してほしいところですが,法令の翻訳は,相当な実力と根気と勇気(間違いがあればすぐにわかってしまうから)がなければできないので,おそらくドイツ以外では無理でしょうね。本書の唯一の欠点は,字が小さくて,老眼にはつらいところですが,本書の基となるJILPTの資料シリーズ(資料シリーズNo.225「現代ドイツ労働法令集Ⅰ―個別的労働関係法」|労働政策研究・研修機構(JILPT)資料シリーズNo.238「現代ドイツ労働法令集Ⅱ―集団的労使関係法、非正規雇用法、国際労働私法、家内労働法」|労働政策研究・研修機構(JILPT))はネットでみることができ,パソコンなら字を拡大できるので問題はありません。

2022年4月 3日 (日)

悲劇の阪神(プロ野球)とイタリア(サーカーW杯)

 関西以外の人は,大阪と兵庫は仲良しと勘違いして,選抜高校野球で大阪桐蔭が優勝したから私も喜んでいると思っている人がいる(?)かもしれませんが,それは間違いです。いまは知事同士も維新系で仲良しかもしれませんが,井戸さんの時代は吉村知事と仲が悪かったです。まあ知事はどうでもよいのですが,大阪桐蔭が優勝しても関心がなく,むしろ東洋大姫路が初戦で負けたほうがショックでした。そしてプロ野球は阪神タイガースです。もともと大阪タイガースで,この巨人3連戦では,「OSAKA」と書かれたユニフォームでした。私にとっては,阪神タイガースは,兵庫県西宮市にある甲子園球場が本拠地の兵庫県の球団です。それはさておき,巨人戦は3連敗で,開幕から白星なしの9連敗というセリーグワースト記録を作ってしまいました。巨人戦は完全に力負けです。鈴木誠也がいなくなった広島に,広島キラーのエース級を3人投入して3連敗してしまったことから,完全に調子が狂ってしまいました。オープン戦はまずまずだったので,この崩れ方をみると,やはり監督が今年最後とか余計なことを言ったことが原因なのかもしれませんね。それにまだDNAと中日とは戦っていませんが,他球団は戦力アップしてきています。阪神は昨年とほとんど戦力が変わらず,むしろスアレスがいないだけ戦力ダウンです。それに期待ができないロハスJRなどを相変わらず使っています。糸井が開幕から頑張っていますが,それだけ若手選手が出てきていない証拠であり,ある程度,計算ができるのは近本,糸原,大山あたりで,サトテルは昨年前半のように爆発するかは予測できず,中野も昨年以上の活躍ができるかわからず,唯一可能性があるのは,藤浪の復調ですが,開幕戦で確実であった勝利が逃げてしまい,運にも見放されました。さすがに今週は初勝利をあげることができるでしょうが,それまで矢野監督がもつか心配です。
 先週はワールドカップの抽選会がありましたが,昨年夏のEUROのチャンピオンであったイタリアがいませんでした。予選は無敗でしたが,引き分けの数が多くて勝ち点でスイスに次ぐ2位となり,プレーオフに回り,初戦で北マケドニアに負けてしまい,敗退となりました。予選でスイスと2戦とも引き分けたのはともかく,北アイルランドとブルガリアと引き分けてしまったのが痛かったです。北マケドニアとは耳慣れない国で,いったいどこかと思って調べてみたらマケドニアのことでした。マケドニアは,ギリシャとの間で,国名でもめていて,2019年に北マケドニアという名称に変わったそうです。その北マケドニアも,イタリアには勝ったものの,プレーオフ決勝でポルトガルに敗れてワールドカップ出場を逃しました。アジアだけをみていたら,結構,厳しい予選だと思ってしまいますが,それは日本がまだ弱いからで,欧州の厳しさは想像を絶しますね。イランが核問題で出場資格を剥奪されると,FIFAランキングで6位のイタリアの出場可能性があるという噂もありますが,イランが出られなければ,アジアから同じ組の繰り上がりでUAEとなるか,あるいはアジアプレーオフで勝うUAEとオーストラリアの勝ったほうが,大陸間プレーオフで勝たなくても出場となるという可能性のほうが高そうな気がします。サッカーファン的には,イランが出なくなれば,やはりイタリアに出て欲しいという人が多いでしょうが。
 そんな欧州での強豪国で優勝経験のあるスペインとドイツと同じ組に入ってしまった日本は,実力的には,おそらく誰も予選突破できるとは思っていないでしょうが,何か劇的なことが起きればよいなという気持ちではあります。

2022年4月 2日 (土)

循環経済

 サーキュラーエコノミー(Circular Economy)は,Wikipediaによると,「製品,素材,資源の価値を可能な限り長く保全・維持し,廃棄物の発生を最小限化する経済システム」と定義されています。近年では「○○経済」という言葉が次々と出てきていますが,これからの経済活動は,基本的には,地球の持続可能性や環境保護を目的とするものでなければならず,その意味でも「循環経済」はとても重要なものだと思っています。
 GAFAのなかでは,製造業に最も深く関係しているAppleは,すでに「2030年までにサプライチェーンの 100%カーボンニュートラル達成する」と発表しており,さらに2021年の年次株主総会で,「将来,すべての製品と容器包装に100%再生可能なリサイクル材を使用する」ことを発表しています。その具体的な内容は,例えば「設計」段階では,製品に使用する素材とエネルギーを見直す低炭素設計をし,「調達」段階でも,素材分析をとおして,リサイクル材または再生可能な素材への転換が有効である素材を優先したり,プラスチックの排除・再生材の増加・容器包装全体の削減に取り組んだりし,また2017年以降は,紙と容器包装の木材繊維はすべてリサイクルまたは責任ある供給源から調達し,バージン繊維が必要な場合は、責任をもって管理された森林から木材を調達するとしています。「回収」段階では,素材再生方法の最適化・分解方法の改善・次世代の再生技術の研究開発推進に重点を置いた研究をし,また独自開発した分解ロボットDaisyにより,多くの素材を高い品質で回収し,またロボットDaveにより,分解された部品やスクラップに含まれる希土類元素・鋼・タングステンを効率よく回収しているとし,さらに,使い終わったデバイスが下取りに出されやすいように,新デバイスを割引価格で購入したり,下取り額分を商品券で受け取ったりできるようにし,下取り条件を満たさない場合でも,無料でリサイクルするとしています(https://cehub.jp/news/apple-recycled-renewable-material/)。たいへん意欲的な取組みであり,これはAppleのブランドイメージを高めていることでしょう。
 投資家たちは,ESG投資で,環境問題に取り組む企業を選別しています。Appleなどのように環境問題に取り組まなければ,企業は生き残っていけない時代です。私たちも,企業のGX(グリーントランスフォーメーション)をしっかりモニタリングしていく必要があるでしょう。株式投資の選別だけでなく,商品の購入などもそうです。
 甥や姪におもちゃを買ってあげるときも,リサイクルまでしっかり面倒をみてくれるような会社の商品を選びたいと思っています(ちなみにベネッセは,「こどもちゃれんじ」の玩具教材の回収をしているとHPで出していますが,よくみるとコンサート会場での回収のようです。そこに行かなければ回収できないようでは不便です)。とはいえ,最近の子どもたちは,あまりモノを欲しがりません。「カキン」が欲しいというので,それが何かと聞けばゲームの「課金」だそうで,そういうものは欲しがりますが(ゲーム嫌いの私はプレゼントしません),むしろ「モノ」よりも「コト」で満足することが多いようです。例えば,ちょっと大人の気分を味わえるようなスペシャルなレストランに連れて行ってあげるといったことです。「モノ」から「コト」への移行は,大人が思っている以上に子どもたちには浸透しているのかもしれません。それはすでに「モノ」に満たされているからかもしれません。それに「コト」だから何でもよいとは言えません(コトでも環境に悪いことはあります)。
 とはいえ,「モノ」へのこだわりが弱まっていること自体は,肯定的にみることができないでしょうか。「モノ」を捨てるのは悪いことで,いったん買った以上は徹底的に使う,捨てなければならないような「モノ」は買わない,あるいはリサイクルまできちんと面倒をみてくれる「モノ」を買う,さらには,一時的なニーズであれば,できるだけレンタルですますというような意識が大切でしょう。「モノ」に満たされている子どもたちだからこそ,かえってそういう環境教育をしやすいのではないかと思います。企業も,こういう意識変化に対応したビジネス戦略を立てていかなければならないでしょう。

2022年4月 1日 (金)

亀の前事件

 NHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」は毎回欠かさず観ています。前回はあの「亀の前事件」でした。源義経は,日本史のなかでも悲劇のヒーローとして最も人気のある武士でしょうが,今回は彼が悪役で,兄の頼朝が肉親である義経を殺すに至る「必然性」を根拠づけるエピソードをいくつもそろえて伏線を張っているようです。亀の前事件にも義経が関係しているというのが,三谷さんが採用したストーリーです(びっくり仰天の珍説でしょうが)。
 政子が頼家出産のために留守にしている間に,亀との浮気を続ける頼朝に対して,父の後妻のりくが政子に対して「後妻(うわなり)打ち」なるものを提案します。頼朝は政子と離婚したわけではありませんから,亀は後妻ではなく,政子も前妻ではないのですが,愛人への嫉妬から愛人の家を打ち壊すことも,このように呼んだようです。
 りくは,政子(いちおう義理の娘)の地位が上がっていくことに嫉妬しており,わざと亀の存在を政子の耳に入れて,政子をいきり立たせるのですが,それは政子に対する嫌がらせでもありました。政子が「後妻打ち」で頼朝との関係が悪くなると,自分の夫である北条時政がトップにいる北条家にチャンスが来ると思っていたのかもしれません。しかし,りくも「後妻打ち」を面白がっていた程度で,これが大事になることは望んでいませんでした。政子も亀と頼朝を威嚇すれば十分なので,りくの提案のように亀が囲われていた館を少し壊すだけでよいと考えていました。そして,その役目をりくの兄である牧宗親に託します。政子の弟の義時は,政子が亀を襲わせるのではないかと心配して,義経に亀が隠れている館の見張りをするよう頼みます。ところが,あろうことか義経は,この館に火をつけてしまうのです。政子びいきの義経が,政子の心中を忖度して勝手な行動をしたということでしょうが,政子もそこまでになるとは予想していませんでしたし,望んでもいませんでした。頼朝に呼び出された牧宗親と義経ですが,原因をつくったのが頼朝の浮気であったわけですから,厳しいことは言えなさそうです。頼朝は,義経には謹慎を命じるにとどめたのですが,牧宗親は髻を切られてしまいます。この髻を切るというのが,どれだけのことなのかよくわからないのですが,これは武士にとっては最大の恥辱であり,死罪に次ぐような重罰のようです(大河では,その説明はありませんでした)。兄が辱めを受けたりくは,この仕打ちに黙っていませんでした。頼朝のところに乗り込んできて,さらに政子も加勢して,関東の最高権力者である頼朝の非を責めます。このあたりが近年の大河におけるフェミニズム的な要素が現れていて面白いところで,私は好感をもって観ていました。
 亀の前事件は,原因を作ったのは頼朝。でも事を大きくするきっかけをつくったのは,りくであり,政子はそれに乗せられ,さらに義経はそれに輪をかけて乗ってしまい,その途中で義時の誤算があったというストーリーでした。
 まだドラマは始まって3カ月ですが,ここまでのところでも,典型的な弟キャラで軟弱な感じの義時,権力者に上り詰めるが,どこか憎めない頼朝,北条家の頭領ながらどこか頼りない時政,そして血気盛んでぶっとんでいる義経という男性陣と,政子,りく,八重(頼朝の元愛人),実衣(阿波局。政子の妹で義時の姉)という女性陣のしっかりぶりが対照的で,史実には基づいているのでしょうが,わからないことも多いであろう鎌倉時代の話を,うまいキャラ設定をして補っているので,現代劇のドラマと同じような感覚で観ることができます(俳優が頑張っています)。歴史好きがどう評価するかわかりませんが,面白ければよいという観点からは,成功しているでしょう。主役は義時なので,今後,彼がどのように大出世を遂げていくかが楽しみです。

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