教育の目的
昨日の話の続きです。自分自身の「優勝」をめざすという話です。
私自身を振り返っても,若いときには競争社会に巻き込まれていました。そもそも小学校に入学したときから,成績をつけられて,競争せよと言われていたわけです。試験で良い点をとるのは,自分にとっての満足感があるし,親も喜ぶし,周りの人からは尊敬されるし,良いことばかりです。そして,知らぬうちに,良い点を取れない人に対して優越感をもつようになります。しかし例えば私が小学校4年生で到達したことを,誰かが5年生でようやく到達できたとして,その1年の差は大人になったときに,どれだけの違いを生むのでしょうか。50歳くらいになると,無視しえる程度の差でしょう。
まえにこのブログで,教育における修得主義と履修主義のことを書いたことがあります。修得主義で行こうということです。修得主義を徹底させて,早く進める人はどんどん進んでもらい,そうでない人はゆっくり進んでもらうというのでよいのです。そういうことになると,教師は対応がたいへんとなりそうですが,それを回避するために,AIを使うのです。アダプティブラーニングです。いつも書いている話ですが,いまこの話が重要と思うのは,教師の労働時間が問題となっているからです。
NHKの番組でも,この問題は採り上げられていました。このままでは教師のなり手がいなくなる危険があります。学校側が労働時間の規制を遵守するのは当然ですが,問題の根幹は,医師の場合と同様に,業務量の多さにあります。これを解決しなければどうしようもありません。教師の仕事をできるだけ軽減し,本来の知的労働中心のものに変えるためには,デジタル技術の活用は不可欠です。介護労働なども同じですが,今後はデジタル技術を活用して業務軽減ができない職場には誰も来なくなるでしょう。アナログ職場の教育現場には良い人材は来なくなります。そうすると教師の質は下がり,意識が高く裕福な家庭は,デジタル対応ができて職場環境が良く優秀な先生が集まってくる一部の学校に子どもを行かせるようになり,教育格差が生まれます。働き方のデジタル対応は,待ったなしの課題です。
もちろん,より重要なのは,教育内容です。実は修得主義だけでは不十分なのです。これもNHKの番組で,山中伸弥先生が,「VW」の重要性を語っておられました。「VW」は「Vision +Work hard」の略です。「Work hard」のメッセージは多少気を付けなければなりませんが,日本人には(幸い?)あまり難しいことではありません。問題は「Vision」です。山中先生にとっては,これは研究における「Vision」なのですが,人生における「Vision」に置き換えることもできます。私は人生のVisionは「社会課題の解決のための貢献」に置き換えることができると思っています。その貢献の仕方は,個人の特性に応じて変わってしかるべきです。教育の目的とは,子どもたちが,どのような方法で,自分なりに社会課題の解決に貢献できるかを探すことの手助けをすることなのです。山中先生の場合は,生命の謎にせまり,いま治すことができない病気も治せるようにすること,というVisionを,30歳くらいのときに見つけたと言われていました。「社会課題の解決のための貢献」というのは大きすぎるVisionなので,それをこのように具体的なVisionにして明確化することが必要です。
この意味の具体的なVisionレベルの探索についてまで,アダプティブラーニングに採り入れていくことが,これからの教育に求められています。教員の問題は,こういう新たな教育に携わることができる人をいかにして探し(あるいは育成し),そうした人に,いかにして意欲をもって教育を取り組んでもらえるかということにあります。教育政策から,教員の人事管理まで,多様な問題がそこには横たわっています。業務量が増えるかもしれませんが,業務の質は大きく変わります。おそらくここでもデジタル技術の活用が重要なポイントとなることでしょう。