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2022年3月14日 (月)

ゼロ歳児の本音 

 先月のいつか忘れましたが,日本経済新聞での記事のなかで,ユニセフが日本の育児休業制度を世界一と評価しているということが出ていたので,ほんとうかなと思って,少しググってみると,たしかに,それに近いことを書いているサイトに行きつきました。父親の育児休業制度の充実ぶりを指していたのですね。ところが実際には父親の育児休業の取得は進んでいないので,制度があっても意味がありません。もう10年以上前でしょうか,私のところにいた社会人院生も,男性の育児休業というテーマで論文を書いており,その際にいろいろ議論しましたが,男性の育児休業促進というものを,従来型の法制度を前提としてやろうとしても,なかなか良いアイデアが出てきませんでした。現在の政策は,権利を与えればそれでよく,あとはその権利を周知し,それでもダメなら雇用主に権利取得を推奨させればよいという感じですが,そういうことではなかなか現状は変わりません。年次有給休暇(年休)の例からもわかるように,有給の年休ですら,半分も権利取得しない国です。無給(正確には雇用保険から100%ではないにせよ給付金はもらえますが)の育児休業をどうして取得するでしょうか。しかも育児休業の理想は1年です。強制的な産後休業からそのまま移行できる女性とは違い,年休すらなかなかとろうとしない男性が,育児休業を長期的に取得するなど考えにくいわけです。せいぜい数日とるとか,その程度ですが,それでは育児休業の本来の使われ方からは遠いものです。
 ところで,育児休業制度の世界一を言う前に,おそらく日本は年休制度も世界一である可能性があります。労働者が年休日数(継続勤務年数によりますが最大20日)を個人のイニシアティブでとれる国なんて日本以外にはほとんどないと思われます。外国人からみると,権利があれば,行使されると思うのでしょうが,そういうことにならないのが日本人なのです。権利を付与するだけではダメなのです。育児休業ではその誤りを繰り返しているのかもしれません。
 人事労働法の発想は,年休にしろ,育休にしろ,それを取得させることにより生産性が上がる可能性が高く企業にも利益となるので,そこをうまく「つつく」と企業は行動を変える可能性がある(たとえば,年休や育休をより取得しやすい就労環境を積極的に企業が用意するなど),というものです。そうした法制度設計をしていくと,男性の育児休業取得も進むでしょう。
 ところで育児休業制度の目的は何でしょうか。もともとは女性労働者が出産しても辞めずに就業を継続できるようにするということにあったと思います。しかし,視点を子ども目線に変えることも,あってよいかもしれません。子どもにしてみれば,もし両親がいるのであれば,両親によって在宅で育ててもらえるほうが,いろいろな面で安心でしょう。人間の子は,赤ちゃんのときにとくに手がかかりますから,ゼロ歳児の声をもし代弁できるとすれば,「お父さん,お母さん,働かないで,私の面倒をみて」ということかもしれません。生活のために働かなければならないということもあるかもしれませんが,そこは国や自治体の出番でしょう(金銭的なサポート)。親のなかには,金銭的な面に関係なく,働き続けたいという人もいるかもしれませんが,そのときでも,子どものために育児をすすめるというのが,もし子ども目線に立った育児政策を考えるなら出てくる話ではないかと思います。そうすると,どういうことになるかというと,子どもが1歳になるまでは,親は就労をしてはならないというような法制度が考えられるのであり,もちろんこれは大反対を受けるでしょうが,妥協点としては,テレワークだけ認めるというところでしょうかね。
 環境政策を考えるとき,将来の環境の影響を受ける未来の世代の子どもの利益をどう代弁するかという視点が重要です。でも,まだ未来の子はこの世にいない以上,その子の立場にたって想像力を働かせながら誰かが発言するしかありません。ゼロ歳児はすでにこの世にいますが,意見表明はできません。そして大きくなったときには,普通はゼロ歳児の気持ちのことを忘れているでしょう。だから,ゼロ歳児の立場にたって想像力を働かせながら誰かが発言するしかありません。せっかく「こども家庭庁」なるものをつくったのですから,ゼロ歳児の立場にたって政策を考えてみればどうかと思います。
 もちろん,この提言は両親を育児にしばりつけることに主眼があるのではありません。祖父母や親類や地域で育てられる環境があれば,それでもよいと思います。ゼロ歳児はそれでも満足するかもしれません。また虐待という問題がありうるので,両親から子どもを取り上げることも場合によっては必要です。
 ただ,子どもをもった以上,親は,仕事より育児のほうに高いプライオリティがあるということを法制度面でも「原則」として据えたほうがよいのではないか,ということです。そのうえで,いろいろと例外を考えていけばよいのです。これが極論に思えるとすれば,それは仕事が人生の中心という考え方にマインドコントロールされているのではないかと疑ったほうがよいでしょう。

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