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2022年3月の記事

2022年3月31日 (木)

『研究開発部門の新しい“働き方改革”の進め方』

 技術情報協会から今日刊行された『研究開発部門の新しい“働き方改革”の進め方』のなかに拙稿が掲載されています。執筆者は60名という大人数で,原稿が集まるのだろうかと思っていましたが,見事に集まったようですね(私は,この協会からの同種の本の執筆は2回目です)。私の原稿は,「テレワークという働き方がもたらすもの~デジタル変革のインパクトと働き方改革」というもので,既存のものに加筆修正を加えたものでよいということでしたので,昨年に学士会会報に寄稿したものが,あまり一般の人が目にすることがないであろうと思い,これに手を加えたものを寄稿しました。とはいえ,この本は高額で一般の人が目にする機会がどれだけあるかは何ともいえません。実務家の方には役立つ部分が多い盛りだくさんの内容なので,それを考えると決して高いものではないと思いますが。
 このほかにも,いま,DXやテレワーク関係の原稿を数本抱えています。読者層を考えながら,わずかでも違う角度から論じようとしていますし,新しい論点も少しずつ追加していっています。この関係のテーマで依頼が来始めてからかなり経ちますが,いつまでブームは続くでしょうかね。
 実は今日締め切りの原稿もありました。しっかり準備はしてきたのですが,ちょっと自分なりに納得できていないところがあったので,1週間締め切りを延長してもらいました。原稿の締め切り直前の追い込みのときに,何かがひらめいて,内容を追加したり,構成をがらっと変えたりしたくなることがときどき起こります。書く内容の基本はほとんど変わりないのですが,それでも全く違う趣の原稿に変わることがあります。読者にはあまり伝わらないようなことかもしれないのですが,本人には大きな変化で,それが気になり始めると,どうしても締め切りを延ばしてくださいということになってしまいます。出版社は優しく受け入れてくれますが,締め切りを守れないというのは,自身の能力のなさの証しであり,恥ずかしいことだと思っています(定期刊行の雑誌では,そういうことはしたことがないですが)。

 

2022年3月30日 (水)

第80期順位戦

 前に順位戦のことを書いたとき,藤井聡太竜王(五冠)をベテランも止めることができていないと書きましたが,実は今期順位戦は,ベテランが頑張ったクラスもありました。最も下のクラスであるC2組は,四段になったばかりのバリバリの若手棋士が入ってくると同時に,ピークを過ぎてどんどん降級してきた棋士もいて,総当たり戦ではないので,こうした力が落ちてきたベテランとの対局が多い若手は昇級しやすいことになります。それでもC2組は,実力がある人は必ず昇級して抜け出していると言ってよいので,対局相手の運だけで決まるものではないのですが。
 今期のC2組は,最終局でプチドラマがありました。すでにそこまで全勝で昇級を決めているのは西田拓也五段です。昇級枠は3人です。最終局前の段階で,1敗の棋士は3名いました。しかし,そのうち渡辺和史四段と伊藤匠四段は,順位の関係から最終局で負け,2敗で追っている順位が上の棋士が勝てば昇級を逃す可能性がありました。一方,1敗のうち順位が高い服部慎一郎四段は昇級する可能性が高い状況にありました。打倒藤井の一番手になるかもしれない藤井竜王と同じ年の伊藤四段は,今期が順位戦1期目で順位が低いため,上位の服部四段と渡辺四段(どちらも順位戦2期目)が勝てば昇級できないところでした。ところが,結果は,服部四段が敗れ,渡辺四段と伊藤四段が勝ちました。服部四段は悔しい次点となりました。デビューから二期連続82敗の好成績でしたが,昇級できませんでした。最終局の遠山雄亮六段は,難敵ではなかったはずですが,勝てなかったです。一方,伊藤四段は幸運でした。服部四段も伊藤四段も,その時点で今期の勝数と勝率は藤井竜王(五冠)に次いで,2位と3位につけていて,勝ちまくっていたのですが,最後の最後で明暗が分かれてしまいました。ただ,服部四段は,叡王戦では決勝進出を決めており,出口若武五段との間で,藤井叡王への挑戦をかけて戦うことになっています。叡王戦はとてもフレッシュな戦いになりそうです。
 C1組もちょっとしたドラマがありました。まずラス前に,及川拓馬七段が昇級を決めていました。このときのことは,女流棋士の妻である上田初美さんが文春オンラインで書いていますので,ご覧になってください(「勝ちました!」夫がB級2組への昇級を決めたときの舞台裏 | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンライン (bunshun.jp))。残りの昇級枠は2人です。大橋貴洸六段は81敗で勝てば昇級ですが,負ければ順位の関係で危ないです。このほかに昇級の可能性があったのが,2敗の飯島栄治八段と高橋道雄九段です。高橋九段は名人挑戦経験もあり,タイトル獲得5期で,A級にも長くいた61歳の大棋士です。個人的には,彼に昇級してもらいたい気持ちでいました。順位の関係で,高橋九段の昇級条件は,自身が勝って,大橋六段か飯島八段のどちらかが負けることでした。大橋六段の相手は,前局で高橋九段が破っている宮本広志五段で,大橋六段の勝利が濃厚でした。一方,飯島八段は,佐藤和俊七段が相手でした。佐藤七段は順位戦では低迷していますが,竜王戦は最上級の1組にいる実力派です(来期は2組に降級が決まってしまいましたが)。実際,飯島八段は佐藤七段に先に敗れてしまいました。あとは高橋九段が勝てば昇級でした。高橋九段の相手は,51歳の先崎学九段です。若手実力派が多いC1組のなかでは,勝ちやすい相手だったはずです。実際,先崎八段は36敗という,ぱっとしない成績で最終局を迎えていました。しかし先崎九段は,しゃれたエッセイや名解説だけでなく,A級経験もある実力棋士です。最後に維持をみせました。自分より年長者が昇級することは,耐えられなかったのでしょう。結局,先崎九段が勝って,高橋九段は昇級を逃し,飯島八段が昇級しました。飯島八段は地獄から天国に舞い戻ったような気分だったでしょう。もし高橋九段が昇級していれば,ひょっとしたらC1組からB2組への昇級の最高齢記録であったかもしれません(しっかり調べたわけではありませんが)。それだけ50歳を超えてからの昇級は大変です。今期は51歳の丸山忠久九段がB2組からB1組に昇級しており,これも大変なことですが,クラスが下のほうが,自分の力も落ちてきているので,昇級は大変といえるでしょう。
 順位戦には毎年ドラマがあります。

 

2022年3月29日 (火)

意欲ある役人に任せよ

 328日の日本経済新聞の社説では,「こども家庭庁は本来の役割を果たせるか」というタイトルで,現在の子ども政策について厳しいコメントがされていました。幼保一元化が進まないのは,幼稚園行政の権限を手放さない文科省が悪いという書きぶりでした。長年議論されていながら,なかなか出口がみえない幼保一元化について,一度わかりやすく論点を整理して国民に示してもらえればと思います。たんに官庁の縄張り争いというだけでもないようです。
 ただ,いずれにせよ,幼稚園と保育所が異なる制度として併存していることがわかりにくいのは確かです。子どもと家庭のためにどういう政策が望ましいのか,そのためにはどういう仕組みが必要なのか,という逆算方式で考えてもらたいものです。
 これからは従来の官庁の縄張りをまたがる問題がどんどん出てくることでしょう。労働の場面でいうと,フリーワーカー(フリーランスなどの自営的就労者)の扱いが,厚生労働省と経済産業省にまたがっており,さらにテレワークとなると総務省も関係し,業界規制という観点から,業種によっては農林省や国土交通省なども関係してくるというように,担当官庁が錯綜してしまっています。内閣府が,それを統合するということになるのでしょうが,内閣府自身もそもそも混成部隊で,出身官庁からどこまで独立して仕事ができるかよくわかりません。
 私は,政府が決めたプロジェクトごとに,省庁の枠を超えて意欲と能力のある官僚を集めて,出身省庁から独立して活動してできるTask forceを作り,そこで法案を練り上げて,直接,国会に提出するというようなことをやってもらえればと思っています。若手官僚は,政策のことをやりたくて役所に入ったはずです。できるだけ若くて柔軟で体力も気力もあるうちに,政策にタッチさせてやってもらいたいです。出身省庁から独立して(つまり省益ではなく,真の意味での国民の利益を考えて)活動しても,出世に役立たないから本気でやらないだろうという声もありそうですが,出世などを気にせずにやる気を見せてくれる官僚はきっといると信じています。それに官僚も今後は長く働くつもりはなく,中途で退職して次のキャリアを展開しようとする人が増えていくと思います。そうなると組織は流動化し,中途で辞めていく人がいても,また良い人材が入ってくるという好循環が起こるでしょう。
 それともう一つ指摘したいのは,役所の会合は,私が知るかぎり,役人は事務局で,委員には有識者というような編成が多く,その委員の名前はだいたい同じになります。役人は裏方に回り,自ら腕をふるえない以上,自分たちが使いやすい委員を選任する必要があるので,どうしても候補者はかぎられてくるのです。たとえば労働政策でいえば,バリバリのプロレーバーは選ばれないわけです。しかし,役人が自らチームをつくって委員となっていれば,外部の意見は,いわば「参考意見」として,いろんなタイプのものを聞くことができ,それだけ視野が広がって良い政策立案ができるはずです。とくに落としどころが決まっていない課題には,多様な意見を集めることが必要です。難題に直面して必死に解決を模索しながら,政策をつくりあげる場が官庁であるということになってほしいものです。そうなると研究者志望でも,政策志向があれば,官庁に入ってみようかという気になるかもしれません。
 こども家庭庁のような新しい組織に対しては,とくに子育て世代の若い役人のなかで,自ら腕をふるってみたいと思っている人が多いと想像しています。新しい官庁が,省益を考えず,国民そして自分たちのこどものために何ができるかを真摯に考えてくれる役人が叡智を結集できる場となってほしいと心から願っています。

2022年3月28日 (月)

在原業平

 在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は,もし桜がなければ,桜が咲くのを待ち遠しく思ったり,桜が散るのを惜しんだりすることなく,穏やかにすごすことができるのに,という気持ちを読んだ句です。桜はそれほど素晴らしいということです。この句の「桜」と「春」は,いろんな言葉に置き換えることができるしょう。
 業平は「伊勢物語」の主人公でプレイボーイと言われていた人ですが,私にはそれとは違った意味で身近な存在です。というのは芦屋の父の家に向かう途中に「業平橋」というところがあり,その名がついているバス停で降車することがよくあるからです。業平は芦屋に住んでいたと言われているそうです。業平橋は芦屋川を横切る西国街道にかかっている橋で,阪急芦屋川駅までは歩いて10分弱くらいのところです。
 ところで,その父に,かつてスマートフォン(スマホ)を買ってプレゼントしていたのですが,いまは解約して固定電話に戻してしまいました。スマホのころはLineに加入していて妹たちも含めた家族の連絡用にしていたのですが,父は自分に来たわけではない家族間のメールのやりとりが積み重なっていって,話についていけなくなるのがいやだったようです。また通信環境が必ずしもよくなく,スマホで会話するのが大変であったということもあったようです。これはスマホのせいではないのですが,スマホの操作が必ずしもうまくできないこともあり,ストレスがたまるということで,やめてしまいました。どう考えてもスマホがあったほうがよいと思い込んでいた私たちの思慮が浅かったのです。そんなに密に「つながる」ことに大きな意味をもっていない人からすれば,スマホを無理にもたされて,スマホがあることが前提でいろんなことが進んでいくことがイヤだったのかもしれません。
 「世の中にたえてスマホのなかりせば日々の心はのどけからまし」ということでしょう。これはもちろん桜とは異なり,スマホの素晴らしさをたたえた句ではありませんので,正しい本歌取りではないのでしょうが。

2022年3月27日 (日)

日曜スポーツ

 今日は,大相撲の大阪場所の千秋楽でした。今場所は,それほど熱心にみていたわけではありませんが,地元の貴景勝は気になるので,ニュースでは追っていました。貴景勝はカド番は脱出できましたが,後半戦は精彩を欠いていて,結局87敗で終わってしまいましたね。同じカド番大関の正代は,途中で15敗になったときは,相撲内容も悪かったので,大関陥落は決定的と思っていましたが,途中から力強さが戻り,今日も優勝した若隆景に勝って,大関の存在感を示しました。成績は96敗で物足りませんが,後半の戦いぶりは大関としてのものでした。
 高安は強かったころの相撲が復活しました。今日は阿炎の出来が良かったのです。若隆景が負けて優勝決定戦に進めたのはラッキーでしたが,本割に続いて,優勝決定戦も若隆景に負けたので仕方ないです。ただ,この優勝決定戦は名勝負だったと思います。若隆景の神がかり的な土俵際の粘りで負けてしまいましたが,高安も十分に力を発揮して見事でした。今場所は,照ノ富士の休場があり,新大関の御嶽海は11勝でまずまずでしたが最後の優勝争いにからむことができず,まさに荒れる春場所でしたが,若隆景と高安,そして琴ノ若Jrも活躍し,そして優勝決定戦の熱戦があって,終わってみれば良い場所だったということではないかと思います。新たなスターの若隆景は,どことなく,かつての若三杉(後の横綱若乃花(2代目))のような雰囲気がないでしょうか(相撲の取り口は違うと思いますが)。あるいは小柄だが足腰が強いという点では初代若乃花のほうに近いかもしれません。ぜひ大関になってもらって,貴景勝にカツを入れてもらいたいです。
 プロ野球は悲劇が起こってしまいました。阪神はまさかの開幕3連敗です。開幕戦の5回までで喜びすぎて,そこでもう今シーズンは終わってしまった感じがします。現代のプロ野球では抑え投手がとても重要ですが,守護神なしでシーズンに入ってしまいました。まだ3試合にすぎませんが,とにかく悲惨なシーズンにならないことを願っています。

2022年3月26日 (土)

水町勇一郎『 労働法(第9版)』

 水町勇一郎さんから,『 労働法(第9版)』(有斐閣)を頂きました。どうもありがとうございました。はしがきを見ると,この2年間にも,大きな法改正があることを改めて確認することができました。本書は,いまや司法試験受験生の教科書の定番といえるでしょう。実務家の方は,これと並んで『詳解労働法』(東京大学出版会)を利用することになるのでしょうね。非正社員の処遇のところなどは,水町労働法が広がることは,社会にとって良くないことだと思っていますが,こればかりはどうしようもありません。今日の神戸労働法研究会では,少し前に話題になった茨城の家電量販店における労働協約の拡張適用の事例について山本陽大さんに詳細な分析をしてもらいましたが,水町さんの教科書でも早くも紹介されていました。情報の新しさという点でも,本書の利用価値は大きいでしょう。
 ところで,研究会では,いままでほとんど考えたことがない労組法18条の論点について教えてもらいました。そのうえで思ったことは,労組法18条は何のために存在しているのか,よく考え直したほうがよいのではないかということです。ドイツ法を参考にした制度ですが,山本さんによると,本家のドイツ法でもこの制度は大きく変わってきているようです。また研究会では,これも有名な建設アスベスト事件の最高裁判決を,高橋聡子さんに報告してもらいました。通常の判例分析だけでなく,環境リスクに対する法規制のあり方といった広い観点からも議論することができて,これも勉強になりました。個人的には,労働安全衛生法の目的それ自体の重要性は高まる一方,同法の規制手法自体が根本的な見直しを求められているのではないかという感じがしました。今後の検討課題です。

2022年3月25日 (金)

SF的手法

 今朝の日本経済新聞において,「日立,SFが導く研究開発 小説から新技術を議論 メタバースの課題探る 既存の手法に限界」という長いタイトルの記事が出ていましたが,「幅広い産業で創造的破壊(ディスラプション)が起き,既存技術を積み上げる従来型の研究開発では10年以上先の予測は難しい。小説で描く未来像から必要な技術や法制度を逆算して経営の道しるべにする」ということのようです。
 SF小説とまで行かなくても,現実にはまだ空想の世界だけれど,技術が発展すれば出来そうなことを空想するのは,すでに私もやってきたことです。想像力と創造力が大切だというのは,講演でしゃべれば語呂がよすぎて軽い感じになりますが,ほんとうにそういうことが求められているのだと思います。日本企業は,日立のような会社は別なのかもしれませんが,多くは組織の上層部の頭が堅くて,想像力を少しでも働かそうものなら,もっと現実的なことを考えるべきだと叱られそうな感じです。
 私はこれからの経営者は,いかにして自分にない創造力(それは想像力を必要とする)を,他人から提供してもらえるかが勝負になるということを書いていて,逆に人材側はそういう力がなければやっていけないと主張しています。SF小説家に頼るのもよいのですが,できるだけ多くの人が,大きなことから小さなことまで,いろんな想像力を働かせるところから,ディスラプションが起きるのでしょうね。
 私はこれからの企業は,経営者は,いかにして自分にない創造性(それは想像性にもつながる)を,他人から提供してもらえるかということが勝負になるということを書いていて,逆に人材側はそういう創造性がなければやっていかないと主張しているのです。SF小説家に頼るのもよいのですが,普通の人が,大きなことから小さなことまで,いろんな想像を働かせるところから,企業においても社会においてもディスラプションが起きるのでしょうね。
 そういえば,私が5年以上前に連載していた弘文堂スクエアでの「絶望と希望の労働革命―仕事が変わる,なくなる」の 第8回「闘うのはいつだ!」と第9回(最終回)「Reconciliationの力」第9回(最終回)「Reconciliationの力」では,未来の社会の男二人の会話を書いています。想像の世界ですが,自分で読み返しても,結構面白いので,皆さんもぜひ読んでみてください。
 それと昨年上梓した『労働法で企業に革新を』(2021年,商事法務)は,最後の場面は,ワインバーをリモートで営業し(バーチャルバー),ソムリエが世界中の人にワインを提供できるという話で終わっています。これはまだSFの世界かもしれませんが,誰かビジネス化してくれたら愉快なことですね。

 

2022年3月24日 (木)

情報を学ぶとは

 323日の日本経済新聞に出ていた西垣通さんの「情報教育」に関するインタビューの内容は重要だと思います。
 西垣さんは,情報教育の拡充は望ましいと評価しながらも,「内容がプログラミングなどの理系(工学系)のデータ処理に偏りすぎているのです。職業としてのプログラミングには向き不向きがあります。その能力を国民全員に求めるのは無理です。」と述べ,「もっと根本的なことを教えてほしい。情報社会でいかに生きていくか。そのための基礎的な教養が教えられていない。」と注文をつけています。
 そして,情報の「本質」の正しい理解を強調し,「情報は生命活動から生まれるのです。動物は,敵が来たとか食べ物があるとか,身体と結びついた生命的な情報を交換しながら生きています。動物的本能をもつ赤ちゃんが,話し始める。そうして生まれる社会的な情報を,効率的に伝えるために,機械的なデジタル情報があるのです。」とコメントしています。最後に,「我々が生きている現実の世界をAIなどのデジタル技術で補強すること自体は,とても大事です。高速道路などインフラの老朽化対策や病気の診断にも活用できる。少しずつ慎重に,人間が生きるためのIT社会をつくっていく。そういう道筋をつけるのが,真の情報教育ではないかと思いますね」と述べています。
 情報の重要性は,私も『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か―』(日本法令)において,梅棹忠夫の情報論を引用しながら論じています。私は人間の労働の中心が,これからは情報(とくにデジタル情報)のやりとりというタイプのものにシフトしていくと考えています。そして,情報は,人間が生きていくために必要なもので,それを蓄積し,後世に伝えていくのが教育なのです。教育によって伝えられた情報に,新たに個人が価値を付加しながら互いに提供して社会課題の解決に貢献するというのが労働の本質なのです。この意味で,教育と労働は,密接な関係にあります。そうした情報の伝達や蓄積に活用されるのがデジタル技術ですが,これは専門の技術者にならない限り手段的なものにすぎないので,すべての人が同じ程度に学ぶ必要はありません。デジタル技術をどう活用するかは,例えばパソコンの原理を知らなくてもパソコンの使い方を知っていればよいというのと同じです。もちろん,より深く知った方が,より広い活用ができて望ましいのですが,DX時代に誰もが求められる基礎的なデジタル教育と,それ以上の専門的な教育とを適切に振り分けておかなければ,過剰教育をもたらし,他の重要な教育・学習に割く時間が奪われる危険があります。足の遅い人には,足が速くなる方法を教えるよりも,足を使わなくてもやっていける方法を教えたほうがよいのです。デジタルが苦手な人は苦手でよいのです。そういう人もデジタルを活用できるようにすることこそ,デジタル技術の専門家に考えていってもらいたいことで,重要な社会課題の解決となります。
 デジタル技術は,あくまで手段であるということを忘れてはならないわけで,文理融合の「文」は,そうした手段をどういう目的で活用するかの知恵の部分を担当することになるのだと思います。理想は一人の人間が文理を兼ね備えることですが,複数の人間でうまく分業することでもよいでしょう。

2022年3月23日 (水)

香川孝三編著『アジア労働法入門』

 香川孝三編著『アジア労働法入門』(晃洋書房)をいただきました。どうもありがとうございました。韓国,台湾,フィリピン,タイ,カンボジア, マレーシア,シンガポール,インドネシア,ミャンマー,インド,バングラデシュ,中国,ベトナム,ラオスが対象国です。各国の情報が項目ごとにコンパクトにまとめられています。長年アジア労働法の研究を引っ張ってこられた香川先生は, 今なお精力的に研究活動されています。私よりも20年先輩であることを考えると,信じられない感じです。上記の国のなかでも,カンボジア, マレーシア,シンガポール,ミャンマー,インド,バングラデシュ,ラオスは香川先生が担当されています。個人的に関心があるのは,マレーシア,シンガポールと吉田美喜夫先生が担当されたタイです。労働法への関心というよりは,国としての魅力ですが,コロナ禍が終わると,また訪問してみたいですね。
 欧州の労働法は,DXへの対応などで一見進んでいるような印象も与えますが,労働の現場における大きな変化への適応力は,アジアのほうがはるかに高いものがあります。欧州の労働法よりも,新しい労働法の可能性はアジアのほうにあるかもしれないという予感は,ずっと前からしています。日本人の間には,アジアといえば,どうしても先進国の法を継受するだけの国という見方があり,大きな関心を持つ研究者は少なかったかもしれませんが,見方を改める必要があるでしょう。私自身,自分で新たに勉強することは難しいかもしれませんが,今回いただいた本を使ってしっかり勉強していければと思っています。香川先生はまだ現役バリバリで頑張られていますが,そろそろアジア法研究をひっぱる後継者も必要かもしれませんね。余計なお世話かもしれませんが。

 

2022年3月22日 (火)

転勤について

 317日の日本経済新聞に,「厚生労働省は異動の可能性がある範囲を企業が労働者に事前に明示するよう義務づける検討に入った」という記事が出ていました。労働基準法施行規則5113号(労働基準法151項に基づく規定)は,「就業の場所及び従事すべき業務に関する事項」を明示しなければならないとしていますが,これは採用当初の「就業の場所」や「従事すべき業務」でよいとされていて,あとは就業規則に配転条項があれば,異動させることができました。これを今回の改正で,異動可能性のある範囲まで明示しなければならない,とするということのようです。こうしたアイデアは,私もずっと前に,どこかで書いたか話したかした記憶があり,それがどこであったか忘れてしまったのですが,要するに,配転について契約的規制を重視する立場から,労働条件明示義務の内容として,当初の業務や勤務場所だけの明示でよいという解釈に疑問をもっていました。当初のものでよいという解釈も,別に明確な根拠があるわけではなかったのですが,日本型雇用システムの下では,「どこでも,なんでも」するというのが,正社員の働き方なので,それをすべて明示せよというのは無理で現実性がないということでした。しかし,それなら当初のところだけ明示してもあまり意味がないわけで,そうしたことが労働条件明示義務全体を軽視し,ひいては契約で労働条件を明示することを軽視する傾向を生んできたようにも思います。
 私が上記のような解釈を考えたのは,労働者のためというだけでなく,当初明示した範囲での異動であれば,権利濫用法理を適用すべきでないという考え方とセットになっています。権利濫用法理よりも,できるだけ契約による事前規制をという発想です。労働者の保護は,適切に労働条件の明示をされた労働者が自分で判断して行うことがまず重要で,裁判官による(権利濫用論による)事後的な保護にはできるだけ頼らないほうがよいということです。異動可能な範囲をすべて明示せよというと,企業にとっては,大変なこととなるでしょうが,職務の変更や勤務場所の変更はアブノーマルなことだという意識改革が求められているのです。その先に,プロ人材のムーブレス・ワーク(職種は自分の専門とするものに限定され,場所の移動もしない働き方)という私の想定する,これからの労働スタイルがあるのです。
 2021年に刊行した『人事労働法』(弘文堂)では,契約的規制という発想を納得規範に落とし込んだ議論を展開していますが,同書では,これまでは一緒に採り上げられることが多かった職務の変更と勤務地の変更は別の箇所で扱っています。前者は,「第5章 人事」の「2 配転・出向・転籍」で,後者は,第7章「ワーク・ライフ・バランス」の「3 勤務場所」です。住居の変更をともなう転勤については,厳格な対応を企業に求めており,それは通常の人事権と同じに扱ってはいけないという考えからです。
 ところで同じ日の日経新聞の朝刊記事では,Nextストーリーの「〈シングルの選択〉(下)しわ寄せこない働き方の未来」というところの最初に,「全国転勤がある会社で,勤務地に配慮を求めることができるのは結婚と介護が理由の人だけ。ダイバーシティ推進を掲げるなら,社員各自が大切なものを大切にできるようにしてほしい」(女性,20代)という声が紹介されていて,その後に最適な働き方を自分たちで選ぶことに関する記事が紹介されていました。テレワークという解決策が出てこなかったのは残念ですが,転勤に対する疑問が徐々に社会のなかで広がってきている流れは,ひしひしと感じられます。
 一方で,その日の夕刊には,桜木紫乃さんの「転勤つれづれ草」というエッセイもありました。転勤は家族が大変だけれど,振り返れば悪いことばかりではないということかもしれません。でもやっぱり転勤はないほうがよいです。移動は,人に命じられるより,自分の意志でやったほうが人間的だと思います。

2022年3月21日 (月)

権利のために闘うとは

 ウクライナ人の必死の抵抗に根源にあるものを知るためには,あの有名なJhering (イェーリング)の『Der Kampf um’s Recht』(権利のための闘争)の冒頭の一節が参考になるかもしれません。岩波文庫版の村上淳一先生(かつてドイツ法の外書講読の授業に出たことがあります)の翻訳も参照すると,それは「Rechtの目標は平和であり,そのための手段は闘争である」というものです。「Recht」は,村上先生は「権利=法」と訳されていて,研究者らしいこだわりがあります。欧州の言語では,Rechtやそれに相当する言葉(フランス語のdroitやイタリア語のdirittoなど)には,「法」と「権利」の両義があるために,通常は文脈に応じて訳し分けるわけですが,本書では両義性をもっているため,村上先生はそのように訳されたのでしょう(先生が執筆された解説も参照)。ただ本のタイトルは「権利」だけです。
 Jhering は,「闘争を伴わない平和,労働を伴わない享受は,ただ人間が楽園を追放される前にのみ可能であった。その後の歴史においては,平和と享受は絶えざる刻苦の結果としてのみ可能なのである」と述べています(岩波文庫の31頁)。ちなみに,この本には労働のこともよく出てきます。「享受」の原語は,「Genuß」です。
 国家間の闘争も,平和を求めた闘争であり,そのためには武力行使もいとわないのです。ロシアが侵攻を正当化するために自国の平和を挙げ,ウクライナが自国を守るために武器をもって立ち上がるのは,どちらも権利のための闘争なのかもしれません。そうした闘争は,Jheringによると,国民の倫理的な義務でもあるのです。権利(Recht)を守る,法(Recht)を守る,さらには正義(Gerechtigkeit)を守るというのは,それを破る者が出てきたときに,戦うということも含意しているのです。もちろん,何がRecht で,gerecht かが大切なのですが。
 私が『人事労働法』(弘文堂)において権利論を批判したのには,法学のもつこうしたマッチョな部分に対する基本的な拒否反応があったことも関係しています。むしろ法学のよさを,秩序だった法廷において,暴力ではなく,言語と論理で解決を模索する仕組みに見いだしたいのです。平和性こそが法学の良さだということです。権利論より義務論を重視する私の姿勢は,権利論のもつ紛争誘発的なものに対する否定的評価から来ています。
 とはいえ「秩序だった法廷」というイメージの法を理想に掲げても,武力で壊されてしまえば,どうしようもないとも言えそうです。ただ,このときに,現実は理想とは違うと諦め,法が目指す平和は,武力でなければ維持できないというアイロニーを嘆くだけで終わってしまってはいけないと思っています。武力なき平和の追求を,臆病者の戯言として馬鹿にする風潮もありそうな気がしますが,そうした風潮に抵抗して,「秩序だった法廷」的な平和的法学を追求する知的営みは大切なことだと思っています。これこそ権利のための(平和的な知的)闘争なのです。Jhering の掲げた「Rechtの目標は平和であり,そのための手段は闘争である」の前半だけを活かすということです。それは同時に,私たちホモ・サピエンスにある凶暴性を理性によって克服する試みでもあります。
 ……それでは,ストライキに対して肯定的であった,お前のこれまでの議論はどうなるのだ,という心の内からの批判的問いかけもあります。そこには葛藤がありますが,おそらく改説する必要があるのだろうと思っています。

 

2022年3月20日 (日)

順位戦はいかに大変か

 棋王戦は,渡辺明棋王(二冠)が3勝1敗で永瀬拓矢王座を下して防衛しました。永瀬王座は,渡辺棋王に勝てないですね。これで渡辺棋王は10期連覇というすごい記録です。この間には,羽生善治九段に3連勝で防衛というのも含まれています。渡辺棋王は,これでタイトル30期(歴代4位)となりましたが,竜王戦や棋王戦という相性の良い棋戦があって,そこでタイトル数を稼いでいます。
 ところで今年度も第80期順位戦が終わりましたが,A級昇級を決めた藤井聡太竜王(五冠)のすごさを確認しておきたいと思います。あの羽生九段も,順位戦は少し苦労したからです。
 羽生善治九段は藤井竜王と同様,中学生でプロ棋士になりました。デビュー1年目(第45期順位戦)のC級2組の成績をみると,当時23歳の井上慶太四段(当時)と37歳の小坂昇五段(当時)に敗れており,1期抜けはできていません。そのとき全勝で昇級したのは浦野真彦四段(当時)でした。井上四段も浦野四段も谷川世代で,当時の谷川浩司九段はすでに名人を経験しているバリバリのA級棋士でした。
 第46期順位戦で当時の羽生四段は全勝で,C1組に昇級します。しかし,第47期の順位戦で,羽生五段は82敗で昇級を逃します。羽生に土をつけたのが,当時40歳の佐藤義則七段と57歳の剱持松二七段です。ピークのすぎたベテラン棋士が羽生を止めたのです。このとき昇級したのが浦野五段(当時)でした。羽生は第48期は全勝で,B2組に昇級します。当時の名人は復位した谷川浩司です。
 第49期順位戦で,羽生はB2組の1年目で成績は82敗でしたが,順位の関係で昇級を逃します。羽生(当時21歳)に土をつけたのが,当時37歳の前田祐司七段と57歳の吉田利勝七段でした。ベテラン勢がまたも羽生を止めたのです。この年,浦野と羽生は順位戦であたり羽生が勝っています。第50期も羽生は82敗でしたが,順位が上であったので昇級できました。このときに羽生に土をつけたのも,当時36歳の東和夫六段と55歳の佐伯昌優七段でした。佐伯七段は降級点をとるくらい不調でしたが,最終局で羽生相手に意地をみせたのです。浦野は昇級できず,ここで羽生に逆転されました。
 第51期のB1組は111敗という圧倒的な成績で1期抜けを達成しました。羽生に唯一の土をつけたのが,福崎文吾八段(当時)でした。
 第52期のA1年目,羽生は72敗で,谷川と同星となります。最終局で二人があたり,谷川が勝ってプレーオフに持ち込んだのです。羽生に土をつけたもう一人は,田中寅彦八段でした。しかし,プレーオフでは羽生が谷川に勝って,A1年目でいきなり名人挑戦をはたします。既に四冠だった羽生ですが,ようやく名人挑戦にたどりつきました。当時の名人は米長邦雄でした。羽生は米長を下し,初の名人位につきます(五冠達成)。
 羽生が名人位につくまでに順位戦で羽生に勝った棋士で,まだ現役でいるのは,谷川九段,井上九段、福崎九段だけとなりました。田中九段も,つい先日引退となりました。
 あの羽生九段も,順位戦でのベテランの一太刀に苦しみました。藤井聡太竜王(五冠)は,C1組で1期滞留しましたが,そのときも91敗という好成績であり,唯一の黒星となったのが若手の近藤誠也(現在の七段)戦で,同星で順位が上であった近藤七段がそのまま昇級しています。藤井の代わりというか,同じクラスにいた師匠である杉本八段もその年は絶好調で91敗で順位が藤井より上であったので昇級しました。今期(第80期)のB1組も,同時にA級に昇級することになった稲葉陽八段と,千田翔太七段に敗れましたが,このクラスのトップの成績で昇級を決めました。藤井竜王はこれまで順位戦で3敗しかしていないのです。驚異的です。羽生九段と比べると,藤井を止めるベテラン棋士がいなかったのは残念ではあります(谷川九段もB級2組で対戦しましたが,勝てませんでした)。かつては順位戦だけはやはり真剣味が違っていて,ベテランが維持をみせて,若手の前に立ちはだかってきました。
 たとえば,中学生棋士の先輩の谷川九段は,現在のC級2組にあたる昇降級リーグ4組の1年目(第36期順位戦),田中寅彦と土佐浩司に敗れて8勝2敗で昇級できませんでした。その後は毎年昇級しましたが,全勝だったのはB級2組にあたる昇降級リーグ2組だけです。とくにB級1組にあたる昇降級リーグ1組では,芹沢博文八段(かつてのひふみんと並ぶ天才と称され,タレント棋士?の第1号)に敗れ(芹沢八段は降級しましたが,谷川戦は本気で戦いました),A級では関西将棋の総帥であった内藤國雄九段が「どれくらい強くなったかみてやろう」と宣言して見事に谷川に勝ち,米長邦雄九段も谷川に勝っています。しかしこの2敗をしただけで,結局,谷川は7勝2敗で,前期に名人を失陥していた中原誠とのプレーオフを制して名人に挑戦することになり,前年度に悲願の名人を獲得したばかりのひふみんから名人を奪取しました。
 藤井竜王をA級で待ち構えるなかではベテランと呼べるのは佐藤康光九段だけですが,ぜひ意地をみせてもらいたいところです。

2022年3月19日 (土)

技能承継とデジタル技術

 3月17日の日本経済新聞の朝刊の「DX TREND」に,「中小企業で遅れていたデジタル化による経営革新が動き出した。染色加工の艶金(岐阜県大垣市)は品質検査で過去2000件分の熟練社員のノウハウを分析し,人工知能(AI)が若手を指導するシステムを開発」という記事が出ていました。
 これは,DX関係で私がよくやっている話であり,大きく言えば,熟練労働者の技能も,デジタル化(AIに学習させることなど)により,技能承継が容易になるということです。このことは,二つの意味があります。一つは,「匠の技」の後継者がもしいなくても,その技は引き継がれるということです。この点は,拙著『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』(明石書店)においても採り上げています(139頁以下)。テレワークとなると技能承継が難しくなるのではないかという企業側の不安に対して,そもそも技能承継のあり方が変わるので,テレワークであるということのデメリットは減少するということを書いています。このほかにもICTの発達のなか,ARの技術などを活用することによって,遠隔地であっても熟練労働者からのサポートを受けることができやすくなるという話もあり,これは熟練労働者が減る中で,なんとか効率的に技能承継しようという文脈で出てくる話です(この点は,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)233頁以下も参照)。
 その一方で,承継技能の容易化は,人間の熟練を要する仕事であっても機械によって代替できてしまうことを意味しており,いわゆる「AIが仕事を奪う」という話につながります。人手不足になっても大丈夫ということは,当初はAIやロボットが人間を補完してくれるから大丈夫という意味なのですが,ゆくゆくはAIやロボットが人間を代替するということになるのです。
 この種の話は,すでに起きていたことですが,日本企業での実例が少なかったことから,私のような法律家が語っても,リアリティをもって受け止められていなかったのですが,実例が今後は増えていくであろうし,そうなると世間の受け止め方も違ってくるでしょう。5~6年前に言っていたような銀行のリアル店舗がなくなる(ATMや窓口がなくなる)という話も,当初は相手にされていなかったのが,いまは誰もがそうなるだろうねと考えているのと同じです。
  私の本には,『君の働き方に未来はあるか?』(光文社新書),『会社員が消える―働き方の未来図』(文春新書),上記の『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』のように,タイトルやサブタイトルに「未来」という言葉が入っているものがありますが,そこで語った未来は,ほとんど実現してきています。それは偶然ではなく,デジタル技術を活用してすでになされていることは,必ず数年後には一般化するという「法則」のようなものがあるからです。あとは,そのスピードの問題です。
 先日の学内のある研究会でも議論したのですが,個人のキャリアは,デジタル技術の発達を見据えたものでなければなりません。ほんとうの競争相手は機械です。まさにエリック・ブリニョルフソン= アンドリュー・マカフィ『機械との競争』の世界なのです。そしてこの機械との競争は,正面から行うのではなく,いかにしてデジタルとアナログを組み合わせるかというデジアナ・バランス指向(つまり機械との共生)が,この競争に勝ち抜くために必要な発想だと思っています。
 いずれにせよ,記事が採り上げている,AIが若手を指導するという話の背景には,着実にAIが人間の仕事の領域を深く浸透してきているという現実があることを,私たちは気づいておかなければなりません。

 

2022年3月18日 (金)

会社員になりたい子どもたち

  第一生命保険の(「第32回大人になったらなりたいもの調査結果」)によると, 小学生,中学生,高校生のいずれにおいても,将来なりたいものは,男女を問わず「会社員」 が1位でした(例外は小学生の女子で,それでも「会社員」は4位でした)。『会社員が消える―働き方の未来図』(文春新書)という本を書いている私としては, 頭を抱えてしまいそうな結果であり,子供たちはほんとうに大丈夫かと,思わず言ってしまいそうです。しかし,この調査結果に付されている的場康子さん(第一生命経済研究所・ライフデザイン研究部・主席研究員)のコメントをみると,その考えは変わりました。
 的場さんは,「会社員」の人気が高いことの背景について,「コロナ禍で在宅勤務が広がり,親の働く姿を身近にみるようになったこともあると思います。親の背中を見て,自分も『会社員』として頑張ろうと,子どもながら現実的に考えているのかもしれません。でもそれだけではなく、自分の可能性を広く考えているとの見方もできるのではないでしょうか。AI(人工知能)やロボットなど技術革新が進み,子どもたちが大人になるころには,今は想像できないような会社が創られ,新しい職業も生まれる可能性があります。そのような社会の変化を敏感に感じて,子どもたちなりに新しい『会社員像』を思い描いているのかもしれません」。
 コロナ前であれば,親の会社員としての働き方を,子供たちが直接目にすることはほとんどなかったでしょう。家で見るのは疲れて帰ってくる両親であり,子どもにとっては自分たちの生活が,親の都合,そしてそれは通常は会社の都合によって左右されていたのです。「仕事だから」というと,あらゆることに優先されてしまい,子どもたちは自分の希望が言えなくなってしまっていたことでしょう。ところがコロナにより,テレワークが増えて,自宅で働く両親の姿を直接目にすることによって,会社員としての親の働き方への評価も変わったのかもしれません。あるいは,テレワークという働き方であれば,自分の生活がそれほど犠牲にならないとわかって,それならやってみたいと思ったのかもしれません。つまり「会社員」が1位になったのは,伝統的な働き方をしている会社員ではなく,ワーク・ライフ・バランスを両立できているテレワークをしている会社員なのでしょう。そうだとすると,彼ら,彼女らは,将来「テレワークができないような会社員にはならないよ」ということになるかもしれません。
 もう一つ,後半のコメントも示唆的です。 私が「会社員が消える」と言っているのは,典型的には大企業で雇用されている労働者がいなくなるということであり, 自分で独立して働くフリーワーカーが増えていくと予想しています。 こうしたフリーワーカーには, 自ら起業して会社をたちあげる人も含まれます。DX時代のこれからは, 雇用されて働くというスタイルは廃れていくことになります(詳細は拙著を読んでください)。子供たちがなりたいと思っている会社員とは,決して従来型の企業に雇われて指揮命令を受けてガッツリ働く会社員ではないのでしょう。会社は,あくまで自らが知的創造性を発揮して働く場を提供してくれる存在にすぎないのであり,そうした会社で働くことを前提とした会社員なのです。そうだとすると私が考えていることと,まったく同じとなります。子どもたちが,ほんとうに,このような展望をしっかりもって将来になりたいもののことを考えているならば,日本の未来は明るいと思います。
 会社員を希望する者が多いということだけが見出しにでてくると,おそらく大きな誤解が生じてしまいそうな調査結果です。その意味で的場さんの解説は非常に重要だと思いました。

 

2022年3月17日 (木)

空爆の恐怖

  ウクライナの空爆の映像は,ほんとうに夢のなかでうなされそうなものです。まさに悪夢です。今後,首都のキエフが,全面的な空爆にさらされるのでしょう。その後,地上戦が始まるのかもしれません。シリアから傭兵を集めているという話もあり,「雇われた殺人者」がまさに血も涙もなく,雇い主の指示どおりに殺人を実行していくのでしょう。おぞましいことです。
 空爆の恐怖は,亡くなった母から聞いたことがあります。1945年にアメリカは,神戸に,おぞましい空爆をしました。野坂昭如の「火垂るの墓」にも描かれていますが,神戸は壊滅的な打撃を受けました。神戸だけでなく,東京など多くの大都市も空爆を受けました。どうしてアメリカはそういうことをしたのか。戦争を終わらせるためには,より強い攻撃をする必要があり,そのためには無辜の市民を狙い撃ちにするのが効果的ということなのでしょう。その挙げ句が,原爆投下です。Putinは,どこまでやるのかわかりませんが,戦争とはこういうものなのです。核爆弾だけでなく,化学兵器使用の懸念も生じています。ウクライナ市民の悲惨な状況をみながら思うのは,日本も同じような状況でアメリカ人から虫けらのように殺されてしまったことがあるということです(もちろん日本人も日中戦争などで酷いことをしていますので,日本人だけが被害者と言いたいわけではありません)。いまはロシアが悪者ですが,日本からみれば,アメリカも同様であり,こうした国が世界の支配者であるかぎり,戦争をほんとうになくすことはできないのではないか,と思ってしまいます。悲惨な戦争をしかけてしまい,そして被爆して戦争を終わらされた国である日本だからこそ,できることがあるのではないかと思わずにはいられません。核共有というアイデアも出されています。どこかのブレーンが安倍晋三氏らをたきつけているのかもしれません。核放棄したからウクライナは攻められたという意見もあります。ほんとうにそうなのか,私にはよくわかりません。ただ,私には,核兵器禁止条約に参加しないという政府の対応は,どうみても理解できないものです。広島出身の岸田文雄首相に期待するところは大きいです。まずはきちんと核武装の問題を議論して,私たちの子孫を破滅に導かないような国づくりのことを考えていかなければならず,そのためには,この問題を他人事と思わずに関心をもって学んでいく必要があると思っています。

 

2022年3月16日 (水)

ワクチン3回目接種

 ワクチンの3回目接種は,予定から2日遅れて3回目の接種(職域接種)となりました。父の2回目接種と同じ日の予定だったのですが,もし先に接種する予定であった私に副反応がでれば大変だと思って,同日接種は回避しました。いつもの接種会場が理系の学会で使用されていたようで,これまで行ったこともないキャンパスにある体育館が会場でした。今日は夏のような天気で,軽いピクニックのような気分で行ってきました。神戸大学に着任して,もう長くなりますが,同じ六甲界隈でも,法学研究科のあるキャンパスと大学本部があるキャンパス以外のところは知らないので,新たな発見をした感じでした。それにしても会場では,たかがワクチン接種だと思うのですが,何か少しでも失敗があったらいけないというような感じで,かなり多くのマンパワーが投入されていました。(そう言うのは少し申し訳ないのですが)こんなことより他にやる仕事があるのでは,と思ってしまいました。
 前回の2回目接種では翌日がやや体調不良となってしまいましたが,今回はどうでしょうか。いまも注射をうった左腕は痛いです。モデルナアームですかね。明日はZoomで,打ち合わせと研究会がありますが,副反応が軽ければと願っています。
 今回,大学からは,ワクチンの返却ができないので,絶対キャンセルしないようにという連絡が入っていました。日程の変更はできるだけ応じるが,キャンセルは困るというのです。軽くキャンセルされては困るということかもしれません。しかし予約から接種までに,かなり時間的間隔があって,ワクチン接種に予定を縛られるのは困るところがあります。ワクチン接種は,当日だけでなく,翌日の副反応の危険を考慮して,2日間重要な仕事がない日に予定を入れる必要があるでしょう。そうなると,なかなか予定が入れられないのです。予定されていた用事が突然キャンセルとなり突然2日間予定があいたので,ワクチンを接種しておこうかというノリで接種できるようにできたらいいと思います。大学もワクチンが余って国に返せないのなら自治体に回せばよいのではないでしょうかね。そういう柔軟な体制になっていないところが,3回目のワクチン接種が進んでいない原因の一つかもしれません。接種したいけれど,事前に時間の都合がつけにくいので予約できないような人を,どうすればよいか。実はこれもマッチングの効率性の問題であり,デジタルで解決できるものではないかと思うのですが。

2022年3月15日 (火)

神戸新聞に登場

 共同通信の配信の「漂うリアル11 コロナ禍働くとは」に登場しました。まず312日の神戸新聞の夕刊に掲載されています。テレワークが進展するなかで,職場の仮想化といった変化についての問題意識からの取材でした。1時間くらいコメントしましたが,テレワークのもつ社会的価値とこれからの労働において知的創造性が重要という部分が採用されていました。私以外に,仮想オフィスサービスを提供する会社OPSIONの深野社長,話題の『ブルシットジョブ』の訳者の一人である大阪府立大学の酒井隆史教授のコメントが掲載されていて,短いながらも内容があるよい記事になっていると思いました。
 今回の写真は,最近マスコミ用に提供している自宅で撮影したものです。ふだんはbust-upの部分が掲載されていますが,今回は全体だったので,ラフに撮影した感じがそのまま出てしまっています。でも,テレワークっぽくて,記事の内容に合っていてよいかなと思います。神戸新聞以外の地方紙にも,そのうち掲載されるかもしれませんので,地方在住の方には,いつか見てもらえるかもしれません。

2022年3月14日 (月)

ゼロ歳児の本音 

 先月のいつか忘れましたが,日本経済新聞での記事のなかで,ユニセフが日本の育児休業制度を世界一と評価しているということが出ていたので,ほんとうかなと思って,少しググってみると,たしかに,それに近いことを書いているサイトに行きつきました。父親の育児休業制度の充実ぶりを指していたのですね。ところが実際には父親の育児休業の取得は進んでいないので,制度があっても意味がありません。もう10年以上前でしょうか,私のところにいた社会人院生も,男性の育児休業というテーマで論文を書いており,その際にいろいろ議論しましたが,男性の育児休業促進というものを,従来型の法制度を前提としてやろうとしても,なかなか良いアイデアが出てきませんでした。現在の政策は,権利を与えればそれでよく,あとはその権利を周知し,それでもダメなら雇用主に権利取得を推奨させればよいという感じですが,そういうことではなかなか現状は変わりません。年次有給休暇(年休)の例からもわかるように,有給の年休ですら,半分も権利取得しない国です。無給(正確には雇用保険から100%ではないにせよ給付金はもらえますが)の育児休業をどうして取得するでしょうか。しかも育児休業の理想は1年です。強制的な産後休業からそのまま移行できる女性とは違い,年休すらなかなかとろうとしない男性が,育児休業を長期的に取得するなど考えにくいわけです。せいぜい数日とるとか,その程度ですが,それでは育児休業の本来の使われ方からは遠いものです。
 ところで,育児休業制度の世界一を言う前に,おそらく日本は年休制度も世界一である可能性があります。労働者が年休日数(継続勤務年数によりますが最大20日)を個人のイニシアティブでとれる国なんて日本以外にはほとんどないと思われます。外国人からみると,権利があれば,行使されると思うのでしょうが,そういうことにならないのが日本人なのです。権利を付与するだけではダメなのです。育児休業ではその誤りを繰り返しているのかもしれません。
 人事労働法の発想は,年休にしろ,育休にしろ,それを取得させることにより生産性が上がる可能性が高く企業にも利益となるので,そこをうまく「つつく」と企業は行動を変える可能性がある(たとえば,年休や育休をより取得しやすい就労環境を積極的に企業が用意するなど),というものです。そうした法制度設計をしていくと,男性の育児休業取得も進むでしょう。
 ところで育児休業制度の目的は何でしょうか。もともとは女性労働者が出産しても辞めずに就業を継続できるようにするということにあったと思います。しかし,視点を子ども目線に変えることも,あってよいかもしれません。子どもにしてみれば,もし両親がいるのであれば,両親によって在宅で育ててもらえるほうが,いろいろな面で安心でしょう。人間の子は,赤ちゃんのときにとくに手がかかりますから,ゼロ歳児の声をもし代弁できるとすれば,「お父さん,お母さん,働かないで,私の面倒をみて」ということかもしれません。生活のために働かなければならないということもあるかもしれませんが,そこは国や自治体の出番でしょう(金銭的なサポート)。親のなかには,金銭的な面に関係なく,働き続けたいという人もいるかもしれませんが,そのときでも,子どものために育児をすすめるというのが,もし子ども目線に立った育児政策を考えるなら出てくる話ではないかと思います。そうすると,どういうことになるかというと,子どもが1歳になるまでは,親は就労をしてはならないというような法制度が考えられるのであり,もちろんこれは大反対を受けるでしょうが,妥協点としては,テレワークだけ認めるというところでしょうかね。
 環境政策を考えるとき,将来の環境の影響を受ける未来の世代の子どもの利益をどう代弁するかという視点が重要です。でも,まだ未来の子はこの世にいない以上,その子の立場にたって想像力を働かせながら誰かが発言するしかありません。ゼロ歳児はすでにこの世にいますが,意見表明はできません。そして大きくなったときには,普通はゼロ歳児の気持ちのことを忘れているでしょう。だから,ゼロ歳児の立場にたって想像力を働かせながら誰かが発言するしかありません。せっかく「こども家庭庁」なるものをつくったのですから,ゼロ歳児の立場にたって政策を考えてみればどうかと思います。
 もちろん,この提言は両親を育児にしばりつけることに主眼があるのではありません。祖父母や親類や地域で育てられる環境があれば,それでもよいと思います。ゼロ歳児はそれでも満足するかもしれません。また虐待という問題がありうるので,両親から子どもを取り上げることも場合によっては必要です。
 ただ,子どもをもった以上,親は,仕事より育児のほうに高いプライオリティがあるということを法制度面でも「原則」として据えたほうがよいのではないか,ということです。そのうえで,いろいろと例外を考えていけばよいのです。これが極論に思えるとすれば,それは仕事が人生の中心という考え方にマインドコントロールされているのではないかと疑ったほうがよいでしょう。

2022年3月13日 (日)

子どもたちにかかわりたい?

 ネットニュースで,タレントのつるの剛士さんが,幼稚園免許の取得をしたというのが出ていました。彼が保育士資格をとることをめざしながら,受験資格がなかったというところまでは知っていたのですが,短大にかよって資格をとろうとしていたことまでは知りませんでした。今回短大を卒業し,幼稚園教諭Ⅱ種免許をとり,いよいよ保育士の国家資格をめざすのでしょう。なぜ,このニュースが気になったかというと,それは二つの点からです。一つは,私も定年後の仕事の候補として保育士にチャレンジできないか,ということを少し思ったことがあったからです。筆記試験はいまの記憶力では心もとないですが,頑張ればできるかもと思ったのと,実技試験のほうは,それほど苦手ではないので(音楽と言語。造形は絶対にダメですが),そんなに甘いものではないとわかっていながら,老後のチャレンジの目標にできればと思っていたからです。定年になっても,何かやっていかなければ生活できませんし,できれば同じ教育の世界に携わることも悪くないなと,セカンドキャリアのことを考えていたのです。つるのさんの挑戦はとても励みになりますね。いまはとても勉強の時間はないですが,少なくともピアノの練習だけは仕事の合間をみてやっておきたいです。二つ目は,実は,少し前に読んだ塩谷隆英『21世紀の人と国土―下河辺淳小伝』(商事法務)のなかに,下河辺淳さんが,(本気かどうかわからないのですが)若手からの「もし,生まれ変わったら何になりたいですか」という質問に,「幼稚園の先生になりたい」と答えられた部分を思い出したからです(343頁)。私自身,上記の保育士のことだけでなく,江戸時代の寺子屋のようなことが,老後にできればいいかなと思っていたところでもあったので,下河辺さんの「幼稚園の先生」という答えが記憶に残っていました。
 ところで,この本は,連合総研のお仕事をしたときなどにご一緒したことがある薦田隆成さんからいただいたものです(お礼が遅くなり申し訳ありません)。下河辺さんという立派な大官僚の伝記的な内容で,こういうものは読むと,こちらの小人物ぶりを思い知らされて辛くなるので,なかなか読む気にならずに,本棚に積んでいたのですが,あるとき,なんとなく手に取ってページをめくっているうちに,彼の活躍のすごさに驚きながら,全部読んでしまいました。この本のなかで,とくに印象に残ったのが,2002年に行っていた講演の収録部分です(303頁以下)。公共性を重視するというスタンスで,情報技術にもふれながら,精神復興のことも語られていました。「専門」から「統合」へ,「国家」から「個人」へという重要な問題提起もされていました。私は,社会の構成員である個人が深い教養を身につけて,社会のために何をやれるのかを考える社会,そして,その際には,デジタル技術を十分に活用しながら,それとアナログ的なヒューマンな要素とを融合させていけるような社会を目指さなければならないと思っているのですが,そういう考え方がこの講演にはしっかり詰まっていました。その箇所をスキャナでとってデジタル保存しました(私は大事な書類や文書はデジタル保存しています)。
 下河辺さんは「生まれ変わったら」と言われていましたが,ほんとうはこういう立派な方が,幼稚園や小学校低学年の先生になってもらう必要があるのだと思います。いまも同じかわかりませんが,東京大学の教養課程の「法学」(正式な科目名は忘れました)の授業は,定年直前の先生が担当するという伝統があり,法学部生(教養学部文科1類)が最初に聴く専門科目の授業の一つが,最もシニアの教授の授業なのです。これは大学のことですが,次世代のことを真剣に考えている経験あるシニアが,若い人や子どもの教育に携わるのは,良いことだと思います。

2022年3月12日 (土)

嘉納英樹「Japanese Labor & Employment Law and Practice」

  弁護士の嘉納英樹さんから,「Japanese Labor & Employment Law and Practice5th Edition)」(第一法規)と加藤新太郎・嘉納英樹『弁護士が知っておきたい企業人事労務のリアル』(第一法規)をお送りいただきました。どうもありがとうございました。面識はありませんが,前者の第5版のはしがきに私の書籍に「感銘を受けた」と書いてくださっていて,びっくりしました。
 前者の本は,まさに日本の労働法や実務を英語で丁寧に解説したもので,こういう本があれば助かると思っている人は数多くいるでしょう。日本の労働法の全体像を英語で発表したものには,菅野和夫『労働法』(弘文堂)をKanowitz教授がまるごと翻訳した「Japanese Employment and Labor Law」や荒木尚志さんがご自身で執筆された「Labor and employment law in Japan」(2002年,日本労働研究機構)がありますが,少し内容が古くなりました。その意味で,嘉納さんのご著書は,実務家だけでなく,外国に労働法のことを発信しようとする研究者にとっても,きわめて役に立つものといえるでしょう。版を重ねられているのは,この本を活用している人が多いことを示していますね。もう少し早くこの本のことを知っていれば,苦労しなくてよかったのにと思うこともありますが,これからもおそらく活用させてもらうことが度々あるでしょう。後者の本は,クライアントべったりという弁護士とはひと味違うところが随所に出ていて,共感するところも多く,コメントしたいところがたくさんあるので,これは後日改めて書きたいと思います。

 

2022年3月11日 (金)

平和な生活に感謝

 今週は,オンライン講演が1つ,取材が2つ,その他,毎日オンラインの会議などがあり,かなり忙しい1週間でした。それに明日は別タイプの大きな仕事があります。でも,ウクライナのことを考えると,あるいは,あの11年前の大地震のことを考えると,こうして平和に仕事をさせてもらう生活を過ごせることがありがたいです。
 コロナとも,何となく付き合い方がわかってきた感じで(この安心が危ないか?),飲み会とかはやりませんが,適度に外食もするようになりました(今日も近所の名店「串の助」に行ってきました)。ただ飛行機を使った旅行はまだできません。マイルが次々と期限切れになってきて,延長できたものもありますが,そのうちになくなってしまいそうです。ショッピングマイルにして,ワインに変えるのも,そろそろ限界になってきました。今年は飛行機に乗ることがあるでしょうかね。コロナも戦争も,(終息までいかなくても)収束しなければ,この閉塞感はどうにもなりませんね(私は,もともと,自宅に引きこもっていても,かなり平気なタイプですが,多くの人はストレスがたまっていることでしょう)。
 ところでビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号は,「労働契約申込みみなし制」です。これで2回目なので「part2」としました。今回が連載の177回目で,15年近くやっていることになります。さすがにこれくらい長くなると,同一テーマで再度採り上げる必要があることも出てきます。今回は,東リ事件の大阪高裁判決なども採り入れ,労働者派遣法40条の615号の「法律の規定の適用を免れる目的」という概念にも注目しながら解説しています。次号のテーマを予告すると,「真実告知義務」です。どういう切り口で書いたか,お楽しみに。 

2022年3月10日 (木)

強く美しい将棋でA級へ

 昨日の順位戦B1組は,A級昇級がかかっていた藤井聡太竜王(五冠),稲葉陽八段,千田翔太七段がそろって勝ち,藤井竜王が102敗でトップとなり昇級,稲葉八段と千田七段は93敗で並びましたが,順位が上の稲葉八段が勝って昇級を決めました。稲葉八段は降級後に1期で返り咲きです。藤井竜王は,もちろん初めてのA級です。いよいよ来年度は名人獲りの年になります。谷川浩司九段の最年少名人記録を破るかが注目されます。
 藤井竜王に敗れた佐々木勇気七段は,7連勝後,5連敗となりました。しかし,来期は順位も上げて,千田七段と並ぶA級昇級の最有力候補となるでしょう。ただ昨日の対局は,佐々木七段にとっては,藤井竜王の強さを思い知らされたものになったのではないでしょうか。佐々木七段が桂の成り捨てで飛車を呼び込んで,角と飛車が並んだところで香の田楽刺しをしたのです(飛車か角がとれる)が,これがどうも悪手だったようです。華麗な手順とみえたのですが,藤井竜王はその先をみていたのです。その後も藤井玉は中段でぽつんとしていて,どうみても危なそうですが,なかなか寄らず,逆にあっというまに佐々木玉が寄せられてしまいました。相手に多少,攻められていても,しっかり読み切って最短距離で攻め勝つ将棋は魅力的です。最終盤も,自玉に詰みがなかったので,相手玉に詰めろをかけて安全に攻める手もあったのですが,詰みがある以上は詰みを狙うという,まさに谷川流の寄せで見事に相手を投了に追い込みました。
 先日のA級順位戦の最終局での,羽生善治九段と広瀬章人八段の対局は,広瀬八段が勝ったのですが,最終盤で羽生玉にわかりやすい詰みがあるのに,広瀬八段は羽生玉を詰まさずに,詰めろをかけました。プロからすると,下手に詰みをめざすと,万が一,詰ましそこなえば負けてしまうので,慎重に詰めろをかけて攻めるというのが,勝負にこだわるのならありえる戦略です。ただ,これは美学の問題であり,詰みがあるのなら,それを目指すのがプロであるというのが谷川流で,これは勝率を下げてしまいかねませんが,それでも谷川九段は1300勝以上しているのです。そういう将棋だからファンを魅了して,プロからも尊敬されるのです。広瀬八段の将棋は,その点で残念でした。藤井竜王は,大一番でも,安全勝ちなどを目指さず,詰みがあれば詰ましてしまうということで,美しく強い将棋でした。広瀬八段はA級に連続在籍しているトップ棋士ですが,これでは藤井竜王には勝てないだろうなと思ってしまいました。
 来期のA級は,渡辺明名人か挑戦者の斎藤慎太郎八段のどちらかが1位となり,そのあと糸谷哲郎八段,佐藤天彦九段,豊島将之九段,広瀬八段,永瀬拓矢王座,佐藤康光九段,菅井竜也八段,それに藤井竜王と稲葉八段という順位になります。
 B1組は,羽生善治九段が来期も順位戦を指すのかが注目ですが,おそらく指すでしょう。B1組からの降級は,すでに決まっている松尾歩八段と並んで,木村一基九段が千田七段に負けて降級,阿久津主税八段が,久保利明九段との負けたほうが降級という対決に敗れて降級となりました。木村九段は,順位3位からの降級でショックも大きいでしょう。松尾八段は,A級に上がれないまま,降級となってしまいました。同世代の阿久津八段は2A級に昇級していますし(ただしトータルで1勝しかできませんでした),山崎八段も今回降級することになりましたが,1度はA級に昇級しました。引退したハッシーもA級に1期だけ在籍したことがありました。彼らと同世代の松尾八段もまだ可能性がないわけではありませんし,このままでは終われない気持ちかもしれません。現在,NHK杯では決勝進出をはたしているので,そこでB2組降格のうっぷんを晴らせるかもしれません。

2022年3月 9日 (水)

Putin の夢を実現させてはならない

 ウクライナの大統領ゼレンスキー(Zelenskyy)を,以前に頼りないと書いてしまいした。プロの政治家としてどうなのかという見方もあったものの,国家存亡の危機の際にみせた胆力はさすがで,さしものPutinも手こずっている感じです。
 Putinの武力侵攻は,私たちの観点からすると狂っているとしか言えないのですが,彼を単に異常者とみているだけでは,この戦争の本質を見誤るかもしれません。彼には彼の論理があるのでしょう。それを考えるうえで参考となるのが,前にプロスペクト理論を紹介したときにふれた「参照点」の議論です。彼にとって,領土としての「参照点」は,ウクライナも含まれているのです。というか,彼は30年前のソ連崩壊の屈辱を雪ぐということを考えているとも言われており,そうなると旧ソ連こそ,彼の考える領土の「参照点」となるわけです。ウクライナはむろん,バルト三国なども含まれます(カリーニングラードを飛び地にしない)。とりわけウクライナは,NATO諸国との間の緩衝地であったわけで,その地がNATO寄りになるとすれば,Putinはロシアの安全保障にきわめて深刻な脅威となると受けとめても不思議ではありません。もちろん,だからといって軍事侵攻が許されるわけではなく,国際常識からすると彼は「狂っている」のですが,彼は決して精神に異常をきたして戦争をしているのではなく,ある意味ではゼレンスキーと同じような気持ちで国家の危機を守っているつもりでいるのかもしれません。もちろん,そうした夢や野心は,絶対にこうした武力によって実現させてはなりません。
 こうした領土へのこだわりは,中国にもあてはまるようです。中国は,清朝時代に列強にずたずたにされた屈辱を忘れていないでしょう。中国の領土の「参照点」は,清朝の最盛期の領土だとも言われています。そうすると,台湾はもちろん,モンゴル,ウイグル,チベットも領土となるし,冊封国まで含めれば琉球(沖縄)や朝鮮なども含まれることになります。もし,中国がこうした独自の「領土」の論理に基づき,その奪還という夢を実現しようと考えているのだとすると,日本はそれがおかしいと批判するだけでは武力侵攻を止められないかもしれません。中国の論理を理解し,中国の次の一手を読み間違えないようにしっかりとした対策をとることが必要となります。その際,日本には,武力ではなく,平和的な外交で勝負してほしいです。ウクライナの現状をみると,こうした主張の説得力が乏しいのはわかるのですが……

2022年3月 8日 (火)

佐藤博樹他『多様な人材のマネジメント』

 佐藤博樹・武石恵美子・坂爪洋美『多様な人材のマネジメント』(中央経済社)を,お送りいただきました。どうもありがとうございました。佐藤さんと武石さんが中心となった「ダイバーシティ経営」シリーズのもので,これまでも何冊かお送りいただいております。感謝申し上げます。
 今回は,シリーズタイトルそのもののダイバーシティ経営がテーマとなっています。 序章では,ダイバーシティ経営を支える五つの柱が示されています。①多様な価値観を持った社員の組織統合に貢献する「理念共有経営」,②多様な「人材像」を想定した人事管理システムの構築,③多様な人材の活躍を可能とする「働き方改革」の実現,④多様な部下をマネジメントできる管理職の育成,⑤働く人自身が多様性を構成する人材であることを自覚して独自性を発揮・拡張できることに加えて,多様な他者と協働できる人材となること,です。よく整理されていて,納得できるものです。
 ダイバーシティは,法的にいえば,差別禁止の問題と似ている面があるのですが,HRM的にいえば,多様な人材をうまく取り込んだ経営をしようということであり,そうすると当然,マイノリティもうまく活用しなければならないということになり,差別問題への対処にもつながります。人事労働法的な観点からいっても,経営側には,マイノリティも含めた多様な人材をうまく活用してダイバーシティ経営をすることに経営上の利益があるのであり(それはレピュテーション上のメリットも含まれます),そこをうまくつついて誘導する法制度の設計ができればよいと考えます。佐藤さんたちの本は,それをマネジメントの観点から,実践的にどうすればよいかを考える素材を提供してくれています。日本企業では,管理職も,また働く従業員側も,意識を変えなければならないでしょう。同質的な組織は,外的な環境変化に脆弱で,持続的な成長可能性を期待しづらくなります。
 上場会社向けのものではありますが,東証の「コーポレートガバナンス・コード」は,その【原則2-4.女性の活躍促進を含む社内の多様性の確保】において,「上場会社は,社内に異なる経験・技能・属性を反映した多様な視点や価値観が存在することは,会社の持続的な成長を確保する上での強みとなり得る,との認識に立ち,社内における女性の活躍促進を含む多様性の確保を推進すべきである」とし,「補充原則」として,「上場会社は,女性・外国人・中途採用者の管理職への登用等,中核人材の登用等における多様性の確保についての考え方と自主的かつ測定可能な目標を示すとともに,その状況を開示すべきである」として,人材の多様化に言及していますが,それは,企業価値を高めるためにも人材の多様化が重要であることを示しています。
 ところで1973年の三菱樹脂事件・最高裁大法廷判決は,思想・信条を理由とする採用拒否を違法ではないと判断しています。そこには,企業が同質的な思想をもつ労働者を集めて経営することは,憲法の保障する経済的活動の自由の一環であるという考え方が基底にあります。経営責任を負う企業は,誰を採用して事業経営をするかは自由に決めてよいのであり,法律や裁判官が介入するなというのは,ある意味では正しいことです。しかし,私は最近では,そこから一歩進んで,やはり公正な採用というものを,もう少し強く企業に求めてよいのではないかと考えています。それは企業に課されている社会的責任からのものです。そして,社会的責任を果たすことは,企業にとって経営上のメリットがあるということを自覚せよというのが,ダイバーシティ経営論だと思っています。
 人事管理の進化が,最高裁判例を過去のものとしてしまい,硬直的な法理論を乗り越え,企業にも労働者にもウィン・ウィンをもたらすというのが,私が考えている人事労働法の世界です(拙著『人事労働法』63頁以下も参照)。

 

2022年3月 7日 (月)

労働者協同組合と優生思想

 一昨日紹介した「わが名はキケロ」という映画では,ナチスの優生政策「T4作戦」も扱われていたことを紹介しました。このおぞましい作戦は後のホロコーストの予行演習となったと言われています。ガス室で何もわからないまま障害のある子どもたちが殺されようとしていたシーンは戦慄を与えるものでした。日本でも,相模原事件と呼ばれる障がい者の大量殺傷事件があり,その背景には優生思想があったと言われています。犯人がどういう動機でこの犯行に至ったのかはよくわかりませんが,資本主義における競争社会において,勝者と敗者が明確につくなか,障がい者をその競争のレールに最初から乗っていないとみなして嫌悪するという屈折した優生思想が,私たちの社会のどこかにあるのかもしれません。そうなると優生思想と資本主義は密接な関係があることになります。そんなことを考えさせられたのが,ときどき採り上げているJT系の「TASC Monthly」という雑誌の551号(202111月)に掲載されていた,「ワーカーズコープへの想い」という坂部明浩さんの論説を読んだときでした。この論説では,最近法制化された労働者協同組合を採り上げながら,障がい者中心の協同組合活動のことを紹介されており,そのなかで「いかなる優生思想(の芽)にも抗する強靱でしなやかな地域社会づくり」というスローガン(目的)に言及されていました(なお坂部さんは障がい者に「障碍者」という正しい漢字をあてておられます。私は,通常は「障がい者」とし,法律用語としては法文にしたがって「障害者」を使うことにしています。ときどき混同してしまうこともありますが)。
 ところで障害者雇用促進法は,「障害者である雇用労働者」の雇用促進のために事業主に責任を課しており,この面では事業を遂行する企業において生じる強い事業主と弱い労働者という縦の関係にくさびを打ち込もうとする労働法的なつくりを採用しているといえます。資本主義社会で営利企業で働こうとしても,普通の労働者間競争では,簡単に排除されてしまいがちな障がい者に合理的な便宜をほどこして,競争の世界に参入できるようにするという趣旨です(この点がより明確なのが,アメリカの障がい者差別禁止法であるADAAmericans with Disabilities Act]です)。一方,労働者協同組合は,企業とは異なり,「組合員が出資し,それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ,及び組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織」であり(労働者協同組合法1条),そこにあるのは,組合員間の横の関係です。そして組合は「持続可能で活力ある地域社会の実現に資することを目的とするものでなければなら」ず(同法31項柱書),「営利を目的としてその事業を行ってはならない」とされています(同条3項)。地域への社会貢献を非営利で行うものであり,これは労働の原点となる活動だといえます(労働の原点がこういうものであることは,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)でもふれています)。
 自らの属する共同体において自己のできる範囲で社会課題の解決に貢献するのが「労働」であるとすると,必ずしも営利社団法人である企業という場で雇用されて働くという形をとらなくてもよいのです。労働者協同組合は,企業に代替しうる「労働」の場の最有力候補といえるでしょう(組合員は労働契約で採用されるとなっていますが,本来は労働契約でなくてもよいと思われます)。そうした労働者協同組合が,障がい者の「労働」の場として適しているという坂部さんの指摘は興味深いものです。
 ただ,労働者協同組合の意義は,障がい者以外にも及ぶものです。誰もが取り残されないというSDGsの理念を実現するためにも,何のために労働をするのかという原点に立ち返るべきです。資本主義にどっぷりそまり,競争に勝つことばかりに気をとられ,競争に負けたり,あるいは競争に乗れない人を下にみる人は,実は自分をとても窮屈な世界に閉じ込めているのだということに気づく必要があるでしょう。

2022年3月 6日 (日)

森ます美・浅倉むつ子編著『同一価値労働同一賃金の実現』

 森ます美・浅倉むつ子編著『同一価値労働同一賃金の実現―公平な賃金制度とプロアクティブモデルをめざして』(勁草書房)をいただきました。どうもありがとうございました。「同一労働同一賃金によって格差はなくならない」というサブタイトルのついた書籍『非正社員改革』(中央経済社)を刊行している私にとっては,気になるタイトルの本ではありましたが,私の議論とはほとんど接点はなさそうでした。本書は,同一(価値)労働同一賃金について,男女差別の問題と正社員・非正社員(正規・非正規労働者)との格差問題を合わせて論じようとしています。職務評価を公正におこなって同一価値労働同一賃金を実現することを目指すという点で統合できるということでしょう。ただ,本書は,正社員間の格差はターゲットとしていないようであり,同一(価値)労働同一賃金論を,賃金理論として純化させるためには,すべての労働者を対象としなければならないのではないかという疑問は残ります。
 ただ本書が,プロアクティブなアプローチを指向し,労働法の履行確保という観点から,企業側の作為義務に着目している点は,私の問題関心と合致するところがあります(本書がカナダ法をいささか強引に比較法の対象としたように思えるのは,同法にみられるプロアクティブモデルというものを提示したかったからでしょう)。ところで拙著『人事労働法』でも,従来の裁判法学的労働法への批判として,労働者に権利を付与してそれを司法的プロセスで実現していても労働者の利益を守る手段としては不十分で,むしろいかにして企業が義務を履行できるかという仕組みを考えなければならないと主張しているので,実はプロアクティブな発想なのです(前にこのブログで巴機械サービス事件・横浜地判2021・3・23を採り上げたときに,裁判をとおした男女差別の是正の限界ということを指摘したのも,この観点からです)。ただし,どのように企業に義務を履行させるかというところには,企業へのインセンティブも必要で,その点で私は行為規範の明確化が重要だとしています。この点は本書の立場とは異なっているように思います。私見の詳細は,拙著を読んでもらいたいですが,いずれにせよ近時の労働法の履行確保論において,いかにして企業を動かすかという「義務」に着目する議論はまだ少数だと思います。今後,行動経済学の知見も参考にしながら,この分野での議論を深めていきたいです(法律時報の最新号の坂井岳夫論文も参照してください)。
 なお,プロアクティブな規制手法という点で共通するとはいえ,人事労働法の提案は,本書とはまったく異なっています。これは実体法についての考え方の違いからくるものです。実体法の面での差別についてどう考えるべきかは,これはまた別の論点として深く論じる必要があります。私は,差別は何かにこだわるより,差別なき人事とは,企業が男女や雇用形態の違いに関係ない共通の就業規則を正当な手続をとおして設けて,それを納得規範を遵守しながら適正に適用していくことであるという立場にあります(『人事労働法』59頁以下を参照)。

2022年3月 5日 (土)

「わが名はキケロ ナチス最悪のスパイ」

 実話に基づく映画だそうです。トルコ映画です。文字も言葉もトルコ語の部分はまったくわかりませんが,面白かったです。アルバニア出身のイリアス・バズナは,コソボでの虐殺で,両親も弟も殺されてしまいました。弟は知的障害者でした。彼は何とか生き残り,虐殺者たち(セルビア人)の小間使いとして働かされていました。あるとき,彼が手引きをして,仲間に虐殺者たちを襲撃させ,復讐をとげます。彼の幼少時代です。それから画面が変わって,彼はアンカラのユーゴスラヴィアの大使館の職員として働いていますが,あるパーティで彼は得意の美声でカンツォーネを歌っていました(イタリアのオペラです)。その声に惹かれたイギリス大使館から執事になるよう誘われます。大使の厚い信頼を得た彼は,大使に睡眠薬を飲ませることができ,極秘情報を奪ってドイツ大使館のモイズイッシュに流します。当初は,そこから流される情報に懐疑的であったヒトラーも,連合軍のブルガリア爆撃の事前情報が正しかったことを知り,イリアスをドイツの正式なスパイとして活用することにします。イリアスは「キケロ」というコードネームで呼ばれました。イリアスは,モイズイッシュの秘書として働くコルネリアと偶然(?)出会います。彼女は知的障害者である長男アグストを育てるシングルマザーでした。イリアスは自分の弟を思い出したのでしょう。アグストに優しく接し,息子を溺愛するコルネリアとも親密になります。
 ドイツは悪名高い「T4作戦」を実行しようとしているところであり,モイズイッシュは,コルネリアにも家族情報を出すよう求めましたが,コルネリアは隠そうとしていました。しかし,それがバレてしまい,このままではアグストはブルガリアに送られて殺されてしまいます。モイズイッシュは,息子を守ることと引き換えに,コルネリアと強引に関係を結びます。しかしモイズイッシュに嫌悪感をいだくコルネリアは,息子を守るためにスイスに脱出しようと考え,イギリス大使館にパスポートの発給を求めます。その条件として,偶然耳にしたキケロという名のスパイから,イギリスの情報がドイツに漏れていることを伝えます。しかしコルネリアは,キケロがイリアスであるということは知りませんでした。
 コルネリアの机をみて,イリアスとの関係を知ったモイズイッシュは,コルネリアとアグストをとらえて人質にし,イリアスに連合国軍の上陸に関するオーバーロード作戦の情報を盗むよう求めます。イリアスはその情報と引き換えに,コルネリアを奪還しますが,アグストはすでに収容所に送られていました。イリアスとコルネリアは収容所になんとかかけつけ,ガス室での間一髪のところで,アグストは助け出されました。このシーンは泣けてきますし,ドイツの「T4作戦」の狂気に背筋が寒くなります。
 ところがイリアスは,実は偽情報を伝えていました。ナチスにとって致命的なことでした。モイズイッシュは処刑されました。
 映画の最後に真相が明かされました。イリアスは,建国されたばかりのトルコ共和国が戦争に巻き込まれないように,建国の父であるアタチュルク(?)から諜報活動に従事する任務を与えられていました(オスマントルコは,第1次世界大戦にドイツ側に参戦して敗北して滅亡していました)。当初からヒトラーを危険視していました。結局,トルコは,イギリスからも,ドイツからも,戦争への参加を求められるなかで中立を守りとおします。イリアスのスパイ活動が,大きく寄与したのです。トルコの現代史を考えるうえで,中立を守ったことは,大きな意味をもったのではないかと思います。
 とても面白い映画でした。登場人物は実在の者ですが,どこまで史実に忠実であったかはわからないものの,第2次世界大戦をトルコ側からみるというのも,世界史を知るうえでは大切だなと思いました。一見の価値はある映画です(イリアス役の俳優は,最初は冴えない感じなのですが,徐々に魅力的になっていきますし,コルネリアは文句なしの美女であり,この二人のロマンスも映画の魅力を引き立てています)。

2022年3月 4日 (金)

ワクチン接種

 3回目のワクチン接種券が届きました。大学で再来週に職域接種となります。すでに2回モデルナを打っているので,つぎはファイザーをといきたいところですが,ファイザーは不足しているそうなので,素直に職域接種のモデルナにすることにしました。それにしても接種券は紙で送られてきて,予診票も紙に記入ということで困ったものです。いつもの愚痴ですが,接種券が入っている封書にはいろいろと紙が入っているのですが,そこに書かれている情報の大半は,メールで所定のサイトのURLを送ってもらって,そこに情報をアップしていてくればすむことで,また予診票に相当するものも,所定のサイトの画面に入力すれば情報が接種会場に渡るというようなことにしておいてもらえれば助かるのですが。送る自治体のほうも,私たち市民も,また接種をする側の医療機関(私の場合は大学)も大変なのです。みんな我慢して乗り切ってしまうので,いつまで経ってもデジタル化が進まないのですよね。
 先日,父のワクチン接種について,近くのかかりつけ医ではワクチンが足りないので予約できないと言われて,仕方がないので,少し遠方のところにまで連れていき接種してもらってきました。やっと初回です。父のかかりつけ医が,父が高齢なので,副反応もあることから,あまり接種を積極的に勧めていなかった(むしろ消極的であった)こともあり,この時期でようやく1回目となりました。本人の感染や副反応のリスクよりも,接種していなければ,周りの人に不安を与え,人間関係が困るであろうということで,本人を説得して連れていきました。父の場合,自力歩行ができないので,移動がたいへんですし,副反応も心配なので,近くのかかりつけ医でと思っていたのですが,そうはいきませんでした。しかも2回目は初回と同じところでなければならないということで,また3週間後に連れていかなければなりません。その日は私のワクチン3回目接種と同じ日なので,もし私が接種で調子がわるくなれば,父の2回目はキャンセルになってしまいます。事前に日程を調整しておけばよかったのですが,うまく予定がつきませんでした。ワクチンがもっとたくさんあって,近くでいつでも簡単に打てるということであればよいのですが,そうではないために窮屈な日程調整をしなければなりません。しかも接種券やら予診票やら紙を持ち歩かなければならないのも面倒です。
 こういう不満は小さなものなのでしょうが,私たちは日常のこうした,なんか気が利かないことが多いなという感じを抱くことをとおして,政府や行政への不満をつのらせていくのです。みんな大変なんだから,我慢しなければいけないというと,日本人はそうだとすぐ考えてしまいがちですが,我慢は進歩を止めてしまい,次の世代の人にさせなくてもよい我慢を引き渡してしまうことになりかねません。少なくとも簡単に使えるデジタル技術を使わないがための非効率については,我慢をせずにもっと文句を言ってよいのではないでしょうかね。

2022年3月 3日 (木)

人類の愚かさを嘆く

 前にルーシ人のことにふれましたが,現在のウクライナには,もともとルーシという国があったそうです。キエフ大公国とも呼ばれます。このルーシは,言葉からも分かるように,ロシアやベラルーシの国名に残っています。ウクライナもロシアもベラルーシも,簡単にいうと兄弟国です。兄弟のいがみあいだから,わざわざ他国が口をはさむことはないという話にもなりそうですが,そう簡単なことではありません。何よりも,この争いは,世界中を巻き込むおそれがあります。第三次世界大戦は絶対に避けなければなりません。
 連日伝えられているロシア軍の攻撃映像をみると,21世紀の現在にどうしてこんな愚かなことをしているのかと言葉を失います(私が気づかないところで戦争はずっと起こり続けていたのかもしれませんが)。核大国が戦車を使って,明らかに軍事的に劣る他国(しかも「兄弟」国)を攻め,民間人も多数死亡しているなんてことが,この地球上で起きているのです。しかも西側がやっていることが,経済制裁だけでなく,ウクライナへの軍事的な支援です。人類はいったいいつまで無意味な戦争を続けるのでしょうか。世界史の勉強をすると,戦争史の勉強をする感じになってしまいます。いくたの戦争の末,20世紀にHitler が誕生したのです。二度とHitlerの再来を許さないというのが,西欧政治の基本でしょう。Hitlerの再来かもしれないPutinを全力で抑えなければならないのは当然のことですが,この戦争をきっかけに,再び軍拡競争が起こるのではないかが気がかりです。もしそうなれば,地球の持続可能性とは正反対の方向です。Hitlerを生んだドイツは,今回のロシアのウクライナ侵攻をみて,軍事費を増強するようです。日本でも,台湾有事に備えろという声が高まりつつあります。有事に備えるのは当然として,それが軍備増強という手段しかないのだとすると,人類の未来は絶望的な感じがします。
 ホモ・サピエンスはほおっておくと,どうしても殺し合いをしてしまうのかもしれません(ホモ・サピエンスがヒト族で唯一生き残っているのは,他のヒト族を絶滅させたからという説もあります)。人類は自分たちをサピエンス(賢い)と呼んだり,Primates (霊長類)と呼んだりしていますが,ほんとうにPrimate(最高位というニュアンスが入っている言葉)に値する賢さをもっているのでしょうかね。

2022年3月 2日 (水)

道幸哲也他編著『社会法のなかの自立と連帯』

 道幸哲也・加藤智章・國武英生・淺野高宏・片桐由喜編著『社会法のなかの自立と連帯』(旬報社。以下,本書)をいただきました。どうもありがとうございました。帯にあるように「28名の第一線の研究者と実務家」が,労働法や社会保障法に関する「個別テーマを取り上げ,問題意識を前面に出した議論を展開」したものです。北海道大学社会法研究会50周年記念という意味もあるようですが,この研究会は最後に収録されている座談会をみても,まさに道幸研究会のようなもので,本書は偉大な道幸先生の学恩に捧げる論文集というところでしょう。それにしても,社会保障法の研究者も含むこれだけの陣容を抱えながら,うまく道幸先生から國武さんに代変わりが進んでいて,東京から来た池田悠さんなどともうまくfusionしているようで北海道大学社会法研究会は,ますます発展していきそうですね。全国にいくつかこうした大学を基盤とした研究会がありますが,この研究会は最も繁栄しているものの一つだと思います。
 本書は,労働法と社会保障法の両分野にまたがっていますが,前者でいうと,労使自治,正社員・非正社員の格差,差別,就業規則,労働者性,労働時間,育児休業,倒産関連など広範なテーマが論じられています。なかでも小宮文人「解雇の金銭救済立法を考える―不当な雇用終了全般を視野に」では,雇用終了に関する研究の第一人者である小宮先生から,私たちの提案した金銭解決制度(大内伸哉・川口大司編著『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(2018年,有斐閣)を正面から取り上げ,論評をいただいています。批判も含まれていますが,有り難く思っています。
 本書は全般的に,やや細かいテーマのものが多いという印象で,また結論については,その次にどういうことになるかを知りたいと思わせるタイプの論文が多かったように思いますが,もともと道幸先生がそういうスタイルの論文を好まれる感じなので,これが北大シューレの学風なのかもしれません。
 ところで,本書の掲載論文のなかでやや気になったのが,本久洋一さんの「労働者概念の相対性について―橋本陽子『労働者の基本概念』に学ぶ―」です。橋本書への根本的な批判が書かれています。本久さんが分析しているように,Wank理論(目的論的アプローチに基づき,「事業者のリスクの自発的な引き受け」の有無で事業者と労働者を区別するという消極的な労働者定義)は, Wankを賛美する橋本さんにおいても日本法の解釈に取り入れることができなかったのですが,その理由がどこにあるのかが重要な点だと思います。橋本書は「学ぶ」に値する大著ですが,それゆえ厳しい批判にさらされることも,また避けられない運命にあります(日本労働研究雑誌734号の岩永昌晃さんの書評も参照)。橋本書をきっかけに,労働者概念が今後どう展開されていくのかが楽しみです(私はこの議論には,前にも書いたように,正面からはもう参戦しないつもりです)。なお,本書に掲載されている島田陽一先生の「専門職者の労働者性判断基準の検討」も,労働者性の判断基準について具体的な提言をされています。

 

2022年3月 1日 (火)

棋士の引退

 桐山清澄九段が引退となりました。将棋の引退規定は少し複雑なのですが,順位戦に参加しないフリークラス(C2組から陥落する場合と,自ら宣言してこのクラスに入る場合とがあります。このほか三段リーグで2回次点になって四段昇段を選択した場合にもフリークラスに編入されます)にいると,一定の要件で定年が迫られます。2020年にC級2組からフリークラスに陥落した桐山九段は,竜王戦だけは出場可能でしたが,5組在籍で2年が上限で,今期で4組に上がれなければ引退となるとされていました。残念ながら先日の対局で敗れて4組昇級の可能性が絶たれて引退となりました。とはいえ,74歳ですので,よくここまで戦ってこられたと思います。最近はほとんど勝てていなかったですし,実は超一流棋士として名を残せる1000勝(特別将棋栄誉賞)まで,あと4勝というところまで迫っていましたが残念でした。A級在位14期,タイトル4期(棋聖3期,棋王1期),名人挑戦もある実績十分の棋士ですが,あまり素人には受けない棋風で,「いぶし銀」というキャッチフレーズも地味でした(谷川浩司九段の「光速の寄せ」などとはかなり違います)。ただ,実力のプロの世界で74歳まで頑張られたのは凄いことで,ほんとうにご苦労様でした。
 棋戦情報です。桐山九段も関西棋士ですが,先日の朝日杯将棋オープン戦の決勝では,関西(加古川)の井上慶太門下の稲葉陽八段と菅井竜也八段の兄弟弟子対決がありました。菅井八段が勝って優勝しました。おめでとうございます。菅井八段は,銀河戦でも優勝しており,年に2回の優勝はすごいです。A級も残留し,来年度は名人挑戦ともう一度タイトル獲得(王位を1期獲得経験があります)を目指してほしいですね。
 女流では,女流名人戦で,里見香奈さんが12期守ってきた名人位を伊藤沙恵さんに奪われました。伊藤さんは里見・西山朋佳の二強に続き,加藤桃子さんと並ぶ実力者ですが,タイトル戦では里見さんに何度も挑戦しては敗れ,これまで無冠でした。ようやく今回タイトル奪取できました。女流は里見時代であったのが,西山さんの登場で二強時代になりつつありました。伊藤さんはまだ二強を切り崩すまでには至っていませんが,これからの活躍を期待したいです。まずは男性棋士にもっと勝ってほしいですね。
 実は里見さん(妹の咲紀さんも女流棋士です)や西山さんは,男性棋士にかなり勝っていて,先日も里見さんは,なんとB1組に昇級を決めているバリバリの若手棋士の澤田真吾七段に勝ちました。女流のレベルは上がっているのですが,まだ男性棋士と互角に勝負できる女流棋士はこの二人くらいです。とくに男性のトップ棋士相手となると,この二人でも勝てる見込みはほとんどないのが現状です。女性の棋士が,いつかプロのタイトルを獲る時代は来るでしょうか。今世紀中は無理という感じもしますが,どうでしょうかね。

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