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2022年2月14日 (月)

『こども六法』を読んでみて

 多くの人は,世の中のルールなどについて,それは客観的に合理性があるとして,その合理性に自分の理解を合わせようとするでしょう。それが社会常識を身につけるということです。しかし,おそらく私は幼いときから,まずは自分自身の主観的な合理性を基準として理解をしようとし,それと客観的合理性とがあわないとわかったとき,それがなぜかと考えようとしてきました。結果として,社会常識の理解が人より遅れることになり,あるいは社会常識を咀嚼することができず,自分の主観的合理性のまま行動することで”変人”化してしまうこともありました。実際には年を重ねるにつれ,社会常識とされる客観的合理性に納得はしないものの,それなりに理解できるようになり,場に応じて社会常識に従うふりができるようになりましたが,ただいっそう年を重ねるにつれ,そういう「ふり」もしんどくなり,主観的な合理性を通すことが増えたような気がします。社会常識がおかしいという居直りです。研究者の世界は,そういう居直りが比較的許されるところでした。それと同時に,傲慢にも,社会常識のほうが私のほうに寄ってくるべきではないかと考えたりもしていました(実際にそういう例も結構あるのです)。いずれにせよ,主観的合理性と客観的合理性は合致しているに越したことはありません。
 話は変わって,弘文堂から出た山崎聡一郎『こども六法』というベストセラーがあります。刑法,刑事訴訟法,少年法,民法,民事訴訟法,日本国憲法,いじめ防止対策推進法が,とても読みやすく説明されています(刑事系の法律や訴訟法が中心で,日本国憲法が意外にあっさりしているのは,監修者の傾向が出ているのでしょうか。憲法28条が省略されていたのは,労働組合関係者にはショックでしょうね)。この本は法律の知識をこどもに伝えるもので,法律という形でルール化された社会常識をしっかり学ぶように求めるものと言ってもよいかもしれません。最近流行の考える学習ではなく,まずは知識ということでしょう。たしかに刑法や訴訟法などは,とやかく言わずに守るべきものであり,考えて納得するというたぐいのものではないかもしれません。ただ,できれば納得したほうがよいわけで,納得できないようなものがあれば,それはひょっとすると法律のほうがおかしいかもしれないという問題意識をもてるようになると,これは考える学習としては大成功となります。ひょっとしたら客観的合理性よりも主観的合理性のほうが正しい可能性もないわけではないからです。
 そういうことで,考える学習のための一つ素材を挙げたいと思います。ここで採り上げるのは,『こども六法』の刑法の正犯と共犯のところです(2021頁)。私は刑法を学んだのは遠い昔のことなので,素人に毛の生えた程度のレベルだと考えてください。
 まず,同書では,刑法60条の共同正犯について「二人以上で一緒に犯罪を行った場合は,全員その犯罪を行ったものとして,同様に扱います」と説明されています。次に刑法61条の教唆について,「1項 人をそそのかして犯罪を行わせた人には,犯罪を実行した人と同じ刑を科します」とされています。さらに,62条の幇助について,「1項 犯罪を行う人を手助けした人は,「従犯」といいます」とし,63条で「従犯の人に与える刑は,正犯の人に与えられる刑を軽くしたものを基準に考えます」とされています。刑法の条文を,実にわかりやすくかみくだいて説明してくれています。
 これを読むと,従犯は正犯より刑が軽くなることがわかります。そして,教唆は,犯罪を行うようにそそのかすのであり,単に犯罪を行う人に手助けをする幇助よりも罪が重くなるのだと理解できると思います。ここまでは論理にしたがった思考であり小学校高学年でもできるでしょう。ただ少し考えると,犯罪を行った人と,犯罪を行うようそそのかした人とが同じ刑でよいのか,という疑問が出てきそうです。泥棒をした人も泥棒するようそそのかした人も同罪だから,そそのかすことをしないようにしようと教育するのには意味がありますが,「実際に泥棒するほうが悪いよね」という考えにも合理性がありそうです。では,これについて,小学生にどのように納得してもらいましょうか。
 一つの説明は,自分の手下の者のように,自分の言うことを聞かざるを得ない人をそそのかした場合には,むしろそそのかしたほうが強い立場にあるので罪が重くなる,という説明はありそうです。ただ,それだったら,そそのかしたというより,自分で犯罪を行ったのと同じではないか,という反論も,小学校の高学年くらいならしてくるかもしれません。これは正鵠を射ている反論なのであり,実は大学の法学部では,日本の判例には「共謀共同正犯」という概念があって,犯罪の共謀をしただけで正犯となるということを教わり,むしろ教唆犯の処罰例はきわめて少ないということを教わります(共謀共同正犯の正確な説明は,刑法の専門家に聞いてください)。教唆と正犯が同罪であることへの疑問は,現実には,教唆のような行為は正犯として処罰されているという答えになりそうですが,それじゃ刑法61条の教唆犯は正犯と同じ刑で処するという規定にはどういう意味があるかという元の質問には答えられていません(なお実際には法定刑が同じというだけで,教唆犯のほうが軽く処罰される可能性はあります)。これは専門の法律家にすれば,あまりにもプリミティブな疑問でバカバカしいことに思えるでしょうが,こどもに納得してもらうという点からは看過できない論点のようにも思えます。知識を与えるということで,こども六法はとても良い本ですが,教唆の部分は,あまりよい知識の提供にならず,考える学習としては良くない素材となりそうなので,この部分はないほうがよいのでは,というのが私の余計なコメントです(もちろん,ある程度,大きくなると,共謀共同正犯という共同正犯概念の拡張は望ましいのか,といった硬派な議論の素材にはなるのですが)。

 

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