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2022年2月の記事

2022年2月28日 (月)

Black February

 20222月は今日で終わりです。2月は28日しかないので(閏年でも29日),例年であれば,入試などもあってバタバタしてすぐに終わるという感じですが,今年は濃密な1カ月だったように思います。後世に,「ブラック・フェブラリー(Black February)」と呼ばれるかもしれません。まず北京オリンピックがありました。日本や欧米の外交ボイコットに始まり,スポーツの政治利用が露骨に示された大会でした。個々の競技では楽しめたものの,審判の不公平感のあるジャッジなどで,選手のせっかくの活躍に水を差してしまうこともありました。一方で,カーリングの透明感のあるルールが,選手たちの個人的な魅力とも相俟って,スポーツとしての品の高さを感じました。
 女子フィギアスケートはドーピング問題が残念でしたが,神戸出身の坂本花織さんの銅メダルは,ほんとうに良かったと思っています。ドーピング疑惑のワリエワ選手の失速は,坂本選手にとってはとてもラッキーでしたが,彼女は結果に胸を張ってよいと思います。むしろ坂本さんは,すごいジャンプがないなかで,着実に自分のできる技をパーフェクトにこなすという地道なことに徹した結果,幸運がめぐりこんできたのです。彼女の成功は,自分のもてる力をしっかり出し切ることが大切というとても重要なことを教えてくれたと思います。小林陵侑選手の活躍,カーリング女子の銀メダル,平野歩夢選手の「怒り」の金メダルも印象的です。
 そうは言いながら,最も印象に残ったのは,やはり純粋にスポーツを楽しみきれない,スポーツ外の話題であり,それはIOCのもついかがわしさに起因しているのでしょうね。オリンピックへの関心を失った人も多いのではないでしょうか。
 もう一つのBlackは,もちろんロシアのウクライナ侵攻です。いつも書いているように,ロシアは信用できない国ですが,今回はひどいことになりました。ロシアの暴走は,Putinだけの問題かどうかよくわかりませんが,誰も止められず,いまのところ国際社会も,なかなか効果的な対応ができていません。中国がロシアの味方であるかぎり,経済制裁の効果にも限界があるでしょう。国連の安全保障理事会は,常任理事国であっても,当事国が採決に加わるのはおかしいと思うのですが,そういう常識的な感覚が通用しないところなのでしょう。これだと拒否権のある常任理事国は国連を無視して何でもできることになってしまいます。この点で,国連はすでに根本的な矛盾をかかえているのでしょう。アメリカにしろ,ロシアにしろ,中国にしろ,狂った指導者が出てくる可能性は否定的でないのであり,そういうことも考慮した安全保障体制の構築が重要であることが,今回の教訓だと思います。核兵器をもつ国が,他国には核兵器をもたせないのに,自らは核兵器の脅威をちらつかせて屈服を迫るという異常性にも目をむけなければなりません。核保有国の狂ったリーダーが血迷って核兵器を使うかもしれないという危険が,リアリティをもって示されました。核兵器の抑止力というような甘いものではないのです。
 ウクライナへの攻撃は,NHKの普通の時間帯のニュースでも流れていますが,小さい子どもには見せられないような映像だと思います。でも子どもたちに現実を知らせなければならないのかもしれません。Putinの犯した罪は,あまりにも大きいものです。台湾有事に絡めて議論する人もいますが,人類がこの危機をどうやって乗り越えていくのかという,もっと大きな視点で考えいく必要があります。日本の政府にも,しっかりした役割を果たしてもらいたいですが,期待できるでしょうか。

2022年2月27日 (日)

島村暁代『プレップ社会保障法』

 弘文堂のプレップシリーズから出た島村暁代さんの社会保障法は,素晴らしい内容だと思いました。お送りいただき,ありがとうございました。身近な社会保障の問題を,わかりやすく説明してくれているので,社会保障法の勉強をしようと肩に力を入れなくても,自然に学べます。
 私にとっては,労働法は,自分が労働者であるとはいえ,実際に活用することがほとんどないのに対して,社会保障法は,活用しなければ生きていけません(なお本書には労働法のことがきちんと書かれている点も素晴らしいです)。本書はライフステージごとに書かれていて,私の場合でいえば,もうすぐ高齢者になるので,それに備えてと思って高齢者のところから読んでみました。これだけわかりやすく書かれているものに出会ったことはありませんでした。住宅のことまで書かれていて,手取り足取りです。
 ちまたにある本やネット情報では手続的なところとか,実務的なところはわかっても,制度の基本というところがよくわからないという点に不満がありました。本書は制度の基本から過不足なく説明がなされていて,これは手元に置いておく価値のある本だと思いました。著者は,社会保障の全体像を体系的に理解したうえで,解きほぐして説明してくれているのであり,その力量の高さがわかります。
 社会保障は全世代にまたがるものであり,みんなが手にとって読む必要があります。最近は★をつけることをしていませんが,これは法律書というカテゴリーを超えて,まさに一般の良書として★を5つ付けたい気持ちです。社会保障制度はよく変わるので,みんなが購入して支えて,ずっとアップデートしつづけてもらいたいです。

 

2022年2月26日 (土)

ナッジ

 日本経済新聞の経済教室でカタカナ英語を使うと,日本語の訳を入れるよう指示されることが多いです。たぶん指示されるだろうなと思いながら,でも日本語訳がどうもぴったりこないと思うことがあり,あえて入れないこともあります。ときどきそのままとおることがありますが,インセンティブは,あいかわらず「誘因」と入れるよう求められます。これはまあいいかなと思うのですが,プラットフォームを「基盤」と入れるよう提案されたときは困りました。どう応答したか忘れましたが,基本的にはプロの編集者の言うことは聞く方針ですので,それにしたがったと思います。ただ,いまではプラットフォームは,日本語をいれなくてもよくなったのではないかと思います。1月に書いた原稿で「ナッジ」(nudge)という言葉を使ったとき,これはちょっと微妙かなと思いましたが,経済教室だし,最近よく使われているので大丈夫だろうと思っていたら,「誘導」という日本語を提案されたので,そのとおりにしたがいました。よく「(ひじで)つつく」という意味だと説明されていますが,少し長いので,この程度で仕方ないと思いました。ところで,221日の経済教室では,「ナッジ」がテーマとなっていました。このカタカナ英語がそのまま見出しで使われていて,日本語はついていないと思っていたら,本文で「ひじで合図する」という意味だと書かれていたので,それでよしとされたのでしょうね。プラットフォームと同様,ナッジも日本語なしでOKとなるでしょうか(ほんとうにプラットフォームの日本語が不要となったのか自信はありませんが)。
 ナッジは,ネットのdictionaryでみると,「to push against gently, especially in order to gain attention or give a signal」となっていました。イタリアでは,そのまま英語のnudge という言葉を使っているみたいですが,調べていると「spinta gentile」という表現も出てきました。これも上記の英語と同じで「やさしく押すこと」という意味です。いい感じですね。パターナリズム(paternalism)でもなく,リバタリアニズム(libertarianism)でもないところがいいのです(このあたりは,またいつか書きます)。今後,和訳を求められれば,「つつく」より「優しい一押し」という表現を使ってみましょうかね。

2022年2月25日 (金)

PWの別送

 最近は減ってきましたが,電子メールでZipファイルが添付されていて,その後にパスワードを記した別便のメールが送られてくるということがあります。これでセキュリティが十分なのか,私にはよくわかりませんが,ただ政府はもうこの方式(「PPAP」と言ったりもするそうです)はとっていないそうです。
 そもそも郵便であっても,書留で送っていない程度の内容のものを,そんなに厳格な方法で送る必要があるのかという疑問があります。役所によっては,何でも書留というところもありますが,いちいち受取をしなければならず面倒です。税金の無駄遣いでもあるでしょう。30年前にイタリアに留学していたときは,郵便が信用できないので,何でも書留(posta raccomandata)で送り,そうでなければ紛失したり大幅な遅延は仕方がないという感じでしたが,日本の状況はそういうものではないでしょう(イタリアでも,現在は違うと思います)。
 それにパスワード別送方式が,どれだけセキュリティに資しているのか,よくわかりません。誤送信対策だとしても,送信先アドレスが間違っていた場合には,パスワードも間違った宛先に送ってしまう可能性が高いでしょう。Zipファイルで圧縮して送る手間は,送信先を間違わないようにすることへの慎重さに充てればよいわけですし,実際にそうしたミスはほとんど考えられません(とはいえ,私もうっかり宛先を間違って送ってしまったことが,ないわけではありませんが)。
 私の場合は,まったく見知らぬ人に添付ファイルを送るというようなことはまずないので,大事な内容の添付ファイルは,その相手との間でしかわからないようなパスワードをかけて,その合い言葉のようなものをつけて送ることが多いですし,私の周りでもそういうことをしている人が多いです。もちろん,どうしても漏れたらいけない超極秘の文書があるときは,そもそもメールは使いません。
 ところで,初めて仕事をした事業者からは,マイナンバーの提示が求められますが,通常は,先方から返信用封筒(書留用)を送ってきます。メールで番号を知らせて欲しいと言ってくるところもまれにありますが,個人情報をきちんと管理できるのか心配になります。もちろん,そういう方法の場合,いくら提示が義務であっても,安全対策をするまでは提示を断ります(某役所でそういうことがありました)。とはいえ書留郵便のほうは,郵便局にもっていかなければならないのが面倒です。最近のあるケースでは,マイナンバー管理サイトを通して提示することができ,ネットで完結できたので助かりました。ただ,こういうケースはごく少数で,主流は,上記のように返送用書留郵便に,台紙も送ってきて,そこにマイナンバーカードの表裏をコピーして切り貼りして返信するように求めるという超アナログな方法です。もちろん,セキュリティ無視のメール送信での提示要求は論外です。パスワード別送のような半端なセキュリティ対策をする企業が多いという現状もあわせて,これが現在の日本のデジタル技術のレベルを示しているのかもしれませんね。

2022年2月24日 (木)

Eコマースと物流業界と労働

 デジタル社会の一側面といえるECEコマース,電子商取引)を支えるのは配送業者ですが,この業界においてドライバーの「2024年問題」があるということが新聞報道されていました。何だろうと思ってネットで調べてみたら,これは労働時間規制のことを言っているのでした。労基法の2018年改正(いわゆる働き方改革)による時間外労働の上限規制(36条)について,一部の業種などでは適用猶予となっているのですが,自動車運送業務もそこに含まれています(このほかの適用猶予の対象としては,建設事業や医師などがある)。同法140条に定めるもので,詳しくは,行政通達の201897日の基発09071号をみてほしいのですが,簡単にいうと,一般乗用旅客自動車運送業務,貨物自動車運送事業,その他,労基則692項で定める自動車の運転業務については,2024331日までの間は,改正法がそのままは適用されず,三六協定で定めるべき時間外・休日労働の単位期間である「1日,1カ月,1年」のうち「1カ月」は「1日を超えて3カ月以内」の範囲で決めてよいとされ,また,①三六協定の限度時間(1カ月45時間以下,1360時間以下)の規制(労基法364項),②特別協定による場合の時間外労働の上限(1カ月100時間未満[休日労働込み],1720時間以下。同条5項),③時間外労働と休日労働の上限規制(1カ月100時間未満,複数月平均80時間以下。同条62号および3号)の適用は猶予されます(1402項)。 
  これが2024年4月以降どうなるかというと,②の特別協定による場合について1カ月100時間未満の上限はなくなり,また1カ月45時間を超えることができる月数6カ月以内という制限も適用されず,さらに1年間の720時間以下という規制は960時間以下とされます。実労働時間についても1カ月100時間未満や複数月の平均80時間以下という上限は適用されません(140条1項)。
  つまり年間の時間外労働の時間総数を960時間以下としておけば,1カ月の100時間未満,複数月平均80時間以下という基本的な上限規制がかからないことになるので,これは一般的な労働時間規制と比べると,かなり緩いものです。ただ,この緩い規制は「当分の間」のものであり(それゆえ適用除外ではなく,適用猶予である),いつまでも特別扱いはしないぞ,という法の姿勢を示しています。
 ただ,この業界における労働時間規制を強化すると,私の推奨するムーブレスな生き方や働き方に影響を及ぼす可能性もあります。労基法は,労働者の保護のために長時間労働をさせないようにすることを目指しており,法律で個々の労働者の時間外労働の絶対的上限を設けています。もし企業が労働力を確保したいのならば,労働時間を延長するのではなく,たくさん人を雇うようにせよということなのです。労働力確保のためには,労働条件の改善も必要となるので,これも労働者の保護につながるでしょう。ちなみに20234月からは,中小企業に対する,月60時間を超える時間外労働についての割増賃金の引上げ猶予規定(138条)が撤廃されます。厳しい競争に巻き込まれているであろう物流業界の中小企業にとっては,年間の時間外労働の枠は上記のように緩いものであっても,割増賃金の負担という形の規制はかかってくるので,やはり厳しい状況に置かれるかもしれません。
 これは消費者(および企業)の論理と労働者の論理の対立のなかで,まさに労働者の論理を優先させたものといえるでしょう(この対立の図式は,拙著『雇用はなぜ壊れたのか』(ちくま新書)も参照。やや局面が違いますが,医師についても,医療提供体制の確保と,医師の健康のための労働時間規制との対立が問題となります)。もっとも,賃金の中心が歩合給であることが多い配送ドライバーにとってみれば,労働時間に上限を設けられると収入減となるおそれがあります。労働者の健康面での保護は労働者の経済面での保護とは両立しないことがあるのです。とくに短期でまとめて稼ぎたいと思っている人にとっては,健康よりも収入ということもあるでしょう。こういう人にとっては,労働時間の規制は余計なことなのです。それでも労働者の健康は,運行の安全などにも影響するので(負の外部性の問題),やはり労働時間規制は正当化されることになるでしょう。
 問題の抜本的な解決は,私なら次のように考えます。まず安全面の問題だけであれば,ドライバーの健康管理を,IoTを活用してAIでチェックするという仕組みの導入に取り組んで解決すべきです。労働時間の規制の特別扱いはできるだけないほうがよいです。一方,人手不足の点については,自動運転の活用が期待されます。隊列走行の取組の実証実験はすでに着手されているようですが,実現に向けた加速化が待たれます。ラストワンマイルのところのロボットやドローンの活用ができれば,人手附則問題の大半は解決されていくでしょう。
 労働時間規制の強化にしろ,あるいはそれに適応するための自動化や省人化の進行にしろ,ドライバーという職業の未来はそれほど明るいものではありません。この業界にかぎらず,私たちは,DXが雇用にどのように影響をするかを見極めて職業選択をしていかなければならないのですが,これから隆盛となりそうなECを支えるエッセンシャルな仕事だからといって,決して安泰とはいえず,むしろ衰退の可能性がみえるのです。DX時代における雇用の展望については,何手も先を読まなければならないのです。


2022年2月23日 (水)

スノーデン

 公益通報者保護法やEnronの内部告発などが小さく思えるほどの超弩級の内部告発が,Snowden氏によるアメリカ政府の諜報活動に関する内部告発です。少し前の2016年の映画ですが,その実話をテーマとした,Oliver Stone監督のその名も「Snowden」を観ました。純粋な正義感にあふれる青年は,公私に関係なく他人の情報を,テロ対策という名目で,ただ実はそれと無関係に盗取することに我慢できなくなったのでしょう。自分のもつ技術が,そういうことに使われていたことへの贖罪の意識もあったのかもしれません。まさにすべてを捨てて決死の覚悟で内部告発をしたのです。日本の公益通報者保護法は,「不正の利益を得る目的,他人に損害を加える目的その他の不正の目的」があれば保護されなくなるのです(21項柱書)が,そんな主観的要件を設定するのが馬鹿げたことと思えるほど,正義のための「純粋な」内部告発だったのでしょう。NSA(アメリカ国家安全保障局)CIAなど国家秘密にかかわる仕事に従事し,報酬をもらっている以上,その漏洩行為は許されないというのは当然としても,国民に嘘をつきながら,国民から黙ってプライバシーにかかわる情報を収集するというのは,アメリカの民主主義の精神に反するというSnowden の信念を支持する人も多いでしょう。映画を観ているだけでは,彼が“whistleblower”(警笛をならす人,すなわち「内部告発者」の意味)になる前に,十分に内部的な違法の是正活動に尽力していたか不明です。ただ,そういうことをやろうとしても無理であった可能性は高く,そのためマスコミへのリークも仕方がないと考える人も多いのではないかと思います。Snowden氏は,現在も亡命先のロシアにいるのでしょうか。米ロ関係がこじれることが,Snowden氏のこれからの運命にも影響を及ぼすかもしれません。ただ,史上最大の内部告発者といえるSnowden氏をどう扱うかは,アメリカ政府としても今後,頭が痛いことでしょう。
 日本も無関係ではありません。彼は日本に住んでいたことがあり,スパイ活動をしていました。映画のなかで,もし日本が同盟国でなくなったら,日本は終わりと語るシーンが出てきます。たんに電話を盗聴するだけでなく,物的施設への打撃も考えていたのです。送電網,病院などにマルウエアを仕込ませていて,日本中を真っ暗闇にすることができるというのです。アメリカというのは,そういう国だということです。この映画のシーンは,何かのSF映画と思わず勘違いしてしまいそうなのですが,そうではありません。
 Snowdenのリークが20136月で,この映画の公開が2016年です。それから5年以上経ち,状況がどう変わっているのか,よくはわかりません。Intelligence の活動は,テロ防止など国益を守るための必要性は理解できるとはいえ,やはり不気味です。家の中にいても,インターネットにつながっているかぎり,いつ誰が覗いているか,わかりません。パソコンやスマホが危ないだけでなく,IoT家電のようなものも,もちろん危ないわけです。悪意ある人がやるのはもちろん問題ですが,自国やさらには外国政府がやっているかもしれないのです。情報については,その利用方法についての教育も大切ですが,サイバーセキュリティ教育が重要なのであり,さらにいうと,公権力による私人への「サイバー攻撃」(とくに個人情報の無断での盗み取り)がなされないようにすることも,デジタル社会における新たな基本権人権(自由権)として保障されるべきでしょう。現在の憲法であれば13条の幸福追求権や21条2項の通信の秘密に含まれるという解釈になるのかもしれませんが,「デジタル憲法」論もあることなので,そこできちんと位置づけてもらいたいですね。
 そんなことを考えさせてくれる映画ですので,まだ観ていない人は,ぜひ観てみてください。私はHuluで観ました。

2022年2月22日 (火)

AIとの共生

 日本経済新聞の220日の朝刊には,AIに関する二つの記事が出ていました。一つは,「AIで偽動画・音声 「ディープフェイク」規制論」で,もう一つは「AI融資で少数派差別の懸念」です。どちらもAI利用のリスクに関係するものであり,労働問題にも共通する論点が含まれています。
 前にも紹介したデジタルクローンでの偽物の登場の危険性などを考えると(クローン自身が偽物とも言えるのですが),規制だけでなく,利用者側のリテラシーの向上も大切ですね。私たちは,AIという道具を,いかに賢く使って,社会課題の解決につなげていくかに知恵を絞らなければなりません。
 前者の記事のなかには,EUAI規制法案(2021423日)のことが紹介されていました。この法案には,一定のAI利用を禁止すると同時に,「ハイリスクAIシステム」について,プロバイダーと利用者双方に一定の義務を課す内容が含まれており,そこには労働関係に関するものも含まれています。具体的には,ANEXで明示されており,「教育及び職業訓練」「雇用,労働者管理及び自営業へのアクセス」が対象で,教育や仕事へのアクセスや評価の場面でのAIシステムの利用がハイリスクとされています。ハイリスク類型は,禁止類型とは異なり,AIの利用が禁止されるわけではありませんが,透明性の確保など種々の義務が課されます。
 日本では,「AI社会原則」では,AIを賢く社会に役立てるための心構えが記されています(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(2020年,日本法令)261頁も参照)。デファクト・スタンダートを作り,競争上優位となることを目指すEUは,どうしても厳しい規制で主導権を握ろうとします。もちろん日本も参考にすべきところが多いわけですが,それに追随するのが得策とはかぎりません。とくに記事のなかに出ていたように「ハイリスクAIシステム」については議論がありうるところであり,ハイリスクについての分類の適否も含め,日本も独自に検討を進めていく必要があるでしょう。記事では,PwCコンサルティングの丸山満彦パートナー「日本はもっと戦略的に動く必要がある。議論に時間のかかるテーマだけにAIの技術発展と規制をどう両立していくのか,踏み込んだ検討を始めるべきだ」という意見が紹介されていました。
 一方,後者の記事にあったようなAIによる融資差別の問題は,採用時の差別などとも共通して,データセットのバイアスなどが関係しており,前からAI利用のリスクとして指摘されてきたものです(差別問題は,前掲書319頁でも言及しています)。AIによる差別や社会的排除の問題は,AIが社会に広く受け入れられていくためには避けて通れないテーマですが,これに実効的に取り組むためには技術者と法学者の協働が必要です(流行の文理融合の一つといえます)。労働法の分野では,AIの学習において個人データをどう適切に活用するかという問題と関係し,これは昨日も書いた労働者情報保護法と関連する領域として,デジタル労働法の主要分野とされるべきでしょう(「デジタル労働法」については,拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)の第10章も参照)。

 

 

2022年2月21日 (月)

労働者情報保護法の必要性?

 最近では,労働法においてもガイドライン(あるいは指針)が使われることが多く,ガイドラインをみることも,法律の勉強をする際に必要となりつつあります。とくに法律において大臣の指針策定権限を規定し,指針の法的根拠が明確になっているものは,重要性が高いといえるでしょう(短時間有期雇用法15条に基づく指針など)。もちろん,指針の内容は司法を拘束するものではありませんが,そこでは行政の解釈が前提となっており,とくに新しく制定された法律においては,立法趣旨(実際の立法担当者は,労働法規でいえば多くの場合,国会ではなく,厚生労働省といってよいでしょう)は行政が示した指針で具体的に示されているとみることができるので,事実上,大きな影響力があるといえます(なお,菅野和夫『労働法(第12版)』(弘文堂)275頁では,男女雇用機会均等法の指針について,「専門的行政機関が専門家の研究会の検討と関係審議会の審議を経て提示したものであり,客観的に妥当な法解釈として裁判所によって是認される可能性が大きい」とされています)。
 ところで,一昨日のこのブログで,個人情報法保護法19条(不適正な利用の禁止規定。条文は2022年4月施行後のもの。以下も同じ)の「不当」概念の不明確性にふれましたが,この点についてもガイドラインで一定の明確化が図られています。例えば,19条に抵触する例としてガイドラインが挙げているものに「採用選考を通じて個人情報を取得した事業者が,性別,国籍等の特定の属性のみにより,正当な理由なく本人に対する違法な差別的取扱いを行うために,個人情報を利用する場合」があります。言わんとする気持ちはわかりますが,「正当な理由」(不当でないこと)と「違法」が概念として混在していて,わかりにくい気がします。違法な差別であれば,正当な理由があってもダメなわけで,差別があっても正当な理由があれば違法ではありません……。これは揚げ足をとるような指摘で大して重要ではないのですが,いずれにせよ,研究者は,ガイドラインや指針について,たんに実務上の運用ルールや行政機関の公式見解を知るということで満足せず,もっとその妥当性も含めて批判的な目を向けて分析対象とする必要があるのかもしれません(ちなみに,短時間有期雇用法15条に基づく指針については,その原案のときから私は批判的です)。
 ところで個人情報保護法のガイドラインにおける性別による差別の例でいうと,差別は法律で禁止されており(男女雇用機会均等法5条,6条),個人の性情報を利用しない性差別というのは考えにくいので,性差別と性情報の差別的利用は一体のように思えます。この場合,実はより重要な問題は,差別につながるような個人情報を,そもそも取得してよいのかということです。個人情報保護法は,事前の同意が必要な要配慮個人情報を除くと,情報取得のところの規制が比較的緩やかで(20条),利用のところに重点をおいた規制をしているように思えますが,労働法の立場からはこれでは不十分な可能性もあります(加えて,要配慮個人情報の取得などにおいて,同意があればよいという点も,その同意がどういうものでなければならないかについては,労働法的な観点からの固有の議論ができます)。個人情報保護法は,デジタル社会の基盤となる重要な法律ですが,労働関係については,職安法上の規定や指針をはじめとして,労働法規に点在している関連規定を包括的に扱う一つの法分野として,労働法独自の考察を加えていく必要があるかもしれません。そこで労働者情報保護法という分野の創設を提唱したいです。いまのところ,この分野では,弁護士の松尾剛行さんの『AI・HRテック対応 人事労務管理の法律問題』(2019年,弘文堂)が最良のテキストでしょう。

 

「かけはし」に登場

 産業雇用安定センターという団体が刊行しているかけはしという雑誌に,「デジタルトランスフォーメーション(DX)と働き方の変化」という論考を寄稿しました。よく書いているテーマですが,内容は各誌の編集者からのリクエストなどや分量などに応じて,それに合わせたものを書いているつもりです。
 今日は,確定申告のために,源泉徴収票を整理していました。これにより,昨年1年どのくらいの仕事をしたかが確認できます。今回の産業雇用安定センターは初めて仕事をしたところだと思いますが,昨年は新規の仕事は少なかった感じがします。とはいえ学士会会報のように初めて寄稿した雑誌もあり,今年もこういう新たな執筆機会があればよいなと思っています。
 そうは言いながら,アウトプットはやりすぎるとアイデアが枯渇するので,インプットの期間をしっかり確保することも必要です。2018年秋から1年間とったサバティカルのおかげで,自分自身の研究の根本的な再建ができたと思っていますが,そのときに積み立てた貯金は早くも尽きようとしています(貯金が少なかったからでしょうが)。いまいちどインプットをしっかりして貯金を殖やさなければ,これからのアウトプットができなくなるというあせりはあります。とくに年齢を重ねると,インプットの効率が悪くなっている(文献を読むのに時間がかかる,理解力が弱ってきているなど)のが悩みの種です。

2022年2月19日 (土)

棋王戦

 棋王戦が始まりました。渡辺明棋王(二冠)に永瀬拓矢王座が挑戦するのですが,渡辺棋王はこの棋戦に強く9連覇中です。対戦成績でも永瀬王座を圧倒しているのですが,初戦が始まる前に5連敗中であったこともあり,対局前の予想では五分五分というところでした。初戦は激戦でしたが,渡辺棋王が勝ちました。本日の第2局も,渡辺棋王が貫禄を見せました。2冠に転落したあとだったのでどうかと思いましたが,相性の良い永瀬王座相手で,実力を十分に発揮した感じです。棋王戦は5番勝負ですので,タイトル防衛に王手がかかりました。
 A級順位戦は,先日,羽生善治九段のA級陥落の速報を書きましたが,その日はラス前の一斉対局で,斎藤慎太郎八段が豊島将之九段に勝って,8連勝で最終局を待たずに2年連続の名人挑戦を決めました。斎藤八段の順位戦の充実ぶりは際立っています。四強から藤井一強時代になろうとしているなか,斎藤八段に名人をとってもらい,藤井五冠のライバルになってもらいたい気がします。A級はすでに山崎隆之八段の降級も決まっていて,将棋界の一番長い日と言われる最終局(33日)は珍しく平穏な日となりそうです(とはいえ,来期の順位を決める熾烈な戦いはあります)。
 B1組は,藤井聡太五冠(対局当時は四冠)が阿久津主税八段に勝って92敗となりましたが,A級昇級決定は最終局に持ち越しとなりました。稲葉陽八段は松尾歩八段に勝って83敗となり,最終局に勝てば1期でA級に復帰です。今回は空け番であった千田翔太七段も83敗です。昇級の可能性があった佐々木勇気七段は郷田真隆九段に敗れて74敗となり昇級はなくなりました。7連勝したのに,その後の4連敗で失速してしまいました。最終局は,藤井五冠と佐々木七段が対局します。藤井五冠のデビュー来の連勝を止めたのが佐々木七段でした。もし最終局に藤井五冠が敗れて,稲葉八段と千田七段が勝つと,93敗で3人が並び,そうなると順位が上の稲葉・千田の昇級となります。逆に稲葉,千田のどちらかが敗れると,藤井五冠は負けても昇級です。一方,降級争いも熾烈です。松尾八段の降級が決まりましたが,残りの2人は,38敗で並んでいる木村一基九段,久保利明九段,阿久津八段のなかからとなります。久保九段と阿久津八段は直接対決で,負ければ即降級です。勝っても,木村九段が勝てば木村九段が残留です(木村九段が,久保九段と阿久津八段よりも順位が上)。
 B1組の最終局は39日です。今年の将棋界の一番長い日は39日といえるかもしれません。

2022年2月18日 (金)

違法と不当

 改正個人情報保護法の19条は,「個人情報取扱事業者は,違法又は不当な行為を助長し,又は誘発するおそれがある方法により個人情報を利用してはならない」とさだめています(41日施行で,現時点では16条の2)。「違法」はわかるとして,「不当」とは何かというのは,気になるところでしょう。通常は,「不当」とは「違法」ではないけれど,法の目的に照らして適切でないことを指す,というような説明がなされます。行政不服審査法の冒頭(11項)にも,「行政庁の違法又は不当な処分」という言葉が出てきます。個人情報保護法のガイドライン(通則編)では,上記の規定の文言について「直ちに違法とはいえないものの,法(個人情報の保護に関する法律)その他の法令の制度趣旨又は公序良俗に反する等,社会通念上適正とは認められない行為をいう」という解釈が示されています。
 概念的には「違法」と「不当」は違うのですが,一般の人にとってみれば,あまり区別に意味があるものではありませんし,より重要なのは「不当」とは具体的にどういう場合を指すのかが明確でないことです。個人情報の保護自体が歴史があるものではありませんし,社会通念上の適正さは現在揺れ動いているようにも思います。
 解雇についても,違法解雇と不当解雇を分けて議論することがあります。違法解雇とは,法律の明文で禁止されている解雇です。例えば,育児休業を取得したことを理由とする解雇は,法律で禁止されています(育児介護休業法10条)ので,違法解雇です。一方,解雇に客観的合理的理由がなく,社会通念上相当と是認できない場合,つまり権利濫用の場合は,形式的には労働契約法16条に反するという言い方もできますけれども,実質的には一般的な権利濫用法理に照らして無効になるということなので不当解雇と分類できます。ただ,法律の具体的な内容の規定によらないので,どのような場合に不当解雇となるかが明確でないということが,解雇法理の予想可能性の欠如といった問題を引き起こすことになります。労働法上は,不当労働行為という言葉もありますが,これは「不当」という言葉がややミスリーディングであり(アメリカのunfair labor practice unfair の訳語)ますが,いずれにせよ,その内容については,労組法7条に規定があり,さらに具体的な内容について膨大な判例や命令例により,かなり明確にされてきています。しかし個人情報保護法での「不当」は,どういうものであるかは,法律では定義しないということで(裁判所や行政に任せる),規制の名宛人となる当事者は,何をしてはならないかがわからず困惑することになるでしょう。とくに個人情報というのは,どのように利用してゆくべきかという基本的な方向性が法律上必ずしも明確ではなく,十分な社会的コンセンサスもありません(前述のように社会通念も揺れ動いています)。具体的に言うと,個人情報はできるだけ利活用したほうがよく,ただプライバシーを侵害するような場合だけは規制に服せしめるべきであるという立場が一つの極にあれば,いやそうではなく個人情報というのはそれ自身個人がしっかりコントロールすべきであり,かつそうできるものであって,他方,個人でコントロールしきれないものはしっかりと政府がパターナリスティックに保護すべきであって,その利用をとりわけ営利目的等で行う場合については厳しく規制しなければならないという立場も,もう一方の極にあるように思います。このどちらの立場に立つか(あるいはその中間的な立場もあると思いますけれども)によって,「不当」という概念の内容も変わってくるように思います(たとえばプロファイリングのように,既存情報から推知することも19条に抵触する利用と考えるかなど)。
 「違法又は不当」という概念の使い分けは法律家的には違和感がないものですが,実際にこの規定をふまえて行動しようとする人にとっては「不当とはなんぞや」ということになるわけで,こういう行為規範を意識した法律論というのを我々はもっとやっていかなければならないというのが『人事労働法』(弘文堂)を執筆したときの問題意識です。

2022年2月17日 (木)

加古川市

 兵庫県加古川市は父の出身地でもあり,私にとって,生まれの神戸市,育った西宮市に続き,県内ではゆかりのある市です。将棋でも,加古川市は有名で,加古川の名を冠した加古川青流戦という若手棋士だけが出場できる棋戦があります。加古川市在住の井上慶太九段は,A級棋士の菅井竜也八段など弟子に恵まれていることもあり,加古川はプロも注目する日本屈指の将棋のまちになっています。数年前に一度,地元の代表的な百貨店ヤマトヤシキ(かつてはヤマトヤシキといえば姫路のものが有名でした)にある将棋プラザに行ってきました。とくにイベントがなかったせいでしょうか,そのときは誰もおらず寂しい感じでした。このあたりが加古川の限界かと思ってしまいました……。
 そんな加古川市ですが,岡田康裕市長のインタビュー記事が,日本経済新聞の216日の朝刊で採り上げられていました。スペイン発の市民参加型の政策決定ツール「デシディム(Decidim)」を2020年に導入したことが語られていました。デジタル時代の民主主義のあり方として注目されるものです。加古川市は,令和3年のスマートシティ関連事業(経済産業省)でも,兵庫県では,播磨科学公演都市と並んで,自治体としては唯一選定されています。現市長はデジタル化に熱心なようですね。ということで,加古川市は,なかなかやるなと思って注目していて,神戸市から離れたくはないのですが,定年後は加古川市に住むのも悪くないなという気もしてきました。隣の稲美町も,女子中学駅伝の全国優勝で名がとどろいているだけでなく,農産物も豊かで(トマトなど),住むのには悪くありません。加古川駅は新快速も止まりますしね。
 将棋の話に戻ると,加古川市出身の久保利明八段も頑張っています。王位戦リーグに入っており,初戦は羽生善治九段に勝って幸先の良いスタートとなりました。順位戦(B級1組)は苦戦していますが,なんとか残留してほしいです。


 

2022年2月16日 (水)

日本の教育が危ない? 日本の教育が危ない?

 215日の日本経済新聞朝刊のインサイドアウトの「学校パソコン,もう返したい 1人1台ばらまき先行,教師なお「紙と鉛筆」」という記事は衝撃的でした。教師が簡単にデジタル対応できないのは予想できていましたが,それでも「GIGAスクール構想」が失敗に終わりそうな現実を目の当たりすると絶望的な気分になってきました。問題意識をもっている親たちは,自分の子を公立学校には行かせたくないと考えるようになるでしょう。子に十分なデジタル教育をしてくれる私立学校や海外の学校へと退避するかもしれません。 現時点のデジタルデバイドに配慮して,低いほうに合わせた教育を継続するのは,格差をつけないようにする優しい政策のようですが,根本的な解決にはならず,いっそう深刻なデジタルデバイドを生んでしまうのです。これは労働政策の面で,労働者の能力開発についての政策を後回しにして,現時点の生産性の低い労働者の賃金を格差是正という理由で引き上げる政策を進めると,よりいっそう格差を固定化するというのと似た面があります。しかも教育のほうは,教師側のデジタルデバイドも原因ということなので,問題はいっそう深刻です。
 現在の子どもたちは,デジタルネイティブです。ゼロ歳児でも,1歳近くになると,スマホやタブレットを触り,適当にスクロールしながら画面を変えていきます。もう少し大きくなると,パスワードも突破してしまいます。ももちろん,昔から赤ちゃんのリモコン好きは有名です。子どもにデジタル機器を触らせないようにしようと思っても,おそらく現代の生活ではそれは不可能に近いことでしょう。まだ言葉を話せなくても,Siriに語りかけたりもします(そうすると,Siri は片言でも聞き取って答えたりもします)。在宅就労が増えて,親が子を膝に乗せてパソコン作業をすることも増えているでしょう。(良いか悪いかはさておき)デジタル環境にどっぷりつかった子どもたちが次々と入園,入学してくるなかで,「紙と鉛筆」しか対応できない教師は,親だけでなく,子との間でもコミュニケーションがとれないでしょう。学校に入ったとたん,途上国レベルの教育ということになっては困ります(実はいま途上国とされている国は,デジタル的にはもっと進んだ教育に取り組んでいるようです)。
 良い教育ができなければ,人材劣化が起こったり,あるいは人材流出が進んだりするので,どっちにしろ日本の将来は大変なことになります。首相をはじめ偉い人たちは,自分たちの孫に対してどのような教育を受けさせたいかということをよく考えて,公教育の改革に真剣に取り組んでもらいたいです。教育委員会の幹部にも,デジタルスキルのある人に加わってもらわなければ困ります。

 

2022年2月15日 (火)

ロクセラーナ

 ウクライナが,きなくさくなっていますね。ロシアという国は,終戦時のソ連の行動などから信用できないと思っていますが,今回はBiden 大統領が,昨夏のアフガニスタンの轍を踏まないようにということか,積極的な介入姿勢をみせているため,かえって事態をこじらせているような印象もあります。好戦的な言葉の応酬をしている白人たちに任せていたら,世界はどんでもないことになるのではと恐怖を感じています。
 ウクライナという国は,私たちにとって,とても遠い国です。どういう国で,どういう暮らしをしている人なのかなど,ほとんど想像がつきません。地球儀でみてみると大きな国ですね。ロシアと西欧の中間に位置するので,こういうところが争いの焦点となりやすいのかもしれません。現在,ウクライナの大統領は,ドラマで大統領役をやって人気を博した勢いで当選したといわれている政治の素人のようで,だからダメと決めつけることはできないものの,この世界レベルの戦争危機をどう乗り越えられるのかという点からは,頼りない感じがしてしまいます。
 ところで,ウクライナというと,思い浮かぶのがロクセラーナという女性のことです。ロクセラーナとは,ルーシ人の女という意味で,ルーシ人は現在のウクライナに住んでいた人です(ただ,ルーシ人をウクライナ人と言ってよいのかはよくわかりません)。16世紀のオスマン帝国最盛期のスレイマン大帝の皇后の座に,奴隷の立場からのしあがってついて,その次の皇帝の母にもなった女性です。彼女は,本名はアレクサンドラで,家族も含めギリシャ正教の信者でしたが,タタール人に襲われて,家族や婚約者は殺され,彼女だけ奴隷としてオスマン帝国に売り飛ばされたのです。しかし,彼女はたくましい女性でした。スレイマンを誘惑して,自らが世界支配をしようともくろむのです。彼女の野望は実現し,スレイマンから大変な寵愛を受けます。スレイマンには,同じように奴隷から大出世した大宰相イブラヒム(Venezia共和国領であったParga出身でイタリア語も話す)もいますが,彼とも対立し,彼の死亡後,大きな権力を握ります。
 スレイマン(1世)以外は世界史の教科書には出てこない登場人物ですが,私が知っているのは,トルコのドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」を観たからです。このドラマは,アレクサンドラ(後にヒュッレムと呼ばれるようになります。ロクセラーナは西洋からの呼び名のようです)が,上述のような,奴隷の立場から,当時の文字どおり世界の最高権力者の一人にとりいって大出世し,後継皇帝の母になるというサクセス・ストーリーが,まさに大河ドラマ以上のスケールで展開されています。私はまだ全編(シーズン14)をきちんと観たわけではありませんが,ときどき寝る前に観て楽しんでいます。
 現実は,もちろんドラマのように楽しんでなどはいられません。ドラマでもタタール人の侵略で,一家皆殺しで奴隷にされるというところから始まっています。いまウクライナの人(とくにロシア系ではない人)は,ロシアからの侵攻にビクビクしている毎日でしょう。この現代社会において,隣国による自国侵略がリアルに差し迫っているという状況が欧州の真ん中で起きているのです。大国の自制が望まれるなんて呑気なことを言っている場合ではないのかもしれませんが,だからといって経済制裁の威嚇をしても,それじゃガスパイプラインを止められたらどうするのかということを考えると,欧州は本気で制裁はできないのではないでしょうか。日本はロシアにも米国にも,ガスではなく,外交のパイプがあるはずであり,制裁をちらつかすような荒っぽい方法を使わない,もっとうまい外交で仲介ができないかと思いますが,すでに日本の手に余るのかもしれません。ただ日本では,NATOを拡大するなというロシアの要求は無理難題を言っていると受け取られていますが,自国の領土の近くに敵の軍事的な同盟が及んでくることに警戒感をもつ気持ちもわからないではありません。だからといって主権国家のウクライナを侵略してよいということには絶対にならないのですが,条件を出しているかぎりは,和解の可能性があると思ってしまうのが,”労働委員会”的な発想です。国際社会の現実はそんな甘いものではないのかもしれませんが。

2022年2月14日 (月)

『こども六法』を読んでみて

 多くの人は,世の中のルールなどについて,それは客観的に合理性があるとして,その合理性に自分の理解を合わせようとするでしょう。それが社会常識を身につけるということです。しかし,おそらく私は幼いときから,まずは自分自身の主観的な合理性を基準として理解をしようとし,それと客観的合理性とがあわないとわかったとき,それがなぜかと考えようとしてきました。結果として,社会常識の理解が人より遅れることになり,あるいは社会常識を咀嚼することができず,自分の主観的合理性のまま行動することで”変人”化してしまうこともありました。実際には年を重ねるにつれ,社会常識とされる客観的合理性に納得はしないものの,それなりに理解できるようになり,場に応じて社会常識に従うふりができるようになりましたが,ただいっそう年を重ねるにつれ,そういう「ふり」もしんどくなり,主観的な合理性を通すことが増えたような気がします。社会常識がおかしいという居直りです。研究者の世界は,そういう居直りが比較的許されるところでした。それと同時に,傲慢にも,社会常識のほうが私のほうに寄ってくるべきではないかと考えたりもしていました(実際にそういう例も結構あるのです)。いずれにせよ,主観的合理性と客観的合理性は合致しているに越したことはありません。
 話は変わって,弘文堂から出た山崎聡一郎『こども六法』というベストセラーがあります。刑法,刑事訴訟法,少年法,民法,民事訴訟法,日本国憲法,いじめ防止対策推進法が,とても読みやすく説明されています(刑事系の法律や訴訟法が中心で,日本国憲法が意外にあっさりしているのは,監修者の傾向が出ているのでしょうか。憲法28条が省略されていたのは,労働組合関係者にはショックでしょうね)。この本は法律の知識をこどもに伝えるもので,法律という形でルール化された社会常識をしっかり学ぶように求めるものと言ってもよいかもしれません。最近流行の考える学習ではなく,まずは知識ということでしょう。たしかに刑法や訴訟法などは,とやかく言わずに守るべきものであり,考えて納得するというたぐいのものではないかもしれません。ただ,できれば納得したほうがよいわけで,納得できないようなものがあれば,それはひょっとすると法律のほうがおかしいかもしれないという問題意識をもてるようになると,これは考える学習としては大成功となります。ひょっとしたら客観的合理性よりも主観的合理性のほうが正しい可能性もないわけではないからです。
 そういうことで,考える学習のための一つ素材を挙げたいと思います。ここで採り上げるのは,『こども六法』の刑法の正犯と共犯のところです(2021頁)。私は刑法を学んだのは遠い昔のことなので,素人に毛の生えた程度のレベルだと考えてください。
 まず,同書では,刑法60条の共同正犯について「二人以上で一緒に犯罪を行った場合は,全員その犯罪を行ったものとして,同様に扱います」と説明されています。次に刑法61条の教唆について,「1項 人をそそのかして犯罪を行わせた人には,犯罪を実行した人と同じ刑を科します」とされています。さらに,62条の幇助について,「1項 犯罪を行う人を手助けした人は,「従犯」といいます」とし,63条で「従犯の人に与える刑は,正犯の人に与えられる刑を軽くしたものを基準に考えます」とされています。刑法の条文を,実にわかりやすくかみくだいて説明してくれています。
 これを読むと,従犯は正犯より刑が軽くなることがわかります。そして,教唆は,犯罪を行うようにそそのかすのであり,単に犯罪を行う人に手助けをする幇助よりも罪が重くなるのだと理解できると思います。ここまでは論理にしたがった思考であり小学校高学年でもできるでしょう。ただ少し考えると,犯罪を行った人と,犯罪を行うようそそのかした人とが同じ刑でよいのか,という疑問が出てきそうです。泥棒をした人も泥棒するようそそのかした人も同罪だから,そそのかすことをしないようにしようと教育するのには意味がありますが,「実際に泥棒するほうが悪いよね」という考えにも合理性がありそうです。では,これについて,小学生にどのように納得してもらいましょうか。
 一つの説明は,自分の手下の者のように,自分の言うことを聞かざるを得ない人をそそのかした場合には,むしろそそのかしたほうが強い立場にあるので罪が重くなる,という説明はありそうです。ただ,それだったら,そそのかしたというより,自分で犯罪を行ったのと同じではないか,という反論も,小学校の高学年くらいならしてくるかもしれません。これは正鵠を射ている反論なのであり,実は大学の法学部では,日本の判例には「共謀共同正犯」という概念があって,犯罪の共謀をしただけで正犯となるということを教わり,むしろ教唆犯の処罰例はきわめて少ないということを教わります(共謀共同正犯の正確な説明は,刑法の専門家に聞いてください)。教唆と正犯が同罪であることへの疑問は,現実には,教唆のような行為は正犯として処罰されているという答えになりそうですが,それじゃ刑法61条の教唆犯は正犯と同じ刑で処するという規定にはどういう意味があるかという元の質問には答えられていません(なお実際には法定刑が同じというだけで,教唆犯のほうが軽く処罰される可能性はあります)。これは専門の法律家にすれば,あまりにもプリミティブな疑問でバカバカしいことに思えるでしょうが,こどもに納得してもらうという点からは看過できない論点のようにも思えます。知識を与えるということで,こども六法はとても良い本ですが,教唆の部分は,あまりよい知識の提供にならず,考える学習としては良くない素材となりそうなので,この部分はないほうがよいのでは,というのが私の余計なコメントです(もちろん,ある程度,大きくなると,共謀共同正犯という共同正犯概念の拡張は望ましいのか,といった硬派な議論の素材にはなるのですが)。

 

2022年2月13日 (日)

教科書のデジタル化

 相変わらず研究室の机の上が整理されておらず,大事な本をいただいておきながら読めていないものがあります。昨日は,大学院の入試で土曜出勤し(学生はリモートですが,教員は大学に召集されています),空き時間がかなりあったので,久しぶりに研究室に長く座って,机の上に積み上げられている文献を読んでいました。
 そのなかに藤本茂・沼田雅之・山本圭子・細川良編著『ファーストステップ労働法』(エイデル研究所)がありました。お礼とご紹介が大変遅くなり申し訳ありません。初心者向けの読みやすいレイアウトと内容になっていますが,なんといっても判例をQRコードで読めるようにしたのが素晴らしいです。こういうことは,これまでもやれるはずだったのですが,労働法のテキストだと判例の数が膨大なので,少し難しいかなとも思っていました。ただ,初心者向けの教科書となると判例を絞り込めるので,本書のようなやり方が可能となったのでしょうね。本書は紙媒体ですが,おそらく今後は教科書も電子書籍が一般的になり,判例や論文も電子化されてネット上にアップされていると,書籍を読みながら,リンクされている判例や論文に飛ぶということも簡単になると思います。権利関係の処理がどうなるのか,よくわからないところもありますが,技術的には可能でしょう。やっぱり紙で読みたいという人も少なくないようですが,少なくとも私は,少なくとも判例や論文を紙で読むことは最近はほとんどありません。
 オンライン会議やオンライン授業では,私は,二つのパソコン(場合によってはタブレットかスマホ)を並べて,一つは会議参加用(マイクとビデオ)で,もう一つは資料確認用で使っています。会議用パソコンでは資料が画面共有されていますが,別のパソコンで資料の確認ができるという感じです。資料のファイル(多くはPPTのスライド)にハイパーテキストが設定されていれば,すぐにいろんなデータにアクセスできます。このような方法にすれば,会議や授業は,対面型のものより,ずいぶんと効率化できるでしょう。
 ところで,電子書籍は,これからはNFT(非代替性トークン)の時代が来るかもしれません。いまはダウンロードして閲覧する権利を購入するだけですが,書籍内のデータそのものの「所有権」を譲渡することが,ブロックチェーン技術をつかったNFTの特徴です。まずはコミックなどで,電子書籍のNFTが始まるでしょうが,法律の教科書として電子書籍の有用性が広く認識されると,NFTの波が押し寄せることになるでしょうかね。老舗の出版社も早く対応しなければ出遅れることになるかもしれませんよ。

 

2022年2月12日 (土)

藤井聡太五冠誕生

 王将戦は,藤井聡太四冠の4連勝で,ついに史上最年少の五冠(竜王,王位,叡王,王将,棋聖)となりました。これで豊島将之九段に続き,渡辺明三冠も4タテで撃破しました。たいへんなことですね。王将戦は挑戦者決定リーグに最強メンバーが集まることでも有名で,かつては名人位に次ぐ価値のある棋戦だったと思います。この歴史ある王将のタイトルをついに,この天才棋士が獲りましたね。これで,前にも書いたように,棋界の勢力図は完全に変わりました。藤井五冠,渡辺二冠(名人,棋王),永瀬拓矢王座がタイトル保持者です。ただ,もはや四強や三強ではなく,藤井一強時代というべきでしょう。今後,渡辺二冠に挽回する力が残っているかですが,藤井五冠を脅かすとすれば,それはもう少し若い世代になるかもしれません。
 五冠ということになると,谷川浩司九段も経験がなく(いまから思えば,1991年の竜王,王位,王座の三冠時代に,フルセットの末に福崎文吾八段(当時)に王座を奪われたのが大きく,そこで王座戦を防衛していれば,その後の棋聖,王将の二冠の獲得で五冠の達成ができていました),大山康晴,中原誠という昭和の大名人と羽生善治九段しかいません。19歳での五冠ということが大きく報道されていますが,驚くべきは五冠を達成したことそれ自体であり,10代という点は,(それも凄いことではありますが)棋士は20代が最も強いといえるので,五冠の衝撃ほど大きなものではないように思えます。ただ,藤井五冠の場合は,この勢いはとまらず,21歳の八冠もありえないことではありません。
  棋王戦は,渡辺二冠と永瀬王座との間で現在進行中であり,藤井五冠が挑戦するとしても1年後となります。名人戦は,まずは来期にA級に昇級して,そこで挑戦権を獲得しなければなりません。次の名人戦で渡辺名人が防衛すれば,渡辺名人との対局となり,挑戦者に決定している斎藤慎太郎八段が名人位をとると,斎藤八段との戦いとなります。王座戦は秋に始まりますので,当面は6月から7月にかけて行われる棋聖戦,王位戦,叡王戦の防衛戦をこなしながら,次の王座戦で六冠を目指すことになるでしょう。叡王戦では,すでに渡辺二冠と永瀬王座は敗退しています。王位戦は挑戦者決定リーグがこれから始まりますが,こちらも渡辺二冠と永瀬王座はすでに予選で敗退しています。王位戦リーグは,前王位の豊島九段が挑戦者になる可能性が高いと思われます。かつて藤井五冠の前に壁として立ちはだかっていた豊島九段としては,そこでリベンジできるかが注目です。

2022年2月11日 (金)

高梨選手スーツ失格問題に思う

 高梨沙羅選手ら有力選手が,スキージャンプの団体戦で失格になったことが話題になっています。審査官が厳格すぎるとか,選手らはルール違反をした以上やむをえないとか,いろいろな議論があるようです。スポーツのルールについての特殊性があるのかもしれませんが,あえて労働法的な思考で考えてみると,まずルールには規定の明文上のものと,運用上のものとがあります。規定があっても,それと違う運用がされていてある程度定着して先例性が認められるとすると,それにも拘束性があるということがありえます。これが労働法でいうと,労使慣行論です。労働法の場合には,労働者に不利な運用があれば,ただちにそれを正すように企業に求めることになりますが,労働者に有利な運用があり,それが継続されていれば,その内容に企業が拘束されるという解釈がありえます。例えば,就業規則において,月に3回無断欠勤をすると,減給の懲戒処分にするという規定があったものの,運用上は5回までは不問にするという運用がなされ,それが長年継続しているなか,あるとき人事部長が変わって,突然,規定どおりに3回の無断欠勤をした社員に減給処分をした場合,法律構成はいくつかあるものの(懲戒事由に該当しない,あるいは懲戒権の行使は権利濫用となる[労働契約法15条参照]など),結論として減給処分は有効と認められない可能性があります。運用はしょせん運用とはいえ,規定どおりの運用に変えるのなら,一定の期間の予告をおいて,従来の運用に対する社員の期待をなくしてから行う必要があるのです。このような労使慣行論は,継続的な関係である労働契約関係においては,合理性があるものであり,総論的には反対する論者はいないだろうと思います(具体的な事件において,実際に処分が有効かどうかの判断は,事案によるので評価が分かれることはあるでしょうが)。
 こうした規律は,制裁を課すことそれ自体に意味があるのではなく,制裁をとおして,規律を遵守させることに意味があるのです。したがって,規律自体の明確性が必要ですし,とくに処分者の都合で規律を強化するような恣意的な解釈は許されてはなりません(犯罪の構成要件に対するのと類似の発想です)。規律が不明確であれば,ルールに従った処分がされたかどうかの事後検証が難しくなり,結果として,不公平な処分になってしまうおそれがあります。当然,本人の弁明などの意見聴取の手続も必要であり,この手続をとらなければ,懲戒処分であれば,それだけを理由として無効となることもありえます。
 今回のスーツに関するルールがどれだけ明確なものであったのかわかりませんが,そのルールの目的は,競技者がフェアな競技をするということにあるはずです。そのルールの運用について多少の幅があり,かつオリンピックという晴れの舞台でフェアな競技をさせるのを重視するのであれば,スーツについてのルールを明確にしておくことやもし従来の運用は改められたのであれば,そのことを事前に告知しておくべきであったのではないかと思われます。もちろん違反の指摘に納得できない場合の異議申立手続を設けることも必要です。今回のオリンピックでどうだったか詳細はわかりませんが,多くの失格者が出たということは,運用上のルールに不明確な面があった可能性もありそうです。ルールは規定だけでなく,運用も含めてのものであるという労働法の発想が,この競技にあてはまるかどうかよくわかりませんが,ドーピングにおいて明確に禁止される薬物を摂取して不意打ち検査でばれたというような明らかな規律違反のケースとは異なり,スーツに関しては,ルールを守らなかったほうが悪いとは言い切れない面があったのではないでしょうか。

2022年2月10日 (木)

デジタルクローン

 インターネット白書編集委員会の『インターネット白書2022』が刊行されました。私もテレワーク関係で,昨年に続き執筆しています。拙稿はともかく,この白書は,これからDX時代がどういうものとなるかを知るうえでの役立つ教材になると思います。今回の白書は,次の10のキーワードから構成されています。
 それが,NFTnon-fungible token:非代替性トークン),XR(クロスリアリティ)/メタバース,デジタルツイン,オンライン診療,改正プロバイダー責任制限法,フェイクニュース,デジタル社会形成基本法,DFFTdata free flow with trust:信頼性のある自由なデータ流通),宇宙インターネット,グリーン by デジタルです。
  Web3.0という言葉もありますが,インターネット上の世界が,リアル世界と融合することが本格的に起きようとしています。私の分野でいえば,この技術が,どこまで労働の世界に及んでくるかが注目されます。とくにデジタルツインが気になります。この言葉が出てきてから,もうかなり経ちますが,工場のスマート化の手段として使われてきたものが,いまや人間のデジタルツイン(デジタルクローン)の実用化の段階になってきています。デジタルヒューマンという言葉もありますが,おいしい料理のつくり方とか,薬の飲み方についての相談とか,特定の分野でのデジタルヒューマンは実用化されていて,専門家に相談しているような感じで,しかも相手はほんとうの人間ではないのに感情がある感じで,今後は私たちはこういうものに頼ることになるのだろうと思います。
 すでにNTT関連のシンクタンク(情報通信総合研究所)でも,DTCDigital Twin Computing)の研究が進められており,私も1年ほど前に少しだけ参加しました。この技術が実用化されると,労働の世界にどんな変化や影響が生じるのかは,想像するだけでワクワクします。かなり前に,このブログでも,美空ひばりのデジタルクローンのことを紹介しましたが,将来的には,私のクローンが授業や講演をして質問にも応答するといったことになるかもしれません。ちょうど1月はじめにどこかのテレビ番組で,橋下徹さんのデジタルクローンが出ていましたが,外見もさることながら,応答内容もそれなりのもので,驚きました。
 デジタルクローンの法律問題というと,例えば,その労働の成果をめぐる知的財産法上の問題というのがまず出てきますし,またデジタルクローンでは,開発会社は本人の個人情報を使うでしょうから,個人情報保護法も関係するでしょう。クローンが不法行為をした場合の責任主体はどうなるのか,といったことも問題となります。クローンの開発を許可したとき,そのクローンの利用については,おそらく個人と開発会社で契約が結ばれ,その内容如何で,クローンの対外的な行為についての責任も決まっていくでしょうが,その契約については,通常は技術面において大きな情報の非対称性があるので,法的なルールは必要となるでしょうね。また,今後,デジタル環境でできる仕事について,労働者が,クローンにやらせる場合,民法6252項により,使用者の承諾が必要なのか,それともクローンは本人と一体なので,承諾は不要なのか,といったことも気になります。あるいはクローンは,自分とは別の法人格をもつ「ヒト」として擬人化していく立法もありえるでしょうし,単なる道具(モノ)とみる考え方もあるかもしれません。クローンを擬人化すると,そのしでかした不祥事は,民法715条で本人が使用者責任を負うなんてことになるのかもしれません。またこれとは別に,一般のAI代替と共通の論点として,デジタルクローンが広がると,雇用が減る可能性があります。単純にいうと,優秀な人材が2倍あるいはそれ以上になる(24時間稼働するので,労働できる時間が長くなる)ということですから。
 以上はまだ序の口であり,今後次々と問題が現れるでしょう。リアル空間と融合するデジタル空間で,アバターというデジタル分身にとどまらず,自分のクローンが出てきてしまうというのですから,根本的に思考方法を変えてしまわなければ,ついていけないかもしれません。デジタル労働法の守備範囲についても,最終的には,デジタルクローンにまで視野を広げていかなければならないのでしょうね。こういうことも,大秀才の人のデジタルクローンがいれば解決してくれるのかもしれませんが。

 

2022年2月 9日 (水)

非正社員の労働組合 

 ビジネスガイドの最新号の「キーワードからみた労働法」では,「非正社員の組織化」というテーマで,有期雇用労働者とユニオン・ショップの関係にかかわるトヨタ自動車事件の名古屋地裁岡崎支部の2021224日判決を中心に解説をしました。ユニオン・ショップに関する論点として,いろいろツッコミどころがあったのですが,非正社員の組織化は,労働組合活動のオンライン化が進むと,やりやすくなるのではないかということにもふれました。
 昨日も労働組合のことを書きましたが,非正社員の組合活動の難しさは,正社員の企業別組合の加入資格がないという従来からの問題だけでなく,加入が認められても,正社員と非正社員の利害が対立することがあり,組合として運動しづらいということもあると思われます。正社員の利益を引上げて,それを非正社員にも及ぼしていくというシナリオもありうるのでしょうが,むしろ企業のパイが限定されるなかで正社員と非正社員との間でパイの取り合いが起こりかねないのです。とりわけ法律が非正社員を擁護しようとしているので(それが労働契約法旧20条であり,現在の短時間有期雇用法8条なのですが),正社員に手当を付与すれば,非正社員にも同じように付与しなければ不合理な格差になってしまうということになれば,それなら正社員への手当をやめようということになりかねないわけです。経営状況がよければともかく,悪ければそういうことになる可能性が高まります。手当の廃止は就業規則の不利益変更となりますが,法による強制で経営的に苦しくなれば,裁判になっても,変更の「高度の必要性」があるとされ,合理性が肯定されやすくなるかもしれません。このような正社員と非正社員の潜在的な利害対立状況があるとすれば,企業別組合が非正社員に加入資格を認めることは,簡単には進まないように思えます。
 そうだとすると,正社員と非正社員の混成部隊の労働組合よりも,非正社員だけの労働組合をつくったほうがよいような気がしますが,非正社員にとっては時間と費用をかけて労働組合を結成するインセンティブがどこまであるかというと,そこにも疑問があります。そうしたなか,オンラインでの活動であれば,比較的,労働組合に参加したり,深くコミットするハードルが低くなるのではないかと思うのです。
 ところで,短時間有期雇用法8条は不合理性の判断において,「職務の内容」といわゆる「変更の範囲」に加えて,「その他の事情」を考慮するとし,判例は労使自治の尊重ということも,「その他の事情」で考慮されるとしています。長澤運輸事件のように,団体交渉で,定年後再雇用時の労働条件について交渉している場合には,そのことも考慮されるべきということでしょう。労使自治の尊重が,非正社員の労働組合が労働協約で合意をした場合に,その結果を尊重すべきという内容まで含むのかはよくわかりません。同条が強行規定となると,労働協約の定めに優先することになりますが,格差の不合理性というような規範的概念は,労働協約によって具体化されるのが望ましいのであり,そう考えると労働協約の内容こそ,不合理でない格差を示すものと解すべきことになります。そうすれば労使自治は,「その他の事情」で考慮される一要素という以上の意味をもつことになります。「その他の事情」という,規範的な概念(言葉を換えれば,緊張感のない文言)について,いろいろと解釈論を展開するのは,法律家の得意な仕事であり,その精緻化をする作業は業界内では評価されることです(例えば,日本労働法学会誌134号でも,植村新さんが詳細にこの問題を検討しています)。ただ,実務的には,こういう曖昧な概念は,法律家に好き勝手な議論をさせるために設けてある困ったものだと思われているかもしれません。
 学会誌論文のなかで,日本労働法学会での植村報告に関して,JILPTの濱口桂一郎さんからの質問があり(これは本質をつく質問でしたが,学会の場でいきなりされると困ってしまうでしょうね),それに対して,植村さんが「多数派の正社員組合が非正規労働者を組織するインセンティブを持つような法的枠組みを用意することで,労働組合が自主的な任意団体であるという性格を維持しながら,非正規労働者の労働条件の決定,しかも,集団的な決定に適合的な労使関係を実現する,そういった契機になるのではないかと思っています」と答えています(同号117頁)。無難な答えかもしれませんが,自主的な任意団体論と,多数派組合による集団的な労働条件決定を重視した議論(労働組合公的団体論につながる)との原理的矛盾を,どう克服していくかのかが日本の労働団体法の根源的な問題だということからすると,やや肩すかしの答えのような気がします(これは労働組合の正統性にかかわる問題でもあります。正統性については,拙著『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣)118頁以下も参照)。私は,非正社員の労働条件の改善は,立法介入よりも,非正社員の団結をとおした自助によるべきであるという主張を昔からしており(同書107頁など),前述のように,ICTの発達によって,その主張の現実性がより高まってきたのではないかと考えています。もともと短時間有期雇用法8条は,立法介入と労使自治の緊張関係を原理的に内在しているのであり,私の立場からは,労使自治優位の解釈を定立すべきとなり,とりわけ非正社員の労働組合が締結した労働協約があれば,「その他の事情」に落とし込んだ議論をすべきではないということになります。
 もっとも,私は8条は訓示規定だと考えているので(その意味で徹底した労使自治論です),労使が自主的に交渉するうえで,8条を目指すべき理念として機能させることは認めています。ただ,同条の機能は,それにとどまるべきだと考えているので訓示規定説になるのです。

 

2022年2月 8日 (火)

労働組合の役割

 2月7日の日本経済新聞の朝刊の複眼で「多様な働き方に労組は」というタイトルで,識者らの意見が出ていました。JILPTの濱口桂一郎さんや東大の神吉知郁子さんも登場していました。また別の面では,労働協約の地域レベルの拡張適用も採り上げられていて,ドイツのことをJILPTの山本陽大さんが紹介していました。ということで,労働組合は旬のテーマのようです。もっとも法律家たちは依然として,労働組合に相当な役割を期待しているのですが,現実には解体に向かっているのではないかと危惧しています(私は『労働者代表制に関する研究』(有斐閣)などでも執筆しているように,もともと親労働組合派ですが,ただそれは藤田若雄先生流の誓約集団型のものです[宗教的な背景はありませんが])。
 紙面で日立製作所の執行役専務の方が述べておられたように「人の管理はマスから個別の管理に変わっていく」ところです。私の『人事労働法』(弘文堂)も,そういう視点から個人の納得を重視する議論を展開していますが,「個別の管理」を重視すると,労働組合というものの役割は相対的に低下せざるをえません。うまく意見を集約できれば,労働組合はなお統一的な交渉チャンネルとして有用ですが,個人の見解が多様化するなか,そういうことは経営側が人事管理として行うほうが,より効率的にできそうです。日立の企業別組合がどういう組織かは知りませんが,大企業の企業別組合が,オープンショップにして労働者に加入の選択ができるようにしたとき,どれだけの従業員が労働組合に頼ろうと考えるでしょうか。企業内のコミュニケーションも,ICTの発達でずいぶんと変わってきているなか,労働組合的な組織が,個人化やICT化にどのように対応していけるかが,今後の生き残りのポイントであり,そこでうまくいかなければ労働組合不要論もでてくるでしょう。
 一方,労働組合の活性化の可能性は,実は,個人事業主(フリーワーカー)のなかにみられるようにも思えます。昨日,ECCジュニアの講師が労働組合を結成したという報道がされていました。フランチャイズ経営で,講師は個人事業主とされているので,コンビニの加盟店の労働組合と同じような話になるのかもしれません。オンライン講義を認めないというフランチャイザーの態度に反発しているようなので,少なくともその点は,オンライン推進派の私としては講師側にシンパシーを感じてしまいます。
 今後この「労働組合」がどういう活動を展開していくのかわかりませんが,フランチャイザー側が協議に応じるというのであれば,団体交渉にこだわらずに協議をしたほうがよいと思います。一方で,フランチャイザー側が,団体交渉でないなら誠実交渉義務もないとして,いい加減な対応をすると,泥沼の法律紛争になりかねません(労働者性,使用者性をめぐる法解釈が錯綜し,労働委員会や裁判所で長年闘うことになるでしょう)。私は個人事業主(フランチャイジー)にとっても,また経営者(フランチャイザー)のためにも,法的な意味での団体交渉かどうかにこだわらないほうがよいし,もちろん経営側もしっかりと「労働組合」に誠意をもった対応して話し合いをしてもらいたいと思っています。
 ところで,労組法上の労働者や労働組合に該当するかはともかく,働く人たちが自分たちの職業に関係する利益を守るために結集するというのは,労働組合の原点にかかわるものです。憲法の「職業」概念も,自営か雇用かに関係なく,こうした団結と結びつくものだと思っています(この点は,2015年の「憲法の沈黙と労働組合像」法学教室41634頁で,個人事業主そのものに言及しているわけではありませんが,そうした発想を示唆しているつもりです)。まさに誓約集団型の労働組合を想起させるものであり,それが労働法の外に置かれてきた個人事業主のなかにみられるのは興味深いです。

2022年2月 7日 (月)

ジャンプ男子ノーマルヒルに感動

 北京オリンピックは,外交的ボイコットとか,穏やかならぬ政治色濃厚な状況で開催されていて,いやな感じもしていますが,スポーツはスポーツとして,関心のある種目を観て楽しんでいます。とはいえ,私は冬のスポーツは子どものころからほとんどしておらず,スキーやアイススケートも小学生のときにしただけで,おそらく今後もやることがないでしょう。ということなので,夏の陸上や水泳や球技などと違って親近感はないのですが,ジャンプにしろ,フィギアスケートにしろ,純粋にすごいなと驚きながら観戦しています。
 スケートは昨年12月終わりの男子の全日本選手権をたまたまテレビで観ていました。後半の上位選手のほとんどがミスをしないで力を出し切るのに驚いていましたが,最後に出てきた羽生結弦選手の王者の演技に感嘆しました。ジャンプの切れや優美さなど,素人でもわかる異次元の強さでした。得点が明瞭になったのも,この競技の良いところです。今回はオリンピック3連覇がかかっていますが,十分に可能性はありそうですね。ちなみに近所の弓弦羽(ゆづるは)神社は,ファンの聖地だそうです。
 ジャンプは,高所恐怖症の私にしてみれば,あんな恐ろしい競技はないと思います。スポーツというよりむしろ曲芸という感じですが,ジャンパーの勇気には恐れ入ります。高梨沙羅選手は残念でした(今日もスーツ失格があったようで,ちょっと,ついてないですね)。それでも4位であり,本人はメダルが欲しかったのでしょうが,あれだけ注目され,3回も連続してオリンピックに出るだけですごいことです。今回はSloveniaの選手たちに勢いがありました。男子の小林陵侑選手は見事に金メダルでしたね。1回目にウインドコンディションが悪いにもかかわらず大ジャンプで,2回目はハラハラして観ていましたが,確かな技術に支えられた素晴らしい王者のジャンプで,感動的なよいものをみせてもらいました。スキージャンプといえば,50年前の札幌オリンピック(小学校2年生のときでした)の日の丸飛行隊の金銀銅独占があり,金メダリストの笠谷という名前は私たちの世代の記憶にしっかり刻み込まれているでしょう。その後の原田雅彦選手のリレハンメル(Lillehammer)五輪の団体での大失敗ジャンプ(テレビで観ていましたが,まさかというジャンプでしたね)と長野五輪の雪辱も記憶に残っています。でも長野五輪は舟木和喜選手が凄くて,最後の金メダルを決めたジャンプもカッコよかったです。
 大回転も,以前は割とよく観ていました。ただ,これは死亡事故もあるなど,危険きわまりない競技ですね。かつて絶対王者であったイタリア人のAlberto Tombaが,日本に来て行われた大会では全然ダメというのが印象的です。いまはどういう選手が強いのか,まったく知りませんが,NHKプラスでやっていれば,あとからゆっくりと観戦したいと思います。

2022年2月 6日 (日)

デジタル介護

 NHKのクローズアップ現代で「デジタル介護最前線」というタイトルのものがあったので,NHKプラスで観てみました。介護人材の減少は,コロナ禍で欠勤する職員が増えているという一時的な問題ではなく,恒常的な問題となっています。番組では,デジタル技術をつかってそれをカバーしようとする努力がされているものの,コスト問題やスキル不足などがあり,あまりうまくいっていないということが紹介されていました。解決策は,行政が「伴走」してサポートすることだ,というのが番組からのメッセージです。
 介護現場のようなアナログ的な職場に思えるところでも,デジタル化は十分に可能で,とりわけ単純作業を機械化し,人間はより余裕をもって高いクオリティのサービスに打ち込めるというメリット,省人化によって人材が減っても従前のサービスクオリティを維持できるというメリットは大きいものでしょう。番組では,同じ内容の日誌を3回も手書きしなければならないというような非効率きわまりない働き方も紹介されていて,ヘルパーの方は気の毒に思えました。デジタル化とか言う次元の問題ではなく,信じられないような古い働き方をしているのですが,職場にいる人材が同質的であれば,その古さに気づかずに,旧態依然とした仕事のやり方が残ってしまうのかもしれません(デジタル導入のコストは言い訳にすぎないように思えます)。とはいえ,大学も他人のことは言えません。先日も,学生関係でどうしても私が署名をしなければならない書類があると言われて,授業はリモートでできるのに,署名だけのために大学に行きました。
 ところで,介護のデジタル化は,一般の企業と基本的には同じようなことで,まず現在の業務の可視化をし,そのなかでデジタル化できるものの洗い出しをしたうえで,どのような方法(機器など)でデジタル化をするかを決めていくということになります。その過程で専門家のアドバイスも必要となるでしょうし,デジタル化により,従来の仕事とは進め方が変わるので,それに対応できるような研修が必要となります。このプロセスが面倒くさいと言っていると,いつまで経っても変わらないのですが,いったんこのハードルを越えてしまうと,あとは全く違った労働の世界が待っています。働く者も,サービス業であれば利用者などの顧客も満足し,もちろん業績の改善にもつながるでしょう。テレワークも,そのようななかでやりやすくなるのです。
 介護においても,IoTを活用してリモート管理を中心とし,現場はロボットにまかせ,緊急対応の人材のみを配置するというような態勢になっていくでしょう。人間が対応しなければ真心のこもったサービスができないのではないかという懸念もあり,それは私もわからないではないのですが,ロボットの力を侮ることはできないとも思っています。これからはおそらく感情をもったロボットがどんどん出てくるのであり,まずは介護現場で成果を出してもらいたいです。
 この番組では「最新技術で老後は安心!?」というタイトルになっていましたが,私も自分自身のこととして,今後のデジタル介護の発展に注目しています。これは日本のDXの試金石となるような気がします。

2022年2月 5日 (土)

ニューカラー

 2月2日の日本経済新聞で紹介されていた「2030 Game Change (3)教育 ニューカラー層,21世紀の主役に」という記事は注目です。ニューカラーとは「new collar」のことですが,ホワイトカラー(white collar)でもブルーカラー(blue collar)でもないというか,そういう分類とは次元が異なるものです。Wikipedia によると,「A new-collar worker is an individual who develops technical and soft skills needed to work in the contemporary technology industry through nontraditional education paths.」と定義されていました。従来の教育コースとは異なる形で,現代の技術社会に求められている職業上のスキルを習得している労働者ということでしょう。
 木曜日に,大阪府社会保険労務士会の大阪北東支部でオンライン講演をしました(テーマは「AIと雇用」)が,そこでもDX社会に適合した教育の重要性に言及しました。労働問題は,今後は教育問題だという,いつもの主張ですが,ニューカラーという言葉をつかうと,教育の重要性がより明確になっていたかもしれません。上記の日経新聞の記事では,「終身雇用の慣行を背景にリスキリングの意識が希薄な日本」と述べて,警鐘を鳴らしていましたが,社会保険労務士のように専門的な職業に従事している人であっても,これからはリスキリングは避けられないでしょう。
 ところで,DX社会というと,デジタル技術をもった理系的な知識や技能が求められると考えがちですが,そうではなく,AIやロボットなどの機械ではできない,まさに人間的なものが求められる職業に将来性があるわけです。DX社会に必要なのは知的創造性をはじめとする,まさに総合的な力です。学歴は,DX前の社会を想定した学力の格付けのようなもので,それは今後,まったく意味をもたなくなるわけです。ちなみに宇宙飛行士への応募は学歴不問だそうですが,知力・体力・人格が総合的に求められる職業には学歴は関係ないということでしょう。
 日経新聞の同じ日の紙面には,もう一つ「人材の価値,開示に指針」というタイトルで,政府が,この夏にも,企業の「人的資本」に関する情報開示指針をつくるという記事が出ていました。人材教育面では,リキリングや社外での学習機会の方針が開示される情報の候補になっているようですが,私が投資家なら,学歴の散らばりなども情報として知りたいところです。
 人材のダイバーシティは,いろんな個性をもった社員がどれだけいるかということも,ほんとうは含むはずなので,学歴の多様性がチェックポイントになるのです。学歴が能力の尺度にならなくなるなか,企業がほんとうに能力のある社員を採用していれば,学歴がちらばっているほうが自然でしょう。ひょっとすると,ニューカラーが主役になる時代には,これまでとはまったく違う新たな学歴の序列が現れてくるかもしれません(通常の四年制大学卒が学歴の最下位となり,種々の専門学校卒のほうが,はるかに上位に位置づけられるなど)。

2022年2月 4日 (金)

羽生九段がA級陥落

 将棋界のレジェンドである羽生善治九段が,A級順位戦で永瀬拓矢王座に敗れA級からの降級が決定しました。一般の人にはなかなか理解できないことかもしれませんが,A級棋士というのは,タイトル保持者に匹敵するくらい,トップ棋士の証しです。しかし実力の世界なので,誰でもいつかは陥落するのです(大山康晴15世名人のような,A級棋士のまま亡くなるという超人は例外です)。谷川浩司九段が2014年にA級からの陥落が決まったときも,どの新聞か忘れましたが(たぶん朝日新聞?),朝刊の1面に出ていました。順位戦は恐ろしいもので,少し力が落ちてくれば,たちどころに陥落してしまいます。1年間の長丁場の戦いなので,ごまかしがきかないということでしょう。
 7冠(のみならず永世7冠)を達成し,ずっとタイトル保持者であった羽生九段も,2018年に竜王をとられて無冠になってからタイトルはとれていません。2020年に竜王戦の挑戦者になりましたが,当時の豊島将之竜王に敗れました。その後,藤井聡太が出てきて,四強の時代が来て,羽生九段のタイトル挑戦が遠のいていきました(それでも棋界最高峰の竜王戦の最高クラスの1組にいます)。A級から陥落しても,復帰するという例はありますが,この年齢になってからの例はほとんどありません(ひふみんと有吉道夫だけだったように思います)。永世名人では森内俊之九段(引退後は18世名人)は,A級から陥落したとき,B1組では指さないで,フリークラスに転出しました(順位戦には参加しないということです)。谷川浩司九段(引退後は17世名人)は,B1組でも指し,現在はB2組で指しています。今期も出だしは16敗となりましたが,その後3連勝して降級点を免れました(B2組は1期では降級せず,降級点が2回つくと降級します)。もう若手にはなかなか勝てなくなっていますが,アラ還で頑張っています。そして,ついに羽生九段(引退後は19世名人)にも,そのときが訪れてしまいました。来期はどうするのでしょうね。
 今日がその日になる可能性が高いとは思ってはいましたが,いざそうなると寂しいものがあります。藤井聡太四冠のまばゆいばかりの活躍のなか,絶対王者だった羽生九段のA級陥落に,人生の無常を感じます。

2022年2月 3日 (木)

兵庫県知事

 兵庫県知事というと,兵庫県のHPをみると,現在の斎藤知事が53期になるようですが,戦後直後までは知事は官選で,公選知事は初代の岸田幸雄(2期。この人は官選知事も1期しています)以降,坂本勝(2期),金井元彦(2期。現知事の名前の由来となった人),坂井時忠(4期),貝原俊民(4期),井戸敏三(5期),そして現在の斎藤元彦知事で,たった7人しかいません。戦後70年以上経つのに少ないですね。しかし,最も有名な知事は,初代知事の伊藤博文です。もちろん初代首相でもありますし,私たちの世代では1000円札の顔ですが,彼は長州の下級武士出身で,まさに大出世です。官選の兵庫県知事になったときは,まだ20代でしたが,兵庫港の重要性などから,当時としてはそれなりの大物として着任したのだと思います。彼は兵庫県知事時代の1869年に,「兵庫論」とも呼ばれる「国是綱目」を発表したことでも有名です。明治維新の方向性がまだ定まっていない段階で,日本の将来を論じる大胆な提言をしていました。このときに,これに加わった陸奥宗光も日本史の教科書に出てくる大物ですが,この当時は伊藤よりさらに若い20代半ばの若者で,その後,第4代の兵庫県知事になっています。
 公選知事になってからは,初代の岸田知事は民間出身,二代目の坂本知事は社会党でしたが,その後は官僚出身者による手堅い県政がなされてきました。そうしたなかで,現在の斎藤知事は,陸奥や伊藤ほどではないものの,その若さは魅力です。伊藤や陸奥にとっては,兵庫県知事の職は彼らのキャリアからするときわめて小さいものだったでしょうが,それは官選であったこととも関係しています。公選の斎藤知事は,十分な行政経験を積んで選ばれているのであり,兵庫県知事として力を蓄えて,末は国政で大きな仕事ができる人になってもらいたいです。
 そのためにも,どういうブレーンを周りにつけるかも重要です。いまの副知事に何か不満があるわけではありませんが,せめて一人は女性にしてほしかったなという気分です。伊藤博文は若いときにイギリス留学をしており,世界の情勢を敏感に察知していました。これからの県政も,若い感性で,国際的センスも含めて,DX時代に向けた新しい時代感覚を大胆に取り入れてもらえればと思います。まずはオミクロン対策なのですが(兵庫県の感染者数は大変なことになってきています)。

2022年2月 2日 (水)

棒読み大臣なんていらない

 北朝鮮のミサイル連射に対して,どのような対応をとるべきかについては,いろいろ外交のプロの対応があるのかもしれませんが,国民としては,軽症化しているオミクロンよりも,ミサイルが間違って日本の領土に落ちるようなことがないのか,あるいは漁船や航空機にぶつかることがないのか,ということがとても気になります。
 情けないのは棒読みの官房長官や防衛大臣などです。なぜもっと強く毅然としたメッセージを発することができないのでしょうか。冷静に対応しているというような体の良い文句では,ごまかされません。顔をあげずに文章を読むだけで,何を伝えようとしているのでしょうかね。別にいたずらに勇ましい対応をしろと言っているわけではないのですが,それにしてももう少し真剣さをみせてほしいと思うのは私だけではないでしょう。
 細かい内容(数字など)についてはメモをみる必要があると思いますが,そういうものこそ官僚に読んでもらえればよいのです。政治家は国民にきちんと顔を見せて力強く語ってほしいですね。選挙のときに,紙を読んで演説するでしょうか。国民の命が危険にさらされているのです。選挙演説のときと同じくらい本気で語ってもらいたいです。まずは北朝鮮や国際社会に対してしっかりしたメッセージを送り,国民への細かい情報提供は,官僚に任せるいうことでよいのです。管内閣には,河野太郎のようなきちんと自分の言葉にして語れる大臣がいましたが,岸田内閣にはそういう大臣がほとんどいないように思います。
 原稿は誰が読むかによって価値が違うという人がいます。そういうこともあるでしょうが,官僚が書いた「北朝鮮のミサイルにはしっかり対応します」というたぐいの原稿を読む行為にどれほどの価値があるのでしょうかね。北朝鮮問題にかぎらず,大臣たちは間違わないように読むのに懸命で,そこにメッセージを込めるといった余裕など感じられません。
 「大臣よ,短くてもいいから,自分の言葉で情熱を込めて語れ」。どうして,こんな情けないことを言わなければならないのかと思いますが。

2022年2月 1日 (火)

偽装請負と労働者派遣法40条の6

 昨年114日に出た東リ事件の大阪高裁判決は,裁判例上はじめて労働者派遣法40条の6に基づく派遣先による労働契約申込みみなしによる直接雇用の成立を認めたものとして注目されています。「偽装請負」の事案で,派遣先に法適用潜脱の目的があったと認定され,また善意無過失の抗弁も認められず,さらに従前の労働契約の期間が無期であったと認定されて,派遣先でも無期労働契約が成立するとされました。2012年の労働者派遣法の改正の際に,採用の自由を真っ向から否定するようなこの制度が割とすんなり導入されたのは,労働者派遣法40条の61項柱書は,違法行為の「時点における当該派遣労働者に係る労働条件と同一の労働条件を内容とする労働契約の申込みをしたものとみなす」となっており,偽装請負のケースの多くでは従前の労働条件は有期と考えられるので,直接労働契約が成立したとしてもそれほど大きな影響がないと経営側は高をくくっていたからかもしれません。しかし本件のように無期労働契約と認定されますと,この規定は大きな影響を与えることになるでしょう。兵庫県労働委員会にかかっていた紛争でもあるので,判決に対するコメントは控えますが,理論的にも実務的にも注目度が大きい判決だと思います(今月の神戸労働法研究会でも,検討してもらう予定です)。
 ところで,このような紛争をとおして思うのは,偽装請負の判断の難しさです。この難しさについては,これまでもわかっていたことですが,本件のように1審と控訴審とで判断が分かれるとなると,法的安定性という点では改善が必要ではないかと思います。労働局は労働者からにせよ,経営者側からにせよ,相談を受けた場合には,できるだけ速やかに判断を示すことが望まれるでしょう。労働者派遣法40条の8は,厚生労働大臣による助言を定めており,菅野和夫先生の見解では,この助言内容は,善意無過失の判断に影響するのです(『労働法(第12版)』(2019年,弘文堂)412頁)が,立法論としては,この助言手続を偽装請負かどうかの事前手続としてフォーマル化し,裁判所を拘束するようなものとすればどうかと思います。
 これまでの裁判例は,労働者派遣と請負の区分について行政の出している告示基準(労働省告示昭和6137号,厚生労働省告示平成24518号)を参照しているものの,その基準の解釈は困難なものなので,客観的に労働者派遣法に違反する請負がなされていたからというだけで,派遣先に法適用潜脱目的があるとするのは公平ではないという判断になっています。こうした処理はバランスのとれたものと評価されがちで,基準が曖昧でも何とか妥当な結論が得られるからそれでよしとするのが「裁判法学的労働法」の発想ですが,事業者側からすると,東リ事件・高裁判決のような判決が飛び出す可能性もあるので,危なくて業務請負の発注はできないということになりかねません。それでよいという考え方もあるのでしょうが,それはいささか乱暴でしょう。人事労働法的には,適法な請負の基準を設ける以上,それを実際に守らせなければ意味がなく,そのためには行為規範としての明確性を高める必要があるという発想になり,それを徹底すれば,事前の認証手続を導入すべきだというところに行き着きます(拙著『人事労働法』88頁を参照。裁判法学的労働法への批判については,同書序文を参照してください)。
 こうした立法論はともかく,労働契約申込みみなし制については,次号の「キーワードからみた労働法」で採り上げて解説する予定です。

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