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2022年1月14日 (金)

Medici家の女たち

 Medici家のことをずっと書いていますが,ドラマ「MEDICI」の主人公Cosimo Cosimo il Vecchio”(「古い」という意味ですが,ここではご先祖さまくらいの意味でしょうか)と呼ばれるのは,Medici家には,まだ有名なCosimoがいるからです。とくに重要なのが,Firenze Duca(公国)からGranducato di Toscana(トスカーナ大公国)となったときの初代の大公であるCosimo1世です(大公になったのは1569年)。公国や大公国という言葉は,あまりなじみがありませんが,貴族(公)が治める国を意味していて,現在でもモナコ公国がありますね。公国より格上の大公が治める大公国としては,ルクセンブルクがあります。
 ところでFirenzeは,公国・大公国の時代は,名君もいれば暗君もいたようですが(詳細は森田義之『メディチ家』を参照),フランス,スペイン,オーストリアの大国に囲まれて苦労したようです。欧州の名家に仲間入りしたMedici家ですが,1737年に断絶し,トスカーナ大公の地位は外国勢力に移っていき,最後はイタリア統一前の1860年にSardegna 王国に吸収されます。
 そんなMedici家ですが,フランス王妃となったカトリーヌ(Catherine de Médicis)のように,イタリア料理をフランスに持ち込んで,当時の粗野なフランス料理に洗練をもたらしたという大きな功績をした人もいます。
 しかし最高の貢献をしたのは,Medici家最後の大公であったGian Gastoneの姉のAnna Maria Luisa かもしれません。彼女が最後のMedici家の人であり,1743年に亡くなりますが,新大公となるハプスブルク・ロートリンゲン(Habsburg-Lothringen)家にMedici家の莫大な財産を委譲する際に,「これらのものは国家の美飾であり,市民の財産であり,外国人の好奇心を引きつけるものであるゆえ,何ひとつとして譲渡されたり,首都および大公国の領地から持ち出されてはならない」という条件を付けたそうです(森田・前掲書340頁)。このおかげで,いまでも私たちはFirenzeに行くと,Medici家が代々にわたり築き上げた素晴らしい文化遺産をみることができるのです。

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