個人の合理性の限界と同意の効力
今朝の日本経済新聞の経済教室で,「SNS規制に必要な視点 個人の合理性の限界前提に」という論考が掲載されていました(静岡大学教授の高口鉄平氏)。そこでいう個人の合理性の限界とは,サービスの利用(個人情報の提供を含む)に関する個人の「情報処理能力の限界」「意思決定能力の限界」「経済的価値認識の限界」なのです(図表を参照)が,労働契約における労働者の同意にも同じような問題があります。
「情報処理能力の限界」や「意思決定能力の限界」というのは,労働者でいえば情報収集能力とその理解能力の限界に関係するものでしょう。就業規則を実際にどれだけの労働者がしっかりで読んで,内容を確認しているでしょうか。就業規則には,自分の労働をどのような条件で企業にゆだねているかのほとんどが書かれていると言ってもよいのですが,実際にはそれをよく知らないまま労働契約を締結しているでしょう。「経済的価値認識の限界」というのも,自分の労働がどれだけの経済的価値があるかを知るのは困難であり,自分の賃金の適正さについての評価は容易ではありません。こういう様々な限界があるなかで,労働契約では,労働者の同意について,どのような処理をしているかというと,まず労働基準法などの強行的なルールで,一定の最低基準を定めてしまい,労働者が同意で決定できる範囲を限定するという方法がとられています(強行規定)。そしてこうした強行的なルールがない範囲でも,判例により,労働者に不利な同意の存否の判断はきわめて慎重になされることになっています(自由な意思によるものと認めるに足りる客観的な合理性が必要)。学説には,情報提供と説明をきちんとしていればよいとするものもありますが,いずれにせよ本人の同意による意思決定は認めるが,その要件を厳格にするということです。このほか,労働組合が労働者の代わりに同意をするということもあります。これはいわば個人の能力の限界を,専門的な第三者によって補ってもらうようなものです。労働条件の不利益変更を労働協約で定めるというのが,そうした例です。もっとも本人でない者がどこまで本人に代わって本人に不利な決定ができるかは問題となりうるのであり,それは労働組合であっても同じで,労働法では,労働協約による労働条件の不利益変更(個々の組合員の労働条件ではなく,労働条件の基準の不利益変更ですが)の限界として論じられています(LS生はしっかり勉強しなければならないテーマです)。さらに私は,労働者の利益に配慮したデフォルトのルールを決めて,そこから逸脱するときには本人の納得同意が必要とすることにより,本人の自由な選択の尊重とパターナリスティックな本人保護の両立を図る見解を提唱しています(拙著『人事労働法』(弘文堂)を参照)。このほかにも,労働契約では,日本法ではあまり議論されていませんが,労働者に不利な同意については,一定期間内は撤回できるとする考え方もあります(例えば辞職の意思表示の撤回で外国には立法例があります)。
これらの議論は,個人情報の取扱などに関する本人同意に直接あてはめることはできなくても,その発想はかなり応用できるところがあるのではないかと思っています。個人の合理性の限界と正面から向き合うことは,一般の国民が,労働者として,消費者として,その他いろいろな社会での場面で,何らかのリスクのある決断をしなければならないときに,どのような法的ルールが求められるかを考える際の出発点になるのです。
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