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2022年1月 8日 (土)

恒産なくして,恒心なし

 1月6日は,アメリカの連邦議会議事堂襲撃事件の1年目のアニバーサリーです。アニバーサリー(anniversary)というと,結婚記念日など,おめでたいことの周年日を意味することが多いですが,英語では良くないことの場合にも使えます。Anniversary は,ラテン語起源で,イタリア語でも「anniversario」といいます。「anni」は,anno(年)の複数形ですし,「versario」は,「volgere」から来ていて,「~に向ける」という意味で,英語の「turn」と同じです。
 ところで1年前のアメリカの事件では,目を疑うような光景が映し出されていました。アメリカは民主主義の代表的な国と考えられていただけに,その民主主義が暴力によって簡単に蹂躙されてしまうのではないかと恐怖を感じた人も多かったことでしょう。Trump は自分のアジによって,どこまでのことが起こると予想していたかわかりませんが,まさか議会襲撃で警官に死者がでることまでは予想していなかったのではないでしょうか。もし予想していたのなら論外ですが,予想していなかったとしても危機管理能力に著しく欠けます。どちらにしても,こういう人が次の選挙でアメリカ大統領に復帰するかもしれないというのは,恐ろしいことです。核ボタンを押すことができる人なので,誰が大統領になるかはアメリカだけの問題ではありません。
 厄介なのは,反乱側は民主主義を否定する行動をとったと考えていないことでしょう。彼ら・彼女らも民主主義を信じているのです。選挙に不正があったと信じているので,民主主義を危険にさらせたのは民主党側だというのが,Trump信者の考え方です。かりにこの信者たちの考え方が正しくても,暴力という手段が正当化されるわけではないのですが,目的の正しさは手段の違法性を阻却するという考え方もあり,歴史的にも,そうした理屈で暴力的な政権転覆が繰り返されてきました。勝てば官軍なのです。法律家は,こういう暴力的なことに対しては無力です。暴力などの実力行使で紛争を解決してはならないということを前提に法律があるからです。
 話は変わりますが,孟子の言葉に「恒産なくして,恒心なし」というものがあります。安定した財産や職業がなければ,道徳や良識をもつことができないというような意味です。かつて日本で選挙権に納税要件をなくして普通選挙が導入されようとしたときの反対の論拠として主張されたのが,この言葉でした。もちろんこれには,恒産がなくても,恒心のある者はいるという反論があったのですが,現在のようにお金をばらまく政策を主張して票を集めようとする政党が増えてくると,「恒産なくして,恒心なし」という言葉に少しは耳を傾ける必要があるのかもしれません。もちろん普通選挙を否定するようなことを言いたいわけではなく,国民は,普通選挙制度の有り難さをかみしめて恒心をもって投票に臨むべきという意味でこの言葉を捉えようということです。民主主義を支えるのに必要な心構えのようなものです。
 もっとも,真の問題は投票される側の政治家のほうにあるのかもしれません。文書交通費100万円をめぐって情けない争いをしたり,落選したときの生活の困窮ぶりと当選して生活が楽になったというようなことを堂々と話したりする政治家がいることからすると,彼ら・彼女らにこそ,「恒産なければ,恒心なし」と言わなければならないのかもしれません。お金がなくても立派に政治を志している人にチャンスを与えるべきなのは当然ですが,孟子の言葉は,そういう人がどれだけいるのか注意せよという警句として受け取るべきなのでしょう。だからといってTrump のような大金持ち(?)なら大丈夫かというと,そうではないわけで,逆は必ずしも真ならずです。

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