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2022年1月22日 (土)

シニア教員であることの自覚

 神戸大学の社会科学系の同窓会である淩霜会が出している「淩霜」という雑誌の最新号に,わが法学研究科の高橋裕研究科長が「When I’m Sixty-Four」(The Beatles の有名な曲)というタイトルのしゃれたエッセイが掲載されていました。Beatlesの歌のタイトルは「僕が64歳になっても」という感じで,森高千里の「私がオバさんになっても」のおじさん版のようです。しかし,エッセイの内容は,そんな軽いものはありませんでした。
 ファカルティメンバーの高齢化について研究科長の立場から思うことを書かれているのですが,法社会学の研究者らしく,きちんと数字を示して,50歳代以上の教員の割合がはっきり増加していることを示してくれています。40歳未満の教員が3割以上となることが求められているなかで,研究科長の立場としては気になるところでしょう。確かに研究の世界で,若い層が減ってきていることは深刻な問題であり,若手がテニュアをとって安定した環境で研究や教育に取り組めるようにすることが重要であるのはそのとおりなのですが,なんとなくシニア教員としては居づらくなってきています。個人的には,組織にしがみつくようではいけないと常日頃言っていることで,チャンスがあれば転職するという気概がなければならないと思っていますが,徐々にemployabilityが下がってきているなかで,勇ましいことも言いづらくなってきています。高年齢者雇用安定法が70歳までの就業確保を努力義務としてくれたことから,大学(いまは65歳定年)もそういうことを考えなければならないのではないか,というようなことを口走ったりもしていますが,それはとんでもないことで,むしろ65歳でも年齢が高すぎるというところなのでしょう。
 そもそもこの改革の時代において,雑用的な業務の量も増えるなか,細かい仕事が苦手で,重い仕事を頼みにくいシニア教員が増えてくるのは,組織にとって負担が重いことでしょう。デジタル化によって負担軽減が進めばいいのですが,大学のDXは非常にハードルが高い目標のようです。しかも,相手となる学生たちはデジタルネイティブが増えてくるわけで,アナログ的な教育体制で,デジタル感覚の学生を教えるということになると,シニア教員にはますますきついものとなるでしょう。
 わが研究科長は,若返りのための特効薬はないとし,「せめて関係者たちが問題の存在を自覚しながら,そのときどきに出来ることをして状況を改善していくしかない」と書いておられて,そのとおりなのでしょう。私は,存在していることがすでに組織に迷惑になっている可能性があるのですが,少しでも居づらさを軽減できるようにするため,研究者として重要な成果を出すなり,教育者として改革の時代を担える人材の育成や若手研究者の育成をできるようにするなりして,組織に貢献しなければならないと思っています。

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