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2022年1月の記事

2022年1月31日 (月)

入試不正に思う

 かつて聖日出夫の「試験あらし」という漫画があり,私も中学生か高校生くらいのときに読んだことがあります。あの漫画でどのようなカンニングの方法が使われていたか忘れましたが,普通の人ではできないような超人的なアイデアや器用さを駆使していたと記憶しています。しょせんは漫画の中の世界ですが,マジシャンならカンニングで大学入試を突破できるかも,と思わせるようなものでした。
  しかし現在なら,そんな神業的なことができなくても,文明の利器を使えば誰でもできてしまうかも,と思わせるようなカンニング事件が起きてしまいました。世間の人は,ひょっとして試験監督者がきちんと仕事をしていなかったのではないかと思っているかもしれません。しかし,もしほんとうに報道されているような方法でやっていたとすると,なかなか見破るのは難しいでしょう。
 そもそも試験監督は,全国的なテストにせよ,当該大学の入試にしろ,期末試験にしろ,基本的には性善説でやらなければならないでしょう。プロの刑事とかならともかく,日頃は研究者をやっている人間に,不正行為を取り締まれというのは,かなり無理のあるタスクです。素人ですから疑い始めると,いろんなことが疑わしく思えてきます。顔,目線,手の動きなどは人それぞれで,少しでもおかしいと感じたものとを疑っていけば切りがないし,不正摘発に力を入れすぎると,受験生に余計なプレッシャーをかけることになりかねません。できるだけ受験生には,リラックスして日頃の力を発揮してもらいたいと思っているので,むしろピリピリ感をできるだけ和ませたいというのが多くの試験監督者の気持ちでしょう。不正行為をする受験生なんてめったにいないはずであり,そんな例外的な人のために性悪説に立って厳しい監視をするというのは適切ではないでしょう。
 不正行為を防止するときの考え方は二つです。不正行為ができないようにすること,不正行為をしたときのペナルティを重くすることです。後者は受験生が未成年の場合には可哀想ということになって寛大な処分になりがちですが,そういう甘いことをするくらいなら,公正な試験のためには,不正行為なんてやろうとしても無理という状況を作ること(不正行為をしようとしてもできないと諦めさせること)が必要でしょう。プロの試験あらしのような者がいれば別ですが,それは漫画の世界のことですから。
  個人的には,監視カメラを設置してAIに異常行動を察知してもらうのが一番よいと思っています。介護施設で夜の見回りをするかわりに,AIに監視してもらい,何かあったときだけ人間が駆けつければよいというような技術がすでにありますが,それを応用できるでしょう。コストがどれくらいかかるかわかりませんが,技術的には可能なはずです。もし,そこまでのことが無理なら,外部との通信ができないようにジャミング(jamming)をするといった手もあります。
 いずれにせよ,試験は教員が実施して監督するという先入観を捨てるべきです。公正な試験をするためには,どのような方法が適切か,そこにデジタル技術を活用することができないかということを考えるべきでしょう。これは,これからのDX社会において普通にもつべき思考法をあてはめたものともいえます。もっというと,入試自体を,CBTcomputer based testing)方式にしてしまうなど,新たな発想でやることも考えられます。さらにAIが管理して一定の到達度に達すれば入学を認めるということにすれば,入試は不要となります。
 私の知るかぎり,大学はDXにきわめて遅れており,むしろオンライン講義に消極的な姿勢などDXとは逆方向の圧力がかかっているような気がします。今回の問題をきっかけに,入試というものを根本的に考え直してみればどうでしょうか。これまでも何度か提言してきていることですが。

2022年1月30日 (日)

王将戦第3局

 NHK19時のニュースでも速報的に報道されていました。これはいまや国民的大ニュースなのでしょうかね。藤井聡太四冠が,渡辺明三冠に挑戦している王将戦は,挑戦者の藤井四冠が勝ち3連勝となりました。これで王将位奪取に王手がかかりました。対局の内容は,難解でスリリングでした。現代将棋の特徴で,あまり王を囲わないので,少しのミスが命取りになり,緊迫感がある内容でした。先手だった藤井四冠は,2日目の午後あたりからでしょうか,猛然と攻めていき,最後は難しい超手数の詰み筋で,渡辺三冠を投了に追い込みました。
 王将戦が始まる前は,渡辺三冠は,藤井四冠との対戦成績で分が悪いとはいえ,これまでの実績もふまえれば,まだ現在の棋界の第一人者とみられていましたが,もし4連敗で王将位を奪われるようなことがあれば,完全に藤井時代が来たことになります。少し前までは将棋界の四強という言葉もありました(藤井四冠と渡辺三冠以外に,豊島将之九段と永瀬拓矢王座)が,永瀬王座はこのなかでは少し実績に見劣りがし,また豊島九段は,一時は名人・竜王をもつ最強棋士でしたが,現在は無冠ですし,とくに昨年秋に竜王戦で藤井四冠に4タテされて無冠になったこともあり,もはや四強は二強に減り,そしてそれが一強になろうとしつつあります。
 藤井四冠といっても,すべて勝てるわけではなく,2割は負けることがあるのですが,それでも番勝負のタイトル戦で藤井四冠に勝ち越すというのは,現状ではきわめて難しそうです。王将戦は,夢の八冠という目標に到達するまでの一里塚にすぎないのかもしれません(早ければ1年半後ということもありえます)。NHKでは,史上最年少の10代の5冠ということが盛んに強調されていて,確かに,これは大変なことなのですが,むしろデビューから,いろんなタイトルを獲得していくスピードが驚異的です。とはいえ,そう簡単に八冠を許してはいけないでしょう。誰かライバルが出てこなければ面白くありません。ということで,渡辺三冠に,ぜひもう少し頑張ってもらえればと思います。

2022年1月29日 (土)

「悪人」

 私はきちんと観ているわけではないのですが,NHKの朝ドラの「カムカムエヴリバディ」で深津絵里さんが,ずいぶんと若い人の役をやっていることが話題になっているようですね。50歳に近い彼女には無理があると言うる人もいるそうですが,そうでもない気がします。10代のピチピチ度を出すのは難しいかもしれませんが,いろんな10代があるので。
 深津絵里という女優で印象に残っているのは,映画「悪人」(2010年。李相日監督。原作は「怒り」と同じ吉田修一)です。妻夫木聡がとても良いのですが,彼に惹かれて地獄にまで行こうという女性を好演していました。長崎のさびれた漁村で,親戚のおじさんのやっている解体業で働く冴えない毎日を送っていた妻夫木演じる祐一。彼は愛車を飛ばして出会い系サイトで出会った女性と会っています。そんな祐一と出会った佳乃(満島ひかり)は,理容店(榎木明と宮崎美子が演じる夫婦で経営)の娘で保険の外交員をしています。見栄張りの佳乃は,金持ちの大学生である増尾の彼女だと友だちには言いますが,実は彼には相手にされていません。あるとき,祐一と会う予定であった佳乃ですが,そこでばったり増尾に会って,彼の車に乗り込みます。それをみていた祐一は,増尾の車を追いかけます。増尾は,車内で悪臭をはなち(とくに気を遣う必要がない祐一と会う予定であったので,彼女は気にせずに餃子を食べていました),あれこれ話しかけてくる佳乃をうっとおしく思い,途中で車から放り出します。翌日,佳乃は死体で発見されます。警察は増尾を疑いますが,実は犯人は祐一でした。増尾の車を追っていた祐一は,増尾から放り出された佳乃を救おうとします。しかし佳乃は,バカにしている祐一から哀れみの情をかけられたことに反発し,祐一をレイプ犯,人殺しと激しく罵倒します。祐一は,思わず佳乃の首を絞めてしまいました。
 祐一はその後,出会い系サイトをとおして光代(深津絵里が演じる)に会います。光代は,紳士服店で働いていますが,単調な毎日です。誰かと本気で会いたくて出会い系サイトをつかったのです。光代は,会っていきなりホテルに誘われたことに当惑しながら,二人はセックスします。祐一はそれで終わりにするつもりでしたが,二人はまた会い,徐々に惹かれていきます。このときすでに祐一は殺人犯であり,警察から追われています。祐一は光代にほんとうのことを打ち明け,そこから二人の逃避行が始まるのです。最後は警察にみつかってしまうのですが,共犯とされかねない光代のことを思い,光代の首を絞め殺そうとして彼女が被害者であることを警官にみせようとします。泣けてくるこのシーンだけでも観る価値がありますね。
 祐一は人を殺しました。しかし佳乃は,増尾に痛い目にあったにもかかわらず,自分よりも下とみている祐一のほうを人殺しにしたてようとしていました。この女こそ悪人だと思いたくなります。そしてこの女を弄んでやろうと考えていた増尾もまた悪人です。増尾は,復讐にやってきた佳乃の父もバカにします。祐一は幼いときに母に捨てられています。彼は幼いときに灯台で海をみているときに,母に捨てられたにもかかわらず,母が戻ってくるのをじっと待っていたという悲しい過去があります。最後に光代と逃げ込んだのも灯台でした。祐一を育てのは,祖母でした(樹木希林が演じていました)。祐一の事件が報道されてきたときに現れた実母は,祐一を育ててくれた祖母に対して,どんな教育をしてきたのかと暴言を吐きます。この実母もまた悪人でした。
 この映画で,佳乃の父が増尾に投げかけた「大切な人がいるのか」という言葉は深いです。守るべき大切な人と,それを守ろうとする人。この二つの関係が崩れると,人間は危うい存在になるのかもしれません。光代に会うまでの祐一は,愛車とセックスしか関心のない若者でした。母に捨てられたという過去もあったのでしょう。始めて守りたい人が出てきたときは遅かったのです。光代も,守ってあげたいと思う祐一に会えたとき,すでに祐一は殺人者でした。でも光代にとっては祐一は悪人ではなく,すでに「大切な人」になっていたのです。佳乃の父にとっても,娘は「大切な人」でした。でもまだ若い彼女にはそれがわかりませんでした。彼女には大切なものがわからず,自分を粗末に扱ってしまい,命まで失ってしまいました。
 この映画は,「あなたの大切なものは何ですか」ということを問うているのでしょう(原作は読んでいませんが,同じようなモチーフでしょうか)。俳優陣の充実ぶりもあり,観る価値があると思いました(もう観たという人も多いでしょう)。

 

2022年1月28日 (金)

Gran Torino

  吉田拓郎の大ヒットアルバム「元気です」のなかに,「加川良の手紙」という曲があります(加川良の「教訓Ⅰ」は名曲です)。その歌詞のなかに,「あの日の映画"ダーティ・ハリー"はどうでした 君はニュースの方が楽しそうだったけれど クリント・イーストウッドっていいでしょう」というのが出てきます。クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)の名前はもちろん知っていますが,有名なダーティハリー(Dirty Harry)を実は観たことがなく,また彼の映画を観たことはあるはずなのですが,何も記憶に残っていませんでした。そんななか,JT関連の研究機関が出している「TASC Monthly」という雑誌(二度,私も寄稿したことがあります)に野村正昭さんが書いている「映画と嗜好品 食して,ふかして,飲みほして」というエッセイ(毎回,楽しみにしています)があり,最新号で「Gran Torino(グラン・トリノ)」というEastwoodが監督・主演した映画のことが採り上げられていたので,Amazon Primeで観てみました。
 Fordの自動車工を定年退職し,妻を亡くして一人で暮らしているポーランド移民のWalt Kowalski(Clint Eastwoodが演じる)は,日本車を嫌い,黒人や黄色人種を蔑視する差別主義者ですが,それだけでなく家族との折り合いも悪く,とくに長男の嫁や孫娘に毛嫌いされています。そんな現在は一人住まいの彼の隣人は,アジア系のモン族の人たちです。そこに住んでいるThaoという男の子が,従兄弟の不良グループに無理矢理仲間にさせられてWaltの愛車であるGran Torinoを盗もうとして失敗します。そのため,Waltはますます隣人に不信感を募らせ,とくにThaoのことを馬鹿にします。こうした険悪な隣人関係なのですが(日本のように壁があるわけではないので,空間的に遮られているわけではありません),Waltのビールと乾き物ばかりの食生活とは違う,モン族の豊かな食事にひきつけられたことをきっかけに交流が始まります。またThaoも,償いのためにということで,無償でWaltの命じる雑用をし始めます。Waltは,そんなThaoのまじめさを次第に評価して,建設業の仕事を紹介したりもします。ところが,あるとき,Thaoは不良グループから抜けたことを責められて,ひどいケガをさせられます。怒ったWaltは,不良グループの一人を襲ってケガをさせます。ところがその復讐でWaltThaoの家に銃弾が撃ち込まれ,またThaoの姉が誘拐されレイプされてしまいます。Waltは冷静に復讐の計画を練ります。何度も喀血することから,おそらく余命が長くないと考えたのでしょうか,自分の命をさしだすのです。Waltの遺言状には,Gran Torinoは,それを欲しがっていた孫娘ではなく,Thaoに譲ると書かれていました。
 Waltは,朝鮮戦争に出兵して,無辜の人を多数殺してしまったという罪悪感を抱えていました。彼にとっての闇は深く,教会での懺悔でも,それは口にしませんでした(亡妻から懺悔をするように求められていました)。Waltのアジア人に対する思いはアンビバレントなものだったのかもしれません。しかもモン族は,ヴェトナム戦争でアメリカのために貢献したけれど,戦後,本国から迫害されたためにアメリカに逃げて来た人たちであり,アメリカにとっては恩人といえるアジア人だったのです。周りの米国人は,黒人も,自分の家族の白人でさえも,人間的にもの足りないものを感じていたWaltは,(自身も実は同じ移民である)そんなモン族の人々に,大切なものを教わり,心の安らぎの場をみつけたのかもしれません。
 上述の命を差し出すシーンでは,Waltは,タバコを吸うために,ライターを取り出そうとしたのですが,その仕草は拳銃を取り出すように誤解させるものであり,そう誘って不良たちに自分を撃たせました。Waltは丸腰であったので,射撃した者は長期刑になることが予想されました。これがWaltの復讐でした。
 タバコがこのシーンだけでなく,ときどき出てくるのですが,エンドロールの最後に,次の言葉が出ていました。

  No person or entity associated with this film received payment or anything of value or entered into any agreement in connection with the depiction of tobacco products. 

 要するに,タバコ製品の描写に関して,誰もお金をもらっていない,ということです。純粋な芸術的な必要性でタバコが使われているにすぎないと言っているのです。野村さんは,実はEastwood は,タバコ嫌いでしたが,「こうした表記自体が,イーストウッド作品には珍しく,彼がいかに煙草に対してナーバスになっているかも推測できる」とコメントしています。
 タバコ嫌いの私ですが,JT系とはいえ,この雑誌は,掲載されている論考(AI関係が多い)のクオリティの高さと,タバコに対するニュートラルな姿勢の野村さんのエッセイが掲載されているところなどがが気に入っています。

2022年1月27日 (木)

昭和ホールディングスほか2社事件

 今週の大学院(研究者コース)の授業では,昭和ホールディングスほか2社事件(東京地方裁判所2021324日判決)をとりあげました。団交拒否事件で,親子会社の類型における完全親会社の使用者性,親会社と子会社(2社)の誠実交渉義務,および労働委員会の救済命令の裁量が問題となったもので,典型的な論点についての判断を示しているのですが,気になる部分もありました。とくに都労委,中労委,地裁と微妙に判断が違っているところが興味深いです。
 使用者性の判断については,東京地裁は,いつものように朝日放送事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の179事件)の判断枠組みを援用し,これが親子会社の事案の親会社の使用者性の判断にも適用できることを確認したうえで,本件の親会社は経営について相当程度の支配力をもっているものの,経営戦略的な観点から行う管理や監督の域を越えて,子会社の従業員の労働条件等について雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実かつ具体的かつ具体的に支配,決定していたとはいえないとして,その使用者性を否定しました。子会社は独立した存在で,子会社だけで人事労務委員会をつくり親会社とは独立した人事管理をしていたことなども考慮されました。株主としての支配力だけでは使用者性は根拠づけられず,集団的な「労使」関係の当事者としての実態が求められるということでしょう。この点は,都労委の段階から使用者性が否定されていて,結論は変わっていません。
 この事件では,子会社の工場があった土地を親会社が所有して子会社に賃貸していたところ,この土地を親会社が売却したことから,「土地譲渡にともなう雇用問題」などについて,子会社の従業員で組織された労働組合が,団体交渉を子会社だけでなく親会社にも申し込んでいました。土地売却に関係する事柄であるので,親会社こそが団体交渉に応じる主体としてふさわしいという組合側の主張については,東京地裁は「団交のテーマそのものから直ちに使用者性が判断されることになるものでもない」と述べています。この判断は,個々の団交事項ごとに使用者性の判断をしていこうとする学説や裁判例があるなか,そうではなく使用者性は義務的団交事項の判断よりも前に決定される先決事項であるとする私の立場と親和的なものではないかと思っています。もっとも,そもそも土地売却それ自体は義務的団交事項ではありませんから,もともと組合側の主張には苦しいところがあります。
 この土地売却問題の義務的団交事項性について,都労委は否定したために,子会社との関係での不当労働行為も否定されました。都労委は,土地売却により組合員の労働条件が現実に変更されること,あるいは変更されることが見込まれることについて組合による疎明がなく,実際に本件土地売却により組合員の労働条件に何らかの影響があった事実も特に認められないので,この議題は,組合員の労働条件との関連が明らかであるとはいえず,義務的団交事項とはいえない,と判断したのです。ところが,中労委は,この点について,団交事項は,抽象的ではあるものの,「実質的に見て,雇用主であり,本件工場に係る事業の主体である子会社2社に対し,本件土地売却により本件工場等で勤務する従業員の処遇や勤務地等の労働条件等について何らかの影響があり得るのかについて,説明を求めたものと解することができる」とし,子会社は,「本件土地売却による当時の時点における組合員の勤務地,労働条件の影響の現実的可能性の有無,事業用定期借地権の法的性質等については,回答する必要があった」と判断しました。いわゆる経営事項については,それ自体は義務的団交事項ではありませんが,労働条件や雇用に関係する部分については義務的団交事項に該当すると解するのが通説ですが,同様に,親会社にのみ処分可能な事項(土地売却)であっても,それが子会社と密接に関係するものであれば(子会社の事業用地に関係する事項であるなど),労働条件や雇用に関係する部分については義務的団交事項に該当する,ということでしょう。この点は都労委より中労委の結論のほうが妥当だと思います。東京地裁も,団交事項は,本件土地売却にともなう子会社の従業員の処遇や勤務地等の労働条件等への影響の有無や程度について説明を求める趣旨であったと解釈し,このように土地売却自体は処分可能でないとしても,それに関する雇用の問題として,この事項が議題と解されるかぎり,処分ないし説明は可能であって,なお義務的団交事項に該当すると述べており,中労委と基本的には同様の立場であると考えられます。
 この事件では,最初の団交で,上記の事項について団交拒否され,その後,組合はさらに3回の交渉申入れをし,そのいずれも書面での簡単な回答だけで交渉拒否されています。事後の3回の交渉においては,雇用面についての議題は明示的には掲げられておらず,議題とされたものは親会社しか処分できない事項であり,子会社の義務的団交事項ではないので,中労委は,団交拒否は不当労働行為ではないと判断していました(都労委は,前述のように初回から不当労働行為でないと判断)。ところが,東京地裁は,初回の団交拒否があり,組合がきちんとした回答を得ていない以上,初回における要求事項は,第2回以降の団交の議題にも含まれているという解釈をして,事後3回の交渉でも,初回における義務的団交事項について団交拒否をしていると判断し,不当労働行為の成立を認めました。
 東京地裁は,「確かに,団交事項は,団交申入れの相手方である使用者が団交に応じる義務があるか否かを判断することを可能にするものであることを要するというべきところ,団交申入書に記載された団交事項は,労働組合が交渉を要求する事項の内容及び範囲を相手方にも明らかにするため記載されるものと解されるから,申入れに係る団交事項もその文言を基礎に判断されるべきである。 もっとも,団交申入書に記載された団交事項の意味内容を,団交申入書のその他の記載文言や団交申入れに至る経緯を踏まえて確定することが許されないものでもない。」としており,その内容自体は,異論はないものの,後半部分に示された基準に則して,どこまで団交事項の範囲を広げて解釈できるかが重要となります。団体交渉は使用者の「応諾」義務であることを考慮すると,不明確性があった場合には組合に不利に解釈されるべきであるようにも思いますが,本件では,会社側にとって団交事項になっていたとみても不意打ちにはならないような事情があったと判断できる余地がありそうです。中労委と東京地裁と,どちらの判断が妥当か微妙な事案ですが,そういう場合には,労働委員会に要件裁量はないものの,中労委の判断を尊重するという姿勢をもってもらえればなと,労働委員会関係者としては思ってしまいますね。
 結局,初回の団体交渉についてのみ不当労働行為と認める内容の文書交付を命じる救済命令を出していた中労委は一部取り消されました。東京地裁は全4回の団体交渉についても不当労働行為と認める内容の文書交付を命じるべきであったとしたのです。
 ところで,組合側は,救済命令としては,文書交付にとどまらず,団交応諾命令も出すようにと求めていました。この点は,東京地裁は労働委員会の裁量の範囲内であると言っています。団交拒否が認められたからといって機械的に団交応諾命令を出すべきではなく,中労委は,「現時点でこれを敢えて団交において再度説明することに意味があるとは言い難いこと,子会社2社は,本件以外の労働条件に係る団交には応じていることなど」を考慮して,文書交付にとどめていると判断し,東京地裁もこの点は受け入れました。また東京地裁は,中労委が,本件命令の確定に伴い,上記団交に応諾することを見込んで,「今後,このような行為を繰り返さないようにいたします。」という内容の文書交付でよいとしたとみています。ただ中労委は,そもそも初回の団交拒否のみを不当労働行為だとみていたし,義務的団交事項性も都労委との判断が分かれるほど微妙なところもあったことから,あえて団交命令を出す必要性に懐疑的であったことに加え,本件では,土地売却にともなう雇用問題について,組合には答えずに,従業員向けの説明でやっているところに,いわば組合の頭越しをするという組合否認がありました。実際,中労委は,支配介入の成立を認める判断のなかで,「労使関係が緊張状態にある中で,このように組合らからの団交申入れを拒むと同時に,あえて従業員宛てとしてその団交事項に係る内容について書面での回答を行うことは,殊更に組合らを無視し,組合員らやその他の従業員をして,その交渉力に疑問を抱しめ,組合を弱体化させるおそれがある対応というべきであり,このことは,子会社2社も十分に認識していたということができる」と判断しているので,この点こそ労使関係において看過できない問題であるとみていた可能性があります。そのため,この支配介入という点をふまえて,救済命令としては文書交付が適切と判断したのではないかと勝手に想像しています。

2022年1月26日 (水)

今日の出来事

 今日は,第二東京弁護士会の労務・社会保険法研究会にお招きいただき,「DXの労働法に及ぼす影響〜アフターコロナの働き方を見据えて〜」というテーマで講演をしました(Zoomウェビナー)。聴衆の顔がみえないなか,自分の顔をみながら話すということにも,すっかり慣れました。聴衆がつまらなそうな顔をしていれば気になって,集中できなくなることがありますが,そういう心配がないので,ビデオオフ状態にも慣れてしまうと,こちらのほうが良いような気がします。
 講演の内容は,労働環境の大きな変化と,私の「デジタル労働法」(拙著『人事労働法』(弘文堂)の第10章)の概要という二部構成でしたが,普通の労働法の研究者からは,まず聴けないような内容の講演だと思いますので,聴衆の皆さんがどうお感じになったかは気になるところです。個人的には,弁護士の方たちに話をする機会をもつことができたのはとても有り難いことであり,声をかけてくださった堀田陽平弁護士には感謝です。
 ところで,本日の日本経済新聞の電子版の「転職のリアル(3)」で,私のコメントが出ています(テレワーク関係です)。紙面掲載は明日(⇒金曜の誤りでした)だそうです。かなり前にインタビューを受けていて,そのときも1回掲載されました(昨年9月9日の朝刊)が,再びの掲載となりました。インタビューは電話でしたけれど,私の話を覚えていてくれた記者の方に感謝です。

2022年1月25日 (火)

マクロからミクロに 

 今朝の日本経済新聞に「『ロボットが雇用を奪う』は誤りか」というThe Economistの記事が掲載されていました。ロボットによる自動化は,必ずしも雇用を奪うとは限らず,むしろ雇用を増やすこともあるという実証データが出てきているという話です。そして,「現段階で明らかなことは,ロボットによる自動化について,悲観一辺倒のシナリオが世界を席巻する時代は完全に終わったということだ。」と結んでいます。マクロ的にみると,ロボットによる自動化は,必ずしも雇用者数を減らさないかもしれません。また企業レベルでみても,配置転換などがうまくいけば,雇用は減らないかもしれません。しかし,個々の労働者が従事するジョブのレベルでみると,自動化はジョブの新陳代謝を引き起こすのであり,そこで新しいジョブへの転換がうまくいかなければ,失業する危険があります。したがって重要なのは,現在やっているジョブが機械化になじむかどうか,ロボットによって代替されうるかどうかであり,Oxford大学の研究者が2013年に発表した衝撃的な研究成果("THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?”)は,その点について示したものです。記事では,この研究成果に批判的ですが,失業率が高まらなかったことと,個々のジョブレベルでみた機械化の可能性とは関係がないとはいえませんが,直接的ではありません(もっとも,実は個々のジョブレベルでの機械化の可能性や数値については,その後,様々な研究で2013年の発表には異論が出されてはいます)。日本企業でいっても,自動化によって企業の収益が改善し,解雇回避をしなくても,雇用を維持できる余力ができたために失業率は高まらないということはありえます。ただ,それだとやはり潜在的な失業者を抱えこむことになるので,経営が悪化したときにはリストラされてしまう可能性があります。機械化の影響は,伝統的なジョブに従事している従業員の企業内でのjob switchingがどのように進んでいるかという実証研究をみなければ,何ともいえないように思います。
 マクロ的な数量だけで論じてはいけないのは,賃上げ論でもあてはまります。今日から春季労使交渉が事実上スタートするということで,政府肝いりの「賃上げ春闘」となりそうですが(もともと春闘は賃上げが中心だったのですが,近年は様相が変わってきていました),大企業中心の経団連が前向きでも,多くの中小企業にとっては賃上げは簡単ではないでしょう。賃上げは何%といったマクロの目標は政府レベルでは必要かもしれませんが,個々の企業にとってみてれば,賃金は従業員に対してどのようにインセンティブを与えるかということにかかわる最も重要な経営マターなのであり,どのくらい上げるかという量的なものではなく,どのような賃金制度の設計にするかという質的な部分が重要です。よりよい賃金制度を構築して生産性が上がり,企業収益が上がり,それが従業員に還元されていくという循環が起きなければならないのですが,それは基本的には経営者が考えて取り組むべきことです。内部留保をため込んでいる企業もあるかもしれませんが,それは種々の未来の不確実性が関係しているわけで,政府の役割は,そうした経営者の不安をできるだけ取り除くことにあるべきです。
 いずれにせよ賃上げは結果なのであり,個々の企業が賃金制度設計をどうすれば経営改善につながるかというところがポイントです。法的には,そうしたことを目指す賃金制度の変更に対して過度の制約が生じないようにしなければなりません。例えば年功型賃金から成果型賃金への移行は,賃金が不安定になる(上がるかもしれないが,下がることもある)ことから不利益変更であるとして,労働者が同意しないかぎり,労働契約法10条により合理性が求められます。また判例上,賃金の不利益変更は,高度の必要性がなければならないとされています。ただストレートに賃下げをするのではなく,制度のコンセプトを変えるような場合,高度の必要性や合理性を厳格に求めると,制度変更が難しくなります。しかも合理性というのは,どういう場合に認められるのか,労働契約法10条をみているだけでははっきりしません。労働者の同意があればよいのですが,これも判例によって客観的な合理性が求められます(昨日のブログを参照)。こういうことでは,企業は訴訟リスクを抱え安心して制度変更ができないので,私は納得規範というものを提唱しています。それによれば,企業は納得をえるように説明することは必要であるが,それをきっちりやっていれば変更は可能であるというものです(詳細は拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)37頁の「既存就業規則の不利益変更」の議論を参照)。 私の「人事労働法」の話はともかく,賃上げ論は,こうした個々の企業の賃金制度の話にまで降りていかなければ,うまくいかないでしょう。マクロからミクロへ,ということのです。

2022年1月24日 (月)

個人の合理性の限界と同意の効力

 今朝の日本経済新聞の経済教室で,「SNS規制に必要な視点 個人の合理性の限界前提に」という論考が掲載されていました(静岡大学教授の高口鉄平氏)。そこでいう個人の合理性の限界とは,サービスの利用(個人情報の提供を含む)に関する個人の「情報処理能力の限界」「意思決定能力の限界」「経済的価値認識の限界」なのです(図表を参照)が,労働契約における労働者の同意にも同じような問題があります。
 「情報処理能力の限界」や「意思決定能力の限界」というのは,労働者でいえば情報収集能力とその理解能力の限界に関係するものでしょう。就業規則を実際にどれだけの労働者がしっかりで読んで,内容を確認しているでしょうか。就業規則には,自分の労働をどのような条件で企業にゆだねているかのほとんどが書かれていると言ってもよいのですが,実際にはそれをよく知らないまま労働契約を締結しているでしょう。「経済的価値認識の限界」というのも,自分の労働がどれだけの経済的価値があるかを知るのは困難であり,自分の賃金の適正さについての評価は容易ではありません。こういう様々な限界があるなかで,労働契約では,労働者の同意について,どのような処理をしているかというと,まず労働基準法などの強行的なルールで,一定の最低基準を定めてしまい,労働者が同意で決定できる範囲を限定するという方法がとられています(強行規定)。そしてこうした強行的なルールがない範囲でも,判例により,労働者に不利な同意の存否の判断はきわめて慎重になされることになっています(自由な意思によるものと認めるに足りる客観的な合理性が必要)。学説には,情報提供と説明をきちんとしていればよいとするものもありますが,いずれにせよ本人の同意による意思決定は認めるが,その要件を厳格にするということです。このほか,労働組合が労働者の代わりに同意をするということもあります。これはいわば個人の能力の限界を,専門的な第三者によって補ってもらうようなものです。労働条件の不利益変更を労働協約で定めるというのが,そうした例です。もっとも本人でない者がどこまで本人に代わって本人に不利な決定ができるかは問題となりうるのであり,それは労働組合であっても同じで,労働法では,労働協約による労働条件の不利益変更(個々の組合員の労働条件ではなく,労働条件の基準の不利益変更ですが)の限界として論じられています(LS生はしっかり勉強しなければならないテーマです)。さらに私は,労働者の利益に配慮したデフォルトのルールを決めて,そこから逸脱するときには本人の納得同意が必要とすることにより,本人の自由な選択の尊重とパターナリスティックな本人保護の両立を図る見解を提唱しています(拙著『人事労働法』(弘文堂)を参照)。このほかにも,労働契約では,日本法ではあまり議論されていませんが,労働者に不利な同意については,一定期間内は撤回できるとする考え方もあります(例えば辞職の意思表示の撤回で外国には立法例があります)。
 これらの議論は,個人情報の取扱などに関する本人同意に直接あてはめることはできなくても,その発想はかなり応用できるところがあるのではないかと思っています。個人の合理性の限界と正面から向き合うことは,一般の国民が,労働者として,消費者として,その他いろいろな社会での場面で,何らかのリスクのある決断をしなければならないときに,どのような法的ルールが求められるかを考える際の出発点になるのです。

2022年1月23日 (日)

藤井四冠2連勝

 大相撲初場所は御嶽海の優勝で終わりました。阿炎と照ノ富士の巴戦もみたかったですが,照ノ富士の膝は悪そうでしたね。やっと白鵬がいなくなって,きれいな相撲を取る横綱が誕生したので,照ノ富士には長く横綱を張ってもらいたいです。御嶽海は大関昇進となるでしょうが,来場所は現大関が2人ともカド番なので,下手をすれば再来場所は1人大関になっているかもしれませんね。
 将棋の王将戦の第2局は,藤井聡太竜王(四冠)の完勝でした。渡辺明王将(三冠)はまったくいいところがなかったです。藤井四冠は,デビュー以来相性がよかった朝日杯将棋オープン戦で,永瀬拓矢王座に敗れたり,順位戦の敗戦もあったりして,少し調子が下降気味かと思ったのですが,心配無用でした。今期の勝率を再び8割に戻し,対局数も勝ち数もぶっちぎりのトップで,その勢いはとどまりません。
 そんな藤井四冠に順位戦で勝った千田翔太七段ですが,その次の対局であった王将戦一次予選での中村修九段との対局では,千日手で指し直しとなり,さらに268手指して,59歳の中村九段に敗れてしまいました。次期にA級に昇ろうかというバリバリの若手との死闘を制した中村九段の勝利は,大いに私たち同世代を勇気づけるものでした。「受ける青春」の異名をもつ中村九段は,王将2期のタイトル経験者(タイトル経験者でA級経験がないという珍しい棋士の一人)であり,縁起のよい棋戦ではありましたが,過去の人という感じでもあったのでこの結果には驚きました。千田七段は中村九段のペースに引きずり込まれてしまいました。ベテランの底力というのはあるのです。井上慶太九段が,かつて藤井聡太四冠(対局当時は何段だったか忘れましたが)に勝ったときも,うまくベテランのペースに引き込んだという感じがありました。
 今日のNHK杯では,先週,放送が流れた佐藤康光九段対佐々木大地五段,本来の放送予定であった羽生善治九段対斎藤明日斗五段の2局が放送されましたが,生きのいい若手相手に佐藤九段と羽生九段が,それぞれぎりぎりの攻めをしのいで勝利をおさめました。こちらは二人ともA級棋士ですので,勝って当然という気もしますが,おそらく多くの人は五分五分か若手五段のほうがやや有利ではと思っていたのではないかと思います。藤井四冠レベルになると勝てないにしても,多少勢いがあるくらいの若手には,まだまだ負けないぞという強さをみることができてよかったです。

2022年1月22日 (土)

シニア教員であることの自覚

 神戸大学の社会科学系の同窓会である淩霜会が出している「淩霜」という雑誌の最新号に,わが法学研究科の高橋裕研究科長が「When I’m Sixty-Four」(The Beatles の有名な曲)というタイトルのしゃれたエッセイが掲載されていました。Beatlesの歌のタイトルは「僕が64歳になっても」という感じで,森高千里の「私がオバさんになっても」のおじさん版のようです。しかし,エッセイの内容は,そんな軽いものはありませんでした。
 ファカルティメンバーの高齢化について研究科長の立場から思うことを書かれているのですが,法社会学の研究者らしく,きちんと数字を示して,50歳代以上の教員の割合がはっきり増加していることを示してくれています。40歳未満の教員が3割以上となることが求められているなかで,研究科長の立場としては気になるところでしょう。確かに研究の世界で,若い層が減ってきていることは深刻な問題であり,若手がテニュアをとって安定した環境で研究や教育に取り組めるようにすることが重要であるのはそのとおりなのですが,なんとなくシニア教員としては居づらくなってきています。個人的には,組織にしがみつくようではいけないと常日頃言っていることで,チャンスがあれば転職するという気概がなければならないと思っていますが,徐々にemployabilityが下がってきているなかで,勇ましいことも言いづらくなってきています。高年齢者雇用安定法が70歳までの就業確保を努力義務としてくれたことから,大学(いまは65歳定年)もそういうことを考えなければならないのではないか,というようなことを口走ったりもしていますが,それはとんでもないことで,むしろ65歳でも年齢が高すぎるというところなのでしょう。
 そもそもこの改革の時代において,雑用的な業務の量も増えるなか,細かい仕事が苦手で,重い仕事を頼みにくいシニア教員が増えてくるのは,組織にとって負担が重いことでしょう。デジタル化によって負担軽減が進めばいいのですが,大学のDXは非常にハードルが高い目標のようです。しかも,相手となる学生たちはデジタルネイティブが増えてくるわけで,アナログ的な教育体制で,デジタル感覚の学生を教えるということになると,シニア教員にはますますきついものとなるでしょう。
 わが研究科長は,若返りのための特効薬はないとし,「せめて関係者たちが問題の存在を自覚しながら,そのときどきに出来ることをして状況を改善していくしかない」と書いておられて,そのとおりなのでしょう。私は,存在していることがすでに組織に迷惑になっている可能性があるのですが,少しでも居づらさを軽減できるようにするため,研究者として重要な成果を出すなり,教育者として改革の時代を担える人材の育成や若手研究者の育成をできるようにするなりして,組織に貢献しなければならないと思っています。

2022年1月21日 (金)

救済策はよいが,現場への配慮も

 先日の大学入学共通テストでは,試験の直前に,感染者や濃厚接触者への救済策が発表されましたね。受験生に救済をというのは,気持ちとしては,よくわかります。ただ,不公平感があるという意見もわからないではないので(ほんとうのところは,共通テストを受けられないことがプラスになるのかマイナスになるのかは,よくわかりませんが),政府はきちんとした説明をして,今回の措置を正当化することが必要です。受験生が可哀想というのであれば,今後,可哀想な受験生を全員救済しなければ不公平となります。今年だけの特例措置だといっても,そんなことが通用するのでしょうかね。こういうことは,政府の信用性に影響します。不公平に鈍感で,前政権や前々政権と同様,「説明しない」政府だということにならないように気を付けてもらいたいです。
 直前に救済措置が発表されたので,現場はたいへん混乱したのではないかと思います。共通テストなしで2次試験だけで評価しろというようなことも言われているようですが,入学試験は時間をかけて準備をしているわけで,そんな突然の方針転換に上からの命令一つで簡単に対応できるわけがないでしょう。こういうことは,事前にしっかり想定して計画しておくべきであったと思います。オミクロン株が急速に増える可能性があることは,かなり前にわかっていました。とくに重症化リスクが高いことが新たにわかったから今回の緊急避難的措置をとったというような事情があるわけでもありません。事前計画の不備と指摘されても仕方がないでしょう。こういう突然の方針変更があっても,日本の労働者は真面目にかつ器用に対応してしまう能力があるのですが,そういうことに頼り(甘え)すぎて事前計画をおろそかにすると,いつか大きな失敗が起こる可能性があります。こういう危機管理能力の低さも,最近の政権の問題です。優秀な人材はいるのでしょうが,それが政権の中枢にいないのではないかと思ってしまいます。
 臨機応変というと聞こえはよいですが,その場しのぎの思いつき対応が,現場に過重な負担をかけることは労働問題としても捉えるべきなのです。共通テストでいえば,責任あるポストにいる人(大臣ら)は,大学入試がつつがなく行われるためにも,こういう無理なお願いをするときには,現場の実施者たちにもっと丁寧にお願いをすべきだと思います(大学側の判断に任せると言っても,事実上強制しているのは明らかです)。コロナ対応でも政府の朝礼暮改で中央官庁の職員や地方自治体の職員は疲弊していないか心配です。今日,民間企業であれば,社長や重役が頭を下げてお願いしなければ,緊急対応であっても,なかなか現場は動いてくれないでしょう。しっかり危機管理をして,現場の労働者(公務員も含む)に対して過重な労働負荷が生じないようにすること,もし危機管理を失敗してしまったときには,素直にそのことを認め,迷惑をかける現場の人に丁寧にお願いすることが大切です。労働者を,命令一つで好きなように動かせるという雇用的「奴隷」労働から解放することこそ,「働き方改革」の本丸のはずです。

2022年1月20日 (木)

プライバシーポリシー

 2年生相手の基礎科目(基礎法政論)は新年に入り,残りの授業は一人ずつ自由にプレゼンをしてもらうことになっています。初回は,Webサイトで掲載されている会社のプライバシーポリシーが読みにくく,私たちの個人情報を事業者相手に十分に守ることができないという問題関心をもった学生が,プライバシーマークのようなものを応用した第三者評価を活用すべきではないかという提言をするプレゼンをしてくれました。
 学生は読みづらいプライバシーポリシーの例としてGoogleのものを挙げていました。オンライン授業なので,すぐに学生が画面に映してくれて,みんなで検討できました。これをみると,確かにきれいにつくられていますが,長大で動画まであり,これをどれだけの人がすべて読んでいるかははなだだ疑問です。でもプライバシーポリシーをきちんと読まなければ,私たちが個人情報を提供できるだけの信頼ある事業者かの判断はできません。
 読みやすさを向上させる手段の一つとして簡素化が考えられます。例えば重要な情報だけアップすれば簡素化はできますが,必要な情報があるのに無理に簡素化すると,利用者の利益を損なう心配があります。情報のランク付けをする(重要な情報はフォントを大きくするなど)というアイデアもありますが,低ランクのものは読まないことになり,それでよいのかという問題もあります。
 そこでプライバシーポリシーを検証して,ランク付けをしてくれる第三者機関があればよいということになるのですが,そういう機関は,政府系のところが多くて,ほんとうに市民目線で判断してくれるのだろうか,という不安があります。プライバシーマークのほうは,一般財団法人日本情報経済社会推進協会というところが評価して付与することになっています。民間での取組といえそうですが,経済産業省がしっかり関係していて,この協会の会長も経産事務次官経験者で,天下りポストのようでした。だから悪いということではないのですが,なんとなく政府色が強い点で,気持ちがよいものではありません。
 自分では対処できないことは,信用できる他人に託すということはありうることで,実は情報銀行はそういうものなのですが,あまり普及していないような気がします。情報銀行が信用できるのかという問題はあるのですが,これにも認証制度があって,一般社団法人日本IT団体連盟というところが所管しています。ここの会長は,Yahooの川邊健太郎氏でした(現在は,Zホールディングス社長)。これは純粋に民間団体と考えてよいのでしょうね。
 学生には,個人情報は重要だけれど,うまく活用されることは,自分にも社会にもプラスになりうるので,どのようにうまいシステムをつくっていけるかを考えてほしいというアドバイスをしました。官に頼るのは,権力と私的領域は対立関係にもなりうることは忘れてはならないし,だからといって,いたずらに権力と敵対してもダメで,権力をどう統制して国民のためになるようにしていくかが,民主主義社会における知恵の出しどころなのです。そこにデジタル時代ゆえの知恵も加味されるべきです。プライバシー侵害を,デジタル環境でのものに限定すると,プライバシー・バイ・デザインという発想は有用だと思います。プログラムの設計段階から,プライバシー対応仕様にするということです。
 ところで1月17日の日本経済新聞の複眼「個人データ,活用と保護」では,このテーマに関係する論考が集まっていました。利用者の合意を必要としても,合意の強制になっているだけではないかという指摘は重要であり(ショシャナ・ズボフ氏),他方で,東京大学の宍戸常寿さんが言うように,「何でも同意を求めると『同意疲れ』にもつながる。データが生む価値とのバランスを考え、顧客と信頼関係を築きメリットを提供する企業は同意がなくてもデータが得られるといったルールを整備してはどうか。産業界も丁寧に説明し、適切な範囲で活用する体制づくりが急務だ。」という提言は,ほぼ我が意を得たりという感じです。

2022年1月19日 (水)

経済教室に登場

 日本経済新聞の経済教室に登場しました。テーマはテレワークです。テレワークのことは,すでに明石書店から刊行した『誰のためのテレワーク?ー近未来社会の働き方と法』(2021年)で詳しく書いていますので,詳細は同書を参照してください。テレワークはコロナ禍で経験者が増えましたが,本格的な導入は広がっていませんし,コロナ後どこまで定着するかは何ともいえないのですが,DXの広がりとテレワークのもつ価値(書籍では,労働者,企業,社会にとっての価値という書き方になっています)を考えると,企業はテレワークに本格的に取り組まなければならなくなるだろうという展望を書いています。DXの部分もまたすでに多くの媒体で書いていますが,新聞という目立つ媒体で書くことができて個人的には満足しています。とくに最後に書いたデジタル時代への政策課題は,最近の私の書くもの(ここ何回かの経済教室も含む)では,お決まりのパターンではあるのですが,これが大切だという私の考えに変わりはないので,何度もしつこく,ただできるだけワンパターンにならないように意識しながら書いています。
 経済教室では3000字という制限があるので,絞りに絞って書いています。もっといろいろなキーワードを入れたかったのですが,SDGsESG投資などは,昨年5月のギグワークのところでも書いたので今回はあえて入れませんでした(ただ,社会的責任,多様化(ダイバーシティ)経営,環境などのタームを使って実質的には盛り込んでいるつもりです)。ジョブ型,日本型雇用システムという,いつもの言葉も今回は入れませんでした。一方,健康テックの話は学会報告でもふれたことなので盛り込んでみました。
 テレワークは,もはや導入するかどうかという問題ではなく,どのように導入するかが問題だという書籍のほうで書いたメッセージは,今回の経済教室でも伝えているつもりです。テレワークはコロナ禍の一時的な緊急避難的な働き方ではなく,DX時代の標準的な働き方となるのです。
 コロナ禍は,場所主権と時間主権の重要性を再認識させてくれました。オミクロン株が急速に拡大するいま,たとえ重症化リスクが低いとはいえ,少なくとも仕事を理由として,3密に引っ張り出されることがないような社会をつくっていかなければなりません。そうしたことを可能とするICTを含むデジタル技術がすでに私たちの手にあるのです。
 私たちはもともと場所主権と時間主権があるはずではないかというメッセージが,今回の原稿から多くの人に伝われば嬉しいです。

2022年1月18日 (火)

山本陽大『解雇の金銭解決制度に関する研究』

 JILPTの山本陽大さんから,『解雇の金銭解決制度に関する研究ーその基礎と構造をめぐる日・独比較法的考察』(労働政策研究・研修機構)をいただきました。どうもありがとうございました。彼の長年の研究テーマで博士号をとったということは聞いていたので,いつモノグラフとして読むことができるか,楽しみにしていました。はしがきには,私の名も挙げていただき,たいへん光栄です。
 解雇の金銭解決というと,マニアックに聞こえそうなテーマですが,彼も自覚しているように,金銭解決の問題は,解雇規制の規範的根拠を問うていかなければ解決できないものであり,単なる法技術論に関するものではないのです。その意味で,本書は,まさに解雇に関する本であり,さらに言うと労働契約論や労働市場法を論じた本でもあります。労働法のど真ん中のテーマを扱ったものということです。
 彼はまだ若いとはいえ,すでに一流の法学者として,こうした重いテーマを扱う実力は十分に示してくれています。手堅い解釈論についてはすでに多くの業績があり(労働契約法旧20条関係の論文など),さらにドイツ法研究の第一人者であり,とりわけ最新のドイツ法の動向は「山本に教えてもらう」というのが常識になっています。また所属機関の(良き)影響として労働政策にも通じています。すでに法学研究者として完成しているのであり,この本は,そうした彼の力を十分に示したものといえます。
 本書を厚生労働省系のシンクタンクであるJILPTの研究員が書いた本などと思ってはいけません。これはきわめて質の高い学術論文であり,近年の労働法の研究書のなかでも文句なく最高峰に挙げるべき本の1冊です。同時に,この本の内容は政策の現場において,ぜひ活かされるべきものです。厚生労働省にはその責任があります。彼は立場上(?)明確には書いていませんが,政府の議論の方向には疑問をもっていることをうかがわせています。
 解雇となると,経済学のほうから,乱暴な議論がなされがちで,労働法学は,それを意識しすぎた対応をしてきたように思います。彼は,この点について,解雇の金銭解決制度をめぐる議論が,経済学による規制緩和論に端を発したため,労働法学が労働者側の利益の観点からの解雇規制の普遍的な正当性の解明が先決課題となり,使用者の利益やその規範的根拠について視野に入りにくい状況があったとして,ドイツと日本の議論の違いを冷静に分析しています(376頁)。そこから出てくるのは,解雇規制は,使用者の自由をどこまで制限してよいのかという視点でとらえることの必要性です。これは,結局のところ,労働法とは誰のどのような利益をどう守るべきものかという大きな問題につながります。本書は,ドイツ法を徹底的に調べ上げて,これをある種のエビデンスとして突きつけて,日本法を相対化し,今後どういうことに取り組むべきかを提示してくれたものであり,どうしてもイデオロジカルになりがちな解雇の議論を新しい次元に引き上げてくれた記念碑な業績として,労働法の学説史に刻まれることになるでしょう。本書の刊行を心より喜びたいと思います。


2022年1月17日 (月)

迫り来る危機2ー震災の日に思う

 迫り来る危機という点では,大地震の危険もあります。これは昨日書いた倒産や解雇より,いつ起こるかいっそう不確実ですが,いったん起きると人命に直結する点で恐ろしいです。
 27年前の今日に起きた阪神淡路大震災を知らない若者が増えてきています。ただ犠牲者の家族はまだ周りにたくさんおり,私たち神戸の人間はそういう人たちに寄り添っていくことが必要ですし,同時に次の地震に備えて過去の教訓を伝え残していく必要があります。
 大地震というと,高速道路の崩落とか,火災のシーンとか,そういう映像的にインパクトのあるイメージでとらえがちで,そういうものの重要性は否定しませんが,より重要な教訓は地震が起きたときにどう行動したらよいのか,どう行動したらまずいのか,というような実践的なことです。例えば,ガラスが割れるので,寝る前には靴下を近くに置いておくといったことは,役に立つ実践的な知識の一つでしょう。
 父に,前の1946年の南海トラフと阪神淡路と,どちらの地震のほうが大きかったかと尋ねたら,南海トラフのほうで,あれは怖かったと言っていました。次に来る南海トラフ地震がどの程度のものかわかりませんが,阪神淡路クラスかそれ以上の大地震が来ることは覚悟しておいたほうがよいのでしょう。コロナ対策も必要ではありますが,常に大地震への用心は忘れてはなりません。
 トンガの噴火をみてわかるように,火山爆発もまた恐ろしいです。気象庁も予想できないような形で津波が到来したりするなど,まさに人知を超える自然の脅威です。もし日本で富士山が爆発すれば,社会生活は麻痺し,日本の経済は長期的な低迷を避けられなくなるでしょう。企業のBCP(事業継続計画)は,コロナ禍をきっかけに意識が高まってきているかもしれませんが,むしろ地震対策という点で取り組むべきものです。もし起きてしまえば,テレワークを本格導入していない企業はおそらく立ちゆかなくなるでしょうし,政治も地方移転を進めなかったことを深く後悔することになるでしょう。東京に政治の中枢を置くのはきわめてリスクが高いのです。早く政治の中枢機能をサイバー空間に移すなど(もちろんそこではサイバーテロなどの新たなリスクがあるのですが),いろいろ知恵を絞っていく必要がありますが,まずは危機感をもつことが大切でしょう。
 

2022年1月16日 (日)

迫り来る危機

 昨日,今年になって初めての出勤をし,今日,ようやく年末から職場に届いていた郵便物を確認できました。年賀状も届いていましたが,私自身は年賀状は基本的には廃止しておりますので,いただくだけになって申し訳ありません。
 大学に出勤したのは,もちろん,あの国民的な(?)行事があったからです。東大では大変な事件が起きてしまいました。この事件の動機などはよくわかりませんが,現在,社会に閉塞感があって,未来に希望をもちにくくなっていることが,無差別殺人や拡大自殺のようなものが次々と起きている背景にあるのかもしれません。
 日本経済新聞の113日の電子版に気になる記事が出ていました。「東京商工リサーチが13日発表した2021年の企業倒産件数は,前の年と比べて22%少ない6030件だった。2年連続で前の年を下回り,1964年の4212件に次ぐ57年ぶりの低水準にとどまった」。倒産件数が減るのは良いことですが,これは政府の補助金が効果があったからで,コロナ禍で一部の業種を除くと,企業経営の状況が良いわけがありません。ということは,補助金の影響が切れたとき,経済が大きく好転しているようなことでもなければ,倒産が一気に増える可能性があるのです。当然,失業者も増えます。倒産にまで至らなくても,すでに潜在的失業者がかなりの高い水準になっており,雇用調整助成金によって抑えられているにすぎないと推測されます。そうなると,そう遠からず,大量倒産や大量解雇が起こることを覚悟しておかなければなりません。その影響を少しでも小さくするために,何をすべきなのでしょうか。
 私自身はデジタル変革に関する近未来の雇用政策に関心をもち,政府にもしっかり取り組むべきと述べてきていますが,目前に迫っているコロナ倒産や解雇への対策もまたとても重要です。これに失敗すると,社会にますます閉塞感が高まり,非常に危険な状態になってしまうでしょう。もはや補助金などでの応急措置ではどうしようもないわけで,早急に緊急雇用対策会議でも立ち上げて,この危機をどう乗り越え,うまくデジタル時代の政策につなげていくか知恵を絞ってもらう必要があります。いずれにせよ,低水準の倒産件数は,とてつもなく不気味な数字であるという認識をもっておかなければなりません。

2022年1月15日 (土)

順位戦のプチ波乱

 一昨日の13日に行われたB1組の順位戦は,この日にA級昇級を決めていたかもしれなかった藤井聡太四冠が千田翔太七段に敗れて,82敗となりました。千田翔太七段は83敗です(1局消化が多いです)。一方,前半7連勝で飛ばしていた佐々木勇気七段がまさかの3連敗で73敗となりました。順位が下位なので自力昇級がなくなりました。一方,久保利明九段に勝って7勝3敗になった稲葉陽八段は順位が上(1位)なので,あと2連勝すれば自力昇級(A級に1期で復帰)ができることになりました。たった1日で昇級レースの様相が変わりましたね。なお藤井聡太四冠の最終局の相手は佐々木勇気七段です。もし藤井聡太四冠が残る2局のうち1つでも敗れれば93敗となり,稲葉八段と千田翔太八段(順位7位)がともに93敗となれば,B1組に昇級したばかりで順位が下の藤井四冠(11位)と佐々木七段(12位)は同成績でも頭ハネとなります。という状況なので次局で藤井四冠が阿久津主税八段に勝っても,稲葉八段が松尾歩八段に勝てば昇級は決まらないことになりました(千田七段は空け番)。さすが「鬼の住処」と呼ばれるB級1組であり,そう簡単には藤井四冠をA級に昇級させてくれませんね。
 そのA級のほうは,糸谷哲郎八段が佐藤康光九段に勝って52敗となり,残り2局の連勝を条件にプレーオフ進出の可能性を残しました(名人挑戦は順位では決まりません)。最終戦が現在7連勝中の齋藤慎太郎八段ですので,どうなることでしょうか。一方,永瀬拓矢王座が,佐藤天彦九段に敗れて3勝4敗となりました。最近の充実ぶりからみて永瀬王座の勝利を予想していた人も多かったでしょうが,天彦九段も元名人の意地をみせて残留を確定させました。これで羽生善治九段に自力残留の可能性が出てきました。次が永瀬王座戦ですので,2連勝すると,永瀬王座が最終局に勝っても45敗で並び,順位が羽生九段は8位で,A級に上がったばかりの永瀬王座の9位よりも上なので羽生九段の残留となります。もちろん現在の3勝4敗の広瀬章人八段(順位3位),菅井竜也八段(5位),佐藤康光九段(6位)が連敗して6敗になれば,順位が下のほうから降級の可能性があります。なお山崎隆之八段は,豊島将之九段に敗れて,すでに降級が確定してします(豊島九段は4勝3敗)。

2022年1月14日 (金)

Medici家の女たち

 Medici家のことをずっと書いていますが,ドラマ「MEDICI」の主人公Cosimo Cosimo il Vecchio”(「古い」という意味ですが,ここではご先祖さまくらいの意味でしょうか)と呼ばれるのは,Medici家には,まだ有名なCosimoがいるからです。とくに重要なのが,Firenze Duca(公国)からGranducato di Toscana(トスカーナ大公国)となったときの初代の大公であるCosimo1世です(大公になったのは1569年)。公国や大公国という言葉は,あまりなじみがありませんが,貴族(公)が治める国を意味していて,現在でもモナコ公国がありますね。公国より格上の大公が治める大公国としては,ルクセンブルクがあります。
 ところでFirenzeは,公国・大公国の時代は,名君もいれば暗君もいたようですが(詳細は森田義之『メディチ家』を参照),フランス,スペイン,オーストリアの大国に囲まれて苦労したようです。欧州の名家に仲間入りしたMedici家ですが,1737年に断絶し,トスカーナ大公の地位は外国勢力に移っていき,最後はイタリア統一前の1860年にSardegna 王国に吸収されます。
 そんなMedici家ですが,フランス王妃となったカトリーヌ(Catherine de Médicis)のように,イタリア料理をフランスに持ち込んで,当時の粗野なフランス料理に洗練をもたらしたという大きな功績をした人もいます。
 しかし最高の貢献をしたのは,Medici家最後の大公であったGian Gastoneの姉のAnna Maria Luisa かもしれません。彼女が最後のMedici家の人であり,1743年に亡くなりますが,新大公となるハプスブルク・ロートリンゲン(Habsburg-Lothringen)家にMedici家の莫大な財産を委譲する際に,「これらのものは国家の美飾であり,市民の財産であり,外国人の好奇心を引きつけるものであるゆえ,何ひとつとして譲渡されたり,首都および大公国の領地から持ち出されてはならない」という条件を付けたそうです(森田・前掲書340頁)。このおかげで,いまでも私たちはFirenzeに行くと,Medici家が代々にわたり築き上げた素晴らしい文化遺産をみることができるのです。

2022年1月13日 (木)

悪女考

 前にも悪女のことを書いたことがありますが……。
 昨日紹介した「MEDICI」では,Cosimo il Vecchioの命を助けるためにContessina が活躍したり,Cosimoの長男で頼りないPieroは,妻の才女であるLucreziaに励まされてMedici家を救う重要な演説をしたりするなど,女性が非常に重要な役割を果たします。ドラマの世界ではありますが,史実から完全に離反しているわけではないでしょう。歴史の表舞台は男性が担いながらも,しっかり女性の影の(しかし決定的に重要な)活躍も描けるのがドラマや映画の良さかもしれません。
 今年の大河ドラマの「鎌倉殿の13人」も楽しみにしています。三谷幸喜さんの大河は「真田丸」を観て良かったので期待しています。初回も面白かったです。主役は北条義時ですが,当然のことながら,姉の北条政子が重要な役を担うでしょう。北条政子の場合は,歴史の裏舞台ではなく,完全に表舞台にいるのであり,どのように描かれるかが楽しみです。北条政子は悪女と言われていますが,はたしてそうなのかは疑問があります。確かに,頼朝の後継者である2代将軍の頼家は政子の実子であるものの,北条家のために暗殺させた(?)という話もあります。その弟の3代将軍実朝は,頼家の息子の公暁に暗殺されますが,その暗殺も歴史の闇です。頼朝の浮気相手である亀の前を匿った伏見広綱の屋敷をつぶしてしまった猛女でもあります。ただ鎌倉時代における政子の役割は重要です。武家が朝廷(後鳥羽上皇)と戦った承久の乱の勝利の実質的な立役者であった北条政子が,武家政権の基礎を築いたともいえるのであり,単なる悪女ではおさまらないでしょうし,そもそも悪女と呼ぶべきような人であったのか疑問ですね(彼女の行動は北条家を守るためのものであったと考えれば一貫するという見方もあります)。ちなみに悪女というのなら,昨年亡くなった細木数子こそ,その名に値するのかもしれません。といっても,それは溝口敦『魔女の履歴書』(講談社)の内容どおりであればですが(島倉千代子や安岡正篤が可哀想で,読んでいて気分が悪くなるくらいの悪女です。『女帝』で描かれた小池百合子都知事の比ではないです)。
 現代の日本の政治では,もっと女性の活躍が期待したいところですが,人材不足の印象は否めません。民間企業と同じできちんと育成していくことが必要なのでしょうね。ワクチン担当大臣って誰だったっけというくらい,前任者の河野太郎と比べて存在感がなさすぎます。これだと女性だから要職につけただけと言われかねないです。こういう人事をすることが女性に対する評価を下げて,ますます女性登用を難しくしてしまいます。目先の数合わせにこだわらず,じっくりと育成して,これぞという女性大臣に登場してもらいたいものです(その意味で安易なクオーター制には反対です)。そういう意味でも,今回の大河ドラマにおいて,主役ではないかもしれませんが,偉大な政治家であった北条政子(小池栄子さんが演じます)に注目したいです。

 

2022年1月12日 (水)

Medici

 大学の同僚が,新型コロナウイルスのために延期になっていたFirenze大学への留学に,昨年秋にようやく出発できました。いままたイタリアでは感染爆発が起きているのですが,大丈夫でしょうかね。
 Firenzeは素晴らしいところです。私の第二の都はMilanoですが,文化的にはFirenzeに負けていることは認めざるを得ません。Medici家が残した素晴らしい財産は,いまもFirenzeの人の誇りであり,世界中の人を魅了してやみません。
 そんなMedici家ですが,それを題材にしたイタリアとイギリスの合作のドラマ「MEDICI」があって,前から観たいと思っていたのですが,これがHuluで観ることができるとわかり,そのためだけにHuluに加入しました(2週間だけなら無料たったのですが,正式加入してしまいました)。イタリア版大河ドラマという感じですが,シーズン18話で終わりで,ちょっと短いです。とはいえ内容は十分濃いものでした。
 名著である森田義之『メディチ家』(講談社現代新書)と合わせて観れば,ドラマの理解はより深まります。シーズン1は,「メディチ王朝の始祖」(森田本の表現)であるGiovanni di Bicciから,その長男のCosimo (通称は,Cosimo il Vecchio)が権力を奪取していくところが描かれています。イタリアの話なのにイタリア語ではなくすべて英語であったのが,ちょっと残念ですが(GiovanniはあのDustin Hoffmanが演じています),イタリア人俳優も英語はとても上手で,近年強く感じているイタリア人の英語力の飛躍的向上がここにも現れているなと思いました(私の若い頃に出会ったイタリア人の英語は,訛りが強くて聞きづらかったのですが,いまはそういうことは全くありません)。
 15世紀前半のFirenzeは政治的な対立が激しく,このドラマではAlbizzi家のRinaldo との壮絶な戦いが描かれています。Cosimoは死刑判決を受けて絶体絶命のところを,妻のContessina が乗り込んで助けて(史実とは違うでしょう?),esilioFirenze追放)でとどまります。しかし命を捨ててもFirenzeに残りMedici家を守るつもりであったCosimoは,Contessina を深く恨むことになり,亡命先のVenezia に同行をさせずにFirenze に残るよう命じます(これはひどい仕打ちです)。Veneziaでは,CosimoMaddalenaという奴隷女にぞっこんとなり,その後,政敵Albizzi の追放にともなってFirenzeに帰還する際には,この女性も連れて帰ります。当然,家庭内はぎくしゃくしますよね。そのようななかでも,Cosimoは政治的な力は着実に高めていきます。
 ドラマでは,Meidici家が銀行家ということで目の敵にされるなか,お金を使って買収をしたり,政略結婚もしたりしながら,上流階級にのし上がっていくところが凄いです。他方で,文化への理解は強く,Medici家のパトロネージがあったからこそ,今日なおFirenze人から慕われているのでしょう。ドラマでは,Duomoの建設の功労者のBrunelleschiも少し登場します。この時期はペストも起こっており,社会は混乱状態でしたが,そうしたなかCosimoは市民には寛大な姿勢を示し,その支持を高めていきます。政敵には厳しかったのですが,新興のMedici家がのし上がっていくためには,正面から対抗してくる上流階級とは徹底的に戦い,大衆には自分たちは「あなたたち側の人間」というポーズを失わないことを処世訓としていたからでしょう。
 Cosimoの右腕であった弟Lorenzo は殺されてしまい,長男のPieroは頼りない後継者でしたが,その子Lorenzo (il Magnifico)で,Medici家は黄金期を迎えることになります。Lorenzo (il Magnifico)からシーズン2となるのですが,まだ日本では観ることができません。早く観たいですね。シーズン1は,誰がBicciを毒殺したかというミステリー仕立てにもなっていて,最後に種明かしされるのですが,これも見物です。
 Mecidi家は,その後,Lorenzoil Magnifico)の次男のGiovanni de Medici 16歳で枢機卿となり,その20年後に史上最年少で教皇LeoⅩとなります。Medici家から教皇が出たことで,Firenze市民たちは歓喜したようです(森田本)。しかし,このLeoⅩは政治的な面では悪名も高く,贖宥状(昔は世界史では「免罪符」と習った)を乱発して資金を調達しようとし,Martin Luther(マルティン・ルター)の宗教改革を引き起こしました。宗教改革は,Medici家側からみていくと,また別の視点をもつことができて,世界史をより面白く学べるかもしれません。金満,豪華絢爛,文化的爛熟,俗臭プンプンの教会と,禁欲的なプロテスタントとの対比は興味深いです。ちなみにFirenzeでも,Lorenzoil Magnifico)が亡くなったあとに ,これも世界史の教科書に出てきていたSavonarola(サヴォナローラ)の改革がありました。一種の宗教改革ですが,その急進的な改革は支持されませんでした。やはりプロテスタント的なものは,イタリアになじまなかったのでしょう。彼は火あぶりにされますが,その場所には,Firenzeの中心にあるPiazza della Signoria(シニョリーア広場)に銘板があります。早くFirenzeを再訪できる日が来ればと思っています。 

 

2022年1月11日 (火)

最新重要判例200労働法

 弘文堂から刊行している『最新重要判例200労働法』の第7版が届きました。今回も編集者の清水千香さんには,大変お世話になりました。2009年の初版から13年経ちます。2年に1回のペースで版を重ねることができたのは,ひとえに読者の皆さんのおかげです。
 第7版では,7つの判例を新たに追加しました。判例のチョイスについては異論もあるかもしれませんが,私の独断で現時点で掲載したほうがよいと考えた判例を選択しています。また今回は昨年刊行した『人事労働法』とも連動させています。『最新重要判例200労働法』では限られた字数のなかで,判例実務を意識した解説になっているので,企業人事に関係する点や私見については『人事労働法』を参照してもらえればと思っています。LSの授業で使っている『ケースブック労働法(第8版)』の改訂が2014年で止まってしまっているので,『最新重要判例200労働法』には,その後の判例を補充する役割もあります。いまは団体法が3割を占めていますが,この割合は徐々に減っていくかもしれません。また初版からの構成は基本的に維持していますが,どこかの段階で,構成を大きく変えてしまう必要が出てくるかもしれません。せっかちな私は,今回の版でもそういうことをやりたい誘惑に駆られたのですが,読者の方を混乱させてはいけないということで,思いとどまりました。
 新しい政策課題に関心の大半が向いている現在ですが,地道に判例の勉強をすることは,法律家として修業を始めたときの原点に回帰できるので継続してやっていかなければならないと思っています。研究会などでの判例報告は引退していますが,若手研究者の報告を聞いて一緒に議論をするとやはり勉強になります。今回の第7版でも,こうした勉強の成果がうまく出ていればと願っています。
 有斐閣の『労働判例百選』も第10版が出るようで(こちらのほうには今回は,私は執筆しておりません),うまく共存共栄(?)できればと思っています。昔は巨像に挑むアリのような気分でしたが,いまは「挑む」というような勇ましい気持ちはまったくなく,どちらの本を使ってもらっても,労働判例の理解が広がればよいと思っています。
 

2022年1月10日 (月)

王将戦で藤井先勝

 昨日から王将戦が始まりました。渡辺明王将(名人,棋王)に,藤井四冠(竜王,王位,叡王,棋聖)が挑戦します。藤井四冠にとっては史上最年少五冠を目指した戦いとなります。第1局は,スリリングな終盤戦となりましたが,最後は見事に渡辺玉を即詰みに討ち取り,藤井四冠が先勝しました。途中で渡辺王将は投了しましたが,最後まで指すと天王山(5五)で玉が詰むというものでした。第1日目は,藤井四冠の41手目の8六歩が話題となりました。プロの誰もが良いわけがないと感じた手だったのですが,実はそうでもなかったということで,プロ棋士の将棋観を変えるような凄い手だったようです。
 渡辺王将は,直近の対局では,銀河戦で藤井四冠に勝っているのですが,その棋戦では決勝で菅井竜也八段に敗れて優勝を逃しました。調子に乗り切れていないかもしれません。対戦成績は藤井四冠とはかなり分が悪く,タイトル戦でも負け続けていますが,このままずるずると引き下げるとは思えません。渡辺王将は,2月から棋王戦で,永瀬拓矢王座の挑戦を受けた防衛戦も始まりますが,ここは踏ん張りどころですね。もはや豊島将之九段では止められなくなった藤井四冠の進撃を止める現時点の最後の砦が渡辺三冠です。
 名人位をもつ渡辺三冠への挑戦をかけたA級順位戦は,齋藤慎太郎八段が羽生善治九段に勝って7連勝で,ほぼ挑戦権を手中におさめた感じです。昨年に続いて2年連続の挑戦となれば,たいしたものです。一方,羽生九段は25敗となり,A級残留に黄色信号がともりました。稀代の大棋士も,年齢には勝てないということでしょうか。来期は藤井四冠がA級に昇級する可能性が濃厚でしょうから,順位戦で羽生九段とあたらないまま終わる可能性もあります。
 羽生九段の残りの対局相手は,永瀬王座と広瀬章人八段です。順位が悪いので,連勝しなければ残留は厳しいかもしれません。その他の降級候補は,山崎隆之八段です。現時点で15敗です。豊島九段,広瀬八段,永瀬王座との対局が残っているので,残留は難しいでしょうね。せっかく苦労してA級に上がったので,もう少し頑張って欲しかったのですが。菅井八段も24敗で危ないです。広瀬八段,佐藤康光九段,豊島九段との対局が残っています。このほか33敗勢にも降級の可能性はあるので,これから熾烈な戦いが始まるでしょう。

2022年1月 9日 (日)

男女雇用機会均等法

  ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号のテーマは「コース別雇用管理」です。このブログでも採り上げた巴機械サービス事件・横浜地裁判決を中心に,かつての男女コース別から現在のコース別雇用制への変化とそれをめぐる判例を解説しています。女性の登用には,法的な制度だけでは限界があるのではないかという前にも書いたコメントに沿った締めをしています。
 だからといって,男女雇用機会均等法の歴史的な意義を決して過小評価しているわけではありません。昭和の終わりに制定されたこの法律(勤労婦人福祉法の改正)は,平成の約30年の間に大きく成長し,私たちの社会にしっかり定着したといえるでしょう。女性が(非正社員や一般職としてではなく)本格的に働くのがあたり前の時代になったのは,大きな変化です。DINKs(Double Incom No Kids)という言葉が流行った時代もありましたが,いまは子どものいる共働き家庭がスタンダードとなっています。ただ,世帯主というような概念があったり,税制や社会保険において,三号被保険者や配偶者控除があったり,夫婦別姓への反対があるなど,因習や古い制度が残存しており,時代の変化に制度のほうがついていけていない気がします。
 ところで,日本経済新聞において,年末,赤松良子さんの「私の履歴書」が連載されていました。男女雇用機会均等法の「生みの母」として知られる労働官僚の方です。彼女のような能力,意志,実行力を兼ね備えた類い希な人材がいたからこそ,この法律が制定されたのだと思います。労働省における男女不平等な人事もチクチク指摘していて面白かったです。他方,この連載を読んでいて,官僚の生き方はこういうことなんだというようなことも,改めてわかりました。組織をどう動かすか,政治家や審議会に出てくる労使のトップとどう付き合うかというようなことが,出世をしていくにつれて重要となり,そこをうまく乗り越えながら法律を作ったり政策を立案していったりするところに仕事の達成感があるのだなと感じました(使命感と言ったほうがよいのかもしれませんが)。ただ,そういう過程で,普通の女性たちから感覚が離れていっていないかも少し気にはなりましたが,そもそも,そういうところを超越していた方なのでしょうね。
 花見忠先生の名前こそ出てきませんでしたが,少しだけ登場していて,先生のことを懐かしく思い出すことができました。

2022年1月 8日 (土)

恒産なくして,恒心なし

 1月6日は,アメリカの連邦議会議事堂襲撃事件の1年目のアニバーサリーです。アニバーサリー(anniversary)というと,結婚記念日など,おめでたいことの周年日を意味することが多いですが,英語では良くないことの場合にも使えます。Anniversary は,ラテン語起源で,イタリア語でも「anniversario」といいます。「anni」は,anno(年)の複数形ですし,「versario」は,「volgere」から来ていて,「~に向ける」という意味で,英語の「turn」と同じです。
 ところで1年前のアメリカの事件では,目を疑うような光景が映し出されていました。アメリカは民主主義の代表的な国と考えられていただけに,その民主主義が暴力によって簡単に蹂躙されてしまうのではないかと恐怖を感じた人も多かったことでしょう。Trump は自分のアジによって,どこまでのことが起こると予想していたかわかりませんが,まさか議会襲撃で警官に死者がでることまでは予想していなかったのではないでしょうか。もし予想していたのなら論外ですが,予想していなかったとしても危機管理能力に著しく欠けます。どちらにしても,こういう人が次の選挙でアメリカ大統領に復帰するかもしれないというのは,恐ろしいことです。核ボタンを押すことができる人なので,誰が大統領になるかはアメリカだけの問題ではありません。
 厄介なのは,反乱側は民主主義を否定する行動をとったと考えていないことでしょう。彼ら・彼女らも民主主義を信じているのです。選挙に不正があったと信じているので,民主主義を危険にさらせたのは民主党側だというのが,Trump信者の考え方です。かりにこの信者たちの考え方が正しくても,暴力という手段が正当化されるわけではないのですが,目的の正しさは手段の違法性を阻却するという考え方もあり,歴史的にも,そうした理屈で暴力的な政権転覆が繰り返されてきました。勝てば官軍なのです。法律家は,こういう暴力的なことに対しては無力です。暴力などの実力行使で紛争を解決してはならないということを前提に法律があるからです。
 話は変わりますが,孟子の言葉に「恒産なくして,恒心なし」というものがあります。安定した財産や職業がなければ,道徳や良識をもつことができないというような意味です。かつて日本で選挙権に納税要件をなくして普通選挙が導入されようとしたときの反対の論拠として主張されたのが,この言葉でした。もちろんこれには,恒産がなくても,恒心のある者はいるという反論があったのですが,現在のようにお金をばらまく政策を主張して票を集めようとする政党が増えてくると,「恒産なくして,恒心なし」という言葉に少しは耳を傾ける必要があるのかもしれません。もちろん普通選挙を否定するようなことを言いたいわけではなく,国民は,普通選挙制度の有り難さをかみしめて恒心をもって投票に臨むべきという意味でこの言葉を捉えようということです。民主主義を支えるのに必要な心構えのようなものです。
 もっとも,真の問題は投票される側の政治家のほうにあるのかもしれません。文書交通費100万円をめぐって情けない争いをしたり,落選したときの生活の困窮ぶりと当選して生活が楽になったというようなことを堂々と話したりする政治家がいることからすると,彼ら・彼女らにこそ,「恒産なければ,恒心なし」と言わなければならないのかもしれません。お金がなくても立派に政治を志している人にチャンスを与えるべきなのは当然ですが,孟子の言葉は,そういう人がどれだけいるのか注意せよという警句として受け取るべきなのでしょう。だからといってTrump のような大金持ち(?)なら大丈夫かというと,そうではないわけで,逆は必ずしも真ならずです。

2022年1月 7日 (金)

賃上げ

 岸田首相の口から「賃上げ」という言葉がよく聞かれます。これは安倍政権時代の「非正規をなくす」と同じように,労働者にとって良い話だし,経営者も文句を言いにくいし,本当にそれがうまく実現できれば経済も良くなり,悪いことがないマジックワードのようです。しかし,「賃上げ」と言われても,そのままでは企業も賃金を上げることはできないでしょう。補助金があっても,しょせん一時的なものにすぎません。
 企業が成長して価値を増やしたときに,その果実を従業員に還元するという賃上げは,企業の戦略として当然ありえることです。それをしなければ従業員のモチベーションが下がり,持続的な成長は期待できません。ただ,成長をするためには,投資が必要でしょう。これからの成長には,まずはDXGXへの投資が鍵となり,そこにまず資金を投入し,成果が出れば賃金で還元するというシナリオはありえます。しかし成長の前に,まず賃上げというのは,どうなのでしょうか。賃上げして,それが消費に回れば需要が高まり経済も回るという循環は,現実的なシナリオなのでしょうか。
 DXGXとは別に,企業の成長の源泉はいまや無形資産だと言われています。実は私は昨年の年初に次のテーマとして一つ考えているものがあると書いていましたが,それが無形資産でした(十分に研究できておらず,今年に持ち越しています)。無形資産から企業が価値を生み出す時代になっているなか,そこへ投資をすることは当然のことであり,それは要するに人への投資です。連合の芳野会長も「人への投資」ということを言っていますが,それがこの意味であるならば同意できます。ただそれは,目先の賃上げではありません。むしろ賃上げの原資とされそうなものは,無形資産の価値を高めて将来の賃上げにつなげるための投資に充てるべきしょう。目先の賃上げを考えるのか,将来を見据えた賃上げを考えるのか。二兎を追うのは難しいでしょう。そう考えると,政府が人気取りのために,目先の賃上げを進めようとするのは,将来のことを考えると間違った政策ではないかが心配です。

2022年1月 6日 (木)

正しく恐れたい

 オミクロンは,感染力は強いが,重症化リスクは低い,ということが繰り返し報道されています。オミクロン株が劇的に増えているイギリスでは,Johnson 首相は,演説の際に「Get boosted now」(追加接種をすぐにせよ)と言っていますが,ロックダウンなどの行動規制はしない方針のようです。風邪に近いものという位置づけでしょうか,それとも規制してもどうしようもないという諦めでしょうか。いずれにせよ,感染しないように注意は必要だが,過剰反応はしないという態度をとっています。これが正しい対応なのか,素人の私にはよくわかりません。ただ重症者・死亡者の率が低いのは確かなようなので,そうなると,それに合った対応が必要ではないかとは考えたくなります。
 個人的には,弱毒性とはいえ,3度目の接種がまだですし,呼吸器が弱いために感染はできるだけ避けたいですし,医療提供体制に十分な信用が置けないので,引き続き慎重な行動はとり続けるつもりです(授業や会議はできるだけオンラインでやるなど)。
 気になるのは,日本政府の今回の対応が強すぎるのかです(撤回しましたが,陽性者の全員入院など)。管政権の同じ轍を踏みたくないということでしょうが,感染者が増えれば支持率が下がると思い込んで,徹底的な封じ込めに走りすぎれば,経済の浮揚は期待できず,かえって支持率が下がる可能性もあります。初期の新型コロナウイルスのときであれば,短期の徹底的な封じ込めはやっていれば有効であったのでしょうが,現在のウイルスが弱毒性であるのならば,ワクチンの3回目接種の迅速化と治療薬の準備を中心としたうえで,事業者への規制は適度なものでよいという対応もありうるのかもしれません。いずれにせよ,医療提供体制に負荷をかけすぎて,ほんとうに必要な重病患者への対応が手薄になるのは怖いです。
 岸田政権は朝令暮改のたぐいが多いような印象があります。他人の意見を聴いて悪いとわかればすぐに改めるのかもしれません。意固地になって間違ったことにこだわるよりはマシですが,できれば実行に移す前の段階で意見を聴いておいて欲しいものです。何かをやるせによ,それを改めるにせよ,「私がやった」アピールをしたい気持ちが見え見えで,イメージ戦略としてもあまり成功していないような気がします。これは安倍政権や管政権のときにも感じたことですが,側近が間違った指示をしているかもしれませんね。
 それはさておき,オミクロンはたとえ弱毒性であっても,感染者の急拡大が怖いことは間違いないです。どのように正しく恐れるか。政府をあまり信用しすぎず,私たちが賢くならなければならないですね。

2022年1月 5日 (水)

「ウーバーに乗らない経営者」

 1月3日の日本経済新聞の「経営の視点」に「ウーバーに乗らない経営者」というタイトルの記事が出ていました(編集委員の小柳建彦氏の執筆)。市場の現場を知らない経営者が,若者の新規の提案をつぶしていくことの問題が指摘されていました。工場などの現場の視察は好んで行うが,経営者が知るべき現場は違うのではないか,ということです。周りが段取りを整えて訪問した現場をみても,実態を知ることはできないのです。政治家の視察も同じかもしれません。こういう視察はされたほうが迷惑でしょう。
 経営者がウーバー(Uber)に乗らないのは,空港に着くと出迎えがあり,ホテル間の移動も車を手配してもらっているからでしょう。自分でスマホを使ってUberやGrabに乗れば,その便利さを実感できます。でもUberに乗らなくてもすむような地位に就くことが,出世の目標であれば,そのような実感を求めるのは無理なことかもしれません。
 記事では,「スマホ,クラウド,人工知能(AI),ブロックチェーンが自分の事業領域である市場にどんな変革をもたらしているか,自分で使ってみないと体感として理解できない。実体験に基づく肌感覚がなければ,ある程度の確信とともに腹を決めて投資などを決断することは難しい」と書かれていました。そのとおりだと思います。
 私の分野にあえて引きつけていえば,こういう新技術が雇用社会にどんな変革をもたらしているかを体感して,そこから出てくる問題意識に基づき,将来の研究成果に向けて「投資」するという話になっていくのだと思います。私がテレワークについて,何か自信をもって言える部分があるのは,何年も経験をしているからでしょう。実体験による肌感覚は重要です。いまはブロックチェーンの可能性をもっと体感したいと思っているところです。Web3.0の世界と労働問題は直接の関係はなさそうですが,体感を積み重ねていくと,何か問題意識が生まれるかもしれません。暗号資産を買わなければならないですかね。

2022年1月 4日 (火)

駅伝

 1226日に行われた全国高校駅伝で,兵庫県勢は健闘しました。まず女子は仙台育英が第1走者から独走でぶっちぎりの完勝でした。外国人留学生を使っていないところもすごいです。兵庫の須磨学園は6位で全国クラスのチームであることは証明できましたが,優勝するにはもう一人爆発的な走力の選手が欲しかったですね。大阪薫英が2位,立命館宇治が4位で近畿勢は頑張りました。男子は,世羅が2連覇でした。優勝を狙った洛南は,あと一歩及びませんでした。でも3区の佐藤圭汰選手は日本人高校生の最高ランナーの実力をみせてくれたと思います。駒澤大学に進学するそうなので,来年は箱根で彼のデビューをみることができるかもしれません。兵庫の西脇工業は,1区の長嶋選手が飛び出してかなり頑張りましたが,途中で吸収されて区間13位に終わりました。でも総合で7位はまずまずの成績です。
 元旦のニューイヤー駅伝は,前年優勝の富士通の優勝旗紛失で話題になりました。例年は,あまり関心をもって観ていない駅伝ですが,個人的には,西池和人選手に,須磨学園時代から興味をもってきました。彼は法政大学時代に箱根に1回だけ走り区間3位で輝き,またコニカミノルタに就職後も2016年には13位でチームの準優勝に貢献しましたが,そのほかは低迷しています。今年は7区で走りましたが22位(最終的には総合21位)です。もう一花咲かせて欲しいですが,年齢的にきつくなってきているかもしれません。学生時代から最高ランナーであり,東京オリンピックにも出場した旭化成の2年目相澤晃選手は31位で区間新という大活躍でした(旭化成は総合4位)。富士通は,連覇できないどころか11位に沈んでしまいました。優勝はHondaでした。
 箱根駅伝は,青山学院の完勝でした。個々の選手の強さが際立ちました。連覇を目指した駒澤大学は,3区と8区で崩れてしまいました。大八木監督の選手起用の失敗でしょうかね。スーパーエースの田澤廉選手はさすがの走りで,留学生をおさえて区間賞をとりましたが,青山学院とそれほど大きな差がつかなかったことで,青山学院にやる気を出させたかもしれません。青山学院は1年生選手が活躍し,再び黄金時代が到来するような予感があります。
 箱根駅伝が終わった後は,もう少しお正月の気分を味わいたいところですが,今日4日から仕事メールが来るようになりました。みんな働き者です。

2022年1月 3日 (月)

仕事と幸福

 労働しながら幸福を実現する。少し前にこんなことを言うと,二兎を追う者は,一兎を得ずという先人の教えを知らないのかと叱られたかもしれません。あるいは二兎を追えるなどというのは,怪しく社員をマインドコントロールする経営者のようだとして胡散臭く思われたかもしれません。
 私はいまから約6年前の2016年に「勤勉は美徳か?―幸福に働き,生きるヒント」という新書を光文社から出しました。それほど多くの人に読まれた本ではないように思いますが,二兎を追う可能性を追求したものです。
 13日の日本経済新聞の1面に「心の資本」というテーマが採り上げられていました。法律家のメリットに,憲法で幸福追求権が保障されているということを教わることがあると思います(13条)。これが個人の尊重と並んで最も高い法的価値であることを,たたき込まれます。心の資本もそういうことにつながると思います。もちろん幸福追求や個人の尊重が大切であることは誰でも知っていることでしょうが,それを単に抽象的な理念としてでなく,具体的な議論において大真面目にやるのが法律家なのです。そういうことをやる人たちも社会には必要でしょう。
 上記の拙著も,労働者が仕事をとおして幸福を追求するためにどうしたらよいかを,私なりに論じたものです。大学入試でも本書の一節が採り上げられたことがありました。Kindle unlimitedにも入っていて,サブスクしていれば無料で読めますので,冬休みの間に(今日までの人も多いかもしれませんが,その人は春休みに)ぜひ読んでもらえればと思います。いまとなればデジタルを活用した幸福というものも,論じていればよかったなと思いますし,もっと柔らかく書けたかもしれませんが,6年前の私には無理でした。同じ光文社新書の『君の働き方に未来はあるか?』と並んで,これからの職業人生に向けて悩んでいる人に手に取ってもらえればと思います。本文最後に紹介したヴェネツィアのゴンドラ職人は,イタリア人であるのに(?),仕事に喜びをみつけています。そんな風になれたらいいなと思います。仕事と幸福の両立はじっとしていてもダメで,明確な戦略と正しい戦術をもってすれば実現できるというのが本書のメッセージです。なんていうと,やはりどこか胡散臭い本のように思われるでしょうかね……。

 

2022年1月 2日 (日)

デジアナ・バランスのもつ可能性

 デジアナ・バランスは,デジタルとアナログのバランスという意味ですが,2020年のAt will workでの「Work Story Award」で審査員をしたときに私からの賞に付けた名が「デジアナ・バランス賞」でした(株式会社ナラティブベースに授与しました)。
 日本におけるデジタル化の遅れは深刻なので,デジタル・ファーストの精神でということを強調してきましたが,ほんとうはその次のステップがあるはずです。アナログとのバランスです。心や感情のようなアナログ的なものの価値はデジタル時代においても色あせることはありません。もっとも,アナログ的な価値をデジタル化を拒否する言い訳にしていることもあるので,あえてこれまではデジタル化の価値を強調してきたのですが,ほんとうは両者のバランスが必要です。おそらく2022年は,社会の隅々にデジタル化が浸透するDX元年となるでしょう。そうなると次の目標はアナログ的な価値の再発見であり,デジアナ・バランスとなるのです。もちろん様々な分野での最先端を走っている方は,デジアナ・バランスの重要性など先刻承知のことでしょうが,いまでもなおデジタル化を,国に指示してもらえなければやれないような企業や個人が少なくありません。デジタルと言われたからデジタル,テレワークと言われたから渋々テレワークというのでは,デジアナ・バランスにより新たな価値を生み出していこうとする姿勢に欠けていると言わざるを得ません。
 私の専門とする労働についても,デジアナ・バランスという視点をもって根本から考え直さなければなりません。デジタル変革が進むなか,人は労働にどのような意義を見いだすのでしょうか。私は2020年に刊行した『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)では,(成功しているかどうかわかりませんが)この根本問題から考えてみようとしました。労働の意義を考えてみることで,これから自分たちがどうやって生きていけばよいかが見えてくるような気がします。私の考える労働とは,自分の所属する共同体社会への貢献であり,具体的に言えば,自分たちの住む社会の抱える課題の解決のために,自分のできることで貢献することです(それは突き詰めれば動物としての生存を確保するために作られた共同体の持続可能性を目的とするものといえます)。そこではアナログ的な接点のある日常生活をベースにしながら,最先端のデジタル技術を活用して社会課題の解決に取り組むということが想定されています。ICTの発達により,私たちの住む(帰属する)社会は,サイバー空間にも広がるし,国境の垣根を超えてグローバルに広がっていきますが,そうなっても,自分たちの身の回りのアナログ的な世界が出発点であることに変わりありません。
 労働の意義の考察は,社会の再構築という作業にもつながります。資本主義にしろ,民主主義にしろ,それ自体が価値あるものではありません。プラトンがだしたように,自分たちの住んでいる社会(当時のアテネ)のためには民主主義は良くないという結論だってありうるのです。共産主義に勝ったつもりでいる資本主義も,ほんとうに勝利を収めたといえるか結論を出すのはまだ早いでしょう。私たちはアナログとデジタルを行ったり来たりするという,未知の社会で生きていかなければなりません。そのような新たな社会の出現に向き合い,その特徴をつかみ,そこにある社会課題を析出して,知恵を出しあって解決していくことこそが,これからの労働の中核に据えられるべきものだと考えています。この労働は知識労働であり,個人が独創的なアイデアを寄せ合って社会に貢献するのです。そうしたなかから,民主主義でもない,資本主義でもない,新たな政治システムや経済システムが生み出されていくかもしれません。

 

2022年1月 1日 (土)

謹賀新年

 新年おめでとうございます。今年は新年の誓いは特になく,家族や周りの人が平和に健康にという,ごく平凡なことを願うだけです。新型コロナウイルスには感染したくないという気持ちは強くもって,慎重に生きていきたいです。

 ところで,昨日の紅白歌合戦は,昨年もよかったですが,今年は花のアートが素晴らしく,またアーティストを大切にする感じがあって昨年以上でした。○○46は一つでよいし,ジャニーズ系は不要かなと思いましたが,全般的にみて,バランスのとれた歌手・選曲で,これだったら紅白歌合戦は来年以降も期待してもよいかなと思いました。司会も,大泉洋が芸達者な盛り上げでよかったです(細川たかしとのハモりは驚きました)し,「麒麟がくる」の帰蝶を演じた川口春奈が,堂々としていました(まさかの沢尻エリカの降板でしたが,チャンスを見事につかみましたね)。トリのMISIAはもちろん素晴らしく,この人の歌声を聞かなければ年は越せないという感じになってきました。びっくりしたのは藤井風でした。かつての原田真二を思わせるような感じですが,それ以上の衝撃でした。初めて歌声と曲を聴きましたが,スター誕生という感じです。白組のトリは,福山雅治ではありましたが,MISIAと一緒に再登場した藤井風であったといえるかもしれません。おじさん世代には,石川さゆり,薬師丸ひろ子,鈴木雅之(シャネルズ?),布袋寅泰の懐かしい曲もよかったです。氷川きよしは紅白には欠かせない存在となってきましたね。ということで,いつもNHKには辛口ですが,今回は誉めたいと思います。

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