« 音楽の話のつづき | トップページ | 労働者性 »

2021年12月28日 (火)

赤木裁判の突然の終結

 多くの人がすでに批判しているので,私があえて付け加えることはないのですが,このブログで,赤木さんの自殺について,もう少し政府は誠実に対応すべきではないかということを書いていたので,今回の裁判の件についても少し書いておきます。赤木さんの奥さんの雅子さんが提起した国家賠償請求訴訟について,国が請求を全面的に受け入れて,国との関係では手続が終了したようです。裁判という場での戦いで,相手が負けを認めてしまったので,もう戦い続けることができないのは手続上仕方がありません。もっとも,この裁判を提起した目的は,赤木さんや雅子さんが被った損害の賠償ではなく,赤木さんの死の真相を明らかにすることでした。刑事裁判では成果がでなかったため(全員不起訴),民事訴訟を提起せざるをえなかったのでしょう。もちろん国は,この訴訟が,損害賠償を得ることが主たる目的でないということは知っているはずです。ただ赤木さん側が,形式的に賠償請求という形をとった以上(とらざるをえなかったのですが),それを受け入れるという対応自体は,ただちに非難できるものではないと思います。これは裁判という戦術がとられた以上,やむを得ないものであり,国がいつまでも戦うよりは,まだ誠実な姿勢といえないわけではありません。ただ,一番大切なのは,裁判で請求を受け入れて戦わないという判断をしたことで,この問題が一件落着となったわけではないということです。証人が次々と出てきて,国に不利な証言が出ることを阻止しようとする目的だけで裁判を終結したのであれば,その目的を実現させてはなりません。赤木さんの死について国民の疑念は残っているのであり(それに財務省が関係者であるから,あっさり金を出したのだろうという疑念もくすぶっています),それを晴らさないかぎり,政府の政治的な責任や道義的な責任は残るのです。お金を払うからよしということでは,決してありません。
 もしお金を払うだけで,あとは何もしないということであれば,むしろ税金から支払われる賠償金を,政治的な意図で不当に使ったという誹りを免れないでしょう。赤木さんの問題は,雅子さん個人だけで背負うべき問題ではないし,また個人レベルの問題として解決してよい問題でもありません。これは政府文書の改ざんという民主主義の根幹にかかわる政治的な問題なのであり,国民に向けても納得のいく対応を示してもらわなければなりません。それが結局は,赤木さんや雅子さんにとっての救いになるのではないかと思います(勝手な憶測かもしれませんが)。
 国土交通省の統計不正が明るみになり,財務省の公文書改ざんという前代未聞の不祥事が再び想起されるタイミングで,この裁判終結報道が流れました。岸田首相は誠実に対応すると言葉では言っていますが,どうでしょうか。改ざんに抵抗した一職員の命の重みをかみしめながら,私たちは政府の今後の対応を注視していく必要があるでしょう。

« 音楽の話のつづき | トップページ | 労働者性 »

社会問題」カテゴリの記事