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2021年12月29日 (水)

労働者性

 先日の神戸労働法研究会では,労働者性に関する二つの裁判例(芸能アイドルについてのHプロジェクト事件(東京地判202197日),劇団員についてのエアースタジオ事件の高裁判決(東京高判202093日))が採り上げられました(前者は弁護士の松尾剛行さん,後者は石田信平さん)。偶然に報告者の論点が重なる裁判例となったのですが,そのためか,労働者性をめぐる深い議論ができたと思います。
 労働者性は,その判断基準がはっきりしないので,裁判例は非常に不安定です(労組法上の労働者性との違いという一般の人にはわかりにくい論点もあります)。最近,EUではプラットフォーム労働におけるcontroll要件について5つの基準を示し,そのうち2つ以上充足すれば,要件該当性を推定するという指令案を発表しており,日本のメディアでも大きく報道されましたが,これも基準の不明確性への対応といえます。私が提案しているAI審査に少しだけ近づいてきているといえなくもありません。ただ,5つのうち2つ満たせば推定というのは,簡便ではありますが,アバウトすぎるのではないかというツッコミを,おそらく法律家ならしたくなるでしょうね。
 話を元に戻すと,どちらの判決も諾否の自由が問題となっていますが,東京地裁と東京高裁の判断は正反対で,そこからも労働者性をめぐる判断の混迷ぶりがわかります。
 個人的には,一昨日にも少しふれたようにエンターテインメント系の業種はかなり特異性があるので,立法論としては,それに応じた特別な法的ルールを設けることも,十分に考慮に値すると思っています。これを労働者かどうかという議論をやっているかぎり,裁判は不安定性をかかえます(そうしたなかで,諾否の自由を過度に重視する問題判決が登場してしまうのです)。どちらの事件も,裁判所は限られたトッププロ(要するに,自分の名前で金がとれるだけの技芸をもつ人)をめざす途中過程のある時点だけをみて労働者かどうかを論じるもので,そこに無理があるような気がします。
 とりわけエアースタジオ事件には二重の意味でおかしいところがあります。第1に,裏方業務の労働者性を,1審も控訴審も肯定していますが,これを公演業務と区別してみることが妥当かということです。一般論として,業務に応じて労働者性を判断することはありうるのです(とくに労災保険の適用など)が,劇団員の裏方業務は,公演に出演して役者として一人前になるという過程で出てくるものであり,そうしたものをトータルでみる視点がなければ,劇団員に対してほんとうに労働者として保護すべき実態があるか判断できないでしょう(劇団員が従事していたカフェ業務のように,明確に他と切断できるところは,そこだけを切り出して労働者性を判断するのはもちろん可能でしょうが)。アイドルにせよ,劇団員にせよ,トッププロになるまでの修業時代は基本的にはボランティアであり,何らかの金銭的給付があっても,それを賃金とみるのは適切ではないという見方もできるのではないかと思います(関西医科大学事件で問題となったような研修医とはかなり違います)。エアースタジオ事件の控訴審は,1審と異なり,公演業務の労働者性も肯定しました。これがもう一つの問題点です。高裁は公演出演への「諾否の自由」がないという判断をしており,そこでは「劇団員らは公演への出演を希望して劇団員となっているのであり,これを断ることは通常考え難」いと述べているのですが,だからといって,企業から強制されて働くという従属性の観点からみるべき「諾否の自由」がないということにはならないと思います。この判断がおかしいというのは,おそらく異論はないところで,研究会でもそのことは当然の前提で議論していたと思います。
 私はかつて,労務提供に関係する法律関係を,すべて労働者性の判断の対象とするのは適切ではなく,前さばきとして,カテゴリカルに労働者性の判断から除外できる労務提供関係があるのではないかということを考えていたことがあります。これは無償労働契約論にもつながるもので,例えばボランティア(有償ボランティアも含む)を,最低賃金違反の労働契約とみるのか,それとも労働基準法(あるいは労働契約法)の適用から外れている契約とみるのか,という話につながります。後者のような契約を,契約の目的から判断できないかを探るために,20年ほど前に「労働判例」という雑誌の海外の判例を紹介するコーナーで,イタリアの破毀院判例を紹介したことがあります(827号。政治家の無給の秘書の労働者性を否定した判例)。解釈論としては,そのようなアプローチもありうるのではないかと今でも思っていますが,立法論としては,前述のように,エンタメ系(楽団員なども含む),ジャーナリスト,スポーツ系などは特殊な労働者として別の法的枠組みで扱うことが可能で,海外にも同様の例があります。こうした就業者を事業者とみて,そのうえで独禁法などにより保護したり,フリーランス新法のようなもので保護したりしようとする考え方もありますが,いずれにせよ芸能人などは業界が特殊なので,それを想定しながら一般的なルールを考えていくのは適切ではないし,そもそもこのカテゴリーを「保護」するという発想をどこまでもつべきかというところから,議論していく必要があると思っています(なお,おそらく問題意識は違いますが,文化庁の「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」は興味深いです)。日本音楽家ユニオンのような労働組合的な活動をするものもありますが,これも労組法上の労働組合かどうかというのとは違う観点から論じることも可能だと思われます(なお,最高裁まで争われた新国立劇場運営財団事件は,労組法上の労働者性という観点から議論されていますが,そういう問題の設定の仕方がはたして妥当であったかは議論の余地があるのです。このことは,このブログで,少し違う角度から書いたことがあります)。
 もちろん,芸能アイドルの例のように,彼らや彼女らが年少者である場合には,その点に着目した保護は必要です(研究会でも議論となりました)。この点では,いわゆる「光源氏通達」(昭和63730日基収355号)において,子役や児童タレントの労働者性について,「芸術性,人気等当人の個性が重要な要素となっていること」などの要素があれば労働者性を否定してよいとされています。この通達は,芸能人一般の労働者性を否定する趣旨に解されることもあるようですが,ごく一握りのトップタレントだけ労働者性を否定する趣旨であることは,通達を読めば明確だと思います。また仮に労働者性がないとしても,私は労働基準法56条(最低年齢)のような規定は,労働者性の有無に関係なく考慮されるべきものであり,立法論としては非労働者であっても年少者の労務(パフォーマンス)を利用することについては一定の規制が必要だと考えています(以前に同旨のことを中嶋士元也先生の還暦記念論文集に寄稿した論文で書いたことがあります)。そうでなくても,企業側のCSR ESGのSの観点から,年少者を活用した営利事業には,一定の自制が求められるべきだと思います。
 劇団員の裏方業務についても,「やりがい搾取」のようなことがないよう配慮することは重要ですが,だからといって労働者性を肯定することとは別です(当人たちの多くも,何らかのトラブルがあったときに事後的に労働者性を主張することはあっても,最初から労働者として扱ってほしいと考えている人がどこまでいるかは疑問です)。重要なのは,本人が裏方業務の厳しさを十分に理解して納得していたかであり,その点では本件では,(使用者側の主張ですが)社員での安定した地位(労働者性あり)を得る選択肢が提示されていたという事情をどう評価するかもポイントとなるでしょう(「人事労働法」では,これは納得同意の問題となります)。
 ところで,「諾否の自由」の判断について,これを限定的に解するドイツの判例があるという情報がJILPTの山本陽大さんから提供されました(JILPTリサーチアイ第61回「クラウドワーカーは「労働者」か?─連邦労働裁判所2020年12月1日判決」|労働政策研究・研修機構(JILPT))。ドイツの民法典では,労働者の定義を定めた規定があり(611a条。2017年に新設),人的従属性(persönlicher Abhängigkeit)の下で,指示に拘束され,他人決定的な労務の給付が義務づけられているかどうか(weisungsgebundener, fremdbestimmter Arbeit)で判断されるのですが,当該判例の事案では,基本契約は締結されているものの,実際に業務を受注するかどうかは本人に諾否の自由があったクラウドワーカーの事案で,評価システムにおいて継続的に労務を提供するように誘導するインセンティブシステムがあったことなどを重視して,労働者性が肯定されました。これについてはドイツの学説上も批判があるようであり,諾否の自由を限定的にとらえる立場が定着するかどうかはわかりませんが,形式的な諾否の自由があるからといって,労働者性を否定することには直結しないということであれば理解できるところです。
 労働者性については,私は立法論と解釈論を行ったり来たりするような議論をしているのですが,法律の議論でよくあるような,判例の蓄積を通して類型化して基準の精緻化を図るというアプローチには限界があると思っています。労働者性という論点をめぐっては,判例評釈は,解釈論を詰めるのではなく,解釈論の限界を明らかにする目的でなされるべきなのかもしれません。

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