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2021年11月 4日 (木)

履修主義から修得主義へ

 日本経済新聞の随時連載の「教育岩盤」は重要な問題を扱っていると思います。今朝の日本電産の永守会長の意見は,写真からして迫力満点です。この方は,口だけでなく,実践しているので,説得力があります。
 大学までで学ぶことと,これからの社会の求めるものとの不一致が気になります。それを放置していると,子どもたちにとても無意味な時間の使い方をさせることになるからです。永守氏は親のブランド志向にもダメ出しされているが,おっしゃるとおりです。東大卒や京大卒というだけでは何も価値がない時代が来ます。あたり前のことですが,何ができるかということが問われます。デジタル社会は,良いか悪いかはともかく,可視化の社会のように思えます。過去の学歴だけにこだわっていても,実力がなければすぐにわかってしまう時代が来ます。20歳そこそこで得た学歴がいつまでも通用するなんて悠長な時代はもう来ません。自分は何ができるかを可視化して,企業に具体的にどのような貢献ができるかということを示さない人は就職できないようになります。逆に,そういう人選をしないような企業は沈没して市場から退出するでしょう。永守氏のような経営者が成功してモデルとなってくれればよいですね。
 もう一つ,同じ特集で,電子版(紙版ではもう少し後で掲載されるのでしょうかね)に出ていた「小中高の変化は不可避」という玉川学園理事長の小原芳明氏の意見にも,基本的にはほぼ賛成です。仕事が変わっていくのだから,大学も変わらなければならないし,そうなると小中高も変わらざるを得ないだろう,ということです。
 そこで指摘されている履修主義から修得主義へという点は,すでにかなり議論の蓄積があります。文部科学省の資料では,履修主義とは「所定の教育課程を一定年限の間に履修することでもって足りるとする」もの,修得主義は,「履修した内容に照らして一定の学習の実現状況が期待される」ものと定義されています(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/senseiouen/mext_01515.html)。簡単にいえば履修主義は出席重視,修得主義は成績重視ということですが,リモート環境で,AIをつかって学習するという,これからの教育においては,小中高でも修得主義をもっと徹底させて,本人の成績や意欲に応じて,どんどん高度な内容の学習ができるようにしてもらいたいものです。それについていけない子も出てくるでしょうが,そこは人間の教員がサポートするのです。大事なのは個人の学習の権利をどう充足するかで,それは最低限の教育保障+個人にあった教育の保障の両方がなければならず,従来の教育体制では二兎を追うことはできない感じでしたが,AIを活用したadaptive learningであれば,二兎を追うことも可能となるでしょう。
 学習は苦手なものを克服するために行うのではなく,得意なものを伸ばすために行うべきです。数学が苦手な人は苦手でもいいのです。苦手な科目は,いかにしてそれをテクノロジーでカバーできるかを勉強したほうがよいのです。計算が苦手な人は,どうやったらEXCELをうまく使えばよいかを勉強したほうがよいのと同じです。私は,電気関係のことが得意でなく,故障した家電の修理などは苦手で,ずっとそういうことにはコンプレックスを感じていましたが,だからといってその方面のことを勉強して克服する必要はなく,そういうことに詳しくて,いざというときに助けてくれる知り合いをもつことに力を入れるほうがよいのです。
 最低限のことがテクノロジーでできるようになると,人間はもっと個性にこだわっていけると思います。個性を活かす教育課程のあり方としては,やはり修得主義が適しているのでしょう。それを徹底すると入試も不要となります。自分がAIを活用して修得したものがデジタルデータとして蓄積され,AIがそれに合った仕事を紹介してくれることにもなるでしょう。
 文部科学省では偉い先生が集まって子どもの教育のことを必死に考えてくれているのだと思います。その際には,今回の永守氏や小原氏のような現場を知っている人の改革論を吸い上げながら,21世紀型のデジタル社会にふさわしい教育システムを構築してもらえればと思います。自分たちの孫やひ孫に受けさせたいという教育をぜひ考えてもらいたいですね。

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