« 履修主義から修得主義へ | トップページ | The Whole Truth »

2021年11月 5日 (金)

エリートの独走を止める専門家の役割

 環境政策がエリート主義になっているという批判があることが,今朝のテレビ東京のモーサテFTで報道されていました。あのTrump支持の保守系メディアのFOXニュースがドキュメンタリーで,風力発電について,原生林伐採で環境破壊につながる,洋上型は漁業に悪影響,故障が多く安定供給に課題という指摘をしており,これは環境政策推進派からも傾聴すべき点があるというコメントがされているそうです。環境政策は理想主義的でありすぎてはならず,地域の人への影響などにも目を向けよということです。私たちは正しいことをしているのだから,庶民は多少の犠牲があっても甘受して,私たちについてこい,というのがエリート主義であり,そういうものであってはならないということでしょう。
 私はエリート主義を言う前に,まずその政策目的が正しいのかどうかの確認が気になります。その方向性さえ正しいと確認できれば,そこに向けた利害調整を根気強く進めていくということが,私たちの社会において大切なことになります。ただ,何が正しい方向性かを,誰がどのように判断すべきなのでしょうか。民主主義社会では,国民が判断するということになるのでしょうが,専門性が高い問題については,素人が判断するのは危険です。専門家と国民との対話が必要ということです。専門家には,できるだけ価値判断を交えずに,専門的知見をわかりやすく国民に提供してほしいです。できれば対立する意見がある場合には,それを冷静に比較して紹介する立場もあってほしいです。ほんとうは,それがメディアの役割なのですが,メディアにその能力があるかが心配です。
 ちなみに私の分野でいうと「同一労働同一賃金」というウソは,驚くほど浸透してしまい,どうしようもありません。同一労働であれば,同一賃金がもらえるなどと,どこにも書いていないにもかかわらず,そういう法原則があると世間は思っています。厚生労働省のHPをみれば,きちんと書いてあると言う人もいるでしょうが,むしろ国民の多くが誤解をしていることを重視するならば,世間が思っているような「同一労働同一賃金」ではないということを丁寧に説明することこそ,行政の責任だと思います。それをやらないから春に受けたNHKの取材でも,私がいくら論拠を提示して丁寧に説明しても,エリート官僚が支える行政のほうが私より信頼があるので,納得してもらえないということが起こります(最終的には,それなりに私の説明をとりいれた記事になりましたが)。これはメディアを信用しすぎることは危険ということを示しています。
 もちろん法学の分野は価値観から逃れられることが難しいので,専門家の意見の客観性や中立性はあまり当てにできないかもしれません(私の意見も批判的に聞いてもらってよいのです)が,少なくとも自然科学の領域では,客観的な議論が可能なはずなので,専門家が,自分の専門領域で,責任をもったわかりやすい発信をしてもらえればと思っています(そういうことをしてくれている研究者もたくさんいると思いますが)。国民への発信は,専門家相手に論文を書くときや研究費を申請する場合の作文の場合とはまったく違う姿勢で臨まなければならず,エリート主義的な視線ではダメです。それは簡単なことではなく(ときには厳密性を多少犠牲にする必要も出てきます),研究者としての業績にもつながらないかもしれませんが,でもそれをやらなければならないのでしょう。

« 履修主義から修得主義へ | トップページ | The Whole Truth »

社会問題」カテゴリの記事