COP26に思う
国連気候変動枠組み条約締約国会議が,Glasgowで開かれていました。COP26のわかりやすい解説としては,「COPって何? パリ協定との関係は? 歴史やポイントをわかりやすく解説:【SDGs ACTION!】朝日新聞デジタル (asahi.com)」があります。
私の疑問は,なぜGlasgowに集まる必要があるのでしょうか,というものです。オンラインで会議はできなかったのでしょうか。多くの人が移動し集まることが,環境によくないのではないでしょうか。コロナの危険もあります。大事な会議だから対面でということは,デジタル化時代に逆行するのです。中国の習近平の肩をもつわけではありませんし,彼が出席しなかった理由は知りませんが,気候問題について議論するのに皆が集まる必要があるのか,ということへの問題提起なら理解できないわけではありません。確かに対面型であれば,いろいろな交渉や駆け引きができるでしょう。複雑な利害調整をして意見を集約できるのも対面型だからかもしれません。でもあえていうなら対面型だから,そうした交渉や駆け引きが不必要にされやすいということもあるような気がします。不透明な妥協的な政治的決着というのが,特定の者の政治的成果となるだけで,後世に問題を残すというのは,よくあることのように思えます。国際会議の現状を知らない者の暴言と言われるかもしれません。「大事なことは会って話さなければならない」ということはわかるし,気候問題や環境問題の重要性を意識することについては人後に落ちないつもりでいますが,Glasgowに集めてやるようなことなのか,という声があまり聞こえてこないのが不思議です。もしどうしても集まるのなら,環境問題によりシリアスに直面している地域に集まったがほうが,まだよいでしょう。
オンラインで開催すれば,より多くの重要人物を参加させることができたかもしれません。習近平を引っ張り出すこともできたかもしれません。
国際会議こそオンラインでやるべきだと思っています。もちろんオフラインで親交を深めることはあってもよいのですが,重要な会議であればあるほど開放的で透明な状況でやったほうがよいです。会議に附属するイベントなどもオンラインでやってくれれば,多くの人が参加できるでしょう。
ところで話は変わりますが,Glasgow というと,Glasgow大学です。Adam Smith が卒業していますし,産業革命を支える理論的貢献をした研究者をだした大学なので,一度行ってみたいと思っていました(だからといってCOP26の参集者に嫉妬して上記のことを書いたわけではありませんよ)。もう海外渡航は2年以上行っていないし,当分は行けそうにありません。それどころか出張をやめたこともあり,国内旅行にも行っておらず,飛行機に乗るという感覚を忘れそうになっています。仕事で海外に行くのは段々とつらくなっているので(オンラインなら大丈夫ですが),定年後の楽しみにとっておきましょうかね。
« 大谷のMVP受賞に思う | トップページ | ワクチン接種拒否のペナルティーイタリアの例 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 朝日新聞デジタルに登場(2023.03.05)
- 寒波と第8波に備える(2022.12.01)
- 西川きよし(2022.11.03)
- 企業の社会的責任(2022.10.22)
- 遺憾という言葉(2022.06.11)