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2021年11月14日 (日)

司法書士事務所事件

 今回の「キーワードからみた労働法」(ビジネスガイド)のテーマは,公益通報者保護法です。採り上げるのは3回目なので「part3」としています。ちょうど,先日の神戸労働法研究会でも,公益通報関係の裁判例について,このテーマで研究し,また自身も裁判闘争をしている経営学研究科の社会人院生の方が報告してくれました。それが司法書士事務所事件(大阪高判20091016)です。この事件は,公益通報者保護法違反について初めて明確に言及した原判決(神戸地判20081110)の控訴審判決として有名ですが,これまで詳しく検討したことがなかったので,よい機会となりました。司法書士事務所で,事務員Xが司法書士Yの非弁行為などの告発をし,最終的には合意退職しましたが,それは退職強要によるもので,その合意には瑕疵があるとして,雇用契約上の地位確認と慰謝料の請求をしたものです。
 非弁行為との関係では,司法書士の代理権の範囲をめぐる受領額説と債権額説の対立(弁護士法72条違反の有無)という論点があり,その方面で有名な裁判例かもしれません。
 判決は,XによるY司法書士の非弁行為の法務局への告発について,Xには非弁行為であると信じるに相当な理由があったとし,また不正の目的はなかったとしました。さらにXは書類の持ち出しなどをしていたのですが,判決は,「Yは,本件通報等をしたXに大きな不信感を抱き,特に,本件持出しが司法書士の補助者として許されない行為であると考え,本件持出しが違法であったと自認する内容の本件確認書への署名押印を求め,さらに,本件通報や本件持出しの理由を問い質し,その返答次第では不利益な措置を行うかのような通知書を交付し,その上で,書類保管場所を施錠し,あるいは,仕事に使用するパソコンを職場内のネットワークから遮断するなどして,Xに,司法書士の補助者としての仕事を一切与えなかったことが認められる。これら一連の行為は,公益通報を行ったXに対し,義務なき行為(本件持出しが違法であると自認する文書への署名,公益通報の内容と理由の開示)を強いた上,Xを職場で疎外しようとするものであり,公益通報者保護法5条1項が禁止する『その他不利益な取扱い』に該当する」としました。
 そして,こうした不利益取扱いでXは退職を余儀なくされたことなどから,慰謝料として150万円の支払いを命じました。Xは退職の際に解決金として15万円を受領していましたが,その15万円は損益相殺の対象とはならず,またXの持ち出し行為などの点についての過失相殺も否定されました。
 一方,退職合意については,合意解約でも実質が解雇となれば無効となることはありえるとしたうえで,本件では,退職はXの任意に基づくものであるとして,有効性を認めています。ところが,退職合意に含まれていた清算条項(「本合意書に定めるほか,何ら債権債務がないことを相互に確認する」)については,本判決は,「公益通報者保護法5条1項所定の不利益取扱いを原因とする損害賠償債権の放棄を求めることも,同項所定の『不利益取扱い』として禁止されている」とし,結論として損害賠償債権の放棄に関する部分は無効としています。ここは相当にわかりにくい部分です。労働契約の解消に合意し,15万円の解決金を受領し,清算条項を設けることで,紛争の終局的解決になると考えるのが常識的なところですが,これが公益通報者保護法の強行規定性に違反して無効となるとした本判決の立場は,かなり強引な判断をしているようにも思えます。判決は,退職合意の有効性を認定するところでは,合意にいたる過程を丁寧にみて,Xの意思の任意性を認めているのであり,その流れからは債権放棄の任意性も認めることになりそうですし,かりに公益通報者保護法が強行規定(3条は明文の規定はありますが,5条については単なる禁止規定なので私法上の強行規定かどうかは,とりあえず解釈の余地があります)であるとしても,例えばシンガー・ソーイング・メシーン事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第6版)』(弘文堂)の92事件。現在,第7版の準備中)の枠組み(自由意思に基づくと認められる合理的な理由の客観的存否など)に乗せたうえでの判断は少なくともすべきであったように思います(研究会でもそういう意見が出ました)。
 ということで,判決の論旨を一環させるならば,退職合意も清算条項も無効とするほうが自然な感じもしましたが,事案の処理という点では,裁判官は,これで地位確認を認めるのは行き過ぎと判断して,一種の金銭解決をしたということでしょうかね。150万円という額は低くないと思いますが,これは公益通報者保護法違反ということが重視されたのかもしれませんね(また,パワハラ的な要素もあったということでしょうかね)。
 ただ,これが公益通報者保護法の代表的な事件とされるのは,おそらく同法に多くの期待をしている人からすると困惑するかもしれません。司法書士の代理権の範囲については学説上も争いがあり,Yが非弁行為をしたと決めつけられないこと,真実相当性の担保ということであっても,Xの書類の持ち出し行為を,Yが看過しえないと考えたこともそれなりに理解できること,大学院の同期であるXに対して,Yはいろいろ配慮しながら事務所の補助業務を頼んでいたことがうかがわれることなどをみると,公益通報者保護法関係の事件として論じるのにはあまり適しないものともいえます。同法は,国民の利益のために企業の不正を告発する武器を労働者に与えたのであり,そこで想定されている事件からは本件はかなりかけ離れたものといえそうだからです。
 もし本件で公益通報者保護法がなく,一般の法理のみが適用されていたとしたら全面的に請求棄却であったかもしれません。そうすると本件の結論は公益通報者保護法のおかげということになるのですが,これをポジティブに評価できるかはかなり疑問があるところです。
 なお本判決は,括弧書きではありますが,公益通報のために必要な証拠書類やその写しを持ち出す行為も,公益通報に付随する行為として,同法の保護の対象となるとしています。こうした持ち出し行為については,それに対する懲戒処分や解雇の有効性が問題となり,目的の正当性により手段の違法性がどこまで減殺されるかといった形で論じられることがあります。本判決のように公益通報者保護法の対象となると言ってしまうと,持ち出し行為の「保護のランク」が一段上がることになりそうです(原則適法となるか?)が,その適否もまた議論の余地がありそうです。

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