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2021年11月の記事

2021年11月30日 (火)

NECソリューションイノベータ事件

 昨日,大阪地方裁判所で,生活上の不利益などを理由に転勤命令を拒否した労働者に対する懲戒解雇の有効性が争われた事件で,転勤命令は権利濫用ではなく,懲戒解雇も権利濫用でないと判断した判決が出されたようです(https://news.yahoo.co.jp/articles/74551cda80616d2d5472b69fccc3906f5b0d201f)。私は,事前に,ある新聞社から,この事件についてコメントを求められていて,事案の詳細はわからなかったので,とりあえず転勤についての一般的な説明として,東亜ペイント事件・最高裁判決や育児介護休業法26条のことや,これからの雇用社会における転勤の意味の変化などについて説明をしました。この判決で労働者勝訴となれば,判決をふまえた私のコメントが出るはずでした。しかし労働者敗訴となったので,コメントはお蔵入りになったようです。労働者が敗訴となればニュース価値がないというのは変ですよね。重要と考える事件は,勝敗に関係なく報道してよいと思うのですが。
 それはさておき,判決文を読んでいないので,この判決の当否自体については,論評できません。ただ事前に聞いていた限りでは,結論はどちらもありうるのではないかと思っていました。労働者敗訴となる可能性としては,裁判所が東亜ペイント事件・最高裁判決以来の判例における転勤命令の権利濫用法性を狭くとらえる考え方(すなわち,業務上の必要性を広くとらえ,通常甘受すべき程度を著しくこえる不利益を厳格に解すこと)を踏襲する場合,もう一つは,本件の転勤(および職種転換)がリストラが進められるなかで,解雇を回避するためにやむを得ないものであったといえる場合です。今後,判決文を読んで検討しなければなりませんが,転勤については,なお東亜ペイント事件・最高裁判決が影響力をもっているように思います。もちろん多くの企業は,リストラと関係するものであろうとなかろうと,転勤の際には,従業員に誠実説明をして納得同意を得るよう努めていると思います。従業員が不満をかかえたまま転勤すると生産性が下がる可能性があるからです。「人事労働法」の観点からは,そうした手順をふんだ転勤をしているかぎり問題はありません。ただ東亜ペイント事件・最高裁判決は,そうした丁寧な手順をふまなくても転勤させてよいという不適切なメッセージを経営側に送っているのではないかと懸念しています。その意味でも東亜ペイント事件・最高裁判決の見直しが必要です。
 今回の判決はともかく,今後は,事実審レベルにおいて,業務上の必要性を厳格に解したり,通常甘受すべき程度を著しくこえる不利益を広くとらえたりする判決が出てくるのではないかと予想しています。とくにNECソリューションイノベータ事件のような事案では,育児介護休業法26条を組み込んだ権利濫用性の判断をどのようにすべきかを,ぜひ上級審で示してもらいたいです。法的明確性のためには,一定の条件を充足する労働者は,本人が希望すれば,住居の移転をともなう転勤を命じてはいけないといった法改正をするのも,一考に値します。私はもともと転勤については否定的に考える意見を唱えていて,従来,あまり相手にされてこなかったのですが,近時は社会通念が大きく変わってきています。またテレワークの推進は,まさに転勤否定論につながるのであり,労働者に場所主権を回復させるという観点からも,もっと注目されるべきです(拙著『雇用社会の25の疑問―労働法再入門―(第3版)』(2017年,弘文堂)の第2話「社員は,会社の転勤命令に,どこまで従わなければならないのか」も参照)。


 


 

2021年11月29日 (月)

オミクロン

 新型コロナウイルスの変異株が次々と出てくることは,すでに専門家が警告していましたね。感染が広がっている期間が長くなれば,必ず変異が起こります。それにより感染力が高まるかどうかは何ともいえないけれども,という留保がついていました。いま新たに出てきたオミクロン株は,どうでしょうか。いまの段階では何ともいえませんが,最大の警戒心をもって臨むべきでしょう。新型コロナウイルス感染の初期のときに,空港での水際対策を迅速にやらなかったので,その間に中国人が数多く入国してしまったということがあったと思います。また日本人だからといって甘い基準で入国させてしまったことも反省すべきでしょう。教訓を活かしてもらいたいものです。前に紹介した映画「Contagion(コンテイジョン)」でも観て,警戒心をもってもらいたいです。飛行機による移動が普通の現在,油断するとたちまち世界中に広がり,そうなるともう取り返しがつかなくなるでしょう。今回,岸田政権が,迅速な水際対策を打ち出したのは評価できます。
 ところで変異株のオミクロンという名称はやや意外でした。すでに,私たちがよく耳にしていたα型,β型,γ型と来て,Δ(デルタ)まで来ていたことは知っていたのですが,ο(オミクロン)は,ギリシャ語のアルファベットの順番で言えばかなり後です。どうも,あまり報道されていませんが,実は名称付きの変異株はかなりあって,すでにλ(ラムダ)やμ(ミュー)まで来ていたのです。その次は本当はν(ニュー)やξ(クサイ)となるのですが,それを飛ばしてο(オミクロン)になりました。飛ばした理由については,いろいろ推測がされています(中国に配慮してオミクロン株に? WHOが2文字飛ばしの理由を説明 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル (asahi.com))。
 このままでは,最後のアルファベットのΩ(オメガ)まで,あとわずかです。ちなみに,オミクロンは,小さい「O」,オメガは,大きい「O」という意味です(昔,杉山清貴と組んでいた「オメガトライブ」というバンドの名称は,オメガがアルファベットの最後であったので,「最後の種族」という意味からとったという話を聞いたことがあります)。オメガまで言ってしまうと,次はどうなるのでしょうか。そこまで行かないうちに終息することを祈っていますが,現実的には期待薄でしょうね。

2021年11月28日 (日)

飲食店の「お手伝い」労働は合法か

 飲食店のアルバイト不足を補うために,客に料理を無料で提供する代わりにボランティア(無償)で働いてもらうという方法があると,NHKのニュースで堂々と報道されていました。こういうのは客も納得してやっていることが多いので何もなければ問題はないのですが,たとえば働いている途中に転んだり,他の客にからまれて殴られたりしてケガをしたというようなことがあると,厄介な問題が起こります。一番,厳格な法律論を立てると,次のようになるでしょうかね。
  労働者は事業に使用されて働いているので,労働基準法上の労働者に該当する(9条)。
  労働の対償として支払われるのは料理の提供というものなので,賃金通貨払いの原則に反する(24条)。
  労災保険に未加入であり,事業者は保険料が遡って徴収されるほか,種々のペナルティがある。
    労働者性の有無に関係なく,安全配慮義務が課されるので,事業者は損害賠償責任を負わなければならないことがある。
  以上の法律構成をとれば,当事者が事前に「お手伝い」に同意をしているかどうかは関係ありません。労働基準法などの労働保護法規は強制的に適用される強行法規だからです。強行法規で保障される権利は,自由意思であることが明確なものであれば放棄できますが,判例によると,自由な意思に基づくものであると認められるに足りる合理的な理由が客観的に存在していなければなりません(シンガー・ソーイング・メシーン事件・最高裁判所第2小法廷1973119判決,拙著『最新重要判例200労働法(第6版)』(弘文堂)の92事件などを参照)。というようにハードルが高いものとなります。
 一番,緩やかな法律論をとると,当該契約は,ボランティア契約であり,労働契約ではない,あるいは労働保護法規の対象となる労働者ではないとするものです。世の中にはいろんな無償労働があり,それが誰かの指揮命令下で遂行されることがあります。それがすべて労働法の世界に入ってくるのは適切でないでしょう(すべて最低賃金は支払えというのは現実的ではありません)。西欧でいえば「修道院における勤労」のように,労働法の世界に入れるべきではないと考えられる働き方もあります。修行中で寺掃除をしている僧侶がケガをしたときに,「労働者」の業務災害として労災保険の対象となるでしょうか。より一般的にボランティア(有償ボランティアも含む)はどうかという問題もあります。賃金が支払われないことが社会通念上当然とされている労働については,労働基準法9条の労働者概念における「賃金を支払われる」という要素が欠落しているので,労働者ではないという整理も可能ではあります。その場合には,労働契約とは異なる特殊な無償の役務提供契約が締結されていることになります。ただ,そうみるか,賃金が払われるべきなのに払われていない最低賃金法違反の労働契約とみるかの区別は容易ではありません。
 また,上記の「お手伝い」については,業務委託契約と構成することも理論的にはあえります。そうなると,労働法の世界から離れ,通貨払いの原則や最低賃金などは適用されなくなります。ただ,アルバイトの代わりの「お手伝い」について,指揮命令関係がないというのは苦しいでしょうね。なお,労基法116条2項は,労基法は,同居の親族のみを使用する事業には適用されないと定めていますが,逆にいうと,このような場合しか適用除外されないということでもあります。
 「人事労働法」の観点からは,お手伝いをしてくれる人に,労働者でない扱いをすることについて誠実説明をして納得同意を得ていれば,そのような取扱いを認めてよいと考えることになるでしょう(拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)80頁以下も参照。「誠実説明」や「納得同意」は独特の概念ですので,同書を参照してください)。「お手伝い」がなければ飲食店が回らないという事業者側やそれによって困る国民のニーズがあり,同時に働き手も食費が浮くことに大きなメリットを感じていることが少なくないと推測されることから,こうした働き方を頭から違法視したり,過度に規制したりするのは望ましくないと思います。だからといって,本人が知識不足のまま,安易に労働法の適用外の働き方を容認することがあってはなりません。事業者は,この働き方がコンプライアンスの点でどのようなリスクがあるかを,まずはしっかり理解し,そのうえで「お手伝い」の人に誠実説明をし,納得同意を得るという手順をふんでもらう必要があるというのが,私の考え方です(もちろん裁判官は私の立場とは異なるので,実際に裁判になれば,納得同意を得ていても,事業者側が負ける可能性は十分にあります)。それが面倒だという事業者は,他人の労働力を利用して事業を営む資格はないと考えています(むしろ人間を使わず,ロボットの導入を考えるべきであり,それはそれで今後有望な事業戦略ですし,実際にそうしたことを始めている店もあるようです)。

2021年11月27日 (土)

賃上げ税制に思う

 岸田政権の下で賃上げ税制が進められようとしています。昨日のテレ東のWBSでは,この政策は,安倍政権の下で進めた政策の焼き直しにすぎず,効果は期待できないこと,中小企業の6割は赤字で,税制の恩恵を受けられないこと,人手不足のなかで賃上げできる企業はすでに行っていること,基本給は一度上げると下げられないので,そう簡単には上げられないこと,といったことも,この政策の問題点として指摘されていました。
 最後の賃金の下方硬直性が上方硬直性を生む(簡単に下げられないから,簡単に上げられない)という点は,玄田有史編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』(2017年,慶應義塾大学出版会)のなかで,近藤絢子さんも書いています。 近藤さんは人手不足のなかで賃金が上がらない理由として,①医療・福祉産業で価格メカニズムがうまく働かないこと,②人手不足に陥っているのは雇用条件が悪いからである可能性があること(因果関係が逆であること),③下方硬直性の裏返しとして上方硬直性があること,を指摘されていました(13頁)。
 下方硬直性については,近藤さんは日本においては,名目賃金の引下げに対する労働者の心理的抵抗が原因ではないか指摘されています(その他,同書では,下方硬直性について,山本勲・黒田祥子さんによる詳しい経済分析があります)。
 確かに,名目賃金の引下げは労働者のモチベーションを下げるため,従業員のやる気に悪影響を及ぼします。むしろ基本給はできるだけ維持し,業績や景気の変動は賞与で調整するほうが賃金制度として合理的でしょう。
 法的にも,賃金は最も重要な労働条件として,その引下げは簡単には認められません。賃金の水準自体を就業規則で集合的に引き下げる場合も,個別の合意で行う場合も,労働契約法10条などの法律や判例により,厳しい要件が設定されていますし,また格付けの引下げ(降格)による賃金の引下げも,判例上,そう簡単には認められていません。こうした労働法の法理それ自体が硬直的なので見直すべきという議論もありうるかもしれませんが,私は賛成できません。賃金の引下げは,企業にとっては面倒でもしっかり従業員の納得同意を得たうえでやるべきというのが「人事労働法」のスタンスです。
 もっとも最初から賃金制度を成果オリエンテッドなものとして構築し,採用時点で十分に説明をしたうえで納得同意を得て,透明性の高い運用をするということであれば,むしろ望ましいと思っています。賃金制度は,今後は,そういう方向に行くべきだと思います。
 ところで,賃金水準を引き上げるということであれば,これは成長か分配かという点でいうと,成長政策の領域であり,素人的に考えても,労働者の生産性をいかにして高めるかが重要といえます。賃金を引き上げるという目標を設定したときに,それを達成するのに最も効率的な手段は何かというのは,まさに経済学の知見を活用できる課題です。上記の文献でも,訓練機会の確保の重要性がHRMの観点からも経済学の観点からも指摘されています(第6章の梅崎修論文,第7章の川口大司・原ひろみ論文)。その意味で,税制による誘導は間違った政策である可能性があるのであり,どのような政治プロセスでこうした誤った政策が選択されたのかを検証することも必要です(これは政治学や行政学の領域の問題でしょう)。
 さらに,そもそも賃金を引き上げるという目標自体が正しいのか,ということについて,必ずしも十分に腑に落ちていないところもあります。これは賃金とは一体何なのかということにつながる問題であり,関連する様々な分野の人が集まって論じるに値するテーマではないかと思っています。

 

2021年11月26日 (金)

コロナ労災はメリット制の適用除外

 今朝の各種報道で,いわゆるコロナ労災は,企業の保険料の負担を軽減するというニュースが流れていました。ややわかりにくいのですが,コロナ労災による保険給付は,保険給付の支給実績を保険料の増額につなげる仕組み(メリット制)に反映させないということです。今日の労働政策審議会(労働条件分科会労災保険部会)で議論されるということで,ネットで配布資料をみると,その趣旨が次のように説明されていました。
 「今般,新型コロナウイルス感染症の流行に伴い,①事業主が十分に衛生環境の整備に努めても,新型コロナウイルス感染症の感染を完全に防ぐことは難しいこと,②医療・介護の事業はもとより,幅広い業種について政府が緊急事態宣言時の業務継続を要請していることなどを踏まえて,新型コロナウイルス感染症に関する保険給付及び特別支給金の額について,メリット収支率の算定に反映させないようにするため,所要の改正を行う」。
 これは企業のために,コロナ禍でのエッセンシャル業務に関する事業を安心して遂行してもらうことを主たる目的としたものでしょう。政府が業務継続を依頼した以上,こうした対応が必要となるのは理解できます。ただ,それ以外の業務を扱う民間の企業において,コロナ感染のリスクのある業務に従事させて感染した場合にまでメリット制に反映されないのはおかしいでしょう。メリット制の適用除外が,労働者の安全や健康を危険にさらすことにつながってはいけません。きちんとエッセンシャル業務とそうでない業務との線引きをしなければなりませんが,うまくできるでしょうか。
 変異株がみつかって日経平均も大暴落するなか,コロナは依然として油断できないものであることが再認識されました。これからも従業員に安全に仕事をしてもらうためには,テレワークの推進が重要な対応策であることは異論がないでしょう。無理に出勤させて感染させれば,企業の安全(健康)配慮義務違反として損害賠償責任が生じる可能性がありますし,業務が原因で感染すれば労災になり,メリット制により労災保険の保険料の増加につながりえます。そうしたことが,企業に対して,感染予防のためのテレワーク推進のインセンティブになるのです。メリット制の適用除外が,こうしたインセンティブを損なわないように,十分に留意してもらいたいです。もちろん私がこんなことを言うまでもなく,部会ではきちんと議論されているでしょうが。

2021年11月25日 (木)

ワクチン接種拒否のペナルティーイタリアの例

 ワクチン接種をしない従業員への解雇が問題となっているようです。厚生労働省は,そういう解雇はできないと言っているようです。法律論としては,ワクチン接種命令の根拠があるか,根拠があるとして,その命令を拒否したことが(普通)解雇事由ないし懲戒解雇事由に該当するか,該当するとしても,それが権利濫用となるか(労働契約法16条または15条),といった点が問題となるでしょう。伝染病に罹患していることが明らかな従業員が,企業の自宅待機命令に反して出勤した場合は,通常は懲戒解雇を免れることは難しいでしょうが,ワクチン未接種はそれと同視できるようなケースとはいえないでしょうね。
 ところでイタリアでは,ワクチン接種証明書(「グリーンパス」と呼ばれています)を提示しなければ入れない場所が徐々に拡大されています。労働者に対しても,921日に制定されたDecreto legge(法律命令)3条により,1015日以降,グリーンパスなしでは就労ができなくなりました。使用者は検査をしなければなりません。グリーンパスをもたない労働者は,それを所持して提示するまでの間(ただし,長くてもイタリアの緊急事態宣言の終了日である1231日まで),正当でない欠勤として扱われ,無給ですが,懲戒処分は受けず,また雇用(労働ポスト)は維持されます(つまり解雇はできない)。なお上記の欠勤が5日を超えて継続した場合,従業員数15人未満の企業では,労働関係の「停止」とすることができます(その間はその労働ポストに別の有期雇用労働者(期間は10日以下)を採用できます)。ここでいう労働ポストというのは,ジョブ型特有のもので,労働者はそのポストの業務に従事するために採用され,退職や正当な解雇がないかぎり,そのポストの保持権をもちますが,その労働契約関係が(一時的に)停止された場合には,その期間に限って別の人を採用してもよいことになります。結局,イタリアでは,ワクチン接種をしていないことを理由とする解雇は許されませんが,ワクチン接種をしていなければ無給の自宅待機にするということです。なお,グリーンパスをもたずに就労場所にアクセスした労働者は過料を課されます(懲戒処分も重ねて課されることもあります)。
 イタリアの上記の制度はどなたかが紹介されるでしょうから,詳細はそれに委ねるとして,ここではイタリア政府が,感染の広がりを予防するという目的を掲げ,ワクチン接種証明書をフル活用しようとする姿勢を強く打ち出していることを指摘しておきたいです。ワクチン接種を法律できちんと位置づけて,証明書の携行を,就労や行動の自由を認める条件とする方針は日本でも参考にすべきかもしれません。
 昨日のニュースでは,Draghi首相は,さらに「Super green pas」と呼ばれる行動制限を導入しようとしているようです。ワクチン接種証明書なしではアクセスできないサービスの範囲を広げて,事実上のロックダウンを打ち出すようです。これまでは特定のサービス(それは映画館,ジムなどから始まり徐々に拡大し,上述のような職場にまで及んでいました)へのアクセスを制限していたのを,126日以降,essenziale(英語のessential)でないサービスすべてに及ぼすという方針のようです。イタリアでもやりすぎという声があるようですが,それだけ状況は楽観を許さないということでしょう。Draghi首相の行動制限への意欲は,かなり積極的です。
 欧州ではlock-downに対して,激しい抵抗が起きているようです(ベルギーなど)が,感染状況は日本より深刻なようです。国際的な交流を始めるには,もう少し様子をみたほうがよいかもしれませんね。

2021年11月24日 (水)

COP26に思う

 国連気候変動枠組み条約締約国会議が,Glasgowで開かれていました。COP26のわかりやすい解説としては,「COPって何? パリ協定との関係は? 歴史やポイントをわかりやすく解説:【SDGs ACTION!】朝日新聞デジタル (asahi.com)」があります。
 私の疑問は,なぜGlasgowに集まる必要があるのでしょうか,というものです。オンラインで会議はできなかったのでしょうか。多くの人が移動し集まることが,環境によくないのではないでしょうか。コロナの危険もあります。大事な会議だから対面でということは,デジタル化時代に逆行するのです。中国の習近平の肩をもつわけではありませんし,彼が出席しなかった理由は知りませんが,気候問題について議論するのに皆が集まる必要があるのか,ということへの問題提起なら理解できないわけではありません。確かに対面型であれば,いろいろな交渉や駆け引きができるでしょう。複雑な利害調整をして意見を集約できるのも対面型だからかもしれません。でもあえていうなら対面型だから,そうした交渉や駆け引きが不必要にされやすいということもあるような気がします。不透明な妥協的な政治的決着というのが,特定の者の政治的成果となるだけで,後世に問題を残すというのは,よくあることのように思えます。国際会議の現状を知らない者の暴言と言われるかもしれません。「大事なことは会って話さなければならない」ということはわかるし,気候問題や環境問題の重要性を意識することについては人後に落ちないつもりでいますが,Glasgowに集めてやるようなことなのか,という声があまり聞こえてこないのが不思議です。もしどうしても集まるのなら,環境問題によりシリアスに直面している地域に集まったがほうが,まだよいでしょう。
 オンラインで開催すれば,より多くの重要人物を参加させることができたかもしれません。習近平を引っ張り出すこともできたかもしれません。
 国際会議こそオンラインでやるべきだと思っています。もちろんオフラインで親交を深めることはあってもよいのですが,重要な会議であればあるほど開放的で透明な状況でやったほうがよいです。会議に附属するイベントなどもオンラインでやってくれれば,多くの人が参加できるでしょう。
 ところで話は変わりますが,Glasgow というと,Glasgow大学です。Adam Smith が卒業していますし,産業革命を支える理論的貢献をした研究者をだした大学なので,一度行ってみたいと思っていました(だからといってCOP26の参集者に嫉妬して上記のことを書いたわけではありませんよ)。もう海外渡航は2年以上行っていないし,当分は行けそうにありません。それどころか出張をやめたこともあり,国内旅行にも行っておらず,飛行機に乗るという感覚を忘れそうになっています。仕事で海外に行くのは段々とつらくなっているので(オンラインなら大丈夫ですが),定年後の楽しみにとっておきましょうかね。

2021年11月23日 (火)

大谷のMVP受賞に思う

 大谷翔平選手の二刀流については前にも書いたことがあると思いますが,とにかく素晴らしいです(政府が人気取りのために使いがちな国民栄誉賞を辞退したのも立派です)。それと同時に,彼をみていると,日本で規格外の人をどう育てるかということの難しさも感じます。日本にいるときに彼の二刀流を許してくれる日本ハムに入団したことや,メジャーリーグでも出番を得やすい比較的弱いチームに入ったのがよかったのでしょうね。日本で巨人や阪神などの人気チームにドラフト指名されていたり,アメリカでヤンキースなどに入っていたりしたら,結果が出なかったときに辛抱強く使ってもらえなかったかもしれません。大谷選手はきちんとしたキャリアプランをもち,それに合った就職先を探したといえるでしょう。目先の報酬などを重視しなかったのも,ぶれない基準があったからでしょうね。
 メジャーリーグでも二刀流に対しては批判があったようです。それでも二刀流をとおすことができたのは,大谷選手の実力や人柄もあるでしょうが,先例がないからダメという発想が日本よりアメリカのほうが弱かったからではないでしょうかね。先例がないからダメではなく,先例がないからこそやってみな,という雰囲気が,突出したパフォーマンスを生み出したのでしょう。
 今年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんは,アメリカに行った理由として,日本人は,調和を重んじる関係性を築きたがって,いつもお互いのことを気にしているから,自分には合わないという趣旨のことを言われていました。要するに,日本にいると,自分のやりたい尖った研究ができないということでしょう。ノーベル賞をとるような規格外の研究をやるような人は,どうしても周りと衝突してしまいがちなのかもしれません。
 もちろん周りとの調和が大切でないと言いたいわけではありません。日本人は調和できる力があるから,個々の才能が多少足りなくても,大きなことができるという面もあるのです。ただ,これからは研究にしろ,スポーツにしろ,プロフェッショナルな仕事において尖っている個人が,もう少し居場所があるような環境がなければいけないと思います。
 しかも,これからのデジタル社会は,普通の人でもプロフェッショナルにならなければならない時代です。プロスポーツの選手のような意味でのプロではなく,自分の専門の職業をもつという意味でのプロです。先例がないという理由で新たなアイデアがつぶされることが多い日本社会は,いまのままでは優秀な若者に背を向けられてしまうでしょう。若い人たちがもつ才能を,旧来の基準や価値観で評価せず,本人が存分に才能を発揮できるよう支えることができる日本になることを願っています(それにしても,日本経済新聞でいま連載されているような若手官僚の働きぶりは,前から私が問題視していることですが,才能の発揮という面と正反対であり,人材の無駄遣いも甚だしいです。これでは良い人材は集まらないでしょう)。

2021年11月22日 (月)

芸術の力

 夏目漱石の『草枕』の冒頭のフレーズは,誰もが知っているものでしょう。

 「山路を登りながら,こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

 法律家というのは,どうしても「智に働く」感じが強く,角が立ちやすいと思います。戦後,東京帝国大学から東京大学に変わってから後の東大法学部出身の首相はいないのですが,人間関係や情が重視される政治の世界では,法律家はどうしても出世しにくいのかもしれません。だからといって情ばかりではいけないのであって,支持団体や地元からの陳情に屈してしまえば,流されてしまい,政治家として失敗してしまうことがあります(賄賂が断れなくなるなどの最悪の事態も起こります)。だからといって「意地」を通すと,いさかいが絶えず,人望が失われます。漱石は人の世の住みにくさを言っていて,ほんとうにそうだと私も実感していますが,政治の世界もそうでしょう。個人的には,智(もしそれがあればということですが)をやや少なめに,情は少し多めに,そして意地はできるだけ張るという按配がよいような気がしていますが,いずれにせよ政治の世界も人の世の縮図であり,自民党は,どちらかというと河野の「意地」,高市の「智」,野田の「情」という感じで,最後は「意地」と「情」のバランスの岸田が天下をとったという感じでしょうかね。立憲民主党は,逢坂氏以外は法学部出身のようでどちらかというと「智」の感じですが,「智」や「意地」を引っ込めて「情」の面でどれだけ訴えることができるかが大切なように思います。
 ところで漱石は「人の世は住みにくい」と言っているのですが,だからといって「人でなしの国」はより住みにくいだろうと言っています。そして住みにくい人の世をのどかにして,人の心を豊かにするのが,詩や画といった芸術なのだと言っています(草枕の主人公は青年画家)。そこに音楽も加えてよいのではないでしょうか。いつも応援している辻井さんや,ショパンコンクールで話題となった反田さんたちの演奏を聴いていると,そういうことを感じさせられました。政治の世界でも芸術的な感性を,と言うのは無理な話でしょうかね。趣味でピアノを弾くような政治家が出世してくれればよいのですが。

2021年11月21日 (日)

ショパンコンクール

 今年のショパン国際ピアノ・コンクールは,反田恭平さんと小林愛美さんが,それぞれ2位と4位に入賞しました。素晴らしいですね。ショパニストとしての世界的な評価を確立し,ピアニストとしての最高の権威を得たといえるのでしょう。驚いたのは,小林愛美さんは,前回もファイナリストになっていたのに,もう一回挑戦して入賞へとランクアップしたことです。もし失敗したら評価が下がってしまうので,なかなかできないことだと思うのですが,そのチャレンジ精神とピアノへの強い思いを感じられました。クローズアップ現代でも紹介されていましたが,YouTube では,彼女の小学生くらいからの演奏を聴くことができ,幼いときから才能が全開の天才ピアニストだったことがわかります。ピアニストのコンクールに向けた苦悩は,かつて映画館で観た「蜂蜜と遠雷」でもよく描かれていました(コロナ前のいつだったか忘れましたが。原作の方も先に買っていたのですが,読まないままずっと本棚に眠っています。映画と少し違うそうなので,時間をみつけて一気に読んでしまうつもりでいますが,そう思いながら何年も経ってしまいました)。
 今回のショパンコンクールのあとは,ほぼ毎日,反田恭平さんの演奏を聴いています。圧巻はセミファイナルでの「英雄ポロネーズ」です。ショパンの代表的な曲の一つですが,ファイナルはオーケストラとの演奏なので,55分間ソロとして聴かせるセミファイナルは,ピアニストとしての自分の力量を最も示すことができる大舞台です。そこでどのような演目の構成で聴かせるかが勝負ですね。反田さんは入念に作戦を考えて,ポーランドの人に訴えかけるような選曲をし,ストーリーを作ったそうです。彼は,天才たちが集うこのコンクールで,周到に戦略を立ててきました。ワルシャワに留学して現地に溶け込んで,ショパンの祖国でショパンを学び,髪型もサムライ風にして目立つようにするなどして,そして今回の大きな成果につなげました。
 セミファイナルで演奏した「葬送」から始まり「英雄ポロネーズ」で終えるというように,まずは暗い世相を描きながら,それを力強く乗り越えていこうとする反田さんのメッセージは,聴衆に大きく響くものがあり,芸術の強さと素晴らしさを教えてくれるものでした(”Largo” という聴いたことがない曲も組み入れていました。ショパンの死後に楽譜が発見された曲だそうで,反田さんも留学後に知ったそうです。Largoはイタリア語で「広い」というような意味ですが,音楽用語では,「ゆるやかに」となります。ただ,この曲がどういう意味のものであるかは,よく知りません)。
 二人の若いピアニストの将来に大いに期待したいです。

 

立憲民主党は生き残れるか

 立憲民主党の代表選では,自民党の総裁選と同じ4人が立候補していますが,自民党の総裁選ほど盛り上がるでしょうかね。立憲民主党がどういうことをやりたいのか,今ひとつ見えてこないのが問題です。野党第一党としては存在感を発揮してもらいたいのですが,自民党は,いまやリベラルな政策もやるので,立憲民主党は,どこで独自性を発揮するのかが,あまりよく見えてきません。労働政策でも,すでに自公政権下でかなりリベラルな方向に進んでいるので,立憲民主党が独自の政策を打ち出すことができそうにありません。連合との関係も微妙になっていますし。
 国民の大半は労働者かその家族なので,ほんとうは労働政策が大きな争点となってもよいのです。それは先日書いたことと関係するのですが,来るべき大失業をどのように回避するか,あるいはそれが起きてしまったときにどう対処するのかが,大問題のはずです。社会経済のデジタル化の進行は不可避であり,それにともない省人化が起こるのです。これについて,各政党がどのような政策プランをもっているかが,私にはとても気になります。これは保守かリベラルかという対立を超えたものです。これからの対立軸は,未来を気にする若年層と現状の利害にこだわるシニア層との対立ということになるのかもしれません。それは,将来のデジタル社会のデザインを構想できるかどうかにも関係しています。
 解雇の金銭解決だって,私たちの主張する「完全補償ルール」に賛同するかどうかは,やはり世代間のギャップがありそうです。
 国民に寄り添う政治を推奨するのは結構なことです。国民により選ばれるのが政治家である以上,それは当然のことです。ただその寄り添い方が,バラマキをすることを中心に考えているようではいけません。そんなものが10年後,20年後の自分たちやその子や孫たちに役立つものでないことはわかっています。立憲民主党は,デジタルと環境という大きな制約条件の下で,いかにして自民党と異なる政策を打ち出せるかが勝負です。そこでは党名に「立憲」と入れている以上,憲法との関係が重要となるのかもしれませんが,そのことが政策の自由度を狭めてしまうかもしれません。うまく根本的な再生に成功しなければ,何人かのスター議員は生き残るでしょうが,そう遠からず社民党のように衰退の一途をたどることになるでしょう。個人的には,党名を変え,女性の地位向上に特化した政党になるとか,環境運動に特化した政党になるのが,生き残るために必要な戦略のように思えますが,余計なことでしょうね。

2021年11月19日 (金)

藤井聡太四冠,五冠への道

 藤井聡太四冠(竜王,王位,叡王,棋聖)が,強豪ぞろいの王将戦挑戦者決定リーグ戦で,近藤誠也七段に勝って5連勝とし,1敗がいなくなったので,最終戦(永瀬拓矢王座との対局)を待たずに,渡辺明王将(三冠)への挑戦を決めました。いよいよ五冠へ向けてのタイトル戦となります。10代で四冠もすごい記録ですが,五冠となると前人未踏,空前絶後の大記録となるでしょう。渡辺三冠とは,タイトル戦としては,すでに棋聖戦で2回戦っていますが,最初は藤井四冠からみて3勝1敗でタイトルを奪取し,今年は渡辺三冠が挑戦者となりましたが,藤井四冠の3連勝での防衛となりました。現在の勢いからすると,藤井四冠が五冠をとる可能性は濃厚ですが,渡辺三冠としても,すんなりそれを許してしまうわけにはいかないでしょう。棋王戦では,すでに藤井四冠が敗れていて,今回の挑戦はありませんし,名人については,今期はまだ藤井四冠がB級1組なので挑戦はありませんが,A級への昇級の可能性が十分にあるので(現在7勝1敗で2番手ですが,本日勝った近藤七段や3番手でいる千田翔太七段,さらに最終戦は現在全勝でトップを走っていて,かつてデビュー以来の連勝を29で止められた佐々木勇気七段など強い対戦相手が残っています。昇級は2名),いよいよ来年度は藤井四冠が名人をとって八冠達成という夢のようなことが起こらないとも限りません。

2021年11月18日 (木)

もはや一刻の猶予も許されない

 今朝のNHKのニュースで,長期失業者の数が増えていると報道されていました。失業率の表面的な数字だけをみると,雇用調整助成金の大盤振る舞いもあって,それほど悪い数字になっていませんが,潜在的な失業者は増えているとみたほうがよいでしょう。コロナ禍の影響ですが,今後,エネルギー価格の高騰や悪い円安のインパクトで,企業業績の悪化が予想されます。コロナの第6波が来ると,リベンジ消費の牽引役として期待されている観光業や飲食業まで打撃を受けるおそれがあります。企業の延命を図り,雇用問題を引き起こさないようにするための,短期的な措置はありえますが,それは持続的な対応にはなりません。
 思い切った労働市場改革が必要です。コロナ危機,雇用問題,デジタル化というのは,ばらばらに対応してはダメで,同時に取り組まなければなりません。もともとDXが失業問題を生みだすということは,私も含めて多くの人が指摘していることで,リスキリングをはじめとする職業教育が最も重要な政策となることは,だいぶん前からわかっていたことです。これにコロナが起こって,その動きが加速したのです。さらに環境問題が追い打ちをかけ,対応が遅れてきた日本企業に大きな負担となってきています。そのしわ寄せは雇用に向かいます。企業が十分な生活保障をしたうえで解雇を実施するという意味での解雇の金銭解決の重要性は,折に触れて指摘していますが,いまこそ真剣に考えるべきでしょう。今後苦境に陥ることになるだろう多くの日本企業が,致命的な打撃を受ける前に再生(おそらく解体的出直し)のきっかけをつかみ,同時に労働者の生活保障を両立させるためにも,私たちが『解雇規制を問い直す』(有斐閣)で提案している金銭解決制度の実現は,どうしても必要な政策です。解雇保険までは導入できなくても,いわゆる事前型の金銭解決の制度に向けて動きを始めなければ,日本経済はどうしようもなくなるでしょう。事後型の金銭解決の法技術的な詰めをするというような悠長なことをしている場合ではありません。法律家以外の人の間では,金銭解決についての事前型と事後型がどう違うかについて十分に理解されていないように思いますが,両者は制度設計としてまったく異なるもので,政策として必要なのは事前型です。これが政府のプランのなかにはないのが現状です。
 労働市場といえば,デジタル人材不足にどう対処するのかも深刻な問題です。デジタル人材は,なにも理系人材だけではありません。デジタル技術をどう使って社会貢献につなげるかを考える際には文系的な人材も必要でしょう。飛行機の飛ばし方がわからなくても,飛行機を使って社会にどのように貢献できるかを考えることはできます。文系と理系の融合は,両者が没交渉であってはいけないというだけで,それぞれに特化した能力を磨くこと自体は依然として必要です(比較優位論)。数学が苦手な人に,無理に数学を専門的に勉強させる必要はなく,数学的思考はこういうものだということを教える程度でいいのです。文系でも,文系的な観点からデジタル技術社会で貢献ができるような能力を育てる教育が必要です。
 小学校の学習にタブレットをもちこむことは,それが目的ということではなく,タブレットを使うことによってどのようなことができるかを子どもたちに実感させることが大切なのです。それにより,デジタル技術をよりブラッシュアップするにはどうすればよいかを考える理系的な方向にも,またデジタル技術をどう活用したら社会に役立つかを考える文系的な方向にも,子どもが進めるようになります(もちろん両方の面で才能のある人もいるはずで,そうした人の力を伸ばすことも必要でしょう)。このような取組みを進めることが,10年後に失業問題が深刻化しないようにするために必要とされる政策です。
 このままでは,今後数年内にデジタルデバイドの影響がどんどん顕在化してきて,機械との競争に敗れた中高年層が路頭に迷うことになります。そうなるとその対策だけで手一杯で,将来に向けた対策は後回しになるでしょう。デジタル時代にあった職業(再)教育や学校教育の推進は,一刻の猶予も許されません。
 いつも同じようなことばかり言っていますが,危機感を共有してもらいたいです。

 

2021年11月17日 (水)

プレジデント・オンラインに再登場

 8月に登場したばかりでしたが,本日,再登場しました(「残業代を減らされるかも」テレワークでの収入減を防ぐために会社員が知っておくべきこと 労働法が想定しない働き方のリスク | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) )。前回はギグワーク関係のものでしたが,今回は,テレワーク関係です。編集者の方から,メルカリの完全リモートについて,これって労働者に落とし穴がないだろうかという疑問を提起され,それについて何か書いてもらえないかという依頼があったので,テレワークのことでしたので,お引き受けすることにしました。最初の原稿は,依頼の趣旨とは異なり,企業の視点から,企業がテレワークをうまく進めるためには,労働法上のどのようなことに気を付ければよいか(労働時間と健康管理),そして(いつものように)デジタル社会において,どのようにテレワーク従事者の健康やプライバシーを守るかということに重点を置いて書いていました。ただ,原稿のやりとりをする間に,やはり社員の視点から書いてほしいという編集者の気持ちが(明示的なではありませんでしたが)伝わってきたので,社員の視点から書いてみる方向にしてみました。エッセンスは同じなのですが。
 プレジデント・オンラインの原稿としてはやや長めかもしれませんが,テレワークと労働法の問題について,できるだけ一般の人にもわかりやすいように書いたつもりです。なおメルカリの新しい制度については,HP上の情報しかありませんでしたので,具体的な評価はしていませんが,原稿にも書いたように,個人的には,こういう働き方が今後は広がるし,また広がるべきだと思います。メルカリには,ぜひ良き先行モデルとして成功してほしいとエールを送りたいと思います。
 テレワークとデジタルトランスフォーメーションについてより詳しくは,拙著『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』(明石書店)をご覧になってください。

リクルートスタッフィング事件

 研究者コースの大学院の授業で扱った,リクルートホールディング事件(大阪地判2021225)は,私の論考が掲載された労経速2451号と同じ号に掲載されていたものです。有期雇用派遣労働者が通勤手当の支給がないのが不合理な格差であるとして,差額分について不法行為による損害賠償請求をしたものですが,請求は棄却されました。
 派遣労働者の均衡処遇は,2018年改正前は,派遣先の同種の業務に従事する労働者の賃金水準の均衡に配慮するというもので(旧30条の31項),派遣先との比較がなされていたのに対して,本件は労契法の旧20条に基づき,派遣元の無期雇用労働者との比較をして請求しています(本件は2018年改正前の事件です)。派遣労働者が非正社員とされているのは,派遣元で有期雇用労働者であるからというより,派遣先企業において,間接雇用で勤務しているという点にあるのであり,処遇の均衡も派遣先の正社員との比較が想定されていました。派遣元における有期と無期との比較といっても,派遣元の無期雇用労働者には派遣労働者もいれば,派遣元の業務にのみ従事する非派遣労働者もいて,その人と登録型の有期雇用派遣労働者の比較をすることに,どれだけの意味があるのか疑問があります。現行法の下においても,派遣労働者は,新しい30条の3(派遣先均等・均衡方式)または30条の4(労使協定方式)の適用があるなかで,なお短時間有期雇用法8条の適用があるのか,ということも気になります。同法の施行通達によれば,「短時間・有期雇用労働者である派遣労働者については,法及び労働者派遣法の両方が適用されるものであること」とし,「職務の内容に密接に関連する待遇を除き、短時間・有期雇用労働者である派遣労働者と派遣元事業主に雇用される通常の労働者及び派遣先に雇用される通常の労働者との間の待遇の相違が問題 になると考えられるものであること」,「職務の内容に密接に関連する待遇については,派遣労働者が派遣先の指揮命令の下において派遣先の業務に従事するという労働者派遣の性質から,特段の事情がない限り,派遣元事業主に雇用される通常の労働者との待遇の相違は,実質的に問題にならないと考えられるものであること」とされています。通勤手当は前者のカテゴリーに分類されています。
 ところで,本判決は,派遣労働者に対する不合理な格差の是正は,労働者派遣法の規律が中心となるとしても,労契法旧20条のらち外となるものではないとし,そのうえで,派遣労働の特殊性を含めて不合理性の判断をすべきとしています。会社側は労契法旧20条の対象外と主張しており,私は結論はその見解でよいと思うのです(労契法旧20条が一般法であり,有期の派遣労働者については特別法である労働者派遣法が適用されるため,労契法旧20条は排除されるという法律構成もあります)が,判決は,立法趣旨に加え,厚生労働省の担当者の発した通知などまで採り上げ,明文での適用除外もないとして,労契法旧20条の適用を認めました。
 その結果,本判決は,労契法旧20条の不合理性の判断について,いろいろ苦しい解釈を展開することになります。例えば,通勤手当の趣旨について①配転命令の対象となる職員への配慮を挙げますが,配転命令を受けない派遣労働者らに支給されることのあった通勤交通費も考慮して,②魅力的な労働条件の提示という趣旨も挙げています。そして,ハマキョウレックス事件・最高裁判決(201861)の通勤手当の格差の不合理性を認めた判断については,直接雇用の事案で,派遣労働者に関する本件とは事案を異にするとしています。これはあまり説得力がありません。もちろん通勤手当の趣旨はケースによって異なりえて,①のようなものはありうるのですが,②は比較対象とする無期雇用労働者の通勤手当(交通費)の趣旨とは異なるものなので,これに言及すると,無期雇用と有期雇用との間の待遇の比較というところから外れるような気もします。
 一方,本件は①の趣旨の配転可能性の有無と通勤手当との関係がクリアであるように思うのですが,判決はそれでもなお格差が「期間の定めがあることによるもの」といささか強引に(?)判断しています。判例は 「期間の定めがあることによるもの」かどうかの判断で決着はつけないようにする傾向はあるのですが,本件では苦しい議論を展開しているように思えます(短時間有期雇用法8条では,この要件は文言上なくなりました)。
 また,本判決は,派遣労働者は,高い時給で通勤交通費がないJOBと低い時給で通勤交通費があるJOBとの選択ができることから,原告が前者を自ら選択したという事情を,不合理性を否定する要素として考慮しており,このことと,原告がアルバイト・パートの平均時給額よりも相当程度高い時給を得ていたという事情が合わさって,会社勝訴の実質的な決め手になっているような気がします。ただ前者の自己選択論は危ない議論であり,季刊労働法172号の山本陽大さんの論文でも,不合理な格差禁止規定の強行規定性との整合性が論点となると指摘されています(同論文は,労契法旧20条・短時間有期雇用法8条に関する重要論点が網羅されており,必読文献です)。私の立場では,どちらの規定も訓示規定とする観点からは,せめて上記の事情は「その他の事情」で考慮してほしいと思いますが,判例を前提とすると,その一貫性は気になるところでしょう(店舗採用の有期雇用労働者に通勤手当の上限があり,本社採用の無期雇用労働者に上限がないという場合において,前者の労働者が本人の都合で転居して,通勤手当の上限を超える交通費がかかることになったときでも,上限額を適用することは許されるというような指針があり,判決がわざわざこれに言及しているので,こうした指針が,本人の選択によって生じた格差が不合理とはならないとする本判決の解釈に影響した可能性はあります)。
 また絶対的な額を問題とする点についても,これは労契法旧20条・短時間有期雇用法8条に,異質の視点を持ち込むものではないかという疑問があります。私の立場は,非正社員問題は本来は生活保障的な観点からなされるべきで,望ましい政策は貧困世帯への補助や給付付税額控除のような税制による対応となるのです(同時にエンプロイヤビリティを高めるための訓練政策も必要です)が,労契法旧20条のような労働条件論や賃金論で対応するのは政策的に適切でないというものです。そうみると,労契法旧20条が,生活保障的な観点から,本判決のように逆に機能するのは皮肉なことのように思えます。さらに,労働者派遣を労契法旧20条の対象とすると,例えばハイスキルのITエンジニアの高給の有期の派遣労働者が,通勤手当は支払われていないときに,どうなるのかが気になります。賃金は個別ごとに判断するという,これまた問題の多い解釈が判例でとられ,短時間有期雇用法8条ではそれが明文化されていますが,通勤手当だけ独立してみるのでしょうかね。そうなると本件のように,裁判官が生活保障的なものを逆方向に考えることも出てきそうです(額が十分であるから不合理性はないという判断につながるということです)。こうなると「その他の事情」の解釈は今後ますます混迷していくことでしょう。
 さて,本判決や行政解釈によると,派遣労働者は,自分の労働条件の格差について,派遣元の通常の労働者と派遣先の通常の労働者の双方と比較できることになりますが,その具体的な法的な効果はどういうことになるのでしょうか。派遣労働者は,どちらか有利なほうを請求できるということでしょうか。通勤手当が実費ベースで算定されるのであれば,どちらかが支払ってくれればよいということかもしれませんが,その他の手当や休暇等の場合はどうなるのでしょうかね。
 なお,労使協定方式を採用する場合,労使協定の決議事項に,賃金以外の待遇についての決定方法を記載しなければならず,それについては,「派遣労働者の待遇のそれぞれについて,当該待遇に対応する派遣元事業主に雇用される通常の労働者(派遣労働者を除く。)の待遇との間において,当該派遣労働者及び通常の労働者の職務の内容,当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち,当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して,不合理と認められる相違が生じることとならないものに限る」として,実質的に短時間有期雇用法8条の適用を認めるような定めになっているのですが,こういう文言があえて置かれているのは,派遣労働者には短時間有期雇用法8条が適用されないことが前提となっていると解すことができそうな気もします。 
 以上は,私の誤解もありうるので,研究会で,きちんと議論して,山本さんをはじめとする若手俊英から教えてもらうことにします。

2021年11月15日 (月)

10万円給付のバラマキ政策に思う

 税金は国民のお金です。政党のイメージアップのために使われるものではありません。日本経済新聞の1112日金曜日の朝刊で,世論調査で,「18歳以下への10万円相当給付を巡っては消費喚起策として「適切ではない」との回答が67%,「適切だ」が28%だった」,という結果が報道されていました。昨年の一律10万円のバラマキがどれだけ効果があったか不明ななか,なぜ再びバラマキをするのかという疑問があるのでしょう。消費喚起策ではなく,子育て世代を助けるという目的であっても,おそらく反対をしている人は多いでしょう。困っている国民を助けることに反対する人はあまりいないでしょうが,助け方がおかしいのではないかということです。960万という年収制限についても,公明党と自民党が話し合って決めたようですが,ほんとうは国民の声をもっと聴くべきでしょう。国民の税金を使うのですから。年収の高い人は,税金も多く払っているので,子育てする高額収入者を給付から排除するのならば,その理解を得ることも必要でしょう。お金を必要とする人にだけ目を向けているのでは十分ではありません。納税者に納得してもらうように説明をしていく政治をしなければいけないのです。社会政策的なものは,きちんと説明をすれば納得してもらえることは少なくないと思います。でも,政府は,なぜか説明をきちんとしませんね。岸田首相は,スピーチにはわかりやすさがありますが,政策のわかりにくさは深刻です。言語明瞭,意味不明は,かえって危険な感じもします。ちなみに「新しい資本主義」も,資本主義をどう定義して,どこに新しさを求めるのかがはっきりしていません(ついでに言うと,議員の文通費100万円問題も同様に納税者に納得できる説明が必要でしょうね)。
 賃上げ政策もそうです。なぜ賃金が上がらないかの分析が十分になされているのでしょうか。賃上げした企業には税制優遇というようなことが言われていますが,これもある意味では取れる税金を取らないということですから,納税者への説明が必要でしょう。少なくとも中長期的なビジョンを考えるなら,デジタル社会においてのスキルの向上という点が最優先の課題となるはずですが,その面の取組みはどうなっているのでしょうか。学校教育でのデジタル化の遅れも指摘されています。大学のようにリモート授業がやりやすい場でも,それに前向きではない役所の動きが気になります。中長期的な賃上げに向けてやるべき政策ができていないのではないでしょうか。10万円を配るような安易なことをせず,もっと知恵を使って,いかにしてお金を将来に役立つように有効活用するかを考えて政策を実現して欲しいものです。デジタル庁がせっかくできているのですから,もっと存在感を発揮してもらいたいですね。



 

2021年11月14日 (日)

司法書士事務所事件

 今回の「キーワードからみた労働法」(ビジネスガイド)のテーマは,公益通報者保護法です。採り上げるのは3回目なので「part3」としています。ちょうど,先日の神戸労働法研究会でも,公益通報関係の裁判例について,このテーマで研究し,また自身も裁判闘争をしている経営学研究科の社会人院生の方が報告してくれました。それが司法書士事務所事件(大阪高判20091016)です。この事件は,公益通報者保護法違反について初めて明確に言及した原判決(神戸地判20081110)の控訴審判決として有名ですが,これまで詳しく検討したことがなかったので,よい機会となりました。司法書士事務所で,事務員Xが司法書士Yの非弁行為などの告発をし,最終的には合意退職しましたが,それは退職強要によるもので,その合意には瑕疵があるとして,雇用契約上の地位確認と慰謝料の請求をしたものです。
 非弁行為との関係では,司法書士の代理権の範囲をめぐる受領額説と債権額説の対立(弁護士法72条違反の有無)という論点があり,その方面で有名な裁判例かもしれません。
 判決は,XによるY司法書士の非弁行為の法務局への告発について,Xには非弁行為であると信じるに相当な理由があったとし,また不正の目的はなかったとしました。さらにXは書類の持ち出しなどをしていたのですが,判決は,「Yは,本件通報等をしたXに大きな不信感を抱き,特に,本件持出しが司法書士の補助者として許されない行為であると考え,本件持出しが違法であったと自認する内容の本件確認書への署名押印を求め,さらに,本件通報や本件持出しの理由を問い質し,その返答次第では不利益な措置を行うかのような通知書を交付し,その上で,書類保管場所を施錠し,あるいは,仕事に使用するパソコンを職場内のネットワークから遮断するなどして,Xに,司法書士の補助者としての仕事を一切与えなかったことが認められる。これら一連の行為は,公益通報を行ったXに対し,義務なき行為(本件持出しが違法であると自認する文書への署名,公益通報の内容と理由の開示)を強いた上,Xを職場で疎外しようとするものであり,公益通報者保護法5条1項が禁止する『その他不利益な取扱い』に該当する」としました。
 そして,こうした不利益取扱いでXは退職を余儀なくされたことなどから,慰謝料として150万円の支払いを命じました。Xは退職の際に解決金として15万円を受領していましたが,その15万円は損益相殺の対象とはならず,またXの持ち出し行為などの点についての過失相殺も否定されました。
 一方,退職合意については,合意解約でも実質が解雇となれば無効となることはありえるとしたうえで,本件では,退職はXの任意に基づくものであるとして,有効性を認めています。ところが,退職合意に含まれていた清算条項(「本合意書に定めるほか,何ら債権債務がないことを相互に確認する」)については,本判決は,「公益通報者保護法5条1項所定の不利益取扱いを原因とする損害賠償債権の放棄を求めることも,同項所定の『不利益取扱い』として禁止されている」とし,結論として損害賠償債権の放棄に関する部分は無効としています。ここは相当にわかりにくい部分です。労働契約の解消に合意し,15万円の解決金を受領し,清算条項を設けることで,紛争の終局的解決になると考えるのが常識的なところですが,これが公益通報者保護法の強行規定性に違反して無効となるとした本判決の立場は,かなり強引な判断をしているようにも思えます。判決は,退職合意の有効性を認定するところでは,合意にいたる過程を丁寧にみて,Xの意思の任意性を認めているのであり,その流れからは債権放棄の任意性も認めることになりそうですし,かりに公益通報者保護法が強行規定(3条は明文の規定はありますが,5条については単なる禁止規定なので私法上の強行規定かどうかは,とりあえず解釈の余地があります)であるとしても,例えばシンガー・ソーイング・メシーン事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第6版)』(弘文堂)の92事件。現在,第7版の準備中)の枠組み(自由意思に基づくと認められる合理的な理由の客観的存否など)に乗せたうえでの判断は少なくともすべきであったように思います(研究会でもそういう意見が出ました)。
 ということで,判決の論旨を一環させるならば,退職合意も清算条項も無効とするほうが自然な感じもしましたが,事案の処理という点では,裁判官は,これで地位確認を認めるのは行き過ぎと判断して,一種の金銭解決をしたということでしょうかね。150万円という額は低くないと思いますが,これは公益通報者保護法違反ということが重視されたのかもしれませんね(また,パワハラ的な要素もあったということでしょうかね)。
 ただ,これが公益通報者保護法の代表的な事件とされるのは,おそらく同法に多くの期待をしている人からすると困惑するかもしれません。司法書士の代理権の範囲については学説上も争いがあり,Yが非弁行為をしたと決めつけられないこと,真実相当性の担保ということであっても,Xの書類の持ち出し行為を,Yが看過しえないと考えたこともそれなりに理解できること,大学院の同期であるXに対して,Yはいろいろ配慮しながら事務所の補助業務を頼んでいたことがうかがわれることなどをみると,公益通報者保護法関係の事件として論じるのにはあまり適しないものともいえます。同法は,国民の利益のために企業の不正を告発する武器を労働者に与えたのであり,そこで想定されている事件からは本件はかなりかけ離れたものといえそうだからです。
 もし本件で公益通報者保護法がなく,一般の法理のみが適用されていたとしたら全面的に請求棄却であったかもしれません。そうすると本件の結論は公益通報者保護法のおかげということになるのですが,これをポジティブに評価できるかはかなり疑問があるところです。
 なお本判決は,括弧書きではありますが,公益通報のために必要な証拠書類やその写しを持ち出す行為も,公益通報に付随する行為として,同法の保護の対象となるとしています。こうした持ち出し行為については,それに対する懲戒処分や解雇の有効性が問題となり,目的の正当性により手段の違法性がどこまで減殺されるかといった形で論じられることがあります。本判決のように公益通報者保護法の対象となると言ってしまうと,持ち出し行為の「保護のランク」が一段上がることになりそうです(原則適法となるか?)が,その適否もまた議論の余地がありそうです。

2021年11月13日 (土)

藤井竜王誕生

 藤井聡太三冠が,豊島将之竜王に勝って,なんと棋界最高位の竜王位を奪取して,序列ナンバー1となりました。素人目には,初日はほぼ互角でしたが,2日目に入り,4四角と飛車取りに打たれたところから,形勢がたちまち変わったように思いました。最後は防御がない状態の豊島陣に飛車を成りこんで,抵抗できない状況に追い込んだ快勝でした。
 史上最年少の四冠の誕生です。将棋界は藤井時代の到来といってよいです。ときどき負けるときがありますが,負けたことが話題になるというのはすごいことです。棋士は7割勝てば驚異的なのですが,それでも3割は負けるわけです。藤井四冠は,タイトル戦で負けることはあっても,それ以外はほとんど負けていないところがすごいのです。
 豊島前竜王もリベンジを狙っているでしょう。実はその場はたくさんあるはずです。まずはJTの日本シリーズの決勝となりそうです。無冠になった豊島九段はまだ若いので,このまま藤井時代の到来を甘受すると,これからの棋士生活において活躍機会が縮小してしまいます。リベンジに期待しましょう。

2021年11月12日 (金)

労働者代表制

 先日の学会では,三六協定の機能不全という話もでましたし,労働組合はもっとやれることがあるのではないかというメッセージを毛塚勝利先生からお聞きしたような気がします。労働法制に関する将来構想において,労働組合をどう組み入れていくかは難問です。拙著の『人事労働法』(弘文堂)では,現状をみているので,労働組合がなくても労働者の利益を守れるようにしたいという視点で考えています。同書の企業に働きかけることを重視する姿勢(28・29頁)は,労働組合の機能不全を前提としたものです。
 もっとも,私は労働組合には,労働者が自由に結成して,自分たちの力で自分の権利や利益を守っていくという自律性に魅力を感じてきました。その意味で,私の労働法理論は労働組合にロマンを求め,その力に大きい期待を込めるものでした。2007年に刊行した拙著『労働者代表法制に関する研究』(有斐閣)の最後の言葉は,「労働組合を『自由』の理念と結びつけて,その活性化を図ること,他方,『自由』を『放縦』と区別して,『正当性』概念により規律された『自由』のみ認められるということを再確認して,労働組合が(企業を含む)社会の信頼を広く得られるようにすること,それを立法論,解釈論において確立していくことが,労働者代表法制の課題であり,かつ実現すべき目的なのである」(234頁)というもので,ここでは労働組合への当時の私の気持ちが込められています。
 ただ,それから15年近く経った現在,リアルな労働法の制度設計を目指す『人事労働法』では,労働組合が組織されていない企業を想定していかざるを得なくなりました。
 労働組合がないならば労働者代表制をという議論もあります。現時点で,厚生労働省で,この点について,どのような議論がされているのかはよく知りませんが,私には労働組合がないからといって,それじゃ立法で労働者代表制を,ということには,一貫して反対してきました(『労働者代表法制に関する研究』(有斐閣)の第3章などを参照)。
 この問題について,ずいぶん前にいただいておきながらお礼を書いていない本があります。それが小畑明『労働者代表制の仕組みとねらい―QA職場を蹴る切り札はこれだ!』(2017年,エイデル研究所)です。遅くなりましたが,どうもありがとうございました。
 本書は,QA編と座談会と資料編という3部構成ですが,座談会では東京大学の荒木尚志先生が登場されていて,運輸労連中央書記長の著者と,中小企業家同友会の平田美穂(全国協議会事務局長)との公労使三者構成という感じになっています。荒木先生がうまく議論をリードされており,また労働者代表制に関する主要な論点が網羅されていて,この座談会の部分を読むだけでも価値があります。私には小畑さんや連合の構想には基本的には反対ですが,そのことはさておき,そろそろ労働者代表制について議論を総括しておくべき時期に来ている気もします。
 時代は確実にデジタル時代にシフトしているのであり,労働者代表制については既存の議論にデジタルの要素を付加する必要があります。それにより従来の発想が根本的に通用しなくなる可能性もありますが,今後の議論の発展は次の世代の人たちに任せることになるのでしょうね。

 

 

2021年11月11日 (木)

エスコヤマの時間外労働問題に思う

 神戸の近くの三田(さんだ)市にある,有名なパティシエ エス コヤマで,時間外労働に関して労働基準監督署から是正指導が入ったことが報道されていました(【独自】人気洋菓子店で「やりがい搾取」、残業100時間超が常態化…超過分未払いも : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp))。エスコヤマのHPにも,会社としての説明が掲載されていました。クリスマスケーキのシーズン前のかき入れ時にイメージダウンかと思いましたが,あまりマイナスにはなっていないようですね。高い定評のある商品クオリティへの評価は,これくらいでは揺るがないということかもしれません。それに従業員の働き過ぎくらいでは,消費者にはそれほどマイナスイメージにならないのが,多くの日本人の反応かもしれません(もしそうなら,それには問題があるのですが)。記事のなかには,労働組合の人の言葉をつかって「やりがい搾取」とも書かれていました。修業時代には,時間に関係なく頑張ることも必要なのかもしれず,それは自分の大学院生時代のことなども振り返ると,まったく理解できないものではありませんが,もちろん限度はあるのであり,言うまでもなく労基法違反は許されません。
 こういう報道をみたとき,法律で,違法な時間外労働を撲滅することは難しいということを改めて感じます。私はかつて『君の働き方に未来はあるか?―労働法の限界と,これからの雇用社会』(2014年,光文社新書)のなかで,第3章「ブラック企業への真の対策」というところで,ブラック企業とホワイト企業のことについて,次のように書いています(89頁以下)。「たとえば勤務時間が長く,メンタル面で問題のある社員がかなりいるけれど,育成はしっかりしてくれて,やりがいのある仕事をどんどんさせてくれる企業があったとします。こうした企業は,ワーク・ライフ・バランスを重視している人にとってはブラックでしょうが,働きがいを強く求めている人にとっては,ブラックではないでしょう。後者のタイプの人は,むしろ,勤務時間が短く,法律はすべてきちんと守られているけれど,仕事がつまらない企業のほうに不満を感じるのです」。
 このような観点からは,「やりがい搾取」という表現は,場合によっては,ちょっときつすぎるかもしれません(もちろん,ほんとうにそう表現すべきような事例もあるのですが,エスコヤマのケースがそうなのかは,私にはよくわかりません)。
 ただ,現在の議論は,さらに先に進んでいて,将来につながると思って「やりがい」を感じているけれど,実はそんな修業をしなくてもよいといえることもあるのです。デジタル時代には,かつて長年の修業により習得すべきことを,より効率的に習得できる可能性もあるのです。もちろん最低限の実習は必要でしょうし,パティシエ業界がどういうものかはよくわかりませんが,一般的に言って,ある仕事のプロフェッショナルになるときの方法は,デジタル時代には大きく変わっていきます。こういうことを若者たちは知っておく必要がありますし,親世代も昭和時代の価値観を自分の子どもたちに押しつけないようにしなければなりません。そのことも,ブラックな働き方に巻き込まれるのを回避するために必要な知識です。『会社員が消える―働き方の未来図』(2019年,文春新書)や『誰のためのテレワーク―近未来社会の働き方と法』(2021年,明石書店)などでも,これからの働き方について展望しているので,参考にしてもらえればと思います。

 

2021年11月10日 (水)

巴機械サービス事件

 先日の神戸労働法研究会では,この事件を上智大学の富永晃一さんが報告してくれました。季刊労働法で掲載される予定なので,詳細はそこをご覧になってください。いつものように充実した報告でしたが,今回もまたいろんな議論ができてよかったです。 
 この事件は簡単にいうと,総合職と一般職というコース別雇用を導入している会社において,総合職はすべて男性,一般職はすべて女性という,わかりやすい(?)分離がなされていて,総合職と一般職では異なる賃金体系となっているのですが,これが労基法4条や均等法5条に反しないのかが問題となりました。一般職で採用された二人の女性社員がこのコース別雇用制に疑問をもって,最終的には提訴に至りました。第一感としては,これはアウト(違法)!ですが,裁判所(横浜地判2021323日)は,そうは判断しませんでした。確かに,総合職と一般職の区別を設けること自体は問題ないし,現場経験のある人を総合職に,そうでない人を一般職にするという区別の基準を設けることも経営者の裁量の問題です。ただ,こうした区分が,現場経験のある人は男性だけで,実質的には総合職は男性,一般職は女性という基準になっていれば別ですが,裁判所は,本件では,そういう認定はできないとしました。「女性であることを理由として殊更に一般職に振り分けたとは認められない」ので,少なくとも採用段階では,労基法4条にも男女雇用機会均等法5条にも反しないとしました。もっとも運用レベルでの問題はあるとされ,一般職から総合職への転換規定が就業規則に設けられていたものの,利用された実績がなく,実質的に機能していなかったことや,社長が女性には総合職はない旨の発言(これは「大問題発言」ですね)をしていることなどから,裁判所は,女性であることを理由として転換の機会を与えていないと判断し,これが職種の変更における性差別を禁止する男女雇用機会均等法63号に反し,同法の目的(1条)にも反するとし,会社に過失を認めて,慰謝料100万円の支払いが命じられました。
 研究会では,前記の大問題発言がある以上,男女振り分けのために形だけコース別雇用を導入していたという認定もできたのではないかという意見もありました。
 「納得規範」を重視する私の立場(『人事労働法』(弘文堂)を参照)では,まったく違ったアプローチも可能です。まず本件では,一般職での採用についての十分な説明がされていないとみられるので,納得同意がない事案とみるべきことになります。同書では,コース別雇用そのものは扱っていませんが,人事労働法の発想によると,デフォルトとなる標準就業規則は総合職の労働条件とするのが適切であり,それよりも不利な一般職の労働条件が労働契約の内容に組み入れられるためには,納得同意を得るための誠実説明を行っている必要となります(同書36頁を参照)。また一般職用の就業規則を設ける場合には,「標準就業規則の不利益変更」に準じる手続を設ける必要があります(非正社員の就業規則を設ける場合と同じことになります[同書84頁])。
 本件のように同じ給与規定において総合職と一般職の規定がある場合も,実質的には一般職の就業規則が設けられているのと同じといえます。上記のように総合職をデフォルトで一般職をそこからの逸脱とみる発想によれば,労働者が誠実説明を受けていなければ,逸脱が認められないので,結論として,デフォルトである総合職の就業規則の適用を受けることになります。このように納得同意や誠実説明を重視する人事労働法は,説明をきちんとしていない企業には厳しい結論となります。そして誠実説明としては,総合職であればどのような労働条件となり,それが一般職であればどれだけ差がつくのかということを,その理由も含めて誠実に説明することが重要となります。
 「人事労働法」で処理するかどうかはともかく,いずれにせよ「誠実説明」が不十分な本件では,企業に厳しい判断がなされるべきであり,本件はやや企業に甘い判断ではないかという疑問があります。
 とはいえ,通常の学説や判例は,「人事労働法」とは違い,就業規則に定めるべきデフォルトが何かということを考えないため,本件のように職種の変更で差別があったとしても,実際に職種転換されていたかは具体的な基準がない以上わからないので,地位確認までは認められないという結論になってしまいます。しかし,具体的な基準がないのであれば,不利益取扱い(差別)という認定がほんとうにできるのか,という疑問も出てきます。差別かどうかは,比較可能な誰かと比較して,禁止されている差別的事由に基づく不利益があるかどうかで判断すべきものであり,そうだとすると本件は,このような意味での差別があったという認定は難しいともいえます。そうなると,結局,慰謝料しか認められないことになりそうです。むしろ本件は,女性に対する広義のハラスメントがあったという見方のほうがよいかもしれません。反女性的な人事をことごとく差別法理に組み込んでも,救済のところでつまずきがちなので,差別法理の射程は厳格に維持しておいたほうがよいような気がします。そのようにしても,人格的利益の侵害という面で不法行為での救済は可能なのです。
 もちろん,不法行為では物足りないという論者もいることでしょうが,たとえ本件の会社のように「昭和の匂い」がするレトロな会社のケースでも,労基法4条や男女雇用機会均等法を武器にして裁判で闘っていくのには限界があるように思います。
 だからこそ出てくるのが人事労働法なのです。私は企業が良き経営をするためには,権利義務論で攻めるよりも,どのようにすれば企業をうまく誘導できるかを考えたほうが労働者にとっても得策と考えています。本件は,企業の裁量を広く認める判断をしていますが,裁量を尊重しながらも,企業が良き経営に進むように「つつく」こともまた大切なのです。デフォルトが何かを明確にして企業を誘導するという人事労働法は,男女平等論の分野でも効果的かもしれません。もちろん私は,企業が正当な就業規則を作成して,きちんと納得規範に則って労働契約への組入をしている場合には,それに則した措置の結果がたとえ差別的なものであったとしても,違法な差別は成立しないと考えています。就業規則の制度設計を労働者の納得同意を尊重してきちんと行っている企業は,あとから差別的な措置をしたという評価は受けないという形で,規範的な意味でのインセンティブを付与しているのです。これが前記の「つつく」ことの具体的な意味です(同書61頁以下を参照)。

2021年11月 9日 (火)

経団連はテレワークに前向きに

 経団連が118日に「感染症対策と両立する社会経済活動の継続に向けて - 新型コロナウイルス感染症対策に関する新内閣への提言 -」を出しましたが,そのなかでの「これまで人流抑制や接触削減の観点から,テレワーク等による出勤者数の削減が求められてきたが,今後は,「出勤者数の削減」目標について,科学的な知見を踏まえ,見直すべきである」という一節がメディアに大きく採り上げられていますね。これは,テレワークから通常勤務に戻せというほどの強いメッセージではないようです。善意に解釈すると,自分たちで出勤者数をコントロールするから,政府は余計な介入をしてくれるなということを言いたいのかもしれません。それならまだよいのですが,会員企業には,これまで政府の意向もあり無理してテレワークをしてきたけれど,気兼ねなく社員に出勤を要請できるようにしてほしいといことであれば反対です。
 ちなみに昨日の日本経済新聞の朝刊に,FTのコラムで「出社強制は人材確保の妨げ」というタイトルの記事が出ていました。英米の話ではありますが,コロナ後の働き方に関して,在宅勤務をやめる動きへの警鐘です。日本でも,私が日曜の学会報告をしたときにもふれた時間主権や場所主権の重要性に労働者は気づき始めているのであり,とりわけ若く優秀な人材はそういう傾向を強めています(「優秀」の定義は,決して受験秀才という意味ではありません)。そういう人材に適切な労働環境を提供して,生産性を高めるようにするというのが,企業にとってこれから必要な人事戦略だと思います。経団連が発すべきなのは,コロナが終息してもデジタル化の流れは止まらないので,油断せずに事業体制をテレワーク仕様に組み替えろということです。経団連の会員企業は,昭和の時代に成功した企業が多いので,発想が昭和どっぷりではないかが心配です。新しいことに関心があるふりはしているが,やっていることは超アナログという企業も多そうです。経団連には,これからの日本経済について,しっかり将来の技術環境を見据えたヴィジョンをもった提言をしてもらう必要があります。中西前会長ならどうおっしゃったでしょうか。

 

2021年11月 8日 (月)

全日本大学駅伝

 昨日は学会報告があったのですが,全日本学生駅伝が気になってしまいました。幸い,学会報告が始まる2時半までに終わったので,駒澤大学と青山学院の最終区の競り合いを楽しめました。肝心の田澤廉の大逆転のところは,食事中で見逃してしまいました。実は7区の最初のほうまでは観ていたのですが,6区の東京国際大学のランナーが快走してトップを守り,駒澤や青学とも1分半近く差があったのをみて,さすがに逆転は無理かなと思っていたのですが。田澤はすごいランナーです。それにしても東京国際大学は世界レベルの留学生をなぜ3区に起用したのでしょうかね。いずれにせよ,箱根でときどき名前を聴くようになっていた東京国際大学が,出雲駅伝で優勝し,一躍強豪校への仲間入りしました。今年の箱根も目が離せません。
 ちなみに実況の解説が,瀬古利彦,渡辺康幸,大迫傑と早稲田大学OBで占められていましたね。でも8区の中継では,終盤まで,3人とも青学の飯田選手のほうが,駒澤の花尾選手より有利と言っていましたが,完全に外れました。専門家の判断はあまり当てにならないなと思いました。彼らはみんなランナーとしては偉大ですが,指導者には向かないのかもしれないなと思ってしまいました。
 駅伝のために観られなかったので,後からNHKプラスで観たのですが,将棋のNHK杯は,郷田真隆九段が,渡辺明名人(棋王,王将)を豪快にやっつけました。少し前までは現役最強と言われていた渡辺名人を攻め倒した郷田九段の底力に,多くの将棋ファンは驚いたと思います。もちろん郷田九段はタイトルをとったこともあり,まだA級への復帰の可能性もある実力者でありますが,渡辺名人の充実ぶりからは意外な結果でした。先週,深浦康市九段が藤井聡太三冠をやっつけた将棋も驚きでしたが,時間の短い将棋なのでベテランが頑張れる余地があるとはいえ,反射神経の勝負なら若手のほうが有利なので,うまく序盤からの作戦がはまるかどうかが重要といえますね。先日の日浦市郎八段に,永瀬拓矢王座が敗れた将棋もびっくりでしたし。四強で勝ち残っているのは豊島将之竜王だけとなりました。ベテラン勢では,郷田九段,深浦九段だけでなく,羽生善治九段,佐藤康光九段,丸山忠久九段も勝ち残っています。ベテランではありませんが,名人挑戦経験もある稲葉陽八段も,昨年に続く連覇を狙っていることでしょう。

2021年11月 7日 (日)

学会報告

 今日は,日本労働法学会のワークショップで,労働時間に関する報告をしました。私が以前に書いた『労働時間制度改革』(中央経済社)の議論に,最近のデジタル技術の議論を付加したものです。ワークショップで議論の素材を提供するということなので,私のような尖った見解の人でもよいとコーディネータの島田陽一先生がお考えになったのでしょう。島田先生には,お声をかけてくださったことに感謝しています。もう一人の報告者は,なんと毛塚勝利先生で,労働法の大権威と一緒に報告させてもらうというのは,たいへん光栄なことでした。しかも毛塚先生は,私よりも,もっと尖った報告をされていて,刺激的で,久しぶりに議論をさせてもらうことができてよかったです。毛塚先生は何とか私との対立点を見いだそうとされていたかもしれませんが,対立点よりは,共通点のほうに大事な論点があったような気がしました(労働時間規制の公共的性格や,最後にふれられた環境問題に関することなどがそうです)。もちろん,学会のなかでもコメントしたのですが,毛塚先生と私とでは社会観がかなり違っているので,最後には相容れないところが残るでしょうが,でも,こういう骨のある議論をさせてもらったのは久しぶりで,勉強になりました。フロアからも予想してたよりは質問が出てよかったです。最初に島田先生が警告を発してくださったおかげだと思いますが,建設的な質問が出て良かったです。前にやった解雇の金銭解決のときとは違っていました。
 なお,どなたか忘れましたが,従来型の働き方と自己管理型の働き方の区別について質問されたところで,私はデロゲーションの一環として捉えるべきとする観点から自説に則して回答をしましたが,拙著『人事労働法』(弘文堂)では,この点について,働き方ではなく,従業員を「旧来型従業員」と「自己管理型従業員」に分類したうえで,後者については,一定の基準を法律で定め,それを就業規則で具体化し,納得規範を適用してその適用範囲を定めるという構想を提唱しています(これは私のやってきたデロゲーションの議論の,人事労働法における発展形態です)ので,同書182頁以下も参照してもらえればと思います。
 ところで今日は,私が比較的多く話してしまったせいか,あまりフロアとの対話はできなかったような気がしますね。ワークショップは,ほんとうはフロアの参加者間の横の議論もあってよいのですが,リモートでビデオオフではなかなか難しいです。リモートでも参加者が顔出ししてやる方法もあると思うのですが。将来的には「メタバース」を活用して,アバターを使って臨場感あるワークショップができたら,もっと盛り上がるのではないかと思いました。いずれにせよ,全員が集まるような学会はやる必要はないので,コロナ後も少なくともハイブリッド型でやることは定着させてほしいです。 

The Whole Truth

 邦題は「砂上の法廷」です。Keanu Reeves 主演の法廷映画です。アメリカの法廷では,証人が宣誓のときに,“Do you swear that you will tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth” と言って誓うのですが,この映画で出てくる証人は少しずつ嘘をいいます。以下,ネタばれあり。
 豪邸に住む大物弁護士のBoone が胸をナイフで刺されて死亡しました。犯人として逮捕されたのは17歳の息子のMikeでした。指紋もあるし,自分がやった(正確には,自分がもっと前にやるべきだった)とも言っています。有罪は動かしがたいところでした。Booneの後輩で,この家族と親交のあった弁護士Ramsay が弁護を引き受けます。しかし,Mikeが何も話してくれないので,弁護のしようがありません。Ramsayは,最強の嘘発見器と言われる若い女性弁護士Janelleを助手にします。
 裁判は,Mikeに不利に進行します。Janelle Ramsayに不満を述べますが,Ramsayは,Muhammad AliForeman戦を例に出して,最初は徹底的にロープ際まで追い詰められたあと,最後に逆襲して大逆転するという戦法をとるんだと言います。Mikeの母親のRosettaも証言台に立ちますがMikeが「自分がやった」と言ったという証言をするとともに,自分が夫に虐待されていたことを証言します。実際,Rosettaが,夫に精神的な虐待を受けていたことは,多くの人が知っていたことでした。ただ肉体的な虐待(暴力)の有無はわかりませんでしたが,Rosettaが夫の死んだ翌日の診断書や写真が証拠として提出され,彼女がひどい暴力を受けていたことが明らかにされます。そして,これまで沈黙を守っていたMikeが証言台に立ちます。彼は自分が父親から性的な虐待を受けていたという衝撃の証言をします。そしてその虐待は,チャーター機のなかでもあったと証言しました。しかし,チャーター機の客室乗務員のAngelaは,そんなことは目撃しなかったと言います。その証言を揺るがしたのが,Janelleでした。操縦士のことをたずねろというMikeのささやきを受けて,JanelleAngelaと操縦士がただならぬ仲であったと察知して,コックピットで話し込んでいることがなかったかという質問をします。Angelaは明確な証言ができず,機内での性的虐待がなかったという彼女の証言もゆらいでしまいます。こうして,この殺人は,Mikeが,日常的に虐待されていた母を守るために,そして自身もずっと受けていた性的虐待もあって,父を殺したというストーリーができあがります。しかし,Janelleは,Mikeが偽証をしているのではないか,という感触をもっていました(彼女は嘘を見破る天才です)。Janelleは,Rosettaが真犯人ではないかと疑っているようでした。
 陪審員の評決は無罪でした。評決が出る前に,Mikeは,母親にほんとうに殴られたのかということを質問しています。もちろんRosettaは,それを肯定しますが,Mikeは実はRosettaへの暴力があったことは疑っていたのです。無罪放免となったMikeですが,Ramsayを呼び出します。実はMikeは,犯行現場にいたとき,その場にRamsayの時計があったことを目撃していました。Ramsay はその後に来たはずでした。Mikeは,Ramsayが犯人であると疑っていたのです。そして真実は……。
 最後の時計のところは,それを知っていたのなら,最初から検察官に言うべきであったと思うのですが,なぜ彼が黙っていたのかは釈然としません。ただ,時計があっても,あとから駆けつけたときに落としたという言い訳はできるので,法律専門家志望で頭脳明晰なMikeは,指紋(母の守るために後から自分でナイフを握った)も自白もある自分が言っても仕方がないとあきらめていたのかもしれませんね。ただ母親に偽証までさせていたところから,この裁判の流れは,Ramsayが仕組んだもの(Mikeを無罪にするためではありますが),と感づいたのでしょう。
 この映画は,あまり評判は高くないようですが,私は面白い法廷映画だと思いました。法廷は真実を追究する場であっても,証人はみんな程度の差はあれ嘘をついていました。映画のタイトルは,それへの皮肉なのでしょう。

2021年11月 5日 (金)

エリートの独走を止める専門家の役割

 環境政策がエリート主義になっているという批判があることが,今朝のテレビ東京のモーサテFTで報道されていました。あのTrump支持の保守系メディアのFOXニュースがドキュメンタリーで,風力発電について,原生林伐採で環境破壊につながる,洋上型は漁業に悪影響,故障が多く安定供給に課題という指摘をしており,これは環境政策推進派からも傾聴すべき点があるというコメントがされているそうです。環境政策は理想主義的でありすぎてはならず,地域の人への影響などにも目を向けよということです。私たちは正しいことをしているのだから,庶民は多少の犠牲があっても甘受して,私たちについてこい,というのがエリート主義であり,そういうものであってはならないということでしょう。
 私はエリート主義を言う前に,まずその政策目的が正しいのかどうかの確認が気になります。その方向性さえ正しいと確認できれば,そこに向けた利害調整を根気強く進めていくということが,私たちの社会において大切なことになります。ただ,何が正しい方向性かを,誰がどのように判断すべきなのでしょうか。民主主義社会では,国民が判断するということになるのでしょうが,専門性が高い問題については,素人が判断するのは危険です。専門家と国民との対話が必要ということです。専門家には,できるだけ価値判断を交えずに,専門的知見をわかりやすく国民に提供してほしいです。できれば対立する意見がある場合には,それを冷静に比較して紹介する立場もあってほしいです。ほんとうは,それがメディアの役割なのですが,メディアにその能力があるかが心配です。
 ちなみに私の分野でいうと「同一労働同一賃金」というウソは,驚くほど浸透してしまい,どうしようもありません。同一労働であれば,同一賃金がもらえるなどと,どこにも書いていないにもかかわらず,そういう法原則があると世間は思っています。厚生労働省のHPをみれば,きちんと書いてあると言う人もいるでしょうが,むしろ国民の多くが誤解をしていることを重視するならば,世間が思っているような「同一労働同一賃金」ではないということを丁寧に説明することこそ,行政の責任だと思います。それをやらないから春に受けたNHKの取材でも,私がいくら論拠を提示して丁寧に説明しても,エリート官僚が支える行政のほうが私より信頼があるので,納得してもらえないということが起こります(最終的には,それなりに私の説明をとりいれた記事になりましたが)。これはメディアを信用しすぎることは危険ということを示しています。
 もちろん法学の分野は価値観から逃れられることが難しいので,専門家の意見の客観性や中立性はあまり当てにできないかもしれません(私の意見も批判的に聞いてもらってよいのです)が,少なくとも自然科学の領域では,客観的な議論が可能なはずなので,専門家が,自分の専門領域で,責任をもったわかりやすい発信をしてもらえればと思っています(そういうことをしてくれている研究者もたくさんいると思いますが)。国民への発信は,専門家相手に論文を書くときや研究費を申請する場合の作文の場合とはまったく違う姿勢で臨まなければならず,エリート主義的な視線ではダメです。それは簡単なことではなく(ときには厳密性を多少犠牲にする必要も出てきます),研究者としての業績にもつながらないかもしれませんが,でもそれをやらなければならないのでしょう。

2021年11月 4日 (木)

履修主義から修得主義へ

 日本経済新聞の随時連載の「教育岩盤」は重要な問題を扱っていると思います。今朝の日本電産の永守会長の意見は,写真からして迫力満点です。この方は,口だけでなく,実践しているので,説得力があります。
 大学までで学ぶことと,これからの社会の求めるものとの不一致が気になります。それを放置していると,子どもたちにとても無意味な時間の使い方をさせることになるからです。永守氏は親のブランド志向にもダメ出しされているが,おっしゃるとおりです。東大卒や京大卒というだけでは何も価値がない時代が来ます。あたり前のことですが,何ができるかということが問われます。デジタル社会は,良いか悪いかはともかく,可視化の社会のように思えます。過去の学歴だけにこだわっていても,実力がなければすぐにわかってしまう時代が来ます。20歳そこそこで得た学歴がいつまでも通用するなんて悠長な時代はもう来ません。自分は何ができるかを可視化して,企業に具体的にどのような貢献ができるかということを示さない人は就職できないようになります。逆に,そういう人選をしないような企業は沈没して市場から退出するでしょう。永守氏のような経営者が成功してモデルとなってくれればよいですね。
 もう一つ,同じ特集で,電子版(紙版ではもう少し後で掲載されるのでしょうかね)に出ていた「小中高の変化は不可避」という玉川学園理事長の小原芳明氏の意見にも,基本的にはほぼ賛成です。仕事が変わっていくのだから,大学も変わらなければならないし,そうなると小中高も変わらざるを得ないだろう,ということです。
 そこで指摘されている履修主義から修得主義へという点は,すでにかなり議論の蓄積があります。文部科学省の資料では,履修主義とは「所定の教育課程を一定年限の間に履修することでもって足りるとする」もの,修得主義は,「履修した内容に照らして一定の学習の実現状況が期待される」ものと定義されています(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/senseiouen/mext_01515.html)。簡単にいえば履修主義は出席重視,修得主義は成績重視ということですが,リモート環境で,AIをつかって学習するという,これからの教育においては,小中高でも修得主義をもっと徹底させて,本人の成績や意欲に応じて,どんどん高度な内容の学習ができるようにしてもらいたいものです。それについていけない子も出てくるでしょうが,そこは人間の教員がサポートするのです。大事なのは個人の学習の権利をどう充足するかで,それは最低限の教育保障+個人にあった教育の保障の両方がなければならず,従来の教育体制では二兎を追うことはできない感じでしたが,AIを活用したadaptive learningであれば,二兎を追うことも可能となるでしょう。
 学習は苦手なものを克服するために行うのではなく,得意なものを伸ばすために行うべきです。数学が苦手な人は苦手でもいいのです。苦手な科目は,いかにしてそれをテクノロジーでカバーできるかを勉強したほうがよいのです。計算が苦手な人は,どうやったらEXCELをうまく使えばよいかを勉強したほうがよいのと同じです。私は,電気関係のことが得意でなく,故障した家電の修理などは苦手で,ずっとそういうことにはコンプレックスを感じていましたが,だからといってその方面のことを勉強して克服する必要はなく,そういうことに詳しくて,いざというときに助けてくれる知り合いをもつことに力を入れるほうがよいのです。
 最低限のことがテクノロジーでできるようになると,人間はもっと個性にこだわっていけると思います。個性を活かす教育課程のあり方としては,やはり修得主義が適しているのでしょう。それを徹底すると入試も不要となります。自分がAIを活用して修得したものがデジタルデータとして蓄積され,AIがそれに合った仕事を紹介してくれることにもなるでしょう。
 文部科学省では偉い先生が集まって子どもの教育のことを必死に考えてくれているのだと思います。その際には,今回の永守氏や小原氏のような現場を知っている人の改革論を吸い上げながら,21世紀型のデジタル社会にふさわしい教育システムを構築してもらえればと思います。自分たちの孫やひ孫に受けさせたいという教育をぜひ考えてもらいたいですね。

2021年11月 3日 (水)

前川孝雄『人を活かす経営の新常識』

 FeelWorks の前川孝雄さんの本です。いつもご著書をお送りいただき,ありがとうございます。経営者に向けた実務書ですが,いろいろ参考になるところがあります。
 本の構成は8章,50講というものになっています。
 第1章「“働きがい”こそ現場改革の原動力」,第2章「若手世代をいかに育てるか」,第3章「真の女性活躍はこれから」,第4章「ミドル・シニアこそキャリア自律を」,第5章「コロナ禍に打ち克つ経営とは」,第6章「リモートワークで問われるマネジメント改革」,第7章「ハラスメント予防は職場ぐるみで」,第8章「これからの人を活かす会社の条件」という魅力的な見出しがついた章で構成され,今日の人事管理上の問題がほぼカバーされていると思います。話は具体的でわかりやすく書かれています。
 いくつかのテーマについてふれると,第48講の「『雇用を守る』経営は,社員を大切にしているのか」は,重要な問題提起であり,まさに本書のタイトルにある「新常識」として経営者も政策担当者も考えていかなければならないことです。第12講の「若者の公務員・大企業離れは日本型組織への警鐘」は,まさに同感です。
 第5講「自らやる気を高められる人は強い」は,内発的動機の重要性を説いています。研究者の世界でも,何のために研究をしているのかという動機付けがはっきりしていない人は,そのうち論文を書かなくなり,順番で当たってくるような判例評釈や解説記事のようなものしか書かなくなってしまいます。学位をとる,どこかの教員ポストを得るという動機だけで研究者になった人は大成しないでしょう。これは研究者の世界の話ですが,他の分野にもあてはまるでしょう。いかにして自分の仕事を,自分のやりたいものにして,それに前向きに取り組めるようにするか(日曜の夜がブルーになるということがないようにしたいものです)。若いときは,それができるようにするための準備期間なのです。その意味でも,第7講「『石の上にも三年』は時代遅れ」は重要な指摘です。この本では,上司たちの若者への接し方についてのアドバイスとして書かれていますが,私は日頃から若者に向けて,3年その会社で我慢できるほどの価値があるか,将来への準備となるか,というようなことをよく見極めたほうがいいと言っています。

 

2021年11月 2日 (火)

不審行動検知AIの導入

 京王線の無差別殺人未遂事件は恐ろしいです。8月の小田急線の事故よりも悪質性は増していますね。
 私たちは海外にいくと電車に乗るとき,とても緊張していますよね。スリにあわないようにすることが,最も気を付ける点ですが,不審な人がいないかも注意します。注意しすぎて,怖い表情になっているかもしれませんが,そんなことは気にしていられません。しかし日本に帰ってくると,一転して気が緩みます。外出時にリラックスしたままでいられるのは,日本にいることの最大のメリットです。電車のなかでもそうです。しかし,今回のような事件があると,やはり日本でも油断しすぎてはならないのでしょう。日本における安全はタダという感覚は捨てて,安全に電車に乗りたいならば,電車内のあちこちに監視カメラがつけられることも受け入れなければなりません。さらに,駅のホームの監視カメラも含めて,AIで不審行動の検知ができるようにするなどの費用は,税金と運賃値上げなどで,みんなで負担するといったことも考えるべきなのかもしれません(低所得者に対する公共交通機関の優遇サービスとセットで)。
 もちろん,監視社会への恐怖はあります。法的には,個人情報保護法を遵守し,プライバシーへの配慮することも必要です。ただ,まずは技術的にどこまで不審行動の検知が可能か,またコストはどの程度のものかを明らかにしてもらったうえで,個人の安全をどう守るか,そしてそのために私たちはどの程度のコスト(プライバシー侵害のコストも含む)なら支払えるかといったことを議論できたらいいですね。
 Steven Spielbergが監督で,Tom Cruise主演の「Minority Report」(2002年)は,殺人予防のための「殺人予知システム」がある未来社会をテーマにしたSF的サスペンス映画です。有名な映画なので,観たことのある人も多いでしょう。どんなに素晴らしい技術でも悪用される危険はあります。この映画で,Spielbergは,その危険性に警鐘を鳴らしたかったのでしょうが,それを何とか乗り越えて技術を活用しなければならないと思っています。

2021年11月 1日 (月)

株式市場は好感

 衆議院選挙で,自民党は276議席から15議席減らしたものの,絶対安定多数はキープして,ほっとしているところでしょう。立憲民主党は議席を減らし,一方,維新が躍進したということで,株式市場は,同じように分配を言いながらも,共産党とくっついた立憲民主党の勢力が弱まり,自民党の分配政策ならまだましで,一方で維新の勢力拡大のため,維新のいう改革にも耳を傾けなければならないということで,ちょうどよいくらいの結果だという受け止め方だったのではないかと思います。今日の日経平均754.39円の大幅上げは,そのためでしょう。改革なしで分配優先というのが,おそらく株式市場的には最悪の結果で,そうなると日本売りも起きていたかもしれませんが,それは回避できたというところでしょうかね。
 今回の選挙では,大物議員が選挙区で負けたのも興味深いです。野田毅,小沢一郎,中村喜四郎まで敗れたのはびっくりです。要するに,もうあなたちの時代ではないでしょう,仕事をもっとしてくれる人に国会に行ってもらいたいという有権者の声ではないかと思います(二階元幹事長は強かったですが)。石原伸晃は比例復活もできずに落選となりましたが,実績がないまま多選している国会議員に厳しい判断が下されたのでしょう。自民党や立憲民主党といった政党に関係なく,有権者が個人の働きぶりをみるようになっていて,それでダメだと思う人たちは,大阪で行動力を発揮している吉村知事のイメージが強い維新に投票するか,棄権をしたというところでしょうかね。
 欧州の国でもみられるように,最終的には中道左派対中道右派という構図に収束していくとは思います。極左も極右も一定の支持はあるし,ときどき風が吹いて躍進しますが,安定的ではないでしょう。日本は,立憲民主党が共産党と組んで,かなり左のほうに引きずられました。それが比例票を減らす原因となったのでしょう。共産党も共闘により埋没しないように,アイデンティティにこだわったために,支持者のウイングを広げることに成功しなかったのではないかと思います。
 保守層は,リベラルな政策をとるのはよいが,財源をどうするのか,というところについて疑問をもった可能性があります。岸田政権は,分配重視といっても,それほどラディカルなことはしないだろうとみて,今回は自民党が票をとりましたが,そこに不安をもった保守層が維新に流れた可能性があります。
 立憲民主党は,国民の求めているものを間違えたのかもしれません。分配だけなら,実は自民党もかなりやってきたし,岸田政権もやるといっているのです。若者が求めているのは,単なる分配ではなく,未来につながるような改革なのです。これは長期的な視点での「分配」ともいえます。コロナ対策はそれとしてやる必要はあるが,将来展望をどう描くか。そこのところで,強く訴えかけていたのが維新や国民民主党だったと思います。しかし維新や国民民主党は政権をとるほどの力はありません。立憲民主党は,うまく右側にもウイングを伸ばし,リベラル一辺倒ではなく,未来につながる政策をどこまで説得的に打ち出せるかが勝負となります。自民党も浮かれてはいられないでしょう。来年の参議院選では,落選予備軍はいっぱいいると思います。選択的夫婦別姓に反対などの,古い価値観にこだわり自由な選択を認めないような政党は,将来展望を描けない政党とみなされて,若者は離反していくことでしょう。

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