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2021年10月の記事

2021年10月31日 (日)

竜王戦第三局

 世間は衆議院選挙で盛り上がっています(神戸市長選はあまり盛り上がっていません)が,将棋ファンは,竜王戦の結果が気になります。豊島将之竜王に藤井聡太三冠が挑戦している竜王戦は,藤井三冠2連勝のあと,第3局も藤井三冠が勝ち,竜王奪取,最年少4冠に王手がかかりました。第3局は最初は互角でしたが,途中から藤井三冠が勝勢となり,そのまま押し切りました。今回も完勝ですね。藤井三冠は豊島竜王に自信をもって対局しているようです。そんな藤井三冠ですが,今日放送のNHK杯では,深浦康市九段にまさかの敗戦です。深浦九段には,5月の王座戦の挑戦者決定トーナメントでも敗れているので,苦手なタイプなのでしょうかね。深浦九段は,かつて羽生善治九段の全盛期にも互角に戦っていたことがありました。深浦九段は,王位3期の実績があり,元A級棋士でもある実力者ですので,番狂わせというのは失礼ですが,藤井三冠に2連勝するのは,やはり驚きです。藤井三冠は,NHK杯には,初出場のときは,3回戦で(準優勝した)稲葉陽八段に破れ,翌年は今泉健司四段に破れ(これは本当に番狂わせでした),その翌年は,2回戦で久保利明九段に敗れ,昨年は木村一基九段に2回戦で敗れ,そして今回は初戦で深浦九段に敗れてしまいました。時間が短い将棋なので,序盤からじっくり考えて指す藤井三冠にはあまり合わないのでしょうか。今日の対局も,早い段階で深浦九段の作戦にはまった感じで不利な状況に追い込まれ,時間もなくなり,結局,挽回ができませんでした。NHK杯に勝てないのは,将棋界の七不思議になるかもしれませんね。
 順位戦は,A級は現在,順位と成績順がほぼ一致しているという状況です。唯一違うのは,順位が8位の羽生九段が13敗と出遅れて,成績順位で9位になっていることです。山崎隆之八段が4連敗で苦しい出だしで,このあとの対局者をみても残留はほぼ絶望的でしょう。羽生九段もピンチですが,ここから底力を出すような気がします。しかし順位が悪いので,あと2敗するようでは,まさかの陥落があるかもしれません。

 

2021年10月30日 (土)

オリックス優勝

 パリーグでオリックスが優勝したということで,神戸も盛り上がっていると考えておられる方もいるかもしれませんが,少なくとも私の周りにはそういうムードはありませんね。別にオリックスに何か問題があるということではなく,オリックスは神戸の球団ではないのです。地元の人間は阪神ファンか,ひねくれた人のなかでの巨人ファンが多く,オリックスにほとんどの人は関心がありません(言い過ぎでしょうか?オリックスファンの人,ごめんなさい)。監督が誰かも知りませんし,知っている選手もいません。と思っていたら,吉田正尚選手はオリックス所属だったのですね。私はこの選手は,小さい身体で豪快なスイングをするので大好きです。
 昔は地元に阪急ブレーブスというチームがあって,いまはすっかり阪神応援団になってくれている世界の盗塁王の福本豊さんや,長池,加藤,投手では,梶本,足立,米田,山田投手らが活躍していました。阪急は西宮球場が本拠地で私も小さなときに何度か通いました。巨人のV9時代,パリーグでは阪急の黄金時代がありましたが,そのときでもファンの数は圧倒的に阪神のほうが多かったです。
 私がまだ大学院生のころ,たぶん労働省関係だと思いますが,三六協定の調査に駆り出されて,オリックスに訪問したことがありました。そのとき,むこうの担当者から,オリックスって何の会社か知っていますかと,いきなり逆質問をされたことをよく覚えています。どのように答えたかは忘れましたが,会社の認知度を気にされているのだなという印象をもったことをいまでも覚えています。いまやオリックスは誰もが知っている会社ですけどね。
 今年の交流戦でダイエーや西武があまり強くないと感じてはいましたが,まさかオリックスが優勝するとはびっくりです。オリックスファンは,関西では,阪神が優勝すると,たとえオリックスが優勝しても話題をもっていかれるので,阪神の優勝をひそかに望んでいなかったとか。それくらいオリックスは関西でも目立たないチームです。余計なお世話かもしれませんが,どうすればオリックスに親近感をもてるか自分自身のことを考えてみると,いまはなき阪急や近鉄へのノスタルジーが邪魔をしているのかもしれません。ちなみにサッカーのヴィッセル神戸は,地元のチームという感じで,私の印象では,神戸人としては,オリックスより楽天のほうに親近感があります。楽天は野球のほうでは仙台のチームなのですが。

最高裁裁判官の国民審査制と裁判官の意見

 今朝の日経新聞に,「国民審査投票に意思込めよう」という社説が出ていました。確かにそうなのですが,簡単なことではありません。
 今回の衆議院選挙の際には,最高裁の裁判官の国民投票も行われます。
 憲法792項は,「最高裁判所の裁判官の任命は,その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し,その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し,その後も同様とする」とし,同条3項は,「前項の場合において,投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは,その裁判官は,罷免される」と定めています。
 私たちが判例の研究をするときでも,下級審判決と最高裁判決はまったく重みは異なり,最高裁判決の権威は別格です。それだけ最高裁の裁判官の責任は重大なのです。
 最高裁の裁判官は,裁判所法11条により,裁判書に意見を表示しなければなりません。実際には全員一致とだけ書いてあって,個人の意見が表示されないことが多いのですが,反対意見や補足意見という形で個人の意見が書かれることもあります。よく最高裁は自分の意見を書くことができるという言い方をしますが,法律上は自分の意見を書く義務があるといえるのです。ただそれが多数意見と同じであれば,「右に同じ」でよいということです。
 反対意見には自分の名前が出るだけに,インパクトが強いものがあります。先日言及した秋北バス事件の反対意見もそうですし,個人的には,第二鳩タクシー事件(最大判昭和52223日)の反対意見は,不当労働行為制度の根幹にかかわる問題にふれており,研究者はもっとこれに向き合う必要があると思っています。最近では,判例評釈をした福山通運事件の草野・菅野裁判官の補足意見は面白かったです。このような名前を出した意見がなければ,国民審査で評価しようにもやりようがありません。どなたも人格識見だけみれば,非の打ち所がないはずですから。
 昨年10月の旧労働契約法20条関係の5裁判は,世間で注目されたもので,私もこれについては,新聞,ムック,専門誌などの媒体で論評してきました。この5判決のうち個人の意見があったのが,第3小法廷のメトロコマース事件における宇賀裁判官の反対意見だけでした。宇賀裁判官の,退職金の一部支給を認める内容の結論に賛成する人も多いでしょうが,労働法の研究者からすると,理論的な貢献をしてもらえるような反対意見ではありませんでした。秋北バス事件のときのように,そもそも契約とは何か,というような格調高い反対意見を望むのは,今日では難しいのでしょうかね。労働契約法20条に私法上の効力を認めるのはおかしいよね,という普通の法律家なら誰もがもちそうな感覚を示す最高裁の裁判官が一人もいなかったことに,私はある意味で衝撃を受けています(追記:2018年6月1日の2判決を含めると,第1~第3のすべての小法廷で事件が係属しました)。もしかしたら人選に問題があるのではと,思わざるを得ません。国民審査という出口でチェックするのもいいですが,入口(選任)のところでのチェックということもあってよいのではないでしょうかね(憲法791項は,内閣の任命権を定めていますが,国会での公聴会くらいは許容していると解されないでしょうかね)。
 ただ,それとは別に最高裁の裁判官は激務です。上記の宇賀裁判官の例でいうと,最高裁のHPに,宇賀裁判官が関与した主要な裁判というのが紹介されています(最高裁において関与した主要な裁判(宇賀裁判官)(令和2年) | 裁判所 (courts.go.jp))。これだけ多くの重要事件を扱い,かつ反対意見もかなり書かれていて,これは大変なことです。宇賀裁判官は,学者としても一流で著作も多いので特別であり,普通の裁判官は,これだけの数の事件をこなしながら,個人の意見を書くのは難しいでしょう。しかも分野は自分の専門とするものばかりではなく,あらゆる分野に及ぶのです。だから優秀な調査官がサポートするのですが,全員一致という判決をみると,裁判官として意見を言うことができなかったのだなと思ってしまいます。激務なのはわかりますが,裁判所法の規定に鑑みれば,たとえ短いものであっても,個々の裁判官の意見を書いてもらいたいですね。
 国民審査に,多くの国民は関心はもっていませんし,多少関心をもっていても,著名事件での賛成や反対だけで裁判官の評価をすることになります。それは必ずしも望ましいことではないでしょう。最高裁の裁判官が,一つひとつの判決に,しっかり自分の意見を刻むということは,憲法上の要請である国民審査を意味のあるものにするためにも重要なことです。
 研究者の感覚からすると,他人と同じ意見というのは恥ずかしいことで,たとえ結論は同じでも,何らかの意見を一言書きたくなるものです。まあ最高裁は,そういう雰囲気の場ではないのでしょうし,そもそもそんな余裕がないほど忙しいのだと思いますが(かつて滝井繁男先生から,その仕事の大変さはお聞きしたことがありました)。

2021年10月28日 (木)

プリマ労働法

 安枝英訷・西村健一郎『労働法』(有斐閣)を,いただきました。どうもありがとうございました(労働法第13版 | 有斐閣 (yuhikaku.co.jp) )。安枝英訷先生が急逝されたのは,2001年ですね。もう20年も経ちました。その後は,西村先生がお一人で改訂されているのでしょうね。
 今回で第13版で,奥付で確認すると7年ぶりの改訂です。初版をみると1986年です。某大先生からは,「何も難しいことが書かれていない」と揶揄されていたこともありましたが,いつしか初学者が最も安心して手に取ることができる「本格的な」労働法の教科書という評価が定着してきました。昔はもう少しコンパクトであったような気がしますが,労働法の「肥大化」にともない,本書も450頁を超えるものとなっています。もちろん,クオリティの高さは変わっておらず,平易さが競い合われる労働法教科書業界のなかでも,本書は別格の地位を占めているといえるでしょう。
 本書は,共著の教科書に対する懐疑的な評価を吹き飛ばすことにも,大きく貢献したのではないかと思います。私のような異説の塊のような人間は教科書を共著で書くことは考えられないのですが,そこまで行かなくても共著はクオリティの高いものを出すのは難しいと思うのです。しかし安枝先生と西村先生は,関西の労働法学のなかでは,やや違ったテイストの労働法理論をもっておられ,そうしたお二人が互いに尊敬しながら,抜群のコンビネーションを発揮して実現したのが本書でした。安枝先生亡き後も,西村先生は,おそらく安枝先生ならこう考えるであろうというようなことを思いながら改訂作業をされたのではないかと拝察いたします。本書が少しでも長く改訂されていくことを祈っています。担当の一村さんには,引き続きしっかり頑張ってもらうことを期待します。

2021年10月27日 (水)

秋北バス事件

 LSの授業は,2週にわたり,就業規則がテーマでした。労働契約法が制定されて,秋北バス事件判決(最大判昭和43年12月25日)の意義は小さくなりましたが,やはり労働法の授業をやるうえでは,この判決を詳しく扱わざるを得ないでしょう。改めて秋北バス事件判決を,反対意見まで含めてじっくり読むと,忘れてしまっていたことがよみがえってきます。やはり既に法律がある分野の論点と,法律が何も規制しておらず,新たな法的ルールが求められている論点では,判決のもつ「緊張感(?)」が違うような気がします。秋北バス事件は,まさに後者の論点に関するものであす。
 私にとっては,この判決は,反対意見も含めて,博士論文の原点となるものであり,この多数意見の「合理的であれば従え」という法理への違和感が,私の労働法理論のベースになっています。労働契約法の制定により,就業規則の不利益変更は,単なる条文の解釈の問題となってしまった感がありますが,法律ができても実際の紛争の解決には必ずしも役立つものではないため,やはりこれまでの判例をしっかり読み込まなければ,条文を使いこなすことはできないでしょう。最高裁の裁判官がどのように考えて秋北バス事件判決にたどりつき,格調高い反対意見を書いた裁判官とどのような議論を戦わしたか,第四銀行事件(最2小判平成9年2月28日)で,どのように反対意見を書いた河合裁判官が孤軍奮闘したかを考えてみることは,実務家となるうえでの貴重な訓練となることでしょう。

Contagion

 こんな映画があったのですね。感染症の恐ろしさを予言するような作品でした。香港発の感染症。あっという間に世界中に感染が広がる恐怖。ワクチンをめぐる狂騒。デマを流すインフルエンサー。重要情報を家族にこっそり流すCDC(Centers for Disease Control and Prevention)の責任者。ワクチンを主要国で独占することへの反発(ワクチンを入手するためにWHOの職員の誘拐事件も起きます)。ワクチン接種済みの場合にリストバンドをつける。などなどコロナ禍の現在にも教訓となるようなことが描かれていました。10年前の映画ですが,まさに現在の問題を扱っているようなリアリティがあります。もう遅いかもしれませんが,今からでも観ておいたほうがよいでしょう。
 映画自体は,スーパー・スプレッダーとみられるベスが誰からウイルスをうつされたかを探っていくところが興味深いです。監視カメラなどで彼女の行動はすべて把握されていました。ベスは香港の出張の際にカジノで多くの人と接触していました。しかも帰りの飛行機の乗り継ぎに時間の余裕があったことを利用してChicago で元カレと不倫をしています。そしてMinneapolisの自宅に帰ったあと発症して死亡し,息子も感染して死亡します(夫は免疫があったために感染しませんでした)。葬儀も満足にできません。実は,ベスの会社は,自然破壊をして,こうもりと豚を遭遇させ,恐ろしい感染症を生み出したというこの映画のオチは,COVID19の感染源をめぐる推測にも影響しているかもしれませんね。

  ところで話は変わって,連日,書いてきたプロ野球セリーグは,ヤクルトの優勝で終わりました。阪神は最終戦で完敗でした。でも最終戦まで優勝の可能性を残してくれたのでよかったです。クライマックスシリーズはあまり関心がありませんが,一応,応援はしたいと思っています。今シーズンうまく逃げ切れなかったのは,いろんな理由はあるでしょうが,まさかのヤクルトの追い上げがあったことが大きく,ヤクルトを褒めるべきでしょう。阪神はヤクルトにそれほど負けていないので,ちょっと悔しいですが,来季に向けてしっかり補強してもらいたいです。

2021年10月25日 (月)

『子供の貧困が日本を滅ぼす』

 日本財団子どもの貧困対策チーム『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼすー社会的損失40兆円の衝撃』(文春新書)は,5年前になると思いますが,執筆者のお一人の小林庸平さんからいただいた本です。お礼が遅くなりすぎて,申し訳ありません。いつか採り上げなければならないと思いながら,子どもの貧困を他人事と考えず「ジブンゴト」として捉えよというメッセージがつよすぎて,すんなり受け入れることができませんでした。個人的には,子どもの貧困が他人事とはもともと思っておらず,子どもの教育の重要性は十分に承知しており,貧困家庭の子どもが十分に教育を受けられないことは,大きな社会的損失となるだろう(小林さんが第2章で損失額を算定されています),ということは十分に想像できていましたが,ちょっと本のつくりが感覚的に気に入らなかったのでしょうかね。
 でも,いま改めて手に取って読んでみると,やはりこの本は重要なメッセージを発していると思います。とくに私たちの社会において,よき社会的相続(自立する力の伝達)ができるようにすべきという指摘は,とても重要だと思います。私は,子どもというのは,社会で育てるべきものであり,もちろん親が第1次的責任者ですが,自分の子に限定されずに,あらゆる子たちへの教育に関心をもって尽力することこそ,私たちの責務であると考えています。自立する力だけでなく,社会における文化や伝統を守りながらも,新しいもの(その代表がデジタル技術)を積極的に取り入れて変化に対応できる力を習得させ,自然の脅威に左右されながらも,それを乗り越えるために,祖先が蓄積してきた叡智を継承することなども,教育の役割です。たんに経済的な自立だけでなく,人類や社会の持続のために何ができるかを,子どもたちに伝えていく必要があるのです。そのような観点から貧困家庭の問題を考えていく必要があるのでしょうね。本書でも書かれていた,こうした分野で活動しているNPOへの寄付などは,個人がすぐにでもできる社会的貢献だと思います。
 政府は,内閣府に「こども政策の推進に関する有識者会議」を立ち上げています。メンバーをみると,ちょっと偉すぎる人ばかりで,「こども」を論じるには,ややいかつい感じがしますが,それを多くの臨時構成員が補うという感じでしょうかね。政権が代わって,自民党総裁選でこどもに関する政策を言っていた野田聖子氏が,少子化担当などの子ども政策関係の大臣となり,岸田内閣のナンバー2にもなったので,こども庁創設に向けた動きは継承されるのでしょうが,ここでもまたスピード感が気にはなります。また衆議院選挙では,子育て世代へのお金のばらまきがここでも競われている感がありますが,親にお金をばらまいても意味がありません。 むしろお金がなくても教育を十分に受けられるような組織や制度の整備が必要でしょう。加えてPCやタブレットは無償で提供し,ネットワーク環境も誰でも無償で利用できるようにするなど,種々の教育・学習サービスに無償でアクセスできるようにするなどの支援も必要です。すぐに個人にお金をばらまきたがる政党や政治家は困ったものです。

 

 

2021年10月24日 (日)

四畳半襖の下張り

 永井荷風の戯作といわれる「四畳半襖の下張り」がKindle unlimited に入っていたので,読んでみました。法学部生なら誰でも知っている春本で,いまから約40年前の19801128日の最高裁判決により,この作品を雑誌の編集長として掲載した野坂昭如他1名の有罪が確定しました(罰金10万円)。
 刑法の175条(わいせつ物頒布等の罪)でいう「わいせつ物」とは,いったい何なのでしょうか。判例は,わいせつを「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ,かつ,普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反するもの」と定義しており(1957年3月13日のチャタレー事件の最高裁大法廷判決),これは法学部生なら誰でも知っているものです。
 そして,最高裁は,「本件『四畳半襖の下張』は,男女の性的交渉の情景を扇情的筆致で露骨,詳細かつ具体的に描写した部分が量的質的に文書の中枢を占めており,その構成や展開,さらには文芸的,思想的価値などを考慮に容れても,主として読者の好色的興味にうつたえるものと認められる」として,刑法175条にいう「わいせつの文書」にあたるとした原判決の判断は正当としました。
 作者側の視点としては,この基準に基づいて,「猥褻文書」と評価されるのは,作家としての技量を評価されたようなものですから,軽い罰金ですむのなら,むしろ有り難いと思うでしょう。
 この判決の裁判長の栗本一夫は,あの栗本慎一郎のお父さんですね。前にも書いたと思いますが,『パンツをはいたサル(増補版)』(現代書館)の139頁以下に,栗本慎一郎がこの判決を例にしながら,法とは何かということを論じています。
 医学部の学生が人体解剖をするように(?),LSの学生も,猥褻文書を読んで自分で判断するということをやってみてもよいかもしれません。私には「四畳半襖の下張」の文学的価値がどれだけあるのか評価能力はありませんが,国家が刑罰で猥褻文書として抑止するような本ではないと思います。いまのようにネット上に過激なものが流通している今日,あのような作品をみて「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ,かつ,普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反するもの」とされていた時代が懐かしく思えますね。
 
 さて話はがらっと変わって今日の阪神タイガースですが,デイゲームで広島に快勝しました。期待どおりにサトテルが久しぶりのホームランを打って,伊藤将も好投して10勝目をあげました。中野も含めて新人が活躍した今シーズンにふさわしい勝ち方です。ただヤクルトがナイトゲームで巨人に勝ったので,ヤクルトのマジックは2に減りました。これで今後引き分けがなければ話は簡単になりました。ヤクルトが残り3試合で2勝以上すれば優勝。ヤクルトが1勝2敗となれば73勝52敗(勝率0.584)で,阪神が26日の最終試合の中日戦に勝っていれば78勝55敗(勝率0.586)で優勝。それでは阪神が中日戦に負ければおしまいかというと,そうではなく,77勝56敗で勝率0.579ですが,もしヤクルトが3連敗すれば72勝53敗で勝率0.576となるので,阪神の優勝となります。ということですが,実際には26日の中日戦に勝たなければ,優勝はほぼ絶望的でしょう。最終戦は,中日は柳でしょうかね。阪神は肩の心配がなければ高橋ですが,最多勝を確実にした青柳が今季の最後を飾って先発する可能性もあります。最終戦なので,青柳→高橋のリレーというのもあるかもしれません。いずれにせよ26日に阪神が負けてヤクルトが勝てば,そこでヤクルトの優勝が決まります。

 

2021年10月23日 (土)

竜王戦第2局

 竜王戦第2局は,藤井聡太三冠の快勝でしたね。この強さは驚きです。もう誰も止まられないという感じです。順位戦も,B1組で,郷田真隆九段に勝って61敗です。2番手であった千田翔太七段が稲葉陽八段に負けたので,トップの佐々木勇気七段(6連勝。今回は空け番)に次ぐ2番手に浮上しました(昇級は2人)。残り5局で,佐々木七段,千田七段との対局は残っていますが,佐々木七段とともに1期でB1組抜けの可能性が高まってきましたね。
 王将戦の挑戦者決定リーグは,羽生善治九段が31敗と先行していますが,藤井三冠はまだ2戦しかしておらず(2勝),今後どうなるかわかりません。竜王戦で戦っている豊島将之竜王や永瀬拓矢王座との対局も残っているし,羽生九段との直接対決も残っています。羽生九段とのプレーオフのようなことになれば盛り上がるでしょうね。

 話は変わって,セリーグのペナントレースは,昨日,ヤクルトの試合が雨天中止となったため,前にやった計算はやり直しになりました。今日はヤクルトが負けて,阪神が引き分け。ヤクルトのマジック3は減りませんでした。しかし今日で巨人はクライマックスシリーズ出場が決まり,広島はその希望が絶たれました。これにより両チームは,残りが消化試合となります。ヤクルトは残り4試合のうち,巨人が1試合,広島が2試合です(残りはDNA)。阪神は残り2試合のうち広島が1試合です。阪神が連勝しても,ヤクルトが31敗でいけばヤクルトの優勝です。対戦相手の状況からは,ヤクルト優勝が濃厚となったような気がします。今日はヤクルトはデイゲームで大敗したので意気消沈していたでしょうが,阪神が引き分けたのでほっとしたことでしょう。
 ただ明日24日阪神が広島に勝って,ヤクルトが巨人に負けると面白くなります。そうなると,ヤクルトはマジック3ですが,残り3試合で一つでも負けて,阪神が最終試合の中日戦に勝てば逆転優勝となるからです。ひょっとすると26日に阪神優勝ということもないわけではありません。阪神は近本が離脱したのは痛いですが代打で出場することはできそうです。最後にサトテルの大砲で決めるというのを見たいですね。明日は新人の伊藤が10勝目をかけての登板。相手も現在12勝で最多勝がかかっている久里(阪神の青柳が13勝でトップ)。熱戦を期待したいですね。

2021年10月22日 (金)

日経クロステックに登場

 昨日アップロードされた日経クロステックの「ギグワーカーとは何者だ,あいまいな立場と法の保護からこぼれ落ちる現実」というタイトルの記事に,私のコメントが掲載されています(担当は,外薗祐理子さん,馬本寛子さん)。たぶん,このメディアには初登場ですよね。5月に日経新聞の経済教室でギグワーカーのことを書いていたので,それを読んだ担当者の方が,私に話を聞きたいということでした。オンラインで1時間ちかく話しましたが,どちらかというとDXの話が中心であったような記憶があります。今回の記事では,すでに日経新聞で書いたことが中心に載せられていました。でも,これをしっかり書いて伝えてもらえるのであれば,私としては満足です。
  ギグワーカーの議論は,私に話させると,結局はDXに至るのです。まえのプレジデントオンラインへの寄稿ときにも,執筆依頼時は,「ギグワークで」ということでしたが,結局,DXの話に変えたほうがよいと編集者の方針が変わりました。目の前のギグワークの現象だけを追い求めるのではなく,働き方の本質的な変化が進行している現状をしっかりとみつめたほうが,面白くかつ役に立つものが書けるということでしょうね。テレワークについても同様で,テレワークと労働法というテーマだけでは,あまり面白い話は出てきません。拙著『誰のためのテレワーク』(明石書店)を読んでもらえれば,テレワークという切り口をとおして,これからの労働や雇用がどうなるかを論じることができるということがわかっていただけると思います。

2021年10月21日 (木)

阪神は優勝できないか?

 阪神タイガースのことを書くと良い結果につながらないことが多いので,あまり書かないで来たのですが,もう昨日のヤクルト戦での引き分けで今シーズンは事実上終わったと思ったので,書いてよいかなと思っていました。ところが今日はヤクルトが広島に大逆転されて負け,阪神は中日に快勝ということで,希望を完全には捨て切れなくなりました。ヤクルトはマジックが3なので,3勝すれば優勝ですが,残りは5試合です。しかも今日負けた広島戦が2つあります。32敗はそれほど楽なものではありません。もちろん阪神が負ければ条件は楽になるのですが,阪神の残りは3試合です。阪神も広島戦が2つあります。広島には後半の大事なところで3連敗するなど痛い目にあっているのですが,残り3つ勝てれば,まだ希望があるでしょう。ヤクルトとの直接対決がないので厳しい状況ですが,もし明日ヤクルトが負けると(阪神は休み),ヤクルトもプレッシャーがかかるでしょう。ヤクルトが明日からの広島戦と巨人2連戦に3連敗し,阪神が23日と24日の広島戦に連勝すると,どういうことになるかというと,その時点で阪神は7855敗(勝率0.586),ヤクルトは7152敗(勝率0.577)となります。残り1試合ですが,阪神にマジック1が点灯します。こうなると最終戦の26日の中日戦に引き分けでも優勝です(勝率0.586)。ヤクルトは残り全部勝っても,7352敗で,勝率(0.584)で及ばないからです。阪神が負けても(7856敗で勝率0.582),ヤクルトがDNAに引き分けたら阪神優勝です(ヤクルトが最終戦に勝っても7252敗で勝率0.581)。26日に阪神が負けてヤクルトが勝っても,ヤクルトが29日の最終の広島戦に勝たなければ阪神が優勝となります(計算が間違っていればごめんなさい。また引き分けがあると複雑になります)。ただ,これは阪神がこれから2連勝,ヤクルトがこれから3連敗するという場合です。こうなると広島が鍵となりますね。明日ヤクルトが広島に勝てば,状況はきわめて厳しくなります。でも最後の1週間まで優勝の可能性があるというのは,阪神ファンとしては,とても幸せなことです。また相手がヤクルトというのは1992年のシーズンを思い出させます。あの年は,最後の2試合,ヤクルトに連勝すれば優勝というところで,野村ヤクルトに敗れたのですが,あのときのリベンジができるでしょうか。

2021年10月20日 (水)

眞子内親王殿下の結婚に思う

 眞子内親王殿下の結婚が話題になっています。昼のワイドショーなども含め,井戸端会議のネタになっているようですが,もちろん多くの人は,年輩の人なら,親の立場から,若い人なら,自分の立場に置き換えて考えるのであり,前者は「あんな結婚は成功するはずはない」と言い,後者は「結婚は本人たちの自由だから,他人がとやかく言うべきではない」と言うのが,定番のコメントでしょう。
 もっとも秋篠宮皇嗣殿下が,日本国憲法の「結婚の自由」に言及して,本人たちの結婚を許可したことについては,物議をかもしたようです。もう1年近く前のことになるでしょうが,法学関係者からすると,皇族って憲法の保障する基本的人権を享有できるのだっけ,という疑問が出てくるところです。これは憲法学でも,いろいろ議論があるようで,詳しくは憲法学者にゆだねますが,私が教わったところでは,天皇や皇族というのは,その地位の特殊性から,基本的人権は保障されない,あるいは制約されるのであり,とくに結婚の自由というのは,その代表的な例であったと思われます。皇籍離脱する場合は違うという議論があるのかは,よくわかりませんが,秋篠宮皇嗣殿下の発言には,違和感をおぼえました。
 そもそも日本国憲法は法の下の平等を定めています(14条)が,天皇制も定めているのであり,そこには大きな矛盾があります。天皇制は,基本的人権のカタログを定める日本国憲法のなかでは,括弧つきの存在といえるのであり,一般の国民と同列に論じることはできません(天皇制は,身分制の「飛び地」論と言われたりもします)。皇族というのも天皇制に付着したものであり(その定義は皇室典範5条),特別な地位にあるのです。国民が皇族に親近感をもつのは良いことかもしれませんが,普通の国民とは違う特別な地位(それゆえに特権もあるし義務もある)の人たちなのです。これは,ある意味では非常に気の毒なことで,今回も名誉毀損されるようなことを書かれても文句は言えず,ツイッターで反論するようなこともできず,精神的にかなりきつい状況に追い込まれたことでしょう。幸せになってくれればよいですが,普通の結婚でも,それは簡単なことではないので,生まれも育ちも違う二人がどこまで価値観の違いなどに耐えられるか心配です(余計なお世話でしょうが)。
 ところで皇族というのは,とくに公務員として任用されている業務をしていないかぎり,国家公務員法の適用を受けないでしょうから,退職後の守秘義務(100条1項2文)に相当するようなものはないでしょう。皇室の秘密というのはトップシークレットでしょうから,これはどうなるのでしょうかね。ありえない憶測かもしれませんが,誰かが一般人となった眞子さまから話を聞き出して,それを暴露本として出版するようなことがあれば,たいへんなスキャンダルとなりかねません。そういう諸々の誘惑を断ち切るためにも一時金は必要で,いわば口止め料的な意味も込めて,支払うべきではなかったかというような気もします。眞子さんがそんな秘密を漏らすようなことをするはずがないと叱られるかもしれませんが,法律家というのは心配症なので,いろいろな可能性を考えておきたがるものなのです。

2021年10月19日 (火)

恋愛中毒・プラナリア(再掲)

 山本文緒さんが亡くなったという記事が出ていました。昔の誤って削除してしまったブログ(アモーレと労働法)がインターネット・アーカイブに残っているのを見つけたので,再掲します(「忘れられる権利」はないですね。でも,誤って削除した者にとっては助かります)。
 2010年1030日に投稿した彼女の『恋愛中毒』についての読書ノートです(原文のママです)。このときから,しばらく小説には☆を付けることにしたのですね。

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 またまた怖い女性の話です。山本文緒『恋愛中毒』(角川文庫)を読んでみました。ある意味では,推理小説を読むような展開の面白さがありましたが,何と言っても,主人公の水無月美雨という女性の半生がすさまじく,その点ではホラーでもあります。
 母親の期待に対する恨み(これは,「逆恨み」だという指摘が途中で出てきます),萩原と初体験し,その後,萩原に対して執着するも,萩原に逃げられると,今度は,助けてくれた萩原の友人である藤谷に執着しついに結婚することとなるが,藤谷の浮気が発覚したため,相手の女性に対する異常な嫌がらせをし,逮捕されてしまい有罪判決をくらい(執行猶予),離婚されてしまい,その後,弁当屋でアルバイトをしているときに現れた不良中年の芸能人兼作家の創路に声をかけられて愛人兼秘書となり,創路に絶対服従し,他のライバルの愛人を追い落としていくものの,創路の娘が帰ってきて,創路の関心が娘に移っていくと,この娘をトイレに監禁し(桐野夏生の『アンボス・ムンドス』でも,トイレに愛人の男性を閉じこめる女性が出てきましたね)てしまい収監されて,いまは独立した萩原の会社で事務員として働き,同時に,創路の秘書も相変わらず続けているという半生です。
 話の冒頭は,萩原の会社の男性社員である井口が女のストーカーに追われていて,その女が会社にまでやってきたのを水無月が追い払うというところから始まり,その後,水無月がどうして今に至ったかを井口に話す独白が延々と続くという構成になっています。水無月の男性への執念深さ,これは愛情というのではなく,怨念という感じです。それがどうも母親との関係がうまくいかないところに起因しているようで,母親からの愛情が欠落している部分を,(水無月は自分に自信がないので,自分から積極的に相手に関わっていくことはないのですが)自分に関わってくれた男性に過度に注入しようとし,そして,その男性に近づくライバル女は何が何でも排除しようとするのです。犯罪までしてしまうというので,そこから「中毒」というタイトルが付いたのでしょうか。薬物中毒と同じような意味での恋愛中毒ということでしょうかね。それにしても,こういう女は男にとって困りますし,周りの女性からも嫌われてしまいますね。ということで,今でも愛している藤谷からは完全に逃げられてしまい,彼女の周りに残ったのは,超自己チューでその他大勢の愛人の一人としか水無月をみていない創路と初体験の相手ということで責任を感じているが恋愛感情がまったくない萩原だけとなってしまうのです。
 話の途中では,創路の破天荒ぶりが中心となっていました。このキャラに,私はどうも親近感を覚えてしまったのですが,ちょっと危険なので,詳しいコメントをするのはやめておきます。
 読書ノートにも,これから☆をつけることにしましょう。5段階評価です。この本は☆☆☆☆ ですね。

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 その1カ月後の1130日には,『プラナリア』についても投稿していました(本文中の「入試の合間」というのは,「入試業務の合間」ということでしょうね。休憩時間に読むなら問題ないでしょう)。

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 通販で買っておいたGevrey-Chambertin 2007 を飲みながら,山本文緒『プラナリア』(文春文庫)を読み終えました。『恋愛中毒』が強烈だったので,もう一冊,読んでみようと思っていましたし,直木賞受賞作品ということも気になりました。ちなみに,入試の合間に読んだのではありませんから,念のため。
 表題作の「プラナリア」は,プラナリアになりたいという変わった女性の話です。いきなり,プラナリアって何だ,という突っ込みを入れたくなりますが,さらにこの女性は乳ガンにかかって,いちおう治った女性ということで,個性が強烈です。この春香という女性は,自虐的という評価が適切なのかどうかわかりませんが,やっぱり自虐的と言いたくなります。彼からも,あきれられます。彼女の周りには,彼女を心配してくれる人がいるのです。でも,あまり構われすぎると逃げたくなってしまうのです。女の気持ちはよくわかりませんが,なんとなく主人公の気持ちもわかります。運が悪い人生であったのに,そのうえにガンにまでなるとは。美人で善意の人の永瀬さんの独善的な好意なんて全然受け入れられないというのは,その通りですね。
 帯には現代の「無職」の物語となっていて,そうかもしれないのですが,そういう表面的なものとは違う,もっと深い人間の哀しみや心の深い闇を見るようです。それは著者自身の闇なのかもしれません。私は評価能力がありませんが,文章は上手なのでしょう。あっと言う間に読まされてしまいました。
 なかなか素直になれない女は,次の「ネイキッド」にも登場してきます。まじめで,万事計画的にきちんとできる,夫の有能なパートナーという感じだったイズミン。それが結局,夫に捨てられてしまい,中年の入口のところで,人生にたちどまってしまっているのです。彼女も,周りの好意や愛情に素直に応えられない女性です。どことなくよくわかる感じがしますが,男からみると,中年女性の哀しさも感じます。余計なお世話なのでしょうが。
 「どこかではないここ」は,勝手なことばかりしている息子や娘に手を焼かされ,リストラされた夫,夫の父親,自分の母親の面倒をみながら,さらに夜中にパートをするという人生を送っている40女性の話。健気な女性に,どこか共感してしまいました。
 「囚われ人のジレンマ」は,ゲーム理論の囚人のジレンマを意識した作品です。厳格な父の監視をぬって,大学院生と付き合う美都。美都は働いていますが,彼は収入がありません。そんななか突然,結婚の申込みをされてしまい,美都はとまどってしまいます。
 そういえば,この本の他の作品にも出てくるのですが,主人公の女性たちは,心の中では不満がいろいろありながら,結局,寄ってくる男性には表面的にはかなり従順で,セックスもさせてしまいます。でも野獣のように欲望をはきだしていく男性を冷静に見ながら,優しい男か,優しくなくても良い男か,という分析をしている感じです。恋愛中毒の水無月もそういう人だったような気がします。これは著者がそういう人だからなのでしょうが,女性の感覚を知ることができて,男には興味深いですね。
 話を元に戻すと,何が囚人のジレンマなのかというと,実はよくわかりませんでした。男女関係における囚人のジレンマとなると,こういうことでしょうか。男と女は,実は一緒にいるようでも,協力し合って最適な行動をすることができず,むしろ情報不足から結果として自己本位の行動をしてしまい不幸な結果を招いてしまう?そう考えると,美都の彼は,きちんと美都と話し合って最適な行動を模索するということができない人だという意味が込められているのかもしれませんね。
 「あいあるあした」は,男性が主人公で,すみ江という奔放な女性に振り回されます。登場人物の個性が面白く描かれていて,なかなかうまい小説だなという気がしました。
 ということで,かなり良い本です。なるほど,これが直木賞かという感じもします。ジュブレ・シャンベルタンとも,ほどよくマッチしていい気分ですが,でも彼女の本はもっと面白いものがありそうなので,ここは評価を控えめに☆☆☆としましょう。

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 ナポレオンが愛した「ジュブレ・シャンベルタン」を飲むなんて気取っていますね。10年以上前の私ですね。山本さんの本は,結局,あれ以降,1冊も読んでいません。まだ58歳ということで,私とほぼ1歳違いで,驚きました。ガンは怖いですね。ご冥福を心よりお祈りします。

 

2021年10月18日 (月)

デジタル田園都市構想

 岸田首相のデジタル政策がみえにくいと思っていたのですが,よくみると,政策のなかには「デジタル田園都市構想」というのが目立つところに掲げられていて,これはどうも,地方でもデジタル化を進めて都市との格差を縮めていくという内容のようです。牧島かれんデジタル相(執筆当時は,自民党のデジタル関連の部署の事務局長)は,のエッセイ(コロナ時代の田園都市国家構想 (keidanren.or.jp))を読んでみると,ネーミングは,どうも大平元首相の「田園都市」構想(「都市の持つ高い生産性,良質な情報と,田園のもつ豊かな自然,潤いのある人間関係を結合させ,健康でゆとりある田園都市づくりの構想を進める」)からきているようで,これをデジタル技術をつかって実現しようということのようです。その構想自体は悪くないのですが,肝心の都市部がデジタル化の遅れで停滞している感があるので,政府は具体的な実行の着手にすぐにでも取り組んでもらう必要があります。
 私たちの現在の生活実感として,少なくともデジタル化が進展したという感覚はほとんどありません。印鑑は相変わらず無意味に必要とされていることが多いですし,紙も大量に使われています。病院の領収書も紙しかくれないので,税金の医療費控除の申請などをするときも,紙のままでとっておかなければなりません。寄付金控除なども同じです。どこかで紙や印鑑が残っていると,それが全体の足を引っ張るというようなことがあるので,ぜひ徹底したデジタル化を目指してもらいたいです。
 移動しなくても,いろんな行政サービスやエッセンシャルサービスを享受できるような社会,それがデジタル田園都市なのかどうかわかりませんが,そういう社会を実現する政策を具体的に力強く訴えてくれる政党を選んでいきたいですね。

2021年10月17日 (日)

道幸哲也『ワークルール教育のすすめ』

 道幸哲也先生の『ワークルール教育のすすめ』(旬報社)を,昨年いただいておりました。いつもどうもありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありません。
 ワークルール教育や労働法教育は,道幸先生のライフワークとして取り組んでこられたことで,成果もあがっているのだと思います。私も,労働者の権利教育の重要性を否定するものではありませんし,そうした目的での本を出したこともあります(『君たちが働き始める前に知っておいてほしいこと』(労働調査会)など)が,今年上梓した『人事労働法』(弘文堂)で論じたのは,(労働者の)権利論ではなく,(企業の)義務論こそ重要ということであり,具体的にいうと,企業をどうすれば法の理念の実現に向けて行動させることができるかを考えたほうがよいということでした。方向性は180度違うようですが,ワークルール教育は,『人事労働法』でめざす労働者の納得同意の前提ともいえるので,その点では根底で通じているのかもしれません。
 本書では,最後のほうで「ワークルール教育がなぜ身近なものにならないのか」ということも分析されています。要因は3つ挙げられていて,①教育の構造,②職場の抑圧構造,③同調圧力です(131頁以下)。①ではとくに学習側の姿勢の問題点が指摘されています。こういうことがあるので,権利教育一辺倒ではいけないということになるのだと思います。労働者に対して,知識を得て,自立し,連帯せよというのは,少し前まではおそらく正しいメッメージだったのでしょうが,私はこれからの労働者が学ぶべきは,社会的・経済的に自立するための知識であり,それは決して労働法の知識ではないと思っています。むしろ労働法を学ぶべきは経営者のほうであり,経営者に労働法を知識として学でんもらうだけでなく,それを実際に「遵守」するように誘導するための仕組みを作ることこそが,労働者のためになるのだというのが,私の主張です。こうなると,やはり道幸先生のワークルール教育とは,かなり距離があるかもしれません。

 

2021年10月16日 (土)

AIと藤井聡太

 藤井聡太三冠は,将棋の勉強に,AIのディープ・ラーニングを活用しているそうです。AIが人間のデータから学ぶのではなく,自分で最善手を見つけ出すので,人間にはなぜそれが最善手であるかの理由は不明で,ただその手だけを学んでも自分の将棋にはならないのですが,それを自分なりに咀嚼すれば,ますます強くなることができるのです。藤井三冠は,AIとの共生というこれからの社会の課題を,まさに天才頭脳集団の世界で実践しているわけで,その成果は単に将棋界だけでなく,人類にとって大きな関心事といってもよいくらいです。
 藤井三冠の竜王戦の挑戦は,NHKのクローズアップ現代でも取り上げられるくらい大きなニュースとなっています。将棋界の最高峰のタイトルである竜王を奪取できるかというと,相手の豊島将之竜王は強敵とはいえ,王位戦の挑戦を退け,叡王のタイトルを奪取したことからもわかるように,可能性は高いです。豊島竜王は,現役力士のなかで最も多く藤井三冠から勝っている棋士ですが,竜王戦の初戦の戦いぶりをみても,豊島竜王は一手のミスも許されないくらいの緊張感をもって戦うことを余儀なくされています。藤井三冠の4連勝で,最年少四冠もありうるような気がします。
 王将戦の挑戦者決定リーグは,どんどん進行しています。まだ先は少し長いですが,藤井三冠は2連勝と良いスタートで,本命の一人の豊島竜王が12敗と出遅れたので,藤井挑戦の可能性は高まっています(王将は渡辺明名人)。
 将棋界の4強がそろったJTの将棋日本シリーズは,今日,渡辺三冠と豊島竜王が対局し,豊島竜王が勝ちました。最後は双方入玉して点数勝負という素人には面白くない展開になってしまったのですが,豊島竜王が粘って逃げ切りました。これで決勝進出となり,相手は,先ごろ王座を防衛した永瀬拓矢王座と藤井三冠の勝者となります。
 注目の順位戦は,A級は今期も齋藤慎太郎八段が好調で3連勝で,連続での名人挑戦を目指します。B1組では,藤井三冠が,稲葉陽八段に痛い敗戦を喫したものの51敗と快調で,現在,順位は低いながら3番手です。昇級したばかりの佐々木勇気七段が好調に6連勝で,千田翔太七段が51敗でこれを追っています。昇級は二人で,3人の誰が昇級しても初めてのA級で,世代交代の風が吹き始めている感じがします。3年後にはA級のメンバーはがらりと変わっている可能性がありますよね。

名前を連呼する権利と静穏を求める権利

 おそらく同様の意見は多いと思いますが,強く要望したいです。選挙カーが来ても名前の連呼だけで,意味がありません。民主主義にも関係がありません。いまはインターネットにより,自由に自分の意見を発表する場があります。誰が候補に出ているかは,選挙管理委員会のHPに掲載すればよいことで,主張もそこに載せるか,自分のHPにリンクできるようにしておけばよいのです。住宅地以外のところで,街頭演説するのは仕方がありませんが,人々が静穏に生活しているところでの,大音量の名前の連呼は不快な騒音以外の何物でもありません。せっかく赤ん坊を苦労して寝かしつけたと思ったところで,選挙カーで起こされたとなると,思わず追いかけて怒りの抗議をしたくなるでしょう。徹夜仕事のあと,ようやく眠って疲労をとろうとしているときに,選挙カーが来たときも同様でしょう。
 神戸市のワクチン接種の呼びかけの広報カーですら,ほんとうに必要なターゲットに届くような努力をしないで騒音をばらまく暴挙だと思っています。自分は正しいことをしているのだから騒音をばらまいてよいのだということになると,右翼の街宣カーと変わらないことになってしまいます。防災無線のようなものは仕方ないとしても,デジタル時代には,もっと適切な広報方法があるはずなのに,頭を使わず旧態依然としたやり方を繰り返している市の仕事ぶりには失望しています。同様の感想をもっている人は少なくないでしょう。
 選挙カーの話に戻ると,候補者の名前くらい,連呼されなくても,随所に貼ってあるポスターをみればわかります。組織票と戦うためには,これくらい許してよ,という声もあるかもしれませんが,こんな方法で当選を望もうとする人に一票を投じる気にはなりません。
 神戸市のHPをみると,「選挙運動用自動車から拡声器を使用して名前を連呼することは,前述の期間中において08時00分~20時00分選挙運動として認められている行為で,音量に対する規制は,公職選挙法では特に定めていません。(学校、病院,診療所その他の療養施設の周辺においては,静穏の保持に努めなければならないとされています。)」と書かれています。これは公職選挙法140条の2に則したもので,同条は,「連呼行為の禁止」という見出しの下に,第1項「何人も,選挙運動のため,連呼行為をすることができない。ただし,演説会場及び街頭演説(演説を含む。)の場所においてする場合並びに午前八時から午後八時までの間に限り,次条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶の上においてする場合は,この限りでない」,第2項「前項ただし書の規定により選挙運動のための連呼行為をする者は,学校(学校教育法第一条に規定する学校及び就学前の子どもに関する教育,保育等の総合的な提供の推進に関する法律第二条第七項に規定する幼保連携型認定こども園をいう。以下同じ。)及び病院,診療所その他の療養施設の周辺においては,静穏を保持するように努めなければならない」とされてます。次条の141条は,「自動車,船舶及び拡声機の使用」に関する規定です。
 この規定
を,憲法違反といえればよいですが,さすがにそれは無理でしょう。むしろ表現の自由という観点から規制には消極的となるのが通常の発想でしょう(憲法論でいうと,戸別訪問を禁止する公職選挙法138条1項の合憲性は有名な論点であり,最高裁は合憲としていますが,学説には異論もあります)。だからここはむしろ,国民の賢明な判断が必要なのです。名前の連呼を法律で規制するのは望ましくありませんが,選挙カーで名前を連呼するだけの候補者に票を入れないという運動をすることは何も問題ありません。連呼された名前の候補者は,有権者の投票対象から外れるということになれば,連呼はなくなるでしょう。ただ今回の選挙でただちにそれをやってしまうと,投票できる候補者はいなくなるでしょうね。
  候補者は,公職選挙法の原則は,連呼行為は禁止なのであり,それがあくまで例外的に許容されているにすぎないということを十分に意識すべきでしょう。候補者には,公共の場で自由に自己の政治的信条を訴えかけることが保障されなければならないのは当然ですが,住宅地での名前の連呼はそれとは次元が異なるものであり,そういうことがしっかりわかっている人に国会議員になってもらいたいです。

 

2021年10月14日 (木)

バラマキ合戦ではダメでしょう

 選挙が近づき,各党が給付金の支払いを公約に掲げています。財務省の次官の「バラマキ合戦」発言が問題となっていますが,そもそも国民は,給付金の大盤振る舞いをする政党に投票するでしょうか。もちろん誰だってお金は欲しいです。当面の生活苦からのがれることができて助かるということもあるでしょう。でも,それは一時しのぎにすぎません。その後の経済の回復の展望がなければ,どうしようもありません。諸政党は,将来のことは後で考えればよいという程度にしか考えていないのではないでしょうか。
 経済がうまくいっていない原因は,何と言っても,度重なる緊急事態宣言による人流の抑制でしょう。根本的な解決は緊急事態宣言をどのようにしたら,出さずにすむかです。緊急事態宣言が必要なのは,医療提供体制が逼迫しているからです。医療提供体制が逼迫しないようにするための方法は,二つでしょう。一つは,重症患者がでないようにすることです。そのためにはワクチン接種が必要となります。もう一つは,医療提供体制を強化することです。この両方がうまくできれば,緊急事態宣言を出す必要がなくなります。
 緊急事態宣言が出ようが出まいが,私たちは感染者の数が増えてくれば,行動を抑制します。ワクチンを接種しているので,コロナ感染は,多少は安心できるとしても,他の病気にかかったりケガをしたときに,十分な治療を受けられないのではないかという不安があります。コロナに感染しても自宅待機とされて,亡くなる人まで出たというのは,国民に大変なショックを与えたことでしょう。これまで当然と考えていた医療サービスを受けられないのではないかという不安は,人々の意識を大きく変えたのではないかと思います。こういう状況のなかでは,「気」に左右される経済が,上向くはずがありません。
 自分がワクチンを2回接種しているからといって,他人にワクチンを接種しろと強制する気はありません。ただ経済のことを考えるなら,政府は,もっとワクチン接種を増やし,ワクチン未接種者が減るようにし,それにより医療提供体制を改善させれば,ワクチン接種をしている国民は安心して行動できるようになるので,経済の回復の兆しがみえてくるのではないかと思います。同様の効果は,人員の配置など医療提供体制を直接改善させて,もう心配はないという医療側の声が高まってきた場合にも生じるでしょう。
  給付金に使う金があれば,こうしたワクチン接種率の向上や医療提供体制の強化(司令塔を設けるのは,新たな組織が出来るだけで効果は期待薄であり,いかにして現場の体制に即効性のある対策を打てるかが重要です)に使ってくれたほうが,はるかによい経済対策となるのではないかと思います(もちろん,ほんとうに厳しい状況にある人に給付金を配ることは否定しませんが)。

 

2021年10月13日 (水)

本の御礼

 久しぶりに大学に行くと,大量の郵便物が来ていました。兵庫県からの労働委員会の委員の辞令(紙)も確かに受け取りました(すでにメールで電子版はいただいていました)。このほかにも,本もたくさんいただいています。ここでは二つの改訂本をご紹介しておきます(紹介できていない本が数年単位で滞留していて,「先入れ後出し」のようになっていて,気になっているのですが)。
 一つは鎌田耕一『労働市場法(第2版)』(三省堂)です。いつも,ありがとうございます。重要性がますます増すなか,複雑さも増している労働市場法の分野について,コンパクトにわかりやすくまとめておられるので,たいへん重宝します。この分野は分厚い解説書になると,読んでいるだけで疲れてしまいます。このくらいの分量の本でまずはポイントを抑えておくことが,実務家にとっても,学生にとっても,ちょうどよいと思います。
 もう一つは水町勇一郎『詳解労働法(第2版)』(東大出版会)です。いつも,ありがとうございます。この本は判例時報に書評を書いたので,ここでは繰り返しませんが,第2版では,新しい法改正も採り入れてアップデートされています。迅速な改訂をして対応することで,この本の利用価値はますます高まるでしょうね。
 ところで,どちらの本も最新の情報が入っているのですが,実は個人情報保護法については令和3年改正というのがあって,それは含まれていません。この改正で,条文の順番や番号が大きく変わってしまっています。行政機関の個人情報保護も統合したもので,従来の民間部門の個人情報保護法の内容には大きな変化がありませんが,条文の番号が変わっているので困ったものです。今学期の通常の大学院の授業では,さっそく同法の最新の法改正の勉強から始めました。ガイドラインも追加されるなど,今後,デジタル社会において,個人情報保護法はどんどんアップデートされていく可能性があり,そう遠くなく一つの独立した法分野になることでしょう。現時点では技術性が高い法律ですが,理論的な研究も進めていく必要があります。実務的にも,法科大学院では,この分野を専門に教える授業を開設しなければ,実務のニーズに対応できないかもしれません。労働法との関係でも,この分野は,「デジタル労働法」(この言葉は,拙著『人事労働法』(弘文堂)の268頁を参照)のなかの中核となると考えています。

2021年10月12日 (火)

西日本新聞に登場

 西日本新聞の朝刊に登場しました。連載「団結の現在地 労組をつくる」という特集記事で,今回は「労働組合,多様化する『役割』
 衰退の要因と,求められる価値は」という見出しがついています。記者の河野賢治さんは,コロナ禍での企業別組合の再生というテーマで取材されており,その流れで私へのインタビューが来ました。私は企業別組合に対する辛口の評価をしていますが,その再生への道も示しているつもりです。河野さんからの取材による記事は,これで3度目です(労働組合関係では,昨年の7月のものに続いて2度目です)。すごく熱心な記者の方なので,私もしっかりその熱意に応えられるように話をしました。いつも書いていることですが,自分が読んだことがない地方新聞に,何度も登場するのは不思議な感覚です。私の話でよいのかということは,いつも気にはなっています。
 話は変わり,今学期は火曜が一番忙しい日です。LSの講義もあります。今日のLSは,『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第3講の続きで,黒川建設事件の法人格否認の法理を扱いましたが,メインは事業譲渡と組み合わせて議論できる,第28講の第一交通産業ほか(佐野第一交通)事件にしました。難事件であり,EUの企業譲渡指令も紹介しながら,地裁判決と高裁判決のどちらがよいか考えてもらいました。LS生は,下級審と上級審との結論が違っていたら上級審のほうが正しいという思考に陥りがちですが,そうでもないのではという視点を提供するのが教師の仕事です。今日はさらに,東京日進学園事件,勝英自動車学校事件も扱いました。事業譲渡や偽装解散が絡むと,労働契約関係の帰趨は非常に難しい論点になります。今学期の授業はまだ4回目ですが,出だしから難事件ばかりを扱っています。学生はここを耐えてくれれば,もう少し楽になると思います(教師のほうも同じかもしれません)。

2021年10月11日 (月)

「The Unsaid」 のつづき

 10月11日は,10年前にあの大津いじめ事件の痛ましい出来事があった日でした。親御さんの悲しみは,10年経っても,まったく癒えていないでしょう。私たち大人は,子どもたちに対して,こうしたことが二度と私たちの社会のなかで起きないように尽力する責任があります。
 昨日,紹介した映画「The Unsaid」は,ついつい親の目線で書いてしまいましたが,実は子どもの目線からみておく必要があります。映画を少し振り返っておくと(以下,ネタばれあり),Michaelの長男はうつ病にかかり,母の希望で臨床心理の専門家の父ではなく,その古くからの友人の治療を受けていたところ,彼から性的な虐待を受け,それが原因で自殺しました(父の友人も,Michaelに知られたことがわかり自殺しました)。母が希望した人で,また父の友人でもあった専門家からのまさかの性的虐待について,少年は両親に告げることができなかったのでしょう。現状から逃げるために死を選んだことを誰も責めることはできません。
 両親に心配や迷惑をかけたくないという真面目な子ほど自分を追い込んでしまうのでしょう。私たちは,こうした性暴力が,意外に身近なところでも起こりうることを知っておく必要があります。どんなに信用していても,子どもを他人と二人きりの状況に置くのは危険です(親子であっても義理の親子であればやはり危険です)。性的な衝動というのは,あらゆる理性を超えてしまう危険性があるからです。
 今日のNHKのニュースでは,AIの活用が言われていました。現在の子どもはSNSで言葉を残しています。AIの分析を活用しない手はありません。完全に「Unsaid」(沈黙)であれば難しいですが,SNS上で発信してくれていれば,手がかりはあるのです。デジタル技術でやれることは,まずやるという意味での「デジタルファースト」は,こういう弱者(子どもはかなり大きくなってもやはり弱者です)の救済にこそ活用されるべき原則です。親や教師が救えないことがあるという現実を直視すると,デジタル技術を活用しない手はないのです。
 映画の「The Unsaid」で,もう一人の少年Tommyに起きたのは,母子相姦です。父はそれを目撃して母を殺したのです。息子は愛する母からの気持ちに応えるために,何もわからず性的な要求を受け入れていたのでしょう。人間は生まれて最初に出会う異性である両親に恋愛に似た感情をもちがちであることから,近親相姦のタブーをつくってきました。近親相姦は種の保存には望ましくないからです。しかし,どこかで何かが狂うと,近親相姦が起こる可能性があるということです。しかし,それは家庭を破壊し,子どもに計り知れない精神的打撃を与えてしまいます。この映画はそのことも教えてくれます。
 子どもは,大津の事件のような学校でのいじめから,近親者・教師・医師・聖職者らによる性暴力まで,様々な人権侵害の危険にさらされています。後者はもちろん映画のなかだけの話ではありません。子どものSOSをいかにして早く察知して救うか。前述のAIの活用のような,デジタル技術をつかった,うまい解決策がきっとあるはずですし,それを見つけることが,亡くなった子どもたちへのせめてもの供養です。

 

2021年10月10日 (日)

The Unsaid(邦題は,「アンディ・ガルシァ 沈黙の行方」)

 Andy Garcia主演の2001年の映画で日本では劇場未公開のようです。「The Unsaid 」は,「言われていないこと」ということで,この映画では,思春期の少年の「沈黙」を意味しています。
 心理学者であるGarciaが演じるMichaelは,思春期の長男を自殺で失っています。これをきっかけに家族は崩壊し,妻とは別居(離婚?)し,長女(自殺した長男の妹)は,妻が引き取りました。娘への愛情を捨てきれないマイケルは,元妻と娘が住む家の近くに住み,臨床はやめて,執筆を中心とした活動を続けますが,あるとき引き受けた講演をきっかけに,そこでBarbaraという元教え子から,ある少年Tommyのカウンセリングをしてもらえないかという話を持ちかけられます。Michaelはいったんは断ります。Tommyは,父によって母親が殺された少年で,それを目撃してしまい精神的なショックを受けたとして,施設で保護されていました。外見上まったく何も問題のない子ですが,気になるところがあったBarbaraがMichaelにカウンセリングを依頼したのでした。Tommyには自殺した息子と重なり合うところがありました。ということなのですが,Tommy はMichael の娘のShelly に近づき,そこで得た情報からMichaelに対して,彼の息子を想起させるような行動をとって近づき,映画はサイコパスのサスペンスのような雰囲気に変わっていきます。最後は,Shellyの命が危ないのですが,Michaelが命がけで彼女を助け,さらに自殺しようとするTommyも助けます。
 なぜMichaelの息子は自殺したのか。またTommyの父は確かに妻を殺したのですが,その理由は,妻が夫の不在中に不貞行為をしていたことでした。ただ,相手が誰か確認されていません。勘の良い人は,そこで妻の相手が誰か気づいていたかもしれませんが,私はわかりませんでした。でも映画のなかには,ヒントとなるシーンは何度も出てきていました。
 自殺も殺人も性的虐待が引き金となるものでした。性的虐待は日本でもあるのでしょうが,20年前の映画ですから,当時は日本ではちょっとショックが強い内容であったから公開されなかったのかもしれません。個人的には,Michaelの父としての切なさが伝わってくる映画でした。Godfather の彼も良かったですが,こういう役でもいい味をだしてくれています。いまはどんな映画に出ているのでしょうね。

2021年10月 9日 (土)

新自由主義経済との訣別?

 岸田新首相が,「新しい資本主義」と言ったり,「成長と分配の好循環」と言ったりするのはよいのですが,しょせんは政治的スローガンにすぎません。こういうのは安倍政権時代のもので辟易しているので,具体的な内容を確認しなければなりませんね。とくに気になるのが,「新自由主義」への批判的な言葉です。小泉政権が新自由主義的な政策を採用したということで,そのように評価するのはよいのですが,安倍政権時代の経済政策は,新自由主義的なものではないので,そうすると岸田政権で打ち出す新しいものはどういうものか,ということが気になります。とくに労働政策をみると,実は安倍政権はきわめてリベラルな立場をとっています。2012年の民主党政権時代の労働政策はほとんど変更されず,20134月施行の無期転換にせよ,201510月施行の違法派遣の場合の労働契約申込みみなし制にせよ,そのまま実現しました。さらに安倍政権の中核的な労働政策であった2018年の働き方改革では,時間外労働の規制の強化やいわゆる「同一労働同一賃金」の導入がされています。野党のやることがないほどです。最低賃金の引上げや春闘での賃上げ要請などもそうです。経済政策の一環としての賃金政策なのですが,リベラル色が強く,新自由主義からは遠いものです。高プロは,少々,新自由主義的かもしれませんが,実際にはがんじがらめの規制で,あまり使われていません。 
 岸田政権が,労働政策面でこれに加えて何かやるとすれば,直接的な分配で,それはお金をばらまくことになるのだと思いますが,そんなことをしても成長にはつながりません。
 そもそも成長志向というのは,資本主義の転換点に来ている現在,限界に来ています。成長しなくてよいというわけではありませんが,人々の真の豊かさは何かを問い直すことが,現在求められているのです。私は,先日発表した労経速の論考でDXGXという軸から,今後の労働政策のあり方の一部を論じましたが,新しい資本主義というのは,SDGsESGなどの価値観を社会経済活動の軸に据えて,政府も民間も,こうした価値観の実現に,そのエネルギーを投入するというものでなければならないのです。そうなると,これはもはや資本主義とは呼べないかもしれません。営利にこだわる必要はないからです。企業が中心の20世紀型社会から個人が中心の21世紀型社会に変わり,そこではデジタル技術を活用して,個人が社会に貢献する社会が到来する,というのが私の見立てです。拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)では,このことを書いています。岸田政権の「新しい資本主義」には,私が展望しているような将来ビジョンがあまり見えてきません。
 大きな政治的スローガンを打ち出すのはよいのですが,そのスローガン自身が陳腐な感じがしています。そう考えると,DXにもGXにも前向きに取り組んでいたようにみえる菅政権のほうがよかった,ということにもなりそうです。もちろん,あの説明力の低すぎる菅政権がよかったとは思えないのですが,ひょっとしたら,それよりひどい政権が誕生したのではないかと思うと,背筋が寒くなる気分です。もちろん岸田政権については,もう少し見守りたいのですが,岸田首相が衆議院を解散して総選挙をすると決断したということは,いまの時点の政策で評価してほしいと言っているので,そうするともうこれ以上のものは出てこないのではないかという不安もあります。それなら×をつけざるをえませんよね。いずれにせよ,今度の衆議院選挙は,国民にとって大切な選挙です。

2021年10月 8日 (金)

地震への準備を怠るな

 東京でオリンピック・パラリンピックを開催するという以上,地震対策も「しっかり」していたはずでしょう(ただし,「しっかり」は,政府が中身がないことを言うときに,意気込みだけがあるようにごまかそうとして使う言葉でもあるので,要注意です)。昨日の地震は,震度5クラスのものですが,結構,影響があったようです(私は親族が関東に住んでいて,LINEで情報を得ています)。オリパラのような大きなイベントをやっていれば,これくらいの地震でも,大きな影響があったかもしれません。2カ月程度の誤差というのは,地震の歴史からすると間一髪というところでしょう。
 昨日の地震も,もし昼間に起きていたら,もう少し被害が出ていたかもしれません。大地震は必ず来るのですが,少なくとも震度7くらいのものまでは,周到に準備すれば,被害を最小限に食い止められるものでしょう(ただ,その準備には,電柱や電線の地中化などの,大がかりなものも含まれるのですが)。また地震後については,労働法的には,従業員を出勤させるようなことがあってはなりません。余震があるし,通勤途上には危険がいっぱいあるはずだからです。
 だからこそ,テレワークが必要ということになります。これはテレワーク推進派の私が強引な議論をしているのではありません。テレワークは,BCP(事業継続計画)の中核とすべきことなのです。ひょっとして政府も企業も,まだ都市直下の地震を緊急の危険と考えていないのではないでしょうか。東京のあんな密集しているところに中央官庁や大企業のヘッドクオーターが集中しているのは,まともなことではありません。何でも集まって話し合うことが好きな政治家や官僚たちは,今回の地震を契機に,どうしたら集まらなくても仕事ができるかを考えてもらいたいです。そして,ぜひ民間企業にも模範を示してもらいたいのです。
 コロナ禍でわかったことは,デジタル対応したり,ICTをフル活用することが,災害時に経済的打撃を小さくするということです。もちろんテレワークをしていても,そこに地震に直撃されると仕事は継続できません。しかし,テレワークをしている人やテレワークができるオフィスを日本中に分散させていると,全土が地震におそわれるというようなことがないかぎり,事業断絶のリスクを低減させることができるのです。
 テレワークの価値として,地域回帰ということを私は強調しています。ただ,その地域が地震や災害に直撃されてしまうと困ってしまいます。企業にしろ,個人にしろ,拠点を分散させることが大切なのです。そのために役立つのが,やはりICTです。個人だけでなく,遠隔地の親族や友人などが,いざというときに頼りになるかもしれません。そういう人たちとの交流もICTを活用して密にしておく必要があるのです。
 大災害は日常生活を破壊します。生命を守るための準備はもちろん必要です。そこからもう一歩進んで,日常生活への打撃を少しでも小さくするためには,どうすればよいか。それこそが,日本という災害国での最も重要な社会課題です。政府や企業は,そこに力を入れてこそ,存在感をアピールできます。デジタル化やテレワークを経済の文脈だけでとらえているようでは,不十分なのです。

2021年10月 7日 (木)

血栓はこわい

 テレワークの時間が長くなると,長時間座りっぱなしということが増えて,そうなるとエコノミークラス症候群に気をつけなければなりません。血栓ができて突然亡くなるということもあるそうです。健康な人でも血栓ができると,命の危険にさらされるようなので,気を付ける必要があります。こうした例で有名なのは,玉の海でしょう。現役横綱が虫垂炎で入院していたときに急死したというものです。大相撲で辛口のニュース解説で人気のある元横綱北の富士のライバルでした(私の記憶では,北の富士はあまり強い横綱ではなかったのですが,あれから何十年も経って解説者として人気が出るというのはすごいですね)。玉の海は,本格的な彼の時代が来るというところでの急死だったので,本人も無念だったでしょう。身体の大きな人が入院して寝ていると血栓ができやすいということが,法医学で有名な上野正彦さんの『ヒトは,こんなことで死んでしまうのか』(株式会社シティブックス )という本に書かれていました。
 厚生労働省のHPにも,エコノミークラス症候群の予防のために (mhlw.go.jp) というのが掲載されていたので,テレワークをしている人は,読んで注意しておきましょう。最近は寝ているときに,よく足がつります。昔は深酒をしたときに,ふくらはぎをつることが多かったのですが,最近は,深酒をしていなくても,足がつることが増えて(ふくらはぎ以外の部分がつることが多くなっています),激痛で目が覚めることがよくあります。どうも短パンで寝ているとそうなりがちなので,夏でも冷やさないように気をつけなければなりませんね。
 コロナ前はCock Onの景品をもらうために,最低5000歩をノルマにして歩いていたのですが,最近は,全然ノルマに到達しません。少し意識してデスクから離れて歩くようにしなければなりませんね。テレビ体操や自衛隊体操では全然足りません。
 上記の上野さんの本は,医学的には深い内容の本ではないかもしれませんが,私たち素人が日常生活で気を付けるべきことを教えてくれる点で,良い本だと思いました。

2021年10月 6日 (水)

パナソニックプラズマディスプレイ事件

 昨日のLSの授業では,『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第3講の続きをしました。第3講にあるサガテレビ事件よりも,第27講のパナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件をメインにしたほうがよいと思い,この事件をみっちり扱いました。事件の理解の前提として,労働者派遣法や職業安定法47項,44条なども時間をとって扱いました。労働者派遣法や職業安定法は,少し前までは労働市場法の分野の法律として,あまり詳しく扱わないことが多かったのですが,労働者派遣法が実質的に個別的労働関係法の分野に進出してくるとともに,LSでも労働者派遣法は重要な法分野になってきていると思います。今回は,パナソニックプラズマディスプレイ事件の大阪高裁判決がなぜ登場したのか(とくに黙示の労働契約論の部分),そこにはどういう理由があると考えられるか,加えて,なぜ最高裁判決は,これと異なる判断をしたのか,ということを,職業安定法の労働者供給事業の禁止の歴史を振り返りながら考えてもらいました。私はLS段階では最高裁判決を大前提とすることはよくないと思っているので,この事件についても,最高裁判決への物足りなさを学生とのやりとりの中からわかってもらおうと試みましたが,うまく成功したでしょうか。学生の好きな規範の定立とあてはめという点では,サガテレビ事件のほうがしっかりしています。第1審と控訴審のコントラストもいいです。だからケースブックの第3講では,この事件をメインに置いているのですが,現在の労働者派遣法40条の6にいたるまでの経緯などもふまえると,パナソニックプラズマディスプレイ事件のほうが面白いのです。どうして,黙示の労働契約という不思議な議論が出てきたのか,さらには規範的意思解釈論といった無理筋(?)の議論が出てきたのかなどを学生に考えてもらえればと思いました(学生には,別の法科大学院では,違った説明を聞くかもしれないと断ってはおきました)。
 LSでは,労働法を教えるとき,かつては労働法の普遍性を重視した解釈論中心の授業をしていたのですが,むしろ労働法の特殊性をみっちり学んでもらったほうが,よい法曹になれるのではないかと,最近は考え方が変わってきています。だからといってプロレイバー的労働法を教えるわけではありませんが。

 

2021年10月 5日 (火)

若手政治家?

 自民党での若手というのは,当選回数が少ない人を指すようですね。福田康夫元首相の息子の福田達夫氏は54歳ですが,当選回数が3回なので若手だそうです。57歳の立憲民主党の枝野幸男代表が,それだったら自分も若手だろうかと皮肉ったようですが,そういうコメントが出てきてもおかしくないでしょうね。54歳で自民党総務会長となるのが,若手の抜擢ということのようですが,これは自民党がいかに老人クラブ化しているかを示しているのでしょう。
 自民党では3回当選しても若手扱いで,福田氏のような「抜擢」がなければ活躍できないということであれば,自分のやりたい新たな政策をもって頑張りたいと思っている人にとっては,時間がかかりすぎます。世の中は年功型というのが崩れてきて,今後は新入社員でも,有能な人はどんどん登用するということが増えていくでしょう。年功型賃金も打破されていくでしょう。政治の世界も,ほんとうに能力のある人が議員になっているのであれば,いきなり抜擢されて得意分野で大臣をやったり,党の要職についたりするようなことがあってよいのではないかと思います。それこそが,若手の登用なのです。
 岸田新首相の記者会見は,前の首相とは違って丁寧に答えているのは好感をもてましたし,打ち出している政策の題目も悪くありません。ただ,具体的なレベルになると,依然として未知数です。それに大臣や党役員の布陣をみると,各派閥の在庫一掃という意味合いもありそうです。一方,河野太郎氏に冷や飯を食わせるといった無意味な人材の使い方をするのもイヤなところです。古い組織でボスが牛耳り,年長者(当選回数が多い人)は,無能でも一回くらい大臣にさせてやってくれというような要望が通り,若手の登用可能性を奪うということでは,新しい政策はでてこないような気がします。
 いずれにせよ44歳が最年少というのではダメでしょう。もちろん河野氏のように,58歳で8回当選していても,新しい感覚をもっている人もいます。大事なのは年齢や当選回数ではなく,実力です。そこで求められる実力は,党内の人間関係をうまくやっていくというような実力ではないのは明らかです。
 国民はこの内閣にほんとうに私たちの未来を託す気になるでしょうか。答えは月末に出るでしょう。

2021年10月 4日 (月)

これもデジタル化の恩恵?

 先日の研究会で,報告者の劉君の資料のなかに,安枝先生の「英訷」という名前があったので,外字登録は大変だったでしょうという余計なコメントをしたところ,ネットから簡単にコピーしたと聞いて驚きました。ということで,私もGoogleで「安枝」と入れて検索してみると,「安枝英訷」と出てきました。それじゃ,もう一つの難所であった片岡先生の「のぼる」はどうかと思うと,やはりWikipediaには「片岡曻」と出ていました。ちなみに,石川吉右衞門先生の「衞」です。これは,さすがにWikipediaでは「衛」でしたね。でも,私の記憶が間違っていなければ,「衞」もほんとうは間違いで,真ん中の横棒が不要だということであったような気がするのですが,手元にあった『注釈労働組合法』(有斐閣)を確認すれば「衞」だったので,私の記憶違いだったのでしょう。いずれにせよ「衞」であれば,前から変換できていたかもしれません。
 とくに三先生の文献は引用することが多かったのですが,たぶん常用漢字ではなかったためでしょうか,この漢字を出すことができなかったので,自分で字を作って外字登録して使っていました。図形として作っているので,不細工な漢字になっていました。昔は誰でもそんなようなことをしていたと思います。ワープロからパソコンに変えたときも,作り直すのが大変でした。30年くらい前のことです。その後は,徐々に厚かましくなって,原稿を書くときは,失礼ながら「英のぶ」と平仮名表記して,あとは出版社に任せるというような横着をしていたのですが,きちんと最初から入力できるようになったのですね(このブログできちんと表記できているのが,何よりの証拠です)。これは戸籍のデジタル化を進める際に,珍しい漢字にも,文字コードを割り振ることができたからでしょうか。
 3先生はおそらく生前は数限りなく名前の誤表記を経験されてきたのが,こうして誰も苦労せずに漢字に変換できるようになり正確に表記されるようになって,天国でびっくりされているのではないでしょうか。

2021年10月 3日 (日)

石井妙子『女帝 小池百合子』

 女性の社会進出が望ましいという点からは,自民党総裁選候補(すなわち首相候補)に女性が2人出たのはよかったと思います。個人的には,どちらも首相になるには「?」という感じでしたが。ただ女性の首相候補というと,忘れてはならないのは,小池百合子都知事です。国家並みのGDPをもつ東京都のgovernorを経験した人となれば,普通に考えると,首相になる資格は十分あるでしょう。高市早苗氏や野田聖子氏,あるいは稲田朋美氏のようにリーダーとしての資質は未知数である人と小池氏では比較になりません。しかし,ほんとうに小池氏でよいのかというと,そこには大きな疑問符がつきます。
 まずは石井妙子氏の渾身の力作『女帝 小池百合子』(文藝春秋)を読んでおかなければなりません。彼女の半生を丹念に追って(ただしかなり敵意が入っている感じがしますが),どのようにして彼女がのし上がってきたかを知っておく必要があるでしょう。もちろん,男性中心の政治の世界において,女性が権力闘争のなかで生き延びていくのは,並大抵では無理なのでしょう。男性にすり寄り,ときには男性を冷酷に切り捨て,ひたすら自分の大望のために,使える武器は何でも使うという彼女の力量は,近くにいたら恐ろしいですが,遠くからでみているだけであれば,たいへん興味深いところがあります。彼女は希望の党では大きな失敗をしたのですが,それでも昨年の都知事選は危なげなく圧勝で再選です。勢いのあった山本太郎氏もまったく勝負になりませんでした(れいわ新選組は,この敗北で勢いが止まったのではないでしょうか)。
 ただ小池氏は爆弾を抱えています。それがカイロ大学首席卒業という「ウソ」です。首席というのは,優秀な成績という意味だというように,なんとかごまかせても(もちろん,それも苦しいのですが。首席というのは,普通は特別な意味をもっていることは,誰でも知っていることでしょう),卒業の有無はごまかせないでしょう。おそらくこの学歴詐称は公然の秘密なのでしょうが,いくら政治に学歴は関係ないといっても,カイロ大学卒業が彼女の出世の原動力であったのであり,そこにウソがあればやはり苦しくなります(公職選挙法235条1項の「虚偽事項の公表罪」にも該当し得ます。実際に,学歴詐称で失脚した政治家は何人もいます)。著者の石井氏も,学歴詐称それ自体よりも,そういうことをする小池氏の資質への疑念にこだわっています。
 もっとも,カイロ大学卒業がウソであり,小池氏のアラビア語力はたいしたことはないというのは,もう常識で,そこを突っ込んでも,もうスクープでもなんでもないという次元のことになっているのかもしれません。彼女もそこはもう居直っているような感もあります。つっこめば,「それがどうなの?」くらいの返事をするかもしれません。
 本書は,彼女の政治遍歴のすごさも伝えてくれています。それをみるだけで,日本の近年の政治の流れを裏側からみるような感じで面白いです。男性政治家は次々と打ち倒されているようなところもあります(若狭勝氏は小池の側近となり,落選して,元検事の輝きがなくなって,ただの法律タレントのような存在になってしまいました。実力者だと思っていた細野豪志氏も,いち早く希望の党に参集したのですが,現在でも所属政党が決まらず,頼りにしていた二階派も権力闘争にやぶれて衰亡しつつあります)。
 でも,彼女は都知事くらいでは「女帝」と呼ばれたくないでしょう。狙いは首相でしょう。どんな戦略を練っているか。どの男性をうまく使い,そして使い捨て,大願成就となるか(でも,そうならないほうが,日本のためにはよいと思っていますが)。

 なお,前にNHKのテレビ体操の男女比率のことを書きましたが,私の情報に誤りがあり,男性はさらに2名増えていました(ピアノ演奏者がもう1人いて,これで男女比率は同じになりましたし,体操アシスタントにさらに1名の男性がいて,合計3名でした)。

 

2021年10月 2日 (土)

神戸労働法研究会

 今日もオンラインで研究会をやりました。9月分の例会ですが,先週は私の都合が悪かったので,10月に入ってしまいました。今日は,まず劉子安君のアートコーポレーション事件・東京高判令和3324日の判例報告でした。多くの論点があったのですが,とくにチェック・オフの支払委任の要否について,エッソ石油事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第6版)』(弘文堂)の第148事件)に照らして,どう評価すべきなのかをめぐって議論がなされました。チェック・オフの法律関係をめぐっては,いろいろな法律構成がありうるのですが,エッソ石油事件が特殊な事案の判決でもあるので,もう少ししっかり考えてみる必要があると感じさせられました。このほか,労契法旧20条違反のケースの使用者の不法行為責任について,簡単に使用者の過失を認めてよいのかなど,その成立要件についてもう少し厳密に議論をすべきではないかということも議論になりました。
 もう一つは,高橋聡子さんにテーマ報告として,「労災保険の特別加入について」について報告してもらいました。最近,労災保険の特別加入の対象者の範囲がどんどん広がっているし,労災保険本体においても,20209月に,複数事業労働者や複数業務要因災害という新しい制度が入っており(これらも特別加入に関係します),労災保険はいま注目となっています。これまでの労災保険制度の基本となる考え方がゆらいできているのではないかという気もします。労働者でない人にも適用を広げていく,事業主の災害補償責任からどんどん離れた保険給付を認めるといったことは,労災保険の法的性格について抜本的な見直しを求めていると言えなくもないからです。私はフリーワーカーのセーフティネットの拡大という観点からも,労災保険の特別加入の安易な拡大がほんとうに良いのかということに疑問をもっています。次号の「キーワードからみた労働法」(日本法令の「ビジネスガイド」)は,こうした問題関心もあって,労災保険の特別加入をとりあげています。研究会では,先月からのウーバーイーツの配達員への特別加入制度の拡大を念頭におきながら(参加者の関心も高かったです),就労者をめぐる保険のあり方などを含め,いろんな角度から議論ができて,とても有益でした。
 今日も充実した議論ができて,報告者や参加者の方に感謝です。

2021年10月 1日 (金)

女性の仕事,男性の仕事?

 101日というのは,41日と並んで,日本人としては,心機一転,新たなことが始まるという感じです(西洋だとサマータイムの切り替えがこれにやや相当するということかもしれませんが,廃止されるそうですね)。兵庫県労働委員会の新しい任期が始まり,会長と会長代理も新たに選出され,私も委員に再任していただき,あと2年間がんばろうという気持ちにさせられました(恒例の歓送迎会がないのは寂しいですが,これは仕方ありません。当分は難しいでしょう)。私は辞令式は欠席でしたが,デジタル辞令をメールでもらいました(でも紙のものも送ってくるそうなので,これはちょっと迷惑です)。今回は労働者委員に女性が新たに入り,よかったと思います。連合の会長にも女性がなりそうですし,こうした流れが定着すればいいですね。
 そして何と言っても驚いたのが,日課にしているNHKのテレビ体操において,今日からアシスタントに男性2名が新加入したことです。前から指導者は男性2名,女性1名(アシスタントから昇進した岡本美佳さん),ピアノ演奏は,ベテラン女性2名と男性1名(ギリシャ彫刻のような美青年),そしてアシスタントで体操してくれる人は女性ばかりということでした。なんとなく男女の固定的な役割分担を反映している感じで,とくにアシスタントが全員女性というのは,男性的には朝から目の保養になってよいのです(といっても目が悪くてよく見えにくくなっているのが情けないです)が,でもこれはやっぱりおかしいねという違和感がありました。NHKもようやく変わりつつあるということでしょうかね。朝の番組も「おかあさんといっしょ」は日曜以外毎日あるのに,「おとうさんといっしょ」は第2,第3日曜だけというのは,やっぱり乳幼児といっしょにいるのは,おかあさんという決めつけがあるのでしょうかね。公共放送であるNHKにしろ,公的な委員にしろ,仕事のうえで男女の違いが関係ないところでは,意識して男女平等に取り組む必要があるのでしょうね。そういえばNHKの歴代会長をみても,すべて男性です。女性がトップに来れば,もう少し番組が良くなるのでは,という気もしますが。労働委員会の会長をみても,おそらく中労委でも都道府県労委でも,これまで女性はいなかったのではないでしょうか。これはやっぱり不自然という感じがしています。

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