深水黎一郎『トスカの接吻』
『トスカの接吻』(講談社文庫)は,私にとって深水黎一郎の3作目となります(閉鎖前のブログで4年前に『美人薄命』,『最後のトリック』を紹介していました)。この本も長く本棚に埋もれていたものを引っ張り出してきたものです。オペラ・ミステリオーザ(opera misteriosa)というサブタイトルがついていますが,メインタイトルのトスカは,PucciniのオペラのTosca のことです。
「トスカの接吻」というのは,歌姫Toscaが,恋人のCavaradossiの救命を口実にToscaをものにしようとする為政者Scarpiaに対して,ローマから脱出するための安全通行許可書(Salvacondotto)を書かせて,そしていよいよ彼女を自分のものにしようと迫ってきたScarpiaの胸をナイフで刺したときのセリフ「Questo è il bacio di Tosca! 」(これがトスカのキッスよ)からとったものです。
欲望丸出しでサディスティックにToscaに迫るScarpiaを殺して,Cavaradossiへの貞節を守ったToscaは,彼を助けることができたと思ったのですが,最後には悲劇が待っていて(見せかけの処刑のはずが,ほんとうに殺されてしまったのです),そしてみんな死んでしまった・・・というオペラです。ご存じの方も多いでしょう。私もかつて法学教室で書いた「アモーレと労働法」(3回だけ連載)で,Toscaのことに一言触れたことがあります。
さて,本書の紹介に移りましょう。本書『トスカの接吻』では,このオペラの劇中で,ToscaがScarpiaを刺殺するシーンにおいて,もちろん劇では偽物のナイフが使われるはずが,本物のナイフにすり替えられていて殺人が起きてしまいます。Tosca役の女性は,もちろん犯人ではありません。ナイフをすり替えることができる人間は限られています。そんなかで,第二の殺人が起きます。今度は監督の郷田が殺されるのです。犯人は誰か。これはなかなか分かりそうにないですね。
ところで,郷田は,Toscaについて新解釈を加えた演出を考えていました。Scarpia の部下のSpolettaが実は黒幕だったというストーリーです。これは単に作品のなかの一アイデアというのではなく,ほんとうにPucci のオペラの新解釈として使えそうなすぐれたアイデアです。あとがきで著者も,誰か演出家がこのコンセプトを採用してくれないだろうか,ということを書いていますね。
作品のなかでは郷田がこのアイデアをどこで手に入れて使おうとしたかが,彼が殺された理由と関係してきます。
ところで,研究会で,論文の構想になりそうなアイデアをいろいろ出し合いながら,誰かの意見に触発されて,自分の意見を発展させるということがあります。それに基づいて論文を書くときには,触発されたアイデアなどがすでに論文で書かれていると,引用や参照もできるのですが,そうでなければ「ネタ元」を,はっきりさせることができません。基本的には私たちの業界は,「先生」世代の人間は,若手には自由に使ってもらってよいつもりでアイデアを出すものであり(しかし年をとると,若手に対して魅力的なアイデアをだんだん出せなくなっていくことになるのですが),それが研究会の効用だと思っていますが,問題は,その反対のことが起こった場合です。若手のアイデアを「先生」世代が使ってしまうのは,あってはならないのです。若手の頭のなかにある論文の構想は,それがすぐれたものであれば,しっかり熟成できるよう指導したりしながら,こちらは書くとしても,せいぜいその周辺のことにとどめるべきなのです。若手がしっかり論文を書いて,それをこちらが先行文献として引用しながら,自分の議論を展開していくというのは,とても嬉しいことで,そういう引用に値する文献が若手の中からどんどん出てくることを期待しています。
この話が,この本のストーリーとどう関係しているかは,ぜひ読んで確認してみてください。それはさておき,久しぶりにTosca のビデオを観てみたい気分になりましたね。
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