周回遅れの議論をしている解雇の金銭解決
日本経済新聞の7月26日の朝刊で,「解雇の金銭解決,実は定着」というタイトルの記事が出ていました。いま政府で検討されている内容は,記事で紹介されている厚生労働省の担当者の言葉によると,「金銭を払えば自由に解雇できるといった『事前型』制度は導入しないとした安倍晋三前首相の国会答弁に沿い,解雇時の選択肢を増やす制度として法的技術を研究している」ということであり,議論が全然前に進んでいないことがわかります。というか,解雇の金銭解決の議論は,労働者主導型の制度を検討しているかぎり,周回遅れなのです。
だいたい事前型を「金銭を払えば自由に解雇できる」という捉え方をしているところからして,いつの時代の議論をしているのだろうという感じです。何年も前の首相のいい加減な国会答弁に縛られる必要はないのではないでしょうか(前首相の答弁は,その他にも多くの災いをもたらしていることは周知のとおりです)。なぜこれが誤りかというと,金銭は支払う額によっては,解雇が自由とはいえないからです。金銭解決が解雇の自由化につながると言っているのは,私が知るかぎり日本人だけではないでしょうか。日本労働法学会でも,私が金銭解決に関する報告をしたときに,トンチンカンな質問が出てきましたが,私たちが提唱する完全補償ルールをしっかり理解すれば,金銭解決をすれば解雇の自由化につながるなどという批判は出てきようがないのです。なんだか日本なのに,日本語が通用しない国で議論をしているようで情けないですね。もちろん理解したうえで,あえて無視している人もいるでしょうが,それは一つの立場なので尊重しますが,解雇の金銭解決と聞いたとたん,いまだに解雇の自由化と思考回路がすぐに動く人は,もはやアカデミズムの場にいる資格はないでしょう。
ところで,私は労働者主導型の金銭解決を導入することには反対はしませんが,それは目指す解決を100とすれば10程度の意味しかありません。こんなレベルのことでも法技術的な議論にはまりこんで時間を空費してしまっているというのは,嘆かわしいことです。早く周回遅れを取り戻してほしいです。またこの記事が紹介しているような実態としての解雇の金銭解決は,労働実務にかかわる人なら誰でも知っていることです。これがニュースとなるようでは困ったものです。
記事には私の名前も出ていますが,東京大学の川口大司さんらとの研究(『解雇規制を問い直す』(有斐閣))は,企業が補償すべき金銭の水準を経済学の知見から明らかにしたというだけではありません。私たちの提言は,企業が完全補償をしなければ解雇ができないということを提案しているのであり,解雇の要件論にも踏み込んでいるのです。不当な解雇は何かということを根本的に見直そうというものであり,政府が言っているような不当な解雇に対してどう金銭解決を導入するかという議論とは,まったく違います。補償額を推計すると同時に,企業が解雇できる場合とはどういう場合かを金銭要件に織り込んでいるのです。これは,安倍首相がよくわからず口にしている「事前型」とも違うものです。さすがに厚生労働省の担当者は,きちんと解雇の金銭解決の議論の最前線のことは理解しているとは思いますが,政治の縛りがあるので,仕方なく,あまり生産性のない議論を進めているということなのでしょうね。
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