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2021年6月の記事

2021年6月29日 (火)

アクティブストの存在感

 株主総会の季節です。今年は,脱炭素対策など環境マターが経営陣を揺るがしている感じです。ちょうど法学部生以外を対象とした法学一般を教える授業を担当している今学期は,先日,コーポレートガバナンスの話をしました。会社法の想定する株主利益最大化原則と日本型の多元主義的なコーポレートガバナンスとのズレのようなことを話して,自習課題として,先日の石油メジャーのエクソンモービルの株主総会での環境派の取締役選任の記事を読んでもらって,そこで会社と株主の関係についてのどのような新たな動きが読み取れるかを考えてもらうというものを出していました。アクティビストの活動は,株主利益重視の復権という意味もありますが,ただそのアクティビストが環境派の株主と手を組むことで,(短期的な)営利追求とは違った意味合いも出てきているのです。拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)では,労働法の問題と会社法の問題とは切り離すことができないという視点から,こうした会社のガバナンスの新たな動きは,会社のCSR(社会的責任)を強化することにつながるという議論をしており,いま,それを具体的な解釈論につなげるエッセイ的論考も執筆中です。
 環境とは違いますが,東芝の株主総会も現役の取締役会議長の取締役再任が否決されるという衝撃的な結果でした。東芝という会社の国家安全保障的な観点からの特殊性を考えると,経産省の不透明な動きもまったく理解できないわけではないとしても,海外のアクティブストなど多数の株主には通用しなかったということですね。いずれにせよ,東芝のケースは,日本でも,株主総会がほんとうの意味での経営陣と株主との戦いの場となってきたという時代を象徴する出来事かもしれません。
 会社は,今後,たとえばウイグル問題にもみられるような,自企業だけでなく,サプライチェーンにおいて起きている人権問題などについて,その対応いかんでは,経営陣が株主総会で批判にさらされることが起こりそうです。取締役は,株主の信任を得ていなければ仕事ができないことは,教科書的には理解できますが,再任拒否というようなことは,なかなか起こらないだろうと思っていました。今後はそれが普通のことになるかもしれませんね。
 このようななか,アメリカでは,あの若き法学者Lina Khanが,アメリカの公正取引委員会(連邦取引委員会)を率いることになりました。日本では考えられないような驚きの人事です。アメリカの反トラスト法(日本の独占禁止法に相当)が,Amazonなどのデジタルプラットフォームの解体に向けられることになるかもしれません。
 いま会社とは何なのか,営利とは何か,さらには資本主義とは何か,ということが根本的に問われているのです。こうしたことを,私も,不十分ながらも,2018年秋から1年間のサバティカル期間中にいろいろ考えて,それをまとめたのが,上記の本でした。いま,法学の世界でも,一人ひとりの研究者が,こうした根本問題について具体的な態度表明をしなければならないようになっているのではないかと思っています。労働法学者も,社会主義を支持するわけでもなく,資本主義の枠内の修正でよいというようなスタンスで,狭い世界に閉じこもって判例評釈を中心にやっているということではいけないのでしょうね。

2021年6月28日 (月)

紛争解決と論理

 日本労働研究雑誌731号の巻頭にある,山川隆一先生による提言「労働における法と『論理』」を読みました。法の論理性が,権力行使としての性格をもつ法的判断に正統性を与え,とくに労働関係ではこうした「論理」が大切だと述べておられます。きわめて正しい主張だとは思うのですが,個人的には若干の違和感もあります。山川先生の前提となる認識は,「労働関係においては,当事者の価値観や利害の対立が大きくなる」ので,だからこそ,双方が「共有可能な基本的な枠組みから出発した,法的な『論理』」が必要となるというのです。ところが,実務感覚としては,共有可能な基本的な枠組みとして機能しうるのは,はたして「法的」なものかというところが,私の疑問なのです。民法,労働基準法,労働契約法にこう書いてありますとか,最高裁判決がこう言っていますとか,言ったところで,法律の専門家や法学部卒の人であれば,ものすごく納得してくれるのですが,一般市民は必ずしもそうではないのです。経営者の人に,法律を知らないようではダメですよとか,コンプライアンスの意識をもたなければなりません,というようなことは,私も労働委員会の実務などでは立場上やんわりと言うことはありますが,本音のところでは,法律ってそれほどのものなのだろうか,とも思っています。
 山川提言は,冒頭で,アメリカの偉大な法律家であるHolmes連邦最高裁判事とHand連邦控訴裁判所判事との会話に関するエピソードが紹介されています。そこで,山川先生は,Holmes判事が「My job is to play the game according to the rules」と答えたことを紹介して,ホームズが「正義の実現は法的ルールの適用という形で行われることが重要であると考えていたことを窺わせる」と注釈をつけておられます。Holmes判事が,国家において民主的に形成された法的ルールを適用することが裁判官の仕事であると考えていたのは,あの有名なLochner事件の判決での反対意見でも示されています。同事件は,パン職人の労働時間を制限するニューヨーク州法の合憲性が問題となったものですが,連邦最高裁はこの州法が契約の自由を侵害するとして違憲としました(1905年)。Holmesの反対意見は,多数意見は,国の大部分の人が支持していない特定の経済理論に基づいて判断をするものだと述べて批判し,また当時おそらく大きな権威をもっていたHerbert Spencer の社会的進化論(Darwinの進化論を社会理論に転用したものであり,適者生存(survival of the fittest)という考え方から自由放任主義を支持するものでした)も批判していました。国民の多数の考え方を体現する労働立法に対して,契約の自由を重視する当時の経済理論や社会理論を憲法の解釈に持ち込むんで違憲とすることに抵抗したのです。
  Holmes判事は,社会的な対立が深刻化する20世紀初めのアメリカ社会において,特定の立場に与せず民主的な正統性のみを支持するという姿勢を貫徹しようとしたものといえるのであり,それが上記の発言につながったのでしょう。山川先生の言われる「価値観や利害の対立」があればこそ,裁判官は,それ自体は価値中立的な「論理」で法の解釈や適用をしていくことが重要で,それが紛争の「権威」的な解決につながるということなのかもしれません。
 ただその一方で,労使関係を,対立関係とみる図式がほんとうに正しいのかというのが,私のもっている疑問です。もちろん労使の利害の同一性を強調する考え方は,かつて全体主義の時代にも唱えられた危険な思想であることは十分に承知しています。しかし,日本の協調的労使関係が成功したのは,労使の対立よりも一体性を重視したことにあったのであり,紛争の解決のときにも,いかにして労使の利害の一致を見いだすかが大切で,そのためには,できるだけ権威的な解決をしないほうがよいのではないかとも思えるのです。
 権威的な紛争解決手段である法は,日頃の信頼関係がまったく形成できない者の間(具体的には,異国の者どうしの間)で紛争が起きたときにこそ最も効果を発揮するものです。外国では契約の書面性にこだわるのも,信頼関係のない者の間の口約束では簡単に反故にされるからです(Shakespeareの『ヴェニスの商人(The Merchant of Venice)』では,異教徒同士の契約で,書面の合意もあったのに,反故にされてしまうのですが)。
 企業に一定の信頼を置いたうえで,インセンティブを与えて誘導するというのは,森田果『法学を学ぶのはなぜ?』(有斐閣)によれば,法の機能に含まれることにはなるのでしょうが,山川先生のいう「論理」には含まれないのかもしれません。個人的には,権力を正当化するための法的論理よりも,企業へのインセンティブも頭の片隅において,具体的な紛争解決では,損得勘定とか,情緒性とか,そういう非権力的な説得の論理(最高裁判事の草野耕一氏も,昔それに関する本を出されていますね)こそ,効果があるのではないかと思ったりしています。
 ところでもう一人の判事のLearned Handは,過失についての「ハンドの公式」で有名な方です。

神戸労働法研究会

 昨日の研究会では,高知県立大学事件(高知地判2020317)と京都市児童相談所事件(大阪高判2020619)について報告をしてもらいました。前者は,6年予定のプロジェクトのために雇用されていた労働者に対して,1年ごとの有期労働契約で更新されているなか,無期転換を回避するために5年で雇止めにすることができるかということなどが論点となったもので,不更新条項の問題もかかわっており,議論が白熱しました。この論点については,実は昨年の12月の研究会でも議論をしたもので,季刊労働法の最新号で弁護士の千野博之さんがバンダイ事件の評釈を書いておられますが,改めて労働契約法19条について,いろいろ議論できてよかったです。
 とくに不更新条項の有効性について,最高裁の日本郵便事件判決(拙著『最新重要判例200労働法(第6版)』67事件)の射程なども議論できてよかったです。不更新条項については,私自身も東芝ライラック事件判決にからめて拙ない論文を書いています(季刊労働法244号)が,難問です。人事労働法的にいうと,納得同意を得て不更新条項を結んでいる場合には,その効力(期間満了による雇用終了効果)を認めるべきということになりますが,逆にそうしたきちんとした形で不更新条項の締結をしなければ,企業は,労働契約法19条のよくわからない曖昧な規範的要件に左右されてしまうリスクを負うということになります。労働契約法19条は,人事労働法的には,行為規範としてみた場合に非常に問題のある規定であるので,立法論としては見直さなければならないものでありますし,解釈論的には,できるだけ曖昧性を払拭できるように,前記の納得規範に基づく解釈を確立すべきだと思っています。
 このほか,私見では,無期転換回避のためというだけで,労働契約法18条潜脱の不当な雇止めになるわけではないとしています(拙著『人事労働法』222頁で一言だけ触れています)。また特定のプロジェクトのための有期労働契約については,本件では6年契約は結ばれなかったのですが,今後,ジョブ型雇用が広がり,プロ人材の解雇が容易になるかもしれないなかで(この点はいろいろ議論もあるのですが),一定の期間の雇用保障というのは労働者にとって有利な面もあるので,6年契約を有効とするなど,有期労働契約の期間規制(労働基準法14条)についての見直しが必要ではないかと考えています(この点については,拙著『人事労働法』44頁,47頁「自学」,266267頁も参照)。
 京都市の事件のほうは,児童養護施設の所長の性的虐待行為についての内部告発に関する懲戒処分(停職)を無効としたもので妥当であると思います。ただ裁判所が三つの非違行為のうち1つは懲戒事由該当性を認めたことから,京都市がその事由について再度,譴責処分という軽い懲戒処分をしたという点はどうでしょうか。いったん懲戒処分をして重すぎるという理由で違法取消となった場合,もう一度懲戒処分をできるのかというのは,公務員の場合に特別な考慮要素があるのかよくわかりませんが,民間部門の場合は許されないということにならないでしょうか。3つの懲戒事由のうち1つは懲戒事由該当性が肯定されたとしても,懲戒処分としてはその事由も含めて3つをまとめて考慮して行っているのであり,また改めて処分するのは権利濫用となるのではないか思います(労働契約法15条)。とりあえず重い処分をしておいて無効となったら,次はもう少し軽い処分というようになっていくのはおかしいように思えます。刑事責任に関する一事不再理の原則の類推という議論もできそうです。もっとも,この事件について言うと,京都市としては,裁判所がデータの破棄などが懲戒事由に該当するとはっきり言ってしまっているので,そうである以上,その行為に対して何らかの処分をせざるを得なかったのかもしれません。
 とはいえ,この事件では,内部通報した職員は重要な告発をしたわけです。その結果が,軽い譴責処分とはいえ懲戒処分であるというのは,すっきりしないところがあります。公務員であれば,仕方ないのでしょうか。ときどき公務員関係の事件で出てくる公務員の特殊性というのが気になるところですね。
 公益通報者保護法のことを考えると,民間で類似の事件があって,使用者から報復的というわけではないけれど,告発内容の証拠についての扱いについて落ち度があったとして懲戒処分をされるということがあるとなると,仮に裁判に勝つ可能性があるとしても告発にシュリンクするでしょう。ましてや京都市事件のように裁判で勝っても,また懲戒処分をされるということになると,いっそうそうなるでしょう。
 研究会では,企業のコンプライアンスの実現のためには,どういう手法が考えられるかということについて,法学の範囲を超えて,いろいろ熱く議論がされました。これは私が最も関心をもっているテーマの一つです。

2021年6月26日 (土)

小著2冊が日経新聞に登場

 今朝の日本経済新聞の「活字の海で」で,拙著が2冊も取り上げられていて驚きました(瀬川奈都子さんが執筆)。『AI時代の働き方と法―2035年の労働法を考える』と『人事労働法』です。どちらも弘文堂からの刊行です。前者のAIの本は4年半前のものですので,もう忘れられた本だと思っていましたが,こういう目立つところに出させてもらって嬉しいですね。本の構想段階は確か2015年くらいで,20年後の2035年の労働法を考えようと編集者の清水さんと本の企画のことを話していました。その後,厚生労働省に設置された大臣の懇談会でも,その名が「働き方の未来2035」となっていて,やはり2035年が意識されていました。現時点でみると「2025年の労働法を考える」くらいにしていてもよかったかなと思うくらい,時代の変化は速い感じがします。
 どちらの本も,一般書というよりは,もう少し硬い本ではありますが,労働法を深く学びたいという人のニーズには十分に応えられるのではないかと思っています。
 一方,近刊の『誰のためのテレワーク?』(明石書店)と『労働法で企業に革新を』(商事法務)は,一般の人に読みやすいように書いたもので,前者は「労働法」というよりも,「労働」というものの未来をテレワークを素材に書いたもの,後者はストーリー形式で労働法を楽しく学んでもらうというもので,どちらも在宅勤務のテレワークの合間にでも気軽に読めると思いますので,ぜひ手に取ってもらえればと思います。

2021年6月25日 (金)

資格審査は必要か

 中央労働時報1276号に,都労委の,資格審査がパスしないので不当労働行為の救済申立てを却下したグランティア事件の命令について,JILPTの濱口桂一郎さんの評釈が掲載されていました。そのなかで,学会から完全無視されていて,存在しないかのような悲しい扱いを受けていた拙稿(「労働組合の資格審査は必要か-組合自治と行政サービスの効率性の観点からの再検討」季刊労働法265号)を拾い上げてくださって,有り難く思っています。
 私の論文は,資格審査不要論を,組合自治という原理論をベースにしたうえで,多角的に論じたつもりですが,力不足なので,学者の世界では,まったく誰からも相手にされてきませんでした。ただ,こういう超マイナーで地味な論点でも,これだと思うテーマについては論じていくことこそ学者の仕事だと思っていますので,めげずに頑張っていきます。
 それはさておき,実は資格審査不要論は,労働委員会の会議(近畿ブロックの会議だったかと思いますが)でも報告したことがあります。そこで出てきた意見の一つに,労働組合の実態がなさそうなところからの救済申立てがあったときには,やはり資格審査は役立つのではないかというものがありました。私の論文でも,それは使用者利益論というところで論じています。具体的には,労働組合性が形骸化しているような団体からの救済申立てによって手続に巻き込まれないようにするという使用者の利益は保護に値するとしたうえで,だからといって資格審査制度を存続するというのはコスパ的に合わないし,またかなりの場合,「申立人の主張する事実が不当労働行為に該当しないことが明らかなとき」(労働委員会規則3315号)に該当するとして却下するという形で対処できると論じています。
 確かに資格審査制度があれば,グランティア事件のような労働組合を手続から排除できるのですが,これは資格審査存続論の一つの論拠になるでしょうが,十分ではないというのが私の考え方です。
 ところで,濱口さんの立論の面白いのは,労働委員会が実質個別紛争を扱うのは制度の本来の趣旨に合わないということ(これも私が一貫して主張している論点ですが,学会では相手にされていません)から,不当労働行為の救済申立てをするのであれば,外形上,法適合組合の形を整えろと述べている点です。これは,普通の研究者にはなかなか出てこない視点で興味深いです。私は,ここは二段構えの議論で,実質個別紛争はそもそも義務的団交事項ではないし,またかりに義務的団交事項となるとしても,個別の紛争なので,労働組合の自主性や民主性といった資格審査でチェックするような内容は関係ないから,やっぱり資格審査は不要だということになります。濱口さんは,不当労働行為審査で実質個別紛争を扱うのはイレギュラーだけれど,それを扱っているという現実をみているのです。私の見解は,実質個別紛争を拒否しても不当労働行為とならないので,「申立人の主張する事実が不当労働行為に該当しないことが明らかなとき」に該当して却下すべきであるという議論になるのです。濱口さんとは全然ちがうことを言っているようですが,たぶん考え方の根本は同じなのではないかと思います。要するに,実質個別紛争を不当労働行為事件で扱うな,扱おうとすると,いろいろ問題が出てくる,ということです。
 もちろん,私のような却下論が適切か,解釈として通用するかはさておき,グランティア事件をみると,資格審査は使用者からの新たな対抗手段となりうるのだろうかと思っていたら,最後に佐田事件をもってきたところは,さすがです。
 一般論として,労働組合の活動資金は企業からの協賛金でまかない,労働者からは不徴収とし,協賛金を出してくれているスポンサー企業との関係では,ものわかりのよい労働組合となって,戦闘的な組合の防波堤になり(company union),他方,協賛金を出していない企業との関係では,紛争があれば無料で労働者からの申込みを受け付けて,団体交渉をして和解金を得て,その手数料はしっかり取るというようなビジネスは,これはやはり問題があると言わざるを得ないでしょう。Company unionへの資金提供は経費援助になるのです(不当労働行為)が,それ以上に,こうした労働組合に対して法がどういう対応ができるかはよくわかりません。
 資格審査をして,資格を否定して不当労働行為の救済手続を利用させないというだけでは十分ではないでしょう。その活動自体は阻止できないからです。労働組合がビジネスをすること自体を否定するものではありませんが,企業の枠を超えて横断的に活動する労働組合に対して,労働組合法が本来もっているはずの教育的機能を発揮すべき場合があるかもしれず,もしそうなら,それをどうやって進めていくかは今後の新たな課題となるかもしれません。だからといって,資格審査がその機能をになうべきとは思わないのですが。

2021年6月24日 (木)

労災認定基準の見直し

 過労死についての認定基準が見直されるという報道がされたので,少しネットで調べてみると,厚生労働省は,「脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会」というものを設置していて,その報告書が出たということのようです。誰がやっているのだろうと思って,メンバーをみれば,医療関係者がずらりと並ぶなかに,社会保障法の嵩さやかさんと労働法の水島郁子さんが入っていましたね。
 報告書は大部なものなので,「まとめ」だけを見ました。従来の基準と比べて注目されたのは,「短期間の過重業務」及び「長期間の過重業務」において,「業務による負荷要因としては,労働時間のほか,勤務時間の不規則性(拘束時間の長い勤務,休日のない連続勤務,勤務間インターバルが短い勤務,不規則な勤務・交替制勤務・ 深夜勤務),事業場外における移動を伴う業務(出張の多い業務,その他の事業場外における移動を伴う業務),心理的負荷を伴う業務,身体的負荷を伴う業務及び作業環境(温度環境,騒音)の各要因について検討し,総合的に評価することが適切である」というところです。
 もう一つは,報道でもよく出てきた,現行の認定基準の「①発症前1か月間に特に著しいと認められる長時間労働(おおむね100時間を超える時間外労働)に継続して従事した場合,②発症前2か月間ないし6か月間にわたって,著しいと認められる長時間労働(1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働)に継続して従事した場合には,業務と発症との関連性が強いと判断される」という部分をふまえて,「労働時間のみで業務と発症との関連性が強いと認められる水準には至らないがこれに近い時間外労働が認められ,これに加えて一定の労働時間以外の負荷が認められるときには,業務と発症との関連性が強いと評価できる」とした点です。
 労働時間だけが発症の原因ではないので,こうした見直しには賛成ですが,問題は,医学的な知見をどう予防に活かすかです。その点で,この報告書の内容としてマスメディアに最も注目してほしかったのは,最後に書かれていた次の部分です。
 「労災保険制度は,不幸にして,業務上の事由により被災した労働者やその遺族に対し,保険給付を行うものであるが,人の生命はかけがえのないものであり,過労死等は,本来あってはならないものである。過労死等の防止のために,行政当局は,長時間労働の削減に向けた取組の徹底や,過重労働による健康障害の防止対策,国民に対する啓発活動等を進める必要があろう。
 また,事業主は国等が行う過労死等の防止のための対策に協力するよう努め,事業主・労働者は協力して,健康診断の受診率の向上,その事後措置の徹底,健康保持増進や快適職場の形成などを図っていく決意と努力が必要であろう。
 そして,労働者自身は健康で明るい生活を営むための具体的な自助努力が必要であることを認識し,生活習慣病の減少・克服を目指し,その一次予防(健康な生活習慣を自ら確立する),二次予防(早期発見,早期治療)並びに三次予防(治療,機能回復,機能維持,再発防止)に努める必要がある。
 これらの行政当局,事業主及び労働者のそれぞれの取組により,過労死等が減少,消滅することを期待したい。」
 ここで書かれていることが,厚生労働省の予算獲得のための文章というのなら残念ですが,そうではないと信じたいです。ただ,本気で予防に取り組むなら,ここから先が大切です。まさにデジタル技術の出番なのです。労働時間を短くすることに注目があつまりがちですが,それだけでは不十分で,デジタル技術をつかいながら,できるだけ労働者が自己健康管理できるようにすることこそ大切なのです。事業主がそうした労働者の自己健康管理に手を貸せるような制度的枠組みを法律でつくっていくことが必要です。ここはいつもの話となるのですが,経済学者や産業医などとの協働による法制度設計が必要なのです。報告書の求めている労働者の「自助努力」は,テクノロジーのサポートとセットにしなければならないのです。

2021年6月23日 (水)

本の御礼

 今日は二冊です。
 山本隆司・水町勇一郎・中野真・竹村知己著『解説改正公益通報者保護法』(弘文堂)を,共著者の水町さんからいただきました。どうもありがとうございました。山本さん執筆のはしがきをみると,清水千香さんが担当されているようなので,良い本が出来たのだと思います。公益通報者保護法の改正については,このブログでもぐずぐずと文句を書いていましたが,とにかく改正された以上は,実務的には,こういう本が出ると,とても頼りなるでしょうし,企業のコンプライアンス関連部署の人には必携の本でしょう。
 それはそれとしても,公益通報者保護法は,いつも書いているように,法律でぎりぎりやっていくより,インセンティブの手法を重視したほうがよく,消費者庁は,次の改正の際には,経済学や経営学の人をもっと多数関与させて法改正を進めたほうがよいのではないかと思います。法令遵守は,法律家だけの問題ではないのです。
 もう一冊は,相澤美智子さんからいただいた『労働・自由・尊厳: 人間のための労働法を求めて』(岩波書店)です。少し前にいただいていたようですが,大学に行く頻度が少なく,お礼が遅れてしまい申し訳ありません。たぶん一度もお会いしたことがないと思うので,本をいただいて驚きました。タイトルはすごいのですが,昔懐かしい労働法の香りがする本という印象です。内容も,川が流れていくように読みやすくできています。西谷敏先生への学問的な尊敬心もよく伝わってきました。

2021年6月22日 (火)

チャレンジする若者たち

 ゴルフのマスターズ優勝の松山英樹もすごかったですが,同じくアメリカの大リーグで活躍する大谷翔平の打撃もすごいです。まだシーズン途中で何かタイトルをとったわけではありませんが,投手であり,ホームランバッターでもあるというのは,高校野球ではみられますが,まさかメジャーでそんなことがあるのか,という感じですね。彼は盗塁もしますしね。最多勝で,ホームラン王なんてことも,彼であれば実現不可能とは思えません。
 ラスベガスでの井上尚弥もすごかったです。モンスターの名は,世界にとどろいています。相手はIBF世界バンタム級1位でしたが,勝負になりませんでした。バンタム級で統一王座になるというのは,いまや彼にとって小さすぎる目標ですね。すでに3階級制覇していますが,階級を上げて4階級はいけそうで,5階級制覇は簡単ではないでしょうが,彼なら十分に可能性がありそうです。
 みんな,すばらしい20代の若者たちです。世界で勝負をし,実力を発揮して,結果を出す彼らに心より敬意を表したいと思います。
 スポーツとは違うのですが,テレ東BIZの「カンブリア宮殿」で,農家や漁師のオンライン直売をてがける食べチョクの秋元里奈社長がインタビューで答えているのをみたのですが,彼女もまた素晴らしい若者です。こういう人が出てくるならば日本は安泰だと思えるような若き実業家でした(Wikipediaでみると30歳でした)。このビジネスはコロナ禍でブレイクしたのですが,コロナ前から,ICTをつかったEC(電子商取引)の可能性を,生鮮食品においても見いだして,手がけていたそうです。私は,行きつけの日本料理店の紹介で,京都の北丹後地方の農家から野菜を定期的に直送してもらっているのですが,食べチョクは,こういう直送取引のプラットフォームをつくっているのです。考えてみれば誰でも思いつきそうなものですが,やはりそれを実際にビジネスにして成功させているのがすごいのです。
 成功の秘訣は,社会課題の解決ができていることだと思います。農家も,消費者も大満足です。このサービスが定着すると,スーパーで野菜を買う必要はほとんどなくなるのですが,キーワードは「ムーブレス」です。人は移動をしたい動物ですが,それは自分の楽しみのためであり,必需品の買い物のようなことは,できればムーブレスでやりたいというニーズがあるはずなのです(これはテレワークにも通じます)。もちろん高齢者や障がい者のような移動困難者であれば,いっそう強いニーズをもっています。ムーブレスのニーズをうまく取り込んでできるビジネスこそ,ICT時代に大きな成功をおさめることができるでしょう。
  要するに,食べチョクほど大成功をすることは難しいかもしれないにしても,身近なところにある多くの小さな課題をすくいあげて他人にはできないようなイノベーティブな解決をすることが,社会では求められているのであり,ビジネスとしても成功する可能性が高いのでしょう。こういうことに果敢にとりくむ若者に,どんどん出てきて欲しいです。早速,食べチョクに登録してみました。

ウガンダ選手の入国に思う

 ウガンダ選手の入国について,新聞報道によると,成田空港の検疫で陽性者が出たにもかかわらず,濃厚接触者がいるかどうかの判断をしないまま入国させてしまい,なんとバスで大阪の泉佐野まで来てしまったということのようです。私たちも驚いていますし,ウガンダの選手も,すんなり入国できたことにびっくりしてしているのではないでしょうか。「安全安心」の名が泣きますね。オリンピックのことは,書くと辛い気分になってくるので,現実から目を背けたくなるのですが……。
 でも,そうも言ってられません。今後続々と海外から選手や関係者がやってきて,おそらく陽性者はどんどん出てくるわけで,その濃厚接触者のチェックは大変な作業となることが予想され,そこで疑わしい人が出てきたときに,検疫は対応してくれるのでしょうか。さすがにデジタル管理をしているのでしょうが,外国人は氏名はややこしいし,スペルをみても発音がわからないような人もいるし,そもそも言葉のやりとりが,ただでさえマスク越しのなか,外国語でうまくできるのかという不安もあるし,そんなことを考えていると,空港の検疫の業務がパンクしないか心配です。濃厚接触者のチェックは,自治体に任せているようですが,国民としては,検疫のところでやってもらわなければ心配です。
 オリンピック選手に対して,Nimby問題のように,自分たちの近所にだけは来ないで欲しいというのは,きわめて失礼な発言だとは思うのですが,政府がきちんとやらないから,こんなことも言わざるを得ないのです。他方で,日本に来る選手のほうも,日本のワクチン接種率は低いから,地元との交流は困ったものだなと思っているかもしれません。これは要するに,オリンピックをやる状況にはまだなっていないということですよね。
 神戸市のワクチン接種の案内が来ました(私は大学で接種するつもりですが)。神戸市の案内も,しっかり紙で,予診票も紙でしたね。ワクチン接種も,登録アプリなどに,予診票の情報を入力して事前に送信しておけば,当日はスマホで画面を提示しただけで接種というくらいのことはできないのでしょうかね。職員の負担も軽減し,迅速にできると思うのですが。たぶん大学での接種も,これまでのインフルエンザの予防接種の場合の例からすると,やはり紙を使うのでしょうね。

2021年6月20日 (日)

政治家の責任

 菅首相は,「国民の命と健康を守り,安全安心な大会が実現できるように全力を尽くす」と述べています。力強い言葉だと騙される人もいますが,これは非常に無責任な言葉なのです。全力を尽くすというのは,責任を回避するのに都合が良い言葉で,結果責任は負わないということです。全力を尽くしたのだから,仕方がないという言い訳が可能です。しかも全力を尽くすということの具体的内容は示されていません。これは専門家に任せるということでしょうが,専門家の言うことに政治家は必ずしも従ってはいません。

 ここで学校教師的に,問題を出したいと思います。もし,ある国の首相が,次のように国民に述べた場合,この内容のどこがおかしいかを,1600字以内でまとめなさい。

「オリンピックは,どうしてもやりたいのです。お願いだからやらせてください。国民の命と健康を守るためには全力を尽くしますが,何事も絶対ということはありません。犠牲者は出るかもしれませんが,オリンピックは大切なのです。私は首相ですから,国民の皆さんは私の言うことを聞いてもらう必要があります。国民の皆さんは,感染がある程度おさまるまでは,できるだけ動かないでください。動かなければ感染しません。具体的な対策は,各都道府県の知事にお願いしています。専門家にも対策をお願いしています。きちんとした対策をとれば心配はいりません。対策が不十分であるとすれば,それは私の責任ではなく,知事や専門家の責任です。
 オリンピックはやらないほうがよいのでは,という意見があることは私も知っています。でもこれはいまや国際的な公約なのです。G7サミットで宣言して,参加国から承認されたのです。いまさらやらないとは言えないのです。
 確かに他国からぜひ開催してほしいと頼まれたわけではありません。きちんと感染対策をやるのなら,という条件付きで承認されたにすぎません。だから私は感染対策をきちんととるように,関係各所に指示を出しているのです。
 私は国民の命と健康を守るために全力を尽くすべく,感染対策の号令を関係各所にかけています。これが私のやれることのすべてであり,それをしている以上,オリンピック後に感染が広がっても,それは私の責任とはいえません。もちろん,私は政治家ですから,選挙で自らの責任が問われることはあるでしょう。私が責任をとるとすれば,それは与党が選挙に負けたときです。」

 

2021年6月19日 (土)

棋聖戦第2局

 藤井聡太棋聖(二冠)に,渡辺明名人(三冠)が挑戦している棋聖戦第2局は,171手の長手数になりましたが,藤井棋聖が勝ちました。これで2連勝となり,防衛に王手をかけました。序盤から難解な展開で,藤井棋聖が時間をつかい,残り時間でも渡辺名人と大差がついて,局面はほぼ互角であったので(AIの評価値による),そうなると持時間が多く残っている渡辺名人が有利かなと思っていたのですが,徐々に戦況の雲行きが怪しくなり,途中で逆転してしまいました。渡辺名人は,こういう混戦になったらとても強いという印象がありましたが,どうも藤井棋聖相手には,勝手が違うようです。
 筋違い角という,角の本来の筋とは違う筋で打ち合うというアマチュアにはちょっと難しい将棋で,しかも直線的な攻めではなく,相手の手を殺しながらじわじわと攻めるという感じでしたので,プロ的には熱戦,素人的には難解という将棋でしたね。
 渡辺名人が58手目に9四角という筋違い角を放ったとき,残り時間は108分で,藤井棋聖は50分でした。そこで藤井棋聖は25分考えて5八金と守りを固め,そこから数手進んで,名人の角が7六まで出てきた62手目で,名人は残り94分で,藤井棋聖は25分でした。そこで藤井棋聖は1分考えて,5六角という筋違い角を放ち,ここで名人は44分の長考で3四歩と守りに手を入れて,残り時間は少し接近しました。この手に藤井棋聖が17分考えて6八金と指して守りを固めた時点で残り7分です。そこから,藤井棋聖はほとんど時間を使わずに名人の角を追い回し,結局,9二にまで追いやって,7四歩と指して封じ込めました。しかし,藤井玉は周りに金銀の守備がない裸の状態(しかも居玉)です。これが77目で残りは5分,名人は38分。そこから100手近く指し続けるのですが,藤井二冠は,名人が投了したとき時間を2分残していたので,その間に3分しか使わなかったことになります(1分未満は切り捨てなので,実際に考えた時間はもっと長いのですが)。こんなことができる棋士は,藤井二冠しかいないでしょう。時間をかけなくてもこれだけの手が指せるのもすごいですし,そうした力があるのに時間がある間はじっくり手を読んで考えるところもすごいです。谷川浩司九段が,感覚に頼らずにじっくりと読むという蓄積が年月を経て力になると言われてましたが,藤井二冠の時間の使い方は,まさに王道を歩む棋士のそれといえるでしょう。
 いずれにせよ,プロ棋士は,きれいな手を指すだけでなく,相手に悩んで時間を使ってもらおうということで,局面を複雑にする手を指したりするのですが,藤井二冠のように時間がなくなってからの早指しでもAI並の正解手を指し続ける相手にはそういう手は使えそうにないですね。
 まさか名人が3連敗ということはないと思いますが,その可能性がないとも言えないような藤井二冠の勢いですね。 

2021年6月18日 (金)

パワハラの正しい防止法

 前にパワハラのことを扱った時に,その定義が難しいという話をしました。ヘイトスピーチ関係の人格的利益の侵害についても同様の問題がありました。とくにパワハラについては,厳しい叱責との区別をなかなかつけにくいところが問題です。日本労働研究雑誌712号(2019年)の小畑史子さんの論文「パワー・ハラスメント防止のための法政策」(パワー・ハラスメント防止のための法政策|日本労働研究雑誌 2019年11月号(No.712) (jil.go.jp) )を読むと,この点についての難しさが詳しく説明されています。
 パワハラには,不法行為などによる救済もあるし,場合によっては刑事責任も問えるし,厚生労働省からは報告書も出され,HPによる情報提供もあるにもかかわらず,パワハラが根絶できない理由として,小畑さんは,「行為者が,自らの言動が違法でないと信じているため,という可能性もある」と述べ,具体的には,加害者の誤解が生じるケースとして,①場を和ませる冗談,②問題行動を起こした労働者への叱責,③新人や不慣れな者への指導をしたような場合があると指摘しています。なるほど,という気がしました。①はよほど気心がしれている仲間のうちならともかく,新人が入ってきているような場合には危険ですし,③も相手の受け取り方次第で,指導が逆効果になってしまうので,上司としては要注意となります。さらに難しいのは②ですね。②は問題行動を起こしたという労働者の落ち度があるので,ついつい厳しい叱責になりがちですが,これが危険なのでしょうね。問題行動を起こした社員がいる部署では,ついつい上長が自分の責任を感じて厳しい叱責となりがちなので,経営陣は,できれば事情が比較的よくわかっている近い部署に対処を任せた方がよいのかもしれません。 パワハラの背景には,上司の方もノルマなどで追い込まれているという事情があることもしばしばです。こういうことも含めて,経営陣は問題を起こした社員への対処マニュアルを,さまざまな専門家の知見を結集して事前にきちんと作っておいた方がよいでしょう。どのような行為がパワハラに該当するかを知って,それを回避するということではなく,どのようにすれば,従業員がハラスメントと感じるようなことがなく,かつ従業員が起こしてしまった問題行動の再発を防ぐことができるか, という視点が重要なのでしょう。
 ところでハラスメントの6類型のうち,「身体的な攻撃」,「精神的な攻撃」,「人間関係からの切り離し」,「過大な要求」,「個の侵害」までは,まあわかるのですが,「過小な要求」は結構難しい面があります。裁判例では,外科医師を臨床実務から外すというタイプの比較的わかりやすい隔離型の例以外は,そのキャリアからみて軽すぎる業務に従事させるというような例が典型でしょう。ただ心身の病気などで,本人が主観的にはやれると考えていることと,客観的にやれることのずれがある場合には,どのように対応すればよいかは上司としては悩ましいでしょう。本人の健康を考えれば,どうしても過小な業務となりますが,それが本人の職業的なプライドを損なうおそれがあります。私の提唱する「人事労働法」の「納得規範」に照らすと,本人に納得してやらせた仕事は(それは客観的には過重な仕事かもしれないが),それによって本人の心身の健康を害することがあっても,企業はその結果に責任を負わないということにすべきだと考えています。そのようにしてはじめて「過小な要求」がパワハラだと論じる前提が整うのではないかと思います。
 いずれにせよ,パワハラの本質は法律問題ではなく,人事管理の問題であるという認識をもって,企業に主体的な解決を促さなければ,いつまで経ってもパワハラは根絶できないと思います。従業員に対しても,法律によって解決がされるので安心というような過剰な期待をもたせないようにする必要があると思っています。労働施策総合推進法でパワハラに関する規定が入っていますが,これはパワハラに苦しむ従業員に即効性のある救済を与えるような内容ではないからです。

2021年6月17日 (木)

マクロとミクロ

 新型コロナワクチンの職域接種が,神戸大学でも始まります。私も申し込みをしました。ただ,私は職住超接近なのでよいのですが,緊急事態宣言やまんぼうが出ているなか,在宅勤務をしている人たちにとっては,ワクチンのためだから仕方がないとしても,職場にやってくることを求めるというのは,テレワークを推奨する政府の姿勢として,どこか一貫していないような気もしないわけではありません(もちろん接種は任意なのですが)。多くの人が,公共交通機関を使って1つの場所に集まることになるのであり,接種会場ではいろいろ対処はするでしょうが,一定の密状況は生まれると思うのです。やはりワクチンはできるだけ住んでいるところの近くで接種できるようにすべきであり,職域接種を推進するのは,結局はテレワークがあまり進んでおらず労働者が職場にいるという現状を肯定するような感じがしますね。
 また,中小企業では,いろいろな点で職域接種が難しいことも気になります。もちろんワクチンは集団免疫を作るためという目的もあるので,大企業など打てるところからどんどん打っていくという方針は理解できます。集団免疫によって感染拡大を増やすことができればよいので,マクロ的に見ればワクチンを打つ人の数が増えることはよいことであり,それは誰も否定しません しかしワクチンの接種は自分が感染しにくくなったり,発症しにくくなったり,重症化しにくくなったりするという個人的なメリットもあります。そのメリットを享受できないという点では不公平感が出てくるわけです。マクロ的にみてよいことでも,ミクロレベルで不公平があれば,不利益を受ける国民は納得しないでしょう。余ったワクチンがあるときに,(本来は待機リストなどを作っておくべきですが)できるだけ廃棄しないようにするため,近くの人から順番に打つということはやむを得ないものとして許容されると思いますし,こういうのは,準備不足は批判されても,不公平感はないでしょう。でも職域接種は,それとは違います。
 このような場合こそ,本来,政治がリーダーシップをとってしっかりと説明をして,できるだけ不公平感がもたれないような施策を考えていくべきなのです。しかし現在の政府は,およそ説明能力がありません。今晩の首相の緊急事態宣言解除などに関する記者会見もひどいものでした。NHKプラスでみていましたが,19時のNHKのニュースで報道してもらうために,あの時間にあわせてあえてやったのでしょうね。ただ,あまりにも無内容なので,途中で切りました。あの人の読んでいる文章を聞いていると,この人は内容をわからずに棒読みしているんだなということがわかります。あれをあえてNHKのニュースでLiveで流すということは,あれでよいと思い込んでいるのでしょうね。あきれるというより,哀れな感じがします。
 いずれにせよ集団免疫というマクロ的な観点から,ミクロの不公平さは我慢せよというのは乱暴な議論です。このようなミクロ的な不公平さを気にするのが,法律家の感覚なのかもしれません。政治家は,マクロの視点で仕事をしてもらっていいのですが,ミクロの不公平さについて,国民に納得をしてもらうための説明をきちんとすることも重要な仕事です。そういうことは首相やその側近たちでは,やる能力はなさそうなので,西村大臣や河野大臣あたりにしっかりやってもらいたいです。首相をめざすなら,そういうことが大切なのです。

2021年6月16日 (水)

フジ住宅事件判決に思う。

 昨日のヘイトスピーチ解消法に関連して,もう一つ,ふれておくべきなのがフジ住宅事件判決(大阪地裁堺支部202072日判決)です。NHKのニュースでも,かなり前にこの事件のことを取り上げていました(フジ住宅という会社名は出ていませんでしたが)。世間でも,かなり話題になっている事件です。1審判決については,神戸労働法研究会で昨年秋に石田信平さんが報告してくれて,すでに季刊労働法でも評釈が掲載されています。たいへん優れた評釈なので,法律論に関心がある人はぜひ読んでみてください。  
 この事件は,原告である韓国籍の従業員が,この会社による,人種差別を内容とする政治的見解が記載された資料の職場での大量の配布(本件配布行為)や,教科書展示会へ赴き会社が支持する教科書の採択を求める旨のアンケートを提出することへの参加の勧奨(本件勧奨)などが人格的利益を侵害したとして損害賠償を請求したものです(結論は会社に慰謝料の支払いが命じられていますが,現在控訴審で争われているようです)。
 判決は,まず会社側の行為は,原告従業員に対して法律で禁止する差別的行為をしたとはいえないとしています。原告個人をターゲットとしたものではないことなどが理由です。
 また,会社側が,本件配布行為は,日本について正しい歴史認識を有することで,日本人としての誇りや自己肯定感や愛社精神を高めることを目的とする教育の一環であるという主張をしているのを受けて,判決は,たとえ教育であるとしても,また強制をともなうものでないとしても,「様々な思想・信条及び主義・主張を有する労働者が存在することが当然に予定されている企業では,企業内における労働者の思想・信条等の精神的自由が十分尊重されるべきであることは,論を待たない」とし,それに加え,憲法141項を受けて制定されている労基法3条が均等待遇の原則を規定し,「使用者に対し,国籍に基づく差別的取扱いを禁止しており,労働者は,就業場所において国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を有している」とします。そのうえで,「たとえ労働条件に関する差別的取扱いそのものには該当しないとしても,使用者が,特定の国民に対する顕著な嫌悪感情に基づき,それらを批判・中傷する内容の文献や自己が強く支持する特定の歴史観・政治的見解が記載された文献等を就業場所において反覆継続して労働者に教育目的で大量に配布することは,それ自体労働者の思想・信条に大きく介入するおそれがあるのみならず,たとえ前記国籍を有する当該労働者に対して差別意思を有していない場合であっても,前記嫌悪感情が強ければ強いほど,前記国籍を有する労働者の名誉感情を害するのみならず,当該労働者に使用者から前記嫌悪感情に基づく差別的取扱いを受けるのではないかという危惧感を抱かせるのであるから,厳に慎まねばならない」とします。「厳に慎まねばならない」というのは,企業倫理的なことを述べているような表現ではありますが,「私的支配関係である労働契約において,使用者の実施する文書配布による教育が,その配布の目的や必要性(当該企業の設立目的や業務遂行との関連性),配布物の内容や量,配布方法等の配布態様,そして,受講の任意性(労働者における受領拒絶の可否やその容易性)やそれに対する自由な意見表明が企業内で許容されていたかなどの労働者がそれによって受けた負担や不利益等の諸般の事情から総合的に判断して,労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益を具体的に侵害するおそれがあり,その態様,程度がもはや社会的に許容できる限度を超える場合には違法になるというべきである」として法的判断につながっています。ここでは三菱樹脂事件・最高裁判所大法廷判決が参照されています。そして,本件では,この基準に照らすと会社の本件配布行為は違法となるとしたのです。
 これをみると,本判決は,人事権の行使としての教育の濫用という枠組みで論じたもののようにもみえます。事案からすると,「環境型ハラスメント」のような事例であり,職場環境配慮義務違反の問題としてみていくべきもののようにも思えますが,企業による人格教育は認めざるを得ないという観点から,いちおうは「教育」の土俵に乗せたうえで,その限界を設定したというところなのかもしれません。ただ,こうした教育は,業務との関連性が希薄であると考えられるので,傾向企業であればともかく,基本的には厳しい適法性審査にさらされることになると思います。
 企業は,業務を遂行するために必要な技能を習得させるための教育はもちろんできるのですが,労働者の人格まで教育によって改造しようとすることがあれば,それはやりすぎとなるでしょう。もちろん,ある種の洗脳をしたほうが,よりよく働いてくれるかもしれませんし,昭和時代の企業戦士の育成は,こうした洗脳と改造の成果といえなくもありません。著名な経営者は,そうしたことができる「教祖」的な素養があるのかもしれませんが,現代の視点でみると,そうした教育は本人の人格的自律を脅かすものであり,やはり厳しい視線でみておかなければなりません。とはいえ,入社時に全員に論語を読ませたり,新自由主義的な経済思想の著作を読ませたりして,そのレポートを書きなさいと命じるくらいのことは許されそうで,そうであれば,今回のフジ住宅のやったとされていることが,どこまで問題なのかは難しいところがあります。
 法的な議論をすれば,契約(同意)に基づいて私的支配関係にはいる以上,三菱樹脂事件・最高裁判所大法廷判決も示すように,企業側の経済活動の自由(従業員への職業教育の自由も含まれるでしょう)の下に,労働者の思想・信条の自由や人格的自由の侵害の社会的許容性はかなり広く認められてしまうのかもしれません(とくに長期雇用慣行の下ではそうなりがちです)。ただ,少なくとも企業倫理的には,社会的経済的に優越的な地位にある企業が,社会的マイノリティである外国籍の従業員の人格的利益へ配慮することは,一般論としては求められるのであり,判決が「厳に慎まなければならない」と述べているのは,このような意味でも妥当といえます。
 ところで,韓国人の親しい友人と話をするとき,従軍慰安婦の問題は互いに避けています。私は韓国政府の主張やそれに同調する日本の大新聞の立場に納得していませんし,友人は日本政府の主張に納得していません。でもそうした問題は避けても,仲良くできます。というか避けるからこそ,仲良くできるのでしょう。あえて危険地域に分け入る必要はありません。それは私だって,友人に対して,韓国政府の主張がどれだけおかしいかということを,文書を示して説明したい気もしますが,でもそういうことはやるべきではないと思っています。それに問題の根幹は,歴史的事実の存否ではなく,こういう被害者意識が形成される背景的な事情にこそあるのであり,そこをみたうえで互いに節度のある行動をとらなければ建設的な関係にはならないと思っています。
 人事労働法的には,企業が従業員を教育(職業訓練)をすることについては,きちんと「標準就業規則の不利益変更の手続」(この概念については,拙著『人事労働法』(弘文堂)37頁を参照)をとって明記したうえで行うべきであり,そのうえで,実際に教育をするときには本人の納得同意を得るべきということになります(拙著128頁参照)。本件では,就業規則で明記はしていなかったでしょうが,かりに明記をしていたとすれば,強制的ではない部分については,納得同意は不要となります(本件勧奨のほうは,事実上の強制があるとすれば,納得同意が必要となります)。
 さて,裁判となると,おそらく経営者は信念をもって行っている以上,明確に禁止されていることをしたのであればともかく,微妙な判断によって違法とされたとなれば,なかなか納得できないところがあるでしょう。そして,これだけ注目される裁判となると,裁判という場が,双方の正当性を裁判官に対してだけでなく,世間に主張する場となっていくでしょう。裁判というのはそういうものかもしれませんが,これがほんとうに当事者にとって良いことなのかは,私にはよくわかりません。
 労働法の理念において人格的利益を守るということは最優先の事柄です。しかし,人格的利益が侵害されたかどうかについて法的に決着を付けるのは,容易ではありません。もちろん裁判所は最終的には黒白を付けるのですが,本件のように明確な規範が存在しているわけではないケースは,紛争は長引くおそれがあります。実は決着の付け方は法律だけではありません。フジ住宅は東証一部上場企業です。企業の態度がどこまで「Social」な点で問題がないかは,最終的には投資家が判断するのかもしれません。石田さんの評釈をみたらわかるように,結論はともかく,法的には難しい論点が絡まっている事件であり,裁判官の価値観や弁護士の力量という,ある意味で偶然の要素に左右されてしまいます。だからこそ,裁判でどうなろうが,大事なことは,この企業の経営のあり方が,社会への貢献という企業の本来の使命に照らしてどのように評価されるかということだと思います。裁判で負けても投資家が支持すれば,企業は生き残ります。逆に裁判で勝っても,投資家が支持しなければ,企業は衰退するでしょう。ヘイトスピーチ解消法における教育や啓蒙活動は,実は,こうした市場をとおしたコントロールをすることができる株主に対して向けられるべきものなのです。株主というのは,もちろんプロの投資家だけでなく,一般市民の誰でもなることができます。労働法の理念の実現方法は,広い視野をもって考えていく必要があります。

ヘイトスピーチ解消法について思う

 今朝のNHKのニュースで,ヘイトスピーチ解消法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)のことが話題になっていました。ネットで匿名でヘイトスピーチをしていた者が特定されて損害賠償の支払いを命じられたという事件のことも出ていました。本人からは謝罪も何もなかったそうです。在日韓国人らに対するヘイトスピーチは,この法律が2016年に制定されてからも,なくなっていないということで,どうすればよいということについて,二人の識者のコメントが紹介されていました。一人はこの問題に詳しい著名な弁護士の方で,この法律はヘイトスピーチを禁止してはおらず,実効性に乏しいので,規制の強化をすべきということでした。確かに,今回初めてこの法律を見てみたのですが,基本施策としてあるのは,相談体制の整備,教育の充実,啓蒙活動にとどまっていました。もう一人は学者の方で,現行法の枠組みの中で司法判断を重ね,差別に対する社会の共通認識を深めることが大切であると述べていました。
 さて,どちらがよいのでしょうか。これはパワハラの場合ともやや似たような問題構造です。後者の司法判断をかさねるというアプローチは,確かにヘイトスピーチとして,具体的にどのようなものが違法と判断されるのかが明確でないので,判例の蓄積に待つということは,それなりにわからない話ではありません。ちなみに,この法律で解消を目指す「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは,「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの……に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命,身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど,本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として,本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」と定義されています(2条)。長すぎる定義で,国民向けというより,まさに裁判官向けの規範という感じがしますね。でも,ヘイトスピーチ解消法は,行為規範として機能しなければ意味がないわけです。それに司法判断の積み重ねというのは,あまたの犠牲者の血のにじむような裁判闘争を経なければならないということであり,それを待つというのは,あまりにも悠長です。一般の人からすれば,たとえ弁護士のサポートがあっても,裁判をするのは,時間的にも費用的にも,また精神的にも大変なことだと思います(とくに被害者側からすると,そうでしょう)。判例の蓄積を待つというのは,法律家的な発想なのですが,市民の立場からは,裁判をしなくてよいようにしてもらいたいと思うはずです。
 これは労働法にあっては,いっそうあてはまるのであり,私が人事労働法で裁判法学的労働法を批判したのも,どのようにすれば裁判をせずに権利が実現できるかということを考えるべきではないか,という問題意識によるものでした。
 ではヘイトスピーチについては,どうすればよいのでしょうか。やっぱり規制を強化すべきなのでしょうか。規制を強化するとなると,ヘイトスピーチの定義をもっと明確にする必要があるでしょうが,それはかなり難しいでしょう。また法によるヘイトスピーチの規制は,どうしても国家による言論への介入という面があり,警戒心をもたなければなりません。
 ではどうすればよいのか。名案があるわけではありません。本気で教育の充実や啓蒙活動に取り組むことは,重要な対策であると思います。さらに考えておきたいのは,私たちは,自分の所属する社会の構成員として,きちんとそれぞれの立場で貢献することが求められており(貢献の仕方は人それぞれできわめて多様です),そうした貢献をしている人を社会から排除しようとするのは,それが「本邦外出身者」であるかどうかに関係なく,社会にとってマイナスなのです。こうした社会への貢献(社会にとっての効用)という功利主義的な観点からみると,普通の市民を追い出そうとしてヘイトスピーチをする人のほうこそ,社会から排除されるべきではないかという問題意識が出てくるでしょう。こうした意識を広げていくことが,ヘイトスピーチの解消につながる近道なのかもしれません。

2021年6月14日 (月)

有利原則

 労働協約の有利原則というのは,学生の好きなテーマですが,あまり実例がないので,机上の議論という感じもします。この論点は,通常は,労働組合の組合員が,企業と個別に労働契約を締結して,労働協約よりも有利な内容の労働条件を合意したとき,その合意は有効かという問題として提示されます。有利原則肯定論はこれを肯定し,否定論はこれを否定します(有利原則という言葉は,ドイツ語の直訳です)。有利原則は,もう少し抽象化すると,労働協約と労働契約との間で,内容が抵触する場合にどちらを優先するかを解決する「抵触規範」であり,契約自治を重視すれば有利原則を肯定し,労働組合の統制や秩序を重視すれば有利原則を否定することになります。こうした抵触が起こるのは,労働協約と労働契約では当事者が異なるからです。企業別協約の場合は,使用者側の当事者は同じですが,労働側の当事者は労働組合と組合員個人という形で異なっています。そして授業では,ドイツのような産業別協約の場合は,産業レベルの最低基準を設定する意味があるので,法律で有利原則を肯定する規定があるが,日本では前提が違うので学説上議論があるというような説明をします。
 ところが,有利原則は,上記の設例とは異なる状況でも起こりえます。労働組合が就業規則ないし労働契約よりも労働条件を引き下げる労働協約を締結していたところ,そうした労働協約を締結した労働組合に,あとから加入した従業員がいた場合,加入時に適用されることになった労働協約と,加入前に適用されていた就業規則ないし労働契約のどちらが優先するかという問題が起こるのです。私は労働協約の拘束力を組合員の意思を根拠とすると解しており,上記従業員は労働組合に加入する時点で労働協約に服する意思をもっていたと解されるので,特段の合意がないかぎり,労働協約が適用されると解します(事後の意思の優先)。しかし,労働協約の規範的効力の考え方いかんでは,これは違った問題の立て方となります。ある裁判例は,これを労働協約の規範的効力の始期の問題として,「労働協約の規範的効力の生じた後に労働協約当事者である労働組合の組合員になった者の労働契約の内容が,組合員でなかった時点に遡って,当該労働協約により変更されると解することはできず,当該組合員に対する当該協約の規範的効力の始期は,労働協約上特段の定めがない限り,労働組合加入の時点であると解すべきである」と述べています(近畿大学(労働協約)事件・大阪地判2019424日→大阪高判2020・5・27)。これは一つの立場ではありますが,しかし労働協約が遡及適用されなくても,当該労働者が労働組合に加入したときに,労働協約と労働契約の抵触は起きているとみて,そこには有利原則が問題となる余地があると思われます。この判決の考え方は,こうした抵触はないと解しているのであり,有利原則否定論に基づいているのか,有利原則の問題に気づいていないのか,有利原則は労働組合の加入後に問題となるのでこのケースでは有利原則の問題ではないという考え方に立脚しているか明確ではありません。
 この点は,2月に神戸労働法研究会でこの事件が扱われたときにも議論したのですが,最近,判例の勉強をするために,ジュリスト別冊の重要判例解説をみていたところ,この事件が採り上げられており,その解説でも有利原則の指摘がなかったので,少し気になりました。普通に考えると有利原則の問題ではないとされそうですが,有利原則というのは内容が必ずしもはっきりしないものであり,もし司法試験で,学生が,上記のような事例で,これを有利原則の問題として扱っていても,減点しないでほしいなと思います(むしろ,労働協約の拘束論から始めて,有利原則を論じて,結論として有利原則を否定するというような議論にまで至っていれば,大きな加点対象にしてほしいですが,司法試験というのは,そういう試験ではないのでしょうね)。

2021年6月13日 (日)

交流戦終了

 交流戦の前半は,パリーグは強いなと思いました。ロッテに負け越し,西武にはなんとか勝ち越しましたが,オリックス,ソフトバンクに負け越しました。岩崎が疲れからか打たれてしまい,勝ちきれない試合が続きました。しかし,調子が悪かった日本ハムとのカードで3連勝して勢いがつきました。藤浪(前に書いたブログで「藤波」と書いていました。お詫びして訂正します)が岩崎の代わりに8回を任されるようになり,7回まで1点差があれば,藤浪,スアレスで勝てるという流れが出てきました。先発は,秋山,青柳,西(勇輝),伊藤,アルカンタラが安定しており,ガンケルが戻ってきて,駒はそろいました。打線は,中野,サトテルの新人コンビが伊藤投手と並んで阪神を支えてくれています。マルテは怠慢走塁は困りものですが勝負強さがあり,サンズはここというときに頼りになります。近本は調子を上げてきましたし,大山もサトテルに4番の座とサードのポジションを脅かされているので,チーム内で良い競争が働いています。糸原は毎年ケガをしますが,今年は早めにもどってきました。原口と糸井を右と左の代打の切り札にし,さらに豊富な代走陣も控えています。そして何と言っても梅野です。守備の貢献度の高さは言うまでもないのですが,攻撃面でも,打撃は急降下ですが,なんと足で貢献しています。こういう捕手は珍しいですよね。打撃には波がありますが,足は安定しています。もちろんリードもいいし,捕球もいいし,強肩です。打率は2割でも,3億円プレイヤーの価値はあるでしょう。
 そういえばロハスも2軍で頑張っているようですが,ロハスを早めに見切ったことも,交流戦の後半に巻き返せた要因です。もちろん夏場になって戦力になってくれればよいのですが,どうなるでしょうか。
 今日の試合は,せっかくガンケルが好投していたのに,継投に失敗して,馬場がよれよれで,3点差がついたのに1点差に追い上げられ,藤浪もホームランを打たれて,ガンケルの勝利が消えたのですが,最後の最後に梅野が粘ってディレイドスチールで相手の動揺を誘い,近本の3塁打で,松井を打ち崩しました。今年は負けや引き分けの流れになっても勝ちきることが増えました。巨人はまだ怖いですが,7ゲーム差となったので少し余裕が出てきました。ほんとうに優勝しそうな感じですね。でも2008年の悪夢があるので,油断はできません。13ゲーム差をひっくり返されたのですから。

Legge-Provvedimento

 どういうわけかイタリアのFoggia 大学のOlivieri先生(面識はない)から,いつごろからか忘れましたが,依頼がよく来るようになり,今回は,日本の労働ADRについて書いてほしいという依頼がありました。イタリア語で書くのは大変だったのですが,使用言語はイタリア語,フランス語,英語,スペイン語ということだったので,英語で書くということで引き受けました(Alternative labour dispute resolutions. A Collection of Comparative Studies - Cacucci editore - Casa Editrice fondata nel 1929 )。といっても内容は薄いものですが,どうもいろんな国から情報を集めるということが大切であったようで,登場する国は,イタリア語でのアルファベット順に,アルゼンチン,オーストリア,ブラジル,フランス,日本,ギリシャ,イタリア,リトアニア,メキシコ,ポルトガル,スペイン,ハンガリー,ウルグアイということで盛りだくさんです(なぜかドイツ,イギリス,アメリカがないのですが,日本ならばこれでは出版できないでしょうね)。アジアは日本だけでしたが,こういう比較法研究にアジアを加えておくことは,多様性を示すことになり,都合がよいのでしょう。まえには,彼が編集委員をしている雑誌の特別号(労働協約に関する国際比較がテーマ)にも日本のことを書いてくれないかという依頼があり,ナショナルレポートのようなものを書いています。さらに思想信条による労働差別についての日本の状況について書いてくれないかという依頼もありましたが,あまり面白いことが書けそうになかったので,これは断りました。誰かに回そうかと思いましたが,イタリア側と仕事をすると,たいへんことも多いので,慣れていなければ疲弊するし若い人にはあまり業績にもなりそうにない(もちろん原稿料などはありません)ので,迷惑をかけてはいけないと思い,断ってしまいました。またつい最近には「Legge provvedimento」についての国際シンポジウム(オンライン)を秋に開くので,参加してくれないかという依頼もありました。昔ならイタリアに行けるのであれば,少々無理をしても引き受けていたかもしれないのですが,オンラインですし,何よりもテーマが難しかったので断ってしまいました。
 そもそも「Legge-Provvedimento」とは何かということなのですが,彼らの問題意識は,イタリアのナショナルフラッグであるAlitaliaの経営や雇用を救済するために法律を制定するという措置に問題はないのだろうかということであり,海外にそういう事例がないか知りたいということのようです。法律だけれども,一般性・抽象性というものがなく,特定の企業と労働者にしか適用されない個別的な措置(provvedimento)を内容に含むのがLegge-Provvedimentoで,そういうものは許されるのか,という問いかけでした。一般性・抽象性のある「規範」を含まない法律を制定することは許されるのかは,合憲かどうかという憲法論なのか,より基礎法理論的な問いかけなのかはよくわからないのですが,どっちにしろ私には答えられないテーマです。私に求められていたのは,難しいことよりも,たんに日本の労働法にそういう法の例がないかということであったのかもしれませんが,シンポジウムとなると,どれだけのことを話さなければならないか予測ができませんし,そもそも日本でそういう例があるのかもよくわからないので,私には荷が重すぎるということで断ってしまいました。もし話すとなると,少し前に話題となった特区のようなことになるのでしょうか。それとも労働法ではあまり例がありませんが,特別措置法のようなものが,それにあたるのでしょうか。
 ただ,少しひねって考えると,例えば,法律が一般性・抽象性を無視して,特定の人たちの利益のために制定されたり,あるいは制定された法律が,特定の人たちの利益のためにだけ適用されたりするということになれば,Legge-Provvedimentoと似たような問題があるのかもしれません。これは,コロナ禍のどさくさで,緊急避難的という言葉の下に,法律が恣意的に(不公平に)適用されていないか(とくに行政が法律により与えられた裁量を逸脱していないか)という視点につながるのであり,冷たいようですが,誰かがそういうチェックをする視点をもっておかなければいけないのかな,という気もしました。

2021年6月11日 (金)

じんぶん堂に登場

 明石書店から刊行した『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』は,労働法の本という感じではなく,Amazonでも,労働法のカテゴリーに入っていないのですが,もともと法律書としては書いていないので,むしろ法律家以外の方にも広く読んでもらえるには,分類が法律書でないほうがよいと思っています。その点で,これまで私の本を扱ったことがなかった「じんぶん堂」でも紹介していただけたことは有り難いです(編集者Aくんと巡る テレワークと近未来の働き方への旅|じんぶん堂 (asahi.com) )。また『人事労働法』(弘文堂)に続いて,労政時報の人事ポータル「jin-Jour」でも紹介していただきました(BOOK REVIEW『誰のためのテレワーク?―近未来社会の働き方と法』|人事のための課題解決サイト|jin-jour(ジンジュール) (rosei.jp) )。いつもありがとうございます。
 本は,子どものようなもので,ものにもよりますが,だいたい構想がまとまって「受胎」(英語では,構想も受胎もconceptionですね)してから,10か月くらいで脱稿し,「出産」(刊行)します(私が女性であれば,もっとこの比喩はぴったりするのですが)。いったん生まれた子は,生まれたばかりの頃は,親としてできるだけ育児にかかわることにしています。ただ,その時期が過ぎると,できるだけ自立できるよう,世間さまに愛されて大事に育てていただけることが大切だと思っています。自分の手を離れることにより,また次の「受胎」に向けて頑張ることができるのです。もちろん,自分の手を離れても,子は可愛いものです。どの子にも,受胎・出産というプロセスで頑張ったという記憶があるので,一つひとつに思い出があります。たまたま時期が重なって出産ラッシュということもありますが,受胎の時期はずれていて,一つひとつにたっぷりと思い出があるのです。今回のテレワークの本も,出産後の成長をじっくり見守っていきたいと思います。

2021年6月10日 (木)

コロナ対策とナッジ

 今朝の日本経済新聞の経済教室「コロナ対策に経済学の知見(上) 認知バイアス政策に生かせ」(依田高典・京都大学教授)は,とてもよかったです。認知バイアスと行動変容という切り口でしたが,こういう研究があるはずだと思っていたので,勉強できてよかったです。
 「ある人がPCR検査で陽性の判定を受けたが,この人が実際に感染している確率はどの程度か」という質問に対する回答の日英比較をみると,英国人は陽性確率44パーセントよりも低い確率で,逆に日本人は高い確率だったそうです。つまり英国人には楽観バイアスがあり,日本人には悲観バイアスがあるのです。日本において行動制限が弱い割に感染被害が少ないのは,こうしたバイアスの違いがあることも一因かもしれない,と書かれていました。そして,日本人は,当時の体調が良い人,心の調子が悪い人,女性,年齢が高い人,教育水準が高い人で悲観バイアスが大きくなったそうです。さらに,「バイアスが楽観から悲観へ傾くほど,経済よりも健康を重視する意見が増え,緊急事態宣言を必要とし,その効果を評価する意見が増えた。同様にバイアスが大きくなるにつれ、第1波の際の外出頻度や接触人数の削減度が大きくなった。そしてバイアスが大きくなるほど、ワクチンを接種する意向が強くなった」とされています。ここからわかるのは,悲観バイアスをもっている人が多い方が,感染抑制につながるということです。「個人としては認知バイアスだとしても,積極的な行動変容を通じて公益にかなうともいえる」のです。
 そうした観点からは,「若い男性や教育水準の低い人で楽観バイアスが大きく,行動変容が十分ではない」ので,「こうした特定層をターゲットにして,大学や職場で講習時間をとり,感染リスクに関する教育を実施し,感染予防を訴える社会的意義は大きいと考えられる」とされます。重要な提言だと思います。
 こういうアプローチを,行動経済学では,「一人ひとりに最適化されたパーソナル・ナッジ」というそうです。これはきわめて興味深い議論です。私は労働法でも,ナッジの発想を取り入れるべきであると考えていて(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)272頁など),ナッジを活用したリバタリアン・パターナリズムに基づく規制手法こそ,今後取り入れていく必要があると考えています(拙著『人事労働法』(弘文堂)でも,そうした発想を取り入れています)。
 ということで,コロナ感染対策においても,ナッジの手法が有効であるはずだと思っていました。今回の記事では,誰を対象とすべきかは示されていましたが,どのように「ナッジ」すれば(肘でつつけば),行動変容が進むかという方法論についてまでは書かれていませんでした。この点についても,ぜひ経済学の知見を示してもらいたいです。今回は(上)なので,明日の経済教室には,そういう記事が出るのかもしれませんね。

2021年6月 9日 (水)

パワハラ対策の真のポイント

 67日の日本経済新聞に,「トヨタ自動車はこのほど自殺した従業員の遺族と和解,再発防止へ懲罰規定も含めた組織改革を進める」という記事が出ていました(今朝の社説でも,この問題は取り扱われていましたね)。記事によると「当初トヨタは自殺とパワハラとの因果関係を否定していたが,労災が認定されると会社の責任を認め,2147日付で遺族と和解した」とありました。この記事のなかで注目したのは,「豊田章男社長は1911月に報道で問題を知ると直後に遺族を訪問。再発防止策の策定を約束した。豊田氏が主導し,207月には約1万人の基幹・幹部職を対象に部下や同僚からも人事評価を受ける『360度評価』とよぶ制度を導入,社内の意識改革に取り組んだ」,「ある幹部は当初,社長に報告が上がらなかったことについて『危機感は欠如していた』と認める。その上で『社長が関わって以降、取り組みが一気に進んだ』とする」と書かれていました。
 ところで私は20192月号のWedgeで,「企業の体たらくが生んだ『パワハラ法』小手先の対応で終わらせるな」というタイトルの記事を書いています(タイトルは,Wedgeの当時の編集長がつけました)。私は記事のなかで,パワハラの問題をコンプライアンスという観点からだけで捉えることに警鐘を鳴らしました。そもそもパワハラというのは定義は不明確で,その認定も簡単ではありません。今回のトヨタのケースでは,業務起因性が認められて労災と認定されたのでしょうが,労災と認定されなかったからといって,企業の勝利というものではないのです。重要なのは,従業員に自殺という極限的な行動をとらせた企業の体質です。私がWedgeの原稿で指摘したのは,「企業内に,上司のパワーの行使に対して,不満をもつ部下がいること自体が問題なのだ」という点であり,「パワハラは,職場環境を良好なものとするために,本来は企業が自主的に取り組んでいくべきものだ」と述べ,法の介入を招いたことを「体たらく」と述べたのです。
 私の観点からは,トヨタが社長マターとして,パワハラ問題に取り組んだのは当然のことです。日経新聞の記事がESG投資の観点から,この問題を論じている点も重要です。パワハラをコントロールできないような企業は,投資家にとっても持続的な成長可能性が小さい企業で魅力に乏しいものです。ただパワハラは前述のように定義が明確ではありません。記事のなかには,「罰則を含めたペナルティーを,加害者や企業に科さないと実効性は上がらない」という弁護士のコメントを掲載していましたが,私はこうしたコメントには賛成できません。パワハラとは,従業員がそういう不満をもっているという状況それ自体が,企業経営の非効率性が生み出している病理現象であるという捉え方が必要であり,その是正はまずは経営者自身が取り組むべきもので,その成果は株主によりモニターされるべきものなのです。そして,このメカニズムが機能しようとしているときに,法律が曖昧な概念で介入しようとすると,かえって「パワハラをしないようにするにはどうすればよいか」というコンプライアンス研修のようなことが広がるだけで,しかも研修を法律家が行うようになってしまい,それでは問題の本質にたどりつけません。これをやらなければならないとか,これをやってはならないという研修であればいいのですが,そこまではやらなくても大丈夫という研修もされてしまうのが問題なのです(もちろん刑法に抵触したり,民事上の不法行為に該当するようなパワハラは法律問題ですが,パワハラはそれとは異なる次元でも起きているのです)。パワハラ問題の本質は,そういうことではなく,企業経営において人を使うとはどういうことかという人事管理マターであることに着目しなければならないのです。トヨタの社長は,こういう問題の本質がわかって行動したのではないかと想像しています。

 

次の知事と市長に求めること

 ドイツ在住の知人から聞いた話ですが,いまではコロナについて無料の検査(抗原検査?)が行われているようです。検査してくれる場所も多く,有効期間があるので,頻繁に検査を行ってデジタルでの陰性証明書をアップデートし,それをもって飲食店で外食しているそうです。具体的なことはよくわかりませんが,かなり普通の生活に戻っているようであり,少し羨ましい気がしました。
 日本でも政府が陰性証明書を発行して海外渡航などを促進するつもりのようですが,当初は紙のようなので,できるだけ早くスマホのアプリで陰性証明してもらえればと思います。結果がすぐに出る抗原検査は,陰性であっても完全にはあてにできないようですが,それでもかなりの確率であたっているのであれば,無料でできるところをどんどんつくって,海外渡航にかぎらず,飲食店などで,客に陰性証明書の提示を義務づけたうえで営業を認めるといった方法はあるのかなと思いました。
 ところで,神戸市在住の私ですが,もしちょっと発熱があったり,咳がひどくなったりしてPCR検査を受けようと思ったとき,どうすればよいかということをネットで検索しようとしたのですが,良い情報を得ることができませんでした。いろいろ検索していると,神戸市の新型コロナウイルス感染症に関する相談窓口というものにたどりついて,そこには新型コロナ健康相談コールセンターの電話番号が書かれていました(FAX番号もあるのに,メールアドレスがないのには,困ったものですが)。できれば,どこにいけば検査が受けられるか端的にわかる情報が欲しかったのですが。健康を悪化していない段階から,いざというときに備えて,その相談窓口に電話してよいのでしょうかね。
 7月には兵庫県知事選,10月には神戸市長選がありますが,デジタル化にきちんと対応でき,新型コロナ感染症対策でもしっかり結果を出せそうな人に投票したいと思います。神戸市では,大規模接種ワクチンをやっているということを,高齢者に知らせるために,昼間から何度も大音量の広報カーがやってきて,道路に面したところに住んでいる私はたいへん迷惑しています(オンデマンド授業の録音をしているのに,やり直しになります)。こんなやり方で,ほんとうに伝えたい人に伝わっているとは思えません。あまりにもスマートでないやり方です。デジタルネイティブの若者とデジタル音痴の(一部の)高齢者との間のギャップが甚だしく,後者が足を引っ張ってデジタル化が進まないようにも思えるので,高齢者にスマホやタブレットを無償供与し,その使い方を教える人材を雇い(雇用の創出),そのうえで公的に必要な情報はネットをとおして迅速かつ効率的に伝えられるようにするという施策をとることは,現在のコロナ対策だけでなく,コロナ後においても重要です。本気でこういうことに取り組んでくれる知事や市長に登場してほしいです。行政のデジタル化は,ここから始めなければ,その先へはなかなか進まないからです。

2021年6月 7日 (月)

産業革新投資機構

 一昨日の日本経済新聞の「大機小機」で,「カリコ博士と創薬投資」というタイトルの記事が出ていました。私も新型コロナウイルスのワクチンの開発に大きな貢献をし,ノーベル賞候補ともいわれるカリコ博士のことを,前にテレビかネットでみて知ったときは感動しました。こういう情熱のある研究者が,苦労しながらも,人類のために大きな貢献をする素晴らしい研究で成果を出してくださったことに心より感謝するとともに,こうした研究に当初は資金が十分に渡っていなかったことにゾッとしますね。もちろん基礎的な研究の成果など,そう簡単にでるものではないのでしょうが,でも捨て金になっても研究開発に投資をするということが必要なのです。
 ところで「大機小機」では,「産業革新投資機構の初代経営陣が進めた米国での創薬ベンチャー投資が政府の無理解で頓挫したツケは大きなものとなってしまった」と書かれていました。調べてみると,2018年に組織が生まれ変わった産業革新投資機構は,外部から優秀な経営陣を集めて,創薬ベンチャー投資をすることを発表していました。それが,例の高額報酬問題で頓挫しました。報酬は絶対水準が高いかどうかではなく,仕事の内容に応じて適切かをみるべきものであり,税金を使う以上,報酬が高すぎるからダメというのであれば,本当に価値のある仕事を政府が行うことはできないことになるでしょう。国民に対して,高額を払っても大切な仕事なのだということを説明できなければ,良い人材を集めて良い仕事をやることなどできません。はっきり言って政治家がろくな仕事をしていないのに高い報酬をもらっていること(河井案里元議員に支払っていた歳費など)が国民の批判なのであり,税金をリスクのある事業に投資するなどという専門性の高い仕事をする人の成功報酬が高額になるとしても国民は納得すると思うのです(官民ファンドは,そもそも無理であるという議論もあるようですが,その点については私には論評能力はありません。またその後の産業革新投資機構が,高額報酬を支払わなくても優秀な人を集めて,立派に成果を出しているではないかということであれば,当初の報酬体系がおかしいということになるのですが,ほんとうにそうなのかについても,私は論評能力はありません)。結局は,高額報酬の必要性について政府が説明できなかったことが問題なのです。政府の説明力が乏しく,良いことも悪いことも,説明すべきことを説明しないという安倍政権以降の体質は,コロナ対策やオリンピック問題にも引き継がれてしまっています。どうにかしなければなりませんね。

2021年6月 6日 (日)

棋聖戦始まる

 今回は,藤井聡太棋聖(二冠)に渡辺明名人(三冠)が挑戦するということで,昨年と立場が逆転しました。NHKも,ニュースがあまりなかったのか,大きく採り上げていましたね。それにしても,もうあれから1年経ったのですね。すっかりタイトルホルダーとしての貫禄もついて,和服姿も違和感がありません。今回は,タイトルを取られた棋士が,翌年,勝ち上がって挑戦するということで,これはいかにその棋士が充実しているかを示しており,逆にここで返り討ちにあってタイトルを奪還できなければ,精神的にもきつくなるでしょう。とはいえ,渡辺名人は,名人を防衛したばかりで,気分よく戦いに臨んでいるでしょうし,先日,順位戦で稲葉陽八段に敗れたばかりの藤井棋聖にとっては,厳しい防衛戦となることが予想されていました。
 しかし今日の初戦は,そういう不安を吹き飛ばすような藤井二冠の快勝でしたね。飛車取りも気にせず,相手陣に攻めていくところとか,自分の角の効いているところに,あえて桂を飛んで重くしながら,駒をさばいていくとか,素人ではとても理解できないような手を指すのですが,AIの評価値は高く,結局,渡辺名人に勝負所を与えませんでした。序盤から激しい攻め合いで,どちらも研究済みという感じで,一気に終盤戦に突入していきましたが,途中からは難解な局面が続き,そのなかで,渡辺名人は最善手を指すことができなかったのに対し,藤井二冠は完璧に指しとおしたようです。それにしても,11手の濃密さが際立つ将棋でしたね。
 渡辺名人もこのままずるずるとはいかないでしょう。棋王戦(対糸谷哲郎八段)も,名人戦(対斎藤慎太郎八段)も,初戦は落としたものの,そのあと連勝で防衛しています。棋聖戦も同じようにいくでしょうか。藤井二冠は,629日からは,豊島将之竜王(二冠)相手に,王位戦の防衛戦も始まるので(王位戦は棋聖戦と違い2日制なので,疲労がたまるでしょう),このハードスケジュールが最大の敵かもしれません。 

2021年6月 5日 (土)

ドイツのテレワーク

 5月の神戸労働法研究会のもう一人の報告者はJILPTの山本陽大さんで,ドイツのテレワークについて報告をしてくださいました。最新のドイツの状況をきわめて正確に細かく教えてもらえて本当に感謝です。
 ところで,ドイツ法において,労働者にテレワークを求める権利はないというのは理解できますが,労働者には「住居の不可侵」が保障されるので,使用者のほうにも平時にはテレワークをさせる権利がないというのは,かなり硬直的な感じもします。テレワークを命じること自体が,抽象的に「住居の不可侵」という法益を侵害するのか,それとも,もう少し具体的な法益の侵害のことなのか(例えば,上司や同僚が,WEBカメラをとおして,従業員の生活を部分的でも覗くことができる点が問題なのか)によって,テレワークの導入への障害の程度は変わってくる気もします(後者なら対策をとればよいことになります)が,いずれにせよ人事管理的な発想では,テレワークの導入は合意に基づいて行わなければ生産性も上がらないと思うので,権利論だけではやっていけないでしょうね。ドイツでも,原則論にこだわった議論はしっかりしますが,実際には協議をして導入するということになっていくのだろうと思います。それは日本も同じことだと思うのですが,ただドイツと日本の大きな違いは,ドイツでは従業員代表制度があり,社会的事項と呼ばれるものについては,事業所委員会(Betriebsrat)に共同決定権があるので,テレワークをめぐる諸事項について,事業所委員会がきちんと関与していく体制が整備されていることです。もっとも,山本さんによると,ドイツでも事業所委員会の設置率は低下しているようで,そういうこともあり,さらにデジタル化に対応するためにも,事業所委員会の現代化のための法案が出されているそうです。
 こういう話を聞くと,日本でも従業員代表法制を導入すべきだという意見が出てきそうですが,これについては,私は反対で,労働組合の組織化もできていないようなところに従業員代表をつくっても労働者の利益のために活動などできないのです。法的には労働組合にだけ労働者代表としての地位を与えるしかないのです(それが憲法28条にも整合的です)。では労働組合の衰退が避けられない場合の対応はどうすればよいかということで,そこで出てくるのが人事労働法のアプローチです(拙著『人事労働法』(弘文堂)のとくに27頁以下の「良き経営と労使自治的手法」と29頁以下の「思考 労働者代表制論」も参照)。
 それはさておき,ドイツのテレワークや事業所委員会をめぐる最新の議論は,山本さんの書いているJILPTリサーチアイ第54回「「テレワークの権利」?─ドイツにおけるコロナ禍での立法動向」|労働政策研究・研修機構(JILPTJILPTリサーチアイ第59回「第四次産業革命と集団的労使関係法政策─ドイツにおける“事業所委員会現代化法”案を素材として」|労働政策研究・研修機構(JILPT)をぜひ参照してください。

母乳主義と男性の育児休業

 昨日,国会で,育児介護休業法の改正が可決されて,男性も子の出生後8週間以内であれば,4週間までの育児休業(出生時育児休業)を,2回まで取得できるようになりました。現行法でもこの期間に男性が育児休業を取得することは可能であり,それは育児休業の取得制限(1回。改正後は2回)のカウント外とされていますが,今回の改正では,回数が増えることと,申出期間を2週間前でよいとすることが目玉なのかもしれません。ちょっと小さい目玉のような気がしますが,ただ実はほんとうの目玉はここではなく,妊娠・出産(本人または配偶者)の申出をした労働者に対して事業主から個別の制度周知および休業の取得意向の確認のための措置を講ずることを事業主に義務づける,というところのようです。表現は性中立的ですが,明らかに妻の妊娠を告げた男性従業員に,上司が育児休業を取得できるが,君は取得するかとたずねるようにするということが想定されています。ちょっとやりすぎのような気もしますが,昭和のモーレツ社員世代が経営層にいるようなところでは,これくらいしなければ状況は変わらないかもしれませんね。ただ本音では休まれたら困ると思っている優秀社員がいて,本人も働く気が満々であれば,意味がないものです。
 ところで,先日の神戸労働法研究会で,オランゲレルさんの女性労働者の保護に関する比較分析に関する報告を受けて,この研究会では珍しく,女性労働に関する議論が盛り上がりました。そのなかで,一つ話題になったのが,出産後の女性の授乳についてです。WHOでは,母乳による授乳の推奨期間というのが2年以上となっているようです。母乳を推奨しすぎると,女性の就労継続は困難とならないでしょうかね。労働基準法67条の育児時間の規定は,生後1年間の授乳時間を女性労働者に保障した規定と言われていますが,1230分ずつの保障(まとめて1時間でよいとされている)で,どれだけの意味があるかわかりませんし,男性がミルクで授乳したいという場合には利用できない規定なので,ちょっと不公平ですよね。こういう母乳へのこだわりがあるため,昭和世代の上司たちも,母乳の授乳ができない男性が育児休業をとることへの理解を妨げているのでないでしょうか。人工乳がどこまで母乳に劣るのかよくわかりませんが,妻が働いて,夫が人工乳を与えるというのは,立派な育児であるという理解が広がれば,もう少し育児休業をとることへの理解が広がるかもしれません(もちろん,育児は授乳だけではありません)。こう考えると,労働基準法67条を改正して男性も育児時間を利用できるようにすべきではないかと思います。もしWHOがいうように母乳が大切というのなら,本気で母乳授乳(breastfeeding)が確保できるように,女性の育児時間(授乳時間)は,労働基準法のようなハードローで規制するのではなく,育児介護休業法に移動させて,子が2歳になるまでの間の育児時間を保障し,その時間は育児休業と同様に所得保障をし,取得方法ももっと弾力的にするというところまでやったほうが,きっちりした規制になる気がします。ただ,個人的には母乳のほうがいいなとは思うものの,ほんとうに母乳の効果はどこまであるのでしょうか。また母乳は生母でなく,他人のものではダメなのでしょうか(乳母)。女性が働きやすい社会を作るというのであれば,この母乳主義について,学術的な議論も含め,はっきりさせておいたほうがよい気がします。それとも私が知らないだけで,ある程度,片がついている論点なのでしょうかね。
 いずれにせよ,労働基準法67条は,明らかに母親労働者の保護を目的とする規定で,そこだけをみれば素晴らしい内容なのですが,これがどうも時代にマッチしないようにみえるところに,労働基準法の「賞味期限」が切れつつあることを示しているような気もします。

2021年6月 4日 (金)

尾身茂会長の発言に思う

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が,ようやく(?)専門家の良心を発揮して,政府に牙をむき始めたような感じですね。尾身茂会長は,SARS対策のときにWHOの責任者として活躍した方であり,感染症の専門家として,どうしても発言せざるを得ない気持ちになったのでしょう。普通ならオリンピックは開催しないだろうということで,やるならしっかり国民に説明すべきだという発言は重いと思います。政府は,いつも専門家の意見を聴いて決めると言っているので,このままだとうまくいけば政府の手柄で,失敗すれば専門家の責任とされてしまいそうな感じでした。尾身会長の言葉は,どう考えても,オリンピックなんてやるべきではないと言っているのだと思います。それにもかかわらず相変わらず,菅首相は,尾身会長の提言を無視して,国民にきちんと説明をしていませんね。「安心安全」という言葉が軽いです。橋本聖子さんも,台詞を棒読みのような感じで,なぜオリンピックなのかを国民に伝えることができていません。よくこんな発信力で,国会議員に当選できましたね。
 ところで,神戸市経由か大学経由かはわかりませんが,ワクチン接種は近いうちに順番が回ってきそうです。ただワクチンの効果についてはわからないことも多いです。ワクチンを打っても感染抑止に効果があるかは不明で,ただ発症や重症化は抑えられそうということのようです。それじゃ感染したら,他人に感染させることはあるのか,ということですが,発症しなければウイルスはそれほど増殖しないから感染させるリスクは減るのでしょうが,ウイルスは体内にいるわけですから,「安心安全」とはいえませんよね。世界をみていると,ワクチンを打てば,マスクもせずに普通の生活に戻ってよいということになっているようですが,これはワクチンを打ったからではなく,ワクチンを打った人が増えて集団免疫ができたからなのでしょうね。
 私自身は,ワクチンを打つことができれば,自分のことだけ言えば,感染しても発症しにくいということで外出してもよいのかもしれません(でも呼吸器が弱いので怖いです)が,他人に感染させる可能性は残るということですから,マスクは当然必要ですし,外食も依然として控えるべきということになるのかなと思います。逆にいうと,他の人もそうしてもらわなければ困る気もします。ただ,こうした理解が正しいかどうか自信はありません。いちおう接種後も,感染予防対策をとってくださいとはネットなどでは書かれていますが,国民のなかにはワクチンを打てばもう普通の生活に戻って大丈夫と思っている人が多くはないでしょうか。

2021年6月 2日 (水)

大坂なおみ発言に思う

 テニスの大坂なおみの全仏オープンの棄権が大きな衝撃を与えています。きっかけは記者会見拒否でした。彼女にとって世界中に発信される記者会見という場は,とても精神的に苦痛であったようです。テニス一筋で頑張ってきて,全米で2度勝つなど,歴史に残るトッププレイヤーになっていても,人前で話すことは苦手だったのでしょう。
 主催者側は,記者会見することについて契約で義務づけていたのでしょう。もしそうならば違反について所定の違約金を支払わせるのは,当然なのかもしれません。法律家的にはそうなのですが,契約上の義務違反があっても,必ず違反の責任を追及しなければならないわけではありません。理由によっては,あえて違反の責任を追及しないこともあるのです。今回,主催者側は1万5000ドルの罰金を課したとされ,さらに4大大会の主催者が大坂選手に今後同種のことがあれば失格させるかもしれないと警告したそうです。ところが,大坂選手が精神的な不安ということを口にしたとたん,態度が豹変したようです。
 詳しい事情がわからないので,あくまでも想像です。また大坂選手は労働者ではないことは百も承知です。でも,少し労働法的考察をしてみましょう。契約違反があったとき,なぜそうした違反をしたのか,何か理由があったのかなど,処分をする前には,本人の弁明を聴取するのが,適切な手続というものです。私は,そもそも労働者か労働者でないかで問題を分ける議論に反対していて,このことは労働法学のなかではあまり評判はよくないのですが,個人で働いている人というのは,雇用関係にあろうがなかろうが,対企業との関係では,やはり弱い立場になりがちですし,いずれにせよ人格的な利益は守られなければならないと考えています。いくら私が一生かけても稼げないような額の賞金を23歳ですでに稼いでいたとしても,そのことは関係ありません。彼女の人格的な利益は,守られなければなりません。もちろん契約は契約なのですが,その履行にも信義誠実の原則というのが適用されるべきです。
 彼女が病気であると明かしたことが,「後出しだ」という批判もあるようですが,これだけの行動を起こしているときに,まずは話を聞いてあげるという配慮がなかったこと自体,主催者側は法的な責任はともかく,道義的な責任というのは問われるべきなのだと思います(また彼女は記者会見拒否をツイッターで予告もしていたようです。ツイッターは,どこかの国の元大統領も公式の重大な発言をツイッターでやっていたくらいですから,大坂も普通に公式の意見表明のつもりで書き込んでいたのかもしれません)。
 私は,主催者が,大坂の話を聞いてあげて,それでも今回は罰金だよ,でも今後の対策はとることを検討する,というような話し合いができていれば良かったのになあと思います。
 ちなみに記者会見はやりたくない,というのは,大人の目からすると困ったことだと思いますし,私ももう少し若いころは,同じように思っていたかもしれません。しかし,いまは,困ったなとは思うでしょうが,もう少し寛大になってきました。自分自身,やりたくないことは,できるだけやらずに生きてきたわけで,これ以上がんばると精神的にきついなと思うと,そこから逃避することもしてきました。逃避は他人に迷惑がかかることもあるのですが,自分が壊れればどうしようもないという生物的な生存本能が働いたのでしょう。人それぞれ何が精神的にきついかは違っているでしょう。きついことを乗り越えていくなかで,成長というものがあるというのもよくわかりますが,何が成長につながるような我慢かは,人によって違うのです。自分はこれを乗り越えてよかったと思うことがあるけれど,それを他人に押しつけても,同じような結果にはならないこともあるのです。だから,基本的には,みんないやなことはやらないようにしましょう。でもできるだけ他人には迷惑をかけないようにしましょう,という態度が望ましいのだと思います。これまで私自身,そういう逃避行為をする人に,迷惑をかけられたことも少なからずあります。私は,その行為は許したいと思いますが,できるだけその後はそういう人とは関わらないようにするという形で,今度はそういう人から私が逃避してきました。それは私の精神の安寧のためです。
 大坂さんが偉いのは,記者会見はやらないけれど,何かうまいやり方がないかと前向きな提案をしていることです。単なる逃避でないところが,人間の格が私なんかよりもはるかに上だなと思いました。

2021年6月 1日 (火)

地方の実家でテレワーク

 昨日の日本経済新聞の「働き方イノベ」で,JTBにおける,赴任せずに「転勤」というタイトルの記事が出ていました。ある従業員が,年老いた母親の介護と仕事を両立させるために実家に戻ってテレワークをしているという内容ですが,これこそがテレワークの価値なのです。本人も会社もこういう働き方,働かせ方を取り入れるのには勇気が必要であったかもしれませんが,優良企業というのは,こういうものだというモデルになるのではないかと思います。身体を使う肉体労働はできるだけロボットに,そして知識や情報を扱う労働はテレワークでというのが,近未来の働き方です。リモートで働ける業種や職種は少なくないはずです。そうしたなか,地方在住の人の雇用機会を増やすというテレワークの機能は,今後もっと注目されるべきです。地方創生という観点からテレワークをみるという視点が大切であり,拙著『誰のためのテレワーク?』(明石書店)でも,そのことにふれています。それだけでなく,『労働法で企業に革新を』(商事法務)に登場してくる深池龍については,年老いた母親の面倒をみるために実家でテレワークをするという,上記記事にあったJTBの社員と同じような設定になっています。テレワークは通勤から在宅勤務になるだけというような単純な話ではないことを,このストーリーからも理解してもらえればと思います。ついでに,今回は,美智香と並んで,深池という人も人生の波瀾万丈ぶりも結構楽しんでもらえればと思います。


 



テレワークはやるかやらないかの問題ではない!

 テレワークは,「やるかやらないかではない。どう取り組むかだ!」というのが,私の『誰のためのテレワーク?』(明石書店)の帯の言葉です。ところが現実には「やらなくてよいのなら,やりたくない」と思っている人もかなりいそうです。出勤7割削減と政府がずっと言い続けていますが,実現しそうな感じがありません。政府自体も出来ていないことだから,説得力もありません。
 本のなかにも書いていますが,現在の業務体制をそのままにしながら,テレワークにしようとしても,無理なのは明らかです。アナログ仕様で出てきている業務体制ですから,それをテレワークでやろうとすると非効率きわまりないことになります。だから,いますぐテレワークとは行かないでしょう。でも1年以上前からコロナ禍は起きています。そのときから,少なくとも1年はコロナ禍が続くと言われていました。そのときにデジタルシフトに成功していたならば,テレワークはもっと進んでいたでしょうし,それによりコロナ感染ももっと状況が良くなっていて,そしてコロナ後に向けたデジタルシフトも出来ていたはずなのです。オリンピックも問題な開催できたでしょう。こういうことは,どうしても目先のことにとらわれがちな経営者に代わって,政府が主導すべきなのですが,首相とその側近は,魂のこもらない作文とスピーチを垂れ流すことだけが得意で,本気で社会を変えようとする意欲も情熱もない人たちですから,どうしようもないのです。そのくせ,オリンピックだけは何が何でもやるということなので,始末に負えません。
 テレワークは,社会的弱者にとっての武器でもあります。テレワークは,障害者や女性たちの能力発揮の絶好の機会という面があります。その意味で,テレワークは,社会の格差を解消する可能性をはらんでいるのです。テレワーク消極論は,社会的強者が,なんだかんだいって自分たちの既得権を奪われたくないために,社会のデジタル化に及び腰になって唱えているものなのです。たとえ既得権などを意識していなくても,現状を変えたくないということが,現在の強者の都合のよいようにできているシステムを維持することになっていて,それが弱者のチャンスを奪っているのです。
 デジアル技術は,下克上を生むと思っています。下克上に対して,私は中立的な立場から,社会的強者たちには,はやく現実をみなければ大変だよと言い,社会的弱者たちには,このチャンスをしっかりつかめと言い,若者には,これからの社会は従来の常識はあてはまらないのだから,常識とされていることを疑えと言うのです。政府には,変化を抑えるのではなく,変化は不可避であるとみて,いかにしてこの下克上というか,大きな社会的序列の転換が起こるなかでの混乱を抑えるかということを考えてもらいたいです。できれば早く新しい政権になって,そこでじっくりと取り組んでもらいたいのですが。
 「なんでテレワークなの?」「別にテレワークでなくてもいいじゃない」と思っている人は,拙著を読んでもらいたいと思います。テレワークをやれないような社会は,数年後には世界の後進国になってしまうということを認識しておかなければなりません。だからこそテレワークはやるかやらないかという問題ではないのです。もっとも後進国になることの何が悪い,という意見もあると思います。実は後進国となっても,それなりの幸福を実現する方法はあると思っていて,そういった道もあると思っています。でもテレワーク反対者は,そういう道をほんとうに望んでいるのでしょうかね。

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