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2021年5月25日 (火)

ハイコンテクスト文化

 昨日も紹介した拙著『誰のためのテレワーク?』(明石書店)では,テレワークを進めるうえでの課題として,リモート環境でのコミュニケーションの難しさがあると指摘されていることについて論じています(47頁以下)。本のなかでは,リモート環境となれば,それに合ったコミュニケーションのやり方があり,それによって情報や価値観の共有ができると述べているのですが,それに対しては,日本にはもともと自分の意見や考えを言葉に出して説明せず,コンテクストのなかで忖度しあうという文化なので,テレワークは難しいという反論もありそうです。非言語的なコミュニケーションが日本の文化だと言われてしまうと,どうしようもないのですが,それは克服していくべきではないか,と考えています。
 ところで,鳥飼玖美子さんの『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫)という,とても面白い本があるのですが,そのなかで,かつて村山富市首相(当時)が,マレーシアに訪問したとき,マハティール首相(当時)から「日本はいつまでも50年前の戦争のことで謝罪ばかりしていないで,国連の安全保障理事会の常任理事国になってほしい」と言われたのに,沈黙でとおしたという話が出てきます(マハティールは,なおご健在のアジアの大物政治家であり,ルック・イースト政策を推進するなど,超親日派で有名です)。優秀な通訳者であれば,多少,政治家が舌足らずのことを言っても,きちんと補充することができるのです(それをやりすぎて問題を起こした例も本のなかでは紹介されていますが)が,沈黙となるとどうしようもないのです。沈黙によって,一定のニュアンスを伝えてはいるのですが,通訳者がそれを通訳することはできず,結局,そのニュアンスはコンテクストを共有しない外国人には伝わらないことになります。通訳者としては,とても歯がゆいことです。政治家が,外交の舞台で,こういうドメスティックな態度をとってもらっては困ります。
 ビジネスの場でも,言語化されていないコミュニケーションがなされて,コンテクストに頼りすぎるような状況は,スタティックな経営環境が続くのであればともかく,変革の時代には適さないような気がします。コミュニケーションをできるだけ言語化していくことは,テレワークを成功させるための前提となるだけでなく,企業がこれからのDX時代に大きな改革を進めていくうえでの鍵となると思います。
 ということなのですが,私はといえば,「これくらい言わなくてもわかってくれよ」とか,「いちいち,そんなことまで言わせるな」と思うことがなくなりそうにないのは,アナログ的体質から脱却しきれていないからでしょうね。

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