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2021年5月24日 (月)

呪縛からの解放

 明石書店の「WEBあかし」でテレワークの連載をしたときに,サブタイトルにつけた「呪縛からの解放」は,言葉を換えれば「常識を疑え」ということでもあります。これからの社会は,「これまでこうやっていたから,それに従おう」ではなく,「これまでこうやっていたから,違うやり方でやろう」という発想が軸でなければならないのです。今回,この連載を本にまとめて刊行した『誰のためのテレワーク―近未来社会の働き方と法』は,もちろんテレワークに関する本なのですが,その基本にあるのは,私たちの働き方,生き方そのものについて,これまでと違うやり方でやろうという提言でもあります。
 1年前の連載時より,私の焦燥感というか,絶望感が高まってきています。テレワークくらいのことができなくてどうする,と言いたいところです。社会のデジタル化,オンライン化というのが,政府のかけ声の割には,国民に響いていないように思います。デジタル庁の創設といっても,スピード感がありません。デジタル技術の重要性,そしてそれに向けた人材育成は,日本でも言われていますが,アジアの諸国も同様です。ほとんど横一線での競争が始まっています。日本にアドバンテージがあるでしょうか。おそらくないのではないかと思います。社会全体にかつての成功の余韻が浸透して改革意欲に乏しいのです。日本の欠点は,人間の力を使って何とかやってしまおうというところです。個人の並外れた献身と基礎的な能力の高さのおかげで,効率的なやり方を採用しなくてもやれてしまうのです。これはもちろん利点でもあるのですが,こういうやり方ではもたないでしょう。ワクチンの大規模接種をみても,マンパワーを使いすぎという印象をいなめません。とはいえデジタル後進国ですから,人間の力に頼らざるを得ないのですが,そのこと自体が日本の国力の低下を象徴しています。霞ヶ関にしろ,地方自治体にしろ,医療機関にしろ,もう人々は疲弊の極地にあります。もっとデジタル技術をうまく使えていたらと思う人も多いことでしょう。私自身,これってなんで手書きが必要なのですか(これだけ接触を避けろと言われていながら,ペンを手渡されて書けと言われるのには抵抗があります),なんで押印が必要なのですか(押印は私の実感では減った感じがありません)など,どうしてこういうやり方(アナログ的な手法)なのですか,と問いかけざるをえない場面に,いまでもときどき直面します。そして,相手の方は苦笑しながら「私も困っているのです」と言うことが多いのです。現場よりはるかに上のほうで,デジタル化を進めることを止めてしまっているボトルネックがあるのでしょう。
 テレワークを進めることは,そういう社会の打破とあわせて始めなければなりません。まずは拙著を読んでテレワークはなぜ必要かということを確認してみてほしいです。とくにテレワークは,経済や社会のDXと密接に関係していることを認識してもらう必要があります。さらにテレワークが地域社会の活性化,環境,格差是正,ワーク・ライフ・バランス,個人の時間主権・場所主権など,私たちのこれからの社会において最も優先度が高い価値の実現につながることを理解してもらいたいです。私に言わせれば,近未来の社会がどうなるかを想定したならば,テレワークはやるかやらないかではなく,どのようにやるか,そしてテレワークをしていることを前提に,そこにどのような価値を追加できるかを考え始めていなければならないのです。そこにはアナログ的な価値も重要な役割をもちますが,ただそれは,あくまでデジタル技術を十分に活用したうえでのことなのです(さらにデジタルによる環境への負荷をどう減らすかという問題にも取り組まなければなりません)。
 ひょっとしたら日本は,その超人的なアナログ力で,このコロナ危機もデジタル抜きで乗り切ってしまうかもしれません。でも,これはDX時代の緒戦にすぎないかもしれないのです。そこで勝利をして油断してしまうと,最終的には敗戦していたということになるでしょう。自分はともかく,自分たちの子どもや次の世代の子たちに,無策のままずるずると敗れ去った日本を引き継ぎたくありません。
 こういう危機意識をもちながら,テレワークとDXのことを考えてもらえればというのが,この本のねらいです。

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