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2021年6月 1日 (火)

テレワークはやるかやらないかの問題ではない!

 テレワークは,「やるかやらないかではない。どう取り組むかだ!」というのが,私の『誰のためのテレワーク?』(明石書店)の帯の言葉です。ところが現実には「やらなくてよいのなら,やりたくない」と思っている人もかなりいそうです。出勤7割削減と政府がずっと言い続けていますが,実現しそうな感じがありません。政府自体も出来ていないことだから,説得力もありません。
 本のなかにも書いていますが,現在の業務体制をそのままにしながら,テレワークにしようとしても,無理なのは明らかです。アナログ仕様で出てきている業務体制ですから,それをテレワークでやろうとすると非効率きわまりないことになります。だから,いますぐテレワークとは行かないでしょう。でも1年以上前からコロナ禍は起きています。そのときから,少なくとも1年はコロナ禍が続くと言われていました。そのときにデジタルシフトに成功していたならば,テレワークはもっと進んでいたでしょうし,それによりコロナ感染ももっと状況が良くなっていて,そしてコロナ後に向けたデジタルシフトも出来ていたはずなのです。オリンピックも問題な開催できたでしょう。こういうことは,どうしても目先のことにとらわれがちな経営者に代わって,政府が主導すべきなのですが,首相とその側近は,魂のこもらない作文とスピーチを垂れ流すことだけが得意で,本気で社会を変えようとする意欲も情熱もない人たちですから,どうしようもないのです。そのくせ,オリンピックだけは何が何でもやるということなので,始末に負えません。
 テレワークは,社会的弱者にとっての武器でもあります。テレワークは,障害者や女性たちの能力発揮の絶好の機会という面があります。その意味で,テレワークは,社会の格差を解消する可能性をはらんでいるのです。テレワーク消極論は,社会的強者が,なんだかんだいって自分たちの既得権を奪われたくないために,社会のデジタル化に及び腰になって唱えているものなのです。たとえ既得権などを意識していなくても,現状を変えたくないということが,現在の強者の都合のよいようにできているシステムを維持することになっていて,それが弱者のチャンスを奪っているのです。
 デジアル技術は,下克上を生むと思っています。下克上に対して,私は中立的な立場から,社会的強者たちには,はやく現実をみなければ大変だよと言い,社会的弱者たちには,このチャンスをしっかりつかめと言い,若者には,これからの社会は従来の常識はあてはまらないのだから,常識とされていることを疑えと言うのです。政府には,変化を抑えるのではなく,変化は不可避であるとみて,いかにしてこの下克上というか,大きな社会的序列の転換が起こるなかでの混乱を抑えるかということを考えてもらいたいです。できれば早く新しい政権になって,そこでじっくりと取り組んでもらいたいのですが。
 「なんでテレワークなの?」「別にテレワークでなくてもいいじゃない」と思っている人は,拙著を読んでもらいたいと思います。テレワークをやれないような社会は,数年後には世界の後進国になってしまうということを認識しておかなければなりません。だからこそテレワークはやるかやらないかという問題ではないのです。もっとも後進国になることの何が悪い,という意見もあると思います。実は後進国となっても,それなりの幸福を実現する方法はあると思っていて,そういった道もあると思っています。でもテレワーク反対者は,そういう道をほんとうに望んでいるのでしょうかね。

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