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2021年4月29日 (木)

労働者概念

 労働者概念については,近年,英米を比較対象とした國武英生『労働契約の基礎と法構造―労働契約と労働者概念をめぐる日英米比較法研究』(2019年,日本評論社)とドイツを比較対象とした橋本陽子『労働者の基本概念―労働者性の判断要素と判断方法』(2021年,弘文堂)という大作が相次いで刊行されています。労働者概念は古くて新しいテーマといえますが,なかなか出口がみえないものでした。最近,自営的就労者が本格的に増える動きがあるなか,そこから労働者とは一体誰なのか,労働者でないということは法的にどういうことなのか,といったことが社会的にも関心を集め,そのなかで労働者とそうでない非労働者との格差は正当化できるのか,といった議論も出てきました。この二つのモノグラフは,こうした新しい社会の出現も視野に入れながら,労働者概念はどうあるべきか,ということについて,理論的にアプローチしようとしたものであり,労働法の守備範囲の再確認という意味ももっています。私は個人的には,この作業がどれだけ生産的な成果を生むかには若干懐疑的であり,むしろ自営的就労者に対してどのような法政策が必要かということを正面から論じたほうがよいという立場ではありますが,少なくとも法実務的には,労働者概念についての研究を深めることには大きな意味があります。労働の現場では,労働者であるかどうかによって,個々の法律の適用が左右されることになり,そのことをめぐる紛争が後を絶たないからです。
 この点について,私は,近著の『人事労働法』(弘文堂)では,労働者性の判断を裁判に任せてしまうのではなく,納得同意が得られた場合には,非労働者として扱ってよいとする立場です(80頁以下)。最近のエアースタジオ事件の東京高裁の判決(202093日)では,劇団員について,裏方作業だけでなく,公演への出演・稽古についても労働者性を肯定したものがあります。裁判所は,劇団員は出演を希望して劇団に入っている以上,出演を拒否することは考えられないとして,諾否の自由がなかったとするのですが,これは常識的にはおかしい判断です。橋本さんは,この判決を支持します(ジュリスト1554号)が,労働者性の判断を分析的にみていくと,おかしな結論が出てしまう典型例ではないかと私は思っています。人事労働法では,こうしたケースでは,労働法の適用がない労働関係であることについて誠実説明をして,納得同意を得られているかどうかを問題とします。本件ではひょっとしたら納得同意がなかったとして結論は同じになるかもしれませんが,劇団員は出演したいのですから,納得同意を得ることは十分に可能であったケースでしょう。今後,同種の劇団員は常に労働者であるとするのではなく,企業側が,劇団員に対して,誠実説明をし,納得同意を得ていれば,労働者でないという扱いをできるという法解釈をすべきだというのが,私の立場です。
 一方,立法論としては,事前の認証手続を設けることで,不明確性や予測可能性の低さの問題を解決せよと提言しています(拙著81頁)が,実は具体的にどのような基準で労働者性の判断をすべきかについては,とくに新たな知見は述べていません。というか,それは不可能ではないかと思って諦めていたところです。数日前までは,このテーマはもうやらないと思っていたのですが,実は少し気が変わりつつあります。
 人事労働法の基底にある企業の社会的責任を発展させ,労働者性の問題は,使用者がなぜ個々の労務提供者に対して責任をもつのかを理論的に明らかにするという観点から再設計すべきではないかと思い直しています。近いうちにメディアで発表する論考に,そのアイデアの一端を示す予定ですが,そこからの具体的な展開もすでに頭のなかにはできています。國武氏と橋本氏のモノグラフは,法学のものとしては,とても素晴らしいもので,前者は私が好んで論じる技術革新による労働社会の変貌を視野に入れている点で私の感覚にあうものですし,後者は伝統的な重厚な比較法研究を展開したもので労働法学への理論的貢献が大きいものです。ただ,私がいま使おうとしている手法は,これと違っていて,最近少し遠ざかっていた「法と経済学」です。労働者概念,企業の責任,経済学のキーワードから何が生まれるか,自分でも楽しみです。


 

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