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2020年4月22日 (水)

遮断機が上がったあとの世界

 昔,箱根駅伝では,ランナーが箱根登山鉄道の踏切の遮断機にぶつかると,電車の通過を待たなければなりませんでした(停止時間は合計タイムから引いたそうですが)。前を走っていても,その間に追いつかれてしまいます。
  現在の社会は遮断機が下りてしまったような状況かもしれません。しかも開かずの踏切のようなものかもしれず,そうなると次々と後ろから追いつかれてしまいます。しかも,遮断機が上がったときには,ゲームのルールが変わっているかもしれません。それまで懸命に競争してきたことが馬鹿らしくなるかもしれません。
 新型コロナショックで停止中に,モノづくり企業が新たにつくり始めたのは,マスク,薬,防護服など医療関係のものです。こうした企業は,コロナ後には本業に戻るつもりでしょうが,はたしてどれだけ需要が戻るでしょうか。V字回復は期待できないのではないでしょうか。経済のルールが変わってしまっているかもしれないからです。
 北京の空はきれいになり,ヴェネツィアの運河は透明になりました。これっていいなと思う人が増えても不思議ではありません。過剰なモノづくりやツーリズムがなければ,地球は良くなるのではないか,そう考える人が増えそうです。
 在宅での仕事が増えると,スーツもネクタイも靴も腕時計も不要となるでしょう。私自身,数年前からネクタイをやめていますし,腕時計もあまりつけなくなりました。スーツはもともと持っていません。ジャケットはおそらくいまあるもので,ずっと回していくでしょう。身だしなみは必要ですが,別に高価なものを身につける必要はありません。
 便利な道具には関心がありますが,ものすごく心を揺さぶられるようなモノに出会えばともかく,普通のモノには買いたいという欲望がわいてきません。ちなみに最近買ったものののなかで重宝しているのが,100円で買った老眼鏡と150円で買った眼鏡用のドライバーです。そのほかで買っているものの大半は,デジタルワークに必要なものと書籍(電子ブックが大半)であり,その他の消費は飲食のような物理的に残らないもの(厳密には私の体内に脂肪として残るのかもしれませんが)とネットのサブスク系です(Kindle Unlimited,将棋のモバイル中継,Dropbox Business,日経電子版,種々の動画配信サービスなど)。
 コロナ後は,モノへの関心が小さくなった人がもっと増えていくでしょう。もともと若い世代は,コロナ前からそういう傾向が強いと思います。学生をみていると,お金がないからモノをもっていないということもあるかもしれませんが,それだけでなくモノへの執着そのものが昭和世代の人よりも小さいように思います。環境に優しい生産をしている企業の商品,過剰に営利を追求せず利益を社会に還元している企業の商品などに惹かれているようです。まさにSDGsの価値観です。
 遮断機は当分上がりそうにありません。走ることをやめて,ここはゆっくり将来のことを考えていく必要がありそうです。モノづくりの経営者は,遮断機が上がったとき,もう走るのをやめよう(モノを買うのをやめよう)と考える客が増えているということを想定したほうがよいでしょう。顧客をつなぎとめるためには,発想の根本的転換が必要です。そして,このことは労働者にも影響します。消費者としての自分たちの価値観が変わると,自分たちを雇っている企業も影響を受けざるをえません。いまは成功している企業も,その存続が危うくなることも十分ありえます。労働の主たる場は,営利企業ではなくなるかもしれません。
 私が,労働法とSDGsの関係を重要と考えるのは,このためです。

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