最低賃金の引上げについて考える
最低賃金のことは,これまでもよく書いてきているのですが(たとえば拙著『雇用改革の真実』(日経プレミアム,2014年)の第5章「政府が賃上げさせても労働者は豊かにならない」)……。
最低賃金の引上げ論が問題となっています。政府がなんとか賃金を上げたいと考えていることは理解できますし,先般経済教室でも採り上げた「同一労働同一賃金」と同様,政府にとっては財政を痛めずに国民の支持を得やすいものといえますが,ポピュリズムの匂いが強く,賛成できません。しかも最低賃金は「同一労働同一賃金」よりも筋が悪いものです。最低賃金は,法律上の強制力があり,違反には罰則もあります。労働市場への強力な介入です。こうした政策が労働市場をどの程度ゆがめるかについては,経済学者の実証研究に委ねる必要があり,この点について意見も多少分かれているようですが,その点はさておき,最低賃金法の構造からみても,政府が最低賃金の引上げに介入することには疑問があります。
新聞報道によると,政府は6月に発表する「骨太方針」のなかに,最低賃金の全国一元化,また2020円前半までの1000円(時給)の実現を盛り込むことを,検討しているようです。
最低賃金法は,地域別最低賃金(都道府県ごとに決定される)について,その原則として,「地域別最低賃金は,地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」と定めており(9条2項),全国一元化は,この規定と抵触するのではないかと思われます。日本全国の生計費や賃金水準が同じであるとは考えられないからです(ちなみに,域内の自由移動を認めているEUでも,最低賃金の設定については加盟国に委ねている)。
最低賃金を一律にせよとか,もっと引き上げろとかいう論者は,どうも最低賃金を現実賃金と混同しているのではないかと思います。最低賃金は,罰則によって強制される最低水準の賃金のことです。何が犯罪になるかの水準を決めるものなのです。だから事業の賃金支払能力などの現実的なところを考えていかざるを得ないのです。
地方での労働者の確保という経営者側の理由が,最低賃金の引上げの根拠として言われることもあります。もしそういうことなら,自発的に賃金を上げればよいのです。自発的に引上げれないのなら,法律で強制されても,引き上げることは困難でしょう。もし,法律で強制されれば,補助金が支払われるかもしれないと期待して最低賃金の引上げを求めているとすれば,それは経営者としての資質を問われることになるでしょう。
最低賃金が引き上げられれば,賃金相場が上がることはあるようですが,最低賃金の絶対額の水準に,賃金が引き下げられる傾向があるかどうかは,私はよくわかりません。しかし,最低賃金に合わせた賃金を支払おうとする経営者がいれば,それでは良い人材が集まらないので,そうした企業は市場で淘汰されていくはずです。
むしろ考えるべきなのは,多くの中小企業は,人材確保の必要性を考えて,ぎりぎりいっぱいの賃金を提示しているのではないか,ということです。そのような努力を軽視して,世論受けのする政策を打ち出すことは,やってはいけないことです。日本商工会議所などが,これに抗議する緊急提言をしたのも理解できます。
経営者が賃金を引き上げる努力をするのは当然のことです。また賃金を大きく引き上げることにより,うまくやっている企業も多いでしょう。でも自分たちができるから,おまえたちもやれるというのは,ちょっと違うと思います。経営者の努力の仕方は,それぞれなのです。賃金をうまく上げたり,制度設計したりすることができずに,生産性が下がったり,人が集まらなかったりすれば,責任を負わなければならないのは,その経営者です。だから経営者には,そうならないよう自助努力するインセンティブがあります。そこに政府が介入するのは,できるだけ避けるべきなのです。余計な介入により,うまくいかなくなったときの経営責任は,誰がとるのでしょうか。
労働契約法20条も同じですが,作ったうえで,あとはよろしくということでは混乱が残るだけです。最低賃金も,引上げの道筋を作ったぞ,あとはよろしくでは困るのです。そういう政策を進めれば,次にどうなるかまで,しっかり考えてもらいたいです。選挙が終われば,あとはどうでもよいということでは困るのですが,どうもそのような気がします。というのは,トランプが貿易問題について選挙が終わるまでは待つと言っているのは,選挙が終われば,国民に不利なことでも大丈夫と,安部首相が言ったからではないかと勘繰りたくなります。もしそうなら,国民もずいぶんと馬鹿にされたものです。
最低賃金の決定プロセスには,最低賃金審議会という専門機関があります。とくに重要なのは中央最低賃金審議会です。最低賃金の引上げペースを加速化せよという政府の圧力は相当なものかもしれませんが,その存在意義をしっかり発揮してもらえると信じています。
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