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2019年5月23日 (木)

「ジョブ型正社員の雇用ルールの明確化に関する意見」を読んで

 規制改革推進会議で出された「ジョブ型正社員(勤務地限定正社員、職務限定正社員等)の雇用ルールの明確化に関する意見」(以下,「意見」)をみました。ジョブ型正社員のなかに「勤務地限定正社員」を含むというネーミングの問題は別として,勤務地や職務を限定するような多様な正社員がいてもよい,ということには異論はありません。職務内容や勤務地が無限定な働き方にいろいろ問題があることもそのとおりでしょう。でも,これは法規制には関係がありません。
 「意見」は,現状の把握,問題点の指摘,改革の方向性に分かれていますが,少なくとも労働法の研究者が入っていれば,こういう内容にはならなかったと思います(だから良いのだ,ということかもしれませんが)。でも今後,もし労政審に作業を任せるのだとすれば,労政審にはあまりファイトがわかない仕事になるのではないかという懸念があります。
 「意見」は,冒頭で,「労働契約はその名称の通り,使用者と労働者の「合意」によって成立する。労働契約法では,個々の労働者と使用者間の「対等の立場における合意」を求めている。日本では労働契約の締結時には労働条件について明確な合意がなされないのが通常であり,たとえ書面による合意がなくとも,労働者が使用者に使用されて労働し,使用者がこれに対して賃金を支払うことの合意さえあれば労働契約は成立しうる。事実,企業の包括的な指示のもとで,自身の労働条件が曖昧なまま働いている労働者は少なくない。」と述べています。
 ここで注目すべきは,労働契約法は合意原則や労働条件対等決定の原則をかかげているが,実際の労働契約では明確な合意がされていないので,事実上,労働者は企業の包括的な指示のもとで,自身の労働条件が曖昧なまま働いている,という認識です。この「曖昧性」の除去が,「意見」の基本的な主張となっています。
 そして「現状」のところで,次のように述べます。
「・就社型(メンバーシップ型)雇用モデルが高度成長をもたらしたという強い成功体験から,正社員であれば企業の命令により,職務,勤務地,労働時間等の労働条件が変更されるなど,無限定な働き方を許容するのが当然という意識がいまだに強い。
 ▪ 職務や勤務地等が無限定な働き方は我が国の雇用慣行に過ぎず,何らかの法規制に基づいているわけではない。実務的に契約意識の低い日本において労働契約の締結も漠然としており,当事者はいつ,どのような内容の労働契約がどのようにして締結されたのかを明確に意識していない。環境変化によって労使それぞれの事情が変わった場合,慣行であるが故に,個別に労働条件の確認や見直しをしようとしても拠り所がない。」
 「意見」では,就社型雇用モデルの無限定な働き方は,契約意識の低い日本で,労働契約がきちんと締結されておらず,労働条件が明確でないことに起因すると分析しているようです。そして,ここから「問題点」として,限定正社員の話に移ります。
「「勤務地限定正社員」,「職務限定正社員」等は,多くの企業で導入が進んでいるが,労働契約法第4条第2項において、労働契約の内容については,できる限り書面による確認をすることとされているにすぎないため,勤務地等の限定が労働契約や就業規則で明示的に定められていないことが多い。雇入れにあたって義務付けられている労働条件明示(労働基準法第15条)だけでは,明示すべき対象として掲げられていない事項には及ばない。また,労働者が同一企業内で長期に勤務する過程で,個別労働者への人事権の行使として,勤務場所や職務が次々と変更されていく状況から,就職当初の条件だけでその後労働条件がすべて決まってしまうというのは,いかにも形式的で実態に合わない。我が国独自の雇用慣行のもと,使用者が曖昧な運用をすることで労使間の合意範囲の認識に齟齬を生み,職務や勤務地等の限定条件をめぐる紛争の原因になりかねない。」
 そして,具体的な改革提案として,次の三つをあげます。
 ① 労働契約の内容を書面で確認できるよう,労働契約法第4条第2項を改正し,「勤務地限定正社員」,「職務限定正社員」等については,労働契約の締結時や変更の際に,限定の内容について,労使当事者間の書面による確認を義務化する。
 ② 労働条件に勤務地変更(転勤)の有無,転勤の場合の条件が明示されるよう,労働契約の締結に際して,労働者に書面で明示しなければならないとする労働条件の記載事項(労働基準法第15条,労働基準法施行規則第5条1項)に,「勤務地変更(転勤)の有無」,「転勤の場合の条件」を追加するとともに,労働条件の変更の際も労働者に書面で明示する。
 ③ 勤務地の変更(転勤)を行うことが予定される場合は,就業規則にその旨が示されるよう,就業規則の記載事項(労働基準法第89条)に,労働者の勤務地の変更(転勤)を行うことを予定する場合には,当該事項を,また,労働者の勤務する地域を限定して使用する場合には,その限定に関する事項を,追加する。
 私としては,限定正社員は,勤務地や職務等が限定されているから限定正社員なのであって,それらが限定されていることやその範囲は当事者間にあまり争いがないと思うのですが,それでもなおそのことを書面で明示せよということでしょうかね。
 ひょっとすると,「意見」は,欧米的なジョブ型の雇用をモデルとして,欧米では従事するジョブの内容がはっきり特定しているのに,日本では,契約意識が低いから特定されていない,とみているのかもしれません。契約意識の低さについてはエビデンスが示されていないので,ここではひとまず無視して,労働条件が特定されていないという点については,それは労働条件の明示方法の問題ではなく,そもそも勤務地や職種を限定しない契約を締結しているから特定されていないだけだという説明はつかないでしょうか。そして,日本の通常の就業規則では,配転命令についての規定がある(厚生労働省のモデル就業規則の81項も参照)ので,労働者は勤務地が無限定のなかで具体的に労働条件を変更していく権限を企業に与える旨の合意が就業規則を通してなされているとみることはできないのでしょうか。
 つまり無限定な契約は,日本人の契約意識が低く,労働条件をきちんと特定しないでいるために,事実上生み出されたものではなく,明確にそういう契約でよいという合意があるからなのです。また,そういう無限定な契約がいやという人は,就業規則の規定があっても,勤務地や職務の限定の合意をすることができ(こうした合意は,労働契約法7条ただし書により有効となります),そうした合意をした人は,通常,その限定した部分の労働条件は明確に意識しているはずなのです。そうなると,限定正社員のための労働条件の明確化というニーズはどこにあるのか,という疑問が出てきます。
 現行の規制を確認しておきましょう。使用者は労働者は採用の際には労働条件を明示しなければなりません(労働基準法15条。企業には募集時からも労働条件明示義務があります。職業安定法5条の3)。明示されるべき労働条件には,「就業の場所及び従事すべき業務に関する事項」が挙げられています(労働基準法施行規則5113号)。これは書面で明示すべき事項にもなっています(労働基準法施行規則53項)。これに違反すれば,労働基準法151項違反として,罰則が科されます(労働基準法1201号)。そして,就業規則には,前述のように,就業場所や従事すべき業務に関する変更についての規定があるのが通常です。こうした変更を,その企業の制度として定めている場合には,「当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合」における「これに関する事項」として就業規則の必要的記載事項となります(労働基準法8910号)。記載しなければ罰則の適用となります(労働基準法1201号)。そして前述のように,その例外として勤務地等の限定合意をしたい人は,そういう合意をすることは就業規則と抵触していても有効なのです(労働契約法7条ただし書)。さて,この規制のどこを変更する必要があるのでしょうか。
 改革提案のなかの①によると,たとえば労働契約法42項を,「勤務地限定の無期雇用労働者又は職務を限定する無期雇用労働者及び使用者は,限定されている労働契約の内容について,書面により確認することとする。その他の場合については,労働者及び使用者は,労働者及び使用者は,労働契約の内容(期間の定めのある労働契約に関する事項を含む。)について,できる限り書面により確認するものとする。」というようなものとなるのかもしれません。「できる限り」というヘンテコな文言に反応したのはよいとしても,「確認」を義務化しても,罰則がかかるわけではなく,また私法上の制裁があるわけでもないでしょう。そうなると実効性には疑問が出てきます。むしろ書面化されなかったら,限定の合意がないというような解釈が生まれる可能性があるので,限定正社員を広げようとする立場からは余計な規制となりかねません。ここは労働契約法4条という「怪しげな(?)」条文のトラップにかかってしまったような感じがしてしまいます。
 現行法のように,労働条件明示義務については,コアな労働条件についての厳格な規制は労働基準法15条で,その他の部分は訓示規定の労働契約法4条で対処するということでよいのです。「意見」のねらいそれ自体は,現在の規制でも,十分に対処できると思っています。労働契約法4条2項を部分的に変えようとするのは,容易ではありません(個人的には,労働契約法4条が良い条文とは思っていませんが)。
 改革提案の②と③は,転勤についてのことですが,②はありえるとしても,労働基準法15条の明示義務に労働条件変更の場合を含むという部分については,他に波及しかねない大きな改正となり,簡単ではありません。③は,現在でも就業規則に規定があるので,改革の意味はあまりないと思います。限定された内容について,就業規則(そこには従業員一般に対するルールが定められる)に記載させることに意味があるということかもしれませが,個別の契約ではなく,就業規則に記載する場合,どのような規定になるか想像がつかないのですが。勤務地を限定するパターンがごく限られたものであれば,対応できるのでしょうが。
 もっとも,転勤については,一番ラディカルな規制は,労働者の勤務地は,デフォルトとして採用されたときの勤務地(初任配属地)に特定されるとし,そこから変更する転勤可能性がある場合については,その可能性と範囲を,書面で合意しなければ,企業は転勤を命じることができないものとし,就業規則の転勤規定だけでは転勤を命じることはできない(個別的合意説),といったものです。これだと経営者からは叱られそうな内容となりますが,比較的多くの労働法学者の支持を得ることはできるでしょう。
 いずれにせよ転勤にフォーカスをあてるのなら,労働契約法に転勤の権利濫用規定がないのはなぜか(出向にはある),逆に就業規則の必要記載事項とするなら,労働者にとってより利害が大きい出向はどうするのか,といった話も出てきます。法改正には,こうした労働法全体に対する体系的な思考が必要であり,法律家が介入する役割はまさにそこにあると思います。
 私は,繰り返すように,無限定正社員は,労働条件が曖昧に特定されていないから生じるのではなく,無限定な働き方に合意があるから生じるとみています。こうした無限定な働き方が問題だというのなら,それを正面から論じるべきで,労働条件の明確化というレベルでやるのは,狙い所が違うように思えます(これは以前の解雇ルールのときに,私のガイドライン方式の意図がうまく伝わらなかったときと似た感覚です[拙著『解雇改革』(中央経済社)も参照])。
 今後,企業には限定正社員を活用するニーズがいっそう高まるでしょう。そうしなければ良い人材が集まらないからです。この点で「意見」の問題意識には共感できるところがあります。しかし,それは規制改革でやることではなく,当事者が契約によって実現していくことなのです。「日本人は契約意識が低いから無理なんだよ。だから政府が,いろいろ助けてあげるのさ」と言うことでしょうか。契約意識が低いなら,契約意識を高める教育をするべきではないか,というのが私の意見です。規制改革推進会議が,もしパターナリズムによる改革を提言するのなら,それは意外な驚きとなりますが,偉い方たちが考えておられるので,おそらく深謀遠慮があるのでしょう。

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