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2019年4月15日 (月)

高度プロフェッショナル制度について思う

 労働政策について,私が,いろいろ政策提言をしても,それが実現する可能性は極めて低いです。労政審ルートで労働政策が決まるかぎり,私の政策提言が実現するチャンスはゼロです。内閣府ルートが動き出してから,私にもほんの少しだけ意見を述べる機会がありましたが,どうも内閣府ルートは急進的すぎて無理筋が多く,そのなかに放り込まれても,実現に多くの期待はできませんでした。結局,いわゆる「同一労働同一賃金」のような筋の悪い法律が通されただけです(これに対する批判は,『非正社員改革』(2019年,中央経済社)を参照)。
 それじゃ,政策に影響のない研究者が,政策提言をしても意味がないのかというとそうではないのだと思います。政策は,厚生労働省の正規軍に任せておけばよいということでもないと思います。正規軍が間違った方向に進んでいないのか,さらに正規軍さえ支配する上位の権力の動きも,監視する役割は必要だからです。それは専門家の責任でもありましょう。
 ただ本音では,監視だけでは物足りないので,もっと発信してシンパを増やし,いつか私の政策を取り入れてくれるような有力な政治家が登場することを祈りたいと思っています。私のゼミの卒業生にも政治家を目指している人がいるので,こっそり(?)見守っていくつもりです。
 ところで,この4月から高度プロフェッショナル制度が導入されています。誕生したときから,自由に羽ばたけないように重しをいっぱいつけられた可哀想な鳥のような制度です。私は『労働時間制度改革』(中央経済社)で,より純粋なの日本版ホワイトカラー・エグゼンプションの提言をしています(188頁以下)が,それと比べると,高度プロフェッショナル制度は,きわめて残念な内容になってしまいました(ちなみに私の提言は,アメリカのホワイトカラー・エグゼンプションとは直接の関係はありません)。
 325日の日経新聞の経済教室で,日本大学の安藤至大さんが,高度プロフェッショナル制度を労働時間規制の適用除外とする説明は不正確だと書いていました(健康確保の仕組みが変わったことが本質だということのようです)が,実務的にはそうなのかもしれませんが,法律家の目からは,この制度の本質は適用除外にあることは否定できません。むしろ健康確保関係の規定は,規制の適用除外を受け入れさせるための政治的妥協のようなものです。
 本来,適用除外であることの意味は,時間外労働の抑制手段として,割増賃金を使わないところにあります。割増賃金を使わなくていいのはなぜかというと,法律により時間外労働を抑制する必要がないからです。なぜ法律により時間外労働を抑制する必要がないかというと,健康確保などのための時間管理は,法律ではなく,労働者本人に任せてよいからです。したがって論理的に考えると,この制度を適用してよいのは,時間管理を本人に任せてよい労働者となります。そうした労働者の範囲をどのように画するかについての基準は,いろいろありえるのですが,イメージは,知的創造的な仕事に従事している人です。頭脳を働かせている時間は,そもそも他人は管理できません。法が介入してはいけないのです。だから健康管理も自分でやってもらうしかないのです。そのために,本人が休息をとりたいなと思ったときに権利として取れるようにしておく必要はあるというのが,私の提案です。これが現在の高度プロフェッショナル制度と大きく違うのは明らかです。
 私の提言の一つのなかに,年次有給休暇は,普通の労働者には,使用者主導か計画年休にしろというものがあります(今回の改正で5日は使用者主導となりましたが,この改正の評価についてはすでにこのブログで書いているので,ここでは省略)が,エグゼンプションの対象者については,制定当初の労働基準法39条の規定どおり,労働者にすべての年休について時季指定をさせる方式でよいというのが私の主張でした。むしろ必ず休ませるべき労働者には,使用者が無理矢理にでも休ませることが必要なのであり,一方,もともとの労働基準法39条の規定のように労働者に主導権がある休暇は,実は自分で健康管理ができる人に適した制度だったのです。
 今回の高度プロフェッショナル制度での健康管理のあり方は,こうした点からみてもおかしいのです。自分で健康管理をできないかもしれないから,法が休息や健康管理に配慮してあげなければならないということでしょうが,私の考えでは,そういう人は,そもそもエグゼンプションの対象としてはならないのです。エグゼンプションの対象とするから,休息や健康管理はより厳格に法が配慮するというのは,論理的におかしいのです。これは政治的妥協だから起こったことです。こういうおかしな制度を前提に法解釈をしなければならないというのは,研究者としてファイトがわくことではありません。
 もっとも,今回の改正で,少しずつではありますが,私の政策提言どおりの方向に向かっていると言えなくもありません。ただ,ゴールはまだ遠いですね。それに私の問題関心はすでにもっと先に行っていることは,『会社員が消える』(文春新書)でも書いています(108頁くらいから読んでいってみてください)。労働時間規制なんて過去のことになるだろうと考えているからです。テクノロジーを使って自分で健康管理することが,もう少しすると普通のことになるというのに,労働時間規制の問題に多くの研究エネルギーを割くのは無駄なことではないかと,いまでは考えています(高度プロフェッショナル制度の導入は,労使委員会制度への関心が高まるきっかけとなるかもしれないとは考えています)。

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