義務か,権利か。
ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号(2019年4月号)のテーマは,「年次有給休暇の時季指定義務」です。これは,昨年の労働基準法改正により導入されたもので,この4月から施行されます。ということで,今回の原稿は,新法の解説という意味もあるのですが,実は川島武宜流の「日本人の法意識」の議論に立ち返るような問題意識も,挿入しています。
労働基準法では,「権利」という言葉は,第7条(公民権),第23条(金品等の権利者),第83条(補償を受ける権利)に出てきますが,労働者が使用者に対して保有するものを「権利」として定めた部分はありません。つまり,労働基準法は,労働者の権利を保障した法律であるという表現は,条文の文言だけからみると,不適切ということになります。労働基準法は,使用者に義務を課しているのであって,労働者に権利を与えているわけではないのです。義務の反対は権利ではないか,という批判をしようとされている方は要注意です。労働基準法が使用者に課している義務は,公法上の義務(国に対する義務)であるというのが,普通の考え方です。その意味で,労働基準法は,まずは行政法なのです。労働者は,この公法上の義務規定による反射的利益を受けるだけで,使用者の義務違反行為がただちに私法上も違法になるとは限らないのです。だから,裁判所は,このあたりのことをよくわかっていて,労働基準法違反の私法上の効力を否定する場合に,民法90条を持ち出すことがよくあります。労働基準法が私法上の効力をもつかどうかは,行政法規の私法上の効力という問題の一つであり,当然には無効となるわけではありません。もちろん実質からみれば,労働基準法違反を無効とすることでよく,結果として強行規定となるのですが,労働基準法がアプリオリに強行規定となるというわけではなく,ここは一本,論理をはさむ必要があるのです。繰り返しますが,行政法規なのですから(たとえば,労働基準法104条に違反する解雇をした場合の私法上の効力は,普通の行政法学者であれば,いちおう同条が強行規定かどうかを検討したうえでなければ,無効とはいわないはずです)。
これについては労働基準法13条があるではないか,という意見もありそうです。これは少し前に書いた論文(「「就業規則の最低基準効とは,どのような効力なのか」『毛塚勝利先生古稀記念 労働法理論変革への模索』(2015年,信山社)所収)でも論じているのですが,私の理解は,労働基準法13条は,同条違反の契約が結ばれた場合のサンクションを定めたものです(同条の見出しも参照)。労働基準法違反の制裁の内容として,労働者は,労働基準法の定める基準を使用者に対して,労働契約の内容として主張してよいということなのです。これも,結果としては,労働者に権利があるということになりそうですが,厳密には,間接的な付与と言ってもよいものです。
こうした長いイントロは,紙数の関係もあるし,マニアックすぎる議論なので,ビジネスガイドでは書いておりません。本題は39条です。39条は,労働者に年休の権利を与えた規定とされていて,最高裁も昭和48年の判決(林野庁白石営林署事件)で,そう述べているのですが,やはり条文上は,どこにも労働者の権利とは書かれていません。「使用者は,・・・与えなければならない」という義務規定しかないのです。時季指定権や時季変更権といった「権利」があると言われていますが,その根拠を条文から見いだすことはできません(5項を参照)。一方で,同条には,「使用者は,・・・与えることができる」という規定もあります。これは,「時季指定」により年休を「与えなければならない」という1項・2項(年休の発生要件と日数についての規定)と5項の本則の例外を定めるときに,使われている文言です。たとえば4項は1日単位の年休付与の例外である時間単位年休の付与を認めるため,「与えることができる」となっています。先ほどの5項ただし書も,事業の正常な運営を妨げる場合には年休を取得できないという例外を定めるものなので,「与えることができる」なのです。計画年休を定める6項も,時季指定による付与の例外なので,「与えることができる」なのです。一般的なルールの下では「できない」ことを,「できる」としているのです。
今回の改正で追加された7項(使用者による年休時季指定義務)は,「与えなければならない」という規定です。本則に関係する規定だということです。こうして39条は,使用者による年休付与義務の内容として,労働者の時季指定によるものと「並列」して使用者の時季指定によるものを定めたことになります。ただし,後者は,労働者の時季指定や計画年休付与がされない場合の補充的なものなので(新8項),いわば非対等な「並列」というべきでしょう。
ここまではビジネスガイドのコラムで書いた内容です。それで川島の話に戻るのですが,やっぱり年休は義務のほうがよいのでは,という話です。川島が『日本人の法意識』(1967年,岩波新書)で例にあげる有名なエピソードに,日本人は貸した物を返してもらう場合にも遠慮するというものがあります(79頁以下)。これは所有権に関連して述べられているものですが,年休権という強大な権利(一方的に行使して有給で休める権利)にも,あてはまるような気がします。年休取得率が低い理由はいろいろあるのですが,まずは権利構成をやめて義務構成でいくほうがよいのでは,ということです。そして,労働基準法って,そもそも文言上も義務構成じゃないの,ということが言いたかったのです。義務構成であれば,付与義務だけでなく,時季指定も使用者の義務とすることは,それほど違和感がないでしょう(労働者の意向を尊重した時季指定は必要ですが)。
日本人にとっては,権利なんて言わないほうが,かえって実利を得やすいのではないか,ということです。「利益」を守るためには「権利」という主張を引っ込め,いかにして相手の「義務」意識を引き出すか,というほうが戦略的に良いのです。労働紛争でも,このことをわかってくれない弁護士が関与すると,和解がうまくいかないというのが,日頃感じていることです(もちろん和解すべきでない事件もあるので,あくまで和解のほうがよい事件のことです)。
労働基準法に使用者の時季指定義務が入ったことで,この古い議論をちょっと蒸し返したくなりました。
なお,この号では,半日年休について,平成20年改正で時間単位年休制度が導入された後は,それまでのように労使協定がなくても認められるという行政解釈はおかしいのではないか,という疑問を投げかけています。なぜ半日年休は,時間単位年休ではないのか,という疑問です。この点は,今回の改正により,実は使用者の時季指定義務との関係で,問題となる可能性があると考えていますが,その点は掲載号(2019年4月号)で確認してください。
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