2022年8月 9日 (火)

契約と信頼とブロックチェーン

 フリーワーカーの時代になったときに,一つの障壁となるのは,日本に契約文化が根付いていないことに起因する問題です。日本人は,自分で契約書をかわして取引をするのに慣れていない人が大半であり,フリーワーカーとして契約社会にいきなり放り込まれると,いろいろなトラブルが起こる心配があります。私はフリーワーカーの契約の書面化を義務づけることを提案してきましたが,実は書面化しても,契約内容を理解するリテラシーに欠けていれば,かえって危険です。相手はできるだけ契約をうまく締結して,自分の利益を守ろうとするわけで,裁判となれば,そういう「プロ契約者」に負けてしまうのです。そのため,フリーワーカー時代の今後の教育という点では,法律や契約のリテラシーの学習が必要だということを,私は前から提案しています。
 根底にあるのは,日本人の契約リテラシーの低さです。ここでいう契約とは,口約束のようなものではなく,きちんと書面でかわしたものが想定されています。もちろん法的には,ほとんど契約は諾成契約でよく,書面などの要式性を欠いても契約は成立します(民法522条を参照)が,いざトラブルになったとき,口約束では,裁判所で契約内容を証明できないことが多いでしょう。逆に言うと,裁判を必要とするようなトラブルが起こらないという信頼関係があれば,契約書などをいちいちかわす必要はないともいえます。
 契約書というのは,信頼関係がない人と取引するからこそ必要となるものなのです。それは逆の視点からいえば,信頼関係がなくても契約書があれば取引ができるので,取引の範囲を広げることができるともいえます。日本でも借家契約では契約書をかわしますが,これにより,大家さんは見ず知らずの人にも家を貸すことができます(もちろん,それだけでは不十分なので,いろいろ信用調査をしたり,保証人をつけたり,敷金をとったりするのですが)。
 しかし,日本社会は,かつては,多くの取引が,社会のなかの構成員相互の目が届く範囲でなされていて信頼関係があったため(裏切ることが難しかったため),いちいち契約書をかわすといった契約文化が,あまり広がってこなかったのかもしれません。
 インターネットが発達して,クラウドソーシングのようなものが出てくると,見ず知らずの個人と契約をすることになるので,信頼は重要な問題となってきました。”Trust me” と言われても,そのこと自体,信頼できません(鳩山由紀夫が,首相時代にObama大統領に言った,沖縄の米軍基地移設問題をめぐる無責任な発言は有名ですね)。プラットフォームというのは,そういう信頼を担保する存在となるのです。もちろん怪しいプラットフォームを介したクラウドソーシングであれば,取引は広がらないでしょう。これに対し,信頼性のあるプラットフォームには発注側も受注側も人が集まり,ネットワーク効果で,その集中が加速化し,寡占状態が生まれてきて,Winnerーtakesーall の状態が生じることになります。
 それはさておき,フリーワーカーの時代に契約書が重要となるのは,契約書をきちんとかわせないようでは,取引を広げることができないからです。相手方も,どこの馬の骨ともわからないような者と取引をするのですから,しっかり契約書をかわそうとするでしょう。ただ契約書だけでは安心できない面もあります。契約違反の場合の訴訟コストは非常に高いからです。ここを乗り越えることができなければ,フリーワーカーとしての働き方は広がりません。上記のプラットフォームは,この問題の解決方法の一つですが,寡占・独占状態になると,プラットフォーム手数料で足下をみられやすくなります(独禁法で救うことも理論的には可能でしょうが)。
 いま注目されているのは,Trustlessを特徴とするブロックチェーン技術です。この技術は,ビットコインで有名ですが,そこでの分散型信用システムは,チェーンでつながるすべての者により信頼を担保しているようなものです。これからのWeb3.0の時代は,互いに知らない者どうしでも取引をしやすくなります。プラットフォームの「信用保証」のようなものがなくてもいいのです。これにより,取引をはばんでいた様々なリスクやコストが取り除かれていく可能性があるのです。
 Web3.0は,労働の面でもDAO(分散型自律組織:Decentralized Autonomous Organization)のような新たな可能性が指摘されています。DAOについては,日を改めて論じることにしますが,ここではフリーワーカーの就労の主たる舞台が,WEB3.0の主役であるメタバースになる可能性に言及するにとどめます。

契約と信頼とブロックチェーン

 フリーワーカーの時代になったときに,一つの障壁となるのは,日本に契約文化が根付いていないことに起因する問題です。日本人は,自分で契約書をかわして取引をするのに慣れていない人が大半であり,フリーワーカーとして契約社会にいきなり放り込まれると,いろいろなトラブルが起こる心配があります。私はフリーワーカーの契約の書面化を義務づけることを提案してきましたが,実は書面化しても,契約内容を理解するリテラシーに欠けていれば,かえって危険です。相手はできるだけ契約をうまく締結して,自分の利益を守ろうとするわけで,裁判となれば,そういう「プロ契約者」に負けてしまうのです。そのため,フリーワーカー時代の今後の教育という点では,法律や契約のリテラシーの学習が必要だということを,私は前から提案しています。
 根底にあるのは,日本人の契約リテラシーの低さです。ここでいう契約とは,口約束のようなものではなく,きちんと書面でかわしたものが想定されています。もちろん法的には,ほとんど契約は諾成契約でよく,書面などの要式性を欠いても契約は成立します(民法522条を参照)が,いざトラブルになったとき,口約束では,裁判所で契約内容を証明できないことが多いでしょう。逆に言うと,裁判を必要とするようなトラブルが起こらないという信頼関係があれば,契約書などをいちいちかわす必要はないともいえます。
 契約書というのは,信頼関係がない人と取引するからこそ必要となるものなのです。それは逆の視点からいえば,信頼関係がなくても契約書があれば取引ができるので,取引の範囲を広げることができるともいえます。日本でも借家契約では契約書をかわしますが,これにより,大家さんは見ず知らずの人にも家を貸すことができます(もちろん,それだけでは不十分なので,いろいろ信用調査をしたり,保証人をつけたり,敷金をとったりするのですが)。
 しかし,日本社会は,かつては,多くの取引が,社会のなかの構成員相互の目が届く範囲でなされていて信頼関係があったため(裏切ることが難しかったため),いちいち契約書をかわすといった契約文化が,あまり広がってこなかったのかもしれません。
 インターネットが発達して,クラウドソーシングのようなものが出てくると,見ず知らずの個人と契約をすることになるので,信頼は重要な問題となってきました。”Trust me” と言われても,そのこと自体,信頼できません(鳩山由紀夫が,首相時代にObama大統領に言った,沖縄の米軍基地移設問題をめぐる無責任な発言は有名ですね)。プラットフォームというのは,そういう信頼を担保する存在となるのです。もちろん怪しいプラットフォームを介したクラウドソーシングであれば,取引は広がらないでしょう。これに対し,信頼性のあるプラットフォームには発注側も受注側も人が集まり,ネットワーク効果で,その集中が加速化し,寡占状態が生まれてきて,Winnerーtakesーall の状態が生じることになります。
 それはさておき,フリーワーカーの時代に契約書が重要となるのは,契約書をきちんとかわせないようでは,取引を広げることができないからです。相手方も,どこの馬の骨ともわからないような者と取引をするのですから,しっかり契約書をかわそうとするでしょう。ただ契約書だけでは安心できない面もあります。契約違反の場合の訴訟コストは非常に高いからです。ここを乗り越えることができなければ,フリーワーカーとしての働き方は広がりません。上記のプラットフォームは,この問題の解決方法の一つですが,寡占・独占状態になると,プラットフォーム手数料で足下をみられやすくなります(独禁法で救うことも理論的には可能でしょうが)。
 いま注目されているのは,Turstlessを特徴とするブロックチェーン技術です。この技術は,ビットコインで有名ですが,そこでの分散型信用システムは,チェーンでつながるすべての者により信頼を担保しているようなものです。これからのWeb3.0の時代は,互いに知らない者どうしでも取引をしやすくなります。プラットフォームの「信用保証」のようなものがなくてもいいのです。これにより,取引をはばんでいた様々なリスクやコストが取り除かれていく可能性があるのです。
 Web3.0は,労働の面でもDAO(分散型自律組織:Decentralized Autonomous Organization)のような新たな可能性が指摘されています。DAOについては,日を改めて論じることにしますが,ここではフリーワーカーの就労の主たる舞台が,WEB3.0の主役であるメタバースになる可能性に言及するにとどめます。

2022年8月 8日 (月)

五百旗頭先生のご高説拝聴

 昨日のテレ東の日曜サロンには,五百旗頭先生が出ておられました。テレ東BIZで,後からみました。いつものことですが,先生の話は為になります。
 負け戦はしてはならず,軍事力では勝てない中国と戦争してはならないのですが,もし中国が攻めてきたときにはスッポンのように噛みつけるようにしておく必要はあるとし,その一方で,中国はリアリストなので,経済面でしっかり交流をしておくこともが重要だとおっしゃっています。「日米同盟,日中協商」が,先生の持論です。軍事力に頼るという点については,必ずしも賛成ではないのですが,しっかり防衛戦略を立てることが必要というのはそのとおりでしょう。防衛大臣はそのことに専念したうえで,首相や外務大臣は,それとは切り離して外交により高い視点から日中関係をしっかり築けるようにする必要があるというのは説得力があります。リアルな国際政治のなかで,どうやって生き延びていくかについて,五百旗頭先生には,ぜひ政権にアドバイスをする存在でいてもらいたいですね(すでに,そうなのかもしれませんが)。
 一方,先生の安倍元首相評も面白かったです。まず,外交・安全保障面での貢献はきわめて大きかったという評価です。米欧関係をズタズタにしたTrump氏をなだめながら(ときにはゴルフでわざと負けながら?),アメリカが離脱したTPPTPP11としてまとめたり,RCEPなどを実現したり,「自由で開かれたインド太平洋」という概念で,アメリカも巻き込んでこの地域の安全保障の枠組みをつくった手腕などを高く評価されていました。一方で,安倍元首相は「貴族」であり,庶民の気持ちがわからないところがあり,森友・加計問題は,その何が悪いかはわからないままだったのではないかと指摘されていました。たしかに赤木さんの問題などに,もう少し丁寧に対応していれば,ずいぶん印象も変わっていたかもしれません。
 外交・安全保障面は,なるほどそのように評価するものなのかと思いましたが,個人的にはロシアとの関係は改善せず,北朝鮮の拉致問題も前進せず,アメリカに寄りすぎて,中国とはうまくいかず,いまから思えばあれほど旧統一教会と仲が良かったのに,韓国ともうまくいかなかった(むこうの政権のほうにも問題があるのですが)のであり,こういう点をみていると,あまり高く評価できないのではないかという気もします。もちろん100点満点の外交や安全保障というのは無理なのですが。いずれにせよ,安倍外交の残したものが今後どのように影響してくるのか,また岸田首相が,これからどう取り組んでいくのかが注目です。

2022年8月 7日 (日)

ワクチン接種と政府の信用

 ワクチンというのは,たしかに健康な人に(弱毒化や無毒化されているとはいえ)病原体を注入するものなので,おそろしいと考えて反対する人の気持ちもわからないわけではありません。赤ん坊には大量にワクチンを打ちますが,まだ生まれたばかりの子に次々と病原体が注入されると考えると,親は複雑な気分になるでしょう。予防接種法は,「A類疾病」(22項)であっても,努力義務であり,16歳未満の子に対して接種させるのも,保護者である親の努力義務にとどまります(9条)が,赤ちゃんの予防接種の忌避は,子の命を危険にさらすことになるので,合理的な選択とはいえません。
 政府は,弱い立場にある赤ちゃんについては,ワクチン接種を推奨するために,定期健康診査のときにチェックしたり,無料にしたりするなど,親をワクチン接種に誘導していくことが必要でしょう(市町村長や都道府県知事は,予防接種の勧奨をするものと定められています[8条])。
 新型コロナウイルスについてもワクチン反対派はいますが,それはワクチンを打っても感染することはあるとか,ワクチンの副作用が大きいのに対して,ワクチンを打たなくて感染しても重症化しないという理由からのようです。ただ,後者は,ワクチンを打たなかったら感染時に重症化するリスクが高まるということを見落としています。前者は,ワクチンの副作用は,実際に感染したときの副作用と同じか,それより若干軽いと言われていますし,加えて,ワクチン接種により,他人に感染させにくくなるというメリットがあると言われています。
 ワクチン反対派のなかには,インフルエンザなどについて,感染した人がいたら,その人を招いて感染パーティを開いて,自然に感染しようとする人もいるそうです。水疱瘡などは,感染した子を招いて自分たちの子と遊ばせるというようなことをする人もいるそうです。早くに感染したほうが軽症ですむという親心よるものなのでしょう。そこにあるのは,自然感染のほうが,ワクチンよりも良いという判断ですが,毒を抑えたワクチンの接種よりも,子を危険にさらすリスクが大きいことを見落としているでしょう。
 ワクチンについて,政府が推奨することに批判が出てくるのは,結局のところは,政府が信用されていないからです。その隙をついてSNSなどで,ワクチン推奨は政府の陰謀というような怪しい情報を信じ込まされてしまうのです。ワクチンにもリスクがありますので,そのメリット・デメリットを冷静に考えたうえで,ワクチンを避けることはありえるでしょう。ただ,私は個人的には,赤ちゃんの予防接種やコロナワクチンなどにおいて,ワクチンの接種を政府が推奨することは間違っていないと思っています。むしろワクチン不足のほうが心配です。
 政府が国民の命を守るために大切なのは,ワクチンの接種を強制することではなく,国民が政府の言うことだからその推奨に従ってワクチンを接種しようとする気持ちになれるくらい,国民から信頼される存在となることです。

2022年8月 6日 (土)

人権デューディリジェンスガイドライン

 ビジネスと人権は,ホットなテーマです。季刊労働法276号で,特集されていた「労働と人権をめぐる新たな動き」でも,岡山大学の土岐将仁さんが「ビジネスと人権」という論文を執筆しており,これは,このテーマの最新の状況を知るうえでの重要文献です。
 ところで85日に,人権デューディリジェンスに関するガイドライン案が出されたということが報道されていました。私も,ビジネスガイド(日本法令)で連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号では,「企業の社会的責任」というテーマを採り上げて,そのなかで,このテーマも扱っています。いまさらCSRかと言われそうですが,これは,いま一度注目されるべきものだと考えて,いろんな論考で言及しています。
 法的な強制があるかどうかに関係なく,サプライチェーンにおける人権侵害の有無に敏感になることは,企業の社会的責任として強く要請されるものです。もっとも一般の法律家の発想では,社会的責任というだけでは,法的強制力もなく,効果は期待できないということかもしれません。そうしたなか,私は,伝統的な法的手法とは異なる形での政策目的の実現手法に関心をもっており,例えば世界人権宣言にしろ,ILOの中核的労働基準にしろ,こういうものをどうやって企業に実行してもらえるかという手法に関心があります。CSRについてはISO26000のようなガイドライン規格が興味深いですし,国連グローバル・コンパクトは,官民協力の規範実現手法という視点でみることもできます。今回の人権デューディリジェンスガイドラインの詳細はまだよくわかりませんが,国際人権問題について,政府が本格的に国内企業に働きかけるものとして注目されます。
 企業にとっても,政府に言われるまでもなく,ESG投資に傾く投資家(とくに海外投資家)を意識すると,人権問題への対応は必要ですし,ユニクロ商品がアメリカで輸入を差し止められたりした問題などをみると,海外との取引で人権対応は不可欠となっています。ただ,個々の企業だけでは,どうしようもないところもあります。例えば,悪名が海外にとどろいてしまっている技能実習制度の見直しに政府が乗り出そうとしているのは,外国人の人権保障という面だけでなく,こういう評判が立つことで,日本のフラッグが日本企業に不利に働くことを防ぐ必要があるからでしょう。同様の観点から,今回の人権デューディリジェンスへの取組も,ガイドラインであっても,意味があるものなのです。
 もちろん,より重要なのは,こういう取組を実際に人権侵害状況の改善につなげることです。その点で必要とされるのは,企業自身の道徳的・倫理的な責任とされてきたものを,どのように企業を刺激して望ましい行動に誘導していくかという,制度設計をするための知恵です。これからの法律家は,こういう問題にも取り組んでいく必要があると考えています。

2022年8月 5日 (金)

令和4年度最低賃金

 近年は,最低賃金は世間で大きな関心を集めていて,テレビでも連日,藤村さんの顔がアップで出ていましたね。委員のみなさんは,たいへんだったと思います。
 中央最低賃金審議会(目安小委員会)では,労使の合意にいたらず,公益委員の見解が発表されるのです(これは毎度のお約束ごとです)が,今回の地域別最低賃金の目安は,最も高いAランクの地域と次のBランクの地域は31円(時間あたり),CランクとDランクの地域も30円(時間あたり)でした。Aランクの東京都も,Bランクの兵庫県も,31円の引上げが目安として提示されました。従来からの慣行で4ランクあるのですが,今回は実質的には,全国一律30円ほど引き上げろということですので,そういうことであれば,ランクを設ける必要はないかもしれません。
 問題は,この目安額が,これから各都道府県の地方最低賃金審議会で審議される最低賃金に,どのような影響力があるのかです。
 地域別最低賃金は,2007年の最賃法の改正で,どの都道府県でも設けることが法文で明記されました。そして,「地域別最低賃金は,地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」とされ(92項),「前項の労働者の生計費を考慮するに当たつては,労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう,生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」(同条3項)と定められました。実質的には,3項が新たな追加規定です。生活保護との逆転現象をなくすことを目的としたものです。
 地域別最低賃金は,従来から,中央最低賃金審議会が,全国的な整合性をもたせるために目安を定める実務がなされてきましたが,2007年改正後も,それは続いて現在に至っています。
 中央最低賃金審議会では,労使のトップが賃金交渉をして,その決裂後,公益委員が,その仲裁裁定として見解を出すようなものだと言われることもあります。だから「交渉決裂」まで待たなければならないので,時間がかかるのです。もちろん「交渉妥結」すればいいですが,そういうことはまず期待できません。関与する公益委員も大変な仕事でしょう。
 公益委員見解では,地方最低賃金審議会へのメッセージもあります。令和3年度は,「目安小委員会の公益委員としては,地方最低賃金審議会においては,地域別最低賃金の審議に際し,地域の経済・雇用の実態を見極めつつ,目安を十分に参酌することを強く期待する。また,中央最低賃金審議会が地方最低賃金審議会の審議の結果を重大な関心をもって見守ることを要望する。」という簡単な付記がありました。
 今年度は「地方最低賃金審議会への期待等」という見出しをつけて,もう少し丁寧に書かれています。
「目安小委員会の公益委員としては,目安は,地方最低賃金審議会が審議を進めるに当たって,全国的なバランスを配慮するという観点から参考にされるべきものであり,地方最低賃金審議会の審議決定を拘束するものではないが,目安を十分に参酌しながら,地方最低賃金審議会において,地域別最低賃金の審議に際し,地域の経済・雇用の実態を見極めつつ,自主性を発揮することを期待する。また,中央最低賃金審議会が地方最低賃金審議会の審議の結果を重大な関心をもって見守ることを要望する。また,今後,公益委員見解の取りまとめに当たって前提とした消費者物価等の経済情勢に関する状況認識に大きな変化が生じたときは,必要に応じて対応を検討することが適当である。」
 丁寧に書いても,内容的には,地方最低賃金審議会に自主性発揮を期待すると言いながら,目安を十分に参酌するようにと言い,地方最低賃金審議会の審議結果に重大な関心をもって見守る(ことを中央最低賃金審議会に要望する)ということなので,どう自主性を発揮するのだろうと思ってしまいます。自主性というのは建前にすぎず,結局は,最低賃金引上げは,国の政策であり,地方はそれに従って決めればいいのだという感じもします。目安から逸脱できたとしても1円や2円のことでしょう。
 目安小委員会から地方最低賃金審議会へのメッセージは,いかにも役所言葉という感じがします。ネットで公開されているので,こういう統制的なやり方で最低賃金が決まっていくということを,私たちは知ることができました。もちろん,各都道府県では,何も基準がないなかで,ガチンコで審議しようとしてもおそらく困ってしまうでしょうから,目安をつくる意味は大きいと思います。ただ,それなら目安を参照してくださいくらいの言い方でよくて,目安を十分に参酌せよとか,監視しているとかは言う必要はないでしょう。厚生労働省は,官邸の意向をふまえて,言われたとおりやっていますよというポーズを示したいのかもしれません。
 いずれにせよ,いまのような決め方なら,もっと機械的に最低賃金を算出できるような方法を導入したほうがすっきりするかもしれません。そのためには,最低賃金の目的は何なのかを,まず明確にすることが必要です(同法の目的規定は抽象的です)。そうすれば何が「正解」かも特定でき,AIを活用できる可能性が出てくるかもしれません。

2022年8月 4日 (木)

Pelosi訪台に思う

 アメリカのPelosi下院議長の訪台は,悪いタイミングでしたね。報道によると,このタイミングとなったのは,自分の都合のようです。もちろん台湾を応援する行動それ自体は良いのですが,タイミングをまちがえれば,かえって周辺国を危険に巻き込むということを,よく自覚してもらいたいです。こういう配慮をしないで独善的な行動をとるのは,いかにもアメリカ人的だと思いますが,これは偏見でしょうか。
 ウクライナ戦争も長期化し,対ロシアで結束していたアメリカは,今回のPelosiの訪台を阻止できなかったことで,Biden大統領のリーダーシップの欠如を露呈しました。対ロシア強硬派であったイギリスは首相が退陣しましたし,イタリアも首相退陣が決まりました。フランスの大統領は国内基盤が脆弱です。結局,政権交代がほとんど起こらない独裁国家のほうが強いということになりかねません。そういうときにこそ日本も含めた西側は結束しなければならないのに,議員たちが勝手な行動をとるようではうまくいかないでしょう。あげくに,中国に余計な挑発をした感じになりました。これはまさに中国が言うように「火遊び」のように思えます。
 中国の覇権主義的な行動を抑え,台湾が香港みたいにならないようにするのが大切なのは当然です。しかし,日本と中国との関係は,圧力一辺倒で対処すればよいというような単純なものではありません。幸い,いまは日韓関係は良いですが,これも大統領が代われば,どうなるかわかりません。中国,韓国,ロシア,北朝鮮と周辺国が敵や非友好国ばかりになったとき,遠くにいて,しかも様々な面で弱体化してきているアメリカだけが頼りというのは,とても不安です。

 それにしても残念なのは,香港に行ける日が私が生きている間には来そうにないことです(←これはちょっと言い過ぎでした)。台湾が,そういうことにならないように心より祈っています。台湾有事となると,沖縄だって危険になってきます。

 岸田首相は,平和のための新構想というのをぶちあげましたが,海上安全とか防衛増強とかが中心で,台湾問題(それはひいては沖縄や本土の安全の問題にもつながる)にどれだけ効果があるのか疑問です。ただお金を使うだけの平和構想では困ります。平和のための明確なビジョンとその実現のための戦略があり,一つひとつの政府の行動が,その戦略に基づいて進められていて,そのために必要だから税金を使うのだという説明を国民にわかりやすくすべきです(もちろん外交などでは,言えないこともあるでしょうが)。平和は遠のき,国家は窮乏する,というようなことになっては,私たちの子孫に申し訳ないことになります。重要な政治課題が次々とふりかかっている現在,岸田政権のやることを,しっかり関心をもってみていくことが必要です。

2022年8月 3日 (水)

期末試験にデジタルを

 81日は,LSの期末試験でした。授業はリモートでしたが,期末試験は対面型ということで,今学期はじめて学生と対面となりました。とはいえ,学生も私もマスクをしているので,対面といっても,半分くらいという感じです。
 それにしても,いつも思うのですが,90分の試験中,学生はずっと集中しており,それはすごいと思いました。私にはとてもまねができません。法曹になるためには,こういうことができなければダメなのですよね。
 それに手書きです。手書きであれだけの字数書くのは,私には無理です。そもそも最近では自分の名前を書くのも,上手に書けなくて情けなく思っています。
 でも法曹も,いまはみんなパソコンをつかって文章を書いているのでしょうから,試験もキーボードで入力ということにしてよいのではないでしょうか。採点者も読みやすいですしね。大学がパソコンを貸与して,そこに答案を書いてもらって,メールで提出あるいはGoogle Classroom で提出というようなことにすればどうでしょうか。もちろんカンニングの危険はあるのですが,インターネットサイトにアクセスしたことがわかれば一発で退学というような厳罰を科しておけばよいのです。大学教員は,こういう厳罰を科す勇気がないので,不正の予防に力を入れるのですが,そのコストは大きいように思います。ほとんどのLS学生は不正などしないのですから,最低限の予防はして,あとは厳罰というほうが,試験をやるほうも受けるほうもハッピーです。抜き打ちで利用したパソコンのチェックをするということにすればよいのです。これは,(いまはどうか知りませんが)イタリアではバス乗車の際は事前に切符を買うことになっていて,実際に切符をもっているかのチェックはないのです(運転手の仕事は運転するだけ)が,あるとき突然,監視員が乗り込んできて,切符を持っていなければ多額の罰金を払わせるということになっているので,ほとんどの人は正規の切符(あるいは定期券のようなもの)をもっているというのと同じ発想です。試験の時期になると,いつも同じようなことを書いていますが,なかなか世の中は変わりません。
 今日はGEILという学生団体から講演を頼まれて,オンラインで60分話をし,30分は質疑応答でした。これからの労働というようなテーマでの依頼です。事前に質問を出すように頼んだら,よく勉強した良い質問が出てきました。講演のなかでは,学生たちに,思わずデジタル化が進まない社会の硬直性を愚痴ってしまいました。まだ大学1年生の将来有望な彼ら,彼女らに改革を託したい気持ちです。

2022年8月 2日 (火)

懲戒の官民格差

 8月1日の日本経済新聞で,「厳しすぎる懲戒『待った』」という記事が出ていました。公務員と民間で懲戒基準が違い,それは公務員には懲戒権の根拠があるのに対して,民間にはないからという説明をしています。ただ,民間企業にも懲戒権があることは,最高裁は前提としており,そのうえで就業規則に懲戒の種別と事由を定め周知することによって懲戒できるとしています(フジ興産事件・最高裁判決。拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(2022年,弘文堂)の79事件を参照)。こうした判例があるので,根拠論での官民の違いはあまり関係ないでしょう。むしろ公務員の勤務関係の特殊性が,この問題にどこまで影響するかが重要と思われます。これは大問題であり,すでに行政法では克服されていると思われる公法私法二分論の亡霊が公務員判例では徘徊しているのではないか,というような議論も出てきそうです。
 ところで,日経の記事で取り上げられている二つの事件のうち,公務員に関するのは,氷見市事件・最高裁判所第3小法廷2022年6月14日判決(令和3年(行ヒ)164号)です。まず,公務員の懲戒処分についての判例の一般的な枠組みは,「懲戒権者は,諸般の事情を考慮して,懲戒処分をするか否か,また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択するかを決定する裁量権を有しており,その判断は,それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したと認められる場合に,違法となるものと解される」としています。公務員法における懲戒処分の適法性に関する判例の動向について詳しく調べたことはありません(公務員事件は,労働法研究者はあまり扱いません)が,判例の判断枠組みからは,たしかに非違行為と懲戒処分の重さとの比例性が厳しく審査される民間企業よりも,懲戒処分が有効とされやすい判断枠組みのようには読めます。
 ところで,この事案は,同僚の暴言・暴行などにより停職2カ月の懲戒処分を受けた公務員が,停職期間中に,被害者である同僚に対して,この懲戒処分についての審査手続の調査において,加害者に不利益となる行動をしないようにするなどの働きかけをしており,これについて,さらに停職6カ月の懲戒処分を受けたというものでした。原審は1回目の停職処分は適法としましたが,2回目の停職処分は重すぎるとして違法としましたが,最高裁は,2回目の停職処分も,「懲戒権者に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものということはできない」として,原判決を破棄して,差し戻しました。
 公務員の特殊性という点では,最高裁において,「懲戒の制度の適正な運用を妨げ、審査請求手続の公正を害する行為というほかなく、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行に明らかに該当することはもとより、その非難の程度が相当に高いと評価することが不合理であるとはいえない。」という部分を指摘できるかもしれませんが,本件では,認定された事実によると,処分を受けた公務員の行動は相当に悪質であり,停職処分6カ月を違法とする原審判決のほうが甘すぎるような気もしました。民間企業で同様のケースであっても,その企業の従来の取扱いなども関係しますが,権利濫用とならない可能性があったと思います。
 ここで重要なのは,懲戒処分には,雇用終了型懲戒処分と雇用継続型懲戒処分の二つのタイプがあり,それは分けて考えたほうがよいということです(この区別については,拙著『人事労働法』(弘文堂)143頁を参照)。前者は,当事者の非違行為に対する制裁と他の従業員への(同種行為をしないようにとの)威嚇という機能があるのに対して,後者は,これらの機能もありますが,加えて,当該被処分者への教育的効果というものがあり,そちらのほうが重視されます。前者は制裁の程度が大きいので,まさに刑罰と同じような意味のある重い処分として,厳しい有効性審査がされるのに対して,後者は雇用が継続されているなかでの処分であり,非違行為との釣り合いは求められるとはいえ,教育的効果もふまえてある程度の裁量は認められるべきなのです(これは懲戒権の濫用に関する労働契約法15条の解釈で考慮されることになるでしょう)。
 もう一つの日本郵便事件では最高裁決定はネットではみられませんでしたが,決定なので上告不受理・上告棄却だったのでしょう。原審の札幌高裁の判決(20211117日(令和2年(ネ)第75号))をみると,出張費についての不正請求をしていた職員への懲戒解雇について,これを有効とした1審判決を取り消して,権利濫用で無効とされていました。この事件では,同種事案で処分された他の職員は,停職3カ月の懲戒処分にとどまっていました。札幌高裁は,非違行為の態様等は,他の職員とおおむね同程度にあるにもかかわらず,この職員だけ懲戒解雇というのは均衡を失すると判断しました。
 これは,懲戒権についての使用者側の裁量についての官民の違い(民のほうが狭い)と説明することもできますが,やはり処分が解雇のような雇用終了型となると,停職とは質的に異なるのであり,そこが大きかったとみるべきでしょう。私は,懲戒解雇は,普通解雇よりも,解雇の有効性が比較的認められやすいと書いてきたのです(拙著『解雇改革―日本型雇用の未来を考える』(2013年,中央経済社)67頁)が,それは非違行為が懲戒解雇に適した重大なものであれば,解雇回避の要請が働かないという点を述べたもので,非違行為自体の重大性がないという理由で懲戒解雇が無効となることは十分にありえるのです。今回は,やや日本郵便側に厳しいかなという気もしないわけではありませんが,やはり解雇となると,非違行為の懲戒解雇事由該当性の判断(あるいは権利濫用性の判断)で,労働者に有利な事情がかなり広く取り上げられます(普通解雇事案ですが,1977年の高知放送事件・最高裁判決[前掲『最新重要判例200労働法』の47事件]も参照)。本件でも,他の処分者との均衡だけでなく,不正請求の回数は多かったものの,1回あたりの額がそれほど大きくなく,私腹を肥やしたということでもないし,会社のチェックが杜撰という面もあることなどが考慮されました。
 日経の記事での,懲戒の官民格差というのは,面白い切り口で,重要な問題提起をしていると思います。ただ今回の6月の両判決を官民格差の例として挙げるのには,上に述べたような留保が必要ではないかと思います。
 公務員だから重い処分でよいというのは,市民感覚に合致するかもしれませんが,公務員も労働者だという観点から考えた場合には,問題があります。公務員の争議権の制限なども含めて,公務員に関する労働問題は,古くて新しい問題です。最近では,早津裕貴さんの『公務員の法的地位に関する日独比較法研究』(日本評論社)という重厚な研究書も刊行されています(お送りいただき,ありがとうございました。非正規公務員の処遇改善という問題意識によるものですが,公務員の勤務関係について,今後いっそう踏み込んだ研究をされることを期待しています)。

 

2022年8月 1日 (月)

医療現場の紙

 いつもブツブツ文句を言っているペーパーレス関係のことなのですが,先日の人間ドックでは,事前に問診票が送られてきて,それに記入して提出するようにと指示されていました。これはこのクリニックを利用し始めた10年以上前から様式が変わっていないと思います。ピロリ菌は陰性かという質問には答えを忘れてしまったので,書かないで提出したら,看護師さんがすぐ横にあったパソコンで過去のデータから陰性と確認してくれて,そのように記入してくれました。それはそれでよかったのですが,データで管理をしているのなら,受診者の問診票についても紙ではなく,スマホやPCで入力できるようにしてくれたら助かります。また,これらのデータは,私の健康データなので,いつでも私が観ることができるようにしてもらいたいですね。本人はピロリ菌がどうだったかというようなことは,すぐに忘れてしまいますし(胃がんにかかわるので,そういう大切なことを忘れる自分もバカなのですが)。
 医療機関の初診時にも,たいてい問診票を紙で渡されます。神戸市の医療機関がとくに後進的ということでもないと思います。コロナ禍なので,他人の使った鉛筆やペンは使いたくないです。いまはタクシーも,キャッシュレスがあたりまえとなっていて,お金のやりとりをしたり,行き先を言ったりしなくても,目的地にまで到着できます。医療機関も,予約はスマホで,質問事項もスマホで答えて,診療が終わると,明細をメールで送ってくれて,クレジットカードから自動引き落としというようなことにしてくれれば,よいのですが。さらに,その日の診療結果もメールで送ってくれればなおよいです。もちろん,重症でなければ,オンラインでの診療が助かります。人間ドックは別ですが,普通は体調が悪いときに医療機関に行くのであり,医療機関まで出向いていき,ときには長時間待たされることで,よけいに体調が悪化しそうです。
 ところで,近所の耳鼻科で,医師が,私に小児喘息の既往症があることを前提とした話をしていて,何か変だなと思いながら,まあ喘息に近いものをかかえているからなと思いながら聞いていたところ,パソコンに映し出された私の既往病が目に入り,それが小児喘息となっていたので,あわてて訂正したことがあります。どこでどう間違ってそういう誤データが混入したのかわかりませんが,こわいことです。ただこれはパソコン画面に映し出せるデジタル情報だから発見できたともいえます。手書きのカルテに書かれていると,私の目に入ることはなかったでしょう。
 その医師は,決して悪い人ではありません。私の前でメモ帳の切れ端のような紙を置いて,いろいろ鉛筆で書きながら症状やその原因などを説明してくれました。親切で丁寧なのですが,その紙は回収されてしまいました。どうしても欲しいと言えばくれたかもしれませんが,なんとなく手書きの紙をもらうというのも変な感じがして,言いそびれてしまいました。ただ,こういうのは手書きの紙ではなく,デジタルデータで送ってもらいたいものです。そのようにしてデータでもらえると,セカンド・オピニオンを求めて,他の医療機関にも行きやすくなります。
 デジタル化は,初期費用はかかるでしょうが,医療従事者の仕事を効率化させ,サービスのクオリティの向上につながるでしょう。診療結果のデータ化は可視化でもあり,上記のセカンド・オピニオンの場合のように,サービスのクオリティの事後点検もしやすくなるので,医師はいやがるかもしれませんが,これは受け入れてもらう必要があると思います。
 新型コロナウイルスの第7波で,医療現場が大変なことになっているのはとても心配ですが,外来予約の管理を紙の日程表に書き込んでいる映像が出てきたりすると,これでは業務が回らないのは当然だと思ってしまいます。こういう働き方をさせられている従業員は可哀想です。
 そういえば,前にテレビのニュースで,厚生労働大臣が執務室らしきところから,オンラインで話をしているところが報道されていましたが,背後に映っていた机の上に分厚い紙のファイルがありました。このアンバランスが滑稽でした。これでは,効率的な仕事ができないだろうなと思ってしまいました。こういう映像を出してダメージになると思わないところに,政治家や霞ヶ関のデジタル化への感度の鈍さを感じます。
 政府にデジタル化の音頭をとってほしいとは,もう言いません。ただ,DXを進めたいと思っている医療機関はたくさんあると思うので,政府は,せめてそれを邪魔しないように(できれば補助をするように)してもらえればと思います。

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