2025年2月 8日 (土)

王将戦第3局

 藤井聡太王将に永瀬拓矢九段が挑戦している王将戦の第3局は,藤井王将が勝ち3連勝となりました。素人には白熱した攻防でどちらが勝っているのか,よくわかりませんでしたが,最後は藤井王将が,永瀬九段の攻めを読み切っていたようです。藤井王将の将棋は,玉をあまり囲わずに,最低限の防御で攻めていき,相手の攻めをぎりぎりのところでかわすというスリリングなものです。これだと一手間違えれば「大怪我」する将棋となりそうですが,卓越した読みと勝負勘で他の追随を許さない感じですね。
 順位戦はB1組が6日に行われました。すでに昇級は,糸谷哲郎八段と近藤誠也八段(昇段)で決まっていますので,降級争いが注目されていました。この日はまず降級が決まっていた山崎隆之八段が,羽生善治に勝って,昇段後250勝という基準を満たして,めでたく九段昇段が決まりました。来期はB2組ですが,最後に意地をみせました。一方,羽生九段は敗れて47敗となり,最終局に勝てば残留,負ければ降級という瀬戸際に追い込まれました。対戦相手は,この日,斎藤慎太郎八段に勝った大橋貴洸七段です。大橋七段は65敗,斎藤八段は56敗です。斎藤八段は負けましたが羽生九段が負けて,順位が上なので残留が確定しました。降級のピンチであった三浦弘行九段は,近藤八段に勝って首の皮一枚つながりました。これで47敗で,次局に羽生九段が負けて,自身が勝てば残留です。羽生九段が勝てば,自身が勝っても順位の差で降級です。また,羽生九段と三浦九段のどちらかが勝って57敗となり,現在ともに56敗の大石直嗣七段と高見泰地七段が対戦するので,どちらかが必ず57敗となり,どちらも,羽生九段と三浦九段より順位が低いので,負けたほうが降級となります。ということで,羽生九段と三浦九段は負ければ降級,羽生九段は勝てば残留,三浦九段は勝っても羽生九段次第では降級,大石七段と高見七段は,勝てば残留で,負ければ,羽生九段と三浦九段の少なくともどちらかが勝っていれば降級となります。
 B2組は,服部慎一郎六段が勝ってB1組に昇級を決め七段に昇段すると同時に,勝率が9割に到達しました。いよいよ歴代最高勝率という大記録の達成がみえてきました。また,青嶋未来七段が絶好調であった阿久津主税八段に大逆転で勝って昇級を決めました。昇級は3人ですが,もう一人については,大本命の伊藤匠叡王が,深浦康市九段に負けて72敗で足踏みしました。最終局の相手は,63敗の丸山忠久九段です。丸山九段は今期は藤井七冠(竜王・名人)に勝って銀河戦に優勝するなど,まだまだ力は侮れません。丸山九段は伊藤叡王に勝って,63敗の及川拓馬七段が戸辺誠七段に負ければ昇級となります。及川七段は,丸山九段や伊藤叡王より順位が上なので,自身が勝って73敗となり,伊藤叡王が敗れれば昇級となります。
 
 C1組はベテランの井上慶太九段に昇級のチャンスがあるのですが,前局は,すでに昇級を決めている斎藤明日斗七段に敗れて63敗に後退しました。藤本渚五段は古森悠太五段に逆転勝利で81敗となり,昇級に王手をかけました。最終局の阿部隆九段戦に勝てば昇級。負ければ,現在72敗が2人いる(佐藤和俊七段と冨田誠也七段)ので,最終局に2人とも勝てば,順位が下の藤本五段は昇級できません。井上九段には大逆転の可能性があります。最後の一人の枠に向けて,自分よりも現在上にいるのは,7勝の2人と6勝の1人(飯島栄治七段)であり,もしこの3人全員が敗れて,井上九段が金井恒太六段に勝てば昇級となります。ありえない話ではありません。還暦超えの井上九段が昇級したらビッグニュースとなるでしょう。藤本五段の師匠は井上九段なので,師弟同時昇級ともなります。

2025年2月 7日 (金)

アナログな交友関係とダンバー数

 ダンバー数(Dunbar’s number)という言葉を耳にしたことがある人も少なくないでしょう。Wikipediaによると,これは「人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限」とされ,150200人程度と言われています。ハラリ(Harari)の『サピエンス全史』でも,たしか狩猟採集時代の部族の規模が150人以内だったという話が出てきた記憶があります。私はこの数字を,「アナログ的な交友関係の上限」くらいに考えています。SNS時代になり,この数を大幅に超える人も多いでしょうが,私は基本的にSNSを使っていないため,交友関係は自然と狭くなりがちです。さらに,数年前に年賀状を廃止したことで,その関係はさらに細ってきました。
 よく考えると,年賀状をやりとりしていた頃の交友関係は,ちょうどダンバー数くらいだった気がします。弁護士事務所からの事務的な年賀状もありましたが,それらも広義では「交友関係」であり,いざというときに役立つコネクションでもありました。アナログ的な交友関係は,親密なものから薄いつながりまで含め,年を重ねるごとに自然に増えていきダンバー数程度に到達していたと思います。
 最近,私の周りでも年賀状をやめる人が増えているように感じます。ただ,いちはやく年賀状離れをしていた私としては,その流れを横目にちょっと違った感想をもつようになりました。文字を書き始めた幼児は,友達から届く年賀状を楽しみにし,そこには象形文字のような解読が難しい字(記号?)や手書きの絵が添えられるもので,受け取るだけで喜んでいますし,大人がみても微笑ましいものです。子どもには,こうしたアナログな体験を大切にしてほしいと思いますし,年をとると,どこか子どもに感覚的に戻るような気もします。
 とはいえ,いまさら年賀状を再開するのは面倒ですし,当面はSNSを活用する気もないので,交友関係はアナログ的手段に頼ることになりそうですが,少しずつダンバー数に近づけることはできないかと考えています。ただ,電話や頻繁な交流はあまり得意ではありません。自分に合った,無理のない交流手段を見つけることが,これからの課題であり,そこで鍵となるのは「デジアナ・バランス」のような気がします。

 

 

2025年2月 6日 (木)

教育無償化に思う

 日本維新の会は,教育無償化を推進する前原誠司共同代表が国会議員のリーダーとなり,この政策を進めようとしています。当面は高校授業料の就学支援金制度の所得制限撤廃と支給上限の引上げが論点となっているようです。大学も含めた高等教育の教育無償化は,一見よそうさな政策ですが,賛否両論がありえます。否定論としては,「高等教育機関に行かなくてもよい人々を過剰に誘導するのではないか」という懸念があります。現代において大切なのは,特定のスキルを磨くことです。高校や大学での総合的な教育よりも,専門学校などで尖ったスキルを身につける方がよいということもあるのです。つまり教育無償化が全ての学生にとって最適であるとは限らず,多様な進路選択を支援する制度こそ求められるといえます。
 一方で,教育無償化は,人的投資という観点から極めて重要です。昨日のBSフジのプライムニュースでは,土地問題について論じられていましたが,評論家の人が,現在の親たちは,子どもに残すべき資産としては,土地などの不動産ではなく,教育であると考える人が増えているのではないかと指摘していました。金銭的なものではなく,子どもが稼得能力を高めたり,豊かな人生を送る可能性を広げたりできる教育への投資こそが,不動産に投資するより重要ということです。日本人の間では土地神話が強いといいますが,それも変わっていくのではないかということでしょう。人口が減少していく日本では,住宅が余り,住宅政策の優先順位が下がっていく可能性があるのです。多くの国民は,効果がでるまでに時間のかかる教育への投資は,ややもすれば後回しにしがちであり(現在バイアス),だからこそ国家が介入する意味があるのです。これからのデジタル時代に対応できる能力格差(デジタル・デバイド)は貧富の差に直結する可能性があり,それを防止することこそ最も優先度が高い政策なのです。
 そうみると,教育無償化の意義は小さくありません。今後は,多様な教育の選択肢を整備しつつ,デジタル社会に適応できる学びを提供することが重要です。とくに重要なのは,AI時代にふさわしい教育システムを構築すること(カリキュラムだけでなく,AIを活用した教育など)であり,それがなければ,無償化の効果もでないということも忘れてはなりません。

2025年2月 5日 (水)

睡眠とエントロピーの法則

 前に睡眠をめぐる議論について紹介したことがありましたが,よく考えると,唯脳論や『バカの壁』(新潮新書)の養老孟司氏が睡眠のことを語っています。いろんな箇所で語られていますが,たとえば新しいものでは,「婦人公論.jp」の「養老孟司 サルやイノシシが畑を荒らすようになった意外過ぎる理由とは…『一方の秩序が、他方の無秩序を引き起こすということ』」に,次のような記述があります。「意識という秩序活動が生み出した無秩序は,脳自体に蓄積する。脳に溜(た)まった無秩序を,脳はエネルギーを遣って片付ける。その作業の間,当然のことだが意識はない。それを人々は「眠る」という。眠るのは休んでいるのだ。それが通常の了解であろう。休むというのはエネルギーを遣わない。ところが寝ていようが起きていようが,脳はエネルギーを消費するのである。ということは、寝ている時間は「休んでいる」つまり「エネルギーを遣わない」時間ではない,ということである。それは「無秩序を減らして,元の状況に戻す」ということなのである。」
 睡眠をエントロピー増大の法則(熱力学の第2法則)で説明されています。脳は種々の情報をインプットしながら秩序を形成する一方,多くの無秩序を形成しています。意識がある間は,せっせと秩序形成をするのですが,脳には不要な情報もたくさんインプットされているので,睡眠中はそういうものは秩序づけないまま消去されるのでしょう。その過程でみる「夢」は,情報が整理されず無秩序のまま現れるので,現実離れしたものであるのは,それゆえかもしれません。一方で,夢のなかで数学の問題が解けたりするというのは,寝ていても秩序形成をしているのでしょう。どうしても必要なときには,寝ている間にも脳に頑張ってもらう必要があるかもしれませんが,そればかりやっていると脳は余分にエネルギーを消費し,それだけエントロピーが余分に増大し,健康に良からぬ影響を起こす可能性があるのではないかと思います。ただ,このあたりは,よくわからないところも多いので,専門家からしっかり教えてもらいたいです。

2025年2月 4日 (火)

棋王戦始まる

 藤井聡太棋王(七冠,竜王・名人)に増田康宏八段が挑戦した棋王戦の第1局は藤井棋王が勝ちました。タイトル戦初登場の増田八段は,作戦を用意していたようで,序盤から藤井棋王は時間を使わされて,途中では残り時間にかなり差がついていました。形勢は互角かやや増田有利であったようですが,1手の緩手をとらえて,藤井棋王が少しずつ優勢となりました。圧巻だったのは,93手目を指して残り3分になってから,相手が投了した127手目まで18手を1分以内で指し続けたことです。棋王戦はストップウォッチ方式で,1分未満で指すとすべて切り捨てになり,残り時間は減らないので,「永遠の3分」の発動と話題になりました。増田八段は時間攻めをしたつもりが,最後は,藤井棋王は時間がなくても勝ちきれるという終盤力を見せつけたもので,増田八段もショックを受けたでしょう。
 この将棋が行われた2日は,NHK杯でも増田八段が登場していて,梶浦宏孝七段に逆転勝ちをしていました。A級順位戦でも53敗で名人挑戦の可能性を残しています。叡王戦でも本戦トーナメントに進出して,初戦で惜しくも藤井七冠に負けていましたが,現在,最も勢いのある若手棋士の一人であることに間違いないのです(取りこぼしも多いですが)。ただ,より若い絶対王者の藤井七冠にはどうしても勝てません(棋王戦初戦を含めて,対藤井戦は1勝7敗)。
 2014年に16歳でプロになった増田八段は,2016年に14歳でプロになった藤井七冠は別格としても,それに次ぐくらいの早熟の天才でした。藤井七冠がプロになるまでは,増田八段が唯一の10代棋士でした。しかし,その後は一気に抜かれて差がついてしまいました。増田八段としては,藤井七冠を超えなければ,彼の将棋人生の先は展望が開かれません。A級棋士にはなりましたが,やはりタイトルを取りたいでしょう。第2局以降の頑張りに期待したいです。

 

 

2025年2月 3日 (月)

別府大分毎日マラソン

 節分が終わり,立春となりましたが,これから寒い日が到来します。これまでの慣行で,こういう悪い時期に試験をやり続けているのですが,そろそろ変えたらどうですかね。良い季節に試験をやったほうが学生も実力を発揮できてよいでしょう。4月入学の見直しこそ必要です。将来の教育というのは,それを専門とする役所をつくるべきで,そこで思い切った教育改革に臨んでもらいたいものです。いつも同じようなことを言っていますが。
 ところで,昨日の別府大分毎日マラソンは,ずっとみていましたが,見ごたえがありました。優勝したケニア選手(キプチュンバ)はさすがでしたが,青山学院の若林選手の激走には,多くの視聴者がくぎづけになったことでしょう。最後は少し引き離されましたが,わずかな差です。でも彼は競技生活を引退するそうで,これがラストランとしてマラソンを走り,それで初マラソン最高記録(もちろん学生最高記録)の2時間67秒を出しました。すばらしい記録です。箱根の5区の激走も印象的でした。もったいないという声もありますが,彼が競技をやめるという気持ちは,理解できるような気がします。おそらく彼は出し切ったのでしょう。それで2時間2分で走ったのならともかく(世界記録は2時間035秒),2時間6分です。トップのキプチュンバとはわずかな差であるとはいえ,その差が大きいのです。これからマラソン練習に本格的に取り組んだとしても,2時間2分レベルには到達する可能性は小さいでしょう。記録より勝負ということだとしても,オリンピックとなると,キプチュンバクラスの選手がたくさんいるのです。レースの展開によっては,8位くらいに入ることはできるかもしれませんが,そのためにこれからの生活の大半を練習に捧げるのはもったいないと考えたのではないでしょうか。そして燃え尽きていなければ競技を続けたのかもしれませんが,彼なりにもう十分に達成できたのでしょう。
 ところで,このレースでは,ノーベル賞受賞者の山中伸弥先生も走っていました。62歳で,3時間2032秒の自己ベスト更新というのは,すごいことです。ただ,なぜ彼が走っているのかというと,どうもそれは,iPS細胞研究所の名誉所長として,「iPS細胞研究基金」をマラソン出場を通じてPRし,その抱える財政的な課題を解決するためのようなのです。日本が世界に誇るiPS細胞について,その研究に対して十分な公的助成がなされていないとするならば,それは嘆かわしいことです。どのような事情があるか詳細はよくわかりませんが,教育や研究のお金をもっと戦略的に使ってもらえないかと思います。それだけでなく,山中先生が(身を削りながら?)走らなければならないというのは,夢のない話であり,若い人たちが研究の道に進むことをためらうことにならないか心配です。

2025年2月 2日 (日)

四足歩行から四足走行へ

 ロボット技術の進化に伴い,人型ロボットも進化を続けています。人間と同様の動作を求められる人型ロボットは,当然ながら二足歩行でなければなりません。しかし,機能面を考えると,四足歩行ロボットのほうが安定性が高く,実用的な場面も多いでしょう。
  
人類は,かつて四足歩行(ナックルウォーキング:Knuckle Walking)をしていた祖先から進化し,二足歩行ができるようになりました。これにより,チンパンジーとは異なり,両手を自由に使うことが可能となり,道具の使用や獲物の運搬が容易になりました。また,視界が高くなり,遠くの獲物を見つけたり,ライオンなどの捕食者をいち早く発見したりすることができるようになりました。完全な直立歩行を確立したのはホモ・エレクトス(直立したヒト)の時代であり,この進化により,ナックルウォーキングをするチンパンジーや初期の猿人とは異なり,骨盤の重心が中央に移動し,安定した歩行が可能となりました。
 二足歩行には「倒立振り子モデル」に基づく効率的な歩行メカニズムがあり,重心移動の際に筋力をあまり使わず,重力を活用して前進することができます。これにより,人間は長距離の持久力に優れ,四足で走る動物には短距離では敵わなくとも,長距離では競争できる可能性があります。
 ここからは少し妄想を交えてみましょう。オリンピックの陸上100メートル走において,「四足で走ってはならない」というルールは存在しないはずです。鍛え方によっては,人間でも四足で走ることで短距離のスピードを向上させることができるかもしれません。四足歩行ロボットの開発は,動物の動きを参考にして進められていますが,その分析結果を人間のトレーニングに応用すれば,二足よりも速く走れる可能性があるのではないでしょうか。
 もし,二足で走る人類の世界記録を,進化の過程で捨てたはずの四足走行によって塗り替えることができたら痛快でしょう。現在,四足走行による100メートルのギネス記録1566です。ウサイン・ボルト(Usain Bolt)の世界記録(958)とはまだ大きな差がありますが,将来的にトレーニング方法が進化すれば,この記録も更新されるかもしれません。

2025年2月 1日 (土)

大学教員の労働者性

 労働者の多様化や柔軟化ということが言われるなか,実は,労働者のカテゴリーに含まれている者のなかで,最も労働者性の「程度」が低いと考えられるものの一つが大学教員です。大学教員は,基本的には研究者であり,研究の知見を背景にして教育を行うものだと,私は考えています。規制・制度改革学会の雇用分科会では,当初,大学教員のことが話題となっていました。労働法規制の柔軟化を考える場合,自分たちの立場を振り返りながら規制の要否を考えるのが,思考実験としては適切といえるからです。大学教員のなかで,自分が労働者と考えている人は少ないでしょう。専門業務型裁量労働制の適用を受けて,労働時間のみなし制が適用されているケースが多いことも,労働者であるという意識を薄める効果をもつものといえます。
 告示で定める専門業務型裁量労働制の対象業務に,「学校教育法(昭和22年法律第26)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)」が追加されたのは,2003年です。そこでいう「教授研究」とは,「学校教育法に規定する教授等が,学生を教授し,その研究を指導し,研究に従事すること」であり,「主として研究に従事する」とは,「業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり,具体的には,研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に,その時間が,多くとも,1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて,そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること」とされています。裁量労働制の適用を受けているということは,研究業務がおおむね5割以上であるということが前提だということですが,講義等の授業の業務が5割近くあっても裁量労働制の適用となってしまうことに違和感をもつ人も多いでしょう。ただ,私立大学より授業負担が相対的に少ないとされる国立大学の教員は,おそらく研究業務の割合はもっと高いので,結果,自分が労働者であるという自覚も薄くなるわけですし,裁量労働制における最近の規制の強化は迷惑なことと思っていることでしょう(同意要件や健康確保措置など)。
  大学教員の仕事は,講義等の授業以外にも,学内業務(会議出席など)や入試関連業務などがあり,そうした研究以外の部分については,大学の指揮監督下にあります。研究面での裁量との落差が大きいです。研究成果を教育に活かすということからすると,研究と教育は業務として分離できないのであり,ましてや5割とかの数値化も無理なものです。通達の5割基準というのは実効性のないものです。分離できるのは,研究・教育とその他の業務です。
 ところで,大学の専任教員を労働者とするのであれば,ましてや非常勤講師は労働者であろうという「相場感」はあるように思います。教育という面からすると,非常勤講師も専任教員も同じであり,専任教員のなかの労働者的要素を基礎づける教育のみを担当してくれる非常勤講師であれば,当然,雇用契約で働いて労働者性が肯定されると考えられてきたと思います。非常勤講師は,「正社員」ではないので,大学組織による保護や支援の対象外となるとしても,それは法的な地位とは関係ないものです。そのような一般的な理解を覆すような判決があります。それが東京藝術大学事件・東京地裁判決(2022328日)です。非常勤講師は労働契約法上の労働者ではないとして,同法19条の適用を否定しました。つまり非常勤講師の契約は,労働(雇用)契約ではなく,有期の業務委託契約であったということです。現在ではフリーランス法の適用がある契約ということでしょう。この判決には,判断基準やそのあてはめが適切かという,労働者性の問題につきまとう,でも議論してもあまり理論的に建設的でない論点がありますが,それよりも大学教員の仕事について純粋に教育面だけみると,労働者性を根拠づけにくいということを示唆する判決のようにも思えます。これは専任教員だって同じではないでしょうか。ただ専任教員には通常は授業以外の業務もあり,そこが非常勤講師と違い,労働者性を基礎づけるものとなるのでしょう。そして,まさにその部分が大学教員の研究時間を削いでいるのです。望ましいのは,大学教員の研究の比重を高め,研究と教育は一体的なものととらえたうえで,労働法の規制を外し,その他の業務をさせる場合には別途に雇用契約を締結したものとし,その限りでは労働法の適用を受けるということにすればどうでしょうか。しかも,その雇用契約の部分は,ほんとうは大学教員がやらなくてもよく,他の人と雇用契約を締結してやってもらってもよいものなのです(たとえば入学試験における監督業務について)。
 もう一点,継続的な業務委託契約の更新拒絶については,労働契約法19条の類推適用があってもよいのではないかという論点もありそうです。これは前から議論されているものですが,19条が成文化されてしまい,雇止め制限法理は労働者にしか適用できないという誤解を生んでしまったのではないかという気がします。実質的に無期となったり,更新期待の合理性があったりする場合には,正当な理由がない更新拒絶は違法となるという考え方は,業務委託契約であってもありえます。ただ,その際には「みなし承諾」のような効果ではなく,損害賠償であるべきです。これは解雇の金銭解決の議論とも関係するもので,無期雇用の金銭解決が難しいというのならば,まずは有期雇用の雇止めについて金銭解決を考えてもらいたいです。もしそういうことができれば,有期の場合,雇用であれ,業務委託であれ,同じような枠組みで更新拒絶の違法を論じることができ,労働者かどうかの判断で考慮される事情は,端的に,更新拒絶の正当理由の枠内で考慮することができます。雇止めと金銭解決については,拙著『労働の正義を考えよう―労働法判例からみえるもの』(2012年,有斐閣)51頁で少し言及しているので,興味のある人はみてください。

 

 

2025年1月31日 (金)

Trumpとの付き合い方

 Trump大統領に,就任前に会ってもらえなかった石破茂首相です。人間関係を築くことが大切だということから,まずは会わなければならないということだったのかもしれませんが,友人関係にあるわけでもなく,懸案事項があるわけではないとすると,大統領となる前にわざわざ会う必要がないと判断されたとしても不思議ではありません。むしろ緊急に会いたい首脳というのは,何か懸案を抱えていて,これからディールしなければならない人なのでしょう。それだけ日米関係は,少なくともTrumpの目からは安定しているという認識かもしれず,そうだとすれば悪い話ではありません。
 孫正義氏ら,IT関係企業の首脳のように,大金を持参して,尻尾を振って会いに来てくれる人には,喜んで会うのかもしれません。わかりやすすぎて,かえってすっきりします。孫氏もみっともないように思いますが,ディールのためなら,恥も外聞もなく,実をとるということなのでしょう。
 
 ところで,先日,BSフジのプライムニュース(CMACジャパンだらけでしたね)で,木村太郎が,US Steel 買収は,USという名が入っている会社である以上,買収は無理だと言っていました。買収に名乗りを上げているクリーフランド・クリフス(Cleveland-Cliffs)のCEOの,日本邪悪発言にみられる日本蔑視思想こそ,アメリカ人の本音で,USJapanに乗っ取られるなんていうのは感情的に受け入れられないということでしょう。そうだとすると,Biden前大統領は,この買収の経済的合理性を考えて,やや結論を出すの渋っていただけ,まだましだったともいえそうです。
 ではTrump大統領との間ではディールの余地がないのでしょうか。彼には,ひょっとしたら人種差別思想とかそういうものも,経済的なメリットと比較すれば優先順位が低いかもしれません。石破首相がトップ会談で,これがアメリカ人に得になるという取引であるということを明確に示し,それを支持者にアピールできるようにしてあげれば,買収話は進むかもしれません。Biden大統領相手の訴訟などの法的な問題とするよりも,Trump大統領に直接ディールで臨んだほうがよいといえそうです。ただディールは,双方に利益がなければなりません。あくまで民間企業の買収案件にすぎないので,ゆめゆめ国益を損なうような大きな「お土産」を渡さないようにしてもらいたいです。

2025年1月30日 (木)

追悼

 モリタク(森永卓郎)さんが,亡くなりました。67歳ということなので,若すぎます。フルスイングで人生を過ごすと言っていたそうです。前にも書いたことがありますが,私がまだ大学院生のときに参加させてもらった三和総研の研究会(たぶん労働省の委託研究)でお目にかかったことがあります。労働協約に関する比較法の研究会において事務局を担当されていました。その後,しばらくしてからテレビなどで大活躍されるようになり驚いたのですが,労働政策などについては彼の意見とは合わないなと思っていました。でも前に紹介した『書いてはいけない』(三五館)は渾身のメッセージで,賛否はともかく多くの人に読んでもらいたいです。
 元兵庫県議会議員の竹内英明氏が亡くなりました。まだ50歳で,自殺だと言われています。報道によると,家族が自宅で震えていなければならないような脅迫や中傷を受けていたようであり,こんなことが許されてよいわけがありません。議員になって政治活動をすれば,こんな仕打ちを受けるとなると,普通の感覚をもった人は議員になろうとは思わないでしょう。竹内議員の斎藤知事に対する追求に不満があるのなら,そういう人たちは,普通の言論で批判すればよいのであり,罵詈雑言を浴びせ,自宅にまで押しかけるようなことまでいうのは,たとえ単なる脅しにすぎなくても普通の言論の域を超えたものです。Wikipediaがもし正しければ,竹内氏の経歴からは,若い頃から政治を志し,実際,兵庫県議会でも活躍されていたようです。まっとうな政治活動をしていて,将来の活躍が期待され, 妻も子もいるバリバリの政治家であった竹内氏のような人が命を絶つほど追い込まれる社会に未来はありません。
 いったい10ヶ月前の元県民局長の告発から,何人の人が亡くなったのでしょうか。これで終わるのでしょうか。兵庫県民としても,まことに悲しく,情ないことです。

 

 

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