社会問題

2017年11月14日 (火)

特区の効用を国民にもっと説明すべきでは?

 加計学園問題については,多くの国民は,首相が逃げている,あるいは側近達がかばっているとみていると思います。でも,「人の噂も75日」ですので,風化が徐々に起きつつあるようでもあります。そもそも説明をすると言っても,きちんと説明することなんてできないのだと思います。首相の本音は明白で,それを周りが忖度したというのが真相でしょう。首相としては自分は何もしていないというのは真実なのでしょう。あとは良心の問題ですが,こんなことで良心の痛みを感じるような繊細な人では政治家になることはできていないでしょう。周辺の者は首相のために動いた忠義心があり,やはり良心は痛まないでしょう。国民目線をもたない忖度役人は,組織防衛という大義には絶対服従であり,役人をつついても,これ以上は何も出てこないでしょう。
 ところで,文部科学相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会が設置を認める答申を出し,どうも林芳正文科相は認可する方向のようです。審議会が答申を出してしまった以上,大臣は認可しないことが難しくなるでしょう。その意味で,この審議会の答申は重かったですね。
 日本社会では,いったん動き始めたことをご破算にするということには,すさまじい抵抗があります。おそらくここまで手続が進んでいるのだから,いまさらゼロにすることは無理でしょう,と言われると,日本では分別のある人ほど説得されてしまいます。日本人には,これまで使った費用は,無駄に埋没させてはならず,必ず活用しきらなければならないというDNAがあるのかもしれません(「もったいない」意識)。でも,サンクコストをめぐる議論は,こうした発想が,非効率である場合があることを教えてくれます。戻ってこないコストにこだわることによって,より大きなコストを生む可能性があるのです。損切りの発想が必要です。だから審議会では,いまこれから認可することが,ほんとうに国民にとって必要かを,これまでのコストを忘れて議論をすべきだったのですが,そういう議論がなされたのでしょうか。
 日経新聞の一昨日の社説のタイトルは,「「加計」乗り越え特区の再起動を」となっていました。官僚が牛耳る岩盤規制を打ち破るのが特区であり,その効用は大なので,加計問題にとらわれて,その本質を見誤るな,ということでしょう。気持ちはわからないではないのですが,現時点では,特区により国民にどんな利益が生じているのかが,国民によく伝わっていないのではないか,という点が気になります。 
   特区による効用を感じている人は,岩盤規制に阻まれてきた特定の業界や業種の人たちです。こうした人たちが参入して競争が促進されることによって,実は国民にも利益が及ぶはずなのですが,それまでにはもう少し時間がかかります。残念ながら,獣医学部の新設についても,日経新聞の社説では,「獣医学部をめぐっては,法的根拠なしに新設を阻んできた文科省の行政指導にこそ問題がある。教育と研究の質を高め,食の安全や感染症対策で消費者に恩恵をゆき渡らせるには,意欲ある大学経営者に広く参入を認めるべきだ」と書いていますが,ちょっとこじつけ感があります。
 加計問題で,特区には味噌がついた気がします。特区の効用について,もっと明確に説明する責任が政府にはあると思います。前掛かりで次々とやってしまうと,国民の支持を得られなくなるでしょう。労働法規制などで,わかりやすい特区があればいいのですが(外国人労働の特区は若干地味です。福岡の雇用創出特区はもともと効用が疑わしかったのですが,あれはどうなったのでしょうね?)。

|

2017年11月 4日 (土)

裁判官の廉潔性

   11月2日の日本経済新聞朝刊で,裁判官のアパート経営について,最高裁が認めなかったという記事が出ていました。夫婦で賃貸アパートを新築して賃料収入を得ようとした男性裁判官に対して,賃料収入が年間約1100万円に上り,「最も公正かつ廉潔であることが求められる裁判官には認められない」と判断したそうです(詳しい事実関係はわからないので,以下のことは,普通に市民が銀行から借金をしてアパートを経営しようとしたのと同じようなことを裁判官がしようとしたという前提で書きます)。
 裁判官の兼業は,公務員の兼業規制とは違う趣旨がありそうです。記事によると,「私的な争いを審理・判断する職務の性質上,一般の国家公務員以上に公正さが求められることが理由とされる。」となっていました。裁判官に廉潔性や公正さが求められるのは当然です。国によっては裁判官の買収なんて当たり前というところもあるようです(友人の外国人に聞きました)。裁判官が妙に政治的な考慮をする国もたくさんあります。それに比べれば日本の裁判官は格段に信頼できる存在でしょう。
 もっとも裁判官にも,ある程度の私的自由が保障されてしかるべきです。憲法76条3項は,「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めており,裁判の公正さは,裁判官が良心に従い,憲法と法律のみにしたがって裁判をするということにあるのです。アパート経営がそれとどう関係があるかははっきりしません。アパート経営をしている裁判官に裁かれたらといって,国民は裁判の公正さへの疑念をもつでしょうか。むしろそういう普通の市民が合法的にできることができないような窮屈な世界で生きている裁判官が,現実から遊離した裁判をすることへの懸念のほうが大きくないでしょうか。
 以前にここでも書いたかもしれませんが,私は,転勤命令に対する裁判所の判断が使用者に甘いのは,彼らが転勤を普通に経験しているからではないか,という仮説(?)を提示してきています。東亜ペイント事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第35事件)では,転勤命令は,「労働者に対して通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるもの」であるときは,権利濫用となるとしていますが,これがめったに肯定されないのは,「通常甘受すべき」の判断や「著しく超える」の尺度が,裁判官に任されていて,法律が何も縛っていないからです。だから世間を知らない裁判官が,正社員に転勤はつきものという常識にしばられ,そこに規範的なメスを入れる発想をもたないということが起こりうるのです。法律にしたがった裁判というのは,権利濫用法理など一般条項が活用されるケースでは,裁判官の社会通念にしたがった裁判に置き換わり,その社会通念がゆがんでいると,たいへん困ったことになるのです。
 だからといって,裁判官に遠山の金さんのように市井の暮らしを実地でみろと言うつもりはありません。裁判官は,あくまで法律にしたがって裁判をする存在です。そこにちょっとした裁判官のもつ社会通念の改善があれば,国民は満足するのです。そう考えると,アパート経営も悪くないのではないでしょうか。
 裁判官の公正さをどのように担保するかは大きな問題であり,これまでの日本の裁判官はおそらく国際レベルでみても信頼性はきわめて高いものであったのですが,あまりにも過度に廉潔性を追求することは,副作用のほうを心配すべきなのかもしれません。世間から遊離すると,偏った独善的思考をもつ同質的な集団となりかねず,ひいては,その集団内部の評価で出世が決まっていくことから,裁判官の独立性という憲法上の要請と矛盾することにもなりかねません。
 今回のケースをきっかけに,裁判官の独立性や裁判の公正さは,どういうものかを,みんなで考えていくことが大切であると思いました。

|

2017年10月18日 (水)

神戸製鋼の不正問題がもたらす影響

 前に日産自動車の不正問題が出たときに,これがどの程度深刻な問題なのか,日経新聞にはもう少し詳しく伝えてもらいたいという趣旨のことを書いたのですが,そのあと,いろいろもう少し詳しい説明が出てきました。良かったと思います。
 今回の神戸製鋼のデータ改ざん問題は,早い段階から,これがどのような問題であるのかということも,比較的よく解説されていたと思います。少なくとも私の知りたいことは,書かれていました。もっとも,神戸製鋼の闇がどこまで深いのかはよくわかりませんが,これについては新聞から情報を得るのには限界があるでしょう。
 私が疑問をもったのは,今回は管理職からの情報で明るみにでたということのようですが,過去何十年も不正があったとの記事もありました。その間,一回も上に情報が上がってこなかったのでしょうかね。
 それよりも気になるのは,外部へ漏らす社員が一人もいなかったのかです。会社内部の不正を外部にもらすというのは,たいへん勇気ある行動です。でもデータ改ざんが不正であるということは小学生でもわかることで,一人くらい外部にもらす勇気ある社員がいてもよさそうです。関与している社員はおそらく大勢いるはずです。組織内の鉄の結束かもしれませんが,誰も落伍者がいないとすると,そこはかえって不気味な感じがします。思想統制が行き届きすぎているといいますか……。
 ところで先週,消費者委員会の人がやってきて,公益通報者保護法についてのヒアリングを受けました。いろんな研究者のところを回っているそうです。私はSkypeでお願いしたのですが,どうしても直接面談したいということなので,仕方なく会うことにしました。1時間以上話をしましたが,基本的には,公益通報者保護法は,国民目線ではないので機能しないのは当然で,0から見直すべきだというのが私のコメントの要点です。あの法律を知っている人がどれだけいるか,また仮に知っていたとしても,実際に内部告発をする人がどれだけいるだろうか,ということです。通報対象事実の範囲もよくわからないし,「不正の利益を得る目的,他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく」という要件もあいまいで,会社への恨みがベースにあるが,図利加害目的がなかったら安心して告発できるのか,「公益通報をしたことを理由として」なされた解雇等の不利益取扱いが無効となるとしても,自分の勤務成績が悪いときには,それを理由とされてしまうと裁判では勝てるだろうか(動機の競合の問題),など考え出したら,とても告発する気にはなれないはずです。
 公益通報者保護法は,法律家が関与して,ブラッシュアップしても意味がないのです。これは裁判規範であるよりも,労働者が内部告発しやすいようにするための行為規範としての面が中心であるべきで,そう考えると,裁判となったときに事後的に妥当な解決ができるということでは足りないのです。労働者にとって,どうすれば安心して告発できるかということがポイントです(本気で内部告発させるなら,労働者が被った不利益は全額国家補償をするというアイデアがありますが,実現は難しいでしょうね)。そのためにはルールはできるだけシンプルにということになります。これは法律家が関与していてはだめでしょう。多くの労働者は弱い存在です。内部告発など怖くて仕方ないでしょう。普通はそんなことをする勇気などありません。そういう普通の人が内部告発できるようにするためにどうすればよいか。それは過去内部告発をしたような勇気ある人の意見を聞くだけでは不十分ですし,官僚が頭で考えているだけでもだめです。法律家も不適格です。
 もう一つは,内部告発は,企業にとってもウイン・ウインとなるということです。そのウイン・ウインを実現するためには,企業への内部通報を促進するようなルールが重要です。現行法でもそういう作りになっているのですが,やはり不十分です。今回,もし神戸製鋼が過去の内部への通報をもみ消していたというような組織ぐるみの不正があったとすれば,これは大変大きな問題です。現行法では,前述のように,社員は外部への通報がしづらいのです(神戸製鋼のデータ改ざんが,公益通報者保護法の定める通報対象事実に該当するかどうかは分明ではありませんが)が,内部への通報が機能して企業が自浄作用をもてばよいともいえるのです。それが機能しなかったと仮にすれば,これは経営陣には大きな責任を負ってもらう必要があるでしょう。
 企業が利益を追求する存在で,不正をすることは不可避だという性悪説には私は立っていませんでした。企業は経済的合理性を追求する存在で,不正などはいつか必ずばれるので(天網恢々疎にして漏らさず,です),それにより従業員,株主,取引先などに多大な迷惑がかかるということを,合理的な経営者は考えるはずであり,そういう意味で企業性悪説に立って議論をするのはおかしいというのが,私の考えでした(私が編者をした『コンプライアンスと内部告発』(2004年,日本労務研究会)は,そうした考え方をベースにしたものでした)。しかし,神戸製鋼の今回の事件で伝わってくるのは,利益優先で多少の不正には目をつぶるという企業体質です。これでは企業性悪説がいっそう強まってくるかもしれません。
  社長が,神戸製鋼の信用は0になったと語っていましたが,意外に思った人も多かったのではないでしょうか。不正公表前に株価が不自然な動きをしており,インサイダー取引の疑惑もあるようです。信用は,0ではなく,マイナスでしょう。そこの現状も甘いのです。まず自分たちの置かれている現状をしっかり認識し,そこから必死に這い上がる覚悟をみせ,それを実行しなければ,神戸製鋼の未来はないでしょうし,そうしたことをもししない会社であれば,即刻,退場してもらいたいですね。神戸という何を冠する会社に対する,神戸人からの厳しい叱咤激励と考えてください。

|