政治

2018年4月 5日 (木)

Biagiの非業の死を無駄にしてはならない

 2002年3月19日,イタリアの労働法学者のマルコ・ビアジ(Marco Biagi)は,赤い旅団(Brigate Rosse)のテロで斃れました。あれから16年。彼の命日の記念式典がなされた日,彼がかつて教壇に立っていたModena・Reggio=Emilia 大学の壁に「マルコ・ビアジは,もう自転車に乗らない。マリオ・ガレージに栄誉を。仲間のテロリストに栄誉を」という落書きがあったそうです。
 このおぞましい落書きについて,ビアジの後継者で,現在,同大学の教授をしている友人のミケーレ・ティラボスキ(Michele Tiraboschi)が,ADAPT International Bulletinの最新号に,エッセイを載せています(英文http://englishbulletin.adapt.it/wp-content/uploads/2018/04/TIRABOSCHI_The_Vicissitudes_of_Marco_Biagi.pdf)。イタリア語の原文は,イタリアの経済新聞のIl Sole 24に掲載されています(http://www.ilsole24ore.com/art/commenti-e-idee/2018-03-19/marco-biagi-conti-mai-fatti-fino-fondo-224035.shtml?uuid=AEabzWJE)。
 マリオ・ガレージは,赤い旅団のメンバーで,ビアジ殺害の実行犯です。なぜ一労働法学者にすぎないビアジが,極左のテロリストに暗殺されることになったのか。このブログでも取り上げたことがあります(削除前のものだったかもしれません)し,詳しくは,ビアジの親友であった諏訪康雄先生の「追悼 自転車はどこへ向かったのか?--マルコ・ビアジ教授のご逝去を悼む」日本労働研究雑誌502号2頁以下をご覧になっていただければと思います。
 ミケーレは,ビアジが進めた労働市場改革が,雇用の不安定化をまねき,それが若者の困窮をもたらしたとする議論に強い反発を感じているようです。自分と見解が違う者を「敵」とみなし,その言うことをあえてねじ曲げて解釈し,敵として純化させ,それへの憎悪により,自分たちの集団の結束を図るというような愚かなことが,ビアジの非業の死につながってしまったことの反省ができていないと,ミケーレには思えるのでしょう。
 ビアジが労働市場改革をしようとした2002年当時,イタリアの労働市場は欧州のなかでも最悪に近い状況だったのです。ビアジがやろうとした労働市場改革をミケーレが引き継いで実現したからこそ,イタリアの労働市場の状況は悪いとはいえ,現状にとどまっているという面があるのです。その功績は冷静にみて評価しなければなりません。それにもかかわらず,いまだにビアジを殺したテロリストを英雄視する声があることに,ミケーレは怒りを感じているのでしょう。イデオローグたちが純粋な若者を洗脳してあおり,言論による対話を避け,問答無用の暴力で敵を殺してしまうというような愚かなこと(日本の五・一五事件で,現職の犬養毅首相が,青年将校たちに銃殺されたときも,同様でした)は,二度と繰り返されてはなりません。
 ミケーレは,「馬鹿げていて,アンフェアな死だ。それは憎悪と不寛容の風潮のなかで起きたことだ。残念ながら,その風潮はまだなくなっていない。それが悪化して,戻れないところにまで至らないようにすることが,私たちみんなに課されたことだ」と述べて,エッセイを結んでいます。
  親日家であったビアジは,当時のイタリアでは珍しく外国法の研究に熱心な研究者でした。日本の労働法にも詳しく,何度も来日していました。彼は比較法の知見を深めるなか,イタリアの労働市場の後進性を強く認識し,その改革を進めようという純粋な意図で,有名な白書(Libro Bianco)を執筆していました。その白書で提案された改革案どおりに立法が進もうとしていたときに,テロリストに狙い打ちにされて殺されるという痛ましいことが起きたのです。なぜ,そんなことが起きたのか。ミケーレは,その総括と反省ができていないということを慨嘆しているのです。
 政府に近い立場にあり,影響力が大きかったとはいえ,学者の学問的信念に基づく言動にテロで反発するということが21世紀の先進国で起きたこと,そして,それになお同調する声もあることに,他国のこととはいえ,私たちは恐ろしさを感じます。今日,アメリカは,あのpolitical correctnessにうるさい国であったとは思えないほど,大統領が,憎悪と不寛容の言葉をまき散らしています。これが世界中に影響しないわけがありません。私たちは,よほどしっかり自分たちの理性と節度をもっていなければ,再び言論が軽視され,暴力がまかりとおる危険な時代に引き戻されてしまうかもしれません。
 その一方で,イタリアの若者たちの間に,現在の社会に対する深い不満があるということも知っておく必要があるでしょう。ポピュリスト政党の広がりは,そうした不満がまだ投票箱に行っているからましなのかもしれませんが,そうした政治過程での行動に限界を感じ,そこに新たな煽動者が出てきて導火線に火をつけるようなことになれば,危険なことが起こりかねません。ミケーレが嘆いた落書きには,そうした危険性が表れているようにも思えます。
 貧困からの脱却や防止と,そのために必要な教育は,社会の安定にとってとても重要なのです。これは日本にだって,もちろんあてはまることです。

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2018年3月27日 (火)

残念なこと

 予想されたとおりとはいえ,今日の佐川宣寿氏への証人喚問では,新しい事実は何も出てきませんでした。文書改ざんは明らかに違法なことですが,それについて佐川氏にいくら理由や経緯を聞いても答えるはずがありません。刑事訴追の可能性を理由として証言を拒否するのはわかっていたことです。質問するだけ時間の無駄です。
 首相夫人の影響も何度も問われていましたが,それを佐川氏が否定したのも予想どおりです。肯定することは考えられません。追及側に決定的な証拠があれば別ですが,籠池氏の発言だけでは証拠にはなりません。たぶん首相夫人を国会に呼んでも,「私の軽率な行為で社会に多大なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ただ国有地の売却については,私は何も存じ上げません」と答えるだけでしょう。国民はひょっとすると首相夫人が出てくることを望んでいるかもしれませんが,これは面白いショーをみたいのと同じ感覚ではないでしょうか。
  私は一国民として思うのは,籠池氏が,お金もないのに小学校をつくろうと思い,補助金を強引にとってきて,さらに8億もディスカウントされた額で国有地を買えたのはなぜかということです。補助金関係のほうは,詐欺でつかまってしまいましたが,あの財務省相手にそんな値引き交渉がよくできたなということです(交渉したかどうかは争いがありましたが)。権力者に近い,あるいは近いフリをするというのが,役人相手には効果的なのだなという印象を与えたことが,残念な気分なのです。首相夫人や政治家の直接の指示があったかなかったかはともかく,また売却価格が佐川氏がいうように適正価格であったかどうか(ゴミの償却費用の算定も国民の目にはあやしいです)などはともかく,籠池氏が首相(夫人)に近い人であり,結果として,国有地が破格の値段で売却されたようにみえているのです。そこが国民としてとても残念なのです。どこかの後進国と同じだからです。政治家があやしいことはわかっています。でも,役人には,権力者にあまりなびかず毅然としていてほしいと願うのは,無理なことなのでしょうか。

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2018年3月22日 (木)

労働時間問題に政治的エネルギーを使うな!

 労働時間規制の適用を受けない労働者は,現行法上の例としては管理監督者が有名です(労基法41条2号。機密の事務を取り扱う者も同様)。これに加えて,現在,政府は,高度プロフェッショナル制度を追加しようとしていますし,私は個人的により包括的なホワイトカラー・エグゼンプションの導入を主張しています(拙著『労働時間制度改革』(中央経済社)を参照)。現行法上は,このほかに,労働密度の薄い監視断続労働に従事する者を,労働基準監督署長の許可があれば適用除外とすることができ(同条3号),これに加えて,農業・畜産・養蚕・水産業に従事する者も適用除外となっています(同条1号)。
 農林水産業という言葉はありますが,労働時間規制の適用除外を論じるときは,「林」業は別扱いで,適用除外となりません。農業・畜産・養蚕・水産業が適用除外となるのは,「事業」の性質上,天候等の自然的条件に左右されるため,労働時間規制になじまないからです(林業は,この趣旨に該当しないとされています)。
 他方,「業務」の性質上,労働時間規制になじまないということで労働時間規制の緩和がなされているのが,裁量労働制です(労基法38条の3と38条の4)。
 ところで,「事業」については,かつては労基法の適用範囲に関係する概念として,8条に規定されていました。現在では,この規定は削除され,その内容は,労基法の別表1で単に事業区分を示すものとして残されています。この区分は労働時間規制の適用除外や特例との関係で意味をもっています。農業は別表第1の6号,畜産・養蚕・水産業は7号です。
 ところで,これからの農業や水産業などは,どこまで自然的条件に左右されるのでしょうか。例えば,ハイテク農業は,できるだけ自然的な条件に左右されないようにテクノロジーを使おうとしたものといえます。AIによる天候予測をはじめ,悪天候でも農薬散布などをしてくれるドローンの登場など,農業の中心的な業務が,ITやAIを利活用したデスク業務になりつつあります。
 これからは,主たる農業従事者の労働時間規制の適用除外の根拠が,労基法41条1号ではなく,38条の3(専門業務型裁量労働制)となるかもしれません。そして,デジタライゼーションの時代は,あらゆる産業にこうした現象が起こることになるでしょう。したがって,労働時間規制の適用緩和や適用除外の拡張に,膨大な政治的エネルギーを使うなんてことはやめたほうがよいのです。新しい時代に求められるのは,”労働時間を規制することにより健康を守る”といったことではないのです。
 人びとはテクノロジーを使って働くようになりますし,同時に,自分の健康はテクノロジーを使って守るようになるのです。私の頭に描かれている未来の働き方は,労働時間規制が意味のなくなった働き方です(これは現在週刊労働新聞で連載中の「雇用社会の未来予想図」の4月3日号でも取り上げます。その前の3月26日号では,HRテックをとりあげます)。

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2018年3月20日 (火)

政治家の人品

 すでにネットで話題になっているようですが,私も昨日ニュースを見ていて驚いたのは,自民党の議員が,太田理財局長に対し,かつて野田首相に仕えたことがあることも指摘したうえで,「増税派だからアベノミクスを潰すために,安倍政権を貶めるために,意図的に変な答弁してるんじゃないですか」と質問したことに対して,太田氏が色をなした場面です。「それだけはご容赦ください」というのは悲痛な叫びのようにもみえました。
 自民党議員の質問は品がなく最低なのですが,それに対する「公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えする」という太田氏の答弁もちょっと気になりました。野田首相のときは野田首相のために,安倍首相のときは安倍首相にお仕えするということでしょうか。
 「すべて公務員は,全体の奉仕者であつて,一部の奉仕者ではない」(日本国憲法15条2項)。
 しかし,現在の公務員,とくに高級官僚は,政治家にべったりです。政治家に奴隷のごとく使われているのかもしれません。図に乗る自民党議員の財務省役人に対する攻撃的な姿勢は,目にあまります。太田氏にすれば,「おまえところのボスの不始末のために,これだけやってあげているのに,その言い草は何だ」と思っていることでしょう。あの怒りと悲しみの表情は,信じていた主人に裏切られた使用人のそれのようでした。
 その太田氏も,今回の文書改ざん問題は,おそらく自民党と手を組んで,佐川氏に全責任を押しつけて幕引きを狙っているのかもしれません。佐川氏はどんな気分でしょうか。それも役人の仕事と割り切っているのでしょうか。

 国家も地方もそうですが,議員となると,役人に対して,居丈高にふるまう輩がいます。役人の多くは頭脳明晰で優秀であり,議員たちの多くは頭脳ではかないません。しかし,議員という地位があると,力関係が逆転して,役人を顎で使えるようになるので,勘違いが起こるのでしょう。そんな議員を腹の底では馬鹿にしながら,ぐっとこらえるのが役人の仕事なのでしょうか。
 太田氏の姿をみて,あるいは佐川氏の姿をみて,これから役人になりたいと思う人が出てくるでしょうか。優秀な人であればあるほど,あんなやつらに偉そうに言われるのなら,役人になんてなりたくないと考えるかもしれません。
 文科省の元事務次官であった前川喜平氏の名古屋の学校での授業への文科省の介入も,自民党議員が関係しているようです。教育への行政の介入の危険性をきちんとわかっていない自民党議員には猛省を促したいと同時に,さすがに文科省はわかってはいたのでしょうが,政治家の圧力には抗することができなかったとするならば,やはりそれも情けないことです。
 能力のある人たちが,政治家にいいように使われる。こんな国が良い国なわけがありません。改ざん問題など,行われたことの事実解明やそのための追及はきちんとすべきです。しかし,その際も,人としての敬意は,きちんとはらわなければなりません。そういうことができない政治家の人品を国民はしっかり見ているはずです。 

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2018年3月16日 (金)

役人と文書

 役人にとって文書はとても大切です。最近はようやく重い腰をあげてペーパーレスに踏み切るところも増えてきたようですが,メンタリティとしては,作成した文書の量こそが,自分たちの仕事の証と考えている人がまだ多いことでしょう。
 役人の作成する文書には,役人の思惑がこめられています。私は,そういう思惑に無頓着で,ある研究会で文面どおりにとらえて発言して,馬鹿にされた(?)ことがありました。役人の文書を鵜呑みにして真面目に考えるなんて愚かなことというのが,霞ヶ関の常識なのでしょう。
 それでも(あるいは,それゆえこそ)文書は役人にとって大切なのです。自分たちのやりたい政策を,いかに首相の施政方針演説などにもりこめるか,日本再興戦略などの閣議決定される文書のなかにもりこめるかといったことが勝負なのです。自分たちで作文して政治家に発言させ,そこから有識者会議などの会議を立ち上げて委員に適当に議論させて,そこでとりまとめ文書に盛り込みて,お墨付きを得たうえで,予算をとってくるというのが大切なのでしょう。大学教授が関係させられるのは,その会議のところですが,あんまりとんがった意見をいう人は敬遠されます(たとえば厚生労働省系では,とんがったプロレイバー系の意見を言う人はまず委員に選ばれません)。とりわけ座長というのが大切で,それなりの名声がある人でなければ箔が付かないし,でも露骨に御用学者っぽい人でも困るし,でも役人のいうことを聞かない人でも困るということで,この人選は難しく,適任者も限られているので,どうしても同じような人に集中しがちとなります。
 個人的にいうと,自分の考えている政策と近い会議も存在していて,そういうところに参加するときは自由に発言できる研究会のノリでいけるので問題ありませんが,何をやりたいかわからなくて,たんに実績だけほしい会議とか,そういうものになるとフラストレーションがたまります(今後は引き受けません)。私は,これまでは一委員にすぎなくても,いかにしてこの会議が成果を出すことができるかということを真面目に考えていたりもしていたのですが,徐々にそんなことは誰も求めていないということがわかってきました(繰り返しますが,すべてがそうではなく,例外もあります)。
 ところで,ここで言いたいことはその先にありまして,役所とはそういうところなので,とにかく文書がきわめて大切なのです。正式な文書に書いてあることが「憲法」なのです。だからその文書を勝手に書き換えるということは,おそらく役人レベルでは恐ろしくてできないだろうと思えるのです。現在の森友文書改ざん問題も,財務省の職員が亡くなられるという実に痛ましい出来事がありましたが,その原因の一つは,まったくの推測ではありますが,自分たちにとって何よりも大切な文書について,虚偽の内容に書き換えを命じられることが,自分の職業上のアイデンティティの喪失につながり,精神的に耐えられなかったということがあったのではないでしょうか。現実の仕事の世界は,正直すぎるのではいけないのでしょうが,それは事と次第によります。今回は融通を利かすという次元を超えることだったのでしょう。
 その職員に改ざんを命じた財務省の幹部だって,そんなことはやりたくなかったはずです。文書の信用性が軽視されたら,彼らの仕事は成り立たないからです。政治家をうまく使って,自分たちの思うような文書を作り上げ,その文書の権威と付託に基づき行政を行うというのが役人の仕事なのです。文書の権威がなくなれば,政治家に対抗できなくなります。
 ということで,この問題は,やはり政治家が関与しているとしか考えられません。忖度程度で動くには大きすぎることでしょう。それでもかつての財務省,大蔵省なら政治の圧力に抵抗することができたかもしれません。それだけ現在,政治側の力が強くなっているのでしょう。何よりも,元の文書がやばすぎて,このままなら首相退陣となりかねず,そうならないために,いわば「憲法」を上回る「超法規的な」措置が必要という判断を役人が下したのかもしれません。財務省にとっては,安倍首相にもう少し続けてもらいたかったのでしょう。しかし,この判断がまずかったのです。
 これ以上,役人から死者が出てはいけません。守るべきは組織でも政治家でもありません。役人の方には,何を守るべきか,よく考えていただければと思います。

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2018年3月11日 (日)

米朝電撃会談と歴史の教訓

 昨日に続いて,日本経済新聞の「春秋」についての話です。3月10日の朝刊で,1939年の独ソ不可侵条約のことがとりあげられていました。
 「そのころ日本はノモンハンでソ連と戦っている最中」でしたが,「仲間と頼んでいたドイツが,敵のソ連と握手した衝撃はいかばかりだったろう」。「こんどの米朝の複雑怪奇も相当なものだろうから,日本外交のまさしく正念場である。かの不可侵条約には,じつはポーランド分割を決めた秘密議定書が付属していた。歴史は多くのことを教えてくれる」。
 昨日も取り上げた半藤一利『昭和史-1926~1945』(平凡社)では,日本政府が情報戦でいかに遅れをとっていたかが克明に描かれています。とくに悲劇的なのは,最後の最後までソ連の仲介による戦争終結を信じ続けて,結局,ソ連の対日参戦というひどい裏切りで終わったことです。
 米朝会談が日本の頭越しに行われることの危うさをよく理解しておかなければなりません。日本は,第2次世界大戦でソ連に裏切られたように,今回もアメリカを信じていながら最後は裏切られるということがないように用心しなければなりません。米朝韓が日本抜きで何らかの秘密合意をしてしまう可能性はないでしょうか。米韓が北朝鮮への制裁は継続するという話だけ聞いて,安心しているようでは甘いと思います。
 森友問題で安倍政府の力が急速に弱まりつつあることも心配です。森友問題は公文書の書き換え(刑法犯にも該当しかねない)のような,政権を揺るがしかねない問題になっていますが,同時に国際情勢も風雲急を告げています。
 ノモンハンでソ連と死闘を繰り広げていた日本の政府は,まさか日本と防共協定まで結んでいたドイツがソ連と手を組むとは夢にも思っていませんでした。「ときの平沼騏一郎首相は『欧州の天地は複雑怪奇』なる言葉を残して退陣した」のです。そして現在,トランプと金正恩,この二人の間で何か複雑怪奇なことが起こらないとは限りません。「異形の2人の接近が日本に,東アジアに何をもたらすのか凝視せねばなるまい」と春秋は結んでいます。
 安倍政権は,先進国のなかでも最も安定的な政権であることが,日本の外交上のポジションを高めていました。私は別に安倍政権の応援団というわけではありませんが,国益に沿った行動はどいうものかを,野党もよく考えてもらいたいと思っています。外交と内政をうまく切り分ける知恵はないでしょうか。

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2018年3月 6日 (火)

イタリア左派の凋落?

 イタリアの4日の選挙結果は,ある意味では予想どおりでした。M5s(Movimento cinque stelle:5つ星運動)が最も得票(暫定の数字[以下同じ]ですが,33%)を得て第1党となりました。もっとも,過半数をとっておらず,そうなると政党間の争いというより,中道右派連合(CDX)と中道左派連合(CSX)との争いとなります。そして,この戦いでは,中道右派連合が勝利となりました(38%)。問題は,中道右派連合のなかの得票数ですが,BerlusconiのFI(Forza Italia)ではなく,「北部同盟(Lega Nord)」改め「同盟(Lega)」がトップとなりました(Legaが17%,FIが14%)。得票数では,政権党のPd(Partito Democratico)の19%が第2位ですが,中道左派連合でみると23%で惨敗です。
  ここから先はイタリア政治の専門家に聞かざるを得ませんが,CDXのトップがFIでないことから,CDXとCSXの連立の可能性はなくなったようです。FI主導であれば,Nazareno協定と呼ばれたRenziとBerlusconi間の協力の第2弾が期待できたかもしれません(そうなると公職追放されているBerlusconiではなく,FIのナンバー2が首班指名されることになっていたでしょう)が,両党の得票数は合わせてもM5sに届かなかったのです。
 一方,得票数では第3党であるLegaの党首のSalviniは,首相になる気まんまんのようです。CDXのなかでの第一党となったことから,自らが主導して連立政権を作ろうということでしょう。
 イタリアの新聞によると,首相になるのは,SalviniかM5sのDi Maioのどちらかと言われています。しかし,Di Maio は連立は組まないといっているので,Salviniが首相になる可能性が高まってきました。
 移民排斥を叫び,イタリアの北部分離独立を叫び,かつてはイタリアの知識階級からは毛嫌いされ(ただし,創設者のUmberto Bossiにはカリスマ性がありました),実際に得票数では6分の1にすぎないこの政党から首相がでるということになるのでしょうか。選挙前のSalviniへのインタビューをネットでみました。弁の立つ人ですが,あまり知的な印象は受けませんでした。移民については,合法的な移民はもちろんOKだが,そうでない違法な移民については排斥するという趣旨のことを述べていました。南からの多くの移民が最初にやってくるのがイタリアであり,イタリア国民は移民問題に敏感になっています。2月には中部でアフリカ人相手のテロもありました。決して,イタリア国民の多数が移民排斥と叫んでいるわけではないのでしょうが,共産党の流れをひくPdの退潮が,Legaのような政治勢力の台頭を許すことになったのでしょう。
 もちろん首相ポストをとるかどうかはともかく,この選挙の勝利者はM5sであることは間違いありません。これからのイタリア政治においてM5s(Pentastellati[M5sの議員や支持者])を無視することはできません。
 最大の敗者はイタリア左派です。La Repubblicaでは,左派は「肉体のない魂」となったと書かれていました。左派の精神はまだ残っているが,具体的な政治活動を担える状況にいないということでしょうかね。イタリア全土でも,中道左派が勝ったのは,わずかにToscanaと北端だけで,南はSiciliaやSardegnaを含め,ほぼ完全にM5sの制覇です。中北部は中道右派です。これをみると,これからのイタリアは中道右派とM5sの戦いです。中道右派も,実はLegaにしろ,FIにしろ1990年台以降に出てきたもので,それほど長い歴史があるわけではありません。1990年代初めのTangentopoliで戦後イタリアの中心であったキリスト教民主党の政治家や社会党の政治家(Craxiが代表)がごっそり舞台から消えた後に,のし上がってきたのがこの両党です(1990年代には共産党(PC)も消え,左翼民主党(PDS)になり,現在の民主党につながっています)。
 その意味で,伝統的な中道左派が第3勢力に転落したのは,まさに戦後イタリア政治の終焉と呼んでもよいのかもしれません。
 たまたまドイツでは大連立が成立したので,欧州はそれほど混乱していないようですが,EU第3の経済規模をもつイタリアの政治的混乱は,欧州の今後に暗い影を落とすかもしれません。

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2018年3月 5日 (月)

イタリアの選挙

 イタリアの国政選挙は,日本でも注目されています。中道左派政権対中道右派政権という図式に,新たに登場したM5s(Movimento cinque stelle:五つ星運動)が勢力を伸ばし,台風の目どころか,イタリアの政治の中心にのし上がろうとしています。
 マスコミは,M5Sをポピュリズム政党と呼び,日本語ではご丁寧にも「大衆迎合政党」と訳してしまっていますが,これはちょっと可愛そうかもしれません。「大衆迎合」というよりも,むしろ大衆の支持を受けている政党というべきで,「迎合」というネガティブな訳を使うべきではないでしょう。「ポピュリズム」はニュートラルに(それゆえ意味が不鮮明にもなりますが)「大衆主義」くらいに訳しておいたほうがよいでしょう。
 イタリアの新聞La Repubblicaのネットニュースをみると,現時点(イタリア時間で0時49分)で主要な政党(ないし政治グループ)の得票数をみると,トップがM5sで29.6%,Lega Nord(北部同盟)がが21.2%,前首相のRenziが党首のPd(民主党)が20.1%,元首相のBerlusconi の政党であるFI(Forza Italia)が13.2%,次いで旧ネオファシスト系のFdI(イタリアの同胞)が4.0%,左派のLeU(Libertà e Uguali:自由と平等)が3.1%という状況です。
 M5sのトップは動きませんが,過半数は取れないので,連立となるでしょう。そのとき,中道右派のFIとLegaとFdIの合計が,M5sを超えれるかが焦点です。中道左派Pdは中道右派連合に勝てそうにないので,連立の主導はM5sか中道右派かになりそうです。
 最終的な可能性はM5sとPd,M5sと中道右派,中道右派とPdという組み合わせですが,M5sはかつての反EUの姿勢を弱めているようなので,親EUの中道左派や中道右派と組むうえでの障害は低くなっているかもしれません。ただRenziは激しくM5sのリーダーのDi Maioへの攻撃をしていたので,M5sとの連立はないでしょう。Renziとしては,中道右派との大連合を模索することになりそうですが,ただ中道右派の中心がFIではなく,Legaになると,移民政策で対立しそうなので,この連立も難航が予想されます。また,現在のイタリアの政治の混乱はPdへの批判ともいえるので,Pdは2割の票は取るとしても,強い影響力をもてないかもしれません。
 昨日の日本経済新聞の朝刊の赤川省吾氏の署名記事は良い内容でした。とくに「ユーロ圏3位の経済大国でありながら統合をけん引することはできず,いつも政治・経済は不安定。欧州連合(EU)が構造改革を強いればイタリア有権者の権力嫌いに拍車がかかるだけだ。そうなればイタリアの主要政党が民意を引き留めるため,さらにポピュリズムに傾く悪循環を生む。もっとも本当の混沌に陥れば,裏で社会を支える超エリートが驚くべき求心力で危機を乗り越えてきた歴史がある」と書かれていたところは重要です。「裏で社会を支える超エリート」が,よくイタリアで言われる「classe dirigente」(支配層)と呼ばれる人たちでしょう。「混沌のなかの秩序」,これがイタリア的な民主主義なのかもしれません。
 アメリカの支配層は,大衆を使って,Trumpを台頭させたのかもしれません。イタリアの支配層が,どのような選択をするのか。選挙結果だけでなく,その後の動向も注目です。

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2018年3月 1日 (木)

情けない話

 裁量労働制(労働時間みなし制)の対象範囲の拡大をめぐって,不正確データが提示されたということで,この部分の法案提出が撤回になったようです。データが不正確だったからダメなのか,そもそも裁量労働制に問題があるということなのか,私にはよくわかりませんが,ともかく野党の攻勢に与党は負けたということです。政治的判断がなされたということでしょう。これがあるから,労働時間制度改革は難しいのです。まともな議論がされず,すぐに政争に巻き込まれてしまいます(労働者派遣も同じです)。
 はっきり言って,今回の裁量労働制の改正案は,たいした内容ではありません。この程度の改正ができないようでは,どうしようもありません。高度プロフェッショナルも暗礁に乗り上げる可能性が出てきました。
 ところで裁量労働制に関する正確なデータが出てきて,労働時間が長いということが明らかになったら,どうなるのでしょうか。法改正はダメということになるのでしょうか。
 私はデータの正確性が重要でないと言っているのではありません。そもそも不正確とされたデータは,何のために必要だったのかが,よくわからないのです。
 裁量労働制だから,労働時間が長くなることもあるでしょう。ただ,それは自分が裁量的に働いた結果でもあるのです。裁量労働制は,前にも書いたように,労働基準法上の所定の手続(労使協定[専門業務型],労使委員会の決議[企画業務型])が必要で,かつ労働契約上の根拠が必要です。そうした手順をふんだうえで,実労働時間の規制をはずすということであり(規制の一部は残りますが),実際の労働時間が長くなるかどうかは主たる問題ではありません。もちろん,あまりに長い労働時間の実態が明らかになれば,健康確保の問題とか,そもそも裁量労働制の対象業務にするに適していなかったとか,そういう論点はありえます。
 先日のプライムニュース(早稲田大学の島田陽一先生が出演されて丁寧に説明していました)で,いまはどこの政党の所属か忘れましたが,野党の議員が,ある中小企業で,従業員が本人たちも知らないままに,裁量労働制が適用されて長時間働かされていたということをフリップを出して説明していました。詳細は忘れましたが,従業員が知らないというのは,そもそも裁量労働制ではないのであり,それはおまえは業務委託だから労働者ではないとか,おまえは店長で管理職だから労働時間規制の適用除外だというのと同じような制度の濫用の事例なのです(だからきちんと取り締まるべきなのは言うまでもありません)。その議員は,そうした制度があるから濫用が起こるという論法かもしれませんが,それなら包丁を使った傷害事件が起きたとき,包丁は危険だから廃止したほうがよいということになるのか,と反論したくなります。包丁にも効用があるが,危険性もあるので,そこをどう考えるか,というところから議論していくのが筋でしょう。
 つまり裁量労働制はなぜあるのか。そこから議論すべきであり,データのねつ造うんぬんということや,名ばかり裁量労働制で過労になっている人が悲惨だといったエピソード的なことばかりを言って,国民を誤った方向に誘導する議論をすべきではないのです。
 それにしても,情けない話です。私は某アジアの国の労働時間制度改革について質問を受けたとき,法的には意味不明だったので,詳しく聞いてみると,政治的なイシューになってしまったために議論が混迷していたということがわかり,情けないことだと思っていました。でも,日本も同じようなものですね。あまりに恥ずかしいので,外国には配信されたくないニュースです。

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2017年10月25日 (水)

自民党は強かった

 小選挙区の選挙というのは,その選挙区で勝っただけで,他の選挙区の人はその当選議員を信任したわけではありません。国会議員は全国民の代表(憲法43条1項)なので,そのことを忘れてもらっては困ります。議員が当選をして万歳をして,自分に投票をしてくれた人に真っ先に感謝の言葉を述べるのには違和感があります。自分たちの選挙区から,日本のために働いてくれる人を選ぶということにしなければならないのに,当選させてあげたのだから,地元に恩返しをして,と強要する選挙民がいるようなところから出た国会議員が大半というのが日本の現状でしょう。
 それにしても,希望の党の当選者は,ほとんど元民進党ですね。東京での落下傘候補は,ことごとく惨敗です。
 ところで,希望の党の九州の比例代表ブロックは,順位が1位の中山成彬氏だけが当選です。この人は小選挙区には出ていません。奥さんは有名な中山恭子氏です。夫の選挙のためでしょうか,「日本のこころ」の党首だったのに離党して希望の党の結党メンバーになり,ちゃっかり夫は順位1位を得て当選です。中山恭子氏は拉致問題でも有名で功績がある方ですが,どうも好きになれません。この「日本のこころ」は中野某という人がテレビで出まくっていて自民党別働隊のような発言をしまくっていました(選挙後,自民党に吸収されることはわかっていたことです)。政党を平等に扱うということからでしょうが,中山夫婦の行動も含め,いやなものを見た気分でした。
 もちろん一番醜悪であったのは,民進党議員です。福田某のような自民党から出て行って大敗した人もいました。小池都知事に頼って勝とうとしたのに,自分が負けたときは小池さんのミスにするという男たちもたくさんいましたが,ちょっと人間としてどうでしょうか。まったく他人頼みだったのでしょうか。小池さんの政治理念に賛同して結党メンバーになったのなら,最後まで小池さんを立てるべきでしょう(⇒松原某)。当初から小池さんの腰巾着だった若狭某に至っては,落選を小池発言のせいにするなど,最悪です。政界から消えてもらいましょう。負けたときは自分の責任,勝ったときは小池知事のおかげ,と言えるくらいにならなければ,腰巾着としても失格でしょう。
 ところで,政党の政策や理念というのは,選挙になると,きわめてシンプルな話になってしまいます。自民党の示した政権の安定性,北朝鮮への強硬姿勢,消費税値上げを全世代型社会保障に使う,といった主張は,具体的ではないけれど,抽象的にすぎるわけでもない適度なメッセージ性があって,どこに投票しようかというときに考慮しやすいものだったと思われます。立憲民主党は,党のネーミングが平凡ですが,これが良かったようです。護憲と民主主義というのは,あまりにもベタですが,具体的ではないとはいえ,わかりやすいものでした。希望の党は,そこがクリアに打ち出せなかったのでしょう。「希望」というファジーなイメージは,風には乗りやすいけれど,現実との政治との関係で抽象的すぎたのでしょうね。
 次の選挙の顔は,小泉進次郎でしょう。次の次という声もありますが,外国では続々と若い政治リーダーが誕生しています。小泉進次郎が若すぎるというわけではありません。今回,彼のおかげで当選した人も多いはずです。それが何年か後の彼の応援団になるのでしょう。小池さんの野望実現は難しくなりましたね。

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