労働判例・論文

2017年8月10日 (木)

第136回神戸労働法研究会その1

 7月末にあった研究会では,特別ゲストとして,福島大学の長谷川珠子さんに,岡山短期大学事件・岡山地判平成29年3月28日(平成28年(ワ)274号)の判例評釈をしてもらいました。長谷川さんは,本研究会の初報告です。どうもありがとうございます。
 いまや障害者雇用の第一人者に登りつめた感じの長谷川さんですが,今回は,視覚障害を有する大学教員が,授業をはずされて学科事務のみの担当となり,研究室もキャリア支援室への移動となるなどの職務変更の適法性等が争われた事件を担当してくれました。結論賛成,判旨の理由付けに疑問ということでした。
 本件の職務変更は,受講生からクレームがあるなど授業担当が不適格であることが理由でしたが,裁判所の判断では,能力・資質に問題があるとはいえず,職務変更の必要性はなかったとしています。そのため,本件は,厳密にいうと,障害者への配慮が問題となった事件ではありませんでした。とはいえ,判決には,使用者のほうがもう少し配慮をしていれば,授業をもう少し円滑にできたはずであるという実質的な考慮もあるように思えます。こうみると,合理的配慮の要請が,配転の必要性の判断にも影響しているのかもしれません。
 障害者雇用促進法が改正されて,今後は障害者雇用をめぐる裁判例が増えていくと思われますが,同法の規定の射程がどこまで及ぶかは,はっきりしないところがあります。とくに同法の「合理的配慮」(36条の3。文言は違うが)は,これまでの判例でも要請されていた使用者のさまざまな配慮義務とどこが違うのか,この規定の追加により,使用者のすべき配慮の範囲はどこまで広がるのか,といった点は,今後の実務においてきわめて重要な検討課題となるでしょう。研究会では,このあたりの点についても突っ込んだ議論がなされました。
 本件とは逆に,障害のある労働者が配転を望んでいるような場合に,合理的配慮として,別の業務への配転をしなければならないかという論点もあります。妊産婦の軽易業務への配転(労基法65条3項)のような権利があるのか,です。障害者に対する合理的配慮については,過重な負担があれば応じなくてよいという免責規定が明文で存在しているのですが,もし過重な負担なしに配転できるものであれば,労働者の要望を聞いて配転をしなければならないという考え方もありえそうです。これは,片山組事件・最高裁判決にも通じるものですが,障害者というファクターが入ると,この義務がどうパワーアップするのかも,今後の重要な論点となるでしょう(また,使用者の安全配慮[労働契約法5条]という別の配慮も関連してきそうです)。「障害」となると,配慮義務が量的にも質的にも(法的効果面),どんどん広がっていくとする解釈は,企業に障害者が忌避されやすくなり,かえって副作用が生じると思います。ここは「過重な負担」の解釈も含め,適切な解釈論を展開していく必要があります。
 いずれにせよ,本件では,労働者は,研究室も変更させられ,授業もできなくなり,嫌がらせのような形の配転になっているように思えます。これは雇用を継続するためのをやむを得ない措置であったのか,それとも退職勧奨的なものだったのか。いずれにせよ,裁判所は,とくに本人のキャリアを活かせないような部署につけてしまったことを問題として,慰謝料100万円を認定しています。その意味で,本件はキャリア権的な論点とも関係している事件です(さらに,本件では,授業をする法的地位という「教員の就労請求権」の論点もからんでいます)。

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2017年8月 2日 (水)

第135回神戸労働法研究会その2

  6月の研究会の続編ですが,もう一人の報告者は,大阪経済法科大学のオランゲレルさんで,大王製紙事件・東京地判平成28年1月14日(平成25年(ワ)6929号)を評釈してくれました。
 この事件は,前会長と現経営陣との対立があるなか,前会長の元秘書の従業員が,会社の機密情報を前会長に伝え,それがマスコミに開示されたことから起こった紛争で,最終的には,この元秘書が出向命令を拒否して懲戒解雇されたため,その有効性などが争われました。
 この裁判はマスコミでも報道され,日本経済新聞での地裁判決のときの記事の見出しは,「内部告発で報復解雇は無効」でした。ただ,この見出しはミスリーディングで,記事のなかでも書かれていたように,判決は内部告発を正当でないとし,配転や降格(懲戒)は有効としていました。内部告発が正当とされたかのような見出しは,法律屋としては気になります。
 たしかに出向命令は無効とされ,これに従わなかったことを理由とする懲戒解雇も無効となったのですが,出向命令の無効の判断は,どちらかというと出向の必要性がないということ(出向先のポストが,業務内容からみて合理性がないこと)がポイントで,そのうえで,実質的に懲戒の趣旨による出向なので,動機・目的が不当であるとして,権利濫用とされたものでした。
 法律論としては,出向命令権の濫用といいながら,労働契約法14条の枠組みを意識しないものとなっているところが気になります。動機・目的の不当性は,同条の「その他の事情」に該当するのでしょうかね。実は,この判決は,転勤に関する東亜ペイント事件・最高裁判決を参照しているので,転勤も出向も同じようなものとみているのか(とくに,この会社では,就業規則上も配転,転勤,出向は同一の規定で同じように取り扱われていますし,実態としても出向の配転化現象はあったのでしょう),あるいは,東亜ペイント事件・最高裁判決は人事権の濫用に関する一般的な判断基準を示しているとみているのか,どちらかでしょうが,いずれにせよ労働契約法14条の存在感はあまりにも希薄です(裁判所の「完全無視」の姿勢を目の当たりにすると,そもそも同条を労働契約法に入れる必要性はなかったのではないかという疑問も出てきます)。
 それはともかく懲戒の趣旨の出向であれば,不当な動機・目的があるというのも,少し気になります。懲戒処分の実質があったとしても,そういう制裁的な機能をおよそ人事権の行使に含ませてはいけないということではないと思います。ケースによっては懲戒処分を受けるより,人事で対処してもらったほうが,労働者に有利なこともあるでしょう。もちろん,それでも懲戒的要素が,権利濫用性の判断に影響することはありえるのですが(なお,懲戒の趣旨があれば,懲戒処分の法理を適用するという見解[客観説]もありえますが,それにも賛成できません。この点は,拙著『労働法実務講義(第3版)』(日本法令)274頁の補充解説「人事権の行使としての降格と懲戒処分としての降格」も参照)。
 ところで,オランゲレルさんの報告では,内部告発の正当性に焦点があてられていました。本件は内部告発としてはちょっと異色で,告発先の元会長(現顧問)は,会社側にかなり近い人間であること(ただし現経営陣と対立的),外部への漏洩はその元会長によるものであること(元秘書もそのことを想定していたこと),告発目的は経営陣を失脚させることにあり公益性がないことなど,公益通報者保護法で想定している内部告発とはかなり異なります。もちろん,同法の対象外であっても,権利濫用法理などによる保護はあるのであり,実際,本件ではそういう観点から懲戒解雇は無効とされたわけです。
 法律構成としては,内部告発が正当であったら,就業規則違反が免責されるのか,あるいはその後の処分の権利濫用性を補強する要素となるのか,といったところが気になりますが,通常は権利濫用法理の枠組みのなかで対処すれば十分でしょう。
 本判決は控訴されましたが,原判決がほぼそのまま維持されています(東京高判平成28年8月24日(平成28年(ネ)880号)。

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2017年7月30日 (日)

第135回神戸労働法研究会その1

 1カ月以上前の神戸労働法研究会のことを書いていませんでした。
 一人目は,特別ゲストで,神戸大学大学院法学研究科の行政法担当の興津征雄教授に来ていただき,神奈川労基署長(医療法人総生会)事件・東京地判平成29年1月31日(平成26年(行ウ)262号)について報告してもらいました。以前にブログでこの判決の速報情報を流したことがありますが,そのときの情報提供元のO教授とあったのが,興津教授でした。主たる論点は,行政法上の「違法性の承継」(先行処分の違法性を,後の処分の違法性を争う手続で主張することができるか)ですが,労災認定の支給決定に対して,使用者に取消訴訟の原告適格を認めるという驚くべき判断がなされていることから,労働法上も無視できない判決となっています。ということで,これは行政法と労働法がまさに交錯する事件であると思い,私たちの研究会に行政法の先生を招待したのです。
 事件は,労災の支給決定がなされたあとの,労働保険料認定処分において,使用者側が,メリット制の適用を受けて増額された保険料に不満をもち,労災支給決定の違法性を主張して,保険料認定処分の取消を求めることができるかが問題となったものでした。
 行政処分の公定力からすると,労災支給決定処分の違法性を争うのは,その支給決定の取消訴訟の手続であり,取消訴訟の期間が経過すれば,もはやその処分の効力を争うことができなくなります。したがって,労働保険料認定処分の効力を争う手続において,労災支給決定処分の効力を争うことはできないのが原則です。しかし,労働保険料の認定処分にはメリット制が適用されるため,労災支給決定処分は後続の保険料認定処分と密接に関係しています。このような場合,後続の保険料認定処分の取消訴訟で,先行する労災支給決定処分の違法性を主張できる(これを,違法性の承継という)のではないか,ということが問題となりました。
 もっとも,これまでの実務では,労災支給決定について使用者が取消訴訟を提起することはできないとされてきました。使用者は手続の名宛人ではないからです。不服申立の適格もないし,取消訴訟の原告適格もないとされてきました。そのため使用者から支給決定処分の違法性を争えないのなら,違法性の承継の前提がないということになりそうです。 もっとも,行政法上,使用者の原告適格を否定するのが妥当かというと,実はそうではないようです。興津教授の報告によると,手続の名宛人ではなくても,行政処分の法的効果により権利の制限を受ける者は,行政手続法9条1項の原告適格の要件である「当該処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」に該当するという解釈が行政法学上有力だそうで,そうすると労災支給決定の法的効果としてメリット制により保険料増額という影響を受ける使用者は,当然,原告適格が認められることになります。これが行政法上の堅い結論であるとすれば,原告適格を否定するうえでは,労災保険の特殊性をいかにして説得に主張するかがポイントとなります。おそらく,それはきわめて困難であり,本判決も,原告適格は肯定しました。
 すでにレンゴー事件で,最高裁は,取消訴訟の補助参加人として使用者が参加することは肯定していました(最決平成13年2月22日)。民事訴訟法42条によるもので,適用条文は違うものの,実質的には,メリット制の影響を受ける使用者の利益を考慮した手続保障という考え方は,すでに最高裁のとるところだったのです。これを素直に展開していくと,原告適格を認めるのは当然のことといえます。
 では違法性の承継については,どうでしょうか。ここからは純粋な行政法の論点となりますので私は素人ですが,興津教授は,手続保障について特定事業主と被災労働者のどちらの保護を重視するかという価値判断が決め手となるということでした。そして少なくとも支給処分取消訴訟の原告適格が認められないのなら,違法性の承継は認めるべきということです。本判決は,逆に原告適格を認め,違法性の承継は否定するというものでした。被告である国側は,原告適格も違法性の承継も認められないと主張していましたが,これは不当というのが興津教授の見解でした。
 いずれにせよ,本件では事業主のほうに取消訴訟ができた期待可能性はないのであり(実務上原告適格が否定されていたため),この判決が原告適格を認めたからといって,本件での事業主のほうの手続保障が十分であったとはいえないはずです。判決は早期確定の必要性にも言及していますが,興津教授は,もらえないはずの給付をもらえるという正義に反する結論が,早期確定の要請を上回るとは考えられないという趣旨のことも述べています。行政法の観点からは,事業主が,不当な行政処分に対して十分な救済を受けられないことの不正義のほうが重要と考えられるようです。ここでは,事業主と労働者との関係だけをみる労働法と,市民と行政という関係でみる行政法との視点の違いがあって興味深いところでした。
 行政法の事件でしたが,素人にもわかるように非常にわかりやすく説明してもらったので,問題点がよくわかり,たいへん勉強になりました。やっぱり,こういう異業種交流はいいですね。

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2017年7月 8日 (土)

当然の最高裁判決ですが

  以前にこのブログでも紹介したことのある医師の割増賃金に関する事件について,最高裁判決が出ました(平成28年(受)第222号地位確認等請求事件,平成29年7月7日第2小法廷判決)。結論は予想どおりで,これまでの判例の踏襲です。下級審が,割増賃金込みの合意を認めていたのを覆し,通常の賃金の部分と割増賃金の部分との判別(分別)性がないので,割増賃金が支払われたものと認めることはできないとしました。前にも書いたように,高裁判決は,LSの学生が書けば不可となるような内容で,判例変更がされることを期待してチャレンジしたのならともかく,業務の特殊性とか年俸額が高額であるとか,「雰囲気的なこと」で病院を勝たせてしまっていました。最高裁はお灸をすえたのでしょう。
 この事件は,個別的デロゲーション(derogation)の論点(ここでいうデロゲーションとは,法の保護規制があっても,労働者が真の自由な意思による同意をしていれば,その保護規制を下回る場合でも有効としてよいということ)として採りあげられるべきでした。労基法37条に関する判例の示した判別性の基準は,強行規定の解釈を示した判例なので,強行性があります(ここでの強行性とは,当事者の合意で,労働者に不利な内容にできないこと)。業務の特殊性とか高い賃金額であるといった理由で,その例外を肯定できないのは当然のことです。医師が特別なんて言い出すと切りがありません。せいぜい立法論です。
 解釈論としてアタックするなら,ここはシンガー・ソーイング・メシーン事件や日新製鋼事件の最高裁判決を援用されるべきでした(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第91事件と第92事件)。この2判決は労基法24条の賃金全額払いの原則に関するものです。すでに最高裁は使用者が労働者に対して有する債権での相殺により賃金を減額することを24条違反としていました。そのため,相殺に労働者が同意をしていても強行性に反するので無効となるはずだったのですが,最高裁は,上記の2判決で,まず労働者からの賃金債権の放棄について,ついで合意による相殺について,自由な意思に基づく場合には有効と判断したのです。
 実は割増賃金の判別性との関係では,テックジャパン事件の最高裁判決(前掲拙著の第104事件)で,労働者の放棄の自由意思性も争点となり,結論として自由意思性が否定されていました。そこでなされたのは,将来の額もはっきりしない割増賃金請求権の放棄は自由意思によるものとはいえないという判断でしたが,本件では,ここをもう一度採りあげて,自由意思論で攻める手はあったのではないかと思うのです。病院側弁護士は,ひょっとしたら,そういう主張をしていたのかもしれませんが,そうだとすると最高裁が,そこを完全無視したのは,たいへん問題です。
  今回の判決により,立法論としてホワイトカラー・エグゼンプションの議論を加速する可能性があるという意見もありますが,従来の判例が確認されただけで,プロの目からは衝撃度はほとんどありません。そもそも,医師は研究職を除きエグゼンプションの対象にすべきではないと考えています。むしろ大切なのは,解釈論としてのデロゲーションの議論をしっかり進め,本件での医師の業務の特殊性や高額年俸などは,労基法37条(に関する判例)と抵触するような合意の自由意思性の判断に盛り込んでけばいいのだと思います。それは法改正をしなくても解釈として十分に可能であり,しかもそのほうが,事案に応じた妥当な処理ができるでしょう。今回は,最高裁に,そういう解釈をとらせることができる絶好のチャンスだっただけに,非常に残念でもあります。
  こういう事件は,たんなる当事者間の紛争ということではなく,国の政策にもかかわるきわめて重要なものです。高裁判決の存在を知らなかったのは私の不覚ですが,知っていれば研究会で報告して評釈を書いて,最高裁に,この論点で何らかの判断をしてもらえるよう挑戦したかったところです(私の評釈を読んでもらえるかどうかわかりませんが)。判例情報の早期収拾の必要はないと前に書いてしまいましたが,こういうこともあるとなると,速報の入手も大切ですね。

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2017年5月22日 (月)

第134回神戸労働法研究会その2

 もう一人は,JILPT の山本陽大君が,山元事件・大阪地判平成28年11月25日を報告してくれました。アルバイト従業員が過重労働が原因で死亡したケースでの民事損害賠償請求事件です。山本君は今回も周到な評釈をしてくれて,大学院生たちにも良い模範となったことでしょう。今回の報告も,ぜひに活字にしてもらえればと思っていますので,詳細はそこにゆだねます。判決への若干のコメントだけしておきます。
 この事案の特徴は,商品陳列用の什器などの搬入と販売を業とする会社で,15年近く断続的にアルバイトをしていた「ベテラン」アルバイトの「過労死」について,使用者に安全配慮義務違反が認められた点にあります。この労働者の働き方は,現場ごとにアルバイト従業員を募って契約をするというもので,作業単位ごとの労働契約という変わったものでした。それぞれの作業をする際には,労働者から事前に登録がなされるので,日々雇用ないし時間雇用的なものが,反復継続されていたわけです。これは,広い意味での有期契約の一種であり,「一定の事業の完了に必要な期間を定めるもの」(労働基準法14条1項を参照)に近いといえるかもしれません。
 契約の性質はともかく,一つひとつが独立した契約であるとすれば,業務の過重性をどのように判断するのか,またそれにともなう使用者の安全配慮義務をどのように判断するのかが問題となります。裁判所は,形式的には現場ごとに個別の労働契約が成立しているとみざるをえないとしながら,本件の被告会社は,無期雇用契約の使用者と同様に,業務にともなう疲労等の過度の蓄積により心身の健康を損なうことのないよう注意すべき義務を負っていたとし,結論として,使用者の損害賠償責任を肯定しました(過失相殺は3割)。
 判決では,単発契約の繰り返しの場合でも,会社は,労働時間数やその他の労働形態等を把握し,労働時間数等で過度の負担とならないよう調整するための措置をとるべき義務を負っていたとし,具体的には,労働者からの仕事の申込みの前には労働時間数等を適切に調整するよう,また,申込みの後においても他の日時,時間帯に変更等をするよう指導するなど,労働者の労働状況を適切なものとするための措置を採るべき義務を負っていたとしました。
 会社としては,アルバイトがたくさん仕事を入れて過労になっていそうだったら,本人がやると申し込んでいても,あまり仕事を入れすぎないように配慮する必要があるということです。
 労災の場合には,事故当時の視点ではなく,後からの視点で義務が追加されてしまうようなことが多く,結果責任的なものとなりがちです(「後知恵バイアス」の一種でしょう)。本件も,そのような印象を否めません。たしかに使用者にそのような措置を採るべきことはおよそ期待可能で(zumutbar[独])でなかったとはいえませんが,そう期待することが適切であったかどうかについては疑問が残ります。バイトをがんがん入れて稼ぎたいという労働者がいるときに,具体的な病気の前兆もないのに,仕事を減らすべきと使用者に要求するのは,どうかと思うのです。そこは労働者の自己責任としておかなければ,バイトで働く人に不利に働くこともあるでしょう。  裁判所は,この労働者は単なるバイトではなく,反復継続されて実質的に無期雇用に近いような労働者とみていた可能性もあります(こうしたバイトを活用することによって,不当に人件費を安くあげていたという評価もあったのかもしれません)。もし本件のようなケースで労働者が仕事を申し込んだのに使用者が拒否したら雇止め制限法理(労働契約法19条)が適用されるのか(更新申込みを労働者の健康のために使用者が拒否したときには,雇止めの正当理由として認められるのか),労働契約法18条が適用されることはあるのか,労働基準法との関係でも労働時間を全部通算すべきなのか,などといった問題も出てきます。
 こうした問題にすべて肯定的に考えるのなら,理論的には一貫していますが,実質的妥当性には疑問が出てきます(裁判所も,損害額の算定のところでは,割増賃金は算定基礎に入れておらず,実は一貫性を欠いているともいえます)。
 むしろ,こういう労働者は,雇用労働者ではなく,請負的なものではないか,という気もします(イギリスでは,本件のような場合には,mutuality of obligationがないとしてemployee ではない[workerにはなりうる]と性質決定される可能性もあるでしょう)。そうなると一転して,雇用関係から離れた一般的な安全配慮義務の問題となり,発注者側に多くの義務を肯定することは困難となるでしょう。
 さらに,本件は継続的な契約関係により特定の発注者との間で経済的な依存関係が生じた「準従属労働者」の問題ということもできそうです(ドイツでの「労働者類似の者」の問題)。雇用労働者でもなく,真正なる自営的就労者でもない,中間的な就労者の問題とみるならば,この事件は多くの示唆的な検討課題を提供してくれているようにも思います。

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2017年5月21日 (日)

第134回神戸労働法研究会その1

 今回は,特別ゲストで,京都大学の小畑史子先生に来ていただきました。本研究会には初登場です。O公立大学法人事件・京都地判平成28年3月29日をご報告いただきました。
 大学の准教授が,アスペルガー症候群によりトラブルを起こしていたことから,適格性の欠如という解雇事由に該当するとして解雇された事件で,適格性欠如という解雇事由には該当せず,労働契約法16条の客観的な合理的な理由がないとして,解雇は無効とされました。精神障害という点をまったく考慮しないならば,この准教授の行動には多いに問題があり(生協の職員に土下座をさせたり,校内での学生とのトラブルで学生を告訴したりするなど),解雇されても仕方がないようなところもありました。しかし,大学側は,アスペルガー症候群であることを採用時には知らなかったが,事後的には知るようになっていたので,適切な配慮をすべきとされたのです。この判断では,障害者基本法19条2項や,事件当時は施行前でしたが,障害者雇用促進法36条の3(アメリカのADAをモデルに導入された規定です)も考慮されていました。
 この36条の3は,「障害者である労働者の有する能力の有効な発揮の支障となつている事情を改善するため,その雇用する障害者である労働者の障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備,援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない」と定めているので(reasonable accommodation条項),そのような措置を講じなければ解雇はできないという解釈は可能なのかもしれません。これはまさに解雇権が濫用かどうかを判断する文脈での考慮要素です。
 一方で,本件は,就業規則上の「適格性の欠如」という解雇事由の該当性が問題となっています。この労働者の教員としての適格性をそのままみるならば,相当に疑わしいものであり,解雇事由に該当するともいえそうです。そこで判決は両者をミックスして,必要な措置を講じていれば,適格性をもつことができたので,就業規則の解雇事由には該当しないとしたのでしょう。
 ただここで問題となるのは,同条ただし書にもある「ただし,事業主に対して過重な負担を及ぼすこととなるときは,この限りでない」というundue hardship 条項についてです。アスペルガー症候群には,ジョブコーチをつけるなどの措置が有効であるとしても,たとえば校内でのトラブルの予防のために随時コーチをつけることは,まさに「過重な負担」といえなくもありません。判決は,障害者に関連する法令の理念に沿うような具体的方策を検討した形跡すらないとし,「配慮が限界を超える状態に達していた」とは認められないとしていますが,ストレッサーとなる教員との接触では,配慮をしているので,全体的にみると,使用者に厳しい判断のように思えなくもありません。ただ,大学側にも,主治医への問い合わせをしていない(問い合わせをしたからといって,答えてもらえる保証はないのですが)など,もう少しやるべきことがあったのかもしれず,そのため結論の妥当性はかなり微妙です。
 いずれにせよ,「必要な措置」と「過度の負担」の適切な解釈がなされなければ,使用者はこうした精神的な障害をもつ人の採用にいっそう慎重となるでしょう。36条の2は,募集・採用時にそういうことがないように要請した規定ですが,「採用の自由」を正面から否定する解釈はとれないので(要するに,労働者のほうから,使用者に対して必要な措置をとって採用するよう請求する権利はない),その効果には限界があります。
 必要な措置の限界を適切に設定し,使用者がそこまでの措置は講じていて,それでも適格性がないとなれば解雇できるということにしておいたほうが,使用者は安心して採用できて,障害者雇用の促進という趣旨に沿ったものとなると思います。法の趣旨がそのようなものであるとすると,それに適合的な解釈をすべき裁判官の責任は非常に大きいものとなります。

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2017年5月11日 (木)

紙の雑誌は打ち切らざるを得ない

 紙媒体のものを減らすということで,今年度から,大学院時代からずっと購入していた「労働判例」を止めることにしました(バックナンバーも古本屋から買っていました)。就職してからも,最重要の資料として,研究費で購入し続けていた雑誌でした。ただ今年度は資金が潤沢ではなく,それでもこれまでならリストラの対象から一番にはずれていた雑誌ですが,今回リストラ対象としたのは,高額であること,前から判例の選別にやや疑問をもっていたこと,そして一番の問題は研究室のキャパシティがきつくなってきたこと,オンラインで判例情報を入手することが簡単になったこと,大学の図書館でみることができること,という理由で,打ち切ることにしたのです。産労さん,申し訳ありません。まあ,随分昔には執筆したこともありましたが,ここ20年くらいは執筆もなく,とくに義理を感じる理由もないので,あっさり打ち切りました。
 ということで,これまで以上に判例情報の収集は,積極的にしなければならなくなりました。せめて別冊ジュリストの重要判例解説はしっかり読もうと思ったところ,いきなりびっくりする判例に遭遇しました。東京高裁の平成27年10月7日の判決です(平成27年(ネ)3329号,平成27年(ネ)4260号)。判例時報2287号に掲載のものです。
 この事件は,簡単にいうと,ある医師について,病院との間で時間外手当の一部を年俸(1700万円)に含める合意をしていたとし,それを有効として,追加の時間外手当の支払請求を認めなかったのです。かつてモルガン・スタンレー・ジャパン事件(東京地判平成17年10月19日)というのがあって,同種の判断をしていましたが,学説からは批判されていました。私は『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第2版)』(弘文堂)の255頁以下に,比較的詳しく,この判決のことを紹介しています。社員の自己決定をどこまで認めるべきか,という観点からの紹介です。従来の判例からすると,本件は年俸において割増賃金部分とその他の部分との分別性がない事案なので,LS生がこの判決のような答案を書くと不可となるでしょう。
 私としては,個別的デロゲーションの肯定例として注目したいのですが,年俸が高いからよしとするような単純な議論にしてはなりません。医師の特殊性も実は無視できず,最近,実質的にではありますが,業種や職種に着目した判断をしている裁判例が増えているのではないかという気もしています(たとえば,雇止めは,アルバイトなら簡単に認めるとか)。
 こういう判決を見落とさないように判例の随時チェックをする必要があります。まだ使っていませんが,「労働法EX+」も良さそうなので,こちらに切り替えることも検討しようかなと思っています。

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2017年3月22日 (水)

労災支給決定の取消訴訟における使用者の原告適格

 労災保険の申請に対する労働基準監督署長の決定に対する不服申立てについては,労災保険法38条以下に規定があり,労働者災害補償保険審査官への審査請求,労働保険審査会への再審査請求を経て取消訴訟を行うことができるとされています。労働基準監督署長の決定は,労働者の申請に対するものなので,不服申立ても労働者からなされることが前提となっています。一方,当該被災労働者を雇用している使用者のほうは,この手続の直接の当事者ではないので,労働基準監督署長の決定の内容を直接知る手続はありません。
 しかし使用者としては,労災保険支給決定があった場合には,事後の安全配慮義務違反による民事損害賠償等において,事実上不利となることもあり,その結果に関心がありますし,そうである以上,使用者としての言い分を労災の認定手続においても十分にしておきたいと考えることにはそれなりの理由があるようにも思えます。
 判例は,レンゴー事件(最高裁判所第1小法廷判決平成13年2月22日)において,不支給決定に対する取消訴訟で,使用者の補助参加を認める判断を下しています。このときの理由は,労災民訴事件における事実上の不利益のほうではなく,メリット制が適用される保険料の不利益を考慮したものです。つまり,最高裁は,不支給決定が取り消されると保険料が高くなる可能性のある事業主は,「労働基準監督署長の敗訴を防ぐことに法律上の利害関係を有し,これを補助するために労災保険給付の不支給決定の取消訴訟に参加をすることが許される」としたのです(行政事件訴訟法22条1項,民事訴訟法42条も参照)。
 それなら,使用者は,より直接的に,労働基準監督署長の支給決定について,原告適格を認めてもよいのではないのか(行政事件訴訟法9条1項の「取り消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」に該当するか),という考え方が出てきてもおかしくはありません。
 この点について,最近,使用者の原告適格を肯定する裁判例が出ました。神戸大学の行政法の同僚から情報を得ました。東京地方裁判所平成29年1月31日判決・平成26年(行ウ)第262号労働保険料認定決定処分取消請求事件です。
 事件そのものは,労災の保険料の決定に対して取消訴訟が提起されたものですが,そのなかで,当初の支給決定に関する使用者の手続保障が問題となり,この点について,裁判所が判断をしたのです。そこで明確に,メリット制の適用により,保険料が上昇する可能性のある使用者は,支給決定の取り消しについて「法律上の利益」があると判断されました。レンゴー事件・最高裁判決とも,整合性のある判断です。 
 メリット制が実際に労災予防のインセンティブとして機能することが期待されている以上,この点は制度の根幹に関わるものであり,支給決定について使用者から争う余地がないということには,違和感もあります。
 その一方で,労災に対する補償という事柄の性質上,できるだけ迅速に補償がなされるべきという要請もあり,当初の労基署での決定手続に使用者を正式に関与させることには疑問があることもまた,そのとおりです。
 問題は,支給決定について,使用者から取消訴訟の原告適格を奪う実質的必要性がどこまであるのかです。たしかに,せっかく労働基準監督署長が支給決定をしているのに,保険料が上ることを防ぎたい,あるいは,労災民訴への事実上の大きな影響があるということから,使用者のイニシアチブで支給決定を覆すことを認めることは妥当でないという意見が出てくることは,労働者保護を目的とする労働法的発想からすると,理解できないわけではありません(なお,東京地裁判決は,保険料の認定決定処分の違法性を争ううえで,支給決定処分の違法性を主張することができるかという,この事件のメインとなる「違法性の承継」の論点では,これを否定しており,その際に,事業主は,支給決定手続においても相応の手続的保障があるという判断もしています。しかしこの点については,この判決も認めているように,事業主には支給決定の通知がなされないなどの問題があり,はたして現行法においてすでに使用者への手続的保障は十分にあるといえるかには疑問もあります)。
 少なくとも前述のようにメリット制が労災保険制度におけるインセンティブやモラルハザード回避のための中核的な制度と位置づけられる以上,この点について,使用者が争うことができるとしておいたほうが,制度の信頼性を高めるという点からも望ましいのではないかとも思えます。
 これとは別に,行政訴訟の原告適格をどこまで広げるかという一般的な論点もあります。使用者は強者だから,使用者にはこの拡大論は適用すべきではないという議論もありえるかもしれませんが,そのような使用者強者/労働者弱者論は,もはや適切ではないと思っています。
 労働法と行政法が交錯する重要な判決で,これまで労働法上論じられてこなかった盲点のような論点が扱われていますが,控訴審の判断に注目すると同時に,労働法学からの検討の発展にも期待したいところです。

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2017年3月 3日 (金)

国際自動車事件・最高裁判決

 昨年2月に神戸労働法研究会に梶川敦子さんに報告してもらった事件の上告審判決が出ました(最高裁判所第3小法廷平成29年2月28日判決・平成27年(受)1998)。私はこれについてブログで書いていたはずですが,そのときどのように書いていたのか,もはや削除されてしまっているので見ることができないなと思っていると,実はブログのアーカイブがあって,かなりの部分は消去されずに残っていることがわかりました。以前に中央大学の佐藤博樹さんに教えてもらっていたのですが,別に過去は振り返らずということで放置していました。しかし,今回は,見てみることにしました(それにしても,過去のものは,消去や修正することができないので,これはたいへん困ったものです。これも忘れられる権利に関わる話でしょうかね)。
 梶川さんに報告してもらったときのブログの内容は,次のような簡単なものでした(昨年2月のもの)。

「第119回神戸労働法研究会その2」
 「2人目は,神戸学院大学の梶川敦子さんに,国際自動車・東京高判平成27年7月16日判例集未掲載,東京地判平成27年1月28日労判1114号35頁について報告してもらいました。詳細は,ジュリストの重要判例解説に掲載されるそうなので,そちらを確認していただければと思います。
 タクシー会社の賃金で,割増賃金を支払うという規定はあるのですが,歩合給の算定のなかで,割増賃金を控除することになっているという事案でした。最終的には,割増賃金が支払われないのと同じことになるため,こうした取扱いが許されないのは当然なのですが,法律構成として,割増賃金不支給の事案とみるのか,それとも歩合給の計算方法のなかで,割増賃金を控除するという内容になっているところに問題がある事案とみるのかは,微妙に結論に関係してきます。本判決は,後者の考え方で,労基法37条に直接違反していた事案ではないとし(同条の「趣旨」に反するとした),また付加金の支払いも認めませんでした。これに対しては,素直に労基法37条違反と言ってよいのでは,という点が議論となりました。また37条違反となった場合,いったいどういう効果が発生するのかも,実は厄介な問題があります。
 もっと広い問題として,37条は強行規定とされていますが,できるだけ労使自治を尊重した解釈論も考えていくべきでしょう。時間外労働が月に60時間を超える場合(同条3項を参照)だけでなく,もっと広く労使協定などで代替休暇を導入できるようにするとか,さらにはもっとラディカルに37条を任意規定にしてしまうなどの検討も,ホワイトカラー・エグゼンプションと関連して必要なことだと思っています。」

 このコメントは,判決のことを知っている専門家向けのものなので,ここだけみるとよくわからないかもしれません。とにかく,地裁も高裁も労働者の勝訴となっていて,研究会でも,結論は妥当であるが,理由付けには疑問がありうるという議論が大半で,それを前提に上記のようなコメントになりました。
 ところで梶川さんが,その後,別冊ジュリストの平成27年度重要判例解説で書かれている内容は,この最高裁判決にも影響を及ぼしたのではないかと思えるぐらい的確なものでした。
 割増賃金の支払いについては,基本給組入れ型であっても,所定の要件(分別要件など)を充足している限り有効であり,時間外労働をしても賃金が増えないことだけを理由として労働基準法違反とか,公序違反とは言えないこと,また本件では,法律上の割増賃金が義務づけられていない法定外休日労働などに係る部分を含む「割増金」の控除部分も無効としているのは行き過ぎであることなど,原判決の問題点が指摘されていましたが,まさに最高裁もそこを取り上げて,原審破棄・差戻しとなりました。
 このように最高裁判決は,実は,会社の措置が文句なく適法であると言ってるわけではなく,高裁判決の理由づけがおかしいと言っているにすぎません。
 さらに梶川評釈では,最後に,政策論的な観点から,割増賃金の時間外労働抑制機能に対する根本的な疑問を提起しています。彼女の問題意識は,私の『労働時間制度改革』(中央経済社)にも影響を与えています(同書の「はしがき」でも言及しています)。
 私はこれからの判例評釈は,単なる解釈論だけではなく,立法政策的な問題意識をもって臨むべきだと考えています。その意味でも,タクシー会社の割増賃金に関する運用に疑問を提起しながらも,同時に労働時間規制のあり方についても鋭い問題意識をもって評釈に臨んでいる梶川さんの姿勢は,まさに模範的なものです。
 いま梶川さんの原稿を読みなおしながら,あのときの議論が懐かしくよみがえり,思わず……目が曇ってしまいました。

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2017年2月22日 (水)

学校法人専修大学事件

  渡辺章先生から,「労災保険法上の補償給付の基本的性格と機能―打切補償の支払いと解雇の適法性をめぐる問題に焦点をあてて―」(専修ロージャーナルNo.12 (2016年))の抜き刷りをいただきました。有名な学校法人専修大学事件(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』の第57事件)で突然注目されるようになった,打切補償と解雇制限の解除をめぐる論点について,最終的には最高裁で妥当な結論になったものの,第1審では,悪名高い(?)伊良原判決により,渡辺先生の意見書が正面から批判されていたこともあり,ここは先生自身しっかり自説を論文として発表しておこうと思われたのでしょう。
 とくにポイントとなったのが,1976年の法改正で長期傷病者補償給付に代わって傷病補償年金が導入されたとき,労働省の「解雇制限との関係は従来のまま引き継ぐとの考え」の趣旨がどのようなものであったかです。
 長期傷病者補償は1960年の法改正で新設されたもので,療養補償を受ける労働者が療養開始から3年経過しても治らない場合に,労災保険法上の「打切補償費」(労働基準法上の打切補償に相当)に代わる,新たな保険給付として設けられたものです。このときの療養は,「療養保障給付」とは異なる「傷病給付」とされ,通常の療養とは別制度となりました。その後,1965年に,長期傷病者補償は,長期傷病保障給付に改められ,そこでの療養は「療養の給付」となりましたが,実質は「傷病給付」と変わっていませんでした(通常の療養補償給付とは別制度)。
 解雇制限との関係では,1960年以降,長期傷病者補償(その後の長期傷病補償給付)が支払われれば,労働基準法81条により打切補償をしたものとみなすという規定になりました。これは長期傷病者補償が,打切補償費に代わる制度であったことから,当然の規定でしょう。
 1976年の傷病補償年金への改正の際,重要な制度変更がありました。それは療養開始から3年を待たずに1年6カ月後に支給されること,ただし対象者は傷病等級が3級以上の重度のものに限定されたことです。そして,解雇制限との関係では,傷病補償年金の支給を受け,かつ療養開始から3年経過していれば,労働基準法81条により打切補償をしたものとみなすということになりました。文言上は労働基準法19条の解雇制限がはずれる労働者は,療養開始後3年という年数要件は同じものの,傷病補償年金の支給対象者が重度の障害のある者に限定されることになったのです。
 伊良原裁判官は,このことについて,一定の給付があれば解雇制限が解除されるという効果は,たしかに従前の規定を引き継いだものではあるが,傷病補償年金の傷病等級に至らない場合の療養保障給付についてまで,解雇制限の解除の効果が及ぶものではないという解釈を展開し(労災保険法の文言だけみれば,そうした解釈もありえそうです),さらに実質論として,傷病補償年金を受けている重度の障害がある者とそうでない者については雇用維持の必要性に大きな差があるので,後者の者について労働基準法上の打切補償によって解雇制限を解除するのは適切でないとしたのです。
 伊良原判決(それと同内容の高裁判決)を覆した最高裁判所に対して,根本到氏は「労災保険と労基法上の災害補償制度について十分な検討を行っておらず,明文の規定がない解釈論を正当化する論拠に欠けている」(法学セミナー727号「労基法19条1項の解雇制限と労災保険給付」)という批判や,中窪裕也氏の「労働者の復職の可能性を重視して,あくまで解雇制限の解除を否定するのか,それとも,みなし規定とのバランスや雇用維持による使用者の負担を考慮して,それを肯定するのか,という検討がなされるべきだったのではないだろうか」(法学教室422号「業務上疾病による休業者に関する労基法19条の解雇制限と打切補償」)という意見が出されていることもあり,渡辺先生はこれらの学説への批判も試みられました。
 渡辺先生は,1976年に傷病補償年金に改正されたとき,受給者になされる療養が,これまでの長期傷病者補償や長期傷病補償給付においては別制度であったのが,療養補償給付に一本化され,休業補償給付のみこれを行わないという規定に改められている点に注目されます(労災保険法18条2項)。このことから,「制度」論的には,労基法の打切補償の系譜を引く打切補償費と等価のものとされた労災保険法19条のみなし規定(解雇制限の解除との関係で労基法81条の打切補償があったものとみなすとする規定)との関係で,長期傷病者補償や長期傷病者給付における療養は,労基法75条の規定(療養補償の規定)によって療養を受ける場合と区別する余地があったのに対して,1976年以降は,そのような解釈の余地がなくなっていることを指摘されます。
 したがって,問題は,文言ではなく,労基法上の療養補償と労災保険法上の療養補償給付を同一視してよいかということになるとします。これは,まさに制度趣旨の問題です。そして,傷病補償年金制度をめぐる上記の歴史的な変遷をみていくと,「明文の規定のない解釈論」という批判は説得力がないことが明らかになります。制度趣旨という点からみると,労基法の療養補償と労災保険の療養補償給付が同質・同一であるということを否定する余地はまずないと思われます。
 もう一つ復職可能性の点についても,渡辺先生は,傷病補償年金の対象者を重度障害者に限定したことについて,復職可能性とは無関係であることを,立法趣旨に照らして論証しています。傷病等級の認定が,1年6カ月経過時点で,6カ月以上の期間にわたって存する障害の状態により認定するものとするという規定(労災保険法施行規則18条2項)の意味について,第3級は6カ月以上にわたって完全労働不能が続く場合をさし,したがって3級以上の傷病等級ではないということは,6カ月以内に常態としての労働不能から脱することができる(つまり復職可能性がある)という理解を示した岩永昌晃氏(民商法雑誌149巻3号「療養補償給付支給中の打切補償支払による解雇禁止解除」)を批判し,障害の程度をどのように判断するかということと復職の可能性とは別であると論じています。復職の可能性は,労契法16条の枠内で考えればよいということです。
 要するに,労働能力を完全に失っていて復職の可能性がないから,傷病補償年金に移行し,それゆえ解雇制限が解除されても仕方がないが,そうでない場合は解雇制限を解除されるべきではないというロジックは,法律を根拠なく読み込み過ぎたものであって,立法趣旨から乖離しているということなのでしょう。
 おそらく,法律を素直に読めば,傷病等級の点は,休業補償給付から傷病補償年金への移行をするのに適切かどうかということに関するものであるのに対して,労災保険法19条による打切補償のみなしは,傷病補償年金が打切補償費から引き継がれて設けられたという沿革によるものであり,両者をごちゃごちゃにして議論してはいけないというのが,渡辺先生のメッセージなのだと思います。
 「老いて」(すみません)なお迫力のある論文を書かれる渡辺先生には,心より敬意を払いたいと思います。

 *お詫びと訂正 
 上記引用の『最新重要判例200労働法(第4版)』の57事件の右段の解説の上から11行目の「支給される場合には,」のあとに,「療養開始から3年が経過していれば」という文言を補充していただければと思います。労災保険法19条を確認してもらえれば3年要件は当然のことなのですが,この文章のあとに傷病補償年金の1年半の要件に言及しているので,誤解を招く内容になっていました。お詫びとともに,訂正をお願いします。

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