労働法・雇用政策

2017年11月28日 (火)

労基法38条1項は改正不要

 今朝の日経新聞で「副業しやすくルール修正- 厚労省,本業との労働時間合算など検討 「働き方」整合性も課題」という見出しの記事が出ており,労基法38条1項のことが扱われていました(条文は出てこなかったですが)。明治大学の小西康之君が「ルールが有効に機能していない」とコメントしているように(なお,小西君を「労働法に詳しい」と形容するのは,日経新聞のいつもの言い方ですが,何か変で,労働法研究者とか,労働法学者とか呼んでほしいです。労働法の詳しさにも,いろいろなレベルがあるので,専門に研究している人にはそれなりのリスペクトがほしいものです),38条1項があるがゆえに副業を禁止しているという例や,副業先が本業がある人を受け入れないという例が,それほどあるとは思えません。したがって,38条1項の規定を変えても,副業との関係では,実態にほとんど影響がないのではないでしょうか。
 理論的にも問題があります。副業を命じられてするような場合なら別ですが,普通は,副業は自分で選択してやります。その場合,たとえばA社で6時間働く場合,その6時間はA社に時間管理責任があります。同じ労働者がB社で5時間働く場合,その5時間はB社に時間管理責任があります。しかし,6時間と5時間を加えて11時間(3時間は法定労働時間を超過),働くというところには,労働者の自発的意思が介入しているのです。そこを飛び越えて通算して,「使用者」側の責任にしようとする発想に,そもそも無理があるのです。
 使用者が労働法上の責任を負うのは,基本的には,自らが指揮命令した範囲においてです。理論的には,その範囲を超えるところまでは責任が及ばないはずです。38条1項は「事業場を異にする」場合にも労働時間を通算するという規定ですが,それを同一使用者における複数事業場のことを指していると解しても,文言上はまったく問題ありませんし,理論的にも正しいのです。むしろ,異なる事業主にまたがった場合にも通算するという行政解釈(昭和23年5月14日基発769号)のほうに無理があります(複数の派遣先に派遣するという場合の通算は,使用者としての派遣元の管理範囲内のことで,認められるのは当然です)。労働者を基準にして判断するという発想はわからないわけではないですが,使用者の責任を過大に認める理論的根拠は薄弱です。しかも行政は,実際上は,複数事業主にまたがる労働時間の通算について取締りなど出来ていないのです。その意味で無責任な行政解釈といえるでしょう。
 労基法38条1項は,行政が誤りを認めて,行政解釈を修正すればよいだけです。これだけのことなら,別に労政審に諮る必要などないのではないでしょうか。
 もっと大事なことに時間を使ってもらいたいものです。たとえば,労働時間規制で健康確保を図るということそのものの妥当性の検討です。自発的に副業をしようとする人について,健康確保が必要であるとすれば,それはどのような方法によるのか,です。これは法律屋がいくら集まっても,その知恵には限界があるかもしれません。  

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2017年11月 9日 (木)

転勤

 前に裁判官のことを書いたときに,転勤法理についての裁判所の態度が厳しいと書いたところでしたが,11月6日の日経新聞の「法務」の欄で,ちょうど田中浩司記者(日経新聞では数少ない労働法のことをきちんと書ける記者です)が,転勤のことをとりあげていました。
 このブログでもときどき取り上げているように,転勤がほんとうに必要なのかが,いまホットイシューになりつつあります。さらにパートの無期転換と転勤というのも,実務上は重要な問題であり,その点も記事では取り上げられていました。
 法的には,無期転換と転勤についてはやっかいな問題がありそうです。たとえば,勤務地限定社員が,無期転換したとき,労働契約法18条によれば労働条件は同一ですが,もし正社員就業規則が適用されれば転勤があるということなので(同条の「別段の定め」にあたる),そこでの調整が必要となります。無期転換組は,従来の勤務地限定の合意(勤務地限定特約)が無期転換後も継続するので,転勤命令付きの就業規則が適用されても,有利な勤務地限定特約が適用されつづけるということになるのか(労働契約法7条ただし書参照。そもそも無期転換後の就業規則の適用が労働契約法7条の問題となるかどうかも議論があります),といった形で問題となります。転勤のない無期転換組専用の「第3の就業規則」を作成すれば問題はないのですが。
 実務上は,企業が,無期転換した以上は,転勤をしてもらわなければ困るといって,正社員就業規則を適用してきたときにトラブルが起こりそうですね。
 ところで,記事の図表のなかに,「業務上の必要性」の説明について,これは不当な動機・目的がなければほとんど認められる,と書かれていましたが,東亜ペイント事件の最高裁判決(拙著『最新重要判例200(第4版)』(弘文堂)の35事件])は,「業務上の必要性が存する場合であっても,当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされた場合」には,権利濫用となると述べているので,不当な動機・目的があっても,業務上の必要性がある場合はありえることになります。もっとも,実務上は,転勤の理由という括りのなかで,業務上の必要性と転勤の動機・目的を,同一次元の話として,どちらが優越するかというレベルで考えているのかもしれません(要件事実論とも関係します)。
 それと記事の最後に,「多様な働き方が増え,専門家の間では,最高裁が示した『通常甘受すべき程度を著しく超える不利益』かの線引きも変わってくるとの声もある」とありますが,最高裁がほんとうにそうなるかは疑問もあります。
 むしろ,多様な働き方が増えれば,勤務地限定の合意がなされるケースが増えてくるので,それだけで転勤命令権がないと判断される可能性が増えるのではないでしょうか。そして,これがさらに進むと,勤務地限定の合意の存否が厳密に審査されて,そこで勤務地限定がないとされれば,転勤命令が権利濫用となる可能性が(いまよりいっそう)下がるということが考えられます(権利濫用は,本来は例外的な救済法理です)。
 現在の裁判実務においては,勤務地限定の合意のチェックが緩いために,労働者の利益の考慮は権利濫用論に頼らざるを得ないのに,その肝心の権利濫用論でのチェックが緩いというところに問題がありました(たとえば,ケンウッド事件・最高裁判決[前掲拙著の36事件]は,勤務地限定の黙示の合意があったとする余地もあり,そうであれば,そこで転勤命令無効ということで話は終わっていました。ところが,事実認定レベルで,勤務地限定の合意がないとされたので,そうなると,権利濫用論で救うべきでなのでしょうが,そこは「通常甘受すべき利益を著しく超える不利益」についての従来の厳格な判断が壁になり,労働者は敗訴したのです[労働者側の対応にも問題があったのですが……])。勤務地限定の合意の有無というところで厳密に審査し,そうした合意があれば転勤は無効,そうした合意がなく転勤に同意していたという認定があれば,「通常甘受すべき利益……」とか言わずに,転勤は有効というすっきりした枠組みでやるべきなのです(それでも,ぎりぎりいっぱいのところで権利濫用論は残るでしょうが)。少しややこしい話ですが,LS生レベルであれば,理解してくれなければいけません。

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2017年11月 2日 (木)

ブラジル労働法と金銭解決

 11月1日の日経新聞の朝刊で,「過度の労働者保護修正へ アルゼンチンとブラジル 企業に雇用・投資増促す」という記事が小さく出ていました。ちょうど先日の神戸労働法研究会で,信州大学の島村暁代さんに,ブラジル労働法について報告していただいたこともあり,ちょっと気になりました。島村さんの報告のときにも思ったことですが,ブラジル労働法は,たいへん労働者に有利であり,記事のタイトルにもあるように「過度の労働者保護」という表現がぴったりです。これではブラジル人を雇用した経営はたいへんだろうなと思いました。
 ブラジル労働法は,イタリア労働法の影響も強く受けているようであり,その点も興味深いところでした。ただイタリア労働法は,とくに1990年代からその見直しを進めてきているところですが,ブラジル労働法は,まだ緒に就いたばかりというところのようです。ただ,国内の反対は大変でしょうね。一度,労働者に有利な制度を設ければ,それを引き下げるのには大変なコストと努力が必要です。法律ではなく,できるだけ労使自治にゆだねたほうが,弾力的な調整ができるのであり,日本も労働者のゴキゲン取りのような法律を無責任に作ると,あとあと困ることになるということを知っておく必要があります。
 そんなブラジルでも,解雇については,金銭解決制度です。不当な解雇とそうでない解雇では,コスト面に違いがあるだけです。ブラジルにはFGTSという個人の所得保障基金のようなものがあり,そこから労働者がお金を引き出すことができる事由は限定されているのですが,不当な解雇の場合には労働者は引き出し可能です。一方で不当な解雇をした使用者は重い罰金をFGTSに拠出しなければなりません。そのほかにも,労働者は正当な解雇のときよりも,不当な解雇のときには金銭面で優遇されます(一定の賃金や手当の支払の優遇)。
 いつも述べているように,金銭解決だから解雇規制が弱いということではありません。ブラジルのような労働者保護が進んでいる(進みすぎている?)国でも,解雇については金銭解決ルールで対処しているのです。問題は額ということです。スペインでむこうの学者にインタビューをしたときも同じような答えでした。金銭解決の規制は,額次第では,十分に使用者に重くなりうるのです。しかも,ブラジルで最も重要なのが,FGTSからの引出金であるという点も面白いです。FGTS方式では,使用者から直接お金が支払われるのではなく,労働者に基金からの引出し権を与えるという形のものであり(労働者は引き出さず,将来のために残しておいてもいい),そして不当な解雇をした使用者は,この基金への積み立てを強化させられることにより,一種のメリット制のようになっています。これが使用者に不当な解雇への抑止的効果となっていますし,労働者の生活保障も配慮されています。ここだけをとればアメリカの失業保険と似たような構造ともいえます(ブラジルでは,FGTS以外に別途に失業保険もある)。このような分析は,明治大学の小西康之さんから教わったもので,彼の研究領域であり,私たちの解雇の金銭解決本にも,寄稿していだいています。

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2017年10月27日 (金)

給料の前払い?

 一昨日の日本経済新聞の朝刊に,給与の「前借り」急拡大,というタイトルの記事が出ていました。内容に驚きました。不勉強で知らなかったのですが,こんなことが広く行われていたのですね。業者が事前に企業から払われた前払い分をプールするというパターンもあるようですが,それ以外に,業者が前払い分を従業員に支払い,その従業員の使用者である企業が事後に立替分(?)を業者に払うというものもあり,これは,貸金業法上の問題(労働者は業者から手数料を払って「前払い」という形で金を借りて,それを使用者から賃金の一部を使って返済してもらい,手数料分だけ利息を支払っているとみることもできる)について論じる前に,労働基準法24条の定める賃金直接払いの原則に反しています。
 業者は,貸金業法の問題を避けるためには,前借りではなく,前払いとしたいのでしょう。ただ,労働基準法上は,前借りとしておけば,賃金の請求権には影響しないので,適法化の余地があります。たとえば,前述のような前借り構成であれば,使用者は返済をしたことにより生じる償還請求権を労働者に対してもち,それを労働者の賃金請求権と相殺するということになり,これを労働者の自由な意思による合意相殺とみることができれば適法となる余地があるということです(詳細は,日新製鋼事件・最高裁判決[拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第92事件を参照])。
 しかし,賃金の一部を第三者が支払うということになれば,直接払いの原則違反で,これは全額払いの原則と異なり,労使協定の締結などによる例外が定められていないので,許される余地がありません(なお,前払いというだけであれば,理由によっては,労働基準法25条の非常時払の規定により認められる可能性がありますが,これを第三者が支払うというのであれば,これは前払いではなく,やはり貸し付けとみられるでしょうね)。
 前払い分は,企業が業者から借りて,それを労働者に払い,企業が業者に手数料を払うということであればもちろん問題はありません(この場合も,貸金業法の規制はあるでしょう)。業者から賃金を払うというのがまずいのです。正確には,業者が払っているのは,法的には賃金ではないのです。労働基準法11条では,賃金は使用者が支払うものと明記されています(客の払うチップも,労働基準法上の賃金でないのは,そのためです)。
 ということで,少なくとも新聞でみた限りでは,労働基準法違反は,あまりにも明白なので,詳しいコメントをするまでもないのですが,使用者や業者は,ほんとうに顧問弁護士に相談していたのでしょうか。万が一,弁護士がこれを適法と言っているとするならば,それがどういうロジックであるのか,ぜひ勉強させてもらいたいところです。

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2017年10月20日 (金)

年次有給休暇について

 日本経済新聞の10月16日の夕刊の「くらし」欄で,「有休 気兼ねなく取るには  奨励日を設定/1時間単位で 企業の働きかけ重要 」という記事がありました。もっと年次有給休暇(年休)を取得するためには,どうすればよいかということについて取り組んでくれているのでよいし,それほど問題のある記事ではありませんし,他の労働法系の記事と比べたら及第点ですが,もっとレベルを上げるための注文をしてみましょう。
 「労基法上は労働者が『休みたい』と時季を指定すれば,業務に差し支えがない限り会社はそれを認めることになっている。」
 これは正しいと言ってよいのですが,法律家なら,ちょっとだけこだわりたいところがあります(「時季」ときちんと書けているので評価は高いのですが)。会社はそれを「認めることになっている」というところです。
 年休について,労働者の労働債務はどのようにしたら消滅するのかをめぐり,かつて大議論がありました。そして昭和48年3月2日の林野庁白石営林署事件の最高裁判決において,この論点について決着をつけたのです。そこで,少し判例のお勉強をしましょう(条文の項のうち,判決原文で三項であったものは,その法改正で五項に変わっていますので,そのように修正しています)。
 「労基法三九条一,二項の要件が充足されたときは,当該労働者は法律上当然に右各項所定日数の年次有給休暇の権利を取得し,使用者はこれを与える義務を負うのであるが,この年次休暇権を具体的に行使するにあたつては,同法は,まず労働者において休暇の時季を「請求」すべく,これに対し使用者は,同条五項但書の事由が存する場合には,これを他の時季に変更させることができるものとしている。かくのごとく,労基法は同条五項において「請求」という語を用いているけれども,年次有給休暇の権利は,前述のように,同条一,二項の要件が充足されることによつて法律上当然に労働者に生ずる権利であつて,労働者の請求をまつて始めて生ずるものではなく,また,同条五項にいう「請求」とは,休暇の時季にのみかかる文言であつて,その趣旨は,休暇の時季の「指定」にほかならないものと解すべきである。」
  年休は,法所定期間の継続勤務と全労働日の8割以上の出勤という客観的な要件が充足しさえすれば,自動的に法所定の日数の年休を取得する権利が発生します。それに加えて,労働者はどの時季に休暇を取るかを「指定」する権利があるのです。これが時季指定権です。
 「また労基法は,同条一項ないし三項において,使用者は労働者に対して有給休暇を「与えなければならない」とし,あるいは二〇日を超えてはこれを「与える」ことを要しない旨を規定するのであるが,有給休暇を「与える」とはいつても,その実際は,労働者自身が休暇をとること(すなわち,就労しないこと)によつて始めて,休暇の付与が実現されることになるのであつて,休暇の付与義務者たる使用者に要求されるのは,労働者がその権利として有する有給休暇を享受することを妨げてはならないという不作為を基本的内容とする義務にほかならない。」
 年休を取得する権利を得るために,使用者(会社)に何かしてもらう必要はないのです。労働者が時季指定をするだけでよいということです。
 「年次有給休暇に関する労基法三九条一項,二項および五項の規定については,以上のように解されるのであつて,これに同条一項が年次休暇の分割を認めていることおよび同条五項が休暇の時季の決定を第一次的に労働者の意思にかからしめていることを勘案すると,労働者がその有する休暇日数の範囲内で,具体的な休暇の始期と終期を特定して右の時季指定をしたときは,客観的に同条五項但書所定の事由が存在し,かつ,これを理由として使用者が時季変更権の行使をしないかぎり,右の指定によつて年次有給休暇が成立し,当該労働日における就労義務が消滅するものと解するのが相当である。すなわち,これを端的にいえば,休暇の時季指定の効果は,使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するのであつて,年次休暇の成立要件として,労働者による「休暇の請求」や,これに対する使用者の「承認」の観念を容れる余地はないものといわなければならない。」
  解除条件といった難しい言葉が出てきますが,労働者が時季指定をすれば,使用者が適法な時季変更権の行使をしないかぎり,就労義務が消滅するということです。ここで重要なのは,年休の成立要件として,使用者の「承認」の観念を容れる余地がないと最高裁が明言していることです。上司の承認がなければ,年休を取得できないということではないということです。「認める」という言葉にちょっとひっかかったのは,このためです。
 次の問題は時季変更権は,どのような場合に有効となるかです。記事では,「業務に差し支えがない限り」という説明になっています。法律の文言では,「事業の正常な運営を妨げる場合」です。「業務の差し支え」と「事業の正常な運営の支障」では実はかなり違う意味になるはずです。もっとも,実際上の判断は「業務」の支障でみている裁判例も多いので,この言葉へのこだわりをどこまですべきかはなんとも言えません。ただ重要なのは,ある従業員が休んだら業務に支障があるといったくらいでは時季変更権の行使は認められるものではないということです。代わりの人でも業務を担当できるのであれば,業務の支障はないと解すべきであり,条文に即していうと「事業の正常な運営を妨げる場合」にも該当しないというのが普通の解釈です。定員ぎりぎりの人数でやっているので,代わりの人に仕事をさせる余裕がない,という会社もあるかもしれませんが,それは年休を付与しない正当理由にはなりません。それなら,もし従業員1名の会社であれば,その従業員はずっと年休が取れないことにもなります。「事業の正常な運営を妨げる」とは,使用者が通常の配慮をすればそれを回避できるにもかかわらず,そのような配慮をしなかったために,そうした事態に陥ったときは,使用者は時季変更権を行使できないと解されるのです。
 でもこれって会社に厳しすぎますよね。だから立法論が出てくるのです。せめていつ年休を取らせるかは,労働者の意向もふまえたうえで,使用者主導にしようと。そのような使用者の義務にすると,使用者は否が応でも,仕事の管理体制の見直しや代替要員の確保といったやりくりを考えて行かざるをえないでしょう。
 いまのように,いつ労働者から時季指定権がやってくるかわからないうちから,管理体制を整備せよというのは,やや酷です。
 だから現行法では,労働者は「業務に少々の差し支え」があるくらいでは,年休の取得ははばまれません。でも本来は,年休の取り方をもう少し工夫したほうがよいのではないか,ということです。
 年休に関する立法論は,私もしつこく書いてきているので,最近のものでは,『労働時間制度改革』(中央経済社)の200頁を参照してください。
 年休規定は,もっと会社主導にする内容に法改正すべきだが,現行法の解釈としては,労働者が強い権利をもっているはずだが,実務上は,労働者が権利を十分に行使していないため,結局,この規定のもつ問題点が顕在化せず,法改正も盛り上がらないという,非常に屈折した状況にあることを,みなさんには知ってもらいたいところです。
 なお,記事のなかに出ていた「有休を1年間取らなかった社員には,ボーナス時に4万~5万円の皆勤賞が出る」というのは,違法の疑いがあります。これは年休を取得した労働者には,皆勤賞を支払わないということですので,「使用者は,第三十九条第一項から第四項までの規定による有給休暇を取得した労働者に対して,賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない」という労働基準法136条に反する可能性があります(年休の規定は,39条ではなく,136条という飛び地にあって見落としやすいということは,LS生なら知っていますよね)。
 判例によると,この規定は,努力義務規定にすぎませんが,こうした取扱いをすれば,私法上,公序違反として無効となる可能性があります。この場合,4~5万円の額がポイントで,皆勤賞をもらいたいがゆえに,年休を取るのを諦めようと考える程度のものかどうかが重要です。その程度のもとなると,年休を取った労働者も皆勤賞をもらえる可能性があるのです。この点については,平成5年の沼津交通事件・最高裁判決が関連判決を参照してください(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第113事件)。

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2017年9月 2日 (土)

働き方改革の予期せぬ効果?

働き方改革によって労働時間が短くなることはもちろん労働法的には良いことです。時間外労働はあくまでも例外的なことであり、それが短い方が法の趣旨に合致したのものと言えるでしょう。
もっとも、これまで三六協定の締結が儀式化されていた理由の1つとして、労働者の方にも時間外労働に対する拒否感が少なくなかったのではないかということを指摘してきました。労働時間短縮による残業削減(残業代減少)に対する労働者側の複雑な反応を見ているとそれが証明されたともいえそうです。
もちろん賃金が下がらない時間短縮があれば、それが労働者にとってはベストなのですが、それは経営者にとってもそう簡単なことではないでしょう。生産性が維持できれば残業代が浮いたぶんを基本給に還元可能で、それで労働者のモチベーションも高まれば労使双方にとって理想です。しかし、もしそこで時間外労働があれば、残業代の時間あたりの額が上昇するので経営者としては大変になります。
こうみると働き方改革は機械の活用による省力化を促進し、作業効率化を進めるだけでなく、さらに雇用代替の広範な影響の到来をいっそう早めるかもしれません。これは政府が想定している効果でしょうか?

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2017年8月17日 (木)

転勤について思う

 今日の日本経済新聞の水野裕司上級論説委員の「望まぬ転勤減らす工夫を」は,労働法屋からみても,重要な論点が含まれています。最近,ようやく転勤への問題意識が高まってきているようです。記事の中にも出てくる,中央大学大学院戦略経営研究科の佐藤博樹さんやリクルートワークス研究所の大久保幸夫さんらが関心をもっておられ,転勤の効用を疑うエビデンスが出てきているようです。
 私も何度かこのブログでも書いたことがありますが,『雇用社会の25の疑問-労働法再入門』(弘文堂)は,2007年の初版のときから,「転勤を当然とする雇用社会の掟に疑問をもち,批判的な視線を投げかけていくという意識改革から,まずは初めていくしかない」と書いて,日本の転勤文化を問題視してきました(現在は,2010年刊の第2版の第3話の35頁)。私は大学院に入ってかなり早い段階から,日本の転勤法理に対して疑問をもっていたのですが,これはやはり海外留学の経験が大きかったです。上記の本でも書いていますが,イタリア人の感覚からすると,転勤は異常なことなのです。イタリアでは,法律(労働者憲章法)上も,転勤について制限があります(この点は,拙著『勤勉は美徳か』(光文社新書)80頁も参照)。
 裁判例のなかに,夫婦が同じ企業で働いているのに,夫を遠くに転勤させる命令を有効としたものがあります(帝国臓器製薬事件)。地裁判決か高裁判決か忘れましたが,この事件を,東大の労働判例研究会でどなたかが報告していたとき,どういうわけか有斐閣の方が傍聴に来ていたことがありました。私は原告敗訴の判決に反対の意見を述べた記憶があり,そのとき有斐閣の方が賛成をしてくださったことを覚えています。でも研究者の間では,反対論はなかったと思います。
 転勤は仕方ないよね,というのは,裁判官も含め法律家の常識になってしまっていたのかもしれません。出版社のような転勤がないところでは,私の考える健全な(?)感覚が残っていたのかもしれません(この有斐閣から出した本で言うと,拙著『労働の正義を考えよう-労働法判例からみえるもの』(有斐閣)の第14話でも,このテーマをしつこく論じています)。 
  ところで,水野氏の記事では,平成元年の東亜ペイント事件・最高裁判決について,「単身赴任になる会社の転勤命令について,家庭生活への影響は『通常甘受すべき程度のもの』とみなし,権利乱(ママ)用には当たらないとした」とあります。大きな間違いではないのですが,最高裁は,「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」という表現を使い,「著しく超える」という,いかにも簡単には不利益を認めないぞ,という姿勢を示しているところがポイントです。単身赴任はこれにあたらないと言い切っているわけではありません。単身赴任に大きな生活上の不利益が付着する場合には,やはり権利濫用となり得るのですが,それはめったなことでは認めないだろうというのが,この判決を理解するうえで重要な点です。
 しかし,より重要なのは,この判決は,業務上の必要性がない転勤は権利濫用だといいながら,この業務上の必要性を,非常に広く認めている点です。ここで書くのは大変なので,ぜひ拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第35事件の判旨Ⅲをみてほしいのですが,要するに,転勤で業務運営の円滑化になるといった必要性でもいいのです。これによって,たいした必要性もなく行われる転勤にも,最高裁のお墨付きが与えられてしまったのです。東亜ペイント事件・最高裁判決は,公式判例集である最高裁判所民事判例集(民集)に掲載されておらず,最高裁が重視していなかった判決ですが,その後の日本の雇用社会には甚大な影響を及ぼしたという,珍しい判決でした。
  今後もし意味のない転勤をやめていくという動きが広がると,ひょっとすると転勤をめぐる判例にも変化が起こるかもしれません。良い事案が出てきて,良い弁護士がうまく戦ってくれると,判例が変わるかもしれませんね。でもその前に,裁判官の転勤慣行が変わるなどして,裁判官の意識や社会通念が変わらなければなりません。転勤は,それを規律する法律上の規定はなく(例外は育児介護休業法26条),裁判官任せの権利濫用法理の解釈にゆだねられています。だから転勤に関する法的ルールを変えるためには,裁判官の意識改革が大切なのです。

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2017年8月14日 (月)

無期雇用派遣の増加

 12日の日本経済新聞の朝刊で,「人材派遣会社が相次ぎ派遣社員を無期雇用契約に切り替える」という記事が出ていました。派遣労働者の確保のためにも,積極的に無期雇用にして派遣労働者の待遇を改善しようということでしょう。労働契約法18条の無期転換のXデー(2018年4月以降)が迫るなかでの対応という面もあるのでしょう(これは派遣労働者に限ったことではなく,すべての有期雇用社員にあてはまります)。
 ところで,記事のなかで,「無期雇用契約への切り替え」をどういう意味で使っているのか紛らわしい部分がありました。「人材派遣分野では技術者派遣などを除き,大半の派遣社員が有期雇用だ。派遣社員を無期で直接雇用すると,派遣会社は派遣先企業が切り替わる際の待機時などに社員の給料を負担する必要が生じる可能性がある」という部分です。これを素直に読むと,派遣社員を無期で「直接雇用」することを,無期雇用契約への切り替えと呼んでいるようであり,そうなると話は全然違ってきます。人材派遣会社が派遣社員を無期で直接雇用するという言い方は,普通に考えれば,派遣社員を,人材派遣会社の正社員(自らは派遣されずに派遣社員を派遣する業務に従事する)にするということになるからです。
 これはこれで,特定有期雇用派遣労働者に対して定められている雇用安定化措置の一つ(労働者派遣法30条1項3号の「派遣労働者以外の労働者として期間を定めないで雇用することができるように雇用の機会を確保するとともに,その機会を特定有期雇用派遣労働者等に提供すること」)を想起させるもので,そういう転換があってもおかしくはないのですが,でも記事が伝えたかったことは,全体の文脈からすると,有期雇用派遣労働者を無期雇用派遣労働者に転換するということではないのでしょうか。もしそうなら,「直接雇用」という言葉はミスリーディングとなります。派遣労働者を派遣元で無期雇用にしたからといって,それはあくまで間接雇用です。
 ところで,言うまでもないことですが,無期雇用派遣と有期雇用派遣との区別については,派遣元での労働契約の期間の有無という違いだけでなく,2015年改正で新たに導入された派遣期間の規制(事業所単位の制限と個人単位の制限)について,有期雇用派遣には適用されるが,無期雇用派遣には適用されないという大きな違いがあります(労働者派遣法40条の2)。そこから浮かんでくるのは,派遣先にとっては,無期雇用派遣のほうが使い勝手がよいので,人材派遣会社に派遣社員を無期雇用にして派遣するよう要請があり,そのために無期雇用派遣が増えているという仮説です。この視点は記事にはありませんでした。ただ,人材派遣ビジネスが好調で,派遣先との間で人材派遣会社の交渉力がそれだけ上がっているということであれば,やはり人材確保が,無期雇用派遣の増加の背景になっていると考えるのが合理的なのかもしれませんね。

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2017年8月 1日 (火)

デジタライゼーションと労働法 

 昨日は,東京大学の荒木尚志先生が座長をされている「2017年度労働問題リサーチセンター研究プロジェクト」の第1回目に呼んでいただき,「デジタライゼーションと労働法」というテーマで講演をしてきました。今回のプロジェクトの課題が「第4次産業革命と労働法の課題」ということでしたので,拙著の『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)をベースに,これからの研究者が取り組んでいくべき政策課題について,東大系の若手を相手(参加者は,荒木先生以外は,基本的には若手研究者)に話をし,議論をしました。
 政策は多少悲観的な将来像をもって準備すべきだと考えているので,AIやロボットの技術的可能性がどこまでかを見極めること,新技術の社会実装のためには経営者の姿勢が重要で,現在は技術を十分に活用しきれていないので問題が顕在化していないが,これはときが来れば一挙に変わる可能性があるので,そういう事態も想定しておくべきこと,そして,ICTの発達もあわせ考えると,労働法が想定してきた生産のあり方やそこからくる労働者の従属性というものが根本的に変わるので,労働法は変容せざるを得ないこと,そのようななかで新たな時代に適した政策課題があり,とくにIC(自営的就労者)に関する政策課題が重要であることなどについて話してきました。
 私の報告のあと,参加メンバーがこのプロジェクトでどのような研究課題に取り組むかの報告がありました。私の印象としては,デジタライゼーションのもたらす問題点に着目した議論が多いように思えました。それはそれで重要で,しっかり取り組んでもらいたいのですが,大きなパラダイムシフトが進むなか,いかにして将来性のあるテーマを見つけ出せるかも重要だと思います。AIに代替されない研究者になるためには,知的創造性が必要だという喝を入れてきたつもりですが,どう受け止めてくれたでしょうか。
 日頃の判例研究会とは違い,AI時代の労働のあり方といった大きな話題についても議論ができました。荒木先生は,人々がかりに働く必要がない時代が到来しても,生きがいなど働くことの意義は残るのではないか,ということを強調されていました。それについては,私は,そう思う人もいるかもしれないが,そもそも働くことを前向きにとらえるのは,実は日本人がマインドコントロールされているのであり,そのマインドコントロールが解ければ,のんびりと過ごしたり,趣味に生きたりして,労働をしなくてもよい時代を楽しめるのではないか,という趣旨のことを述べました。
 これは上記拙著のエピローグでとりあげている内容とも関係しています。そのエピローグは,「人工知能の発達は,人間をして,種を残すために必要な行為(摂食と生殖)に専念できるようにする……。これが労働革命の行き着く先ならば,そんなに悪い話ではなかろう。」と結んでいます。研究会では,逆に,労働しないで,動物のように生きることで人間は我慢できるのだろうか,という問題提起もありました。
 まじめに生きている優秀な人たちは,何か働いていなければダメになるし,知的な活動をせず,生殖と摂食だけでは,動物並みへと堕落すると思ってしまうかもしれません。政府も,そういう堕落した人間が増えると困ると思うかもしれません。しかし,それもやはり,マインドコントロールなのではないでしょうか。
 ケインズは,労働をしなくてよくなると,退屈となり,それは平凡な人にとって恐ろしいことになると述べたのですが,南国で海をみながら日がな一日のんびりすごし,ただ,(アレントの分類を借用すると)ときどき天下国家を論じ(activity),ときどき制作活動をし(work),ときどき生きるための労働をする(labor),といった生き方は,まさに理想のように思えますが,いかがでしょうか。拙著の『勤勉は美徳か?-幸福に働き,生きるヒント 』(光文社新書)も参照してもらって,日本人の幸福な生き方,働き方について,みんなで考えてもらえればと思います。

  それはともく,若手俊英たちの知を結集した報告書がどのようなものになるのか,とても楽しみです。

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2017年7月28日 (金)

誰のための連合か

 今朝の日経新聞の1面に出ていた記事のタイトルです。このような疑問が出てくるのも当然かと思います。
 「工場労働が中心だった時代と違い,経済のソフト化・サービス化が進んだ現在は,労働時間で賃金を決められるよりも成果本位で評価してもらいたいと考える人も増えていよう。効率的に働けば労働時間を短くできるメリットも脱時間給にはある。そうしたホワイトカラーのことを連合は考えているのか。」
 この第1文はそのとおりです。第2文はちょっと疑問です。別に現行の労働時間制度は,効率的に働くことを抑止してはいないからです。ホワイトカラー・エグゼンプションのメリットで,労働時間短縮が進みうるというのは,必ずしも間違いではないのですが,聞いたほうに騙された感が残るので,そういう理由は私は言わないようにしています。
 ホワイトカラー・エグゼンプションが導入されると,むしろ労働時間は長くなってもおかしくありません。でもポイントはメリハリをつけることができるということです。そうした自己コントロールをすることを,現在の労働時間規制は阻害しているのです(厳密にいうと,変形労働時間制,フレックスタイム制,裁量労働制などを使えば少しはできないことはありませんが,法のつくりが原則の例外という形なので,要件が厳しく使いづらいというのが,ホワイトカラー・エグゼンプションの議論をするうえでのポイントです)。
 長時間労働には良いものと悪いものとがあります(拙著『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(中央経済社)のはしがきを参照)。たとえば大きな成果を生む仕事となれば,徹夜をしてでも仕上げたいことがあるでしょう。そこをしっかり区別して,そしてこれからの日本経済にとって必要なのは,働くときは長時間になっても頑張って成果を出す,休むときは大型にまとめて休む,といったメリハリのついた働き方をできる人材です。そうした人材がいないと決めつけて,パターナリスティックな労働時間規制を継続していれば,そのうち日本は世界の流れから大きく遅れることになるでしょう。高度プロフェッショナル制度に休息措置をいっそう強化する規定を入れるというのも,こうした観点から余計なことです。そういう半端なことではいけないのです。
 まずは労働時間規制を思い切って緩和してみましょう。もちろん,その対象となるべき人材は,業務の性質上,その遂行を労働者にまかせるのに適したものに限定されます。裁量労働制と類似ですが,裁量労働制のように,業務を法律で限定していく必要はなく,基本的には対象業務の範囲は,法令でガイドラインを作り,労使で合意をして特定するという方法で,できるだけ現場にまかせたほうがいいです。実際には,現時点でも対象者は少ないでしょうが,まずは受け皿を作ってみるべきなのです。そうすると,意外に,私の仕事はそれに該当するので,適用して欲しいという人が出てくるかもしれません。「残業代はいらないので,もっと思う存分仕事をさせてください。できれば成果に応じた賃金体系にしてください。もちろん,納得いく賃金がもらえないなら,転職させてもらいます」といえるような労働者が,ホワイトカラー・エグゼンプションの理想的な対象者です。そんな人がいないと決めつけてはいけませんし,またそんな人をもっと増やすことが必要なのです。
 ホワイトカラー・エグゼンプションは,大きな働き方改革の入口です。いや,その前の準備のようなものにすぎません。高度プロフェッショナル制度は,年収要件が高いなど,たいした規制緩和ではありません。この程度のものでも話が進まないようでは,困ったものです。

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