労働法・雇用政策

2017年8月14日 (月)

無期雇用派遣の増加

 12日の日本経済新聞の朝刊で,「人材派遣会社が相次ぎ派遣社員を無期雇用契約に切り替える」という記事が出ていました。派遣労働者の確保のためにも,積極的に無期雇用にして派遣労働者の待遇を改善しようということでしょう。労働契約法18条の無期転換のXデー(2018年4月以降)が迫るなかでの対応という面もあるのでしょう(これは派遣労働者に限ったことではなく,すべての有期雇用社員にあてはまります)。
 ところで,記事のなかで,「無期雇用契約への切り替え」をどういう意味で使っているのか紛らわしい部分がありました。「人材派遣分野では技術者派遣などを除き,大半の派遣社員が有期雇用だ。派遣社員を無期で直接雇用すると,派遣会社は派遣先企業が切り替わる際の待機時などに社員の給料を負担する必要が生じる可能性がある」という部分です。これを素直に読むと,派遣社員を無期で「直接雇用」することを,無期雇用契約への切り替えと呼んでいるようであり,そうなると話は全然違ってきます。人材派遣会社が派遣社員を無期で直接雇用するという言い方は,普通に考えれば,派遣社員を,人材派遣会社の正社員(自らは派遣されずに派遣社員を派遣する業務に従事する)にするということになるからです。
 これはこれで,特定有期雇用派遣労働者に対して定められている雇用安定化措置の一つ(労働者派遣法30条1項3号の「派遣労働者以外の労働者として期間を定めないで雇用することができるように雇用の機会を確保するとともに,その機会を特定有期雇用派遣労働者等に提供すること」)を想起させるもので,そういう転換があってもおかしくはないのですが,でも記事が伝えたかったことは,全体の文脈からすると,有期雇用派遣労働者を無期雇用派遣労働者に転換するということではないのでしょうか。もしそうなら,「直接雇用」という言葉はミスリーディングとなります。派遣労働者を派遣元で無期雇用にしたからといって,それはあくまで間接雇用です。
 ところで,言うまでもないことですが,無期雇用派遣と有期雇用派遣との区別については,派遣元での労働契約の期間の有無という違いだけでなく,2015年改正で新たに導入された派遣期間の規制(事業所単位の制限と個人単位の制限)について,有期雇用派遣には適用されるが,無期雇用派遣には適用されないという大きな違いがあります(労働者派遣法40条の2)。そこから浮かんでくるのは,派遣先にとっては,無期雇用派遣のほうが使い勝手がよいので,人材派遣会社に派遣社員を無期雇用にして派遣するよう要請があり,そのために無期雇用派遣が増えているという仮説です。この視点は記事にはありませんでした。ただ,人材派遣ビジネスが好調で,派遣先との間で人材派遣会社の交渉力がそれだけ上がっているということであれば,やはり人材確保が,無期雇用派遣の増加の背景になっていると考えるのが合理的なのかもしれませんね。

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2017年8月 1日 (火)

デジタライゼーションと労働法 

 昨日は,東京大学の荒木尚志先生が座長をされている「2017年度労働問題リサーチセンター研究プロジェクト」の第1回目に呼んでいただき,「デジタライゼーションと労働法」というテーマで講演をしてきました。今回のプロジェクトの課題が「第4次産業革命と労働法の課題」ということでしたので,拙著の『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)をベースに,これからの研究者が取り組んでいくべき政策課題について,東大系の若手を相手(参加者は,荒木先生以外は,基本的には若手研究者)に話をし,議論をしました。
 政策は多少悲観的な将来像をもって準備すべきだと考えているので,AIやロボットの技術的可能性がどこまでかを見極めること,新技術の社会実装のためには経営者の姿勢が重要で,現在は技術を十分に活用しきれていないので問題が顕在化していないが,これはときが来れば一挙に変わる可能性があるので,そういう事態も想定しておくべきこと,そして,ICTの発達もあわせ考えると,労働法が想定してきた生産のあり方やそこからくる労働者の従属性というものが根本的に変わるので,労働法は変容せざるを得ないこと,そのようななかで新たな時代に適した政策課題があり,とくにIC(自営的就労者)に関する政策課題が重要であることなどについて話してきました。
 私の報告のあと,参加メンバーがこのプロジェクトでどのような研究課題に取り組むかの報告がありました。私の印象としては,デジタライゼーションのもたらす問題点に着目した議論が多いように思えました。それはそれで重要で,しっかり取り組んでもらいたいのですが,大きなパラダイムシフトが進むなか,いかにして将来性のあるテーマを見つけ出せるかも重要だと思います。AIに代替されない研究者になるためには,知的創造性が必要だという喝を入れてきたつもりですが,どう受け止めてくれたでしょうか。
 日頃の判例研究会とは違い,AI時代の労働のあり方といった大きな話題についても議論ができました。荒木先生は,人々がかりに働く必要がない時代が到来しても,生きがいなど働くことの意義は残るのではないか,ということを強調されていました。それについては,私は,そう思う人もいるかもしれないが,そもそも働くことを前向きにとらえるのは,実は日本人がマインドコントロールされているのであり,そのマインドコントロールが解ければ,のんびりと過ごしたり,趣味に生きたりして,労働をしなくてもよい時代を楽しめるのではないか,という趣旨のことを述べました。
 これは上記拙著のエピローグでとりあげている内容とも関係しています。そのエピローグは,「人工知能の発達は,人間をして,種を残すために必要な行為(摂食と生殖)に専念できるようにする……。これが労働革命の行き着く先ならば,そんなに悪い話ではなかろう。」と結んでいます。研究会では,逆に,労働しないで,動物のように生きることで人間は我慢できるのだろうか,という問題提起もありました。
 まじめに生きている優秀な人たちは,何か働いていなければダメになるし,知的な活動をせず,生殖と摂食だけでは,動物並みへと堕落すると思ってしまうかもしれません。政府も,そういう堕落した人間が増えると困ると思うかもしれません。しかし,それもやはり,マインドコントロールなのではないでしょうか。
 ケインズは,労働をしなくてよくなると,退屈となり,それは平凡な人にとって恐ろしいことになると述べたのですが,南国で海をみながら日がな一日のんびりすごし,ただ,(アレントの分類を借用すると)ときどき天下国家を論じ(activity),ときどき制作活動をし(work),ときどき生きるための労働をする(labor),といった生き方は,まさに理想のように思えますが,いかがでしょうか。拙著の『勤勉は美徳か?-幸福に働き,生きるヒント 』(光文社新書)も参照してもらって,日本人の幸福な生き方,働き方について,みんなで考えてもらえればと思います。

  それはともく,若手俊英たちの知を結集した報告書がどのようなものになるのか,とても楽しみです。

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2017年7月28日 (金)

誰のための連合か

 今朝の日経新聞の1面に出ていた記事のタイトルです。このような疑問が出てくるのも当然かと思います。
 「工場労働が中心だった時代と違い,経済のソフト化・サービス化が進んだ現在は,労働時間で賃金を決められるよりも成果本位で評価してもらいたいと考える人も増えていよう。効率的に働けば労働時間を短くできるメリットも脱時間給にはある。そうしたホワイトカラーのことを連合は考えているのか。」
 この第1文はそのとおりです。第2文はちょっと疑問です。別に現行の労働時間制度は,効率的に働くことを抑止してはいないからです。ホワイトカラー・エグゼンプションのメリットで,労働時間短縮が進みうるというのは,必ずしも間違いではないのですが,聞いたほうに騙された感が残るので,そういう理由は私は言わないようにしています。
 ホワイトカラー・エグゼンプションが導入されると,むしろ労働時間は長くなってもおかしくありません。でもポイントはメリハリをつけることができるということです。そうした自己コントロールをすることを,現在の労働時間規制は阻害しているのです(厳密にいうと,変形労働時間制,フレックスタイム制,裁量労働制などを使えば少しはできないことはありませんが,法のつくりが原則の例外という形なので,要件が厳しく使いづらいというのが,ホワイトカラー・エグゼンプションの議論をするうえでのポイントです)。
 長時間労働には良いものと悪いものとがあります(拙著『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(中央経済社)のはしがきを参照)。たとえば大きな成果を生む仕事となれば,徹夜をしてでも仕上げたいことがあるでしょう。そこをしっかり区別して,そしてこれからの日本経済にとって必要なのは,働くときは長時間になっても頑張って成果を出す,休むときは大型にまとめて休む,といったメリハリのついた働き方をできる人材です。そうした人材がいないと決めつけて,パターナリスティックな労働時間規制を継続していれば,そのうち日本は世界の流れから大きく遅れることになるでしょう。高度プロフェッショナル制度に休息措置をいっそう強化する規定を入れるというのも,こうした観点から余計なことです。そういう半端なことではいけないのです。
 まずは労働時間規制を思い切って緩和してみましょう。もちろん,その対象となるべき人材は,業務の性質上,その遂行を労働者にまかせるのに適したものに限定されます。裁量労働制と類似ですが,裁量労働制のように,業務を法律で限定していく必要はなく,基本的には対象業務の範囲は,法令でガイドラインを作り,労使で合意をして特定するという方法で,できるだけ現場にまかせたほうがいいです。実際には,現時点でも対象者は少ないでしょうが,まずは受け皿を作ってみるべきなのです。そうすると,意外に,私の仕事はそれに該当するので,適用して欲しいという人が出てくるかもしれません。「残業代はいらないので,もっと思う存分仕事をさせてください。できれば成果に応じた賃金体系にしてください。もちろん,納得いく賃金がもらえないなら,転職させてもらいます」といえるような労働者が,ホワイトカラー・エグゼンプションの理想的な対象者です。そんな人がいないと決めつけてはいけませんし,またそんな人をもっと増やすことが必要なのです。
 ホワイトカラー・エグゼンプションは,大きな働き方改革の入口です。いや,その前の準備のようなものにすぎません。高度プロフェッショナル制度は,年収要件が高いなど,たいした規制緩和ではありません。この程度のものでも話が進まないようでは,困ったものです。

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2017年7月27日 (木)

最低賃金について考える

 今朝の日経新聞の社説で,最低賃金のことがとりあげられていました。そのなかで,次のような部分がありました。
 「ただ12年末に第2次安倍政権が発足してから,最低賃金の上げ幅は今年度を合わせ計100円近くになる。急激に最低賃金が上がることで中小企業の倒産が増える懸念もあるだろう。実際の引き上げ幅を決める各都道府県の地方最低賃金審議会は,地域経済の現状や地元企業への影響を十分に調べたうえで上げ幅を判断すべきだ。」
 最低賃金の決定方法には,普通の人にはわかりにくいところがあります。各都道府県で決定される地域別最低賃金は,誰が決めるのかというと,都道府県労働局長です。都道府県労働局長が,地方最低賃金審議会を開き,その意見を聞いてから決定します。ただ実際は,中央最低賃金審議会による目安の提示があり,それを受けて地方最低賃金審議会で額の答申をするので,地方の審議会の存在意義というのはあまりなさそうです。
 一方,法律では,こういう手続以外に,「地域別最低賃金の原則」というのが掲げられており(最低賃金法8条),そこに3つの原則が定められています(2012年改正で明記されました。改正前は,より一般的な「最低賃金の原則」という形で,次の第2の部分にほぼ相当するものが定められていました)。
 第1は,「賃金の低廉な労働者について,賃金の最低額を保障するため,地域別最低賃金は,あまねく全国各地域について決定されなければならない」。
 第2は,「地域別最低賃金は,地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」。
 第3は,「前項の労働者の生計費を考慮するに当たっては,労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう,生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」。
 第3は,生活保護との逆転現象を回避するために,2007年の法改正の際に追加されたものです。
 問題は,第2です。そこでは,「通常の事業の賃金支払能力」ということに言及されています。その意味は,2012年改正前から,「当該業種等において正常な経営をしていく場合に通常の事業に期待することのできる賃金経費の負担能力のことであって,個々の企業の支払能力のことではない。一般的にいえば,業種等の賃金支払能力を概括的に把握するためには,経済産業省『工業統計』等によって出荷額,付加価値額等を検討することによって可能である。」というのが,厚生労働省の解釈でした。
 つまり個別企業の支払能力を考慮して最低賃金の決定をする必要はないのですが,でも当該業種での一般的な支払能力は考慮されなければならないということです。したがって,上記社説で書かれているようなことは,法律上の要請ともいえますし,最低賃金引上げが中小企業の倒産を多発させるようなものであってはならないのは,言うまでもないことです。
 労働者の生活保障という論理だけから最低賃金を設定し,そうした賃金を払えないような企業は市場から退出すべきだというような議論を耳にすることはありますが,それは最低賃金法の想定していることではないのです。
 もちろん,これまでは,「通常の事業の賃金支払能力」は,最低賃金額を抑制するためのロジックに使われかねないことから,あまり重視すべきものではないとされていました。しかし,近年のような最低賃金引上げラッシュが続くと,この要素に注目したくもなります。
 もちろん,現実の最低賃金決定は,上述のように,中央の審議会の決めた目安に事実上しばられているのですが(中央のほうでは,この要素も考慮したうえで最低賃金額を設定してはいるでしょうが),ほんとうは地方の審議会の使用者委員は,中小企業の支払能力を考えて高すぎると思えばそう発言すべきなのだと思います。
 そもそも最低賃金の引上げ政策は,賛否両論あるところです。経済学者の間でも議論が分かれているようです。最低賃金の決定は,マスコミにもよくとりあげられるので,政府にとっては,懐を痛めずに,国民に「パン」と「サーカス」を提供できるという面があり,利用したくなるのでしょう。国民は,そんな簡単に懐柔されてたまるか,という気概をもちましょう。
 それでも賃金引上げ分が消費に回ればまだよいのでしょうが,最低賃金の影響を受けるのは基本的には非正社員であり,しかも最賃政策それ自体が将来のインフレをもたらしそうなので生活防衛の必要を彼ら・彼女らに感じさせるでしょうから,結局,賃金上昇の大部分が貯蓄に回ってしまう(これは経済的には合理的な行動ではないのですが),ということにならないでしょうか。

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2017年7月26日 (水)

連合の迷走?

 労働委員会の仕事などで,連合の関係者と会うことは多いので,あまり悪口を言うと怒られるかもしれませんが,高度プロフェッショナル制度をめぐって,連合はちょっとやらかしてしまいましたね。修正条件つきで承諾という報道に最初はびっくりしました。私は,そのうち活字になるはずの未来予測エッセイで,ホワイトカラー・エグゼンプションは実現しないと書いていたので,2017年に通ってしまえば書き直す必要があると思っていたのです(私のエッセイは,ホワイトカラー・エグゼンプションは通らなくても,そのうち自営的就労者が増えるので,問題はなくなるというオチなのですが)。でも,そうはなりそうにないですね。
 ほんとうは高度プロフェッショナル制度なんてものは導入してもほとんどインパクトがないので,それほど大騒ぎするようなものではありません。事の真相は,急速に弱った安倍政権を助けるようなことをするなというお叱りを連合のトップが受けたということでしょう。連合は,ここまで安倍政権が弱るとは思っていなかったのでしょうかね。民進党は,使える武器は最大限に使いたいところなので,高度プロフェッショナル制度を政府が導入しようとしたときも,徹底抗戦するつもりだったのでしょう。だから連合は余計なことをするなということです。
 もちろん私見は,いつも言っているように,高度プロフェッショナルはダメなものなので,もっと良いホワイトカラー・エグゼンプションを導入せよ,ということです。だから,安倍政権にも連合にも民進党にも反対なのです。正しい労働時間規制改革をしてほしい,というのは,このブログでもいつも述べていることですが,誰も耳を傾けてくれません(拙著『労働時間制度改革』(中央経済社)を参照)。
 ところで,今日のNHKのニュースでは,高度プロフェッショナル制度を,(私の記憶にまちがいがなければ)成果で給与を払う制度と説明していたと思います。脱時間給よりもマシかもしれませんが,これもおかしいです。これだと,連合が,成果型賃金の導入をめぐってもめているように聞こえてしまいます。聴衆は何でもめているんだろうと思わないでしょうか。日経新聞よりもはるかに影響力のあるNHKで,これでは困ります。なんで端的に割増賃金がなくなる制度と言わないのでしょうね。割増賃金が難しい言葉であれば,やや不正確ですが,残業代がなくなる制度と言えばいいのです。それを言うと,残業代ゼロとなってしまい,野党に加担することになってしまうから避けているのでしょうか。それなら,そこで一言注釈をつければいいだけです。残業代という制度はなくなるけれど,それは残業を観念しなくてよいような働き方をする人に導入するんだ,と言えばいいのです。それだけのことです。
 それにしても,これだけメディアが正確に報道できないというのは,よほどこれが難しいテーマなのでしょう。私にはマスコミの勉強不足という理由のほうが大きいと思いますが,これは上から目線の発言になってしまうのでしょうかね。

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2017年7月11日 (火)

日経新聞はホワイトカラー・エグゼンプションに関する記事を書かないほうがいい

 「脱時間給」という誤ったネーミングをつけて,それを改めようとしない日経新聞には困ったものです。今朝の記事によると,連合が,労基法改正案に含まれていた高度プロフェッショナル制度を修正条件付きで承認する方針にしたということのようですが,「脱時間給」という言葉で記事が書かれているので,これが労働基準法改正案41条の2の高度プロフェッショナル制度のことをいっているのかが,はっきりしませんでした。
 ご丁寧にも,「脱時間給」の用語解説までしていました。ホワイトカラー・エグゼンプションの言い換えとして使っているのですが,その定義は「労働時間でなく,仕事の成果に応じて賃金を決める仕組み」だそうです。ホワイトカラー・エグゼンプションって,賃金制度だったんだですかね。エグゼンプションっていうのは,ここでは適用除外のことで,労働時間関連規定の適用除外なのですが。どうして賃金制度の話になるのでしょうね。賃金が時間給の人は,ホワイトカラー・エグゼンプションを適用できないのでしょうか(実際にはそういう例はないでしょうが)。そんなことありませんよね。時間給の人に「脱時間給」が適用されることも理論的にはありえるのですが,そんなとき日経新聞はどう説明するのでしょうね。
 おかしな解説はまだありました。裁量労働制について,「裁量労働は仕事の配分を自分で決める点で脱時間給に似るが,労働時間で賃金水準が決まる」です。裁量労働制は労働時間で賃金水準が決まるというのは,意味不明です。裁量労働制は,成果型賃金に適合的な賃金制度のはずなのですが。時間で決まるというのは,基本給ではなく,時間外労働のところのことを指しているのでしょうか。たしかに,裁量労働制でも割増賃金はあります。ただ1日8時間とみなすことがほとんどなので,割増賃金は発生しません。たしかに,1日9時間と決めれば,1時間分の割増賃金は発生しますが,こういうところをとらえて労働時間で賃金水準が決まるというのは変です。また,裁量労働と高度プロフェッショナル制度が似ているのは,実労働時間に応じた労働時間規制(長さの規制,割増賃金の規制など)をしないというところがポイントなので,やはり上記の説明はずれています。労働法を知らない人が解説したことは明らかです。
 こういう怪しい記事を1面トップに載せるのはやめたほうがよいです。誰かチェックはしないのでしょうか。他の記事の信用性も疑われます。
 きちんとした記事を書けないのなら,事実だけ流してください。解説は不要です。AIのほうがもっとまともな解説を書くのではないでしょうかね。
 それで本論に入りますが,「高度プロフェッショナル制度」には,連合としては立場上(?)注文をつけざるをえないのでしょうが,現在の法案でさえ適用範囲が限定されすぎているので,これ以上の限定は不要です。健康確保も,それを本人にまかせてよいような人こそがエグゼンプションの対象とすべきなのです。やるべきなのは一般労働者に対する労働時間の規制強化による健康確保です(これは秋に少し実現しそうですが)。健康確保も,そのやり方は,エグゼンプションの対象者にふさわしい方法を考えるべきで,強制的に休ませるといったたぐいのことは,趣旨にあいません。
 ここはよく考えてほしいのです。私は,ホワイトカラー・エグゼンプションの適用範囲は,真にエグゼンプションにふさわしい自律的で創造的な働き方をしている人に限定すべきだと考えています。しかし,そうした限定をした以上,強制的な休息確保や健康確保は不要だと考えています。逆にいうと,健康確保や休息の強制をするのは,ホワイトカラー・エグゼンプションの適用対象者を,それにふさわしくない人にも広げているということを意味します。そちらのほうが,よほど問題なのです。
 これについては,ホワイトカラー・エグゼンプションの適用対象の範囲は,最初は限定していても,必ず広がると決めつけている人もいます。労働者派遣の解禁業務だってそうだったということを必ず言う人がいます。でも,私見では,ホワイトカラー・エグゼンプションの適用対象者の範囲は,法令で一般的な基準を作り(その際に連合も関与できます),個々の事業場で労使で具体的な適用対象者を決定し(ここでも過半数組合を組織していれば連合は直接的に関与できます),さらに本人の同意も必要という三段階のチェックをすべきだと考えています。それでもなお不安というのなら,それは労働組合が自分たちは抵抗能力がなく無能であるということを公言するようなものです。
 ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か。それは新たな知的創造的な働き方が重要となる時代がくるときにそなえて,それに適合的な制度的受け皿を,現在の裁量労働制や管理監督者制のかかえる問題を発展的に解消して,新たに設けるというものです。具体的な制度設計は,この趣旨に適合的なものとして一貫したものにする必要があり,政治的な取引材料にしてはなりません。
 こうなると,厚生労働省は,行司役になるのではなく,何が正しい政策かを真剣に考えて,しっかりリードしてもらいたいものです。それは具体的には労政審の場での仕事になるのですが,労政審にそれができるでしょうか。期待と不安をもって見守りたいところです。
 労働時間制度をどう考えるべきかについては,拙著『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(2015年,中央経済社)で詳しく論じているので,ぜひ参照してください。

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2017年7月 4日 (火)

フリーランス

 昨日の日本経済新聞の夕刊に少しだけ登場しました。フリーランスに関する政策についてのメールインタビューです。フリーランス協会の方が,昨年,私が経済産業省の「雇われない働き方」に関する研究会で行ったプレゼンを聞いておられ,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)も読まれたようで,その後,私にコンタクトしてこられました。先月には,東京に行ったついでに,意見交換もしました。そうしたことから,今回も協会から日経の記者に私が紹介され,今回の取材となりました。
 今回のインタビューで私が気をつけてほしいと注文をつけたのは,フリーランスにも労働法上の保護を,ということではいけない,ということです(以前に別のインタビュー記事で,私の発言のなかに「保護」という言葉を勝手に使われたので,このブログで釈明したことがありました)。労働法上の保護を及ぼすべきようなフリーランスもいます(その多くは偽装自営業者)が,それとフリーランス協会がおそらく想定しているであろうフリーランスとは違います。
 もちろん,自営であっても特定の取引先との経済的依存関係がある場合(準従属労働者のケース)もあって,そうした者に対する法政策を考えていくことも,もちろん必要です。しかし,より理論的にも難しく,かつ重要なのは,従属性がない自営業者に対する政策です。従属性がない以上,労働法と同じような形の保護はおかしいし,そこで保護を認めようとすると,自由と保護のいいとこ取りだという批判が当然出てきます。自営業者に必要なのは,従属労働者としての保護ではなく,経済的自立のためのサポートなのであり,そのサポートの内容は,労働者への保護とは違うものでなければなりません(詳細は,上記の拙著の第7章を参照してください)。たかが言葉の問題かもしれませんが,保護という言葉をフリーランスに使うと,フリーランスに対する政策への反発が強まり,うまくいかなくなるおそれがあります。政策を進めるためには,表現にも注意を払って,十分な戦略をもって進める必要があると考えています。経済産業省が担当役所でしょうが,くれぐれも功を焦らないようにお願いしたいものです。

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2017年6月25日 (日)

定年制廃止?

 6月23日の日本経済新聞の経済教室で,早稲田大学の谷内満教授という方が,定年制の廃止に言及していました。労働力人口の減少のなか,高齢者就労の増加が必要で,そのためには定年制を廃止する必要があるという議論です(それ自体はとくに珍しいものではありません)。論考のなかでは,定年制を廃止すると,年功型賃金が修正されて,労働力の流動性が高まるとし,また,厳しい解雇法制を残したまま,定年制のもつ雇用終了機能のみ廃止するのは問題なので,解雇の金銭解決を導入する必要があり,そして解雇規制が緩和されると非正規雇用問題も解消していくという結びになっています。限られた字数で,印象的なトピックを並べたという感じなので,その相互がどうつながるかは,よく考えなければ理解しづらいかもしれません。
 ところで定年制廃止は,具体的には,どういう規制となるのでしょうか。現行法では,高年齢者雇用安定法によって,定年制が合法であることを前提に定年年齢は60歳以上でなければならないという規制のみなされています。また,この定年(年齢)規制に加えて,65歳までの高年齢者雇用確保措置を事業主に義務づけており(年齢は経過措置あり),高年齢者雇用確保措置のオプションの一つに定年制廃止もあります(他のオプションは,定年引上げと継続雇用制度)。多くの企業は,定年制廃止ではなく,継続雇用制度を導入し,なかでも再雇用という制度を導入しています。そして,この年齢を70歳までに引き上げようという議論もされています。高年齢者雇用確保措置を70歳まで義務づけたとすると,実際上は定年制がない状況に近づいていきます。多少,法律を知っている人ならば,高年齢者の就労促進を考えるならば,定年制廃止ではなく,高年齢者雇用確保措置の対象年齢を引き上げるということをまず考えるでしょう。前述のように,高年齢者雇用確保措置の一つに定年制廃止も含まれいるのです。定年制廃止論に対しては,再雇用などの方法で高齢者を就労させることではいけないというメッセージになりそうな懸念も出てきそうです。
 ところで,谷内氏は,70歳までの雇用を義務づけるのは企業の負担が重いとし,そのため,労働市場の弾力化をしなければならないとします。定年制を廃止して,年功賃金がなくなれば,長期雇用へのインセンティブがなくなり,労働市場が弾力的となるということです。
 ここで私は,一瞬,谷内氏が,どのような方法で高齢者の就労を促進しようとしているのかわからなくなりました。定年制の廃止論というのは,本来,同じ会社での継続就労をするためのものだからです。ところが,谷内氏は,それは企業の重荷となるので,労働市場の流動化で対処しろと言い,それは要するに別の企業で雇用継続を進めたらいいということのようです。これを私なりに理解すると,人材のミスマッチが労働市場で起こっているはずなので,どこかに高齢者労働の需要があるはずだし,またそうした需要を生むためには,現在過剰に解雇から守られている相対的に若い層の雇用を弾力化するため解雇規制を緩和する必要がある,そして他社に移籍した能力ある高齢者がいつまでも働き続けるようにするためには定年制がないほうがよい,こういうロジックなのかもしれません。
 ただ,企業は,高年齢者雇用安定法の改正で,高年齢者を活用する人事システムに関わりつつあります。さらに労働力人口の減少のなか,いかにして人材を集めるかが重要となるので(とくに中小企業),優秀な人材を定年だから放出するという行動をとる余裕はないでしょう。だとすると,定年制廃止を政策的に進める必要はないともいえそうです。よけいな政策的介入をしなくても,現存の高年齢者雇用安定法の慎重な規制手法で十分ではないでしょうか(企業の利益,労働者の利益を調整しながら,年金の支給開始年齢の引き上げにも対応しています)。
 むしろ高齢者就労をめぐる現在の最大の問題は,高年齢者雇用安定法の高年齢者雇用確保措置の趣旨が拡大解釈され,たとえば再雇用後の処遇の低下について,労働法のほうから厳しい規制をかけようとしていることです。たとえば仕事を変えて,賃金が大幅に低下するような形での雇用継続であれば,実質的に高年齢者雇用確保措置をしたことにならないという議論があります。他方で,同じ仕事をさせていれば,同一労働同一賃金にせよという議論もあります。
 後者については,ガイドラインでは,定年後の高齢者はひとまず対象外としていますが,今後,最高裁の判断も出てきそうなので,その結果次第では,大きな争点となる可能性もあります。長澤運輸事件における地裁と高裁の対立は,エコノミストの方も耳にしたことがあると思いますが,同じ労働契約法20条を適用していても,解釈がまったく異なっているので,最高裁の判断が待たれているのです。これまでは,定年でいったん退職し再雇用されたときは,労働契約はリセットされるので,従来と同じ労働条件を保障する必要はないという原則論(契約の自由論)が比較的強かったのですが,正社員と非正社員との格差是正という観点から,この原則論がどこまで修正されるかが原理的に重要な問題となっています(格差が,定年後の嘱託社員と定年前の一般正社員との間でも問題とされるべきかという論点です)。
 定年後の処遇はやっぱりそれまでとは違うよね,という常識が通じなくなりつつあります。定年制がなくなると,いっそう処遇格差は難しくなるでしょう。たしかに谷内氏が予想するように年功型賃金は徐々になくなるしょうし,そうなると成果型処遇が貫徹されるようになり,格差問題は基本的には解決されていくかもしれません。これは理想的な形かもしれませんが,そのとき,高齢者の就労可能性がほんとうに高まるかどうか。新しい技術の発達のなかでの,高齢者の転職力(employability)が問われることになります。AI時代の到来は,高齢者に必ず有利となるわけではありません。
 定年廃止論は,アメリカのADEA(年齢差別禁止法)が40歳以上の定年を禁止していることを参考にした議論が10年以上前に流行しました。私は,定年制は日本の雇用システムの本質にかかわることなので,高齢者雇用促進という観点だけから論じることには慎重であるべきだという論考を書いていますので,ご関心がある方はどうぞ(『雇用社会の25の疑問-労働法最入門-(第2版)』(2010年,弘文堂)の第19話「定年制は,年齢による差別といえるであろうか。」)。

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2017年6月15日 (木)

小嶌典明「労働組合法を越えて」を読み直す

 私が研究者として駆け出しだったころ,学界で最も独創的な研究成果を発表されていたのは,小嶌典明さんでした。とくに憲法28条をめぐる解釈に正面からとりくんだ二つの業績は,いまなお輝いているように思います。一つは,日本労働研究雑誌333号の「労使自治とその法理」(1987年)です。この論文は,多数決主義の観点から,複数組合主義に疑問を提起したもので,今日でも,なおこの論点はまだ解決しているわけではありません(たとえば奥野寿「少数組合の団体交渉権について」日本労働研究雑誌573号(2008年)も参照)。これについては,私は小嶌説には反対の立場で,小嶌説は,アメリカンな香りが強い論文かなという印象をもっていました。
 もう一つが同雑誌の391号の「労働組合法を越えて」(1992年)です。当時,この論文が出たときに大きな衝撃を受けたことを覚えています。
 この論文は一体何だ???,という感じでした。最後の結論は,「憲法28条はプログラム規定だ」ということで,憲法28条の団結権から,さまざまな労働組合の法的権利を導き出そうとしてきたプロレイバー的労働法学にとって,その言い方は気にくわなかったことでしょう。しかも従属労働者の権利の牙城である憲法28条が,事業主も享有主体となるとはありえない!,ということだったでしょう。
 小嶌さんの主張の骨格は,簡単にいうと,憲法28条の「勤労者」概念を見直そうよ,ということでした。戦後の農業協同組合法,中小企業等協同組合法などの立法における団体協約規定,さらに,団体交渉規定を確認しながら,「経済上の弱者がその取引において実質的平等の立場を確保するために団体交渉という方法がとられている」という立法の流れを確認し,憲法28条は,典型的な労働者以外にも,農民,漁民,中小企業者なども視野に入れて,団体交渉法制を立法化していくという壮大なプログラムをもつ規定だったのだと指摘しているのです。論文の最後は,「憲法28条がかりにプログラム規定にとどまるにしても,その少なきを補って余りある夢とロマンが,このプログラムにはある。筆者はそう信じてやまない。」で結んであります。そのとおりです。ロマンある解釈です。
 そして,このロマンを,私も含めほとんどすべての労働法研究者は共有していなかったところに問題がありました。ところが,いまこのロマンある解釈は,再び表舞台に立とうとしています(というか,そういう議論をしたいと思っています)。
 いま,フリーランスの団結,インディペンデント・コントラクターの団体は,法的にどう扱われるか,という問題が浮上しています。2011年4月12日の最高裁2判決(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第138事件を参照)が,個人業務委託契約のような類型の就労者を労働組合法上の労働者と認めたことから(もともとその解釈には無理はありませんでしたが,高裁が違う判断をしていたのです),経済的に弱者である事業者の団結を,どう理論的に位置づけるべきかへの関心が高まってきました。労働法サイドでは,労働者概念の話ですが,独禁法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)サイドからは,事業者概念の話になります(荒木尚志「労働組合法上の労働者と独占禁止法上の事業者-労働法と経済法の交錯問題に関する一考察」菅野和夫他編『労働法が目指すべきもの』(2011年,信山社)も参照)。
 ところで,アメリカの労働法の歴史をみると,反トラスト法(独禁法)の歴史(シャーマン法,クレイトン法)と労働組合とは密接な関係があったのですが,少なくとも日本法では,憲法28条により,労働組合は承認されている(と解されている)ので,独禁法の問題は出てこないし,出てきたとしても,いわば合憲的例外とする解釈が可能だと思っています。では,協同組合はどうなのか,です。小嶌説をベースにすると,同様に合憲的例外論によることができます。そもそも,たとえば中小企業協同組合は団体協約を締結することができ,相手方は誠意をもって交渉に応じなければならないので(9条の2),まさに労働組合と同じような扱いです。小嶌論文は,憲法次元では労働組合と協同組合の違いはないとみているのです。同論文では,独禁法との関係は正面からは扱われていませんが,交渉力格差の是正による実質的平等の実現ということでいえば,自営業者の団結を独禁法の例外とすることは憲法によって根拠づけられるという論法は十分に立ちそうです。
 もっとも独禁法のほうでは,労働者は事業者ではないというところで,整理がついているようです(前述のように適用除外規定の存在の説明は難しいのですが)。ただ,現実には,労働者か事業者かが明確でなくなってきており,2011年の2判決もそういう事例でした(楽団のオペラ歌手,カスタマーエンジニア)。そうなると,この二分法で白黒を無理矢理決するのではなく,より実質的にみて,独禁法の例外とすべき(広義の)勤労者の団結とはどういうものかを正面から論じる必要があるように思います。そのとき,あくまで競争法のロジックに則って,競争を制限しない,あるいは競争を促進するということから例外扱いとするのか,それとも交渉力の弱い者は例外的にカルテルを認めるという保護法的発想で対処するのかは,理論的に大きく異なるところです。小嶌説だと後者になりそうですが,競争法学者はどういうでしょうか。こうみると,これは独禁法の問題ではありますが,労働法学が乗り出して議論すべきテーマにも思えます。
 最近,労働組合法の研究者は激減していますが,私はまだまだやることがあると考えていて,院生にこのテーマで研究しないかと呼びかけているところです。「文献研究」をし,昔の優れた論文を見つけ出し,新たなインスピレーションを得るということの重要性を,若い研究者にはぜひ再確認してもらいたいです。

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2017年6月14日 (水)

厚生労働省の報告書を読み,日経の社説を読み,金銭解決を考える

 厚生労働省が先月出した「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」報告書を読んでみました。とくに後半の解雇の金銭解決をめぐっては,肝心のところは,対立する意見がそのまま掲載されていて,議論が難航し,統一的な方向性をなかなか打ち出しにくかったことがうかがえます。とりまとめは大変だったでしょうね(座長の荒木先生,ご苦労様でした)。委員のメンバーの数が多く,これだけの人が集まれば,仕方ないところでしょう。ということは,こういうメンバー体制で検討すること自体に問題があったのかもしれません(あるいは暗礁に乗り上げることを見こしていたのでしょうか?)。
 報告書の内容をみてみると,実は出発点で自分の手を縛っていることがわかります。検討事項は,「解雇無効時における金銭救済制度の在り方(雇用終了の原因,補償金の性質・水準等)とその必要性」でした。不当解雇を無効とするという出発点を固定してしまうと,手続的な問題をはじめ,細かい法技術論に入り込んでいきます。本報告書では,そのような論点にもかなり紙幅が割かれています。この出発点は動かせなかったのでしょうね(もともとは,この検討会は,「「日本再興戦略」改訂2015」の指示で始まったもので,政府の縛りが強かったことがうかがえます)。したがって,いわゆる事後型の規制にしたときにどういう設計が可能かのシミュレーション作業がメインとなり,これならば法律家中心に若干の実務家を入れてやればよかったのかもしれません(訴訟手続,バックペイ,労働契約終了時などは,法律家が好みそうな論点ですが,その他の分野の人にとっては退屈ではなかったでしょうか)。
 本報告書では,労働者申立てだけでなく,使用者申立ての可能性についても一応検討されています。一つ気になったのは,意見の一つとして出ていたもので,それは差別的解雇のような場合には,労働者申立ても本来認めるべきではない(法規範的にどう正当化するは非常に重要な問題である)という指摘です。ただ,これをいうと,差別的解雇をするような会社にこそいたくないと考えている労働者もいるでしょうから,結局,自らの意思による辞職となって,金銭的な代償を得られなくなる(自力で交渉して得るしかない)ので,かえって酷な結果にならないかという懸念が残ります。 
 報告書で興味深いのは,制度設計の議論をしたうえで,最後に前提となる「解雇無効時における金銭救済制度の必要性」を論じている点です(論理的には順番は逆ですよね。必要性がないという結論になれば,制度設計の部分は議論する必要はないので)。報告書では,この「必要性」について,「解雇紛争についての労働者の多様な選択肢の確保等の観点からは一定程度認められ得る」として,慎重ながらも積極説に立っていることに注目したいです(最後の1段落では,消極派の意見をとりあげて,これも十分に考慮することが適当であると結んでいますが,これは消極派の顔を立てた「リップサービス」だと私はみています。ただ,消極派のいう労使の合意の重要性については,私も否定しませんが)。この表現のなかに,使用者申立ての可能性を含んでいるのかはよくわかりませんが,個人的には,いつも書いているように,使用者申立てがなければ意味がないと思っています。
 ところで6月4日の日本経済新聞の社説は,「解雇の金銭解決制度は必要だ」と述べ,金銭解決の応援団として登場してきたのですが,その内容がちょっと悩ましいところです。悩ましいというのは,社説では,労働者申立ての金銭解決を,不当解雇で困っている労働者を助けて,再出発を促すものとして評価する視点を前面に出しているからです。
 労働者申立てを認めるというのは,不当解雇のときに,労働者のほうが,解雇無効(原職復帰)か,金銭補償を選択できるということです。企業としては,解雇をした労働者が解雇無効を主張してくるか,金銭解決をしてくるか予想がつきません。解雇により信頼関係が破壊されているときでも,なお労働者が解雇無効を求めてくる可能性があります。そうなると結局は金銭解決に向けた交渉となり,そのコストは大きなものとなるので,企業は必要以上に解雇回避的に行動するでしょう。また法律で補償額を高く設定すると,労働者は金銭補償を選択してくる可能性が高くなりますが,それだとやはり,企業のほうが容易には解雇をせず,人材を抱え込むようになるでしょう。どっちにしても解雇が起こりにくくなります。もちろん,それでいいのだという見解はたくさんあるでしょうが,日経新聞の社説はそういう立場ではないと思います。報告書は労働者の選択肢が増えればいいというスタンスですが,日経新聞もほんとうにそれと同じでしょうか。
 解雇の金銭解決をみるときの重要な視点の一つは,第4次産業革命をにらんで今後の労働市場の大改革が進むなか(もちろん労働力人口の減少という問題が背景にあります),人材が衰退部門で滞留することを防がなければならないということなのです(この視点は,以前にWedgeで書いたことがありますし,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)の第5章も参照してください)。そのためには,ある人材を抱え込むか,それとも別の仕事で再出発してもらうかは,企業のほうで判断できるようにしなければならないのです。もちろん解雇された労働者の再出発は大変なので,政府の雇用流動型政策のいっそうの推進は必要ですし,企業の支払う金銭補償も十分なものとしなければなりません。その意味で,金銭解決は,企業にも痛みを負担してもらう制度としなければなりません。ただ,労働者の選択肢の多様化については,制度導入のメリットの一つではあり,世間を説得するうえでの論拠とはなりますが,そこを軸として制度を考えていく,この制度が本来もつべき本質的なメリットを発揮できなくなるおそれがあります(もちろん差別的解雇のような場合には,使用者申立てはダメで,労働者申立てのみ認めるべきというように,解雇のタイプにあった細かい議論をする必要はあります)。
 労働者申立てしか認めないという制度(労働者選択制)と,使用者申立ても認めるという制度(不要と判断した人材には,たとえ解雇が不当とされても,しかるべき金銭補償をしたうえでやめてもらえるようにする制度)とでは,金銭解決の意味はまったく異なるのです。ほんとうは,ここから先の議論があるのですが,それは私たちの研究成果の発表を待っていてください。

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