労働法・雇用政策

2017年6月25日 (日)

定年制廃止?

 6月23日の日本経済新聞の経済教室で,早稲田大学の谷内満教授という方が,定年制の廃止に言及していました。労働力人口の減少のなか,高齢者就労の増加が必要で,そのためには定年制を廃止する必要があるという議論です(それ自体はとくに珍しいものではありません)。論考のなかでは,定年制を廃止すると,年功型賃金が修正されて,労働力の流動性が高まるとし,また,厳しい解雇法制を残したまま,定年制のもつ雇用終了機能のみ廃止するのは問題なので,解雇の金銭解決を導入する必要があり,そして解雇規制が緩和されると非正規雇用問題も解消していくという結びになっています。限られた字数で,印象的なトピックを並べたという感じなので,その相互がどうつながるかは,よく考えなければ理解しづらいかもしれません。
 ところで定年制廃止は,具体的には,どういう規制となるのでしょうか。現行法では,高年齢者雇用安定法によって,定年制が合法であることを前提に定年年齢は60歳以上でなければならないという規制のみなされています。また,この定年(年齢)規制に加えて,65歳までの高年齢者雇用確保措置を事業主に義務づけており(年齢は経過措置あり),高年齢者雇用確保措置のオプションの一つに定年制廃止もあります(他のオプションは,定年引上げと継続雇用制度)。多くの企業は,定年制廃止ではなく,継続雇用制度を導入し,なかでも再雇用という制度を導入しています。そして,この年齢を70歳までに引き上げようという議論もされています。高年齢者雇用確保措置を70歳まで義務づけたとすると,実際上は定年制がない状況に近づいていきます。多少,法律を知っている人ならば,高年齢者の就労促進を考えるならば,定年制廃止ではなく,高年齢者雇用確保措置の対象年齢を引き上げるということをまず考えるでしょう。前述のように,高年齢者雇用確保措置の一つに定年制廃止も含まれいるのです。定年制廃止論に対しては,再雇用などの方法で高齢者を就労させることではいけないというメッセージになりそうな懸念も出てきそうです。
 ところで,谷内氏は,70歳までの雇用を義務づけるのは企業の負担が重いとし,そのため,労働市場の弾力化をしなければならないとします。定年制を廃止して,年功賃金がなくなれば,長期雇用へのインセンティブがなくなり,労働市場が弾力的となるということです。
 ここで私は,一瞬,谷内氏が,どのような方法で高齢者の就労を促進しようとしているのかわからなくなりました。定年制の廃止論というのは,本来,同じ会社での継続就労をするためのものだからです。ところが,谷内氏は,それは企業の重荷となるので,労働市場の流動化で対処しろと言い,それは要するに別の企業で雇用継続を進めたらいいということのようです。これを私なりに理解すると,人材のミスマッチが労働市場で起こっているはずなので,どこかに高齢者労働の需要があるはずだし,またそうした需要を生むためには,現在過剰に解雇から守られている相対的に若い層の雇用を弾力化するため解雇規制を緩和する必要がある,そして他社に移籍した能力ある高齢者がいつまでも働き続けるようにするためには定年制がないほうがよい,こういうロジックなのかもしれません。
 ただ,企業は,高年齢者雇用安定法の改正で,高年齢者を活用する人事システムに関わりつつあります。さらに労働力人口の減少のなか,いかにして人材を集めるかが重要となるので(とくに中小企業),優秀な人材を定年だから放出するという行動をとる余裕はないでしょう。だとすると,定年制廃止を政策的に進める必要はないともいえそうです。よけいな政策的介入をしなくても,現存の高年齢者雇用安定法の慎重な規制手法で十分ではないでしょうか(企業の利益,労働者の利益を調整しながら,年金の支給開始年齢の引き上げにも対応しています)。
 むしろ高齢者就労をめぐる現在の最大の問題は,高年齢者雇用安定法の高年齢者雇用確保措置の趣旨が拡大解釈され,たとえば再雇用後の処遇の低下について,労働法のほうから厳しい規制をかけようとしていることです。たとえば仕事を変えて,賃金が大幅に低下するような形での雇用継続であれば,実質的に高年齢者雇用確保措置をしたことにならないという議論があります。他方で,同じ仕事をさせていれば,同一労働同一賃金にせよという議論もあります。
 後者については,ガイドラインでは,定年後の高齢者はひとまず対象外としていますが,今後,最高裁の判断も出てきそうなので,その結果次第では,大きな争点となる可能性もあります。長澤運輸事件における地裁と高裁の対立は,エコノミストの方も耳にしたことがあると思いますが,同じ労働契約法20条を適用していても,解釈がまったく異なっているので,最高裁の判断が待たれているのです。これまでは,定年でいったん退職し再雇用されたときは,労働契約はリセットされるので,従来と同じ労働条件を保障する必要はないという原則論(契約の自由論)が比較的強かったのですが,正社員と非正社員との格差是正という観点から,この原則論がどこまで修正されるかが原理的に重要な問題となっています(格差が,定年後の嘱託社員と定年前の一般正社員との間でも問題とされるべきかという論点です)。
 定年後の処遇はやっぱりそれまでとは違うよね,という常識が通じなくなりつつあります。定年制がなくなると,いっそう処遇格差は難しくなるでしょう。たしかに谷内氏が予想するように年功型賃金は徐々になくなるしょうし,そうなると成果型処遇が貫徹されるようになり,格差問題は基本的には解決されていくかもしれません。これは理想的な形かもしれませんが,そのとき,高齢者の就労可能性がほんとうに高まるかどうか。新しい技術の発達のなかでの,高齢者の転職力(employability)が問われることになります。AI時代の到来は,高齢者に必ず有利となるわけではありません。
 定年廃止論は,アメリカのADEA(年齢差別禁止法)が40歳以上の定年を禁止していることを参考にした議論が10年以上前に流行しました。私は,定年制は日本の雇用システムの本質にかかわることなので,高齢者雇用促進という観点だけから論じることには慎重であるべきだという論考を書いていますので,ご関心がある方はどうぞ(『雇用社会の25の疑問-労働法最入門-(第2版)』(2010年,弘文堂)の第19話「定年制は,年齢による差別といえるであろうか。」)。

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2017年6月15日 (木)

小嶌典明「労働組合法を越えて」を読み直す

 私が研究者として駆け出しだったころ,学界で最も独創的な研究成果を発表されていたのは,小嶌典明さんでした。とくに憲法28条をめぐる解釈に正面からとりくんだ二つの業績は,いまなお輝いているように思います。一つは,日本労働研究雑誌333号の「労使自治とその法理」(1987年)です。この論文は,多数決主義の観点から,複数組合主義に疑問を提起したもので,今日でも,なおこの論点はまだ解決しているわけではありません(たとえば奥野寿「少数組合の団体交渉権について」日本労働研究雑誌573号(2008年)も参照)。これについては,私は小嶌説には反対の立場で,小嶌説は,アメリカンな香りが強い論文かなという印象をもっていました。
 もう一つが同雑誌の391号の「労働組合法を越えて」(1992年)です。当時,この論文が出たときに大きな衝撃を受けたことを覚えています。
 この論文は一体何だ???,という感じでした。最後の結論は,「憲法28条はプログラム規定だ」ということで,憲法28条の団結権から,さまざまな労働組合の法的権利を導き出そうとしてきたプロレイバー的労働法学にとって,その言い方は気にくわなかったことでしょう。しかも従属労働者の権利の牙城である憲法28条が,事業主も享有主体となるとはありえない!,ということだったでしょう。
 小嶌さんの主張の骨格は,簡単にいうと,憲法28条の「勤労者」概念を見直そうよ,ということでした。戦後の農業協同組合法,中小企業等協同組合法などの立法における団体協約規定,さらに,団体交渉規定を確認しながら,「経済上の弱者がその取引において実質的平等の立場を確保するために団体交渉という方法がとられている」という立法の流れを確認し,憲法28条は,典型的な労働者以外にも,農民,漁民,中小企業者なども視野に入れて,団体交渉法制を立法化していくという壮大なプログラムをもつ規定だったのだと指摘しているのです。論文の最後は,「憲法28条がかりにプログラム規定にとどまるにしても,その少なきを補って余りある夢とロマンが,このプログラムにはある。筆者はそう信じてやまない。」で結んであります。そのとおりです。ロマンある解釈です。
 そして,このロマンを,私も含めほとんどすべての労働法研究者は共有していなかったところに問題がありました。ところが,いまこのロマンある解釈は,再び表舞台に立とうとしています(というか,そういう議論をしたいと思っています)。
 いま,フリーランスの団結,インディペンデント・コントラクターの団体は,法的にどう扱われるか,という問題が浮上しています。2011年4月12日の最高裁2判決(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第138事件を参照)が,個人業務委託契約のような類型の就労者を労働組合法上の労働者と認めたことから(もともとその解釈には無理はありませんでしたが,高裁が違う判断をしていたのです),経済的に弱者である事業者の団結を,どう理論的に位置づけるべきかへの関心が高まってきました。労働法サイドでは,労働者概念の話ですが,独禁法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)サイドからは,事業者概念の話になります(荒木尚志「労働組合法上の労働者と独占禁止法上の事業者-労働法と経済法の交錯問題に関する一考察」菅野和夫他編『労働法が目指すべきもの』(2011年,信山社)も参照)。
 ところで,アメリカの労働法の歴史をみると,反トラスト法(独禁法)の歴史(シャーマン法,クレイトン法)と労働組合とは密接な関係があったのですが,少なくとも日本法では,憲法28条により,労働組合は承認されている(と解されている)ので,独禁法の問題は出てこないし,出てきたとしても,いわば合憲的例外とする解釈が可能だと思っています。では,協同組合はどうなのか,です。小嶌説をベースにすると,同様に合憲的例外論によることができます。そもそも,たとえば中小企業協同組合は団体協約を締結することができ,相手方は誠意をもって交渉に応じなければならないので(9条の2),まさに労働組合と同じような扱いです。小嶌論文は,憲法次元では労働組合と協同組合の違いはないとみているのです。同論文では,独禁法との関係は正面からは扱われていませんが,交渉力格差の是正による実質的平等の実現ということでいえば,自営業者の団結を独禁法の例外とすることは憲法によって根拠づけられるという論法は十分に立ちそうです。
 もっとも独禁法のほうでは,労働者は事業者ではないというところで,整理がついているようです(前述のように適用除外規定の存在の説明は難しいのですが)。ただ,現実には,労働者か事業者かが明確でなくなってきており,2011年の2判決もそういう事例でした(楽団のオペラ歌手,カスタマーエンジニア)。そうなると,この二分法で白黒を無理矢理決するのではなく,より実質的にみて,独禁法の例外とすべき(広義の)勤労者の団結とはどういうものかを正面から論じる必要があるように思います。そのとき,あくまで競争法のロジックに則って,競争を制限しない,あるいは競争を促進するということから例外扱いとするのか,それとも交渉力の弱い者は例外的にカルテルを認めるという保護法的発想で対処するのかは,理論的に大きく異なるところです。小嶌説だと後者になりそうですが,競争法学者はどういうでしょうか。こうみると,これは独禁法の問題ではありますが,労働法学が乗り出して議論すべきテーマにも思えます。
 最近,労働組合法の研究者は激減していますが,私はまだまだやることがあると考えていて,院生にこのテーマで研究しないかと呼びかけているところです。「文献研究」をし,昔の優れた論文を見つけ出し,新たなインスピレーションを得るということの重要性を,若い研究者にはぜひ再確認してもらいたいです。

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2017年6月14日 (水)

厚生労働省の報告書を読み,日経の社説を読み,金銭解決を考える

 厚生労働省が先月出した「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」報告書を読んでみました。とくに後半の解雇の金銭解決をめぐっては,肝心のところは,対立する意見がそのまま掲載されていて,議論が難航し,統一的な方向性をなかなか打ち出しにくかったことがうかがえます。とりまとめは大変だったでしょうね(座長の荒木先生,ご苦労様でした)。委員のメンバーの数が多く,これだけの人が集まれば,仕方ないところでしょう。ということは,こういうメンバー体制で検討すること自体に問題があったのかもしれません(あるいは暗礁に乗り上げることを見こしていたのでしょうか?)。
 報告書の内容をみてみると,実は出発点で自分の手を縛っていることがわかります。検討事項は,「解雇無効時における金銭救済制度の在り方(雇用終了の原因,補償金の性質・水準等)とその必要性」でした。不当解雇を無効とするという出発点を固定してしまうと,手続的な問題をはじめ,細かい法技術論に入り込んでいきます。本報告書では,そのような論点にもかなり紙幅が割かれています。この出発点は動かせなかったのでしょうね(もともとは,この検討会は,「「日本再興戦略」改訂2015」の指示で始まったもので,政府の縛りが強かったことがうかがえます)。したがって,いわゆる事後型の規制にしたときにどういう設計が可能かのシミュレーション作業がメインとなり,これならば法律家中心に若干の実務家を入れてやればよかったのかもしれません(訴訟手続,バックペイ,労働契約終了時などは,法律家が好みそうな論点ですが,その他の分野の人にとっては退屈ではなかったでしょうか)。
 本報告書では,労働者申立てだけでなく,使用者申立ての可能性についても一応検討されています。一つ気になったのは,意見の一つとして出ていたもので,それは差別的解雇のような場合には,労働者申立ても本来認めるべきではない(法規範的にどう正当化するは非常に重要な問題である)という指摘です。ただ,これをいうと,差別的解雇をするような会社にこそいたくないと考えている労働者もいるでしょうから,結局,自らの意思による辞職となって,金銭的な代償を得られなくなる(自力で交渉して得るしかない)ので,かえって酷な結果にならないかという懸念が残ります。 
 報告書で興味深いのは,制度設計の議論をしたうえで,最後に前提となる「解雇無効時における金銭救済制度の必要性」を論じている点です(論理的には順番は逆ですよね。必要性がないという結論になれば,制度設計の部分は議論する必要はないので)。報告書では,この「必要性」について,「解雇紛争についての労働者の多様な選択肢の確保等の観点からは一定程度認められ得る」として,慎重ながらも積極説に立っていることに注目したいです(最後の1段落では,消極派の意見をとりあげて,これも十分に考慮することが適当であると結んでいますが,これは消極派の顔を立てた「リップサービス」だと私はみています。ただ,消極派のいう労使の合意の重要性については,私も否定しませんが)。この表現のなかに,使用者申立ての可能性を含んでいるのかはよくわかりませんが,個人的には,いつも書いているように,使用者申立てがなければ意味がないと思っています。
 ところで6月4日の日本経済新聞の社説は,「解雇の金銭解決制度は必要だ」と述べ,金銭解決の応援団として登場してきたのですが,その内容がちょっと悩ましいところです。悩ましいというのは,社説では,労働者申立ての金銭解決を,不当解雇で困っている労働者を助けて,再出発を促すものとして評価する視点を前面に出しているからです。
 労働者申立てを認めるというのは,不当解雇のときに,労働者のほうが,解雇無効(原職復帰)か,金銭補償を選択できるということです。企業としては,解雇をした労働者が解雇無効を主張してくるか,金銭解決をしてくるか予想がつきません。解雇により信頼関係が破壊されているときでも,なお労働者が解雇無効を求めてくる可能性があります。そうなると結局は金銭解決に向けた交渉となり,そのコストは大きなものとなるので,企業は必要以上に解雇回避的に行動するでしょう。また法律で補償額を高く設定すると,労働者は金銭補償を選択してくる可能性が高くなりますが,それだとやはり,企業のほうが容易には解雇をせず,人材を抱え込むようになるでしょう。どっちにしても解雇が起こりにくくなります。もちろん,それでいいのだという見解はたくさんあるでしょうが,日経新聞の社説はそういう立場ではないと思います。報告書は労働者の選択肢が増えればいいというスタンスですが,日経新聞もほんとうにそれと同じでしょうか。
 解雇の金銭解決をみるときの重要な視点の一つは,第4次産業革命をにらんで今後の労働市場の大改革が進むなか(もちろん労働力人口の減少という問題が背景にあります),人材が衰退部門で滞留することを防がなければならないということなのです(この視点は,以前にWedgeで書いたことがありますし,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)の第5章も参照してください)。そのためには,ある人材を抱え込むか,それとも別の仕事で再出発してもらうかは,企業のほうで判断できるようにしなければならないのです。もちろん解雇された労働者の再出発は大変なので,政府の雇用流動型政策のいっそうの推進は必要ですし,企業の支払う金銭補償も十分なものとしなければなりません。その意味で,金銭解決は,企業にも痛みを負担してもらう制度としなければなりません。ただ,労働者の選択肢の多様化については,制度導入のメリットの一つではあり,世間を説得するうえでの論拠とはなりますが,そこを軸として制度を考えていく,この制度が本来もつべき本質的なメリットを発揮できなくなるおそれがあります(もちろん差別的解雇のような場合には,使用者申立てはダメで,労働者申立てのみ認めるべきというように,解雇のタイプにあった細かい議論をする必要はあります)。
 労働者申立てしか認めないという制度(労働者選択制)と,使用者申立ても認めるという制度(不要と判断した人材には,たとえ解雇が不当とされても,しかるべき金銭補償をしたうえでやめてもらえるようにする制度)とでは,金銭解決の意味はまったく異なるのです。ほんとうは,ここから先の議論があるのですが,それは私たちの研究成果の発表を待っていてください。

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2017年6月 8日 (木)

観光と年休

 昨日の日本経済新聞で,「休み方改革官民総合推進会議」(仮称)を新設するという記事が出ていました。そこでは,「企業への有休取得促進では,政府は16年に発表した『明日の日本を支える観光ビジョン』に『子どもの休みに合わせて年次有休取得3日増を目指す』と明記。18年度の有休日数を17年度比で3日増やす目標を掲げている。さらに取得日数を増やすため,18年度予算案の概算要求に有休を増やす企業への助成を盛り込むことも検討している。」となっていました。
  年次有給休暇(年休)の日数というとき,次の3つの意味がありそうです。第1が,労働基準法39条に基づいて,労働者の権利として与えられている年次有給休暇の日数。第2が,労働者が実際に取得している年次有給休暇の日数。第3が,企業に法律上付与が義務づけられている年次有給休暇の日数に上乗せして付与する日数(法定外年休)。
 日本以外の国では,おそらく,第1の意味の日数,または第1と第3を合算した日数と,第2の意味を日数とは一致しているでしょう。年休の取得日数を3日増やすという目標は,第1の意味の年休の日数を増やすのではなく,第2の意味の年休の日数を増やすということなのでしょうね。そして,第3の意味の年休を増やす企業を助成するということなのでしょう。第2の意味の年休は,3日ではなく,完全取得(消化)を目標にしたほうがよいでしょう。実現性を重視した数値目標を掲げるほうが現実的なのかもしれませんが,ただ半数も取得していない日本で3日増は志が低いような気もします。
 ところで,観光という観点からの休暇取得促進は,意外な感じがしています。たしかに欧米のバカンスは,旅行と密接に関係しています。年休をバカンス的な長期休暇に結びつける発想は,ごく普通のことです。でも,日本の年休制度というのは,分割取得できると法律で明記されています。これが問題だということは,私も『勤勉は美徳か?-幸福に働き,生きるヒント』(光文社新書)の第6章「休まない労働者に幸福はない-日本人とバカンス」で指摘しています。フランスとかイタリアの法律をみると,日本の単発年休(しかも時間単位年休も可能)は,奇異に映ることでしょう(少し古くなりましたが,野田進・和田肇『休み方の知恵』(有斐閣)も参照)。
 ところで,キッズウイークが導入されたとして,子供は連続休暇は可能ですが,親はそうはいきません。キッズウイークで子供の連続休暇日を移動させても,意味がないと言われているのも,親が連続休暇がとりにくいことを考えると,そのとおりです。ただ,もし企業がこれに協力して,たとえばキーズウイークに親の労働者の年休取得を義務づけるとか,時季変更権を行使しないとか,そういうルールをつくればどうでしょうか。ちょっとやりすぎのような気がしますが,それくらいしなければ日本人は年休をとらないかもしれません。ただそれでも,繁忙期を分散させて,順番に家族ごとに連続休暇を取得して,しかも観光に行くというようなことが起こるとはちょっと考えにくいです。国が考えて国民を誘導しようとしても,なかなかうまくいかないのは,プレミアムフライデーの失敗(?)からもわかるでしょう(国民には好みがあるのです。海好きは夏に休みたいのです。スキー好きは冬に休みたいのです。海外旅行好きは,渡航先の天気のよい時期に行きたいのです。いつでもいいわけではありません)。
 それに,もう少し戦略的後押しが必要です。たとえば,テレワークは,多少役立つかもしれません。子供が6月に9連休があるので,親もそれにあわせて沖縄に行く。でも,親はやはり仕事があるから,沖縄でちょこっと仕事はする。これって半端な休暇の取り方かもしれませんし,保養やリフレッシュの効果は半減しそうですが,こういうほうが,現実的だともいえます。これもある種のワークライフバランスです。問題は,自分の仕事が沖縄でちょこっとやれるようなものかどうかです。そこは難しいのですが,働き方改革の目標は,労働時間を短くするという方法もありますが,たとえ労働しているときでも,できるだけ自分の好きな場所と時間に働けるようにするという方法もあります。それは簡単なことではありませんが,こういう目標をかかげて前進することによって,少しでも日本の貧弱な休暇文化を改善していくようにすればどうでしょうか。
 ところで年休の話に戻ると,労働基準法改正をやるのなら,ぜひ現在の法案のような半端なものではなく(5日分だけ使用者付与義務),完全取得を実現する方向性でやってほしいです。私も,いろいろ提案をしていますので,参考にしてください(上記の本でもふれているし,『労働時間制度改革』(中央経済社)の200頁にも書いています)。

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2017年6月 6日 (火)

「IoT・ビッグデータ・AI等が雇用・労働に与える影響に関する研究会」報告書

 厚生労働省からの受託研究である,三菱UFJリサーチ&コンサルティングでの「IoT・ビッグデータ・AI等が雇用・労働に与える影響に関する研究会」の報告書が発表されました(座長は佐藤博樹)。http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000089555.html私も委員として参加しておりました。
 報告者は,豊富なアンケート,インタビュー調査に基づいており,今後の政策の参考にしてもらいたいです。同時に,デジタライゼーションのインパクトの可能性を,各企業が情報共有していく際の資料に使ってもらえればと思います。
  AIについては,日本経済新聞の先日の日曜版で,あのアルファ碁で有名なDeep Mindのデミス・ハサビス(Demis Hassabis)氏が登場し,「あらゆる企業が『AIを使っている』と吹聴するが,9割はその意味を理解せず,マーケティング用語として使っている。まさにAIバブルだ」と述べたとしたうえで,記事では,彼とのインタビュー内容を,「『アルファ碁』の勝利は世間のAIに対する関心を一段と高めたが,手放しでは喜べないという。AIは70年代と90年代の2度,『冬』を経験している。いずれも期待先行で成果が伴わず失望を買ったためだ。過剰な期待は修正されるとみるが,一方で「『正しいはしご』を登り始めた今回は過去のような『冬』は来ない」と予言する」とまとめています。
 バブルが起きているが,今回のAIブームは過去2回のブームとは違い,社会実装と結びつき,マーケット的にも成果につながるということでしょう。ただ,これは「正しいはしご」を登るということが条件ですが。
 今回の調査報告書の話に戻ると,今回の調査で,現在の日本企業で,イノベーティブな形でAIに対応しようとしているところは,ほとんどなかったように思います。AI人材不足もあり,それが経営者マインドに火をつけていない,という悪循環が起きているように思えることも問題です。
 経営者は,早く社会実装の道筋を示してほしいという受け身ではなく,積極的に人材をかき集めて,AIを活用したビジネスモデルの構築にむけた研究投資をもっとすべきでしょう。Hassabisが揶揄するように,AIをマーケティング用語としてしか使っていない企業には未来がないのです。だから,労働者のほうも,そうした未来のない企業をみながら将来の準備をしていてはいけないという,いつもの話につながります。
 厚生労働省が,こうした研究を自前であれ外注であれ推進することはとても大切ですが,問題はそれをどう政策にいかすかです。首相官邸側のややこしい動きから距離を置き,着々と政策を立案し実行していくことがAI時代に向けて求められる厚生労働省の役割でしょう。

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2017年5月29日 (月)

日本労働法学会(龍谷大学)

 昨日は日本労働法学会に行って,菅野和夫先生のご講演「労働政策の時代に思うこと」を拝聴してきました。先生のお話をゆっくりお聴きする機会というのは,学生時代以来で,もしかしたら30年ぶりかもしれません。
 先生のご講演の内容は,タイトルどおり,現在が「労働政策の時代」であるととらえ,労働法学は何ができるかということについてでした(このテーマについては,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の63頁「労働法学の課題」も参照)。ただ後半は,労働政策の研究においてJILPTが頑張っているというお話になり,これが先生の学問のお話なのか,現在のJILPTでのお立場に基づいたお話なのか,よくわからなくなってしまいました。おそらく先生の学問の到達点を,JILPTで実現されようとしているから,こういうお話になったのだと理解することにしました。
 結論は,労働政策については,まずは日本の雇用システムがどう変化しているかを,「科学的観察,歴史的照査,国際比較によって見据えること,そして,現場で対応している方策について,労使を加えて良く議論することが肝要」というもので,それはそのとおりとしか言い様がありません。おそらく,言うは易いが,行うは難しで,JILPTはそれを実行するのだということでしょう。
 実は,この「労使を加えてよく議論する」というのは,労働法の議論では当然そうなりそうですが,午後のミニシンポ「女性活躍推進と労働法」では,このことが冒頭から問題となりました。要するに,女性活躍推進というテーマにおいて「労使」の労側はどういう役割をはたすべきなのか,ということです(中央大学の唐津博さんが口火を切りました)。この点について,私は横から入って発言をしました。この「労」(労働組合)を入れるという共同決定的発想は,たしかに労働者の意見集約,具体的な制度設計,実行のモニタリングという観点から有用で,企業別組合の力が発揮できるところです。しかし,女性の活用というのは,基本的には人事管理マターで,今日の問題は,企業がまずこれに着手しようとしていないところにあります。だから労使でどう取り組むべきかというのもいいのですが,本気で政策を進めるなら,まずは経営者の意識改革をどう進めるかが重要だ,という発言をしました。
  この点で,菅野先生のご講演に戻ると,気になったのが,労働法が政策立案面で共同作業をすべき相手として産業社会学と労働経済学だけが挙げられていた点です。エビデンスには関心があるが法制度に関心のない産業社会学,抽象的な理論的問題にしか関心のない労働経済学と,具体的な問題を扱う労働法学は補完的な関係にあるというお話だったと思いますが,HRMへの言及はありませんでした(先生の頭では,HRMは労働経済学に含まれていたのかもしれませんが)。
 企業の人事管理のあり方を視野に入れなければ,政策は先に進まないことに誰も異論はないでしょう。日本の政策や雇用システムが,どのような歴史から発展し今日に至ったかということも大切ですが,日本型といわれる雇用システムが,政策とは別に,経営の論理でいわば「現場」のニーズに基づき形成されてきたという視点も大切です。男女雇用均等政策も,このような点から総括する必要があるはずです。
 それと労働経済学においても,近年は,ゲーム理論や契約理論の発達などで,個別労働関係の問題について分析するツールが急速に発達し,抽象性は下がっています(もちろん学問の性質からくる相対的な抽象性はあるのですが)。実証分析も,企業内の動きを明らかにしようとする流れが強まっています。こうした労働経済学と前記のHRMとこそ,労働法学は共同作業が必要だと考えています。
 それでミニシンポの話に戻るのですが,政府は,女性問題やWLB問題で,法律でできることについて過信をしているような印象をもっています。労働法学でも規制の論理が幅を利かし,経営を規範的に縛るこそこと,労働法学の役割とされてきました。だから,HRMの観点からは,法律は外的な制約要因となるのですが,法律の過剰な効果は企業の合理的な行動をゆがめ,ひいては従業員にもマイナスとなります。ここで重要なのは,規制すべき対象のなかには,どうしても強制的に守らなければならないような労働者の基本的な権利や利益に関するもの(労働安全,健康など)とそうでないものとがあるという視角です。女性活躍推進やWLBなどのテーマは,後者ではないかというのが私の認識です。だから差別禁止規制といった強い介入は不要なのです。こうしたテーマは企業内で労使(労は労働組合とは限らない)が話し合って実現していけばいいことです。ミニシンポで紹介された資生堂さんの例は,まさにそうした努力の歴史です。
 つまり,こうしたテーマである以上,HRMとの折り合いが大切で,そういう観点から,今回の女性活躍推進法の規制手法がたとえ権力的規制は使っていないとしても,なお強すぎないかが検討されるべきなのです。という趣旨のことを最後に述べました(つもりです)。なお,同様のことを規制の正当性という観点から,育児介護休業法との関係で述べたことがあります(拙著『雇用改革の真実』(日経プレミアシリーズ)の第7章「育児休業の充実は女性にとって朗報か」のなかで少し言及したことがあります)。
 ということで,ミニシンポには,報告者ではないにもかかわらず,事前にコメンテータをするよう求められていたこともあり,フルに参加してきました。ネタに使った斎藤美奈子さんの『モダンガール論』(文春文庫)から借用した「社長になるか」と「社長夫人になるか」はウケるのはわかっていた鉄板ネタですが,案の定でした(たぶん)。学会で発言するのは久しぶりですが,こういうワークショップ型だったら,また行ってもいいかなという気になりました(周りは迷惑かもしれませんが)。
  菅野先生の講演のなかで,もう一つ気になったことがあったのですが,それはまた後日書くことにします。こういう刺激を与えてくださるのが,師の有り難さなのでしょう。

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2017年5月24日 (水)

規制改革推進会議の答申に思う

 規制改革推進会議の安倍晋三首相への答申の内容について,昨日からマスコミ報道されています。
 今朝の日経新聞では,「企業の労働環境を監視する労働基準監督署の業務の民間開放や行政手続[き]コストの削減など一定の成果を上げたが,新味に乏しいと言わざるを得ない面も多い」というコメントが出ていました。
 労働基準監督署の業務の民間開放は,評価するということのようですが,民間開放の内容は,昨日の記事によると,「アンケート調査の送付や回収など立ち入り前の業務を認める方針」となっていました。私は監督署の業務の詳細はよく知りませんが,これでどのぐらいの業務軽減になり,監督業務の生産性があがるのでしょうか。また,通常,こうした調査は企業側の顧問をやる社会保険労務士が対処するものでしょうから,監督する側の業務にも社会保険労務士に任せるということに違和感があります。監督する側と監督される側がきちんと区別されないと,監督の実効性は期しがたいでしょう(と,少なくとも国民は思うでしょう)。どうせなら,労基署がもっているはずの膨大なデータを活用して,AIを取り入れて監督業務を効率化するといった改革案を出してもらいたかったところです。私が厚労相になれば,すぐに命じます。
 他の分野の規制緩和のことについては私はわかりませんが,これが最大の目玉の一つとなると,ちょっとずっこけるような内容です。とりまとめに苦労されたであろう大田さんには申し訳ありませんが。おそらく,ものすごい抵抗勢力があったのでしょうね。
 それと限定正社員に関する雇用ルールが先送りになったことも記事で書かれていましたが,その雇用ルールというのは,私にはまったく見えてこないので,先送りも何も,最初から空虚なものを議論していたのではないかと思います。限定正社員については,少なくとも正面からの労働法上の規制は何もないので,規制改革ということ自体になじまないのです。これは,私が第2次安倍政権誕生後の規制改革会議の雇用ワーキングで,限定正社員がテーマに採りあげられたときから思っていたことです(拙稿「限定正社員」法学教室398号(2013年,有斐閣)45-51頁も参照)。
 限定正社員というのは,日本型雇用システムの下における正社員のアンチテーゼのようなもので,それを本気で推進するということをもし考えているのなら,職務は限定しなければならない,残業は不可である,転勤は本人の個別的同意がなければできない,なんていう規制を新たに設けることになるのでしょう。しかし,そんなことを法律がやってよいのでしょうか。そうした余計な規制をしないことこそ,規制改革推進会議の方向性に合うように思います。
 要するに,限定正社員というのは,日本型雇用システムを見直したらどうかというスローガンにすぎないのです。法規制として扱うようなものではありません。規制改革推進会議は,このテーマから手を引いたほうがいいです。引きずっていたら,いつまで経っても先送りせざるをえず,そのたびにネガティブに評価を受けることになるでしょう。

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2017年5月20日 (土)

フリーランスの契約保護

 昨日の日本経済新聞で,「厚生労働省はネット経由で仕事を受発注する『クラウドソーシング』の広がりを受け,フリーランスと契約する事業者向けのガイドラインを今年度中に改定する」と出ていました。
 自営的就労者に対する法的なサポートの必要性は,たびたびこのブログでも紹介していますし,昨年の経済産業省の「雇われない働き方」に関する会合でも政策提言をしました。もちろん拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)でも取り上げています(185頁以下)。
 自営的就労者に対する法的サポートは,経済的従属性のある「準従属労働者」とそのような従属性のない「真正な自営的就労者」とを分けて考えなければならないのですが,厚生労働省は「準従属労働者」のほうに着目しているのかもしれません。それはそれで大切とは思いますが,本丸は「真正な自営的就労者」であることは忘れてはなりません。ただそれを厚生労働省で対応できるかどうかはなんとも言えません。従属性のない労働者をどう扱うかは,放っておくと経済産業省のほうでルール化を進めていく可能性もあります。両省がしっかり協力してくれればいいのですが,そうなるでしょうか。
 記事では,「新たに仲介業者を対象に加え,フリーランスが仲介業者に払う手数料のルールを明確にする」とされています。仲介業者の規制についても,前掲書では言及しています(197-198頁以下)。雇用労働者の仲介では「募集に応じた求職者からの報酬受領の禁止」(職業安定法39条)や有料職業紹介における求職者への手数料の規制(同法32条の3第2項)がありますが,自営業者については,自営業の仲介に適合的な手数料のあり方を検討していくことが必要でしょう。そもそも雇用労働者における仲介ビジネスに対する手数料規制の妥当性については議論もあるところであり,そうした点もふまえた検討が進められていく必要があるでしょう。

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2017年5月15日 (月)

テレワーク成功の条件

 今朝の日本経済新聞の「エコノミクストレンド」では,慶応大学の鶴光太郎さんが,テレワークを取り上げていました。ようやく広がりつつあるようにみえるテレワークですが,またまた掛け声倒れになりそうな悪い予感もしています。多くの企業が本気でテレワークの効用を感じることができていないことも,その一因です。労働者も,テレワークでは調子がでないということもあるでしょう。古い頭の上司が,テレワークなんて勝手なことをするんだったら,しっかり成果を出してもらうよ,といった圧迫的な態度に出ることもあるでしょう。上司たちにとっては,自分がやったことがない働き方なので,これを理解しろというのは難しいのかもしれません。ワーク・ライフ・バランスもそうですが,テレワークなんて女性のやることだと考えている昭和の発想の人もいるでしょう。
 テレワークの定義にもよりますが,私はテレワーカーに含まれるのかもしれません。最近では,原稿は大学の研究室ではなく,自宅で書くことが多くなっています。VPNのおかげで,自宅にいながら大学のパソコンと同じ状況を実現できていることが大きいです(大学の仕事も,授業や会議等は別として,もちろん自宅からできます)。ワークとライフの混在となる危険性はあるのですが,幸い,私のような仕事は,半分自営業のようなところもあるので,完全に自己責任です。このような仕事の仕方にとって1番問題となるのは,どうしても面会をしてほしいという要求です。遠方から来られる方も多いのですが,できるだけSkypeでとお願いしています。テレワーク時代は,面会や会議はWEBを通してやることになるでしょう。
 個人的にも,大学でも,会議や授業や学生指導をwebを通してやることを認めてくれれば,完全にテレワーカーになることができます。これは技術的には可能です。大学こそ,教員のテレワーカー化に先進的に取り組んでもらいたいと思います(理科系のような実験が必要なところでは難しいので,まずは文科系学部からやりましょう)。
 もちろん私のような働き方ができるのは,いろんな条件にとても恵まれているからです。しかしその恩恵を実際に感じている者でなければ,テレワークの良さを伝えることはできないとも思っています。だからお前は恵まれているからできるだけだと思わずに,むしろ,どうしたらできるようになるかを考えていってほしいのです。もちろん,現在の働き方のままではテレワークの広がりは難しいでしょう。しかし仕事のさせ方を少しずつ変えていけば,テレワークの活用可能性はぐんと広がると確信しています。
 問題点はたくさんあるのですが,利点もたくさんあるのです。利点を生かすために,問題点を解決していくというアプローチを取っていてもらいたいものです。昨年9月に徳島の社会保険労務士の会議でテレワークの推進がテーマになっていて,私も基調講演をさせてもらいました。社会保険労務士は,テレワークを使った人材活用というものを積極的に学び,企業にアドバイスをしていけば,大きくビジネスチャンスが広がると思います。
 ところで本日の鶴さんの原稿で気になったことがあります。テレワークにおける健康配慮の重要性を唱えるのはいいのですが,「ICTを活用した労働時間の正確な把握が過重労働を避けるために必要不可欠な工夫だ」とされていることです。一見,何も問題がなさそうですが,法律家としては一言口をはさみたいところです。
 たしかに,私も,テレワークの導入を渋る経営者が,労務管理が難しくなるという理由を挙げるとき,最新技術の活用によって勤怠管理などは容易にできます,と説明します。実際そのような方法で労務管理をしている企業もありますし,それに対応するようなソフトなども開発されています。これはHIM的観点からの議論です。しかし労働法的観点からすると,これは指揮監督手法の拡大です。現在のひとつの大きな問題点は,ICTの活用によって,自宅で勤務していても,非常に精密な労務管理が可能となってしまうことです。これは最近別のところに書いた原稿で論じていることなのでここでは詳しくは書きません(いつ刊行されるか不明ですが年内でしょう)が,IoTの発達は,労働者にセンサー装着を義務づけることにより,どこにいても,機械によって行動を制御することを技術的に可能とするのです。企業にとってみれば,むしろ在宅勤務であろうとモバイルワークであろうと何でも来いで,どこにいてもコントロール可能だということです(そのコントロールはAIがやるのですが)。このことは労働法的には,事業場外労働のみなし制を適用する前提要件を欠くということでもあります(労働基準法38条の2)。「労働時間を算定し難い」という要件を充足しないからです。
 労働時間は,法律上の定義はありませんが,判例上「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」と定義されています(三菱重工長崎造船所事件・最1小判平成12年3月9日。拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第98事件)。このことは,使用者の指揮命令(監督)下に置かれるような時間こそが,労働者の健康に有害であって,だからその時間をカウントして上限規制をしようとするのが法の趣旨ということです。企業が,労働時間を把握しようとすることによって,最新技術を用いるというのは,どこか指揮監督を強化せよといっているような感じがして,健康配慮の趣旨と逆行する気もします。
 経営者には,そういう方法もあるよとは伝えますが,法律家としての立場から推薦するのは,最新技術をあまり労働者の指揮監督には活用せず,逆に健康面は,もっと労働者の自己責任にするということであり,そして,そうした自己責任に適しない労働者には,テレワークを導入しないほうがよいということです。
 テレワークをめぐっては,ICTの指揮命令の強化と自由な働き方の実現という功罪二面性をしっかり意識したうえで,政策論議をする必要があると思っています。
  AI時代のテレワークのあり方については,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)の159頁以下に,比較的詳しく書いているので,ご関心のある方は参照してみてください。

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2017年5月 3日 (水)

第133回神戸労働法研究会と第24回文献研究会

 4月22日に開催された神戸労働法研究会は,新年度で新人が4人入ってきて(日本人1人,中国人2人,台湾人1人),フレッシュな感じとなりました。神戸大学での新人というのは,社会人を除くと久しぶりです。私も,若手の育成の仕方をすっかり忘れてしまっています。私は,これからはどんな仕事でも真のプロを目指してもらわなければならないと考えており,緩めることなく,プロの基礎トレーニングをしてもらおうと思っています。ついてこれなければ落伍するのも仕方ないと思っています。
 ところで研究会の報告者は,前にも紹介したように,JILPTの山本陽大君が,ドイツのデジタライゼーションなどをめぐる政策課題を扱った白書についての報告を,次いで,オランゲレルさんが「中国法における『同一労働同一賃金』原則の現状と課題」というテーマの報告をしてくれました。混乱をきわめる「同一労働同一賃金」ですが,中国の議論もまたかなり複雑でした。
 その前に開催された文献研究では,所属が変わって,世界人権問題研究センター専任研究員となった河野尚子さんが「兼業・副業」をテーマに報告してくれました。ちょうど本日の日本経済新聞で,厚生労働省が複数企業で働く労働者が労災にあった場合の給付基礎日額を合算する方向での検討をするという記事が出ていました。厚生労働省は,かつて検討対象としていたものですが,昨今の副業ブームのなかで,ようやく厚生労働省も重い腰を上げたというところでしょうか。モデル就業規則の見直しに続いて,昨年の中小企業庁の研究会で指摘していた法改正が,次々と実現していくのは,私にもやや驚きです。
 ところで,この文献研究会で,河野さんの指摘を受けて気づいたのですが,菅野先生が,労働基準法38条1項の解釈について,表現をかなりマイルドに修正されていました(『労働法(第11版補正板)』464頁)。異なる企業で働く場合の通算について,行政解釈は肯定,菅野説は否定ということで,私も否定説(同一使用者内での通算はするが,異なる使用者間では通算しないという見解)を支持していたのですが,教科書では「両論ありうる条文」とトーンダウンし,また先生ご自身の説としても,同一使用者の下での異なる事業場での労働時間の通算規定である「と解してもよかったと思っている」という語尾が追加されています。先生は依然として否定説ではあるのですが,あまり否定説の論拠に自分の名前を持ち出すのは困るというメッセージが含まれているのでしょうか。
 こういうところの発見が文献研究の面白さでもあるのですが,それはさておき,個人的には,複業時代における今日的な法政策としては,こういう実効性のない通算はやめて,別のアプローチで労働者の健康配慮を実現していくべきだと思っています。
 いずれにせよ,もし労災保険の法改正があれば,次は雇用保険や社会保険も視野に入ってくるでしょう。まだまだ,この分野の立法政策論にはやるべきことがあり,若い河野さんに,議論を引っ張っていってもらえればと思います。

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