労働法・雇用政策

2017年4月24日 (月)

ロボットが仕事を奪う

 日本経済新聞の日曜版の第1面で,今後,ロボットによって人間の仕事がどこまで奪われるかの推計結果が出ていました。人間の職業を,業務に分解し,どこまでロボットによって代替されうるかを測定したようです。
 私はあるプロジェクトで,これと似た発想の企画を提案中ですが,その内容はここではまだ書かないことにしましょう。より直接的に,ロボットやAIの発展が,雇用にどのように影響を及ぼすかをみる方法があると考えています。
 それはさておき,ロボットによる代替可能性は,一つの大きなインパクトにはなるでしょう。記事では,日本は「主要国で最大となる5割強の業務を自動化できることも明らかになった」とされています。ロボットに代替されやすい定型的な業務がそれだけ多いということでしょう(日経の電子版では,業種と職業を選択すれば,代替率を示してくれるサイトがあります。https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/ft-ai-job/)。
 拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(2017年,弘文堂)は,こうした技術の発達が,人間の雇用について,支援(効率化),代替(雇用減少),創出(雇用増加)といった多様なインパクトがあるものの,総量的には減少傾向にあり,いずれにせよ職業訓練による人材の再配置が起こるので,そうした未来予想のもとに政策的対応をする必要性について論じたものでした。ただ,こうしが議論は,国民が,そもそも雇用に深刻な影響が生じるという問題認識を共有してくれなければ,どうしようもありません。日本経済新聞の記者は,私と問題認識を共有してくれているようであり,今回の記事もそういう視点が十分に出ています。
 ところで,先日の神戸労働法研究会では,先月の北九州私立大学でのワークショップに引き続いて,JILPTの研究員の山本陽大君が,ドイツの白書「Arbeiten4.0」という白書(Weißbuch)の内容全体を報告してくれたのですが,そこでわかったのは,ドイツの政策の方向性が,驚くほど拙著の内容と似ていたことです。私はドイツの政策の動向については,まったく知らなかったので,びっくりしました。現状認識を共有すれば,どこの国であれやるべきことは,自ずから似てくるということでしょう。もちろん細かいところには違いがあります(集団的労使関係の位置づけなど)。また拙著では,真正な自営的就労者に対する法政策を重視していますが,ドイツは,政策対象は従属労働者以外は準従属労働者(労働者類似の者)までにとどまっているようです。
 とにかく外国の動向も視野に入れながら,これからの社会を見据えた労働政策が必要となります。まさに2035年の労働法を考えなければならないのです。来月の12日にJILPT主催の「The Future of Work 仕事の未来」というシンポジウムが東京でありますが,そこではどんな議論となるでしょうか(私は,後半の1時間ちょっとのパネルディスカッションの進行役として参加します)。

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2017年4月22日 (土)

労働時間制度改革を正しく進めよ!

 昨日の日本経済新聞の社説において,労働時間法制の改革が遅れていることについて批判的な記事が出ていました。書かれている内容は,私が日頃言っているとおりのことで,異論はありません。安倍政権は,都議会選挙のような目先の利益にとらわれず,これだけ多数の支持を得ている今だからこそ,しっかり将来を見据えた政策や法改正を進めるべきなのです。
 ただ,安部首相の周りにいる官僚のブレーンがどうも雇用政策に無知な人が集まっているのではないかという不安があります。同新聞で,「内閣官房の研究」というのが,3回連載されましたが,その初回で,いきなり出てきたのが,新原浩朗内閣府政策統括官の名です。経済産業省出身で,内閣官房の「働き方改革実現推進室」の実質トップを務める,と紹介されていました。厚生労働省を労働政策の中心から追い出してしまい,強引に「同一労働同一賃金の原則」の法制化を進めようとしているという噂が,私の耳にも入っています(真実はよくわかりませんが)。労働時間の上限規制に力を入れすぎているのも問題です。
 個人的には,経済産業省の政策の方向性にほとんど異論はないのですが,しつこく書いているように「同一労働同一賃金」だけは,あまりにも筋が悪いもので反対しています。官邸周辺で,どのような力学が働いてるのかわかりませんが,日本の雇用や労働を本当によくわかって,何が国益にかなうか,現在そして将来の国民の幸福につながるかを真剣に考えてるい人が,安部首相のブレーンになってほしいです。
 ホワイトカラー・エグゼンプションに話を戻すと,Business Labor Trendの2017年4月号で,本家のアメリカにおいて,「ホワイトカラー・エグゼンプション見直しが後退の見通し」という記事が出ていました(42頁)。短い内容なので,詳細はよくわからなかったのですが,どうもホワイトカラー・エグゼンプションの対象を定める収入要件を,ブッシュ政権下で引き下げられた(エグゼンプションの対象者を広げた)のに対して,オバマ政権は,その引き上げを行おうとしていたのを,トランプ政権が止めたということのようです。
  私の考えている日本型のホワイトカラー・エグゼンプションでは,収入要件を不要としています。大事なのは働き方の特性に応じた労働時間規制をつくることであり,自らの裁量のもとに知的創造的な業務に従事する労働者は,時間比例で増加していく割増賃金により労働時間を規制するのに適しないということが,改革のポイントです。多くの収入があるから,エグゼンプションしてもよいということではありません。詳細は,拙著『労働時間制度改革』の第8章(提言をしている箇所)を読んでください。

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2017年4月13日 (木)

第132回神戸労働法研究会

 最初の報告者は先のブログで書いたように,私が解雇に関する研究の成果報告をしました。私の科研費による研究の成果報告会であると同時に,共同研究で進めている出版事業の中間報告でもありました。
 もう1人は,社会システムイノベーションセンターのプロジェクトの一環として,近畿大学(当時。現在,関西大学)の原弘明氏さんをゲストにお呼びして,「労働法における法人格否認の法理と事業譲渡にかかる労働契約の取扱い: 会社法の視点から」というテーマで,報告いただきました。
  原さんは,以前,守島基博さんと私の共著の『人事と法の対話』(有斐閣)について書評論文を執筆してくださったことがあり,これまで会社法と労働法にまたがった研究をされています。私が以前ブログにおいて法人格否認の法理について会社法学者の意見も聞いてみたいと書いたことに触発されて論文を執筆したということでしたので,ぜひお呼びして話を聞いてみたいと思ったのです。論文は,法政研究82巻2/3号681頁以下に掲載されています。
 詳しくは,そこを参考にしてもらいたいですし,そこで書かれている内容について,労働法研究者として,きちんとしたリプライの論文を書くべきと考えています。
 研究会での議論を少しだけ思い出しながら書くと,会社法においては,法人格否認の法理のイメージは,背後に個人がいる場合を想定していて(たしかに昭和43年の山世志商会事件・最高裁判決もそのような事案ですし,学部で会社法の講義で江頭憲治郎先生からお聞きしたときもそういう感じでした),親子会社の類型での法人格否認の法理の適用は,この法理の通常のイメージからは外れているようです。それと同時に,法人格否認の法理は,他の法理論によって実質的に妥当な結論を導き出すことができない場合に発動される例外的救済法理であり,労働法がやってるようなリジッドな場合分けや分類になじまないのではないか,という感想を原さんはもたれているようです。たとえば,濫用類型と形骸化類型の二分法は,十分な根拠がないのではないか,偽装解散の法理を濫用類型にしか適用しないのはおかしいのではないかなどです。
 私は個人的には,形骸化類型というのは,実態を法理論に反映させるべきという要請からくるもので,しかもそのような場合には,黙示の労働契約の法理で対処できることが多いため,あえて法人格否認の法理を持ち出す必要はないと考えています。
 濫用の場合には,法人格を濫用とした会社組織編成をしていた場合であれ,具体的な行為(解散+解雇など)において法人格を濫用としようとしていた場合であれ,当該行為の反規範性から背後にいる主体への責任帰属を肯定できるかということが重要な考慮要素になるものとみていますが,その帰結は別に雇用責任を課すことでなくてもよく,損害賠償請求という責任追及方法でもよいのでは,というのが私見の立場です(これは解雇の金銭解決の議論とも関連しています)。この点で形骸化類型と濫用類型は違っていると思うのです(私見の詳細は,拙著『労働法実務講義(第3版)』(2016年,日本法令)186頁以下)。ただ,この結論だけをみれば,おそらく原さんの考え方とそれほど違わないような気がします。
 第一交通産業ほか(佐野第一交通)事件の処理については,原さんは親会社との間で労働契約の存在を認めてよいという立場です。ここでは原さんは,要するに誰のもとで雇用関係を認めるのが実質的に妥当かという観点から判断すべきだとされています。実質論として親会社との間で労働契約を認めるのが妥当といえるかどうかはともかく,実質論を正面から打ち出してよいというところは,私には斬新です。労働法はもっとこのあたりを精密にしていかなければならないと思ってきたと思いますが,これは法人格否認の法理の性格に合わないということでしょうかね。
 私は,第一交通産業ほか(佐野第一交通)事件の処理については,一般論は,譲渡先の別子会社と譲渡元の子会社との間に同一性があれば,偽装解散の法理により別子会社との間で労働契約を認めてよいのではないか,という気がしていますが,この事件では,そうした同一性がない事案であったことからすると,結論は濫用をした親会社への不法行為による損害賠償にとどめるべきように思えます(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第17事件を参照)。
 いずれにせよ,会社法の観点から,法人格否認の法理についての「筋」の議論をお聞きできたのは,たいへん有益でした。今後も,こうした異業種交流を続けていくことができればと思っています。そして,原論文に対しては,きちんと論文でリプライして,議論を活性化できればと思っています。原さんには,できれば団体法の使用者性についてもやっていただけないか,とお願いしました。

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菅野・荒木編『解雇ルールと紛争解決』

 菅野和夫・荒木尚志編『解雇ルールと紛争解決-10カ国の国際比較』(労働政策研究・研修機構)をいただきました。どうもありがとうございます。解雇法制について,日本,イギリス,ドイツ,フランス,イタリア,スペイン,デンマーク,韓国,オーストラリア,アメリカを対象国として行ったものです。JILPTで出されていた調査をまとめたもののようです。資料的価値が高いので,多くの人が参照するでしょうし,そうすべきでしょう。しかしながら……
 実は私たちも経済学者と一緒に解雇法制(金銭解決が中心)に関する共同研究を,長い時間をかけて進めてきました(このブログでも何度も書いています)が,これがようやく大詰めにさしかかっています。おそらく,この研究は既存の同種の研究にはないものを含んでおり,私自身も背筋がぞくっとするような驚くべき内容になりつつあります。その内容に自信がもてなくて,まずは法学系の意見を聞くために,3月の神戸労働法研究会で中間報告をしてみました。そこでの議論から,いろいろ改善点がみつかったので,その後も精度を高めるための作業を進めています。
 解雇法制について,次の国会で検討されるかもしれないので,それに間に合わせたいと思っています(といっても私たちの提案がそのまま受け入れられるとは考えられないのですが,議論をするうえでの新たな視点は十分に提供できるでしょう)。私たちが考えていることは,解雇規制を紛争解決という視点だけからみていてはダメということです。経済学者が標準的に考えている解雇規制に,法学側が真剣に向き合って,ほんとうの意味のコラボをすればどうなるか,ということを提示しようとしています。キーワードは,「許されない解雇」と「許されうる解雇」の区別です。「許されうる解雇」をどのように規制(コントロール)するか,これを日本の労働市場実態や比較法的知見もふまえて,具体的な政策提案に落とし込む作業をいまやっています。
 予告編はこの程度にしておきましょう。

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2017年3月28日 (火)

1人親方の保険加入問題

 今朝の日本経済新聞で,「建設業の社会保険加入を急げ」という社説が出ていました。これもまた一種の働き方改革でしょう。建設業界の人手不足な深刻なようです。その解決のためには,広義の雇用条件の改善が不可欠であることはよく理解できます。
 社説の冒頭は,「政府が4月から建設工事の元請け会社に対し,社会保険に加入していない作業員は現場で働かせないルールを徹底させる」とし,さらに「建設工事で働く作業員は,中小企業の従業員や単独で現場を渡り歩く『1人親方』が多い」という部分です。ここを続けて読むと,個人事業主である「1人親方」が保険加入をしなければ,仕事を委託しないことにするという話のように思えます。国土交通省が,「1人親方」の保険加入を推進しているということは,これまでにも耳にしたことがあります。
  ところで,この社説では,先ほどの部分のあと,「建設不況を受け,総合建設会社(ゼネコン)や一次下請けが技能者を社員として雇わなくなったからだ」と続きます。
 読者にとっては,何が問題かわかりにくくはないでしょうか。建設業の社会保険加入については,次の3つの異なるタイプの問題があるのだと思います。
 第1が,建設業者が,単に社会保険に加入していないという,単純な違法事例。そうした未加入企業には,政府からの発注について,受注対象企業から排除するといった規制が効果的でしょう。
 第2が,「1人親方」が,国民年金や国民健康保険に加入していないという問題です。これは本人の問題なので,どうしようもないところあります。だからこそ国土省は啓発活動をしているのでしょう。発注会社も,本人の社会保険加入などを確認してから発注するようにするということが,問題解決につながるかもしれません。この解決方法は,受注対象企業からの排除という第1の方法と同質のものです。
 第3は,「1人親方」の労働者性の問題です。不況のなか,ゼネコン等が技能者を社員として扱わなくなったという表現だけを見れば,労働法屋からすると,偽装事業者問題ではないのかという疑問が浮かんできます。
 もし就労実態からみて労働者であれば,発注会社が「1人親方」のために被用者保険に加入しなければならないことになります。つまり,第1の問題と同じ解決方法となるのですが,この第3の問題に固有の論点は,労働者性の判断が明確ではないというところです。発注会社は偽装の自覚がない可能性も十分にあります。
 判例には,「1人親方」の労働者性を否定したものもあります(藤沢労基署長事件・最高裁第一小法廷判決平成19年6月28日)が,結局は,ケースバイケースの判断になるので,「1人親方」のすべてが非労働者というわけではありません。また,この判例は労災保険法上の労働者性の判断に関するものであり,社会保障法上の被用者性が,これと同じである理論的必然性はありません。
  これは,インディペンデント・コントラクター一般の問題でもあります(以下は,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の第7章も参照)。真正な自営的就労者や準従属労働者である場合には,本人の社会保険加入の問題となり,これが偽装自営業者であると,発注元の会社がその偽装自営業者(労働者)を加入させる義務違反の問題となるということです。
 建設業における「1人親方」の保険未加入は,みずからが労働者かどうかはっきりしないため,どの保険に加入してよいか分かりにくいということも関係してはいないでしょうか。私は,インディペンデント・コントラクターに関する政策として,雇用労働者と自営業者とで異なる社会保険や労働保険の見直し(統合化)を検討すべきだと述べていますが,この点が改善されていくと,「1人親方」の保険加入は少しは促進されるのでは,と考えるのは楽観的すぎるでしょうか。

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2017年3月17日 (金)

日本労働研究雑誌の学界展望へのコメントその2

 昨日の続きです。もう一つ「労働委員会制度に未来はあるか?―その専門性を問い直す」季刊労働法252号も採りあげていただきました。中窪さんから,「この著者にしては……比較的穏当な,かなり現実に即して議論をしているように思います」というコメントを頂きましたが,私はいつも「現実に即して」議論しているつもりであり,その現実の見方が他の人と違っていることが多いだけなのだと思っています。たとえば,昨日も触れた労働者弱者論こそ現実に即していないと,私のほうでは思っているのです。今回の労働委員会に関する議論については,おそらく中窪さんと現状認識が一致したのでしょう。内容自体は,かなり過激な論文で自分では思っています。
  この論文は,労働委員会の実務を10年近くやってきたなかで,ずっと書きたくて,うずうずしていたテーマでした。労働委員会の本来の仕事は何なのか,とくに1号事件(不利益取扱い事件)について,労働審判などの司法手続との違いを意識していない実務は適切かなど,労働委員会の独自性や存在意義に関わる論点を,理論的に詰めていきながら,労働委員会制度や運用の問題点を指摘することを試みたものです。
 結論としては,労働委員会は,不当労働行為救済や争議調整という集団的労使紛争の解決機関としての原点に返って,その専門性を磨くことに専念すべきであり,個別労働紛争のようなものにウイングを広げるべきではない,ということです。それこそが労働委員会制度を真の意味で大事にすることだというメッセージも込めています。
 今回の討論に対する若干の不満は,労働委員会をできるだけ活用したほうがよいという議論は,わからないではないのですが,紛争解決システムの中で,なぜ労働委員会を使わなければならないのか,ということについては,十分に意識して議論されていないように思える点です。たとえば,個別紛争事件を労働委員会で扱うことについて,緒方さんの「労働審判の役割と重なるかもしれません」という発言に対して,川田君は「労働審判の場合,建前では,実務経験者である労働審判員は労使それぞれの代表者ではないということなので,労働委員会の労使委員と比べると当事者との接触の密度は違うということは言えるかと思います」と述べていますが,この程度のことでは,私にとっては全然説得力はないのです。とくに労使委員の出身母体と,実際に紛争になることが多い地域合同労組と中小企業との間には,大きなズレがあるので,いっそうそう感じてしまいます。
 紛争解決チャンネルがたくさんあればいいという考え方には,私は与していません。労働委員会の本来の専門的任務を果たすためには,まだまだやるべきことがあって,その専門性を磨いてほしいということ(本当に意味のある研修をすべきであること),一方で事件数が少ない県においては,専門外のことに手を出すのではなく,そもそもなぜ各県に労働委員会がなければならないのか,ということを考えてほしいということを強く訴えかけたいです。
 討論の最後のほうで検討していただいた中労委改革は,中窪さんも,緒方さんも,方向性としては賛成してくれているようです。
 いずれにせよ,現状維持あるいは膨脹主義的な組織の論理を捨て,限られたリソースをいかにして効率的に使って(とくに税金が無駄に使われていないかという視点),ほんとうに国民のためになるような労働紛争解決サービスを提供するか,ということを考えた改革が必要です。本論文で,いろいろとアイデアを出している(すべてが私のオリジナルというわけではありません)ので,会長も代わり新体制となった中労委のほうで,ぜひ真剣に取り組んで頂ければと思います。

 と,いろいろ書きましたが,今回は多くの論文のなかで,私の論文を2本も検討していただきました。個人的には,ICT関係の論文も検討してもらいたかったという気持ちはありますが,これは「派手な」論文で,これに対し,今回の2本は「地味な」論文です。地味だけれど,かなり力を入れて書いた論文に光をあててもらったことには,たいへん感謝しています。ありがとうございました。

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2017年3月16日 (木)

日本労働研究雑誌の学界展望へのコメントその1

 日本労働研究雑誌680号の「学界展望 労働法理論の現在―2014~16年の業績を通じて」で,私の論文が2本採りあげられていました。1本目は,「就業規則の最低基準効とは,どのような効力なのか」(山田省三・青野覚・鎌田耕一・浜村彰・石井保雄編『労働法理論変革への模索』(信山社)という,毛塚勝利先生の古稀記念論文集に寄稿したものです。
 最近は政策論をやっていることが多いのですが,それとは全く異なる「解釈論」100パーセントの論文で,まさに労働法研究のプロ向けに書いたものです。上智大学の富永晃一君が紹介してくださり,一橋大学の中窪裕也さんから「虚をつかれる」「アクロバティック」と評価(?)していただいたものです。
 討論者からは疑問続出という感じの論文ですが,それは当然で,この論文は,労働基準法93条などの条文の解釈をめぐる既存の常識を覆すために書いたものなので,そう簡単に同意されても困るものなのです。次々とわき出る疑問について,どう斬ってくれるか,斬る方の力量が問われる論文だと思っています。単純に背を向けることも簡単な論文ですから。そのようななか,富永君が,民法の故平井宜雄先生の言葉を引いて,「反論可能性の高い議論というのは価値のある議論だ」といってもらえたことには,私としてはたいへん満足しています。
 筑波大学の川田琢之君は,本人の書いたものはあまり見たことがないですが,批評家としてはなかなか優れていて,今回の論文についても,労働契約法7条や10条の契約規律効と比べて,「最低基準効に関しては,そもそもなぜそんな効力が必要とされるのかという点について,なんとなく自明のように考えられてきたのではないでしょうか。この論文の意義は,そのあたりを突き詰めて考えてみたことにあるのではないか」は,この論文のポイントをしっかり突いてくれています。
 論文の内容に少し触れると,そもそも就業規則にしろ,労働協約にしろ,条文上は,なぜ労働者を拘束するのかということについて明確になっていません。明確なのは,就業規則については労働基準法93条(労働契約法12条)の効力が,労働協約については労働組合法16条の定める効力があるということだけです。ではこの明文の効力が,労働者を拘束する根拠となるのか,そんなことは書かれていないではないか,というのが私の議論のもともとの出発点です。私は労働者を拘束する根拠は,労働者の意思に求められるべきとする立場にたち(私的自治的正当性),それなら労働基準法93条や労働組合法16条はどういう規定なのかを考えてみようというのが,この論文です。実はこの論点は,私の博士論文をまとめた『労働条件変更法理の再構成』(1999年,有斐閣)でも扱っているのですが,学界ではほとんど注目されていませんでした。
 そこで,毛塚先生の古稀記念において,毛塚説(労働基準法93条を禁反言で根拠づける見解)を採りあげながら,もう一度この議論をしてみようと思ったのです。実は,毛塚先生の議論は,私が博士論文を書いたとき,学説上の議論としては,私が戦うべき最も有力な見解の一つであり,深くリスペクトしていました(毛塚先生は,1990年刊行の『労働法の争点(新版)』で就業規則のところを担当されていました)。こうして,私としては20年前の議論を持ち出したのですが,前著ではいろんな論点を総合的に扱っていたので目立たなかったかもしれません。今回の論文は論点を絞ったことから,私の主張がより鮮明になったということでしょう。これが今回の4名の討論者の目に止まったということは,たいへん有り難いことです。
 ところで,討論のなかでは,情報の非対称性などについても議論されていますが,これは私が西谷敏先生の古稀記念に寄稿した論文「労働契約における対等性の条件-私的自治と労働者保護」で書いていることと連動しており,そちらもあわせて論評してもらえると有り難かったです。今回の討論では,南山大学の緒方桂子さんをはじめ,全体的に労働者弱者論が漂っていて,私には旧体制の議論という印象も受けました。西谷古稀の論文のタイトルでもある「対等性の条件」をもっと追求していかなてはならないと個人的には考えています。
 このあたりは,今回は対象外となりましたが,「労働法は,『成長戦略』にどのように向き合うべきか」季刊労働法247号のなかでも,違った観点から論じているところです。

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2017年3月14日 (火)

フリーランスの保険

 経済産業省で設置されていた「雇用関係によらない働き方研究会」の報告書案がネットでアップされています。私も一度ゲストでプレゼンをした関係で,連絡を受けていました。私が12月にしたプレゼンでは,労働法の観点から,非労働者についての政策的対応のあり方や理論的位置づけについて話をしていました。
 雇用関係による働き方が厚生労働省の管轄であるのに対し,雇用関係によらない働き方は経済産業省の管轄ということかもしれません。昨年の厚生労働省の「働き方の未来2035」で,私は自営的な就労に対する政策的対応の重要性を主張し,厚労省の方にも自営的就労のことを扱うつもりがあるのかと会議の場(私はWEB参加)で質問したことがありました。そこでは肯定的な返事でしたが,力強さはありませんでした。おそらく,このテーマに最も的確に反応してくれているのが,現時点では経済産業省です。もちろんこれからは,関連省庁が手を携えて政策立案をしていく必要があるのは言うまでもありません(とくに経済産業省は,「熱しやすく冷めやすい」傾向があるように思えますので……)。
 今回の資料を見てると,経済産業省は,伝統的な働き方である正社員から外れるものとして,①兼業・副業,②雇用関係によらない働き方,③テレワークという3つの分野に狙いを定めているようです。兼業・副業やテレワークは雇用関係による働き方でもあり得るのですが,自営で働くほうが,この働き方をより活かすことができるでしょう。
 つまり自営的テレワークがこれからの働き方の主流になるわけで,そうなると自営的な副業もふえ,さらに独立してもっぱら自営的に働くということも増えていくでしょう。このシナリオは,私には現実的なものと思えていて,今回の「雇用関係によらない働き方研究会」は,まさにタイムリーなものでした。
 研究者の立場から,私たちは,自営的就労の問題にできるだけ早く取り組んで,きちんとした法体系を構築することが必要と考えています(このことは,日本労働法学界の新しい講座にも書いているので,早く刊行されて欲しいですね。原稿が遅れに遅れていた私が言うのも何ですが)。残業規制や同一労働同一賃金などは,大きな改革の流れのなかでみると,実はそれほど重要ではないのです。拙著の『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)で,長時間労働や非正社員問題の扱いが大きくないのも,そのためです。自営的就労を視野に入れた政策については,同書の第7章をぜひご覧になってください。
 ところで,今朝の日経新聞では,「政府は特定企業に属さずに働くフリーランスを支援するため,失業や出産の際に所得補償を受け取れる団体保険の創設を提言する。損害保険大手と商品を設計し,来年度から民間で発売してもらう。」と出ていました。
 報告書の中に,働き手のセーフティネットとして,「新たな民間保険の創設の検討・周知・活用による,休業時の補償制度の充実」とあり,これに連動したものでしょう。相変わらず日経新聞と経済産業省の連携は早いですね。拙著では,社会保険制度の見直しということを書いていますが,経済産業省の報告書なので,厚生労働省の本丸にまでは,いきなり手をつけはしないということでしょうか。
 また,「政府は契約ルールを明確にしたガイドライン作成を企業に求める」と記事に出ていました。民法や商法が適用されることになる自営業者の契約について,何らかの契約ルールが必要であるということも,拙著では書いていました。
 この点については先日の北九州市立大学でのシンポジウムで,静岡大学の本庄淳志君が,自営業者の契約には約款が使われるのではないかと予想し,債権法改正で新たに導入される約款規制の適用や解釈について検討してくれました。私は個別的な契約が増えるのではないかと漠然と考えていたのですが,たしかに仕事によっては約款が使われる可能性は高いのでしょう。今後は民法学の動向も気にしながら,自営(独立)労働契約のルールのあり方について考えていくことが必要だと再認識させられました。

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2017年3月13日 (月)

使用者申立てなしの金銭解決なんて,メインのないコース料理のようなものだ!

  今朝の日経新聞の「法務」で,「解雇の金銭解決」の紹介がなされていたのですが,「政府は,解雇された人が望めば,職場復帰を諦める代わりに会社に解決金の支払いを求められる『金銭解決制度』を検討している。」と紹介されています。これは「労働者申立て」の金銭解決制度のことですね。これを認めることには,理論的にはそれほど大きな問題はなく,補償額の程度をめぐる争いはでてきますが,少なくとも理論的ハードルは比較的低いのです。
 問題は,使用者申立ての金銭解決,あるいは使用者に解雇無効を拒否して金銭補償を選択できる道が法律上残されるようにするかで,それを認めるかどうかこそを真剣に議論してもらわなければ困ります。日経新聞の記事は,おそらく政府からの情報でしょうが,初めから労働者申立ての金銭解決しか認めないという土俵を設定しているかのように読めてしまうのが気になりました。もっとも,この記事では,「厚労省は会社側からの申し立ての問題点も示した。」と書かれています。これは使用者申立ての金銭解決のことも議論になるということのようでもあります。
 実は平成27年3月25日の規制改革会議が,「『労使双方が納得する雇用終了の在り方』に関する意見」で,金銭解決について,「労働者側からの申し立てのみを認めることを前提とすべきである」という,きわめて不適切な提言をしてしまっています。この余計な提言で,かえって(真の意味の)金銭解決へのハードルが高くなってしまいました。
 いずれにせよ金銭解決は,使用者申立てを認めるか,労働者申立てだけにするのかでは改革の意味がまったく異なるので,これをよく整理されないまま紹介されては困ります。記者の方には,このあたりをよく勉強して記事を書いてもらいたいものです。
 今朝の日経新聞では,賞与のことも出ていました。「同一労働同一賃金ガイドライン案」で大きな影響があるとすれば,たしかに賞与についてでしょう。賞与を,会社の業績等への貢献に応じて支給しようとする場合,無期雇用フルタイム労働者と同一の貢献をする非正社員には,貢献に応じた部分については同一の支給をしなければならない,としているからです。もっとも賞与の算定方法は裁量が大きく,労働組合があるところでは,最終的には団体交渉で決まることが多く,いずれにせよ貢献に応じた部分を特定するのは困難なので,ガイドライン案には,あまり実効性がないようにも思えますが,ただこの案を,非正社員にも賞与を支給する趣旨であると過剰に拡張解釈すると,実務に大きな影響が生じるでしょう。私は,もちろんそんな拡張解釈をすべきではなく,このガイドラインをきっかけに,非正社員にも賞与を支給してみようかと経営者が考えてみたり,労働組合が要求したりすることで十分ではないかと思っています(その意味で,訓示規定としての効力でよいと考えています)。
 日本総合研究所の山田久さんは,日本における賞与制度について,それによる賃金の弾力性が,不採算事業の温存につながるとして批判的なコメントをされています。廃業や解雇をしなくても,賃金と生産性の乖離の調整が可能であることを問題視されているのかもしれません。もっとも,理論的には,賞与の比重をもっと高めていくと,労働者の基本給が減り,業績が悪ければ賃金が上昇しないので,それに不満をもつ労働者が自然に移籍していくという面もあります。今後の賃金のあり方は,むしろ,こうした賞与的なもの(インセンティブ)が中心となっていく可能性もあります。
 もう一つ経済教室では,柳川範之さんが,AIと働き方改革のことを書いていますね。これはNIRA総研の研究会でも扱ってきたことで,拙著『AI時代の働き方と法』の方向性は同じだと思いますが,目を引いたのは,さらっと最後に書かれている「働き方基本法のような大枠としての法整備」です。柳川さんは,これを書きたかったのかもしれないと思いました。基本法に盛り込めることといえば,おそらく,柳川さんも書かれているように「日本全体として大きな方針を明らかにすること」であり,政策綱領規定のようなものかもしれません。ただ,これだけだと,厚生労働省だけでなく,いろんな役所が参入してきて,政策が乱立するだけで終わるのではないかという懸念もあります。ここは,本来は厚生労働省の頑張りどころで,新しい流れにきちんと乗った政策立案能力が問われていると思います。それと同時に,こうした政策は,既存の労働法との関係もしっかり意識した理論主導のものでなければならないでしょう。労働法学界がやるべきことは少なくないはずです。
 ちょうど,日本労働研究雑誌の最新号(680号)は,労働法学の学界展望でした。これをみると,日本の労働法学がここ3年何をやってきたかがわかるのですが,はたして新しい時代に対応していけるような議論をしてきたでしょうか。学界展望については,私の論文も2本とりあげられているので(ありがたいのですが,とりあげられたのは,やや意外な論文でした),それも含めたコメントは,また後日。

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2017年3月 9日 (木)

説明義務

 今朝の日経新聞において,「同一労働同一賃金」をめぐる厚生労働省の案で,説明義務と立証責任に関する記事が出ていました。記事の中で,立証責任のところで説明という言葉が使われていたりして,誤解を招かないか心配です。厚生労働省がどのような説明をしたのかわかりませんが,専門家でも法律家以外であれば少し誤解がありそうな用語なので,若干,説明しておきます(それこそ法律家の世間への「説明義務」です)。
 まず企業が労働者に対して,労働条件の格差の合理性について説明する義務を課すべきかどうかという論点は,本来,格差の合理性そのものを法的に争うことができないが,合理性の存在についての相当な説明をしたかどうかは法的に争えるという文脈で出てくるべきものです。これは実体規制と手続規制の違いと言い換えることもできます。類似の論点は,従業員の査定について,企業に公正査定義務があるかどうか,あるとすればどのような義務かという文脈で登場することがあり,この場合,公正さそのものは争えないが,公正であることの説明義務は企業にあるといった形で議論されます。査定の公正さは裁判官が判断できるのかという問題があるので,手続的な義務にとどめるということで,緩やかな規制にするという意味があります。そもそも査定の公正さを客観的に論じることは難しいという理解も根底にあります。
 格差の合理性についても,同様に,合理性そのものを法的に争うことはできないので,これを実体要件として課すべきではなく,説明という手続的な要件にとどめるべきという主張があります(これは現在のパート労働法14条の定める事業主の説明義務を強化して,その発展上に位置づけるという発想によるものです)。説明義務も規制の一種ですが,人事管理にもプラスになるということも,この義務を肯定する論拠の一つとなります。なお,このことは,私は,前にブログで書いたこともありますし,ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の第106回「同一労働同一賃金」でも書いています。
 経済学者のなかでも説明義務を論じる人はいますが,法的な説明義務論は,実体規制との違いを意識したもので,広い意味では規制緩和論の系譜に位置づけられる独特なものともいえます(就業規則の不利益変更の合理性などで,実体要件よりも手続要件を重視する同志社大学の土田道夫先生や私などの議論は,この手続規制論の当初からの積極的な主唱者です)。
 しかし,こうした立場とは異なり,もし実体要件に加えて,説明義務も追加して課すということであれば,これは全く異なった議論であり,規制強化論です。ただ,こうした重畳的な規制は,アイデアとしてはありえますが,実体要件を課すのなら,説明という手続を法的義務として課す必要性は小さくなるのではないかという感想をもたざるをえません。
 この中間的なものとして,不合理性の判断において,説明義務をどれだけ果たしたかを考慮するという立場があります。おそらく現在の労働法学の主流はこの立場ではないかと思っています。就業規則の不利益変更の合理性においても,こうした考え方がとられており,これは現在では労働契約法10条の条文でも確認できます。
 労働条件の格差の合理性も,こういう実体規制をメインにして,これに手続面を考慮するというハイブリッド型でいくべきなのかもしれませんが,そうしたことを分かったうえで,どこまで議論をされているのか,議論の参加者はよく意味がわかっているのかが心配ではあります。杞憂であればよいのですが。
 さらに立証責任となると,より法技術的な面がからんでいるやっかいな論点です。これは裁判で,事実認定において真偽不明となった場合に,どちらの当事者が不利になるのかということに関するものです。ここで「責任」というのはミスリーディングで,どちらの当事者が裁判官を納得させる「負担」をすべきなのかをめぐる問題と呼んだ方が,普通の人にはわかりやすいと思います。
 労働条件の格差については,その合理性を根拠づける事実を企業側が裁判官に納得させる負担をするのか,不合理性を根拠づける事実を労働者側が裁判官に納得させる負担をするのかが争点となります。さらに,労働者が一定の立証をすれば,企業側に反証責任があるとか,立証責任の所在を変えないまま,立証の負担を軽減する(労働委員会の実務において,組合員差別の立証における「大量観察方式」などがその例です)とか,いろいろなバリエーションがあるので,議論はかなり複雑です。。
 原則としては,訴訟を提起する原告側である労働者が,自らの法的主張を根拠づける事実について立証責任を負うことになりますが,たとえば,未払残業請求をする場合に,労働者が,自らの権利が時効にかかってはいないということまで主張し立証する責任は負わないなどの細かいルールがあります。もちろん,このあたりの詳細は,弁護士ら実務法曹にまかせておけばよく,普通の人は知らなくても大丈夫ですが,今回のように立証責任が問題になるとすると,議論に参加する人はこの面の知識なしではすまないでしょうね。
 また,こうした細かいことはさておいても,立証責任の問題が純然たる訴訟手続上の問題にとどまらないということは知っておいてもらう必要があります。つまり,労働条件の格差の合理性を根拠づける事実について,企業側に立証責任があるとするならば,そこには,原則として,企業には,労働条件の格差をつけてはならない義務があるという規範があることが前提となっていなければならないでしょう。だからこそ,格差の合理性について裁判官を説得できなかった企業は,同一労働条件にしなければならないということを正当化することができるのです。
 問題は,一般的な形で,労働条件の格差をつけてはならないというような規範を認めるべきかです。ある企業が雇用しているベテラン正社員と,簡単な手続で雇い入れたアルバイト社員の間に賃金の格差があった場合,なぜ格差があるのかについての合理性を企業は立証しなければならないのでしょうか。これはどう考えてもおかしいわけです。もしそんな規範があるのなら,少なくとも,どのような場合であれば格差が合理的であるかの基準を定める規範が示されることが必要でしょう。経験年数,仕事の内容,本人の能力などの違いの立証ができれば合理的と裁判官は判断してくれるのでしょうか。格差が2割であればいいけれど,3割があればダメといったことは,どのように決められるのでしょうか。こうした点がクリアにされなければ,当事者からすると,裁判官がどのように合理性の判断をするか事前に予測することができず,訴訟リスクを考える企業であれば,実際上格差を設けることはできなくなるでしょう。政府の狙いはこれなのでしょうか。

 この点については,就業規則の不利益変更であっても合理性が要件となっていて,これまで長年,労働法は,そういうことを経験してきているという反論もあるかもしれません。しかし,労働条件の格差は,これとは違うのです。就業規則の不利益変更であれば,企業は,多数組合や従業員の納得を得てしまえば,実際上,訴訟の可能性がなくなります(しかも,個々の従業員の同意が明確に存在すれば,通説によると,もはや合理性がなくても変更は可能となります[労働契約法9条の反対解釈])。しかし既存の従業員の労働条件の不利益変更の場合と異なり,新規採用の非正社員の採用においては,その非正社員はいままで会ったこともない労働者であるわけで,その納得を得て合意したからといって,訴訟リスクが軽減するとは企業には思えないでしょう。
 手続規制論は,そもそも使用者から労働者に情報提供をし,説明を十分にしたうえでの同意であれば,その同意の効力を認めてよいという考え方です。私は,こうした発想で訴訟リスクの軽減と労働者の納得性の向上との両立を図ろうとする立場ですが,少なくとも労働法において,こうした立場に明示的に賛成してくれる人はほとんどいません。みんな労働者の同意があっても,何らかの実体要件(合理的理由など)は必要としています。ましてや交渉力が弱いとみられる非正社員の労働条件の合意であれば,よりいっそう実体審査が必要と考えるでしょう。そうなると,どんなに合意があっても,訴訟に巻き込まれ,そして敗訴するリスクが高まるのです。就業規則の不利益変更であれば,多数組合の同意があれば,訴訟となるリスクが減るし,また万が一訴訟となったとしても,変更の合理性が認められる可能性が高い(労働契約法10条では,「労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情」が合理性審査において考慮される)のに対して,労働条件の格差問題については,こうした事情がないのです(この点では,たとえば労働契約法20条の不合理性の判断における「その他」の要素に手続的要素を組み込むことができるかどうかが解釈論上の一つの争点となるでしょう)。
  ということで,訴訟リスクがある以上,企業は労働条件の格差をつけにくくなり,そうなると企業は,これまでなら非正社員として雇っていた人を正社員として雇うようになるだろうというのが,政府の狙いとする非正規改革なのかもしれません。しかし,それは,ずいぶんと乱暴なものではないでしょうか。

 パート労働法の9条は,職務内容が同一であり,全雇用期間において人材活用の範囲が同一であれば,差別的待遇を禁止しています。この規定のように,正社員と比較されるパート社員について厳格な要件が課されていれば,原則として両者は同一に扱わなければならず,格差を設ける場合には,企業の方がその合理性を立証しなければならないとするのは,まだ理解できるところです。
 しかしいま議論されているのは,そういうことではないのではないでしょうか。欧州でも,正社員と非正社員(有期,パート)の比較をする場合には,「比較可能性」があるかどうかがまずチェックされます。日本で議論する場合にも,どのような非正社員が,正社員と比較可能となるかについての要件設定をしないまま(パート労働法9条だけはそのような設定をしている),企業の方に格差の合理性についての立証責任を課すと,前記のベテラン正社員と新人のアルバイト社員との比較のうえで,合理性を論じるというようなむちゃくちゃなことになります。
 もちろん狭義の「同一労働同一賃金」は,同一労働をしている労働者間での比較をするだけであるということかもしれません。たしかに,それならば比較可能性があるという考え方もありえます(同一労働だけで十分かは議論の余地がありますが)。それでも日本の正社員の多くは職務給ではないので,やはり比較可能性はないということになりますし,政府の「同一労働同一賃金」は,そもそも同一労働を問題としない日本型同一労働同一賃金です(このあたりは,ビジネスガイド835号の拙稿「(日本型)同一労働同一賃金は正しい政策か?」も参照してください)。
 最後にもう一つ,合理性の基準があればまだまし,という趣旨のことを前述しましたが,日本型雇用システムにおいて,正社員と非正社員との間で,格差の合理性の基準を設けることは現実には不可能でしょう。正社員を含め全員を職務給にしてしまうというような改革をすれば別ですが,そういうことを政府はやるべきではありません。ただ,これをやってもよいという人もいるので,そうした人と私との価値観の違いは深刻です。つまり,政府のイニシアチブで,正社員の賃金制度改革をしてもよいという点に賛同するかどうかが,この議論対立の根幹にあるところなのです。
 非正社員という存在は,正社員制度から生まれてくるものです。日本の正社員制度をどう考えるかが問題の根幹にあるのです(「正社員制度」については,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の第4章を参照してください)。
 正社員制度を軸とする日本型雇用システムの今後は,まずは労使がしっかり考えていくべきであり,とりわけ賃金などの処遇については,政府は過剰な介入をすべきではありません。もちろん個別の「病理」的ケース(長期的にパートで働いていて,正社員と自主的に同じような仕事をしているにもかかわらず,賃金の格差があるような場合)が存在しないとはいいませんが,そうしたケースに対処するための法的ツールをブラッシュアップしていくことこそ,法律家がやるべきことです。
 通常の手術のレベルをアップするだけで対処できる症状に対して,成功したときの評判に目がくらんで,誰もやったことがないような最先端の大手術で挑もうとされては,患者である国民はたまったものではありません。

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