労働法・雇用政策

2017年5月20日 (土)

フリーランスの契約保護

 昨日の日本経済新聞で,「厚生労働省はネット経由で仕事を受発注する『クラウドソーシング』の広がりを受け,フリーランスと契約する事業者向けのガイドラインを今年度中に改定する」と出ていました。
 自営的就労者に対する法的なサポートの必要性は,たびたびこのブログでも紹介していますし,昨年の経済産業省の「雇われない働き方」に関する会合でも政策提言をしました。もちろん拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)でも取り上げています(185頁以下)。
 自営的就労者に対する法的サポートは,経済的従属性のある「準従属労働者」とそのような従属性のない「真正な自営的就労者」とを分けて考えなければならないのですが,厚生労働省は「準従属労働者」のほうに着目しているのかもしれません。それはそれで大切とは思いますが,本丸は「真正な自営的就労者」であることは忘れてはなりません。ただそれを厚生労働省で対応できるかどうかはなんとも言えません。従属性のない労働者をどう扱うかは,放っておくと経済産業省のほうでルール化を進めていく可能性もあります。両省がしっかり協力してくれればいいのですが,そうなるでしょうか。
 記事では,「新たに仲介業者を対象に加え,フリーランスが仲介業者に払う手数料のルールを明確にする」とされています。仲介業者の規制についても,前掲書では言及しています(197-198頁以下)。雇用労働者の仲介では「募集に応じた求職者からの報酬受領の禁止」(職業安定法39条)や有料職業紹介における求職者への手数料の規制(同法32条の3第2項)がありますが,自営業者については,自営業の仲介に適合的な手数料のあり方を検討していくことが必要でしょう。そもそも雇用労働者における仲介ビジネスに対する手数料規制の妥当性については議論もあるところであり,そうした点もふまえた検討が進められていく必要があるでしょう。

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2017年5月15日 (月)

テレワーク成功の条件

 今朝の日本経済新聞の「エコノミクストレンド」では,慶応大学の鶴光太郎さんが,テレワークを取り上げていました。ようやく広がりつつあるようにみえるテレワークですが,またまた掛け声倒れになりそうな悪い予感もしています。多くの企業が本気でテレワークの効用を感じることができていないことも,その一因です。労働者も,テレワークでは調子がでないということもあるでしょう。古い頭の上司が,テレワークなんて勝手なことをするんだったら,しっかり成果を出してもらうよ,といった圧迫的な態度に出ることもあるでしょう。上司たちにとっては,自分がやったことがない働き方なので,これを理解しろというのは難しいのかもしれません。ワーク・ライフ・バランスもそうですが,テレワークなんて女性のやることだと考えている昭和の発想の人もいるでしょう。
 テレワークの定義にもよりますが,私はテレワーカーに含まれるのかもしれません。最近では,原稿は大学の研究室ではなく,自宅で書くことが多くなっています。VPNのおかげで,自宅にいながら大学のパソコンと同じ状況を実現できていることが大きいです(大学の仕事も,授業や会議等は別として,もちろん自宅からできます)。ワークとライフの混在となる危険性はあるのですが,幸い,私のような仕事は,半分自営業のようなところもあるので,完全に自己責任です。このような仕事の仕方にとって1番問題となるのは,どうしても面会をしてほしいという要求です。遠方から来られる方も多いのですが,できるだけSkypeでとお願いしています。テレワーク時代は,面会や会議はWEBを通してやることになるでしょう。
 個人的にも,大学でも,会議や授業や学生指導をwebを通してやることを認めてくれれば,完全にテレワーカーになることができます。これは技術的には可能です。大学こそ,教員のテレワーカー化に先進的に取り組んでもらいたいと思います(理科系のような実験が必要なところでは難しいので,まずは文科系学部からやりましょう)。
 もちろん私のような働き方ができるのは,いろんな条件にとても恵まれているからです。しかしその恩恵を実際に感じている者でなければ,テレワークの良さを伝えることはできないとも思っています。だからお前は恵まれているからできるだけだと思わずに,むしろ,どうしたらできるようになるかを考えていってほしいのです。もちろん,現在の働き方のままではテレワークの広がりは難しいでしょう。しかし仕事のさせ方を少しずつ変えていけば,テレワークの活用可能性はぐんと広がると確信しています。
 問題点はたくさんあるのですが,利点もたくさんあるのです。利点を生かすために,問題点を解決していくというアプローチを取っていてもらいたいものです。昨年9月に徳島の社会保険労務士の会議でテレワークの推進がテーマになっていて,私も基調講演をさせてもらいました。社会保険労務士は,テレワークを使った人材活用というものを積極的に学び,企業にアドバイスをしていけば,大きくビジネスチャンスが広がると思います。
 ところで本日の鶴さんの原稿で気になったことがあります。テレワークにおける健康配慮の重要性を唱えるのはいいのですが,「ICTを活用した労働時間の正確な把握が過重労働を避けるために必要不可欠な工夫だ」とされていることです。一見,何も問題がなさそうですが,法律家としては一言口をはさみたいところです。
 たしかに,私も,テレワークの導入を渋る経営者が,労務管理が難しくなるという理由を挙げるとき,最新技術の活用によって勤怠管理などは容易にできます,と説明します。実際そのような方法で労務管理をしている企業もありますし,それに対応するようなソフトなども開発されています。これはHIM的観点からの議論です。しかし労働法的観点からすると,これは指揮監督手法の拡大です。現在のひとつの大きな問題点は,ICTの活用によって,自宅で勤務していても,非常に精密な労務管理が可能となってしまうことです。これは最近別のところに書いた原稿で論じていることなのでここでは詳しくは書きません(いつ刊行されるか不明ですが年内でしょう)が,IoTの発達は,労働者にセンサー装着を義務づけることにより,どこにいても,機械によって行動を制御することを技術的に可能とするのです。企業にとってみれば,むしろ在宅勤務であろうとモバイルワークであろうと何でも来いで,どこにいてもコントロール可能だということです(そのコントロールはAIがやるのですが)。このことは労働法的には,事業場外労働のみなし制を適用する前提要件を欠くということでもあります(労働基準法38条の2)。「労働時間を算定し難い」という要件を充足しないからです。
 労働時間は,法律上の定義はありませんが,判例上「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」と定義されています(三菱重工長崎造船所事件・最1小判平成12年3月9日。拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第98事件)。このことは,使用者の指揮命令(監督)下に置かれるような時間こそが,労働者の健康に有害であって,だからその時間をカウントして上限規制をしようとするのが法の趣旨ということです。企業が,労働時間を把握しようとすることによって,最新技術を用いるというのは,どこか指揮監督を強化せよといっているような感じがして,健康配慮の趣旨と逆行する気もします。
 経営者には,そういう方法もあるよとは伝えますが,法律家としての立場から推薦するのは,最新技術をあまり労働者の指揮監督には活用せず,逆に健康面は,もっと労働者の自己責任にするということであり,そして,そうした自己責任に適しない労働者には,テレワークを導入しないほうがよいということです。
 テレワークをめぐっては,ICTの指揮命令の強化と自由な働き方の実現という功罪二面性をしっかり意識したうえで,政策論議をする必要があると思っています。
  AI時代のテレワークのあり方については,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)の159頁以下に,比較的詳しく書いているので,ご関心のある方は参照してみてください。

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2017年5月 3日 (水)

第133回神戸労働法研究会と第24回文献研究会

 4月22日に開催された神戸労働法研究会は,新年度で新人が4人入ってきて(日本人1人,中国人2人,台湾人1人),フレッシュな感じとなりました。神戸大学での新人というのは,社会人を除くと久しぶりです。私も,若手の育成の仕方をすっかり忘れてしまっています。私は,これからはどんな仕事でも真のプロを目指してもらわなければならないと考えており,緩めることなく,プロの基礎トレーニングをしてもらおうと思っています。ついてこれなければ落伍するのも仕方ないと思っています。
 ところで研究会の報告者は,前にも紹介したように,JILPTの山本陽大君が,ドイツのデジタライゼーションなどをめぐる政策課題を扱った白書についての報告を,次いで,オランゲレルさんが「中国法における『同一労働同一賃金』原則の現状と課題」というテーマの報告をしてくれました。混乱をきわめる「同一労働同一賃金」ですが,中国の議論もまたかなり複雑でした。
 その前に開催された文献研究では,所属が変わって,世界人権問題研究センター専任研究員となった河野尚子さんが「兼業・副業」をテーマに報告してくれました。ちょうど本日の日本経済新聞で,厚生労働省が複数企業で働く労働者が労災にあった場合の給付基礎日額を合算する方向での検討をするという記事が出ていました。厚生労働省は,かつて検討対象としていたものですが,昨今の副業ブームのなかで,ようやく厚生労働省も重い腰を上げたというところでしょうか。モデル就業規則の見直しに続いて,昨年の中小企業庁の研究会で指摘していた法改正が,次々と実現していくのは,私にもやや驚きです。
 ところで,この文献研究会で,河野さんの指摘を受けて気づいたのですが,菅野先生が,労働基準法38条1項の解釈について,表現をかなりマイルドに修正されていました(『労働法(第11版補正板)』464頁)。異なる企業で働く場合の通算について,行政解釈は肯定,菅野説は否定ということで,私も否定説(同一使用者内での通算はするが,異なる使用者間では通算しないという見解)を支持していたのですが,教科書では「両論ありうる条文」とトーンダウンし,また先生ご自身の説としても,同一使用者の下での異なる事業場での労働時間の通算規定である「と解してもよかったと思っている」という語尾が追加されています。先生は依然として否定説ではあるのですが,あまり否定説の論拠に自分の名前を持ち出すのは困るというメッセージが含まれているのでしょうか。
 こういうところの発見が文献研究の面白さでもあるのですが,それはさておき,個人的には,複業時代における今日的な法政策としては,こういう実効性のない通算はやめて,別のアプローチで労働者の健康配慮を実現していくべきだと思っています。
 いずれにせよ,もし労災保険の法改正があれば,次は雇用保険や社会保険も視野に入ってくるでしょう。まだまだ,この分野の立法政策論にはやるべきことがあり,若い河野さんに,議論を引っ張っていってもらえればと思います。

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2017年4月28日 (金)

休日労働の抑制

 昨日の労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)の労働条件分科会で,厚生労働省が休日労働の抑制を労働基準法の指針に明記する案を示した,という記事が日本経済新聞の昨日の夕刊と今日の朝刊に出ていました。残業時間の特例の上限を原則,年720時間とするなかに休日労働分が含まれず「抜け穴」との批判があったことに対応したもののようです。
 分科会に要請したいのは,三六協定を維持するならばそれでよい(私は本来は不要論です)が,それならば,時間外労働や休日労働は法定労働時間の例外であるということをもっと強く打ち出すことです。私が考えていた絶対的上限はもっと厳しいものだったので,現在の案では実質的には絶対的上限とは言えないようなものです。それならば,法の本来の趣旨に立ち返り,法定労働時間や法定休日を超えることは例外的なことであるということを明記してはじめて限度時間やさらに特例の720時間といった数字が多少は許容可能なものとなっていくと思います。最初から年720時間まで時間外労働ができるというような印象を与えてしまってはいけません(マスコミの報道の仕方の問題もあるのでしょうが)。
 そう考えると休日労働について,抑制的であるべきだという程度のことでは不十分で,労基法35条の週休制が原則なのだということが,もっと強く打ち出されなければなりません。私は休日労働については,おそらく連合もびっくりの強硬派です。
 かつて『君は雇用社会を生き延びられるか-職場のうつ・過労・パワハラ問題に労働法が答える』(2011年,明石書店)では,私は週休制の徹底を主張していました。そこでは具体的には変形休日制(4週で4休日[労基法35条2項])を廃止すること,休日労働については代休を義務づけることを提案しています(192頁以下)。その後の『雇用改革の真実』(2014年,日経プレミアシリーズ)では,週休1日の徹底と休日労働の原則禁止を主張しています(186頁)。しかし,こうした提案はまったく相手にされなかったので,その後の『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(2015年,中央経済社)では,主張を緩和させて,変形休日制は4週間単位ではなく2週間単位とすること,休日労働についても時間外労働と同様のガイドライン方式を導入することなどの提案をしています(200頁)。ガイドライン方式は,同書のなかで,時間外労働について定めた内容と平仄をあわせるため,三六協定や割増賃金に代わる事前規制方式を休日労働でも取り入れるべきだとしたのです(休日労働命令の不意打ちを避けるようにするねらい)。しかし心のなかでは,明石書店で書いたような代休の義務化という提案は依然として魅力的だと思っていました。ただ経営者側に聞くとそれは無理だとほぼ異口同音だったので,現実性が乏しいと思っていたのですが,現在の働き方改革の流れの中では,確実に休日を与えるという主張が,ひょっとしたらもっと受け入れやすいかもしれないと思うようになっています。
 いずれにせよ休日についての法の原則は,労基法35条1項の「使用者は,労働者に対して,毎週少くとも一回の休日を与えなければならない」です。休日に労働をさせることは,この原則に反するものなのだという原点から議論を進めてもらいたいです。そうすると休日労働があることを前提にその抑制をするのではなく,努力義務程度であれば,むしろ代休を付与するよう努める,といったことを書いてもらいたいものです(代休を付与するならば,休日労働はそれほど強く抑制する必要はなくなります)。同じことは,休日の事前振替(現行法上も就業規則等に根拠規定があれば可能)に着目することでもよいのです(もっとも安易に事前振替がされるようだと,不意打ち的な要素があるので問題ですが)。
 厚生労働省が休日に着目してくれるのは有り難いのですが,着目の仕方には注文をつけさせてもらいました(もちろん,会議では,すでに私の述べたようなことをふまえた議論がされていたのかもしれませんが)。いずれにせよ,休日労働に対する強い規制を加えていこうとするならば,私は応援していきたいと思います。この休息という観点から,さらに年休改革にもつなげてもらいたいですね(もしまだならば,『勤勉は美徳か-幸福に働き,生きるヒント』(光文社新書)の第6章「休まない労働者に幸福はない」も読んで,問題意識を共有してもらいです)。

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2017年4月24日 (月)

ロボットが仕事を奪う

 日本経済新聞の日曜版の第1面で,今後,ロボットによって人間の仕事がどこまで奪われるかの推計結果が出ていました。人間の職業を,業務に分解し,どこまでロボットによって代替されうるかを測定したようです。
 私はあるプロジェクトで,これと似た発想の企画を提案中ですが,その内容はここではまだ書かないことにしましょう。より直接的に,ロボットやAIの発展が,雇用にどのように影響を及ぼすかをみる方法があると考えています。
 それはさておき,ロボットによる代替可能性は,一つの大きなインパクトにはなるでしょう。記事では,日本は「主要国で最大となる5割強の業務を自動化できることも明らかになった」とされています。ロボットに代替されやすい定型的な業務がそれだけ多いということでしょう(日経の電子版では,業種と職業を選択すれば,代替率を示してくれるサイトがあります。https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/ft-ai-job/)。
 拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(2017年,弘文堂)は,こうした技術の発達が,人間の雇用について,支援(効率化),代替(雇用減少),創出(雇用増加)といった多様なインパクトがあるものの,総量的には減少傾向にあり,いずれにせよ職業訓練による人材の再配置が起こるので,そうした未来予想のもとに政策的対応をする必要性について論じたものでした。ただ,こうしが議論は,国民が,そもそも雇用に深刻な影響が生じるという問題認識を共有してくれなければ,どうしようもありません。日本経済新聞の記者は,私と問題認識を共有してくれているようであり,今回の記事もそういう視点が十分に出ています。
 ところで,先日の神戸労働法研究会では,先月の北九州私立大学でのワークショップに引き続いて,JILPTの研究員の山本陽大君が,ドイツの白書「Arbeiten4.0」という白書(Weißbuch)の内容全体を報告してくれたのですが,そこでわかったのは,ドイツの政策の方向性が,驚くほど拙著の内容と似ていたことです。私はドイツの政策の動向については,まったく知らなかったので,びっくりしました。現状認識を共有すれば,どこの国であれやるべきことは,自ずから似てくるということでしょう。もちろん細かいところには違いがあります(集団的労使関係の位置づけなど)。また拙著では,真正な自営的就労者に対する法政策を重視していますが,ドイツは,政策対象は従属労働者以外は準従属労働者(労働者類似の者)までにとどまっているようです。
 とにかく外国の動向も視野に入れながら,これからの社会を見据えた労働政策が必要となります。まさに2035年の労働法を考えなければならないのです。来月の12日にJILPT主催の「The Future of Work 仕事の未来」というシンポジウムが東京でありますが,そこではどんな議論となるでしょうか(私は,後半の1時間ちょっとのパネルディスカッションの進行役として参加します)。

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2017年4月22日 (土)

労働時間制度改革を正しく進めよ!

 昨日の日本経済新聞の社説において,労働時間法制の改革が遅れていることについて批判的な記事が出ていました。書かれている内容は,私が日頃言っているとおりのことで,異論はありません。安倍政権は,都議会選挙のような目先の利益にとらわれず,これだけ多数の支持を得ている今だからこそ,しっかり将来を見据えた政策や法改正を進めるべきなのです。
 ただ,安部首相の周りにいる官僚のブレーンがどうも雇用政策に無知な人が集まっているのではないかという不安があります。同新聞で,「内閣官房の研究」というのが,3回連載されましたが,その初回で,いきなり出てきたのが,新原浩朗内閣府政策統括官の名です。経済産業省出身で,内閣官房の「働き方改革実現推進室」の実質トップを務める,と紹介されていました。厚生労働省を労働政策の中心から追い出してしまい,強引に「同一労働同一賃金の原則」の法制化を進めようとしているという噂が,私の耳にも入っています(真実はよくわかりませんが)。労働時間の上限規制に力を入れすぎているのも問題です。
 個人的には,経済産業省の政策の方向性にほとんど異論はないのですが,しつこく書いているように「同一労働同一賃金」だけは,あまりにも筋が悪いもので反対しています。官邸周辺で,どのような力学が働いてるのかわかりませんが,日本の雇用や労働を本当によくわかって,何が国益にかなうか,現在そして将来の国民の幸福につながるかを真剣に考えてるい人が,安部首相のブレーンになってほしいです。
 ホワイトカラー・エグゼンプションに話を戻すと,Business Labor Trendの2017年4月号で,本家のアメリカにおいて,「ホワイトカラー・エグゼンプション見直しが後退の見通し」という記事が出ていました(42頁)。短い内容なので,詳細はよくわからなかったのですが,どうもホワイトカラー・エグゼンプションの対象を定める収入要件を,ブッシュ政権下で引き下げられた(エグゼンプションの対象者を広げた)のに対して,オバマ政権は,その引き上げを行おうとしていたのを,トランプ政権が止めたということのようです。
  私の考えている日本型のホワイトカラー・エグゼンプションでは,収入要件を不要としています。大事なのは働き方の特性に応じた労働時間規制をつくることであり,自らの裁量のもとに知的創造的な業務に従事する労働者は,時間比例で増加していく割増賃金により労働時間を規制するのに適しないということが,改革のポイントです。多くの収入があるから,エグゼンプションしてもよいということではありません。詳細は,拙著『労働時間制度改革』の第8章(提言をしている箇所)を読んでください。

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2017年4月13日 (木)

第132回神戸労働法研究会

 最初の報告者は先のブログで書いたように,私が解雇に関する研究の成果報告をしました。私の科研費による研究の成果報告会であると同時に,共同研究で進めている出版事業の中間報告でもありました。
 もう1人は,社会システムイノベーションセンターのプロジェクトの一環として,近畿大学(当時。現在,関西大学)の原弘明氏さんをゲストにお呼びして,「労働法における法人格否認の法理と事業譲渡にかかる労働契約の取扱い: 会社法の視点から」というテーマで,報告いただきました。
  原さんは,以前,守島基博さんと私の共著の『人事と法の対話』(有斐閣)について書評論文を執筆してくださったことがあり,これまで会社法と労働法にまたがった研究をされています。私が以前ブログにおいて法人格否認の法理について会社法学者の意見も聞いてみたいと書いたことに触発されて論文を執筆したということでしたので,ぜひお呼びして話を聞いてみたいと思ったのです。論文は,法政研究82巻2/3号681頁以下に掲載されています。
 詳しくは,そこを参考にしてもらいたいですし,そこで書かれている内容について,労働法研究者として,きちんとしたリプライの論文を書くべきと考えています。
 研究会での議論を少しだけ思い出しながら書くと,会社法においては,法人格否認の法理のイメージは,背後に個人がいる場合を想定していて(たしかに昭和43年の山世志商会事件・最高裁判決もそのような事案ですし,学部で会社法の講義で江頭憲治郎先生からお聞きしたときもそういう感じでした),親子会社の類型での法人格否認の法理の適用は,この法理の通常のイメージからは外れているようです。それと同時に,法人格否認の法理は,他の法理論によって実質的に妥当な結論を導き出すことができない場合に発動される例外的救済法理であり,労働法がやってるようなリジッドな場合分けや分類になじまないのではないか,という感想を原さんはもたれているようです。たとえば,濫用類型と形骸化類型の二分法は,十分な根拠がないのではないか,偽装解散の法理を濫用類型にしか適用しないのはおかしいのではないかなどです。
 私は個人的には,形骸化類型というのは,実態を法理論に反映させるべきという要請からくるもので,しかもそのような場合には,黙示の労働契約の法理で対処できることが多いため,あえて法人格否認の法理を持ち出す必要はないと考えています。
 濫用の場合には,法人格を濫用とした会社組織編成をしていた場合であれ,具体的な行為(解散+解雇など)において法人格を濫用としようとしていた場合であれ,当該行為の反規範性から背後にいる主体への責任帰属を肯定できるかということが重要な考慮要素になるものとみていますが,その帰結は別に雇用責任を課すことでなくてもよく,損害賠償請求という責任追及方法でもよいのでは,というのが私見の立場です(これは解雇の金銭解決の議論とも関連しています)。この点で形骸化類型と濫用類型は違っていると思うのです(私見の詳細は,拙著『労働法実務講義(第3版)』(2016年,日本法令)186頁以下)。ただ,この結論だけをみれば,おそらく原さんの考え方とそれほど違わないような気がします。
 第一交通産業ほか(佐野第一交通)事件の処理については,原さんは親会社との間で労働契約の存在を認めてよいという立場です。ここでは原さんは,要するに誰のもとで雇用関係を認めるのが実質的に妥当かという観点から判断すべきだとされています。実質論として親会社との間で労働契約を認めるのが妥当といえるかどうかはともかく,実質論を正面から打ち出してよいというところは,私には斬新です。労働法はもっとこのあたりを精密にしていかなければならないと思ってきたと思いますが,これは法人格否認の法理の性格に合わないということでしょうかね。
 私は,第一交通産業ほか(佐野第一交通)事件の処理については,一般論は,譲渡先の別子会社と譲渡元の子会社との間に同一性があれば,偽装解散の法理により別子会社との間で労働契約を認めてよいのではないか,という気がしていますが,この事件では,そうした同一性がない事案であったことからすると,結論は濫用をした親会社への不法行為による損害賠償にとどめるべきように思えます(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第17事件を参照)。
 いずれにせよ,会社法の観点から,法人格否認の法理についての「筋」の議論をお聞きできたのは,たいへん有益でした。今後も,こうした異業種交流を続けていくことができればと思っています。そして,原論文に対しては,きちんと論文でリプライして,議論を活性化できればと思っています。原さんには,できれば団体法の使用者性についてもやっていただけないか,とお願いしました。

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菅野・荒木編『解雇ルールと紛争解決』

 菅野和夫・荒木尚志編『解雇ルールと紛争解決-10カ国の国際比較』(労働政策研究・研修機構)をいただきました。どうもありがとうございます。解雇法制について,日本,イギリス,ドイツ,フランス,イタリア,スペイン,デンマーク,韓国,オーストラリア,アメリカを対象国として行ったものです。JILPTで出されていた調査をまとめたもののようです。資料的価値が高いので,多くの人が参照するでしょうし,そうすべきでしょう。しかしながら……
 実は私たちも経済学者と一緒に解雇法制(金銭解決が中心)に関する共同研究を,長い時間をかけて進めてきました(このブログでも何度も書いています)が,これがようやく大詰めにさしかかっています。おそらく,この研究は既存の同種の研究にはないものを含んでおり,私自身も背筋がぞくっとするような驚くべき内容になりつつあります。その内容に自信がもてなくて,まずは法学系の意見を聞くために,3月の神戸労働法研究会で中間報告をしてみました。そこでの議論から,いろいろ改善点がみつかったので,その後も精度を高めるための作業を進めています。
 解雇法制について,次の国会で検討されるかもしれないので,それに間に合わせたいと思っています(といっても私たちの提案がそのまま受け入れられるとは考えられないのですが,議論をするうえでの新たな視点は十分に提供できるでしょう)。私たちが考えていることは,解雇規制を紛争解決という視点だけからみていてはダメということです。経済学者が標準的に考えている解雇規制に,法学側が真剣に向き合って,ほんとうの意味のコラボをすればどうなるか,ということを提示しようとしています。キーワードは,「許されない解雇」と「許されうる解雇」の区別です。「許されうる解雇」をどのように規制(コントロール)するか,これを日本の労働市場実態や比較法的知見もふまえて,具体的な政策提案に落とし込む作業をいまやっています。
 予告編はこの程度にしておきましょう。

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2017年3月28日 (火)

1人親方の保険加入問題

 今朝の日本経済新聞で,「建設業の社会保険加入を急げ」という社説が出ていました。これもまた一種の働き方改革でしょう。建設業界の人手不足な深刻なようです。その解決のためには,広義の雇用条件の改善が不可欠であることはよく理解できます。
 社説の冒頭は,「政府が4月から建設工事の元請け会社に対し,社会保険に加入していない作業員は現場で働かせないルールを徹底させる」とし,さらに「建設工事で働く作業員は,中小企業の従業員や単独で現場を渡り歩く『1人親方』が多い」という部分です。ここを続けて読むと,個人事業主である「1人親方」が保険加入をしなければ,仕事を委託しないことにするという話のように思えます。国土交通省が,「1人親方」の保険加入を推進しているということは,これまでにも耳にしたことがあります。
  ところで,この社説では,先ほどの部分のあと,「建設不況を受け,総合建設会社(ゼネコン)や一次下請けが技能者を社員として雇わなくなったからだ」と続きます。
 読者にとっては,何が問題かわかりにくくはないでしょうか。建設業の社会保険加入については,次の3つの異なるタイプの問題があるのだと思います。
 第1が,建設業者が,単に社会保険に加入していないという,単純な違法事例。そうした未加入企業には,政府からの発注について,受注対象企業から排除するといった規制が効果的でしょう。
 第2が,「1人親方」が,国民年金や国民健康保険に加入していないという問題です。これは本人の問題なので,どうしようもないところあります。だからこそ国土省は啓発活動をしているのでしょう。発注会社も,本人の社会保険加入などを確認してから発注するようにするということが,問題解決につながるかもしれません。この解決方法は,受注対象企業からの排除という第1の方法と同質のものです。
 第3は,「1人親方」の労働者性の問題です。不況のなか,ゼネコン等が技能者を社員として扱わなくなったという表現だけを見れば,労働法屋からすると,偽装事業者問題ではないのかという疑問が浮かんできます。
 もし就労実態からみて労働者であれば,発注会社が「1人親方」のために被用者保険に加入しなければならないことになります。つまり,第1の問題と同じ解決方法となるのですが,この第3の問題に固有の論点は,労働者性の判断が明確ではないというところです。発注会社は偽装の自覚がない可能性も十分にあります。
 判例には,「1人親方」の労働者性を否定したものもあります(藤沢労基署長事件・最高裁第一小法廷判決平成19年6月28日)が,結局は,ケースバイケースの判断になるので,「1人親方」のすべてが非労働者というわけではありません。また,この判例は労災保険法上の労働者性の判断に関するものであり,社会保障法上の被用者性が,これと同じである理論的必然性はありません。
  これは,インディペンデント・コントラクター一般の問題でもあります(以下は,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の第7章も参照)。真正な自営的就労者や準従属労働者である場合には,本人の社会保険加入の問題となり,これが偽装自営業者であると,発注元の会社がその偽装自営業者(労働者)を加入させる義務違反の問題となるということです。
 建設業における「1人親方」の保険未加入は,みずからが労働者かどうかはっきりしないため,どの保険に加入してよいか分かりにくいということも関係してはいないでしょうか。私は,インディペンデント・コントラクターに関する政策として,雇用労働者と自営業者とで異なる社会保険や労働保険の見直し(統合化)を検討すべきだと述べていますが,この点が改善されていくと,「1人親方」の保険加入は少しは促進されるのでは,と考えるのは楽観的すぎるでしょうか。

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2017年3月17日 (金)

日本労働研究雑誌の学界展望へのコメントその2

 昨日の続きです。もう一つ「労働委員会制度に未来はあるか?―その専門性を問い直す」季刊労働法252号も採りあげていただきました。中窪さんから,「この著者にしては……比較的穏当な,かなり現実に即して議論をしているように思います」というコメントを頂きましたが,私はいつも「現実に即して」議論しているつもりであり,その現実の見方が他の人と違っていることが多いだけなのだと思っています。たとえば,昨日も触れた労働者弱者論こそ現実に即していないと,私のほうでは思っているのです。今回の労働委員会に関する議論については,おそらく中窪さんと現状認識が一致したのでしょう。内容自体は,かなり過激な論文で自分では思っています。
  この論文は,労働委員会の実務を10年近くやってきたなかで,ずっと書きたくて,うずうずしていたテーマでした。労働委員会の本来の仕事は何なのか,とくに1号事件(不利益取扱い事件)について,労働審判などの司法手続との違いを意識していない実務は適切かなど,労働委員会の独自性や存在意義に関わる論点を,理論的に詰めていきながら,労働委員会制度や運用の問題点を指摘することを試みたものです。
 結論としては,労働委員会は,不当労働行為救済や争議調整という集団的労使紛争の解決機関としての原点に返って,その専門性を磨くことに専念すべきであり,個別労働紛争のようなものにウイングを広げるべきではない,ということです。それこそが労働委員会制度を真の意味で大事にすることだというメッセージも込めています。
 今回の討論に対する若干の不満は,労働委員会をできるだけ活用したほうがよいという議論は,わからないではないのですが,紛争解決システムの中で,なぜ労働委員会を使わなければならないのか,ということについては,十分に意識して議論されていないように思える点です。たとえば,個別紛争事件を労働委員会で扱うことについて,緒方さんの「労働審判の役割と重なるかもしれません」という発言に対して,川田君は「労働審判の場合,建前では,実務経験者である労働審判員は労使それぞれの代表者ではないということなので,労働委員会の労使委員と比べると当事者との接触の密度は違うということは言えるかと思います」と述べていますが,この程度のことでは,私にとっては全然説得力はないのです。とくに労使委員の出身母体と,実際に紛争になることが多い地域合同労組と中小企業との間には,大きなズレがあるので,いっそうそう感じてしまいます。
 紛争解決チャンネルがたくさんあればいいという考え方には,私は与していません。労働委員会の本来の専門的任務を果たすためには,まだまだやるべきことがあって,その専門性を磨いてほしいということ(本当に意味のある研修をすべきであること),一方で事件数が少ない県においては,専門外のことに手を出すのではなく,そもそもなぜ各県に労働委員会がなければならないのか,ということを考えてほしいということを強く訴えかけたいです。
 討論の最後のほうで検討していただいた中労委改革は,中窪さんも,緒方さんも,方向性としては賛成してくれているようです。
 いずれにせよ,現状維持あるいは膨脹主義的な組織の論理を捨て,限られたリソースをいかにして効率的に使って(とくに税金が無駄に使われていないかという視点),ほんとうに国民のためになるような労働紛争解決サービスを提供するか,ということを考えた改革が必要です。本論文で,いろいろとアイデアを出している(すべてが私のオリジナルというわけではありません)ので,会長も代わり新体制となった中労委のほうで,ぜひ真剣に取り組んで頂ければと思います。

 と,いろいろ書きましたが,今回は多くの論文のなかで,私の論文を2本も検討していただきました。個人的には,ICT関係の論文も検討してもらいたかったという気持ちはありますが,これは「派手な」論文で,これに対し,今回の2本は「地味な」論文です。地味だけれど,かなり力を入れて書いた論文に光をあててもらったことには,たいへん感謝しています。ありがとうございました。

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