読書ノート

2017年6月28日 (水)

鎌田耕一・諏訪康雄編『労働者派遣法』

   鎌田耕一・諏訪康雄編『労働者派遣法』(三省堂)をいただきました。どうもありがとうございます。労働者派遣法の入門書です。非常に分かりやすいつくりになっており,厚生労働省での政策立案に関わった著者たちが,いわば啓蒙活動のために執筆したものと言えるのでしょう。
 忙しい方は,諏訪先生が執筆された序編「労働者派遣法の道しるべ-構造・機能・歴史」と第1編「労働者派遣法の歴史」を読むだけでも,労働者派遣法の全体像がよくわかると思います。
 第2編以下は,「法の目的と労働者派遣の概念」,「労働者派遣事業の許可」,「労働者派遣事業の規制」,「派遣元・派遣先間の法律関係」,「派遣元・派遣労働者間の法律関係」,「派遣労働者・派遣先間の法律関係」,「労働基準法等の適用の特例」,「紹介予定派遣」,「労働者派遣法の実効性確保」となっています。
 理論的には,「派遣労働者・派遣先間の法律関係」の編が,労働者派遣における難所であり,そこは山川隆一先生というエースが投入されています。
 三省堂出版の労働法の本というのはあまり知らなかったのです(コンパクト型の六法は知っていましたが)が,一般人向けの本に,これだけの執筆者を集めて,面白い本を刊行したのはやや驚きです。
 専門家はともかく,派遣とは何かを,少ししっかりと学びたい人にはお勧めです。そのうえで,もっと理論的に踏み込んで学びたいと思えば,本庄淳志『労働市場における労働者派遣法の現代的役割』(弘文堂)を手に取ってください。

 

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2017年6月18日 (日)

北原恵海『ちょっと今から仕事やめてくる』

 北原恵海『ちょっと今から仕事やめてくる』 (メディアワークス文庫) を読んでみました。つらい会社員生活をしている人には,身につまされる小説でしょう。
 青山隆は,中堅の印刷会社の新入社員でした。別に入りたくて入ったわけではない会社ではありましたが,自分を採用してくれた会社のために頑張ろうと当初は前向きでした。
 ところが現実は厳しかったのです。新入社員ならばミスがあって当たり前なのに,怒鳴り散らしてばかりの部長。部長がなかなか退社しないために,連日残業。おまけに休日でも平気で携帯電話をかけてきて,取引先のクレームの責任をとるようにヒステリックに電話の向こうで叫ぶ。
 こんな毎日で,青山は,自分の時間などなく,いつしか笑うことも忘れてしまっていました。満員社員にゆられて,こんなはずではなかったと思いながらも,まだ半年しか勤務していない会社を辞めることもできず,徐々に追い込まれ,駅のホームでふらふらとしていた彼の前に,突然「ヤマモト」という男が現れました。小学校の同級生だったということで話が盛り上がります。ヤマモトと話しているうちに,青山は人生に前向きになれそうになっていたのですが,そんなヤマモトに疑惑が生じてきます。ヤマモトのことについて記憶がなかった青山が,小学校のときの友人に問い合わせるなかで,小学校時代に山本という同級生はいたものの,その同級生は海外にいることがわかったのです。そのことをヤマモトに問い詰めると,彼は自分の名は山本だが,別人であるとあっさり白状したのです。さらに彼は自分は山本純という名であると明かしたのですが,青山が山本純を調べていると3年前に死んでいることがわかりました。目の前にいるのは幽霊の山本なのでしょうか。
 ということで話が展開するのですが,もちろん山本は幽霊ではなかったのです・・・。
 山本は親身になって青山の仕事ぶりを心配し,会社を辞めることを勧めます。そして自殺をしようとしていた彼に,そんな早まったことはせず,自分を大切に育ててくれた親のことを思い出せといいます。このアドバイスが青山を変えていきます。そして,ついに青山は,部長に啖呵を切って会社を辞めます。ヤマモトにそれを報告しようとしたとき,彼はすでに姿を消していました。山本はいったい何者だったのでしょうか。その後,青山は無事転職します。
 就職前の若者にも,就職して悩んでいる人にも,ぜひ読んでもらいたいですね。先週火曜の労働法の講義は「労働契約の終了」がテーマだったのですが,そこで私は「いつでも辞めていい」という知識が大切だと,力説しました。一般の人に労働法で教えるべきことを一つ選べと言われたら,期間の定めのない契約においては「辞職の自由があること」だ(民法627条)とも,授業中に述べました。
 この小説は,まさに辞職していいんだよ,ということを伝えてくれています。たしかに,誰にでも山本のような人が近くにいるわけではありません。でも,たとえ彼女がいなくても,友達がいなくても,いつも自分の味方になってくれる人がいるということを思い起こしてほしいのです。それが母親であり,父親なのです。青山はそれを知って,人生をリセットできました。みんな幸福をめざして,少しは自分勝手になってもいいのです。会社に人生を捧げる必要はありません。

 今日は,法政大学でJIRRAの研究会がありましたが,移動中や総会の合間や休憩中に時間をみつけて,スマホのKindleで,読み終えることができました。研究会のまじめなアカデミックな議論と,この小説は,私の頭のなかでは奇妙に共鳴していました。 ★★★(軽く読めるが,メッセージは重く,ちょっとミステリー的要素もあって味わい深いです)

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2017年6月17日 (土)

折原一『異人たちの館』

  折原一『異人たちの館』(文春文庫)を読みました。3度目の文庫化だそうです。手の込んだ力作でしたね。600頁くらいありますが,一気に読めます。ただ速読はできず,じっくりと読む必要があります。
 小笠原淳という樹海で失踪した男性の母親妙子から,息子の伝記の執筆を依頼された島崎潤一。彼は売れない小説家でしたが,いまはゴーストライターをしながら糊口をしのいでいます。妙子から,息子の部屋にあるファイルをみながら伝記を書くよう指示されたため,潤一は小笠原家のある洋館のような屋敷に日参するようになります。
 淳にはユキという美しい妹がいますが,妙子はユキが島崎と接触することを嫌がります。どうも妙子はユキを嫌っているようです。
 島崎は,淳の出生前からたどっていくのですが,実は妙子は未婚の母であること,その後,再婚し,その相手の連れ子がユキであること,再婚相手は失踪して行方不明であること,淳は小説家としては大成しなかったことなどがわかります。そのほかにも淳が早熟の天才であることなど,次々といろんなエピソードが出てきます。ユキも小さいときに幼女連続殺人事件に巻き込まれたが彼女だけ無事であったことなど,波乱万丈な人生を送ってきています。
 潤一は,いろんな関係者へのインタビューをしながら淳の生い立ちをだとっていきます。淳がそのときどきに書いていたミステリー小説(実際にあったことをモデルにして書いていた)も,淳がどういう経験をしてきたかを示しています。こうして,淳の人生が明らかにされていくのですが,その間,淳とユキとの関係,淳と潤一の関係,ユキと潤一の関係などが,次々と展開してきます。また,随所に挿入されている,洞窟で取り残されている者の助けを求める声なども不気味感を高めています(でもこの小説はホラーではありません)。
 とても簡単にはまとめれないのですが,多くの多層的に展開するストーリーは,見事に最後に集結します。
 個人的には,ユキが幼い頃から美人だがセクシーであるのはなぜか,淳が8歳のときに児童文学賞をとるが,アメリカで類似の物語の盗作疑惑があったことがどういう意味をもっているのかが,読んでいるときから気になっていたのですが,このことはタイトルにもある「異人」と関係していました。しかも,「異人」は,本書のBGMといえる「赤い靴」に出てくる「異人さん」であると同時に,まさに洋館に住むいろんな意味での異人だったのです。
 折原一の最高傑作と言われるだけのことはあります。★★★★(ミステリーの傑作)

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2017年6月12日 (月)

湊かなえ『リバース』

 湊かなえ『リバース』(講談社文庫)は,彼女の作品にしては珍しく男性が主人公のミステリーです。やや屈折した男性心理の細かい描き方には,違和感が残るところもありましたが,小説自体は,精密で無理のない構成に,いつもながら感心しました。以下,ネタバレあり。  「深瀬は人殺しだ」という言葉から始まります。深瀬と大学の同期である村井,谷原,浅見の4人の間には,墓場までもっていかなければならない秘密がありました。それは村井の別荘での夜,同じ仲間であった広沢が車の事故で死んだのですが,問題はその原因でした。実は,別荘に遅れてきた村井が,最寄りの駅に迎えにきてくれないかと頼んできました。タクシーはすぐには来そうになく,村井の別荘に来させてもらっているという負い目もあった4人は,すでに酒宴が始まっていましたが,つきあいでいやいや飲まされていた広沢に運転するように頼みます(酒の飲めない深瀬は運転免許がありませんでした)。そして,その途中で広沢は事故死するのです。広沢が飲酒していた事実こそ,4人の秘密でした。飲みたくもない酒を飲まされた広沢に,運転に無理に行かせたこと(村井は車で迎えにきてもらうことにこだわったこと)に,彼らは負い目を感じていました。  そんななか,「深瀬は人殺しだ」という手紙が,深瀬が付き合い始めたばかりの美穂子の職場に届きます。深瀬は,ひょっとして広沢の事故の真相を知っている者が脅迫状を送ってきたのだと思います。深瀬は自分は人殺しではないということを説明するために,美穂子にありのままを伝えます。しかし,美穂子は深瀬を人殺しと断じました。そして二人は別れることになりました。  その後,浅見は社宅の駐車場の車に「人殺し」とする紙を貼られ,谷原は職場に,村井は父親の選挙事務所に同様の手紙が送られてきました。いずれも悪質ないたずらとして扱われましたが,当事者たちは,広沢の事故の真相を知る誰かが復讐しているのではないかと考えます。そんななか,谷原が駅のホームから突き落とされるという事件が起きました。幸い,命は大丈夫でしたが,4人は恐怖におののきます。  深瀬は,広沢の一番の親友であったという思いから,広沢の故郷にまで行き,誰が手紙を送ってきているのかを探しだそうとします。少しずつ手がかりが出てきます。そして,最後に驚くべき真相が明らかになります。  美穂子が受け取った「深瀬は人殺しだ」は,美穂子のストーカーがやった単なる嫌がらせにすぎませんでした。しかし,残りの3人への嫌がらせは,広沢の事故に関係していました。ところが,広沢を(結果として)殺したのは深瀬だったのです。たとえ故意によるものではないとしても。ここが巧いところでしたね。  この本を読むと,コーヒーが飲みたくなります。でも蜂蜜はパスかも。 ★★★(ミステリーの秀作でしょう)

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2017年6月 7日 (水)

東野圭吾『虚ろな十字架』

  東野圭吾『虚ろな十字架』(光文社文庫)を読みました。死刑廃止論が根底にある小説です。以下,少しネタバレあり。
 中原家の8歳の愛娘を惨殺した男は,かつて無期懲役を受けた後,仮出所していた男でした。夫婦は死刑を望んでいました。1審は無期懲役でしたが,控訴審で死刑判決となりました。しかし,その後,夫婦は事件のことをひきずってしまい,結局,離婚しました。その離婚した妻の小夜子が,あるとき殺されました。殺害したのは,町村という男であり,通り魔殺人として警察では処理されたのですが,少し不可解なところがありました。事件の起きた場所,時間,そして町村が自首してきたことなど,通り魔には思えないところがあったのです。
 孫も娘も理不尽に殺されてしまった小夜子の両親は,小夜子の事件では死刑は難しそうでしたが,死刑判決を望みます。実は小夜子は,死刑賛成論者でした。離婚後,被害者の会に参加し,殺人をおかした者は,誰もが死刑になるべきという考えをいっそう強くもつようになっていました。もっとも,自分の娘の事件で加害者側の弁護士にインタビューしたとき,娘を殺した犯人は死刑が決まると反省や謝罪の気持ちをもたなくなったという話を聞き,そして,事件にはそれに応じた終結方法があると聞いて,死刑賛成論に迷いが生じていました。その迷いは,小夜子が書いていた未刊行の原稿のなかでも現れていました。
 離婚していたとはいえ,けんかをしたわけではなかった中原は,妻の遺志をひきついで出版にとりくもうとします。そして,その過程で小夜子殺人の真相に近づいていくのです。
 加害者の町村は,娘の花恵と疎遠でしたが,花恵の夫で小児科医の仁科史也の金銭的な援助を受けながら一人で生活していました。史也の母親は,殺人者の娘をもつ花恵との離婚をしつこくせまります。しかも花恵の息子が,史也の子でないことも突き止めます。しかし,史也は母の要求に頑として応じません。そこには恐ろしく悲しい第3の殺人の話があったのです。
 史也と花恵が出会ったのは,富士の樹海でした。花恵は,男にだまされて,身ごもってしまい,自殺場所を探しているところを史也に助けられます。そして,二人は付き合うようになり,結婚します。史也は,その子の父になり,花恵と疎遠であった町村の面倒までもみたのです。
 史也のこうした態度には理由がありました。それは高校時代に遡ります。史也は1年年下の沙織と恋愛関係にありました(プロローグ)。21年後,沙織は万引き常習犯となり,離婚後,社会問題を扱うルポライターとなっていた小夜子からインタビューを受けます。沙織は,小夜子の葬儀にも来ていました。
 史也は小夜子の書いていた雑誌記事を読み,沙織に関心をもち,そして彼女から重要な事実を聞き出します。沙織と史也は同じ中学を卒業している先輩,後輩であったことです。史也,町村,沙織,そして小夜子の4人がつながります。
 町村はなぜ小夜子が殺したのか。それには明確な動機があったのです。通り魔ではありませんでした。あとは読んでのお楽しみです。  ★★★★(罪を償うとはどういうことか。死刑問題を考える材料となる本です)

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2017年5月27日 (土)

連城三紀彦『処刑までの十章』

 連城三紀彦『処刑までの十章』(光文社文庫)を読みました。長編で,読むのにかなり疲れるミステリー作品でした。以下ネタバレありです。  国分寺に住む平凡な夫婦。あるとき,真面目一筋だった夫(靖彦)が,出勤のために自宅を出たあと行方不明となります。それを知った妻の純子(専業主婦)は,銀座で音楽教室の講師をしている夫の弟の直行に助けを求めます。会社からは,経理課で働いていた夫が取引先への請求書を改ざんして,200万円ほど着服した疑いがあるということも知らされます。  ところで,10月28日に,夫婦の住んでいた国分寺からはるかに遠い土佐清水において火災事故(一人焼死)があります。一見関係のなさそうな2つの出来事ですが,土佐清水の火災には「5時71分」に事件が起こるという予告がありました。「5時71分」という奇妙な言い回しは,以前に靖彦が使っていたものであり,そして直行がこの日会う予定になっていた,兄から紹介された女性は,土佐清水出身でした。火災現場では,そこから逃げていく一人の女性が目撃されています。こうして,この二つの出来事はつながります。直行は,兄の靖彦と土佐清水の女性(萩原勝美)が落ち合って失踪したのだと推理します。萩原勝美は,靖彦の唯一の趣味であったアサギマダラという青く美しい翅をもった蝶の愛好者つながりの人でした。  直行の推理を中心に話は展開していきますが,これが真相かと思うと,裏切られ,というのが連続します。直行は兄の妻である純子にもともと惹かれているのですが,姉が殺したのではないかという疑いも捨てていません。ここではとても書き切れない錯綜したストーリーが展開していくのですが,萩原勝美は実は男性であったとか,純子の家の周りにいるストーカーのような男が,実は私立探偵であったとか,靖彦らしき人が事件後に純子らしき人と会っているとか,純子らしき人が土佐清水で目撃されているとか,直行が真相究明のために頼りにしていた土佐の新聞記者が殺されてしまうとか,バラバラ死体が少しずつ発見されて,それが靖彦の死体のように思えるとか,かなり読者は引きずりまわされます。  伏線がきちんと回収されているかは疑問が残るのですが,著者の遺作であり,たいへんな力作であることは間違いないでしょう。  ★★★(仕掛けが大きすぎて,途中で中だるみ感もありました)

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2017年5月18日 (木)

菊池寛『真珠夫人』

 菊池寛の『真珠夫人』を読みました。Kindleの青空文庫です。1920年の作品です。瑠璃子という女性の短くも波乱にみちた悲劇的人生が,ドラマ化されやすい原因でしょうか。15年くらい前にもテレビドラマで流行しましたね。
 まだ古い女性観が支配的な時代において,貞節と妖婦という二面性をもった女性を描いた作品は,100年前の当時は驚きをもって迎えられたでしょう。
 ところで,この小説では「処女」という言葉が頻繁に出てきます。この当時,女性の貞節は美徳であり,処女であるということそのものに大変神秘的で崇高な価値があったことがうかがわれます。ちなみに,三田寛子のデビュー曲は,「駈けてきた処女(おとめ)」でしたね。処女は,乙女で,未婚なのです。いまは未婚=処女という等式はあてはまりませんが。
 さて作品に戻ると……。西洋的な美しさをもった瑠璃子は,父の政治活動から生じた借金を返すために,恋人の直也と別れて,下品な成金の荘田勝平に嫁ぐことになります。しかし,瑠璃子は,結婚後も処女を守り続けることを決心していました。必死に「初夜」を迎えようとする勝平との攻防は喜劇的で,ちょっと勝平が可愛そうにもなります。いよいよ瑠璃子の貞節が危なくなったとき,勝平は知的障害のある長男の種彦に殺されてしまいます。こうして未亡人となった瑠璃子は,男をたぶらかす妖婦に変身し,後半(および最初の部分)は,この瑠璃子と青木兄弟(淳と稔)との恋が見せ場になってきています(小説は,青木淳が事故死するところから始まります)。瑠璃子は,自分の周りにたくさんの男をはべらせ,淫蕩な雰囲気をただよわせる女を演じています。青木淳の事故死のときに偶然言わせた渥美信一郎は,淳の死ぬ間際に残した「瑠璃子」という言葉を頼りに,彼が託した時計を返しに瑠璃子のところに来ます。信一郎も,瑠璃子の美貌に惑われますが,彼の残した日記から瑠璃子が青木をたぶらかしていたことを知り,瑠璃子に対して,せめて弟には手を出すなと忠告します。
 ところがこの言葉が瑠璃子の心に火をつけてしまいました。瑠璃子は,青木の弟の稔を誘惑するのです。しかし,勝平が残した娘の美奈子も,また稔に初恋の感情をもちます。稔は瑠璃子に求婚し,それを知った美奈子は絶望のどん底に突き落とされます。美奈子の気持ちを知った瑠璃子は稔の求婚を拒否します。もともと瑠璃子は稔を恋愛対象とはみていなかったのです。稔は瑠璃子にもてあそばれたとわかり,激高して瑠璃子を刺殺してしまいます。
 美奈子は,自分の父によって恋人の直也と引き裂かれた瑠璃子が,直也のことをずっと思い続けて貞節を守っていたことを知ります。瑠璃子の男たちに対する態度は,自分に悲劇的な人生を強いた男性全体への復讐だったのです。瑠璃子が幼いころ慕っていた画家志望の兄は,芸術を理解しない父と喧嘩をして飛び出して音信不通となっていました。瑠璃子の死後,その兄が描き二科展に出品された「真珠夫人」というタイトルの絵の若い女性は,清麗高雅で,真珠のごとき美貌を漂わせていました。
 菊池寛は,瑠璃子を処女のまま死なせていることからわかるように,女性の近代性を性の自己決定というようなものには求めていません。彼が,真珠夫人のことを,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」と表現していることからもわかるように,女性の近代性を理知性に求めていたようです。おそらく当時は理知的なのは男性で,女性はもっと感情的な存在だという考え方が支配的だったのでしょう。前近代的な道徳観は当然の美徳で,その枠のなかでも,自分なりの考えをもって妖婦を演じたりもできる(そして,男性に復讐する)ところに,菊池寛の考える女性の近代性があり,そうした女性像が前述のように,当時は驚きをもって迎えられたのでしょう。
 100年後の現在,美貌面はともかく,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」女性はいくらでもいるでしょうが,それに瑠璃子のような貞淑さを加えた女性はどれだけいるでしょうか。いま演じるとすればどの女優が適切でしょうかね(テレビの真珠夫人は,横山めぐみでした)。

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2017年5月 8日 (月)

奥田英朗『ナオミとカナコ』

 奥田英朗『ナオミとカナコ』(幻冬舎文庫)を読みました。やっぱり私には,村上春樹よりも,こっちのタイプの本のほうがいいかもしれません。
 夫のDVに悩む主婦と加奈子を助けるために,立ち上がった親友でOLの直美。毎日の仕事への不満や実家との問題(父が母にDVをしていたなど)で鬱屈としていた直美のちょっとゆがんだ正義感が暴走し,なんと加奈子をけしかけて二人で夫を殺してしまうのです(前半のナオミ編)。完全な計画を立てたつもりだったのですが,次々とボロが出てきてしまいます。夫の妹の必死の追及に耐えながら,加奈子は強くたくましく変わっていきます(後半のカナコ編)。二人は無事に逃げ切れるでしょうか。それにしても,殺人をクリアランスと言い換えて納得してしまったあとの女性の強さは,女性のことを良く知る著者ならではのリアルさがあります。
 連休の最後の日に仕事の合間に読んでいたら,予想以上に面白く,最後はハラハラドキドキで,お風呂のなかで読み終えてしまいました。良い半身浴ができました。
 ★★★(面白かったです)

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村上春樹『騎士団長殺し』

 阪神タイガースが,歴史的な大逆転で,昨年の覇者の広島に勝って,その翌日もうかれることなく,完封勝ちで3タテにして,首位をがっちり守ったことに,とても幸福を感じている私は,自分でも非常に平凡な人間だなと思います。
 ゴールデンウイークは,昨年も今年も地元にいるだけで,遠出はしませんでした。唯一,出かけたのは,神戸北野のInfiorata を見に行ったときでした。その近くのVieniで遅いランチをとりましたが,相変わらず完璧なvino,pasta,dolceでした。
 これを除くと,せっかくの休みでしたが,ほとんど家で執筆をしていました。その合間に読み終えたのが,村上春樹『騎士団長殺し』(新潮社)です。2巻ものの長編で,読み終わるのに随分と時間がかかりました。春樹ワールドは,私には基本的にはよく理解できていませんが,嫌いではありません。今回は,読んでいるとすぐに眠くなってしまい,そのため全然進まなかったのです。でも前作『色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年』と同様,読者にとって,いろんなことを考えさせる小説と思います。
 妻から別れを切り出されて,センチメンタルジャーニーに出て,帰ってきて行くところのなかった主人公の私(肖像画家)は,友人の父である著名な画家,雨田具彦がアトリエとして使用していた家に仮住まいをすることになります。その家の屋根裏には,雨田が隠していた「騎士団長殺し」という絵がありました。わたしが,その絵の封印をといたときから,近くの石室から夜中に鈴の音が聞こえるようになり,その正体をつきとめるために,近くに住んでいて知り会いになった免色という男の手により石室が開けられて,鈴が取り出されます。そののち,絵のなかにあるのと同じ騎士団長が現れます。騎士団長は実態のないイデアであり,主人公にしかその姿がみえません。
 主人公は,死期が近い雨田を見舞いにいったとき,騎士団長を刺し殺し,「顔なが」に導かれるようにして地下の世界に迷い込みます。そしていつしか石室に閉じ込められ,そこを免色に救出されます。絵は再び封印され,雨田は亡くなり,そして雨田が住んでいた絵は焼失します。
 というようにまとめてしまうと,何のことだかわからないでしょうから,ぜひ読んで確認してください。最後は,主人公は,別れたはずの妻と元の鞘におさまるところは,ちょっと平凡で意外な感じもしましたが,ここのどのようなメッセージが込められているのでしょうかね。
 ★★★(世界で多くの人が読む本でしょうから,とりあえず読んでおきましょう)

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2017年4月29日 (土)

水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版)』

  水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版)』(有斐閣)をいただきました。いつもどうもありがとうございます。私も弘文堂から編著者として『労働法演習ノート』(弘文堂)を刊行していますが,こちらはまだ1回も改訂しておらず,差をつけられてしまいました。有斐閣のこの本のほうは,試験問題的な要素が強い感じがしますね。弘文堂のほうは,実際の生の事例を読ませるということを主眼としていますので,目的が違います。教師は試験問題を作る場合には,解答から逆算して作るので,事実関係にあまり無駄がありません。有斐閣の設問にはそのような印象を受けます。弘文堂のほうは,できるだけ逆算しないように作ってほしいというオーダーを執筆者に出していました。解答に関係のない事実もいっぱいあるため,それだけ内容は難しくなっています。ただ事実関係がリアルになり,ときには現実を先取りしているような設問もあります。
 いずれにせよ有斐閣の本のほうは,手堅く勉強するには適しています。Checkpointのところも,非常に適切なものが多く,独習にも向いていると思いました。弘文堂の本のほうは,ゼミなどで活用したり,議論をしたりする場合の教材用という感じです。私たちのほうは当分は改訂する予定がありませんので,余裕のある方は有斐閣の本と併用してもらえればと思います。

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