読書ノート

2018年5月21日 (月)

田村和大『筋読み』

  田村和大『筋読み』(宝島文庫)を読みました。「このミステリーがすごい」大賞の優秀賞受賞作です。
 女性モデルの宮原が生き埋めされた殺人事件で,山下という男性が出頭しました。山下の供述は当初は殺害して埋めたというものですが,後に宮原が生き埋めされて殺されたことを捜査官のミスで知ってしまい,供述を翻しました。供述の信憑性はあやしいのですが,宮原の殺害現場である彼女の自宅で採取されたDNAが山下のものと一致しました。山下の自供もあったので,起訴が決定されました。
 もっとも,警視庁捜査一課の刑事である飯綱だけはこれに異議を唱えたため,捜査から外されてしまいます。ちょうど同じ頃,ある交通事故がありました。自動車から飛び出た男が車に轢かれましたが,飛び出した車から出てきた男女につかまり,そのまま連れ去られるという奇妙な事件でした。管理官の迫口は,飯綱に対して,この事件の応援に行くよう命じました。
 車に轢かれたのは少年(ツェットと呼ばれていました)でした。ツェットは,サクラ・ウエルネスという会社の遺伝子組み換えなどの研究をしている研究所で,水野という女性研究者の治療を受けていました。警察は,この少年を病院に移送したのですが,略取されてしまいます。ツェットにはタグが埋め込まれていて,そこから居場所がわかったからです。
 そんなとき,ツェットと山下のDNAが一致したという驚くべき情報が届けられました。可能性としては,ツェットは山下のクローン人間ではないか,ということでした。
 山下を問い詰めると,山下はあっさりとこれを認めました。山下と水野は付き合っていましたが,水野は子供を産めない身体なので,宮原を代理母として,山下のクローンを妊娠させようとしていたこと,しかし水野は結局は妊娠しなかったと山下に伝えて,その後二人は別れていたこと,ところがあるとき実はクローン(ツェット)が生きていて宮原を殺していたこと,この殺人は宮原が水野に金銭の要求をしていさかいになって,ツェットが水野を守ろうとしてなされたものであること,そして水野が山下に身代わりになるよう頼んだことを自白したのです。
 これにより事件の構図は大きく変わり,山下は犯人の身代わりで,実行犯はツェットで,そこに水野が事件に大きく関わっていることになってきました。そこで警察は水野を探して,八ヶ岳の研究所に行きます。そこで,水野と研究所の所長の竹内の会話を耳にすることになります。
 というようにダラダラと書いていくと大変なので,ここで終わりにしますが,最後のほうで,次々とドンデン返しがあって,それなり楽しめました。     ☆☆☆(五つが満点。☆四つにしなかったのは,研究所の所長の竹内の悪事を暴くということにしては,仕掛けが大きすぎて無理な感じがしてしまったので。でもそう感じなかった人が多いから大賞をとったのでしょうね)

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2018年5月 7日 (月)

江國香織『きらきらひかる』 

 江國香織『きらきらひかる』(新潮文庫)を読みました。ずいぶん昔の作品であり,なぜ買ったか覚えていないのですが。
 昨日,紹介した映画と同様,これも同性愛が関係しています。同性愛者である夫の睦月と,アル中の妻の笑子が結婚しました。睦月には紺という名の愛人(男性)がいます。妻はそれを最初からわかっていますが,許しています。
 夫婦間にはセックスはありませんが,互いが互いを慈しみ大事にしています。作品では,夫からみた妻,妻からみた夫が交互に描かれていきますが,二人の夫婦愛が十分に伝わってきます。
 こうした愛の世界を邪魔するのが,家であったり,世間の常識であったりするのです。睦月の両親は息子が同性愛者であることを知っていますが,跡継ぎが必要ということで,人工授精を勧めます。一方,笑子の両親は,睦月がホモであると知って激怒します。しかし,二人は別れるつもりはなく,人工授精による子をもつ気もありません。そうして最後にたどりついた方法は,思わぬものでした(読んでのお楽しみ)。
 これは純愛小説なのでしょうか。セックスがないから「純」なのでしょうか。そもそも結婚というのは,セックスが公認され,推奨される関係に入るということではないかと思います。建前はセックスは生殖ですが,本音では肉体的快楽もあります。見合い結婚であれば,愛が付着するかどうかは運次第ですが,釣書で事前にしっかり身元確認している相手と長年一緒にいると愛も深まるというのが経験上あるようです。つまり,セックスに事後的に愛情(精神的快楽)が付着してくるのが,伝統的な結婚なのです。
 一方,現代社会は,恋愛結婚が普通なので,最初からセックスに加えて愛情も付着しています。では,愛情だけの結婚がありうるのか。それが本書が問いかけたテーマなのでしょう。夫が必要とする肉体的快楽は,妻には提供できず,男の愛人にしか提供できません。もし他の生殖方法がないのなら,睦月の実家は最初から結婚を認めていなかったかもしれません。
 しかし現代は,生殖は人工的にもできるのです。睦月の両親は,結婚の目的のうち生殖さえきちんとしてくれれば,あとは好きなようにしろという立場です。ある意味での割り切りです。一方,笑子の両親は,睦月がホモであることを知らされていなかったので,この結婚は詐欺だと言って激怒します。それは感情的にはわからないではありませんが,ただ冷静に考えると,生殖が可能であっても反対するということは,あとは肉体的快楽を与えられない娘が不憫ということを親が言っているようにも聞こえてしまいます。それは娘にとっては余計なお世話となりましょう。
 生殖が人工的にコントロールされるようになると,セックスの主要な意味は肉体的な快楽のみになるかもしれません。肉体的な快楽を与えるのは,異性間によるセックスとは限りませんし,むしろそれを要しないという人もいるでしょう。そうなると結婚というものの形が変わってきても不思議ではありません。それに肉体的欲求はいつかは枯れていくものであり(おそらく),精神的な快楽のほうが持続性があり,より大切にすべきものともいえます。誰と精神的な関係を結び,そして誰と肉体的な関係を結ぶかの組み合わせは多様なものとなっていくのでしょう。本書とは逆に,男性と結婚して,女性を愛人にするなんてこともあるかもしれません。
 そうした多様性に対して,慣習や宗教,世間体や社会常識などが抵抗勢力としてのしかかってくるのでしょうが,その圧力も徐々に弱まっていくかもしれません。フランスなど外国で徐々に同性婚が認められるようになっているのは,文化的な要因以外にも,生殖技術の発達で,結婚に生殖のためにセックスが推奨される制度という位置づけが不要となってきていることと関係しているのかもしれません。
 この本を読んで,そんなことを考えていました。     ☆☆(星二つ)

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2018年4月25日 (水)

西村健一郎他『社会保険の考え方』

 西村健一郎・朝生万里子・金川めぐみ・河野尚子・坂井岳夫『社会保険の考え方-法的理解と実務の論点』(ミネルヴァ書房)をいただきました。坂井君を始め執筆者の皆様,どうもありがとうございました。
 ちょうどいま労働新聞の連載との関係で,個人事業者のセーフティネットのことを書いていたので,私のなかではタイムリーなテーマでした。この本の主役は,社会保障のなかの「社会保険」ですが,個人的には被用者(労働者)保険を中核とした「社会保険」は,今後変わっていかざるをえないのでは,と考えています。
 この本のはしがきで西村先生が書かれているように,「わが国の社会保険は,多くの修正にもかかわらず,なお部分的にドイツで生成・発展した労働者保険ないし職域保険としての性格・特徴を有している」ものです。ただ,広井良典氏の『社会保障』(岩波書店)を引用しながら,「社会保険は,職域中心のドイツ型モデルから,イギリス,北欧等でみられる普遍主義的モデルをも勘案した折衷的な制度になっていると評価されている」とも紹介されています(5頁)。
 社会保障全体の性格がどうであるかはともかく,個人事業者のようなインディペンデントな働き方が中心になっていったときに,社会保険がどうなるのかが興味深いところです。労働保険はもちろん適用されないのですが,雇用労働者との取扱いの差は大きな問題となるでしょう。医療でいえば,国民健康保険組合のようなものが増えていくことも予想されますが,国保と健保との違い(出産手当金や傷病手当金),年金でいえば,被用者年金の加入者の扶養者にだけ3号被保険者としての優遇があるといった格差も議論となるでしょう。そうしたことから,より普遍主義的なアプローチで,国民が共通して直面するリスクに雇用上の地位に関係なく社会的にどう対処するかというソーシャル・セキュリティの構築が検討されていくのではないか,というような気もしています。
 もちろん今回いただいた本は実務家向けのものですので,制度の課題といったところは扱われていません。しかし,著者のみなさんは,そういった課題についても独自のご意見をもっておられるのではないかと思います。とくに個人事業者を視野にいれたときの制度設計のあり方,「社会保険の考え方」でどこまでいけるのか,といったことについて,著者のみなさまのご意見をぜひお聞きできればと思います。

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2018年4月15日 (日)

乾くるみ『リピート』

 乾くるみ『リピート』(文春文庫)を読みました。
 最初はなかなか読みづらかったのですが,途中から一気に読み進めました。タイムトラベルの話です。もしいまの意識をもったまま,10カ月前に戻れるとしたら,どうしますか,という話です。以下,ネタバレあり。
 風間という男が大学生の毛利圭介に誘った旅行は,10カ月前へのタイムトラベルでした。一緒に行く仲間は風間を入れて9人の男と1人の女。風間から誘われた9人は最初はそんなことができるのか半信半疑でしたが,すでに10カ月前へのトラベル(リピートと呼ばれていました)を経験済みの風間は,地震の予告を的確にしたことから,信じることにしました。風間は,このリピートを何回も繰り返していて,これが9回目の世界ということで,それをR9と呼んでいました。今度,リピートすると,R10の世界に行くわけです。
 R9の世界では,毛利は由子という女性にこっぴどい振られ方をしていました。今回のリピート仲間に,篠崎鮎美という毛利のお気に入りの女性がいたので,一緒に10カ月前にもどり,その時点ではまだ付き合っていたはずの由子を振って,鮎美と付き合えたらいいなと毛利は考えていました。その他の人も,リピートをすると,競馬の結果がわかっているので儲けることができるとか,大学入試の試験問題がわかっているので,東大に合格できるといったメリットを考えていました。
 10人全員がこの誘いに乗り,そして10カ月前にトラベルに成功します(ただし,1人は到着時に車の運転中だったので,ブラックアウトの症状で事故を起こして死んでしまいます)。9人は,R10の世界を生きていくのですが,リピート仲間が少しずつ死んでいきます。風間は落ち着いていたため,風間が犯人ではないかという疑いも出てきます。
 そんななか,毛利は,由子を振ったために,つきまとわれます。そして由子は勝手に毛利の部屋に入り,彼のリピートの秘密を知ってしまいます。秘密を守りたい毛利は由子を殺してしまいます。毛利はその後始末をリピート仲間の天童に頼みます。天童は探偵でした。
 その後もリピート仲間は謎の死を遂げていきます。毛利は,R10へのトラベルの前に,時間的余裕があったので,その間に10カ月間の新聞を熟読していました。そのためR10に起きることは予想できていました。しかし,リピーター仲間の死亡事故は,いずれもかなり大きいものであったにもかかわらず,新聞に出ていませんでした。毛利はそれを不気味に感じます。いずれにせよ,誰かがリピーターを狙っているのではないかと恐れるようになります。
  そんなとき風間と池田から,毛利は衝撃的なことを聞きます。実は風間と池田は,リピートを繰り返していたのです。そしてR10のリピーターは,R8においていずれも死亡していた人たちだったのです。風間と池田は,そのことを知っていたので,R9では,事故が起こらないように助けていたのです。そのためR9では,8人は生き残っていました。風間と池田は,いわば他人の運命をもてあそんで,面白がって観察していたのです。
 R10では,風間と池田は何もしなかったので,リピーターが亡くなるのは当然のことでした。毛利は,由子を殺したとき,実は由子はナイフをもっていました。ほんとうはR8では毛利は由子に殺されていたのですが,偶然,生き残ることができました。
 毛利は鮎美と付き合い,いよいよ結婚という段階になっていたのですが,その鮎美にも死亡の時期が近づいています。風間と池田は,鮎美の自宅にヘリコプターが墜落して死亡すると言います。毛利は鮎美を助けようと思い,彼女の自宅に電話をしますが,鮎美は出勤していて自宅にいませんでした。毛利は鮎美は大丈夫だと安心し,両親が亡くなるのは仕方がないと考えます。殺人をしていた毛利は,R11にリピートしてリセットしたいと考えていました。しかし,すでに毛利の子を宿していた鮎美は,R11に戻ると子を失ってしまうので,それはイヤだと言っていました。毛利は,鮎美の両親がいなくなると,鮎美はR11に行くと言ってくれるのではないかと考えて,両親を見殺しにしようとしたのです。ところがその事故で鮎美はやはり亡くなるのです。鮎美は妊婦で体調不良ということで早退して在宅だったのです。毛利は鮎美を失いました。
 最後はどうなるか。毛利は無事R11に一人リピートすることができました(なぜ一人になったかの説明は省略します)。ところが,到着したとき,ブラックアウトが起き,よろめいたところに車がやってきました。そこで毛利は死ぬことになります。
 あなたはもし10カ月前に戻れたら何をしますか。馬券を買いますか。株で儲けますか。他人の災厄を予想できているなら,それを助けますか。でも,その災厄を回避することによって,他の災厄が出てくることにならないでしょうか。と,ここまで考えてきて,どこかで読んだことがある話だという気がしていました。百田尚樹の『フォルトゥナの瞳』です。ストーリーは全然違いますが。
 不思議な小説ですが,面白くて,いろいろ考えさせられるものでした(★★★星三つ。前に読んだ作品でもそうなのですが,もう少し前半のところの展開が読みやすければいいのですが,ストーリー展開上,仕方ないのでしょうね)

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2018年4月 3日 (火)

個性ある教科書には価値がある

 個性ある労働法の本が2冊届きました。水町勇一郎『労働法(第7版)』(有斐閣)と川口美貴『労働法(第2版)』(信山社)です。いつも,どうもありがとうございます。どちらも著者の個性が十分に現れていて,教科書として出す価値のあるものです。何人かの共著で出す教科書では,内容より,外形的な面で差別化を図ろうとする傾向がよくみられますが,この二人の単著は,堂々と自分の労働法理論の個性で勝負しているように思います。そうした姿勢にはたいへん共感できます。
 水町さんの本は,今までも何度もふれたことがありますが,改めていうと,この程度の分量の本にしては,労働法の歴史や機能にたっぷりと紙幅を割いているところが良いと思います。法解釈は,私とは相容れないところは多々ありますが,それは別に気にはなりません。立場的には「中道左派」という感じで,「左派」中心の労働法のなかでは,バランスと安定の良さがあります。実務家も安心して参照できるでしょう。
 一方,川口さんの本は,大部のもので,労働法辞典といった感じがします。「場合」分けがわかりやすくなされており,数学の本のような匂いもあります。どの論点にも自分の理論体系から丁寧に対応しているところが特徴的です。川口さんと理論体系を共有しなければ困るのでしょうが,体系書というのは,元来そういうものでしょう(川口さんの本は,教科書ではなく,むしろ体系書と言うべきでしょうね)。立場的には,「左派」だと思いますが,運動よりも論理で勝負という感じがします。
 はなはだ印象的なコメントで申し訳ありませんが,どちらの本も労働法の研究者なら手元に置いておくべきでしょう(川口さんの本は,ちょっと大きいですが)。

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2018年3月25日 (日)

中山千里『嗤う淑女』

 中山千里『嗤う淑女』(実業之日本社文庫)を読みました。美しき悪女の美智留が,人の弱みを知り尽くしたうえで,美貌と話力で相手を籠絡していくところがすごいです。自分をいじめた女性への復讐に始まり,自分を性的に虐待していた父への恐ろしい復讐をして,自らの敵を徹底的に排除する人生を歩み始めます。
 ファイナンシャルプランナーの資格をとった彼女は,他人の人生の相談に乗りながら,相談者の不満を狂気に誘導していきます。
 最後は,警察に捕まって,公判も進められ,殺人の証拠まで上がっているのですが,そのあとの大逆転。筋にはちょっと無理があるかなと思いましたが,でもそういうところよりも,この悪女のもつ恐ろしさには,やはりリアリティがあり,そこに震える小説ということなのでしょうね。読み始めたら止まらないですよ。 (★★★。これも半身浴のおともにどうぞ) 

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2018年3月17日 (土)

岡部えつ『嘘を愛する女』

  映画でも上映中だそうですが,岡部えつ『嘘を愛する女』(徳間文庫)をお風呂の半身浴のおともに読みました。切ない恋愛小説でした。
 バリキャリのイケてる女性の由香利。そんな由香利と5年間交際し,同棲している小出桔平。二人の出会いは,東日本大震災のとき,駅でパニックに陥ってふらついていた由香利を桔平が助けたことがきっかけでした。その後,偶然,街中で再会し,由香利が積極的にアタックして,二人の付き合いが始まります。
 30歳になろうとしている由香利は結婚を意識します。ちょうど由香利の母が上京するということで,桔平も交えて母と一緒に食事をすることになっていたのですが,約束の時間に桔平は現れませんでした。由香利は,結婚に乗り気でない桔平がすっぽかしたと思ったのですが,実は桔平はくも膜下出血で病院に搬送されていたのです。
 由香利は病院に駆けつけますが,そこで衝撃的なことを知ります。彼はある病院の研究医ということでしたが,その身分証は偽物だったのです。そして由香利は,実は彼のことは何も知らなかったことに気づきます。桔平には家族はいないと聞かされていて,親族とも疎遠ということでした。出身地も知りませんでした。意識不明の桔平は,もちろん何も語りません。
 由香利は騙されていたとわかり怒るのですが,彼の身元を知りたいと考えて,私立探偵に依頼します。手がかりは何もないなか,彼の残していたSuicaから,彼が毎日,自宅近くの中目黒と新宿を決まった時間に往復していたことがわかります。またもう一つ残していたのが鍵でした。そして,この鍵が,新宿駅近くのトランクルームであることもつきとめられます。そこに入っていたのは,お金とパソコンでした。パソコンのパスワードが解読され,残されていたファイルから,彼が小説を書いていたことがわかります。
 その小説は大長編で,夫婦と幼い男の幸福な生活が描かれていました。さわりを読むだけで,由香利は,この夫が桔平のことであるとすぐわかりました。桔平には,家族がいて,何らかの理由でそれが破綻したが,忘れられず,そのときのことを小説として残している感じでした。その小説から,桔平は瀬戸内海が出身であることがわかります。
 由香利は小説のなかのわずかな手がかりを頼りに,彼の出身の島を見つけ出します。そして現地にいき調査をするなかで,ついに彼が誰であるかを突き止めました。
 たしかに,桔平(本名は安田公平)には妻と子がいました。医師の桔平は忙しく,家庭を顧みる余裕がありませんでした。妻は専業主婦でしたが,育児ノイローゼとなり,子を殺していまいます。公平は,公判中,検察から情状証人として出頭を求められていたのですが,それを避けて出奔します。その後公平は簡易宿舎で世捨て人のような生活をしているとき,偶然,由香利に会ったのです。
 桔平(公平)が残した小説は,彼の家族の小説だったのですが,一点だけ奇妙なことがありました。亡くなった子は女の子だったのです。小説で出てくるのは男の子です。
 由香利は,まだ読んでいなかった,この小説の終章を読んですべてを知ります。本のラストは,この終章が出てきます。読者は,うるっとくるでしょう。映画はどういうストーリーかわかりませんが,桔平役が高橋一生だと知って,ぴったりだと思いました。  (★★★ 星3つ:泣かせてくれる小説をよみたい人たちはどうぞ)

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2018年3月14日 (水)

吉村昭『高熱隧道』

 ある弁護士の先生に勧められて,吉村昭『高熱隧道』(新潮文庫)を読んでみることにしました。いまから半世紀ほど前の本です。黒部川仙人谷ダムの建設における高熱隧道の開設工事の壮絶な現場を克明に描いたノンフィクション作品です。読み出すと止まらなくなりました。「蟹工船」とはまた違った昭和初期の劣悪な労働環境を,技師(彼らも労働者の一人)の目線から描いたものです。
 自然を切り開いてトンネルを掘ることの過酷さは,知識としては知っていましたが,改めて大変な作業であることがわかりました。黒部の秘境の道なき峡谷を分け入って荷物を運ぶだけでも,何人も転落して死亡しました。トンネル工事では高温の地層にあたってしまい70度,80度,最終的には160度以上にまでなるほどの暑熱という過酷な現場となりました。冷気を入れるなどの対策をとっても20分もいることができません。おまけに発破に使うダイナマイトが自然発火して多くの死傷者が出たり,宿舎が泡雪崩というものにより一瞬に消失したりといった,ちょっと考えられないような凄惨な現場になってしまいました。それでも工事は続行されたのです。
 警察は工事の中止を命じますが,軍部は水力発電のためのダム建設の推進を主張します。会社側も,もちろん多額の投資を行っており,工事の中止は倒産を意味するので,続行を求めます。それでも多くの死傷者が出て中止の方向になっていたのに,天皇から犠牲者の遺族に下賜金が支払われるとなったとたん,だれも中止を言えなくなってしまいました。その後も多くの死傷者を出しながらダムは完成します。
 人夫は金のために働きました。死と隣り合わせで働くことで,高い報酬を得ることができました。しかし,仲間が木っ端みじんになった遺体を目のあたりにしたり,普通の人間なら一歩も入れないような高温の場所で作業をしたりするなかで,そうした死地に自分たちを追い込んでいる上司たちや会社への恨みも募っていました。労働者たちには深い葛藤があったことでしょう。このアンビバレンスが本書の主題でもあるのでしょう。ダムの完成後,技師たちは人足頭のアドバイスで,早々に現場から立ち去りました。殺される危険があったからでしょう。
 この当時,人間の命があまりにも軽いものであったことを思い知ります。危険有害業務の域を超えています。最初から死人が出ることは覚悟のうえでの業務だったのです。国策でもあったので,止めることができないし,高額の賃金は魅力です。当時の政府が,無謀な戦争をしていたことにも通じることです。
 この本では人夫側の心理は描かれていません。著者は,彼らがいかなる気持ちであったかは,読者に想像させようとしているのでしょう。
  多くの人が読んだことがある本でしょうが,もしまだなら是非読むことをお勧めします。(★★★★ 星4つ)

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2018年3月12日 (月)

昭和史の教訓

  半藤一利『昭和史-1926~1945』(平凡社)の続きです。この本は,最後に,昭和史の教訓を5つあげています。
 第1に,国民的熱狂をつくってはならない,時の勢いに駆り立てられてはいけない,ということです。日本人は熱狂したがゆえに,誤った戦争に突入してしまいました。第二次世界大戦のとき,当初,良識ある海外軍人のほとんどがアメリカとの戦争に反対だったそうです。それが国内の勢いから参戦賛成に変わってしまいました。理性が熱狂に破れたのです。戦争は軍の独走によるだけではできないものでした。国民も支持してしまっていたという事実を忘れてはなりません。
 第2に,「最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み,具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し,実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんです」。
 ソ連が参戦したら困るということから,ソ連は参戦しないという思い込みになり,それに基づき戦略を進めてしまいました。ドイツが欧州で勝つから,そうなるとアメリカは戦争を続けていく意思を失うので,日本とも講和に導けると考えてしまいました。囲碁や将棋でいう「勝手読み」です。
 現在の日本人も,対北朝鮮などで,自分に都合のよい構想を描いていないか反省することが必要です。冷静に国際情勢を考えたときに,荒唐無稽な夢想になっていないかを絶えずチェックすることが必要です。
 第3に,「日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある」ということです。これはエリートが国を誤らせるということと同義です。現在でも,省益で動く官僚をみていると,この欠点はまったく変わっていない感じもします。財務省という日本の超エリートたちの独善の弊害が,現在の森友問題に現れているようにも思えます。
 第4に,「ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく,終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を,日本人はまったく理解していなかったこと」にわかるように,「国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった,これまた常に主観的思考による独善に陥っていたのです」。
 グローバル化が進んだいまこそ,国際社会のなかの日本の位置づけや国際常識の正確な理解が重要であることは論を待たないことです。
 第5に,「何かことが起こったときに,対症療法的な,すぐに成果を求める短兵急な発想です」。「大局観がまったくない,複眼的な考え方がほとんど不在であったというのが,昭和史を通しての日本人のありかたでした」。
 現在の森友問題も,政治家たちは,そこだけをみないで,これからの日本のあり方という大きな視点で解決に取り組んでもらいたいです。
 半藤氏は,最後に,「昭和史全体を見てきて結論としてひとことでいえば,政治的指導者も軍事的指導者も,日本をリードしてきた人びとは,なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか,ということでしょうか」と結んでいます。
 日本の周りに次々と独裁国家が生まれつつあります。北朝鮮だけでなく,中国も習近平の独裁国家に変わろうとしています。ロシアも選挙によるとはいえ,プーチン独裁国家がすでに存在しているといってよいでしょう。アメリカのトランプも選挙により選ばれた王国といってよいでしょう。独裁となると,憲法のしばりなど吹っ飛びます。独裁を生まないための知恵は,民主主義ではありません。民主主義が合法的な独裁を有む危険性があることは,歴史が証明しています。
  日本は同じ轍をふんではいけません。上述のように国民の熱狂が民主主義に融合すると危険です。民主主義を守るだけでは不十分で,それを通してどのような国家を作り上げるか,そこに日本国民のほんとうの力が問われることになるでしょう。

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2018年3月11日 (日)

半藤一利『昭和史』

  大学受験に日本史と世界史を選択していた私ですが,日本の現代史は十分に勉強していませんでした。高校のときの日本史の先生は土器が大好きな人で,古代史が専門。現代史どころか,中世にやっとたどりつくという授業ではなかったかと記憶しています。勉強は自分でやるものですが,知らぬうちに,現代史は試験にも出ないし,あまり重要性がないという誤った観念が植え付けられていた感じがします。しかし,これからの時代を考えていくとき,まさに教養としての昭和史の学習はきわめて重要だと思います。現在の学校での日本史教育がどうなっているのかわかりませんが,日本の負の面も含めて昭和史をしっかり学校で教えてもらいたいです。
 少し前に読んだ半藤一利『昭和史-1926~1945』(平凡社)はとても良い本でした(もちろん半藤氏の史観には異論もあると思いますが)。日本やアメリカへの憤りや悲しみで,なかなかページが進まないこともありました(そういう感情的な反応が危険なことは承知しているのですが)。
 3月9日の日経新聞の春秋で,73年前の東京大空襲のことが書かれていました。後の原爆投下の悲劇があまりにも大きすぎるのですが,アメリカは,日本の至るところに民間人に対して,空の上から爆弾を落としてきたのです。私たちは現在,北朝鮮からのロケットの脅威を感じていますが,当時はアメリカの爆撃機がしょっちょう飛来して実際に無慈悲に爆弾を落としていたのです。私の母は,生前,アメリカのパイロットの顔をみたと言っていました。それほど低空飛行して,爆弾を落としていたのです。
 その司令官が,日経新聞の記事にも名前が出ていたカーチス・ルメイ(Cartis LeMay)です。「皆殺しのルメイ」「鬼畜ルメイ」です。ルメイのことは教科書には出ていないと思います。後に日本から政府の思惑で叙勲されたのですが,昭和天皇は直接勲章を手渡すことをしなかったそうです。彼の悪魔的な所業を知っていたからでしょう。ただ私も,ルメイのことは,半藤氏の本で知りました。教科書では教えられていなかったことです。
 この本を読んで,断片的にしか知らなかった現代史の知識をもう一度体系化できてよかったです。アメリカを信じるな,ロシアを信じるな,というのは,この本を読むといっそうその感が強くなります。戦後のどさくさにおけるソ連の悪行は,アメリカの原爆投下なみのことです。終戦時に中国大陸に残っていた日本人の悲劇を私たちはしっかり語り継がなければなりません。
 一方で,イギリスのもつ戦略的な重要性というのもわかりました。EUを離脱して孤立化するイギリスは,アメリカにも顔が利き,ロシアを抑える外交力もある点で,日本としてはかつての日英同盟のとき以来の再び重要な国になるかもしれません。
 アメリカは無慈悲にも長崎にまで原爆を落としました。広島でさえ許しがたいことですが,長崎に落とす必要性はどう考えてもありません。日本側が降伏を遅らせたから長崎まで被害にあったという意見もあるのですが,アメリカはもともと原爆を二つ作っていたので,はじめから二つ落とすことは決めていたようです。韓国人が日本人に対する怒りもわからないではないですが,それをよく日本が受け止められていないのは,日本人というのは,こうした残虐なアメリカ人にも本気で怒らないような国民であるからなのかもしれません。
 少し古いものとなりますが,著名な評論家の宮崎哲弥が,文藝春秋special2015年春号の「大人の近現代史入門」のなかで「ヒロシマ・ナガサキこそ戦争犯罪だ」という論文を書いています。そこでは,原爆投下をめぐるアメリカの政治哲学の議論が,日本に有利なものとして援用できると主張しています。アメリカ人のなかでも良識派は,原爆に正当性がないことはわかっていたのです。オバマ前大統領が広島に来たのは,そうしたアメリカの良識派を代表していたからかもしれません。
 過去のことを水に流さそうというのは生きるうえでの重要な地位ですが,国際的な関係ではそうはいかないのです。現に日韓,日中でそういうことが起きています。私たちはアメリカという国を信じてはいけません。といって毛嫌いすることもよくありません。戦略的に対峙することが必要なのだと思います。
 これからの私たちは,正しく昭和史を総括することが必要です。それは,日本が悪くなかったということを確認するものではありません。むしろ日本の弱点をよく知ることが必要なのです。そして弱点から来る誤りを繰り返さないようにするには,どうすればよいのかを,とくに若い世代の人に考えてもらうことが必要なのです。半藤『昭和史』は,ぜひ多くの人に読まれるべきでしょう。宮崎論文も,一読に値するでしょう。
 平成も終わろうとしている現在,昭和の前半史を学ぶ必要性はますます高まっていると思います。

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