読書ノート

2017年11月25日 (土)

『〆切り本』

 『〆切り本』(左右社)を読みました。〆切りは,作家の人たちにとっては,逃れられない宿命的なものですが,〆切りがあればこそ,おまんまが食えるということで,ありがたいものでもあります(〆切りのないような作品は商業的価値がないことが多いでしょうから)。私のような研究者においても原稿の締切はもちろんあり,そこだけみれば作家と同じような状況ですが,これで生計を立てているわけではなく,切実性は違うでしょう。雑誌や新聞で自分が穴をあけたらどうしようという悪夢にうなされる作家が多いということを知り、少し安心しました。
 この本は,あの谷崎潤一郎や夏目漱石などを始め,多くの著名作家が〆切りに追われて呻吟している生の気持ちを表したものを収録したものです。〆切りを過ぎてから書き出す人たち,〆切りを守ろうと悪戦苦闘している人たち,〆切りに追われるのをおそれて〆切りより早くにきちんと書き上げている人たちなど,〆切り一つをとっても,いろいろ性格が出てきます。これだけ一斉に並べられると,どこかに自分と同じタイプの作家がいそうです。
 それで私はどうかというと,まず私自身,おそらく15年くらい以上,締切が1カ月以内にないという状況になったことはありません。大きな論文や書物の締切がまずポツポツとあって,さらにそれらの初校,再校の締切があって(私は初校や再校でもかなり手を入れるタイプです)というのが基本にあり,そのほかに依頼された雑誌原稿,そして連載原稿がありということで,このスケジュール管理がとても重要です。いちおう毎日プチ締切を作っており(今日は原稿のここまでを書くための締切とか,今日は構想を固めるための締切とか),それを現在ではTodoistで管理していて,朝起きたときにみる最初のメールは,Todoistからの,今日のプチ締切についてのものです。プチ締切をきちんと守っていけば,全体の締切に間に合うということで,この最初のプチ締切の設定がとても大切です。もちろん,予定どおりにいかないのは世の常であり(とくに酒を飲むとグダグダになり,これは作家の方も同様のようで安心しました),たえずプチ締切の再設定はやっています。こういうスケジュール管理にかなりの時間を費やしているので,これも人工知能にやってもらったらという気もしますが,実は自分でやることに楽しみもあるのです。無事にノルマがこなせたら,そのプチ締切を削除するのです。これがとても快感なのです。プチ締切が次々と消えていくところが,マラソンの残り距離が減っていくのと同じような感じで快感なのです。そしてその快感の行く末が原稿の完成ということで,このおかげで,私は幸い原稿を落としたことがないはずです(落としてほしいと頼んだのに,落とすことを認めてくれなかったものが,昨年1件ありましたが,これは主観的には,締切を守らなかった例には分類されていません)。
 もちろんこれは私が律儀だからではありません。追い込まれてしまうと原稿が書けないという気の弱さがあることを自覚しているからです。弱い者は自衛しなければなりません。締切なんてなんぼのものと言えるような豪の人はうらやましいですが,自分に合わない生き方はダメですよね。一番困るのは,自分で自分の後始末をつけれずに,他人に原稿の遅延や不執筆の後始末を押しつける輩ですが,こういう人とはできるだけ付き合わないようにしようと思っています。

 ということで締切にうなされることのある方々は,この本を読んで勇気づけられましょう。それにしても,一番最後の谷崎潤一郎のお詫び文にはぶっとびました。さすが大作家です。       ★★★☆☆(この企画の面白さに★三つという感じです)

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2017年11月16日 (木)

東野圭吾『毒笑小説』

 東野圭吾『毒笑小説』(集英社文庫)を読みました。短編集です。タイトルどおり,毒の入った笑いといったところですが,収録されているのは,そういう小説ばかりではありません。巻末には京極夏彦との対談が入っていて,ファンには楽しめます。そこで二人は,笑いをとるギャグの難しさを語っています。私も,労働法関係のことを書いていても,クスっと笑ってもらったり,エロスを感じてもらったりというようなことを,書く媒体によっては,それが必ずしも求められていないときにも狙ってしまうことがありますが,最初から,面白いものを書けと言われると,ハードルが高くなってしまい,すべってしまいそうです。
 収録されている小説は必ずしも「笑い」ばかりではなく,「手作りマダム」のように,ちょっとくだらないけれど,これでもかこれでもかとたたみかける吉本的ノリがある小説もあれば,「エンジェル」のような風刺的な作品もあります。「つぐない」は,シュールなオチの作品ですが,実はこれがその後の名作「秘密」の原型だと聞いて(巻末の対談),驚いてしまいました。なるほど,基となるネタがあれば,それは滑稽なものにも,悲劇的なものにもなるということですね。まさに笑いと切なさは紙一重なのかな,という気がしました。
  前に「大学教授の辞めさせ方」という作品を書いたことがあるのですが(ジュリスト1476号),あれを思い切って喜劇で書くか,逆に悲劇で書くか,ということが出来ていれば,私も一皮むけていたかもしれませんが。  ★★★☆☆(東野作品はやはり長編のほうが好きなので,★三つ)

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2017年11月 7日 (火)

宮部みゆき『火車』

 ずいぶん昔の本です。古い本の整理は随時やっていて,不要な本は片っ端から捨てているのですが,この本は捨てずにもう一度読もうと思いました。幸いなことに(後述のように本当は幸いではないのですが),ストーリーは完全に忘れていましたので,楽しめました。長編で,細かい話なので,速読せず,じっくりゆっくり読みました。クレジットカードからくる自己破産が関係したストーリーです。あまりにも有名な作品なので紹介する必要はないと思いますが,これだけの長編を,きちんと伏線を張り巡らせて,きちんとそれを回収してまとめあげる力量は,改めて感服です。松本清張的なものとは違う,宮部みゆき流の社会経済ミステリーは,何度読んでも面白いですね(今回は,手元に残さず,古本屋に1円くらいで買ってもらうことになるでしょう)。
 それにしても,ストーリーを完全に忘れていたことは,ショックでした。最後のシーンに,少しだけ覚えがあるような気がしますが,でも記憶があるとまでは言えません。
 まったく違う話ですが,先日,労働委員会で,審査事件の申立てがあり,それが,1年前にあっせん申請があった会社の事件であるということを聞いて,そのときの担当者にどのような事件であったか聞こうとしたら,あなたが担当していた事件だと言われて愕然としてしまいました。事務方から事件の概要の説明を受けても,記憶が戻ってきません。あっせん成立なので,いい加減にやっていたわけではなく(自慢ではないですが,私は,会議はあまり好きではありませんが,事件処理はいつも全力投球です),それなのに記憶がないのです。時間が経つと思い出すかと思いましたが,あれから2週間ちかく経っても,やはり思い出せません。たしかに,私は研究以外のことは,労働委員会関係だけでなく,およそ何でも,終わったらすぐに忘れることにしているので(そうしなければ,限られたキャパの私の脳が次に向かってくれないのです),こういうことになるのでしょう。別に誰かに迷惑をかけているわけではないと思いますが,認知症の始まりであればどうしようと不安にもなっています。記憶が消しゴムで消されてしまったような気持ち悪さがありますね。もし病気でないのなら,こういう老化現象に耐えることも,人生修業なのかもしれません。 

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2017年10月15日 (日)

角田光代『さがしもの』

 角田光代『さがしもの』(新潮文庫)を読みました(Kindle)。主人公たちの人生と本との出会いをテーマにした短編集です。どれも小説としては面白いのですが,出てくる登場人物(多くは女性が主人公)に感情移入できない作品が多かったですね。女性向きの本でしょうね。
 そのようななかで表題作「さがしもの」は,割と共感できる部分が多かった作品でした。死期が間近に迫っていた祖母から,ある本を探すようにと頼まれた孫。憎まれ口をたたき続ける祖母ですが,それは死期が迫った祖母にみんなが優しくしてくれることへの反発もあったようです。普通に見送ってほしいと思っていた祖母が探していた本は,若いときの彼女と重なりあうような小説でした。
 人間は若いときには,未来の自分についてのさがしものをするのでしょう。しかし,死期が迫ると,過去の自分についてのさがしものをするのかもしれません。そしてそれを探しあてて,その人生を自分なりに完結させようとするのかもしれません。でも,多くの場合,それは実現しないのですが。
 ★★(好き嫌いがあるでしょう。私としてはあまり高い評価はしませんが,著者の本への強いアモーレが感じられて,そこには共感できるところ大です)

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2017年10月 9日 (月)

東野圭吾『ブルータスの心臓』

 東野圭吾『ブルータスの心臓』(光文社文庫)を読みました。出だしはロボット化社会の悲劇というような社会的テーマかという感じでしたが,そういう話ではありませんでした。東野圭吾初期の作品で,時代設定の古さはありますが,ミステリーとしては,やはり面白かったです。
 末永拓也には野心がありました。恵まれない生い立ちでしたが,自力で国立大学に入り,一流会社に就職しました。その会社で,彼は人工知能ロボットの開発研究者として頭角を現していました。野心家の拓也は,創業家の仁科家に近づこうとして,仁科敏樹専務の近くで働いている康子から敏樹についての情報を得ようとしますが,そのうちに康子と肉体関係ができます。あるとき康子は,妊娠したと言って,もし自分の生まれた子があなたの子であれば責任をとってもらうと脅迫されることになります。しかし,ちょうど拓也は,敏樹の次女の星子の花婿候補になっていました。
 そんなとき,星子の異母兄で,同じ会社の開発企画室長をしている仁科直樹に呼び出されます。直樹も,そして拓也と同様,花婿候補であった橋本も,康子と肉体関係があり,同じように脅迫されていたのです。直樹は,康子の殺人を提案します。直樹が康子を大阪で殺して,名古屋に運び,名古屋から厚木まで拓也が運び,そこから橋本がどこかに死体を捨てるという計画でした。これにより,死亡時刻に,一番疑われやすい橋本のアリバイがあるなど,アリバイが完全になるというリレー殺人です。ところが,実際に殺されていたのは,康子ではなく,直樹でした。そして,その後,橋本も殺されます。
 いったい誰が二人を殺したのでしょうか。拓也は康子が直樹と橋本を殺したと疑い,彼女を殺してしまいます。しかし,犯人は思わぬところにいました。
 ここから先は本書を読んでのお楽しみです。冒頭でロボットによる殺人というシーンが出てきて,最後できちんとオチがついています。その途中の完全犯罪はまったく別の筋として展開し,もちろん実はつながっていたという流れです。サスペンスとしては十分引きつけられました。動機もそれほど無理がないと思いました。完全犯罪を見破る刑事の推理がちょっと強引かなという印象も受けましたが,許容可能な範囲です。最後は,拓也が殺されるところで終わり,尻切れトンボという印象をもつ人もいそうですが,私はこういう潔い終わり方のほうが好きかもしれません。連休中の骨休みとしては良かったです。★★★(★三つ)

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2017年9月25日 (月)

浜口倫太郎『22年目の告白-私が殺人犯です』

 浜口倫太郎『22年目の告白-私が殺人犯です』(講談社文庫)を読みました。映画は観ていません。いろいろな評判のある本のようですけれども,私は素直に面白かったです。
 ちょっと冴えない編集者の川北未南子は,あるとき行きつけのバーで出会った(実は自分を待ち伏せしていた)曾根崎という美貌の男性から,読んでもらいたい原稿があると言われます。手渡された原稿の内容は,殺人事件が題材でしたが,文章は素晴らしく,出版に値するものでした。ただ,そのリアリティは異常で,実はそれは実際に起こった連続凶悪殺人犯(被害者をその知人の前で窒息させて殺すという残忍な方法の殺人を繰り返した)の内容でした。おそらく犯人が書いたであろう,この原稿について,著者が誰であるかと未南子が曾根崎にたずねると,曾根崎はそれは自分だと答えました。未南子が勤務している出版社は,売れる本であれば何でも売るというポリシーで,殺人犯の本でも平気で出版する会社でした。未南子は,良心と格闘しながらも,曽根崎の指名もあって,彼の本の編集担当者となります。彼は,本を200万部のベストセラーにしてくれと言います。曾根崎の犯行は既に時効にかかっており,彼は世間の前に出ても捕まることがありません。曽根崎は,世間に挑戦するかのごとく,積極的にマスコミに登場します。
 曽根崎が殺したなかには刑事もいました。犯人は自分を追い詰めた牧村刑事を狙っていたのですが,犠牲になったのは上司のほうでした。牧村は上司の恨みを晴らすべく,曾根崎は対決するのですが・・・。
 あっと驚くどんでん返しでした。作品全体に無駄なく伏線がはられていましたが,少し残念だったのが,犯人(曾根崎ではありませんでした)の動機がいまひとつ説得的ではなかったことです。曾根崎と牧村のことが丁寧に描かれていただけに,最後の急展開はやや強引な印象を受けましたが,仕方なかったのでしょうか。それと一番最後の牧村の後日談の部分は,火曜サスペンスのエンディングのようなさわやかな終わり方で,ちょっと違和感もありました。
 でも休暇中に時間つぶしに読んだ本としては良かったと思います。そういう本として読んでみてください。 ☆三つです。 

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2017年8月29日 (火)

堀江貴文『多動力』

 ビジネス書としてトップ独走ということでしたので,堀江貴文『多動力』(幻冬舎)をKindleで読んでみました。感想は二つ。この人,私とかなり同じことを考えているな,と驚いたこと。もう一つは,結構,楽にラフにモノを書いているな,ということ。
 同感したところは,たくさんありました。いくつかあげてみましょう。

・「自分の時間を取り戻そう」
 私も,堀江氏ほどではないですが,時間に対するこだわりはかなり強くもっています。無駄な面談や会議に対する抵抗感も同じです。拙著の『勤勉は美徳か?』(光文社新書)の主題も時間主権の回復です。

・「電話をかけてくる人間とは仕事をするな」
 私の場合には,すぐに面談したがる人とは仕事をするな,ですね。こういう人は,私から時間を奪う泥棒なのです。

・「大事な会議でスマホをいじる勇気をもて」
 あまりお勧めではありませんが,気持ちはわかります。これも時間泥棒対策です。私はひどい会議では,スマホないし「内職」をします。

・「おかしなヤツとは距離を取る」
 これも同様に時間泥棒対策です。ホリエモンのようにはなかなか割り切れませんが,気持ちはわかります。

 以下は働き方に関係するもので,私と同じ考えかそれに近いものです。
・「寿司屋の修業に意味がない」
 ネットで簡単に情報が入る時代に,秘伝を教わるためにずっと下働きばかりさせられるのには意味がないということです。私が,若者の育成といっても,会社に入ってやらされる仕事は,将来役に立たないかもしれないので注意せよ,といっているのと同じことですね。AIに代替される作業のための訓練は無駄になるので,やらないほうがいいのです。

・「バカ真面目の洗脳を解け」
 言葉は激烈ですが,同感するところが多いです。この趣旨は,私が言っている自前主義をやめろ,ということとほぼ同じです。何でも自分でやらなければいけません,という思い込みが発展を阻害しているのです。ただ,これについては,私は堀江氏のようには自分では実践できていません。これからの企業は自前主義はダメと言いながら,自分は何でも抱え込んでやりすぎています。ほんとうは信用できる人がいれば任せて,その分はしっかり報酬を払って,自分の時間を買いたいのですが,なかなかそうはいきません(人材はいても,そういう人もまた忙しいのです)。よい仕事のパートナーというのは,編集者クラスでは何人かいますが,恒常的に助手のような人が近くにいたら助かるなということをいつも感じています。個人的にはいますぐにでも自前主義はやめたいのです。

・「見切り発車は成功のもと」
 これも,同感するところが多いです。これはあまり自慢できることではありませんが,論文も著作も100点を目指すと行き詰まります。90点を目指すくらいでいいと考えています。これが油断につながるといけませんが,90点をとるのと,そこから100点まで引き上げるのとでは,クオリティはあまり変わりがないのに,努力はものすごくかかります。100点主義は,自己満足の世界です。それを目指している人は尊敬しますが,私とは生き方がやや違います。自分の限られた時間は,別のところに注ぎ込みたいと思っています。

・「仕事を選ぶ勇気」
 そのとおりです。転職力を身につけよ(拙著『君の働き方に未来はあるか?』(光文社新書)を参照),という私の主張とも通じます。

・「教養なきものは奴隷になる」
 これは彼がわかって書いているかはなんとも言えませんが,まさにリベルルアーツ(教養)こそ,人を自由に(リベラル)させるための技芸(アーツ)ということです。奴隷ではなく自由な人間になるために教養は必要です。ただ,彼の言っている「教養」はちょっと広すぎますが。

・「知らないことは『恥』ではない」
 わからないことは専門家に教わるほうが効率的です。その前提として,自分が何かわからないかを知ることも大切です。ここで私も失敗することがあります。自分の知識に常に謙虚であるべきで,他人から教わるという気持ちをもつことが大切です。もっともダメ学生や無能なジャーナリストのように,自分で何も努力せず,何から何まで教わろうとするのは最悪です。
 これは「なぜデキる人は『質問力』が高いのか」にもつながります。優秀な人は,当然のことながら,質問が素晴らしいです。よい質問に誘発されて,良い答えができて,それがこちらの刺激になることもあります。こういう取材を受けたときは幸福です。

・「ヒマな人ほど返信が遅く,忙しい人ほど返信が早い」 
  これは常識です。私はヒマではないので,返信は早いと思います。返信をしないのは,返信する必要もないものです。少し考えて返信しなければならないようなメールは,そのうち忘れてしまうので,やはり返信しません。ややこしい相談ごともできるだけ即決します。もっとも私は勘が鈍いので,即決して失敗したことも少なからずありますが,へこたれないようにしています。
 
 そのほかにもいくつかあって,あまり同感できないものもありますが,全体として納得できる部分のほうが多かったです。では,この本は読む価値があるかというと,私は多くの人には道を誤らせる危険な本ではないかと思います。ということで,★★☆☆☆(★二つ)。

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2017年8月28日 (月)

誉田哲也『プラージュ』

 誉田哲也『プラージュ』(幻冬舎文庫)をKindleで読みました。以下,ネタバレあり。
 住んでいたアパートが火事になり焼け出されてしまった貴生には,頼れる人は保護司の小菅しかいませんでした。貴夫は覚醒剤犯で執行猶予中でした。小菅が紹介してくれたのは,潤子という女性がやっている「プラージュ」というシェアハウスでした。そこはドアがなくプライバシーがまったくない変わったところで,食事は希望すれば潤子のやっている店のものを食べさせてもらえて,月の家賃がたった5万円というところでした。貴生は,そのうちそこの住民がいろいろな事情から犯罪に手を染めていた前科者であることを知ります。
 貴生は犯罪者といっても,たった1日,職場でいやなことがあって羽目をはずして飲み過ぎて,悪い連中と合流してしまって覚醒剤を1回使用したときに捕まったにすぎないのですが,会社を解雇され,再就職もままならないという不運にありました(おまけに家も火事になりました)。その他の同居人は,もう少し重い犯罪ですが,いずれもそれぞれに事情がありました。誰も根っからの悪人はいませんでしたが,世間の偏見と差別にさらされていました。悪い男につかまり,なかなか縁の切れない紫織,若いときにはやんちゃをしていたが,その後はまじめに働き彼女もいたのに,あるときに不良との騒動にまきこまれ,やや行きすぎた過剰防衛をしたために刑務所に入れられてしまった通彦などです。
 なかでも20歳の美羽は強烈でした。彼女は世間の常識がわからないサイコパスでしたが,嘘はつかないという娘でした。彼女には,かつて喧嘩をふっかけられて敵を派手に死傷させてしまった過去がありました。彼女には,被害者からの復讐の魔の手が迫っていました。
 もう一人,同居人のなかには友樹という男がいました。子供のころからの親友の重明を殺したとして第1審は有罪でしたが,控訴審で無罪となりました。重明の当時の彼女の証言でアリバイが認められたからです。友樹にふられた彼女は,第1審では偽証したのです。重明は友樹からずいぶんとお金を借りていました。あるとき,重明は,働いていた自動車販売会社が実は盗難車を扱っていて,そのことを事件を追っていたジャーナリストに喋ってしまったところ,それがばれてマフィアから逃げなければならなくなったが,逃亡資金がないので貸してくれと友樹に頼んできました。しかし友樹はそれを断りました。もう彼には金を貸さないと決めていたからです。その重明が,その夜,殺されたのです。彼と重明がいさかいをしていたのが目撃されていたことから疑われました。  
 この殺人事件を追っているジャーナリストがいました。彼は友樹はほんとうは有罪であり,その悪事を暴いて社会的正義を実現しようと考えていました。友樹がプラージュにいることを突き止めた彼は,プラージュに潜入するために彰という偽名で同居人となります。ところが,徐々に彰は友樹を告発することを断念する気持ちになります。
 あるとき,美羽が彼女に復讐しようとする者たちによって拉致されます。プラージュの同居人や客は,一致団結して美羽奪回に立ち上がります。奪回は成功したのですが,その現場で,彰は刺殺されてしまいました。
 彰が残していたファイルに,驚きの真相が書かれていました。彰も前科者でした。友樹の悪事を暴くのは,実は社会的正義ではなかったのです。重明が語ったジャーナリストは彰でした。重明を殺したのは彰でした。重明がお金をくれなければ,彰のことをマフィアに伝えると脅したために殺してしまったのです。彰は,自分を守るため,友樹が犯人であるという記事を書こうとし,そのネタ集めのために友樹に接近していたのでした。彰こそ極悪人でしたが,でも最後は悔い改めます。
 潤子にも悲しい過去がありました。潤子の父は一度の過ちのために社会復帰が許されませんでした。そして苦しんで自殺しました。潤子は,普通の人がちょっとしたことで犯罪者となり,そしていったんそうなったら世間の厳しい目でなかなか脱却できないという現実をみて,なんとかしようと考えてプラージュを作ったのです。プラージュとは,フランス語で「海辺」という意味です。悲しい前科者が波のように寄せてきては,なんとか自立して波のように去って行くという場ということでしょう。
 いろいろ考えさせられるし,ストーリー展開もなかなか面白かったですよ。 ★★★☆☆(☆三つ)

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2017年8月24日 (木)

池井戸潤『アキラとあきら』

  池井戸潤『アキラとあきら』をKindleで読みました。この著者の得意の銀行ものです。苦境に陥った主人公の男が最後に逆転して乗り切ると言うワンパターンの話ではありますが,読んだ後に感動が残るのがこの著者の凄いところでしょう。
 彬(あきら)と瑛(あきら)はそれぞれ社長の息子です。彬は大企業の東海郵船グループの創業一族の社長の長男ですが,瑛は町工場の中小企業の社長の長男で,その会社は倒産してしまいます。2人はともに境遇が全く異なる少年期を送りながら,大学は東大に行き,そして同じ産業中央銀行の銀行員になります。入社時の新人研修の際に早くも頭角を現して将来を嘱望された2人。瑛は自分の父親の倒産経験などから,人情に厚い銀行員を目指します。他方の彬は,家業の東海郵船グループ内での,父と叔父の確執,彬と弟との対立など,家族内のドロドロがあり,本人はグループを離れて銀行員になったものの,なかなか家族のしがらみが断ち切れません。そして,グループが瀕死の状態に陥ったときに,銀行を辞めて東海郵船の社長になったのですが,そこから先も苦難の連続でした。この絶体絶命の状況を救ってくれた銀行員が,かつての同僚の瑛でした。瑛の秀逸した稟議書のおかげで,融資がなされ,彬の東海郵船は復活できました。
 稟議書という銀行特有のものがポイントになっていて,あまりこういうことに詳しくない私にはピンとこないところもありましたが,それでも十分に楽しむことができました。ワンパターンという悪口も書きましたし,著者の割と強引な登場人物の設定が鼻につくところもあるのですが,それでも最後にしっかり感動させてくれるのは,著者のストーリーテラーとしての力量なのでしょうね。しばらくは読まなくてもいいですが,たまにはまた読みたくなる著者かもしれません。  ★★★☆☆(星三つ)

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2017年8月 7日 (月)

黒革の手帳

 武井咲の主演で,再び「黒革の手帳」がテレビでやるということだったので,まだ読んだことがなかった原作をKindleで読みました。上下巻でしたが,あっというまに読み終えました。
 テレビでは,米倉涼子主演で有名でしたが,そのときは見たことはありませんでした。今回は,武井咲の立派なママぶりで,思わず見惚れてしまいました。
 清張の原作では,主人公の原口元子は冴えない銀行員という設定でしたが,テレビでは正社員ではなく派遣社員になってしまいました。派遣社員の恨みというほうが動機としてより説得力があるということでしょうかね。銀行の借名口座の存在を手帳に書き取り,それで銀行から大金を横領し,その後銀行を脅して返済請求を放棄させ,その金をもとでに銀座でクラブのママになった元子。しかし,元子の横領のために,支店長らは左遷されます。さらにクラブの客のなかで借名口座をもっていた産婦人科の院長(テレビでは美容外科の院長)がいたことを突きとめて,その客からもお金を出させるなどし,さらに調子に乗って金持ちの弱点を突いてお金を脅し取ろうとした元子でしたが,復讐の魔の手が迫っていました。結局,見事に罠にはめられてしまった元子の最期は悲惨でした。
 不動産登記の移転についての錯誤無効が一つのポイントでしたが,議員の口利き,医大への裏口入学,弁護士もおそれる大物総会屋など,元子の敵は彼女がかなうような相手ではありませんでした。それでも,一人の女性が,銀行から堂々と横領をして,銀座にクラブをもつというスケールの大きな設定に,裏社会の問題を絡ませる手法は,清張ならではでしょうかね。
 今回のテレビドラマでは,設定が少し変わっているので,これからどういう結末になるのか気になります。
 手帳に手書きというのは,いかにも古くて,リメイク版なら,もう少し違った設定にもできたのでしょうが,銀座のママにはやっぱり黒革の手帳がお似合いなのでしょうね。

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