読書ノート

2017年3月23日 (木)

岩木一麻『がん消滅の罠』

  「このミステリーがすごい」大賞の受賞作品である,岩木一麻『がん消滅の罠-完全寛解の謎』(宝島社)を読みました。評判通りの素晴らしいミステリーでした。以下,ネタバレあり。  余命数ヶ月の末期がんの患者のがんが完全寛解するということは,およそありえないことではないそうです。しかし,これが立て続けに起こると,どこかおかしいという疑いが出てきます。  この作品の最初は,単純な詐欺事件から始まります。双子の姉妹のうち末期がんとなった1人がまず診断を受け,健康なもう1人がその後に診断を受け,その間に,何らかの薬を飲んだことにすると,その薬の効用でがんが消えたという宣伝となります。  やっぱり,がんが消滅するなんてないよね,というイントロから始まるのですが,ほんとうに詐欺でもなんでもなく,末期ガンとなった人のがんが消滅するという出来事が起こりました。小暮という中年女性の患者は,日本がんセンター研究所の夏目医師から,余命数ヶ月の宣告をされ,生命保険のリビングニーズ特約に基づき多額の保険金を受け取っていました。その後に,ガンが完全寛解したため,保険詐欺の疑惑が生じました。保険会社の森川は部下と一緒に調査を始めますが,怪しいところがまったくありません。むしろこの患者は,障害を抱えた娘を抱えていて,保険金を有効に使おうとする普通の善良な市民でした。  夏目の大学時代の恩師は,突然,東都大学の教授を退職して行方がわからなかったのですが,実は湾岸医療センターに移っていました。夏目は,恩師が,辞職する前に,「医師にはできず,医師でなければできず,そしてどんな医師にも成し遂げられなかったこと」をすると述べていたことが気になっています。  夏目と友人の羽島は,保険会社の情報などから,湾岸医療センターにおいて,西條が弱者の救済のために,ある種の保険金詐欺をしているのではないかという疑いを持ちます。それは,次のような仮説によるものでした。このセンターで画期的ながんの治療方法を見出したとします。そして小暮のような弱者に対して保険金を得ることができるようにするために,生命保険に加入させてリビングニーズ特約をつけさせたうえで,一旦末期がんの宣告を受けさせて保険金を受け取らせ,その後,その画期的な治療方法によってがんを寛解させるというのです(救済者仮説)。  ところが,湾岸医療センターでは,小暮たちとは異なり,富裕層など社会的な有力者に対してもがん治療を行って成果をあげていました。特別な救済をする必要もないような人たちに対してです。  そんなとき,湾岸医療センターに肺がんで通院していた柳沢という厚生労働官僚が,夏目のところにやってきます。   そのころ,夏目と羽島は,新たに,出来レース仮説というものをもっていました。それは,早期ガンを発見した患者に対して,手術で切除し(転移の可能性はこの時点では低い),切除したがんを培養して既存の抗がん剤の効果を確認し,よく効く抗がん剤が見つかった場合にだけ,がん細胞を患者に注射して人工的に転移させ,その後,効果が分かっている抗がん剤を投与して,がんを消滅させる,というものです。  抗がん剤の投与を条件に,西條たちが,患者に何か要求をしているのではないか,という疑惑が出てきたのです。夏目と羽島は,柳沢を味方につけようとしますが,失敗します。柳沢は,自分の命を守るために,西條の要求に屈したからです。  西條には大きな野望がありました。日本をよくするために,社会的に影響力のある人を支配しようとしていたのです。   夏目と羽島は西條と対決することになります。実は,その前に,夏目たちは,小暮の体内にあったがん細胞が,小暮のものではないということを確認していました。小暮には,他人のがん細胞が注入されていたのです。通常は,がん細胞を注入しても,免疫機能が働いて死んでしまいます。しかし小暮はちょうど湾岸医療センターでアレルギーの治療をしていて,免疫を抑制する薬が投与されていました。そのため,がん細胞が増殖したのです。この場合の治療は簡単です。免疫抑制の薬を止めるなど,本人の免疫機能を元に戻せばよいのです。  西條は,夏目たちの仮説を認めはしませんでしたが,別のことを言い始めました。羽島のDNAが,西條の亡くなった娘の体内から出てきたということを明かしたのです。西條は,娘の恵理香が乱暴されたという告白を信じていたため,娘の体内に残されたDNAをもつ者をみつけて復讐しようとしていたのです。ところが,DNAが一致した羽島は,暴行犯でありました。羽島と恵理香は恋人同士でした。  夏目たち3人の会談が終わったあと,西條は拉致され,バラバラ死体で発見されます。頭などは見つかっていませんが,DNA鑑定から恵理香との親子関係が一致したので,西條の死が確認されました。  夏目は,いったい恩師の西條がなぜこんなことを企んだのか,ということを不思議に思っています。娘の仇討ちのために力をもちたいという理由だけだったのでしょうか。夏目は次のように考えています。「先生は弱者を救済し,有力者の運命を支配していた。榊原[患者の一人]は先生を悪魔と評したが,先生が目指していたものは悪魔というより神であるように夏目には感じられた。人はどんな時に神に近づこうとするのか。……人は虚無感にとらわれると,神に近づき全能感を得るために宗教の熱心な信者になることがある。西条先生は自らが神のように振る舞うことで,巨大な虚無を満たすための全能感を得ていたとは考えられないだろうか。そうだとすると,それほどの虚無を先生にもたらしたものは何だったのか」(304~305頁)。  ここから残り10ページ弱で驚く展開が待っています。ほんとうのネタバレになります。  まず,がん完全寛解の謎は,一つは小暮たちにやったような手法です。これに対して有力者たちにやったのは,早期がんを発見できたとき,その早期がんに自殺遺伝子を組み込むという方法でした。柳沢たちには,出来レース仮説ではなく,本人の切除したがん細胞自殺するような遺伝子を組み込んで本人の体内に戻し,あとはこの遺伝子を作用させるホルモンを投与するという治療をするということでした。そのホルモン投与料を調整することによって,がんが進行したり,減ったりするということが可能となるというものです。死の淵に瀕した有力者は,ホルモン投与を求めて,西條たちの要求を飲むのです。患者にしてみればまさに「悪魔」でしょう。  西條が,これを始めたのは,実は,妻への復讐のためでした。恵理香のDNAは,西條のDNAと一致していませんでした。妻は不倫をしていたのです。西條は,不倫相手をつきとめ,その男に復讐をします。がんを移植し,末期がんの苦しみと完全寛解とを繰り返すという拷問をしたのです。これが湾岸医療センターでの試みの始まりでした。  西條のやっていることは,その秘密を守ることが何よりも大切です。治療を実際に行っていたのは,宇垣という女性の医師です。西條の妻が不倫をしていたのは,西條が学生時代にボランティアで精子バンクに登録したことに不満をもったことがきっかけでした。どこかに夫の子がいることに耐えられなかったのでしょう。宇垣こそが,西條の実の娘であることが最後のページで明かされます。  それでは,西條の死体の一部のDNAは,なぜ恵理香と一致したのでしょうか。それは,そこで採集されたDNAは,妻の不倫相手であった男(つまり恵理香)のDNAだったのです。ということで,西條は生きていたことになります。  夏目が疑問に思っていた西條の大きな虚無は,妻の不倫,娘がその不倫相手の子であったという絶望からきたものなのでしょう。  最後に,この本を読むと,がんのことを身近に感じることができます。がんというのは,そう簡単になるものではないということが,夏目と妻との会話のところに出てきます(100頁以下)。要するに,細胞には本来寿命があって自然に死んでいくはずなのに(アポトーシス),突然変異で死ななくなってしまうというところが,がんの原因なのです。がん細胞にアポトーシス機能を付与することができればいいということです。今回のこの本で紹介された自殺遺伝子が実用されているかどうか不明ですが,夢のがん治療薬となるはずです。  アポトーシスは,そもそも人間はなぜ死ぬかということと関係していて,1年ほど前に田沼靖一『人はどうして死ぬのか-死の遺伝子の謎』(2010年,幻冬舎新書)という本を読んで勉強したことがあります(ブログで消化したかどうか忘れましたが)。きっかけは,人間とロボットとの違いから,人間はなぜ死ぬのか,という問題意識をもっていたからです。その本では,まだがん細胞とアポトーシスとをつなげる薬はできていないとなっていました。  長く紹介しましたが,素晴らしい本でした。多くの人に勧めたいです(★★★★ ただミステリーとしては,まだ改善点があるかもしれません)。

|

2017年3月10日 (金)

佐藤博樹・武石恵美子編『ダイバーシティ経営と人材活用』

 佐藤博樹・武石恵美子編『ダイバーシティ経営と人材活用―多様な働き方を支援する企業の取り組み』(東京大学出版会)を,お送りいただきました。いつもどうもりあとうございます。
 ダイバーシティーが書名に入っていますが,大きく分けて転勤,女性活躍支援,ワークライフバランス,仕事と介護(ガン治療)との両立,というテーマで構成されています。個人的に興味をもったテーマは,転勤と介護です。
 転勤は,正社員である以上,避けられないこととされていました(私は『雇用社会の25の疑問』(弘文堂)では,転勤は「雇用社会の掟」と書いていました)。しかし本書の分析結果では,「転勤経験は能力開発に有意な関係があるとはいえないことが明らかになった」(61頁)とされています。
 前にも書いたことがありますが,転勤は,正社員の忠誠度を問うような精神的な意味合いが強く,現在においてどれだけの意味があるのかには疑問もありました。これまでやってきたから続けているという面もあるのではないでしょうか。人事管理の専門書において,こうした点の問いかけがなされ,実証的に検討していくことの意義は小さくないでしょう。こうした研究の積み重ねが,企業の人事管理に影響を及ぼし,さらに裁判所の転勤命令の権利濫用に対する甘い判断(企業側に甘い判断)を見直すきっかけになればと思います。
 介護については,介護ヘルパーへの調査をとおして,介護者の仕事と介護の両立を検討しようとしているところも興味深かったです。たしかに労働者が両親などの家族の介護をしていくうえにおいて,ケアマネジャーのサポートは重要です。もっとも今日の問題は,ケアマネジャーをはじめとする介護労働者の不足というところにあります。雇用政策的には,こちらのほうも重要でしょうね。
 いずれにせよ1冊で,多様な働き方に関する重要論点が,実態調査などを通じて丁寧に分析されている点で,労働の研究に従事する者の多くが参照すべき文献であると思います。

|

2017年3月 8日 (水)

菅野和夫『労働法(第11版補正版)』

  菅野和夫先生の『労働法』(弘文堂)の第11版の補正版が出ました。 いつもお送りいただきどうもありがとうございます。
 第11版が出たのが,2016年2月なので,いま補正版が出るということは,その間に多くの立法があったことを示しています。
 雇用保険法,育児介護休業法,高年齢者雇用安定法,男女雇用機会均等法等の改正がありました。また外国人技能実習法の制定もありました。いわゆる労働市場法の分野の立法がとくに盛んです。
 判例よりも立法の時代となり,これからは労働法の体系もダイナミックに見直されていく必要があるのかもしれません。今年も(あるいは今後何年かのうちに)労働契約法や労働基準法の改正がなされる可能性があります。菅野労働法が,改訂・補正がなされている間に,私たち後進の者が次世代の労働法の構築の準備をしておく必要があるのでしょうね。
 それにしても最近の学生は,菅野先生の教科書が1000ページを超えているのを見て,それだけでひるんでしまいます。労働法で何か語ろうとするならば,少なくとも菅野労働法を読んでおくことは最低限必要です。と偉そうなことを言いながら,私自身,最近は,先生の改訂スピードについていくことができず,関心があるところだけのつまみ食いなので,あまり偉そうなことは言えないのですが。

|

2017年3月 7日 (火)

百田尚樹『夢を売る男』

 百田尚樹『夢を売る男』(幻冬舎文庫)を読みました。ある出版業界の編集者である牛河原氏。本を出版したいという自己顕示欲満々の一般人を「騙して」自費出版に持ち込み,実際の出版費用との差額を儲けとするビジネスをやっています。でも,牛河原氏は,これは本を出したいが才能はないという一般の人の夢を実現するのに一役買っているのだと,悪びれたところはありません。
 本の筋はさておき,日本語で書かれたブログが全ブログの3割を超えているなど,驚きの情報もありました。書きたい病の日本人というところでしょうか。
 そういう私も2007年よりブロガーをやっていて,一回消去してしまったのに,性懲りもなく,復活の熱い希望に応えて(?),再開し,今日に至っています。本の執筆やゲラがないときには,ほぼ毎日更新しており,自己顕示欲にとりつかれた悪しき日本人の典型例かもしれません。とはいえ,私は自費出版はしたことがありませんが。
 本書はラストがいいです。本当に良い本は自費出版させないで,会社が責任をもって出す。そして営業力で儲けを出す。この目利きとしての自信,そして優れた編集と連動した営業,これにより良い本が普及するのです。良い本が普及して利益がでれば,次の良い本を出す原資が生まれます。
 私たち著者も,売れる本を出したいのは,次に出したい本を出すためです。私らの本は,売れても印税はわずかです。時給にしたら最低賃金を大幅に下回っています。だから私程度の者は,本を書くことは,もし利益というのを考えれば効率の悪いことです。
 それではなぜ書くのか。それは自己顕示欲と言われれば否定はしません。書きたいことがあるから書くというのは事実です。このブログのように,無償で書くのもそのためです(そろそろ無償はやめて,コアな読者だけ集めて,双方向で会話するサロン的な有料メルマガに切り替えようという計画は前からあるのですが,実現していません)。いずれにせよ,依頼があるかぎり,あるいは私の企画を受け入れてくれる出版社がある限り,当面は,夢を買わせてもらいましょう。
 でも,それもあと10年くらいかもしれません。私が書けなくなるかもしれないのと同じくらいの確率で,自分で直接発行してしまうことになるかもしれないからです。有料メルマガの書籍版です。これからの著者として必要なのは,出版社という看板ではありません。
 いまの出版社には在庫管理ばかりに熱心で,自転車操業のような売り方をしているところが少なくありません。あるいは補助金があるとか(これだと自費出版とあまり変わらないですね),確実に売れる客がいるとか,そういう場合にしか本を出してくれないというところも多いようです。営業力で売ってもらうということは,あまり期待できません。
 紙媒体の出版は,とても古いビジネスモデルです。著者として,自分の書きたいことを世に問うためには,どうすればよいかということを考えていけば,課金システムと著作権管理さえうまくできれば,もはや出版社は不要となるかもしれません。というか文筆業で儲けるというのではなく,情報は無償にして,それと連動した別の方法で利益を得るということもあるのかもしれません。そこで大切なのは,ほんとうに優秀なプロデューサーとディレクター(編集者兼務)です。著者は,そういう人とコンビを組んでいくというのが,これからの文筆や情報発信のあり方なのでしょうね(その著者のなかには,AIも含まれているかもしれません)。
 読者としては,たとえば村上春樹に直接発注して,電子媒体で本を購入するということになるでしょう。産地直送です。
  さて本書に戻ると,解説で花田紀凱氏も書いていますように,この本は,出版業界に身を置く人は,すべからく読むべきでしょうね。自分たちの業界が何をすべきかを再確認できると思います。                 ★★★★

|

2017年2月28日 (火)

濱口桂一郎『EUの労働法政策』

 濱口桂一郎さんから,『EUの労働法政策』(独立行政法人労働政策研究・研修機構)をいただきました。いつもどうもありがとうございます。前著の『EU労働法の形成』の全面改訂版だそうです。EU労働法は,指令(directive)などの条文そのものは,ネットから得られるので,内容は確認はできますが,その体系的な理解というのは容易ではありません。これまでも,EU・ECの労働法について,実務的に解説している文献はありましたが,濱口さんが出てきて,この面で精力的に活動されるようになってからは,ずいぶんと状況が改善され,全体の見通しがよい正確で良質の情報が入ってくるようになりました。私たち研究者は,論文を書く必要性とも関係して,どうしても個別の国を専門としてしまい,EU法は付随的な位置づけになってしまっているのですが,実務上はEU法が重要ですし,EU指令による各国の労働法の「接近」が続くなか,EU法についての知識は欧州各国との比較法をするうえでも不可欠なものとなってきています。労働時間指令などは,各国の法制をみるのも大切ですが,EU指令をみることにより,EUの基本方針を知ることが非常に有益なのです。
 本書も,さっそく活用させてもらっています。この分野はいまや濱口さんの独壇場ですが,そろそろ後継者も必要でしょうね(どなたかいるのでしょうか)。英語だけでなく,複数の欧州言語を操る若きcomparatist に出てきてもらいたいものです。
 いただいた本はISBNがついていなかったので,市販されていないのは問題だと書こうと思って,念のためにJILPTのHPをみると,購入できそうなので安心しました。多くの人に活用してもらいたいです。

|

2017年2月26日 (日)

浦賀和宏『彼女は存在しない』

 前に読んだ『緋い猫』が少し気持ち悪かったのですが,この作家に興味を持ったので,出世作である『彼女は存在しない』(幻冬舎文庫)を読んでみました。面白かったです。多重人格者の話というのは,ミステリーとしてはちょっとずるいのですが,それでも十分に楽しめました。
 あるとき,彼氏である貴治と待ち合わせをせいていた香奈子は,「アヤコ」さんではないですかと声をかけられます。香奈子は,由子という女性から「アヤコ」と間違えられたことに違和感をおぼえます。
 亜矢子の兄である根本有希は,両親をなくし,妹と二人で住んでいますが,妹が多重人格になったことに苦しんでいます。有希の恋人の恵も,亜矢子のことを心配していました。
 そんなとき貴治が殺され,また根本兄妹の父の弟であった叔父も殺され,そして恵も惨殺されます。有希は,その犯人がすべて亜矢子であると考えています。この三つの殺人には,すべて共通の動機があったのです……。
 貴治と香奈子には,作家である共通の知人がいました。それが作家の「浦田先生」です。香奈子は,貴治の死後,浦田に対して,自分が幼少期から,父親にレイプされ続けていたという話をします。ところが,そんな香奈子に浦田先生は冷たい反応をします。
 ・・・というように話が進むのですが,浦田は身近な人を素材に小説を書く傾向にあり,香奈子は浦田の新刊に,自分が浦田に話したことがそのまま書かれていて愕然とします。
 しかし真相は違っていました。香奈子は実在していなかったのです。それはなぜでしょうか。
 グロテスクなシーンは,前の『緋い猫』にもありましたが,やっぱり気持ち悪いですが,『緋い猫』よりもミステリーぽくて面白かったです。 ★★★(この作家の本は,もう少し読んでみたいです)

|

2017年2月24日 (金)

まさきとしか『完璧な母親』

   まさきとしか『完璧な母親』(幻冬舎文庫)を読みました。ちょっと角田光代っぽい出だしに思えましたが,それはともかく,途中から止まらなくなるサスペンスです。これも半身浴2時間コースですね。
 自分の不注意で6歳の男児(波琉)を溺死させてしまった知可子は,その後,ちょうど同じ誕生日に生まれた女の子を,亡くした男の子の生まれ変わりと思います。この女の子は波琉子と名付けられ,そして知可子は波琉子を死んだ兄の生まれ変わりと信じて育てます。知可子は,息子への贖罪の意識からでしょうが,波琉子には完璧な母親になろうとします。波琉子も,兄の生まれ変わりと信じるようになるのです(母親に刷り込まれる)が,どうしても事故のときの記憶がありません。
 話は変わって,母に虐待されて育てられた成彦。姉の秋絵は大事にされるのに,息子の自分は毛嫌いされて育てられました。成彦にはその理由がわかりません。その後,母は事件を起こし,父母は離婚し,姉は母に引き取れていました。それから何年か経って,婚約者ができた成彦は,自分の家族である母と姉に会いにいこうとします。そしてそこで姉から,自分は男の子の生まれ変わりなの,という話を聞きます。
 というように,まったく違った家庭で二人の女性(波琉子と秋絵)が,男の子の生まれ変わりだというのです。これが実は同じ男の子のことだったのです。
 徐々に男の子の死の真相が浮かびあがってきます。二つの家庭はもともと近所に住んでいたという接点がありました。そして,なぜ波琉子に事故の記憶がないのか,秋絵はなぜ自分を溺死した男児の生まれ変わりと思い込んだのか,成彦はなぜ母親に嫌われたのかが明らかにされていきます。
 波瑠子の母も秋絵の母もそれぞれ必死に自分の子を愛していました。しかし,それぞれどこか狂った,あるいは偏ったものだったのです。母の愛のことを,ふと命日(厳密にいえば死亡時は零時を過ぎていたので,その前日ですが)に思ってしまいました。       

    ★★★★(母の子に対する愛を素材にしたちょっと切ないミステリー)

|

2017年2月21日 (火)

五十嵐貴久『リバース』

 どうもシリーズものらしいのですが,よくわからず,amazonのリコメンドにしたがって買ってしまいました。最近は幻冬舎文庫ばかりです。amazonのコンピュータに,幻冬舎文庫好きとインプットされてしまったのでしょうかね。
 この本はホラーサスペンスというジャンルでしょうか。ゆっくりお風呂で半身浴をして,ほどよく汗が出切るくらいのところで読み終えることができました。
 長野から出てきた幸子が,東京で夫が医師をやっているセレブの雨宮家の家政婦をすることになり,そこでの日常の出来事を書いた日記のような手紙を,長野でお世話になった神父に送る,という形で話を展開します。明るく優しい旦那様,綺麗で品のよい奥様,そして美しい双子の娘(梨花と結花)という,絵に描いたような幸福そうな雨宮家でした。しかし,ときが経過すると少しずつ違和感が生まれ,それが徐々に膨らんでいき,最後は恐ろしい結末につながるというものです。
 だいたいこんな筋になるだろうとは思いながらも,それでもやっぱり違うかなと思ったりして,ここがサスペンスとして巧いところなのでしょう。
 ただ実は読み終えたあと,最初はオチを正しく理解しておらず,なぜ「リバース」というタイトルだったのかなと思いながら風呂から上がったのです。そのときはのぼせていて呆けていました。でも,あとでわかりました(それで梨花はどうなったのでしょうかね)。
 リカ(結花?)が大きくなってからのことは,すでに小説になっているみたいなので,今度はお風呂ではなく,暑い夏にプールサイドで読んでみたいですね。  ★★★(一気に読めます) 

|

2017年2月18日 (土)

百田尚樹『影法師』

 藤沢周平の『蝉しぐれ』もよかったですが,わりと似たような展開(江戸時代で,若いときに父を失い,苦労して出世していく話)で,この作品もよかったです。ずいぶん前に話題になった本ですが,まだ読んでいなかったと思うので読んでみました。ラストで,主人公の勘一がこれえきれず泣くシーンでは,読者も涙をこらえることは難しいでしょう。
 話は,勘一の刎頸の友,彦四郎が死んだという知らせが飛び込んできたところから始まります。彦四郎は剣の達人で,優秀で,将来を嘱望されていた好漢ですが,昔からどこか恬淡としたところがあります。そんな彦四郎が,どうして徐々に人生のレールから脱線し,不遇の晩年を送ったのか。下士の家に生まれながら,主君に見込まれて異例の出世をとげた勘一が,彦四郎の過去を振り返っていく話です。
 勘一が筆頭家老として,22年ぶりに江戸から帰藩したとき,勘一の前に島貫という男が現れました。勘一は,新田開発の手柄で藩を財政窮乏から脱却させ,その功績で出世していったのですが,当初,それを妨害していたのが,藩政を牛耳っていた滝本家でした。勘一は,自分の事業を妨害する滝本の息子を討ち,後に滝本家の不正も暴いていますが,島貫は,その当時,滝本家から江戸への道中にある勘一を討つように依頼されていた刺客でした。
 しかし勘一は島貫によって討たれませんでした。それはなぜか。勘一を藩のために役立つ存在だと見込んだ彦四郎が,自分の人生を投げ打って,勘一を影から助けていたのです。
 武士の間でも身分の違いで人生の可能性が大きく変わり,また男性でも長男とそれ以外では運命が変わる江戸時代の男たち。そんな時代の男の生き様や友情を,見事に描いた傑作です(彦四郎の家にいた下女のみねと勘一,そして彦四郎の間の恋の物語もあり,文庫版の付録でその部分も追加されていますが,この付録はなくてもよかったのではないかという気もします)。 ★★★★(心が洗われます)

|

2017年2月15日 (水)

伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』

   伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』(幻冬舎文庫)を読みました。前に紹介した『代償』で気になっていた著者だったので,もう1冊買ってみました。『代償』は,救いようのない悪人の話だったのですが,今回の主人公の詐欺師,谷川涼一は,ネズミ小僧的な,ちょっといい悪人で,この人が,喧嘩が強いが女にもてるヒモや元刑事(どの登場人物も,どうみても私の回りにはいそうにない人たち)と組んで,ヒモの実家のぶどう園を乗っ取ろうとした悪い詐欺師の青木に立ち向かってやっつけるというエンターテインメント小説です。
 ぶどう園を敬遠するヒモの父は,後妻をもらっていて,その女性が美人でちょっと色っぽくて,その夫が癌で死にそうになっていて,そこにぶどう園の仕事を手伝うために青木が現れるのですが,その青木は仕事ぶりは熱心で,しかも後妻に色目をまったく使わないために遺産目的ということでもなさそうで,どうみても善良な人のようなのですが,この青木が実は詐欺師集団の幹部であり,その親分と衆道の関係にあり,でも後妻には(性的ではない)愛情をもっていて,詐欺師を引退してぶどう園で静かに暮らそうとしていたといった凝った仕掛けがされています。青木は主人公ではないのですが,この小説の良いスパイスになっています。
 私のような善良で臆病な一市民は,どこかに悪人願望があって,そういう願望を適度に満たしてくれる知的なピカレスク小説は,頭のリフレッシュにぴったりですね。
 ★★★(悪漢小説をお好きな方はどうぞ)

|

より以前の記事一覧