読書ノート

2017年5月18日 (木)

菊池寛『真珠夫人』

 菊池寛の『真珠夫人』を読みました。Kindleの青空文庫です。1920年の作品です。瑠璃子という女性の短くも波乱にみちた悲劇的人生が,ドラマ化されやすい原因でしょうか。15年くらい前にもテレビドラマで流行しましたね。
 まだ古い女性観が支配的な時代において,貞節と妖婦という二面性をもった女性を描いた作品は,100年前の当時は驚きをもって迎えられたでしょう。
 ところで,この小説では「処女」という言葉が頻繁に出てきます。この当時,女性の貞節は美徳であり,処女であるということそのものに大変神秘的で崇高な価値があったことがうかがわれます。ちなみに,三田寛子のデビュー曲は,「駈けてきた処女(おとめ)」でしたね。処女は,乙女で,未婚なのです。いまは未婚=処女という等式はあてはまりませんが。
 さて作品に戻ると……。西洋的な美しさをもった瑠璃子は,父の政治活動から生じた借金を返すために,恋人の直也と別れて,下品な成金の荘田勝平に嫁ぐことになります。しかし,瑠璃子は,結婚後も処女を守り続けることを決心していました。必死に「初夜」を迎えようとする勝平との攻防は喜劇的で,ちょっと勝平が可愛そうにもなります。いよいよ瑠璃子の貞節が危なくなったとき,勝平は知的障害のある長男の種彦に殺されてしまいます。こうして未亡人となった瑠璃子は,男をたぶらかす妖婦に変身し,後半(および最初の部分)は,この瑠璃子と青木兄弟(淳と稔)との恋が見せ場になってきています(小説は,青木淳が事故死するところから始まります)。瑠璃子は,自分の周りにたくさんの男をはべらせ,淫蕩な雰囲気をただよわせる女を演じています。青木淳の事故死のときに偶然言わせた渥美信一郎は,淳の死ぬ間際に残した「瑠璃子」という言葉を頼りに,彼が託した時計を返しに瑠璃子のところに来ます。信一郎も,瑠璃子の美貌に惑われますが,彼の残した日記から瑠璃子が青木をたぶらかしていたことを知り,瑠璃子に対して,せめて弟には手を出すなと忠告します。
 ところがこの言葉が瑠璃子の心に火をつけてしまいました。瑠璃子は,青木の弟の稔を誘惑するのです。しかし,勝平が残した娘の美奈子も,また稔に初恋の感情をもちます。稔は瑠璃子に求婚し,それを知った美奈子は絶望のどん底に突き落とされます。美奈子の気持ちを知った瑠璃子は稔の求婚を拒否します。もともと瑠璃子は稔を恋愛対象とはみていなかったのです。稔は瑠璃子にもてあそばれたとわかり,激高して瑠璃子を刺殺してしまいます。
 美奈子は,自分の父によって恋人の直也と引き裂かれた瑠璃子が,直也のことをずっと思い続けて貞節を守っていたことを知ります。瑠璃子の男たちに対する態度は,自分に悲劇的な人生を強いた男性全体への復讐だったのです。瑠璃子が幼いころ慕っていた画家志望の兄は,芸術を理解しない父と喧嘩をして飛び出して音信不通となっていました。瑠璃子の死後,その兄が描き二科展に出品された「真珠夫人」というタイトルの絵の若い女性は,清麗高雅で,真珠のごとき美貌を漂わせていました。
 菊池寛は,瑠璃子を処女のまま死なせていることからわかるように,女性の近代性を性の自己決定というようなものには求めていません。彼が,真珠夫人のことを,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」と表現していることからもわかるように,女性の近代性を理知性に求めていたようです。おそらく当時は理知的なのは男性で,女性はもっと感情的な存在だという考え方が支配的だったのでしょう。前近代的な道徳観は当然の美徳で,その枠のなかでも,自分なりの考えをもって妖婦を演じたりもできる(そして,男性に復讐する)ところに,菊池寛の考える女性の近代性があり,そうした女性像が前述のように,当時は驚きをもって迎えられたのでしょう。
 100年後の現在,美貌面はともかく,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」女性はいくらでもいるでしょうが,それに瑠璃子のような貞淑さを加えた女性はどれだけいるでしょうか。いま演じるとすればどの女優が適切でしょうかね(テレビの真珠夫人は,横山めぐみでした)。

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2017年5月 8日 (月)

奥田英朗『ナオミとカナコ』

 奥田英朗『ナオミとカナコ』(幻冬舎文庫)を読みました。やっぱり私には,村上春樹よりも,こっちのタイプの本のほうがいいかもしれません。
 夫のDVに悩む主婦と加奈子を助けるために,立ち上がった親友でOLの直美。毎日の仕事への不満や実家との問題(父が母にDVをしていたなど)で鬱屈としていた直美のちょっとゆがんだ正義感が暴走し,なんと加奈子をけしかけて二人で夫を殺してしまうのです(前半のナオミ編)。完全な計画を立てたつもりだったのですが,次々とボロが出てきてしまいます。夫の妹の必死の追及に耐えながら,加奈子は強くたくましく変わっていきます(後半のカナコ編)。二人は無事に逃げ切れるでしょうか。それにしても,殺人をクリアランスと言い換えて納得してしまったあとの女性の強さは,女性のことを良く知る著者ならではのリアルさがあります。
 連休の最後の日に仕事の合間に読んでいたら,予想以上に面白く,最後はハラハラドキドキで,お風呂のなかで読み終えてしまいました。良い半身浴ができました。
 ★★★(面白かったです)

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村上春樹『騎士団長殺し』

 阪神タイガースが,歴史的な大逆転で,昨年の覇者の広島に勝って,その翌日もうかれることなく,完封勝ちで3タテにして,首位をがっちり守ったことに,とても幸福を感じている私は,自分でも非常に平凡な人間だなと思います。
 ゴールデンウイークは,昨年も今年も地元にいるだけで,遠出はしませんでした。唯一,出かけたのは,神戸北野のInfiorata を見に行ったときでした。その近くのVieniで遅いランチをとりましたが,相変わらず完璧なvino,pasta,dolceでした。
 これを除くと,せっかくの休みでしたが,ほとんど家で執筆をしていました。その合間に読み終えたのが,村上春樹『騎士団長殺し』(新潮社)です。2巻ものの長編で,読み終わるのに随分と時間がかかりました。春樹ワールドは,私には基本的にはよく理解できていませんが,嫌いではありません。今回は,読んでいるとすぐに眠くなってしまい,そのため全然進まなかったのです。でも前作『色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年』と同様,読者にとって,いろんなことを考えさせる小説と思います。
 妻から別れを切り出されて,センチメンタルジャーニーに出て,帰ってきて行くところのなかった主人公の私(肖像画家)は,友人の父である著名な画家,雨田具彦がアトリエとして使用していた家に仮住まいをすることになります。その家の屋根裏には,雨田が隠していた「騎士団長殺し」という絵がありました。わたしが,その絵の封印をといたときから,近くの石室から夜中に鈴の音が聞こえるようになり,その正体をつきとめるために,近くに住んでいて知り会いになった免色という男の手により石室が開けられて,鈴が取り出されます。そののち,絵のなかにあるのと同じ騎士団長が現れます。騎士団長は実態のないイデアであり,主人公にしかその姿がみえません。
 主人公は,死期が近い雨田を見舞いにいったとき,騎士団長を刺し殺し,「顔なが」に導かれるようにして地下の世界に迷い込みます。そしていつしか石室に閉じ込められ,そこを免色に救出されます。絵は再び封印され,雨田は亡くなり,そして雨田が住んでいた絵は焼失します。
 というようにまとめてしまうと,何のことだかわからないでしょうから,ぜひ読んで確認してください。最後は,主人公は,別れたはずの妻と元の鞘におさまるところは,ちょっと平凡で意外な感じもしましたが,ここのどのようなメッセージが込められているのでしょうかね。
 ★★★(世界で多くの人が読む本でしょうから,とりあえず読んでおきましょう)

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2017年4月29日 (土)

水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版)』

  水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版)』(有斐閣)をいただきました。いつもどうもありがとうございます。私も弘文堂から編著者として『労働法演習ノート』(弘文堂)を刊行していますが,こちらはまだ1回も改訂しておらず,差をつけられてしまいました。有斐閣のこの本のほうは,試験問題的な要素が強い感じがしますね。弘文堂のほうは,実際の生の事例を読ませるということを主眼としていますので,目的が違います。教師は試験問題を作る場合には,解答から逆算して作るので,事実関係にあまり無駄がありません。有斐閣の設問にはそのような印象を受けます。弘文堂のほうは,できるだけ逆算しないように作ってほしいというオーダーを執筆者に出していました。解答に関係のない事実もいっぱいあるため,それだけ内容は難しくなっています。ただ事実関係がリアルになり,ときには現実を先取りしているような設問もあります。
 いずれにせよ有斐閣の本のほうは,手堅く勉強するには適しています。Checkpointのところも,非常に適切なものが多く,独習にも向いていると思いました。弘文堂の本のほうは,ゼミなどで活用したり,議論をしたりする場合の教材用という感じです。私たちのほうは当分は改訂する予定がありませんので,余裕のある方は有斐閣の本と併用してもらえればと思います。

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2017年4月26日 (水)

柚月裕子『パレートの誤算』

 柚月裕子『パレートの誤算』(祥伝社文庫)を読みました。この小説は,社会派ミステリーの範疇に属するのでしょう。少し前に紹介した『最後の証人』の著者の作品です。
 本のタイトルは,経済学でよく出てくるパレートの法則からきています。パレートの「2対8の法則」は,実は拙著『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第2版)』(2010年,弘文堂)では,公務員に関して,2割の優秀な人が,全体の8割に貢献をしているという例で援用していました(201頁)が,この本では,公務員の立場(警察官と市役所のケースワーカー)から,市民に対して述べられており,どんなに生活保護を支給しても堕落する市民は後を絶たないので生活保護は無駄とする考え方(働きバチの法則)と,社会に貢献できていない2割以外の人も怠けているわけではないという考え方とが対置されています。パレートは,社会現象を分析して述べたにすぎず,別に2割の人がダメだという評価しているわけではないのに,そう誤解されているとして「誤算」というタイトルをつけたようです。
 
 ベテランのケースワーカーで人望も厚かった山川というケースワーカーが,生活保護受給者の訪問調査をしている途中で,訪問先の住居の火災に巻き込まれて死亡します。山川の死因は撲殺でした。つまり火災に巻き込まれてなくなったのではなく,既に火災の前に殺されていたのです。山川の仕事を引き継いだ聡美と小野寺は,山川が生活保護受給者に関する重要な情報について記録をしていなかったことに気づきます。生活保護受給者のなかに,ヤクザとの関係が疑われる者がいて,不正受給の疑いがでてきましたが,山川が何も記録を残していないことから,山川に対しても疑惑が出てきました。
 こうして不正受給の疑惑がますます高まる中,聡美は,火災後失踪していた金田という山川が担当していた生活保護受給者から,これ以上調査をすると身に危険が及ぶという警告の電話がかかってきます。その後,金田はリンチで殺されてしまいます。聡美の周辺が不穏となるなか,山川のパソコンからパスワードのかかったファイルが出てきて,それを警察に持ち込もうとしたとき,聡美はヤクザに拉致されてしまいます。殺される一歩寸前で救出されますが,裏でヤクザとつるんでいたのは思わぬ人でした。
 山川がなぜ殺されたのか,不正受給に関わっていたのかが焦点です。最後のほうでは,聡美と常に一緒に行動していた小野寺は怪しそう,といった謎が出てくるのですが,意外に最後は平凡です。
 個人的には,不正受給に絡んでいたヤクザが悪で,それに立ち向かったケースワーカーは善で,ちょっと感じが悪かった警官の若林は意外にいい奴で,市役所の身内に共犯者がいたというようなところは,普通の話であって,もうひとひねり欲しいところではありました。普通の市民的正義が全面的に出ているところ(本書のタイトルにも現れています)は,つまらなさを高めています(ケースワーカーの仕事のたいへんさはよくわかります)。   ★★(一気に読めますが,強く推薦はできません)

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2017年4月25日 (火)

折原一・新津きよみ『二重生活』

 1996年刊行の単行本の2度目の文庫化です。うまいミステリー小説でしたね(以下,ネタバレあり)。
 プロローグで,ある女性が,侵入者に殺されてしまいます。侵入者は,宝石などを奪いますが,目的はその女性を殺すだけにあったようです。
 本編に入り,主人公は,夫の正宏がMRで,妻の亜紀が女医の藤森夫婦。夫の長野転勤により別居生活となり,週末婚状況です。妻は,探偵事務所に,夫が転勤先の松本で,愛人を囲っているようなので,そのことを調査して欲しいと依頼してきます。調査はあっさり終わり,夫の正宏は,社宅以外に別宅があり,そこでは表札が藤森で,下に「弓子」と書かれていました。近所の噂でも,正宏が愛人を囲っているということでした。正宏の浮気による二重生活は確定的でした。
 松本での正宏と「ユミ」の出会いは偶然でしたが,看護婦を目指していたユミは,両親を亡くし,必死にのし上がろうと思っていました。そんなユミに正宏は金銭的な援助をするうちに親しくなり,二人は結婚します。しかし,正宏は婚姻届は出さないままでした。正宏はすでに結婚していたからです。そのうち,この二重生活がユミにばれてしまい,ユミは正宏の正妻に復讐しようとします。そして,それはうまく成功するのです。
 ここで読者は,プロローグで,藤森亜紀が殺されたのだと思い込まれます。
 亜紀は,実は正宏の浮気疑惑の真相がすぐにわかりました。そして松本まで行って正宏と会い,今後のことを話し合います。その後,亜紀は正宏を殺す計画を立て,実行に移して成功します。
 ここで読者は頭を整理しなければなりません。時間的には,その殺人は亜紀が殺される前のことでなければおかしいはずです(亜紀の正宏殺人⇒ユミの亜紀殺人)。つまり,女医として成功している亜紀は,自分に隠れて二重生活をしている夫を許せなくなり殺害するが,夫の浮気相手により殺されたという話のように思います。
 ところが,正宏の葬式に現れた弓子が,実は藤森の娘であったという衝撃の事実が読者に伝えられて,話は大きく展開します。ここで,現在の話(探偵事務所の浮気調査報告書)と14年前のこと(ユミの日記)が同時並行で語られていたことを読者は知らされます。
 亜紀は,かつて看護婦を目指す苦学生でした。松本で,亜紀(ユミ)と出会った正宏は,亜紀を資金的に助けるなか,恋に落ち結婚しますが,正宏には埼玉の入間に妻子がいました。結局,正宏は正妻のもとに帰って,ユミは捨てられます。正宏の家庭を崩壊させるために,正宏の正妻の愛子を殺します。それが冒頭のプロローグのシーンでした。
 医療系で働きたいという強い希望をもっていた亜紀は,正宏を失った後,ユミという名で夜のアルバイトをして必死に学費を稼ぎ,そして女医にまでのしあがります。それから10年以上経って,亜紀の地区を偶然に担当していた正宏は亜紀と再会し,夫婦となります。そこには二人の打算がありましたが,亜紀は危険になった正宏を殺します。殺人の原因は浮気ではなかったのです。
 その亜紀も,誰かから脅迫されていました。それは亜紀が愛子を殺した後,女医になった今まで続いているユミとしての部分が関係しているのです。亜紀もまた二重生活をしていたのでした。
  時代的に古くさい感じがあるのですが,内容は素晴らしい。夫婦の合作ですが,うまくかみあって傑作と呼ぶにふわさしい推理小説となっています。 ★★★★(読み出したら止まりません)

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2017年4月18日 (火)

薬丸岳『誓約』

 薬丸岳『誓約』(幻冬舎文庫)を読みました。この著者の作品は初めてです(ネタバレ少々あり)。
 落合とバーの共同経営者となっているバーテンダーの向井は,妻と娘のいる幸福な生活を送っていました。しかし,向井には暗い過去がありました。向井の本名は高藤。向井は生まれつき顔にあざがある醜貌で,親からも捨てられ,世間からも不気味な獣扱いされていました。福祉施設で育った彼は,悪の道に手を染めます。あるとき,やくざと争いになって相手に大けがをさせ,命を狙われます。必死に逃げているとき,ひょんなことから坂本という老女(実際には50歳代)と出会い,親しくなります。高藤は,他人の戸籍を買って,整形手術を受ければ,ヤクザから逃れられると思い,坂本に借金を申し出ます。そのとき,彼女から,ある条件をつけられます。自分の娘は,二人の男性に陵辱され殺されたが,犯人は死刑にならなかった,自分はこの二人に復讐したいけれど,その体力もないし,末期ガンに冒されているため時間もない,そこでもしこの二人が出所したときに殺してくれることを約束してくれれば,500万円あげる,というのです。殺人の約束などできないが,どうせ坂本はすぐに死ぬし,出所は遠い先だと思い,高藤は坂本に殺人の約束をしたうえで,500万円をもらうのです。坂本は用心深く,逃走資金分だけ先に与え,高藤に逃げた先で免許証をとらせ,新たな戸籍上の名前と住所を確認したうえで,残金を支払いました。
 こうして高藤から向井になったのですが,あるとき向井のところに,この二人が出所したという手紙が届きます。向井は驚きます。あのときの約束の履行が求められているのです。そして,その手紙では,向井が約束を履行しなければ,向井の娘に復讐をするというのです。こうして,向井は追い込まれます。いまさら殺人などできるわけがありません。しかし,坂本を名乗る者の催促は必要でした。いったい誰がこんなことをしているのか。坂本はもう死んでいるはずです。必死に向井は脅迫者を探そうとしますが,みつかりません。
 というような流れで,追い込まれた向井の行動は緊迫感があります。しかし,脅迫者は,向井の近くにいる者に決まっているということで,犯人は限定されてくるのですが,そうであっても,なかなか確信させないところが,著者のうまいところです。
 最後の犯人の動機について,ネタのちょっと後出し感があり,どうかと思いましたが,かろうじて無理のない範囲で筋をつなげたというところでしょう。
 でも面白かったです。 ★★★(お風呂のなかで一気に読んでしまいました)

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2017年4月 8日 (土)

柚月裕子『最後の証人』

 柚月裕子『最後の証人』(宝島文庫)を読みました。プロローグをみると,バスローブを着た男女の修羅場。女性が男性を殺そうとしています。男女関係のもつれのようです。そして,被害者は男性,加害者は女性のようです。  小説は,法廷の場面を一つの軸に転換します。検察側は,被告人に不利な証人を次々と出してきて,被告人が圧倒的に不利な状況で展開されていきます。一方,無罪を主張している被告人のために弁護を買ってでた,ヤメ検の佐方弁護士は,凄腕のはずですが,ずっとおされっぱなしです。  これと併行して,7年前の交通事故で息子を失った高瀬夫妻の復讐計画がもう一つの軸です。息子の信号無視が事故の原因として事件処理されたのですが,高瀬夫妻は,実は自動車の運転手が公安委員長をしていた島津であるということをつかみます。島津が飲酒運転をしていたのを,警察や検察がもみ消したということを知ったのです。そんななか,妻の美津子が末期ガンで余命が短いことがわかります。美津子は島津に復讐しようと考え,何とか島津に近づき,自分をホテルに誘わせます。これをプロローグのシーンと結びつけると,復讐は成功したかのようにみえるのですが,途中の法廷のシーンで,被告人が島津であることがわかります。つまり被害者は美津子だったのです。  裁判は島津に不利に進んでいたのですが,最後に佐方は決定的な証人を引っ張り出してきます。それが7年前の事件の隠蔽に関与していた警察官の丸山でした。佐方は,定年退職したばかりの丸山を,人間過ちを一度は犯すが,二度は犯すなと説得し(1度目は隠蔽,2度目は証言台に立たないこと),7年前の交通事故は島津に責任があったことを証言させます。  この証言は島津には有利に働きます。美津子が,復讐目的で,色仕掛けで島津に迫ったということを示すものだったからです。それまでの証言は島津と高瀬美津子は不倫関係にあったとし,痴情のもつれという殺害動機が推認されていたのですが,実は物的証拠は弱いものでした。7年前の事故のことを明るみにでたことにより,状況は一変しました。二人は,知り合ってそれほど時間が経っておらず,まだ肉体関係もなかったなか,名誉欲の強い男性が女性を殺すほどの動機はむしろ乏しいという佐方の主張が説得力をもちました。  こうして佐方は勝ちます。島津は無罪となりました。事件の真相は,島津を陥れるために,美津子が自殺したのでした。美津子の夫の光治は医師でした。死体を他殺に見せかけるナイフの刺し方を妻に伝授していました。  一方,島津のより重い責任も明らかになりました。高瀬夫婦は復讐を遂げたことになるのでしょうか。光治は共犯者として起訴されることになりそうですが。  よくできた作品だと思いました。復讐劇は明確ですが,誰が誰をどのように殺したかについては,どんでん返しがありました。読みやすい文章で,今後もヒットメーカーになるでしょうね。テレビドラマ化されたそうですが,途中までどちらが被告人かわからないという点は,どのようにしたのでしょうか。 ★★★(一気に読めます)

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2017年4月 5日 (水)

百田尚樹『フォルトゥナの瞳』

 百田尚樹『フォルトゥナの瞳』(新潮文庫)を読みました。フォルトゥナは,ラテン語から来ていますが,イタリアでも同じfortuna で,運命という意味です。財産という意味もあります。英語のフォーチューンですね。  この作品は,ファンタジーです。人の死期が近づくと,身体の一部が透明にみえる慎一郎。透明の度合いが高まるほど,その人の死期は近づいています。しかし,死を回避しようと助けてあげると,自分の身体に負担がかかってしまい,脳や心臓がボロボロになります。人の運命は神のみが管理できるものなのです。  慎一郎は,幼いときに,両親と妹を火事で亡くしていました。妹を助けられなかったことを悔やんでいる慎一郎は,死期に近づいている人をみるたびに,助けたくてたまらなくなります。  そんなあるとき,同じような目をもっている黒川という男から,他人の運命に関わるなという話を聞きます。おまえが命を助けた男が,将来,殺人鬼になるかもしれない,そうなると,かえって多くの人を殺すことになる,ということでしょう。  「バクダッドの死神」の話もあります。ある商人の召使いが市場でバクダッドで死神に会いました。死神が脅すそぶりをしたので,召使いは商人にサマラまで逃げたいので馬車を貸してくれと頼みます。その後,市場で死神に会った商人は,死神になぜ召使いを脅したのかと問います。死神は,今晩サマラで会う予定だったので驚いただけだと答えます。人の運命は,逃れることができないのです。  しかし,もし他人の運命,とくに死期を知ったとき,それを回避するために手助けしたくなるのも人情です。これに関する著者の慎一郎の設定がうまいです。まじめでコツコツ働いている腕のよい職人。しかも,彼は気にかけるべき家族がいません。社会の片隅でまじめに働いている慎一郎は,なんとか自分の特別な目を人助けに使いたいと考えるのです。ちょうど電車に乗っているときに多くの人の身体を透明にみえます。近所の幼稚園に通う子供も透明にみえます。慎一郎は,大きな電車事故が起こるのではないかと考えます。幼稚園の遠足がある日が,事故日ではないかと考えます。慎一郎は何とか電車を止めようと命を捨てる覚悟をするのです。  この作品では,慎一郎と葵との恋も関係してきます。天涯孤独であった慎一郎ですが,携帯ショップ店で働く葵に恋をします。これまで恋に縁のなかった慎一郎ですが,恋をすると,生きたくなります。単純に命を捨てることができないようになるストーリー展開も著者のうまいところです。  最後に,実は,葵も慎一郎と同じ目をもっていたというオチもあります。慎一郎は,葵が事故を起こすはずの電車に乗らないかをずっと心配していました。しかし葵の身体は透明になっていませんでした(一度透明になっていたことがあって,そのとき慎一郎が助けていました)。葵は,慎一郎に初めて抱かれたとき,慎一郎の身体が透明になっているのに気づきました。葵は慎一郎の運命を知っていたのです。最後のシーンはプチ涙です。  ちょっと変わった作品ですが,いつものようにストーリー展開のうまさに脱帽です(★★★★ すでに読んでいる人も多いでしょうが)。

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2017年4月 4日 (火)

又吉直樹『火花』

 又吉直樹『火花』(文藝春秋)を読みました。文庫化されたので,やっと買ってみました。ある漫才師の青春物語という感じでしょうか。「あほんだら」という漫才師の先輩の神谷に弟子入りした,スパークスの徳永が,悩み,苦しみ,もがく青春物語だと思いました。
 世渡りが下手で破滅的な人生を送るが,とても人間くさく,芸に人生のすべてを賭けている神谷。常識的なところがある徳永は,神谷にはとてもついていけないと思いながらも,その才能に敬意を表し,そのプロとしての芸人魂に大きく感化されます(最後には,無謀な豊胸手術までしてしまうところは,意表をつかれました)。その一方で,徳永は,神谷に何とかもう少しうまく生きてもらえないかという,歯がゆさを感じているところもあります。
 私には,とても切ない小説でした。漫才師が主人公の小説を漫才師が書いたという感じはしませんでした。一つの道を究めようとする不器用な神谷に深い共感を感じると同時に,その神谷をとことん見捨ることはしないで,心のどこかで慕っている徳永の存在にほっとするものを感じたのです。
 でも,そのような読み方は,著者の意図とは違うのかもしれません。この小説の冒頭と最後は花火のシーンです。しかし,書名は「火花」です。華やかな花火の脇で売れない漫才をやらされたときに出会った二人。「火花」を散らすような熱い戦いの始まりだったということなのかもしれません。でも私には,それほどの「火花」は二人には感じられなかったのです。むしろ神谷が世間・社会に対して「火花」を散らして戦っていたのかもしれません。
 いずれにせよ,話題だけでとった芥川賞ではないと思います。 ★★★(話題作でもあるので,読んでみて損はないでしょう)

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