読書ノート

2017年4月18日 (火)

薬丸岳『誓約』

 薬丸岳『誓約』(幻冬舎文庫)を読みました。この著者の作品は初めてです(ネタバレ少々あり)。
 落合とバーの共同経営者となっているバーテンダーの向井は,妻と娘のいる幸福な生活を送っていました。しかし,向井には暗い過去がありました。向井の本名は高藤。向井は生まれつき顔にあざがある醜貌で,親からも捨てられ,世間からも不気味な獣扱いされていました。福祉施設で育った彼は,悪の道に手を染めます。あるとき,やくざと争いになって相手に大けがをさせ,命を狙われます。必死に逃げているとき,ひょんなことから坂本という老女(実際には50歳代)と出会い,親しくなります。高藤は,他人の戸籍を買って,整形手術を受ければ,ヤクザから逃れられると思い,坂本に借金を申し出ます。そのとき,彼女から,ある条件をつけられます。自分の娘は,二人の男性に陵辱され殺されたが,犯人は死刑にならなかった,自分はこの二人に復讐したいけれど,その体力もないし,末期ガンに冒されているため時間もない,そこでもしこの二人が出所したときに殺してくれることを約束してくれれば,500万円あげる,というのです。殺人の約束などできないが,どうせ坂本はすぐに死ぬし,出所は遠い先だと思い,高藤は坂本に殺人の約束をしたうえで,500万円をもらうのです。坂本は用心深く,逃走資金分だけ先に与え,高藤に逃げた先で免許証をとらせ,新たな戸籍上の名前と住所を確認したうえで,残金を支払いました。
 こうして高藤から向井になったのですが,あるとき向井のところに,この二人が出所したという手紙が届きます。向井は驚きます。あのときの約束の履行が求められているのです。そして,その手紙では,向井が約束を履行しなければ,向井の娘に復讐をするというのです。こうして,向井は追い込まれます。いまさら殺人などできるわけがありません。しかし,坂本を名乗る者の催促は必要でした。いったい誰がこんなことをしているのか。坂本はもう死んでいるはずです。必死に向井は脅迫者を探そうとしますが,みつかりません。
 というような流れで,追い込まれた向井の行動は緊迫感があります。しかし,脅迫者は,向井の近くにいる者に決まっているということで,犯人は限定されてくるのですが,そうであっても,なかなか確信させないところが,著者のうまいところです。
 最後の犯人の動機について,ネタのちょっと後出し感があり,どうかと思いましたが,かろうじて無理のない範囲で筋をつなげたというところでしょう。
 でも面白かったです。 ★★★(お風呂のなかで一気に読んでしまいました)

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2017年4月 8日 (土)

柚月裕子『最後の証人』

 柚月裕子『最後の証人』(宝島文庫)を読みました。プロローグをみると,バスローブを着た男女の修羅場。女性が男性を殺そうとしています。男女関係のもつれのようです。そして,被害者は男性,加害者は女性のようです。  小説は,法廷の場面を一つの軸に転換します。検察側は,被告人に不利な証人を次々と出してきて,被告人が圧倒的に不利な状況で展開されていきます。一方,無罪を主張している被告人のために弁護を買ってでた,ヤメ検の佐方弁護士は,凄腕のはずですが,ずっとおされっぱなしです。  これと併行して,7年前の交通事故で息子を失った高瀬夫妻の復讐計画がもう一つの軸です。息子の信号無視が事故の原因として事件処理されたのですが,高瀬夫妻は,実は自動車の運転手が公安委員長をしていた島津であるということをつかみます。島津が飲酒運転をしていたのを,警察や検察がもみ消したということを知ったのです。そんななか,妻の美津子が末期ガンで余命が短いことがわかります。美津子は島津に復讐しようと考え,何とか島津に近づき,自分をホテルに誘わせます。これをプロローグのシーンと結びつけると,復讐は成功したかのようにみえるのですが,途中の法廷のシーンで,被告人が島津であることがわかります。つまり被害者は美津子だったのです。  裁判は島津に不利に進んでいたのですが,最後に佐方は決定的な証人を引っ張り出してきます。それが7年前の事件の隠蔽に関与していた警察官の丸山でした。佐方は,定年退職したばかりの丸山を,人間過ちを一度は犯すが,二度は犯すなと説得し(1度目は隠蔽,2度目は証言台に立たないこと),7年前の交通事故は島津に責任があったことを証言させます。  この証言は島津には有利に働きます。美津子が,復讐目的で,色仕掛けで島津に迫ったということを示すものだったからです。それまでの証言は島津と高瀬美津子は不倫関係にあったとし,痴情のもつれという殺害動機が推認されていたのですが,実は物的証拠は弱いものでした。7年前の事故のことを明るみにでたことにより,状況は一変しました。二人は,知り合ってそれほど時間が経っておらず,まだ肉体関係もなかったなか,名誉欲の強い男性が女性を殺すほどの動機はむしろ乏しいという佐方の主張が説得力をもちました。  こうして佐方は勝ちます。島津は無罪となりました。事件の真相は,島津を陥れるために,美津子が自殺したのでした。美津子の夫の光治は医師でした。死体を他殺に見せかけるナイフの刺し方を妻に伝授していました。  一方,島津のより重い責任も明らかになりました。高瀬夫婦は復讐を遂げたことになるのでしょうか。光治は共犯者として起訴されることになりそうですが。  よくできた作品だと思いました。復讐劇は明確ですが,誰が誰をどのように殺したかについては,どんでん返しがありました。読みやすい文章で,今後もヒットメーカーになるでしょうね。テレビドラマ化されたそうですが,途中までどちらが被告人かわからないという点は,どのようにしたのでしょうか。 ★★★(一気に読めます)

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2017年4月 5日 (水)

百田尚樹『フォルトゥナの瞳』

 百田尚樹『フォルトゥナの瞳』(新潮文庫)を読みました。フォルトゥナは,ラテン語から来ていますが,イタリアでも同じfortuna で,運命という意味です。財産という意味もあります。英語のフォーチューンですね。  この作品は,ファンタジーです。人の死期が近づくと,身体の一部が透明にみえる慎一郎。透明の度合いが高まるほど,その人の死期は近づいています。しかし,死を回避しようと助けてあげると,自分の身体に負担がかかってしまい,脳や心臓がボロボロになります。人の運命は神のみが管理できるものなのです。  慎一郎は,幼いときに,両親と妹を火事で亡くしていました。妹を助けられなかったことを悔やんでいる慎一郎は,死期に近づいている人をみるたびに,助けたくてたまらなくなります。  そんなあるとき,同じような目をもっている黒川という男から,他人の運命に関わるなという話を聞きます。おまえが命を助けた男が,将来,殺人鬼になるかもしれない,そうなると,かえって多くの人を殺すことになる,ということでしょう。  「バクダッドの死神」の話もあります。ある商人の召使いが市場でバクダッドで死神に会いました。死神が脅すそぶりをしたので,召使いは商人にサマラまで逃げたいので馬車を貸してくれと頼みます。その後,市場で死神に会った商人は,死神になぜ召使いを脅したのかと問います。死神は,今晩サマラで会う予定だったので驚いただけだと答えます。人の運命は,逃れることができないのです。  しかし,もし他人の運命,とくに死期を知ったとき,それを回避するために手助けしたくなるのも人情です。これに関する著者の慎一郎の設定がうまいです。まじめでコツコツ働いている腕のよい職人。しかも,彼は気にかけるべき家族がいません。社会の片隅でまじめに働いている慎一郎は,なんとか自分の特別な目を人助けに使いたいと考えるのです。ちょうど電車に乗っているときに多くの人の身体を透明にみえます。近所の幼稚園に通う子供も透明にみえます。慎一郎は,大きな電車事故が起こるのではないかと考えます。幼稚園の遠足がある日が,事故日ではないかと考えます。慎一郎は何とか電車を止めようと命を捨てる覚悟をするのです。  この作品では,慎一郎と葵との恋も関係してきます。天涯孤独であった慎一郎ですが,携帯ショップ店で働く葵に恋をします。これまで恋に縁のなかった慎一郎ですが,恋をすると,生きたくなります。単純に命を捨てることができないようになるストーリー展開も著者のうまいところです。  最後に,実は,葵も慎一郎と同じ目をもっていたというオチもあります。慎一郎は,葵が事故を起こすはずの電車に乗らないかをずっと心配していました。しかし葵の身体は透明になっていませんでした(一度透明になっていたことがあって,そのとき慎一郎が助けていました)。葵は,慎一郎に初めて抱かれたとき,慎一郎の身体が透明になっているのに気づきました。葵は慎一郎の運命を知っていたのです。最後のシーンはプチ涙です。  ちょっと変わった作品ですが,いつものようにストーリー展開のうまさに脱帽です(★★★★ すでに読んでいる人も多いでしょうが)。

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2017年4月 4日 (火)

又吉直樹『火花』

 又吉直樹『火花』(文藝春秋)を読みました。文庫化されたので,やっと買ってみました。ある漫才師の青春物語という感じでしょうか。「あほんだら」という漫才師の先輩の神谷に弟子入りした,スパークスの徳永が,悩み,苦しみ,もがく青春物語だと思いました。
 世渡りが下手で破滅的な人生を送るが,とても人間くさく,芸に人生のすべてを賭けている神谷。常識的なところがある徳永は,神谷にはとてもついていけないと思いながらも,その才能に敬意を表し,そのプロとしての芸人魂に大きく感化されます(最後には,無謀な豊胸手術までしてしまうところは,意表をつかれました)。その一方で,徳永は,神谷に何とかもう少しうまく生きてもらえないかという,歯がゆさを感じているところもあります。
 私には,とても切ない小説でした。漫才師が主人公の小説を漫才師が書いたという感じはしませんでした。一つの道を究めようとする不器用な神谷に深い共感を感じると同時に,その神谷をとことん見捨ることはしないで,心のどこかで慕っている徳永の存在にほっとするものを感じたのです。
 でも,そのような読み方は,著者の意図とは違うのかもしれません。この小説の冒頭と最後は花火のシーンです。しかし,書名は「火花」です。華やかな花火の脇で売れない漫才をやらされたときに出会った二人。「火花」を散らすような熱い戦いの始まりだったということなのかもしれません。でも私には,それほどの「火花」は二人には感じられなかったのです。むしろ神谷が世間・社会に対して「火花」を散らして戦っていたのかもしれません。
 いずれにせよ,話題だけでとった芥川賞ではないと思います。 ★★★(話題作でもあるので,読んでみて損はないでしょう)

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2017年4月 2日 (日)

久坂部羊『嗤う名医』

 久坂部羊『嗤う名医』(集英社文庫)を読みました。医療系(?)の短編小説です。
「寝たきりの殺意」は,認知症の元医師のちょっと切ない話。正気のときと妄想のときが繰り返されるのは,周りも迷惑ですが,本人は正気なのか,妄想なのかわからないところが怖いです。私は,認知症にかかっていた母は,こんな思いだったのかなと思わされることもありました(さすがに周りへの殺意はなかったでしょうが)。 
 「シリコン」は,小さいときからいつも運が悪かった女性が貧乳コンプレックスを克服するためにシリコンで豊胸手術をしたところ,やはり運が悪くて,数年後に形が崩れてきたので,今度は除去しようとして,担当がイケメン医師で舞い上がっていたら,手術は大失敗で乳房は取り除かれてしまったという運の悪すぎる女性が,最後に復讐し,ちょっと運が向いてきたかなという気分になる話です。
 「至高の名医」は,自分にも他人(同僚や患者ら)にも厳しい名医ですが,あるとき,自分のミスで患者を死なせてしまったかもしれないと気づき,そのことを遺族に正直に告白すべきかどうか悩みます。そんななか,ひょんなことからナースとの一夜の過ちを犯してしまい,その数日後,彼女からHIVの陽性であるとの告白を受けました。しばらく悶々とした生活を送りします。結局は,自分は陰性だったのですが,そんなこんなで自分の弱さを知り他人にやさしくなります。名医が,医師としての技術があるだけでなく,人間的にも成長したという話です。
 「愛ドクロ」は,頭蓋骨大好きな人の話です。好きが高じて,墓を掘り起こして頭蓋骨を入手しようとするとんでもない男で,妻もあきれはてますが,その妻も頭の形にほれられて結婚していたのです。妻の実物の頭蓋骨を手に入れることができない夫はレントゲン写真で満足しようとしますが,最後に,妻の頭蓋骨が,ほんとうに自由のものになるまで待つというような不気味なことを言うのです。
 「名医の微笑」は,職場でも家庭でもストレスの溜まる毎日を送っているはずなのに,いつも微笑んでいる医師の話。この医師には,驚くべきストレス発散法がありました。その異常な性癖の世界の描写の細かさは,経験がなければ書けないでしょう。
 「嘘はキライ」は,ちょっとシュールな話。人が嘘をついていると,頭から黄色の狼煙が上がっているのがみえるという特異な能力のある水島は,医局の疋田教授の後継争いの人事にまきこまれます。疋田教授が指名する藤城が後継教授になることを阻止しようと奔走する友人に頼まれて,疋田の不正経理を暴こうとするのですが……。最後は,自分は「嘘がわかるとはいえない」という嘘をついて,事態の収拾を図ります。水島の嘘は誰も見破れないので,この計画はうまくいきました。
 この作家,結構,好きかもしれません。 ★★★(おじさん向けの医師がらみの小説)

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2017年3月31日 (金)

両角他著『リーガルクエスト 労働法(第3版)』

 両角道代・森戸英幸・梶川敦子・水町勇一郎『労働法(第3版)』(有斐閣)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。内容的には共著の本であるので,特に目立った特徴はありませんが,あえて言うならば,各編の扉のところに引用されている文章かと思いますので,少しだけ反応しておきます。
 第1編「労働法総論」では,アメリカの労働法学者のSummersの言葉が引用されています。「守護神の転換」のことが書かれています。労働者を守るのは,労働組合から法律に変わっていくという意味で,他国が労働法規制緩和の動きがあるなか,アメリカは一見するとその逆の規制強化の動きがあるところが,日本でも注目されていました。このフレーズをあえてもってきたということは,著者たちは,日本でも,大きな流れは,アメリカのようだと言いたいのでしょうか。といっても,そもそも日本では,労働組合が労働者を守っていたという実態がこれまでどこまであったかという疑問があります。また,最近の立法は,非正社員に対するものが中心で,守護神の転換というより,守護神が不在のなかで新たに登場してきたというところでしょう。ただ,この理解が正しければ,これが労働法総論のところに書かれているとすると,労働法は,非正社員のための法律になったということにもなりそうですね。
 第2編「雇用関係法」では,フランスの労働法学者のSupiotの言葉が引用されています。労働者は,労働契約の主体であると同時に客体でもある,というところに,この契約の特徴があるということです。主体としての意思,客体としての肉体。こういう二分法・二項対立で考えていくところが,欧州的な思考様式です。尊重されるべき意思と守られるべき肉体。その相克は,私に言わせれば,AI時代にはアウフヘーベンされていくのです。
 第3編「労使関係法」では,一転して,日本の労働法学者の石川吉右衛門先生の『労使関係手帖』からの引用がなされています。御用組合であってもまずは労働組合を作ることが望ましい,という言葉をもってきているのは,現在の日本の企業別組合に対する強烈な皮肉なのでしょうか。それとも日本の労働組合というものの本質を的確に見抜いていた石川先生へのオマージュでしょうか。いずれにせよ,今日,戦うコミュニティーユニオンが出てくるなか,日本的な企業別組合のありかたが根本的に問い直されていると思っています。
 第4編「労働市場法」は,経済学者のカール・ポラニーの言葉を引用しています。労働市場は,通常の商品を扱う市場ではないというのは,よく言われていることです(ILOのフィラデルフィア宣言)。ポラニーを引用するということは,労働は擬制商品であるという立場(本来は商品として取引されるべきものではないということ)に与するということでしょう。もちろん,それは労働法的には普通の考え方です。この本のもつオーソドックスなスタンスがよく現れています。私のような異端派は,少なくともこれからは,商品価値の高い労働者になれと主張をするのですが。
 第5編「労働紛争解決法」は,アメリカの政策委員会報告書が引用されていますが,それほど有り難い言葉は含まれていません。ややネタ切れでしょうか。
 ただ,この第5編の内容は,菅野先生の教科書でもどんどん肥大化している部分で,今日の労働法の教科書には標準装備になりつつあります。労働法が紛争解決法も取りこんでいくというのは興味深い進化であり,これは世界的な傾向のようです。

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2017年3月23日 (木)

岩木一麻『がん消滅の罠』

  「このミステリーがすごい」大賞の受賞作品である,岩木一麻『がん消滅の罠-完全寛解の謎』(宝島社)を読みました。評判通りの素晴らしいミステリーでした。以下,ネタバレあり。  余命数ヶ月の末期がんの患者のがんが完全寛解するということは,およそありえないことではないそうです。しかし,これが立て続けに起こると,どこかおかしいという疑いが出てきます。  この作品の最初は,単純な詐欺事件から始まります。双子の姉妹のうち末期がんとなった1人がまず診断を受け,健康なもう1人がその後に診断を受け,その間に,何らかの薬を飲んだことにすると,その薬の効用でがんが消えたという宣伝となります。  やっぱり,がんが消滅するなんてないよね,というイントロから始まるのですが,ほんとうに詐欺でもなんでもなく,末期ガンとなった人のがんが消滅するという出来事が起こりました。小暮という中年女性の患者は,日本がんセンター研究所の夏目医師から,余命数ヶ月の宣告をされ,生命保険のリビングニーズ特約に基づき多額の保険金を受け取っていました。その後に,ガンが完全寛解したため,保険詐欺の疑惑が生じました。保険会社の森川は部下と一緒に調査を始めますが,怪しいところがまったくありません。むしろこの患者は,障害を抱えた娘を抱えていて,保険金を有効に使おうとする普通の善良な市民でした。  夏目の大学時代の恩師は,突然,東都大学の教授を退職して行方がわからなかったのですが,実は湾岸医療センターに移っていました。夏目は,恩師が,辞職する前に,「医師にはできず,医師でなければできず,そしてどんな医師にも成し遂げられなかったこと」をすると述べていたことが気になっています。  夏目と友人の羽島は,保険会社の情報などから,湾岸医療センターにおいて,西條が弱者の救済のために,ある種の保険金詐欺をしているのではないかという疑いを持ちます。それは,次のような仮説によるものでした。このセンターで画期的ながんの治療方法を見出したとします。そして小暮のような弱者に対して保険金を得ることができるようにするために,生命保険に加入させてリビングニーズ特約をつけさせたうえで,一旦末期がんの宣告を受けさせて保険金を受け取らせ,その後,その画期的な治療方法によってがんを寛解させるというのです(救済者仮説)。  ところが,湾岸医療センターでは,小暮たちとは異なり,富裕層など社会的な有力者に対してもがん治療を行って成果をあげていました。特別な救済をする必要もないような人たちに対してです。  そんなとき,湾岸医療センターに肺がんで通院していた柳沢という厚生労働官僚が,夏目のところにやってきます。   そのころ,夏目と羽島は,新たに,出来レース仮説というものをもっていました。それは,早期ガンを発見した患者に対して,手術で切除し(転移の可能性はこの時点では低い),切除したがんを培養して既存の抗がん剤の効果を確認し,よく効く抗がん剤が見つかった場合にだけ,がん細胞を患者に注射して人工的に転移させ,その後,効果が分かっている抗がん剤を投与して,がんを消滅させる,というものです。  抗がん剤の投与を条件に,西條たちが,患者に何か要求をしているのではないか,という疑惑が出てきたのです。夏目と羽島は,柳沢を味方につけようとしますが,失敗します。柳沢は,自分の命を守るために,西條の要求に屈したからです。  西條には大きな野望がありました。日本をよくするために,社会的に影響力のある人を支配しようとしていたのです。   夏目と羽島は西條と対決することになります。実は,その前に,夏目たちは,小暮の体内にあったがん細胞が,小暮のものではないということを確認していました。小暮には,他人のがん細胞が注入されていたのです。通常は,がん細胞を注入しても,免疫機能が働いて死んでしまいます。しかし小暮はちょうど湾岸医療センターでアレルギーの治療をしていて,免疫を抑制する薬が投与されていました。そのため,がん細胞が増殖したのです。この場合の治療は簡単です。免疫抑制の薬を止めるなど,本人の免疫機能を元に戻せばよいのです。  西條は,夏目たちの仮説を認めはしませんでしたが,別のことを言い始めました。羽島のDNAが,西條の亡くなった娘の体内から出てきたということを明かしたのです。西條は,娘の恵理香が乱暴されたという告白を信じていたため,娘の体内に残されたDNAをもつ者をみつけて復讐しようとしていたのです。ところが,DNAが一致した羽島は,暴行犯でありました。羽島と恵理香は恋人同士でした。  夏目たち3人の会談が終わったあと,西條は拉致され,バラバラ死体で発見されます。頭などは見つかっていませんが,DNA鑑定から恵理香との親子関係が一致したので,西條の死が確認されました。  夏目は,いったい恩師の西條がなぜこんなことを企んだのか,ということを不思議に思っています。娘の仇討ちのために力をもちたいという理由だけだったのでしょうか。夏目は次のように考えています。「先生は弱者を救済し,有力者の運命を支配していた。榊原[患者の一人]は先生を悪魔と評したが,先生が目指していたものは悪魔というより神であるように夏目には感じられた。人はどんな時に神に近づこうとするのか。……人は虚無感にとらわれると,神に近づき全能感を得るために宗教の熱心な信者になることがある。西条先生は自らが神のように振る舞うことで,巨大な虚無を満たすための全能感を得ていたとは考えられないだろうか。そうだとすると,それほどの虚無を先生にもたらしたものは何だったのか」(304~305頁)。  ここから残り10ページ弱で驚く展開が待っています。ほんとうのネタバレになります。  まず,がん完全寛解の謎は,一つは小暮たちにやったような手法です。これに対して有力者たちにやったのは,早期がんを発見できたとき,その早期がんに自殺遺伝子を組み込むという方法でした。柳沢たちには,出来レース仮説ではなく,本人の切除したがん細胞自殺するような遺伝子を組み込んで本人の体内に戻し,あとはこの遺伝子を作用させるホルモンを投与するという治療をするということでした。そのホルモン投与料を調整することによって,がんが進行したり,減ったりするということが可能となるというものです。死の淵に瀕した有力者は,ホルモン投与を求めて,西條たちの要求を飲むのです。患者にしてみればまさに「悪魔」でしょう。  西條が,これを始めたのは,実は,妻への復讐のためでした。恵理香のDNAは,西條のDNAと一致していませんでした。妻は不倫をしていたのです。西條は,不倫相手をつきとめ,その男に復讐をします。がんを移植し,末期がんの苦しみと完全寛解とを繰り返すという拷問をしたのです。これが湾岸医療センターでの試みの始まりでした。  西條のやっていることは,その秘密を守ることが何よりも大切です。治療を実際に行っていたのは,宇垣という女性の医師です。西條の妻が不倫をしていたのは,西條が学生時代にボランティアで精子バンクに登録したことに不満をもったことがきっかけでした。どこかに夫の子がいることに耐えられなかったのでしょう。宇垣こそが,西條の実の娘であることが最後のページで明かされます。  それでは,西條の死体の一部のDNAは,なぜ恵理香と一致したのでしょうか。それは,そこで採集されたDNAは,妻の不倫相手であった男(つまり恵理香)のDNAだったのです。ということで,西條は生きていたことになります。  夏目が疑問に思っていた西條の大きな虚無は,妻の不倫,娘がその不倫相手の子であったという絶望からきたものなのでしょう。  最後に,この本を読むと,がんのことを身近に感じることができます。がんというのは,そう簡単になるものではないということが,夏目と妻との会話のところに出てきます(100頁以下)。要するに,細胞には本来寿命があって自然に死んでいくはずなのに(アポトーシス),突然変異で死ななくなってしまうというところが,がんの原因なのです。がん細胞にアポトーシス機能を付与することができればいいということです。今回のこの本で紹介された自殺遺伝子が実用されているかどうか不明ですが,夢のがん治療薬となるはずです。  アポトーシスは,そもそも人間はなぜ死ぬかということと関係していて,1年ほど前に田沼靖一『人はどうして死ぬのか-死の遺伝子の謎』(2010年,幻冬舎新書)という本を読んで勉強したことがあります(ブログで消化したかどうか忘れましたが)。きっかけは,人間とロボットとの違いから,人間はなぜ死ぬのか,という問題意識をもっていたからです。その本では,まだがん細胞とアポトーシスとをつなげる薬はできていないとなっていました。  長く紹介しましたが,素晴らしい本でした。多くの人に勧めたいです(★★★★ ただミステリーとしては,まだ改善点があるかもしれません)。

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2017年3月10日 (金)

佐藤博樹・武石恵美子編『ダイバーシティ経営と人材活用』

 佐藤博樹・武石恵美子編『ダイバーシティ経営と人材活用―多様な働き方を支援する企業の取り組み』(東京大学出版会)を,お送りいただきました。いつもどうもりあとうございます。
 ダイバーシティーが書名に入っていますが,大きく分けて転勤,女性活躍支援,ワークライフバランス,仕事と介護(ガン治療)との両立,というテーマで構成されています。個人的に興味をもったテーマは,転勤と介護です。
 転勤は,正社員である以上,避けられないこととされていました(私は『雇用社会の25の疑問』(弘文堂)では,転勤は「雇用社会の掟」と書いていました)。しかし本書の分析結果では,「転勤経験は能力開発に有意な関係があるとはいえないことが明らかになった」(61頁)とされています。
 前にも書いたことがありますが,転勤は,正社員の忠誠度を問うような精神的な意味合いが強く,現在においてどれだけの意味があるのかには疑問もありました。これまでやってきたから続けているという面もあるのではないでしょうか。人事管理の専門書において,こうした点の問いかけがなされ,実証的に検討していくことの意義は小さくないでしょう。こうした研究の積み重ねが,企業の人事管理に影響を及ぼし,さらに裁判所の転勤命令の権利濫用に対する甘い判断(企業側に甘い判断)を見直すきっかけになればと思います。
 介護については,介護ヘルパーへの調査をとおして,介護者の仕事と介護の両立を検討しようとしているところも興味深かったです。たしかに労働者が両親などの家族の介護をしていくうえにおいて,ケアマネジャーのサポートは重要です。もっとも今日の問題は,ケアマネジャーをはじめとする介護労働者の不足というところにあります。雇用政策的には,こちらのほうも重要でしょうね。
 いずれにせよ1冊で,多様な働き方に関する重要論点が,実態調査などを通じて丁寧に分析されている点で,労働の研究に従事する者の多くが参照すべき文献であると思います。

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2017年3月 8日 (水)

菅野和夫『労働法(第11版補正版)』

  菅野和夫先生の『労働法』(弘文堂)の第11版の補正版が出ました。 いつもお送りいただきどうもありがとうございます。
 第11版が出たのが,2016年2月なので,いま補正版が出るということは,その間に多くの立法があったことを示しています。
 雇用保険法,育児介護休業法,高年齢者雇用安定法,男女雇用機会均等法等の改正がありました。また外国人技能実習法の制定もありました。いわゆる労働市場法の分野の立法がとくに盛んです。
 判例よりも立法の時代となり,これからは労働法の体系もダイナミックに見直されていく必要があるのかもしれません。今年も(あるいは今後何年かのうちに)労働契約法や労働基準法の改正がなされる可能性があります。菅野労働法が,改訂・補正がなされている間に,私たち後進の者が次世代の労働法の構築の準備をしておく必要があるのでしょうね。
 それにしても最近の学生は,菅野先生の教科書が1000ページを超えているのを見て,それだけでひるんでしまいます。労働法で何か語ろうとするならば,少なくとも菅野労働法を読んでおくことは最低限必要です。と偉そうなことを言いながら,私自身,最近は,先生の改訂スピードについていくことができず,関心があるところだけのつまみ食いなので,あまり偉そうなことは言えないのですが。

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2017年3月 7日 (火)

百田尚樹『夢を売る男』

 百田尚樹『夢を売る男』(幻冬舎文庫)を読みました。ある出版業界の編集者である牛河原氏。本を出版したいという自己顕示欲満々の一般人を「騙して」自費出版に持ち込み,実際の出版費用との差額を儲けとするビジネスをやっています。でも,牛河原氏は,これは本を出したいが才能はないという一般の人の夢を実現するのに一役買っているのだと,悪びれたところはありません。
 本の筋はさておき,日本語で書かれたブログが全ブログの3割を超えているなど,驚きの情報もありました。書きたい病の日本人というところでしょうか。
 そういう私も2007年よりブロガーをやっていて,一回消去してしまったのに,性懲りもなく,復活の熱い希望に応えて(?),再開し,今日に至っています。本の執筆やゲラがないときには,ほぼ毎日更新しており,自己顕示欲にとりつかれた悪しき日本人の典型例かもしれません。とはいえ,私は自費出版はしたことがありませんが。
 本書はラストがいいです。本当に良い本は自費出版させないで,会社が責任をもって出す。そして営業力で儲けを出す。この目利きとしての自信,そして優れた編集と連動した営業,これにより良い本が普及するのです。良い本が普及して利益がでれば,次の良い本を出す原資が生まれます。
 私たち著者も,売れる本を出したいのは,次に出したい本を出すためです。私らの本は,売れても印税はわずかです。時給にしたら最低賃金を大幅に下回っています。だから私程度の者は,本を書くことは,もし利益というのを考えれば効率の悪いことです。
 それではなぜ書くのか。それは自己顕示欲と言われれば否定はしません。書きたいことがあるから書くというのは事実です。このブログのように,無償で書くのもそのためです(そろそろ無償はやめて,コアな読者だけ集めて,双方向で会話するサロン的な有料メルマガに切り替えようという計画は前からあるのですが,実現していません)。いずれにせよ,依頼があるかぎり,あるいは私の企画を受け入れてくれる出版社がある限り,当面は,夢を買わせてもらいましょう。
 でも,それもあと10年くらいかもしれません。私が書けなくなるかもしれないのと同じくらいの確率で,自分で直接発行してしまうことになるかもしれないからです。有料メルマガの書籍版です。これからの著者として必要なのは,出版社という看板ではありません。
 いまの出版社には在庫管理ばかりに熱心で,自転車操業のような売り方をしているところが少なくありません。あるいは補助金があるとか(これだと自費出版とあまり変わらないですね),確実に売れる客がいるとか,そういう場合にしか本を出してくれないというところも多いようです。営業力で売ってもらうということは,あまり期待できません。
 紙媒体の出版は,とても古いビジネスモデルです。著者として,自分の書きたいことを世に問うためには,どうすればよいかということを考えていけば,課金システムと著作権管理さえうまくできれば,もはや出版社は不要となるかもしれません。というか文筆業で儲けるというのではなく,情報は無償にして,それと連動した別の方法で利益を得るということもあるのかもしれません。そこで大切なのは,ほんとうに優秀なプロデューサーとディレクター(編集者兼務)です。著者は,そういう人とコンビを組んでいくというのが,これからの文筆や情報発信のあり方なのでしょうね(その著者のなかには,AIも含まれているかもしれません)。
 読者としては,たとえば村上春樹に直接発注して,電子媒体で本を購入するということになるでしょう。産地直送です。
  さて本書に戻ると,解説で花田紀凱氏も書いていますように,この本は,出版業界に身を置く人は,すべからく読むべきでしょうね。自分たちの業界が何をすべきかを再確認できると思います。                 ★★★★

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