映画・テレビ

2016年12月20日 (火)

真田丸最終回

 今年のNHKの大河ドラマの「真田丸」は,50回すべて見ました。すべてみたのは,2年前の「軍師官兵衛」に続いてです。歴史を楽しむというより,真田幸村を素材とした三谷幸喜さんの創作を楽しんだという感じですが,俳優の熱演が光りましたね。主演の堺雅人は当然ですが,ときにはそれを上回る存在感をみせた俳優陣も良かったです。真田昌幸を演じた草刈正雄,家康を演じた内野聖陽,秀吉を演じた小日向文世,石田三成を演じた山本耕史はさすがの名演です。北条氏政を怪演した高嶋政伸,いつも涙目の上杉景勝を演じた遠藤憲一,稲(小松姫)を演じた吉田羊も良かったです。
 何と言っても,50回のほぼすべてに登場する俳優は,三谷監督の厳選によるものだったのでしょう。幸村の兄,真田伸幸を演じた大泉洋は,三谷監督のお気に入りなのでしょうね。映画「清須会議」では秀吉を演じていました。きりの長澤まさみも,このような半端な役をよく引き受けたと思います。佐助の藤井隆も,いい味を出していました。
 後半話題になったのは大蔵卿を演じる峯村リエでしょう。この女優のことをこれまで知りませんでしたが,豊臣家を滅亡に導く張本人という位置づけで,嫌われ者役をうまく演じていました。秀頼役の中川大志も,母の淀と幸村の間で苦悩する役を熱演していました。これに比べ半端であったのは淀の竹内結子で,いつまで経っても老けていかない不自然さはちょっとどうかと思いましたね。
  真田家は,父と次男が豊臣に,兄は徳川にと別れ,どちらが勝っても一族の家は守るという戦略をとりました。どっちがどうなっても,勝った方は,負けた方を助命するという戦略でした。関ヶ原では,昌幸と幸村は秀忠の大軍を足止めにして,小早川の裏切りがなければ,最大の功労者になったかもしれませんでした。現実には,東軍の勝利で,伸幸の助命嘆願により,昌幸と幸村は九度山に送られるものの,かろうじて生き延び,それが大阪冬の陣の真田丸につながるのです。
 戦場での戦略もすごかったですが,真田家の生き延びる戦略もすごかったですね。真田家は,家康の死後,松代藩に転封されますが,そのまま幕末を迎えます。華々しく散った幸村ですが,家を守ってくれる堅実な兄がいたからこその人生だったのでしょう。最終回で家康が幸村に,これからいくさのない時代がくるので,お前の生きるところはないと言うのに対して,幸村は,そんなことは関係ない,という趣旨のやりとりがありました(正確なセリフは忘れましたが)。幸村の死とともに,戦国時代の真の終わりを迎えたのでしょうね。
 こういう男の生き方(表現が古いか?)というものを考えさせてくれるドラマは,やはりいいです。1年間楽しませてくれてありがとうございました。

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2016年10月26日 (水)

神様の思し召し

   原題は「Se dio vuole」(神様が望むなら)。
 Tommasoは,評判の高い心臓外科医ですが,傲慢で,イヤな感じの男です。家はローマにある豪邸。ただし家庭はちょっと複雑です。奥さんのCarlaは,南米系のお手伝いの女性がいる専業主婦で,養子をとっている上流婦人です。二人の子供がいて,姉がBianca。不動産事業を営むGianniと結婚していますが,料理ができないので,両親の隣に住んで夕食はともにしています。もう一人はAndrea。大学の医学部に通っています。
 このAndrea の様子が最近おかしいのです。部屋にこもっていたり,行き先も言わずに夜出かけたりしていました。Tommasoは,Andreaが若い男と一緒に出かけてるのをみて,ある疑惑を覚えます。あるとき,Andreaがみんなに話したいことがあると宣言したので,TommasoはAndreaがゲイであることをカミングアウトすると思い込んで,家族に覚悟を促して,Andreaに理解を示すように伝えます。ところが,予想に反してAndreaの告白は,神父になりたいということでした。息子が医師になることを期待していたTommasoは,この告白にゲイであることよりも悪いとショックを受けます。合理主義者のTomassoは,宗教の世界を最も忌み嫌っていたからです。しかしAndreaの前では,Andreaに理解を示した態度をとっていました。
 あるとき,TommasoaはGianni と一緒にAndreaが夜にどこに出かけているのかを突き止めようとします。そこで出会ったのがPietroという神父でした。Pietroは,若者たちを集めて集会を開き,説法をしていました。それをみたTommasoは,AndreaがPietroに洗脳されていると考え,宗教家のPietroの化けの皮をはがすために,Pietroに身分を偽って接近していきます。
 そこからドタバタが始まるのですが,その間も,実はキッチンドランカーであったCarlaは学生運動に参加して逮捕されてしまったり,BiancaはAndreaの影響で福音書を読み始め,生殖目的のセックスはしないと宣言したり・・・。そんななか,TommasoとPietroの間には友情が徐々に芽生えてきます。そしてGianniは,神父になることをやめて,医学の道に戻るですが。
 最後のシーンは難解です。Pietroが車にはねられてTommasoの病院に運び込まれます。担当する医師は,Tommasoに対して,奇跡でもなければ助からない,と伝えます。Tommasoは,この映画の冒頭に,命を助けた患者の家族から「奇跡的だ」と感謝されたとき,「奇跡ではない。俺が優秀だったからだ」と感じの悪いことを言っていたことが想起されます。Tommasoは,奇跡を信じない男でした。
 翌朝Tommasoのところに電話がかかってきます。おそらくPietroの手術の結果を伝える電話でしょう。しかし,彼はそこにおらず,かつてPietroがTommasoに自分の過去を語ってくれた場所で一人座っていました。そこではTommasoに神を信じるようになった話をしたPietroを,Tommasoは少しからかって「梨が木から落下するのも,神の思し召し?」と言い,Pietroは「Bravo」(そのとおり)と答えていました。その思い出の場所で,実際に梨が木が落ちるシーンで映画は終わります。
 Pietroが助かったのかどうかはわからないので,私もそうですが,映画を見ていた人はみなびっくりしたでしょう。「おいおい,オチはないのか」と。しかし,このシーンは,私たちが解釈すべきなのでしょう。私は,この映画は,奇跡などは起きない,すべては神の望むとおりである,ということで,Pietroが助かったかどうかは大切なことではない,というメッセージを伝えたかったのかなという気もしますが,自信はありません。
 この映画では,健常者が,知的障害者や身体障害者のまねをして,不幸な家族であることを演じるというシーンが出てきます。これは笑いを誘うシーンなのですが,私はドキッとしました。日本ではこういうシーンを入れると抗議が殺到するでしょう。ゲイや外国人に対するある種の差別的な態度も出てきます。
 イタリア映画では,私の経験では,障害者をからかうようなシーンがときたま出てきます。そこには,人間にはそういう心理があるのは当然であり,妙にそういうことに触れないほうが不自然だということかもしれません。そして,そのことと実際に差別的な行動をとること(それはやってはならない)とは別の問題だという割り切りがあるような気がします。
 もう一つ驚いたのが,Tommasoがカトリックのことをボロカスにいうシーンです。でも,この映画は,最後は宗教的なところに帰るという意味もありそうなので,これはカトリックにとって悪い映画ではないのでしょうね。  ★★★(観る価値はあると思います)

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