日記・コラム・つぶやき

2017年3月24日 (金)

今朝の日経新聞に登場

  今朝の日経新聞に,村山恵一氏による「Deep Insight 働き方 21世紀型の条件」というタイトルの「オピニオン」が出ていました。そこに私も登場しています。2週間ほど前に,取材にこられて1時間ほどお話をしたのですが,拙著の『AI時代の働き方と法』(弘文堂)を事前に読んで準備されていたので,とても話しやすかったことを覚えています。
 村山さんは,現在の働き方改革論に物足りなさを感じ,もっと未来志向でいくべきではないかという問題意識をもっておられたようです。そこが私と共鳴するところでした。
 今回,私が登場したのは,「これからは自営的な働き方が増える。変化に適応できる基礎能力を身につける教育が大事だ」という発言部分です。もちろん,取材では,いろいろなことを話しましたが,自営と教育という二つの論点が印象に残ったのでしょう。そういえば昨年あたりから私の発言でメディアでとりあげられる内容は,この2つの論点に関するものが増えています。インタビューで,知らぬうちに,私がそこを強調しているのかもしれません。
 いろんな記者の方と会ってきましたが,村山さんのような法学部出身の方からの取材は珍しいです。村山さんが,法学の素養をもちながら,IT関係の企業などへの取材などを続けてこられ,そして働き方の問題にたどりついたということの意味は大きいと思います。取材では,ジャーナリストの仕事も,AI時代には大変ですよ,と失礼なことを言ってしまいましたが,未来志向で独自の視点で取材を続けるかぎり,AIには簡単には代替されません。これからも村山さんにはぜひ頑張ってもらいたいです。
 ところで私は,この記事では,神戸大学教授と紹介されていました。読者には,私が何の専門をしているかわからないかもしれません。そういえば,前に別のメディアからの電話取材で,「ご専門は何ですか」と聞かれたことがありました。ネット情報から私のことを知った人は,専門不明のあやしげな研究者になってしまっているかもしれません。でも,それは,私にとってイヤなことではありません。 

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2017年3月21日 (火)

労働基準監督業務の民間委託について思う

  3月16日に,政府の規制改革推進会議は,労働基準監督業務の一部を民間に委託することを検討するための初会合を開いたそうです。その背景には,長時間労働などの労働基準法違反の事例が目立つなか,労働基準監督官が不足しているため,行政監督が十分になされていないという認識があります。委託先として社会保険労務士等も候補に挙げられているようです。
 たしかに,都市部では,労働基準監督官の業務は激務となっており,監督官の過重労働という洒落にならないような状態が生じているとおう話も耳にします。民間委託そのものが悪いとは言えませんが,厚生労働省はこれに難色を示しているようです。 
  ここで一つ浮かびあがる疑問は,社会保険労務士は,監督業務を受託するでしょうか。業務の範囲の拡大は,社会保険労務士にとって悪いことではないでしょうが,これまでは監督される企業の側で業務をすることが多かったでしょうから,監督業務までやると,本業のほうに支障が出てこないかという心配があります。たとえば,自分が顧問などをした企業について監督業務の受託は認められないでしょうし,監督業務を受託した企業と将来的に顧問契約を結ぶことも原則としては認められないでしょう。監督業務という権力的な業務の民間委託である以上,委託先にいろいろな規制がかかってくることは避けられないでしょう。
 ちなみに,兵庫県労働委員会の公益委員には弁護士が3名おられますが,慣例として,労働事件を扱ってこなかった弁護士の方が選任されているようです。監督業務とは違いますが,労働委員会の業務も公権力の発動という面があるのであり,これまでの本業との関係で中立性が損なわれないようにすることへの配慮だと思います。
 それでは,監督業務を労働問題を扱っていない者に委託すればよいということになりそうですが,そうなると今度は専門性の点から問題が出てくるでしょう。どのような業務を民間委託するかにもよりますけれども,労働基準法の解釈や通達に精通していなければならない監督業務においては,専門性を軽視することはできません。しかし専門性のある社会保険労務士の多くには,すでに企業側に立った自分のビジネスがあるのです。というような堂々巡りの議論となり,このあたりのことが,うまく解決しなければ,なり手が出てこないのではないか,という気もします。
  そもそも警察を増やせば治安が良くなる的な発想でよいのかということも問題となります。公務員減らしの対象に労働基準監督官も含めてしまったことには問題があるということは以前に私も『君の働き方に未来はあるか?』(光文社新書)に書いたことがあります(81頁)が,ブラック企業対策には,もう少し別のものもあるのではないかという気がします。私は,その本では,労働者側に立ってブラック企業対策を書きました(81頁以下)が,それに加えて企業側の法律知識の向上も必要です。殺人,放火,強盗,窃盗をしてはならないということは誰でも知っているのに対して,監督業務は,「使用者」(労働基準法10条の定義を参照)という限られた主体による,あまり詳しく知られていない労働基準法という法律の違反をターゲットとするものです。ここに労働基準監督業務の特殊性があり,上述のような問題点が出てくる背景的原因があります。
 とはいえ批判ばかりをしてもいけません。良い民間委託案が出てくれば応援するにやぶさかではありません。厚生労働省も職分を侵されるという視点ではなく,労働基準法のエンフォースメントをいかにして高めるかという大局的な視点で建設的な対応をしてもらいたいです。今後の議論の進展に注目しましょう。

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2017年3月15日 (水)

士業受難の時代

 3月6日の日経新聞の夕刊で,アサヒグループホールディングス会長の泉谷直木氏の「あすへの話題」の「AIにはビールは飲めない」が面白かったです。そのなかで,泉谷氏は,マキャベリの『君主論』を引用しながら,人間には「自分で考えることができる人間,人の言うことは理解できる人間,どちらもできない人間」がいて,「AI時代には後二者はヤバイということになるのかもしれない」と述べています。
 そして,「ギリシャ・ローマ時代の自由人(非奴隷)は基本的知識・技能として文法学、修辞学,論理学,算術,幾何学,天文学,音楽の自由七科を身に付けることが求められたという。現代のビジネスパーソンは,これらに加えてロジックを基にしたアイデア創造力が今後磨くべき能力領域になるのだろう。おもてなしやホスピタリティといった情緒面も同じ領域だろう。」と書かれています。
 これは私がこれからは知的創造性が必要で,そのための基本的な素養としてリベラルアーツが重要と言っていることと同じことです。
 この観点から重要なのは,知的創造的な働き方は,強いられた長時間労働では生まれてこないということです。長時間労働の弊害は健康に有害ということだけでなく,労働者から考える力を奪うこと,あるいは自己研鑽の意欲・時間を奪うことにあります。知的創造的な働き方は,「時間主権」を個人に取り戻すところから始まるのです。拙著『勤勉は美徳か?』(光文社新書)で,時間主権や時間についての自己決定権を強調したのは,それを得ることこそが自分らしい働き方をして,幸福になるための鍵となるからです。
 ところで,日経新聞朝刊に連載中の「断絶を超えて」で,今朝は「知識から智恵へ-AI襲来 眠れぬサムライ」という洒落たタイトルの記事が出ていました。AI代替と士業のことです。そこでは会計士や弁理士のことが紹介されていましたが,税理士,社会保険労務士,弁護士だってAIの影響と無縁ではありません。
  1年半前に,LSの講義の最初に,弁護士業務におけるAI代替のことを話しましたが,このとき学生は,おそらくこの先生何を言っているだろうと思っていたかもしれません。しかし,AI代替は現実になりつつあります。自分たちが「知的」にやっていると思っていることについては,AIのほうが遙かに賢くやってしまう可能性があるのです。知的であって,かつ創造的でなければならないのです。当面はAIの活用も創造性を支えるでしょう。しかし,それも改良していかなければ,創造性がなくなっていくでしょう。知的であって,定型的なものは,AIが最も得意な分野です。これが,知識だけであっても,智恵がなければダメということの意味です。
 AIが人間を「完全に」代替することはないということも,よく言われます。AIは意外にできないことが多いよ,と言われることもあります。ビールを飲むことができないのも,そのとおりでしょう。だから心配する必要はないという楽観論もよく耳にします。
 しかし,ある人のやっている10の作業のうち7が代替されてしまうとどうでしょうか。そのときには,また新たに7の作業が出てくるだろうから,食い扶持はあると思っている人も少なくようです。しかし,その新たな7の作業が,それまでの技能を活用できるものでなければどうですか(「活用できない」作業にも二つのタイプのものがあります。きわめて難しい作業か,単純な作業だけれど人間しかできないようなもの[葉書で欄外に書かれていて機械で読み取れない郵便番号の読み取り]のどちらかです)。あるいはAIが人間の仕事を代替すると,もっと難しい仕事が振ってくるから困るなどという,能天気なことを言う人もいます。私はそれでも仕事があるだけ良しとすべきであり,むしろ仕事を振ってもらえない危険があるほうを懸念すべきだと思うのです。
 働くとは耐えることで,耐えていれば働き口はあると思っている人は,すぐに考えを改めなければなりません。働くとは考えることで,自分で働き口をみつけなければならないのです。数年後にはリタイアするAIとは無縁のおじさん上司に引きずられて,AI時代にどっぷり浸からなければならない自分の将来を潰されないようにすることが大切です。
 自分の将来を考えるうえでは,光文社新書の私の二冊『君の働き方に未来はあるか?』『勤勉は美徳か?』をまず読んで,それから『AI時代の働き方と法』(弘文堂)を読めば,自分がどうすべきかが見えてくるでしょう。『勤勉は美徳か?』の最後に,IAA(Information,Analysis,Action)を強調しています。まずは行動をするうえで必要な情報を入手し,考える(分析をする)ことが必要なのです。私としては拙著を推薦しますが,その他にも,考えるヒントになる本はたくさんあるでしょう。まずは本屋(バーチャル店舗でもいいですが)に足を運びましょう。

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2017年3月12日 (日)

育児をする女性が働きたがらないのはなぜ? 

 厚生労働省の平成24年度就業構造基本調査によると,25歳から44歳の育児をしている女性の都道府県別有業率では,なんと兵庫県は,神奈川県に次ぐワースト2でした。この率が低いのは,神奈川,兵庫,埼玉,千葉,大阪,奈良,北海道,東京,滋賀という順番で比較的都市部かその近郊のところが多いのが分かります。逆に率が高いのは,トップは島根,ついで山形,福井,鳥取,富山,石川,秋田,宮崎,高知,青森,熊本,新潟,岩手,佐賀,沖縄,香川,群馬,徳島,山梨,長崎,鹿児島,長野,三重,福島,岡山,大分……とどこまで並べても,都市部の県が出てきません。ということで,都会では,女性は育児か就労かというと,育児を選択する人が多いということがわかります。
 先日の兵庫県の地方労働審議会では,兵庫県が低いので何とかしなければならないという意見もあり,それはそのとおりなのですが,どのように対策をとらなければならないかというと,これは兵庫特有の問題ではないということにまず留意をしておかなければなければいけません。兵庫県だけ特に女性の就労意欲が低いとか,兵庫県の企業だけが育児をしている女性に優しくないとか,兵庫県だけが,地域社会において育児期の女性の就労に否定的であるとか,そういうことではないのかもしれません。
 都市部のカップルは,夫である男性の収入が比較的高いため,あえて共働きをしなくても経済的にやっていけるから育児を選択するという可能性もあるでしょう。その前提には,配偶者のいる女性が働くのは,就労による自己実現といったポジティブな意味だけではなく,経済的な理由によるものも少なくないのではないかという仮説があります。もしこの仮説があたっていれば,経済的な理由がそれほど大きくないカップルにおいては,出産をすると,女性にとって育児と就労の比較において,育児の効用を放棄するコストが相対的に高くなり,働く上での留保賃金が高くなるため,有業率が減少するといった可能性もあることになります。
 女性の有業率が低いことが意識等の問題であるならば啓発活動が効果的でしょうが,コストの計算によるものであるならば,政策的対応がそれほど必要な問題かは疑問となります。人出不足問題への対策として,育児に満足している女性に就労してもらうことが必要というのであれば,企業に高い賃金を提示させるか,より過激には,子供は全員保育園に預けて社会で育てることにし,大人は働きに出ることを強く奨励するという政策も理論的にはありえます(労働力が限られている社会を想定すると,人口維持と生産性の維持の両立を考えるならば,生産性が低い老人たちが育児をし,生産性の高い若い人には子作り(セックス)を奨励し,あとは仕事に精を出せという政策もありえるのです)。とはいえ,こんな政策は,現実的ではなさそうです。
 もちろん審議会の場では,そんな過激なことは言いませんが,原因をしっかり見極めたうえで,適切な対策をとっていただけるようにという希望だけは述べておきました。

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2017年3月11日 (土)

Work Model 2030

  リクルートワークス研究所「Work Model 2030」という報告書が出されました(http://www.works-i.com/tech/)。この報告書へのコメントを求められ,それに答えたものが,インタビュー集としてまとめられて冊子で届きました。一般の人がみることができるものかどうかわかりませんが,私を含む9名の人がインタビューに答えています。東大の柳川範之さんや松尾豊さんといった常連(?)も含まれています。
 この報告書は,「テクノロジーが日本の『働く』を変革する」ということで,実は私の問題意識とほぼ重なっています。私はAIなどの先端技術の革新は今後もとどまるところを知らないし,それをとどめるべきでもないという立場から,技術のもつ可能性を吟味していくことが必要だと考えています。拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)も,そういう問題意識によって書かれたものです(先週木曜日は,中沢孝夫先生に,日本経済新聞の夕刊で採りあげていただきました。また今日は,同新聞の読書欄でも紹介されていました)。
 私自身,デジタル人間ではないですが,それでも役所や大企業などの大きな組織の人と仕事をする機会があるときに感じるのは,デジタライゼーションを論じるとかいう次元と懸け離れたところで,新しい技術に何の関心も示さず旧態依然とした仕事のやり方に満足している人が多いなということです。
 ほんのちょっとの効率化さえ嫌がる人たち。やっぱりアナログだと言って,それに同調している仲間同士で納得し合っている人たち。こうした人たちが日本の中心にいるかぎり,日本の未来は暗いです(「暗い」というのは経済的な面からです。アナログの世界で,のんびりと生活するという人生それ自体は魅力的です)。
 ところで,リクルートワークス研究所の今回の報告書にも出てくるように「フリーランス」「起業」は,これからの社会のキーワードです。AIなどの技術の波に飲み込まれるのではなく,個人として,いかにAIを活用し,生き延びていくかという戦略も必要です(この点については,拙著の『君の働き方に未来はあるか-労働法の限界と,これからの雇用社会』(光文社新書)をぜひ読んでもらいたいです)。
 昨日は,リクルートワークス研究所がこの報告書に関して開催したシンポジウムに出て,私の名前を知ったという日経新聞の記者が,神戸まで取材に来てくださいました。もっとマスメディアが,時代の変革の流れを伝えて,技術に背をむけたがる人たちに警鐘を鳴らしてくださいと頼んでおきました。もちろん,これからは,ジャーナリスト自身が,そうした時代の波をとらえていかなければ,それこそAIに取ってかわられてしまうでしょう。

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2017年3月 6日 (月)

天下り問題に思う

 2月22日の毎日新聞(電子版)に,今回の文科省OBの早稲田大学への天下り問題について,「文科省は依頼があっせん行為にあたるとして国家公務員法違反と認定したが,早大内部では『大学の自治の侵害』と批判が出ている。」という記事が出ていました(http://mainichi.jp/articles/20170222/k00/00m/040/136000c)。これを最初読んだとき,「認定したが」の「が」を逆接だと思い,早大内部から,国家公務員法違反との認定を,「大学の自治の侵害」とする意見があったのかと思ってしまいました。ただ,あとの文章を読むと批判の対象は「あっせん行為」のことなのですね。
 よく考えると当然そう読めるのですが,私の頭のなかに,天下りを受け入れるかどうかは,大学側にとっての自治の問題であるという主張もありそうかなと思い,早稲田クラスになると,そんな主張もするのかなと一瞬思ってしまったのです。
 私は,天下りには,良い人材の確保という意味もあり,頭から批判すべきではないという立場です(そのような趣旨のことは,拙著『雇用社会の25の疑問(第2版)』(弘文堂)の第17話「公務員には,本当に身分保障はあるのか」のなかでも書いています)。厚生労働省で経験をつみ,知識も豊富で,見識も高い人が,退職後にJILPTの幹部としてやってくることには何も問題はないと思っています。
 ただ,これも人材の活用という視点からのものであり,役所のほうから人事を押しつけるとか,役所と通じていることしか価値のないような人材の天下りを受け入れるということであればダメでしょう。
 受入れ側も,補助金をとりやすいからといった理由でやっていると,天下りを受け入れていないところとの不公平感が生じ,国民からの厳しい批判にさらされざるをえないでしょう。
 ところで,天下り規制は,国家公務員法106条の2以下にあります(http://www5.cao.go.jp/kanshi/gaiyou.html)。
 国家公務員法に規定する再就職等規制には,①他の職員・元職員の再就職依頼・情報提供等規制(106条の2),②現職職員による利害関係企業等への求職活動規制(106条の3),③再就職者(元職員)による元の職場への働きかけ規制(106条の4)の3つがあります。
  ①については,職業安定法,船員職業安定法その他の法令の定める職業の安定に関する事務として行う場合,独立行政法人,特殊法人等に現役出向させる場合,官民人材交流センターの職員がその職務として行う場合は例外となっています(106条の2第2項)。
  ①についての独立行政法人等への現役出向が例外というのは,なんだかミエミエの例外でくすっと笑いたくなります。別にこれをダメと言いたいわけではありませんが,人材の活用という視点からいうと,その法人の業務に必要な能力をもっているかどうかというチェックは必要です。人事交流は重要という意見もあるでしょうが,私はある程度の年齢までならともかく,幹部クラスになってからの単なる人事交流は有害であることが多いのではないか,という印象をもっています。あくまで印象論ですが。
  法科大学院では,裁判官や検察官に実務家教員として来てもらっていますが,これはもちろん大学側がお願いして来てもらうのであり,そして来ていただいた人も,プロとしての責任感をもって実によく働いてくださっていると思います。これは,大学に足りない専門性を補充する人材の活用のためのものです。もし裁判所から,大学側が頼んでもいないのに,特定の裁判官を受け入れてもらえないかという押し込み(推薦との違いは微妙ですが)があるということがあれば,これはやはり問題でしょう。刑事事件をかかえそうな大学の役職者が,将来のことを考えて,裁判所に恩を売るために受け入れるというようなことになれば大問題です。日本ではまずありえないことですが,外国の映画になら,出てきそうなシーンですね。
  いずれにせよ,天下りについては,役所が,いろんな規制のルールを作り,それを遵守するためには,役人の智恵が必要だから,うちの役所OBを受け入れていたほうがよいですよ,というような形で,いわばポストの確保のための規制の増大が起こりかねないという点が問題です。
  役所にいる優秀な人材の活用,役人自体の職業選択の自由を十分に尊重するためには,現行の国家公務員法のルールは,それが厳しすぎるように思えたとしても遵守し,たとえ違法ではない方法であっても,規制をかいくぐるような抜け道を使うことも控え,国民の信用を高めていくしかありません。それをやってくれなければ,こちらは退職公務員の活用の応援をしたくてもできなくなってしまいます。この意味で,文科省の今回の問題はかなり深刻です(それに多くの国民は,他の省庁もやっていると思っています)。猛省が必要でしょう。

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2017年3月 2日 (木)

大木君おめでとう

 姫路獨協大学の大木正俊君の『イタリアにおける均等待遇原則の生成と展開-均等待遇原則と私的自治の相克をめぐって-』(日本評論社)が,第31回(平成28年度)冲永賞を受賞しました。おめでとうございます。ちなみに,この本のサブタイトルがとてもいいです。この「相克」をどうすべきかは,私もずっと悩んできたことです。
 イタリア法関係での受賞というのは,少数派のイタリア学派としては,このうえない名誉であり,よくぞ選んでくれたということで,選考委員には感謝の気持ちでいっぱいです。
 この著書は,まさに基礎理論的な研究であり,しかもイタリア法が比較法の対象ということで,きわめて地味なものです。変わった業績ということで埋もれてしまっても不思議ではないのに,華やかな舞台に上げてもらったのは,とても有り難いことです。
 あえて偉そうなことを言わせてもらえば,こういう地味だが,こつこつ研究している若手を応援しなければ,学問の発展はありません。それにイタリア法をやっていると,山口浩一郎先生や諏訪康雄先生のような個性的な大物が誕生することもあるのです。私はたんに個性的なだけの異端ですが,早稲田大学の正統な労働法の系譜を引きながら,柔軟にいろんなタイプの学問のエキスを吸い,魅力的な研究者に育ちつつある大木君の将来には,大きな可能性が広がっています。
 もちろん,以前にこの著書についてのコメントでも書いたような記憶がありますが,この著書自体は,研究の序の序のようなものであり,研究者としての勝負はこれからです。大器晩成といいながら,いつまでも成らなかった研究者もたくさんいるなか,大木君も年齢的にそろそろ勝負どころに来ていると思います。これからのいっそうの活躍を祈念しています。
  昨年の本庄淳志君のJILPTの図書賞に続いて,私にとって近い若手が相次いでビックなタイトルを取って,ほんとうに嬉しいし,有り難いことです。そして私も,まだまだ負けないぞという気持ちで,大いに刺激を受けています。再来年度あたりの冲永賞をめざして,頑張りましょうか(という気持ちは3日もすれば失せてしまうでしょうが)。

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2017年3月 1日 (水)

自民党は受動喫煙対策に反対するな!

  26日の日本経済新聞で,「受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案を巡り,厚生労働省が,小規模なバーやスナック以外の飲食店は店内を原則禁煙とする方向で検討していることが25日,分かった。」という記事が出ていました。
 一方,同日の文化欄では,民俗学者の石毛直道氏が,「愛煙家のひとりごと」という随筆で,「しかし,嫌煙運動が盛んになった現在では,喫煙者が社会的『いじめ』の対象になりはじめている。タバコを吸う者は,害毒をまきちらす悪人とみなされるようになったのである。」と書いていました。
 そして,28日の夕刊では,「厚労省は当初,飲食店を原則禁煙とする方向だったが,飲食業界や自民党から反対が相次いだため,小規模のバーやスナックは喫煙を認めることにした。」という記事が出ていました。小規模とは,26日のほうの記事によると,「原則禁煙の例外とするバーやスナックについては基準として『30平方メートル以下』を検討中。ただ,自民党内などには『狭すぎる』との反発があり,さらに調整する。」ということでした。
 さて,飲食店の受動喫煙問題は,喫煙者に寛大な非喫煙者に支えられてきたといっても過言ではありません。喫煙者を悪人とみているというのは被害妄想で,他人の迷惑を顧みないで喫煙する無神経な人のみを悪人としているのです。食事中に他人の吐いた煙を吸わされて気持ちの良い人はいないでしょう。しかもそれは有害なものなのです。
 もちろん私は,喫煙可能となっていない店を探して入っているので,それで問題はないともいえます。喫煙者を受け入れる店は勝手にそうしていればいいのであって,それをとやかく言う必要はない気もします。
 だから,私は厚生労働省には頑張って欲しいとは思うものの,自民党のおじさんたちが反対して面倒くさいのであれば,それほど強い規制はしなくてもいいのでは,という気持ちになっています。ただ,喫煙可能な店は,外の目立つところに一定の大きさ以上の喫煙マークを貼るというルールを導入してほしいです。これくらいの規制であれば受入可能ではないでしょうか。
 個人的には,とても良い店なのに喫煙可なので入れないのは残念ですが,だからといって,その店を法の力で喫煙不可にするのは,ちょっと行き過ぎのようにも思っています。店外の掲示で判別可能とすることで十分です。おそらくそうすると,喫煙マークをつけることをいやがる店が増えて,自ずから喫煙可能な店が減っていくのではないかと思います。もちろん喫煙マークがついていないのに,喫煙者がいたら,喫煙者本人ではなく,その店の経営者に重い制裁を課すべきでしょう(営業停止でもいいと思います)。
 ということで,私は,全面禁煙の店しか原則として行きません。ローカル情報ですが,自分のお気に入りのところでは,中華のアムアムホー(六甲道),イタリアンのVieni(三宮の北野坂),和食の魚吟どい(阪急六甲)や有とみ(三宮のハンター坂)や岩本(JR六甲道),寿司のきらく(門戸厄神)などは味もよく完全禁煙でとても楽しめます。最近,完全禁煙に変わったのが,ベトナム料理のクアン・アンゴン(JR六甲道)と焼き鳥のよしおか(阪急六甲)です。ワイン・バー(&ビストロ)の三宮のLes Vignes  も六甲道にいたときは喫煙可でしたが,三宮に移転したときに全面禁煙となっています。
 和食の「晴の」は,改装前は喫煙可でせっかくの料理なのにとても残念な思いをしていたのですが,改装後は禁煙になったようです(ただ,値段が高くなってしまい行けなくなったので,実際には確認していません)。実名はあげませんが,お気に入りの店である六甲道界隈のF,A,Pあたりは,即刻禁煙にしてくれたらいいのですが。そのためにも,やはり厚生労働省を応援することにします。
 ついでに神戸大学の敷地内では,屋外の一定の指定場所なら喫煙可なのですが,指定場所の位置が悪く,風の強いキャンパスなので,歩いているとタバコの煙に悩まされることがしばしばあります。敷地内は全面禁煙にしてもらいたいです。どうも神戸大学のお偉いさんに愛煙家がいるとかいないとか。屋外だからいいというものではなく,もし喫煙を認めるならば,空港のようなどこかの隔離された場所を作って,そこで吸ってもらいましょう。これは室内のことではないですが,職場の受動喫煙問題として,本来,労働安全衛生法68条の2の問題とすべきことがらです(同条の「室内に準ずる環境」ってどういうものなのでしょうか)。同条は努力義務なので,喫煙ルールを大きく変えるに至っていないようですが,今後さらに強化していくべきでしょう。職場に高度外国人材が増えてきて苦情が出てきてから変えるようになるのでは情けないですよ。

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2017年2月27日 (月)

日本経済新聞の「法トーク」に登場

 日本経済新聞の月曜の「法務」面に「法トーク」というコーナーがあるということは知りませんでした。インタビュー自体は,実は,昨年7月に受けており,当初はAI関係の特集号であったと記憶していますが,特集号にまではふくらまなかったのか,私のコメントを使いにくかったのかわかりませんが,結局,今回の単独での登場となりました。
 すでに私の具体的な提言は『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)で書いていますので,そこを参照してください。ちょうど昨年7月は,内閣府の懇談会でのプレゼン資料を作ってから,それほど時間が経っていないくらいのころで(実際にはこれを使ったプレゼンは内閣府の会議ではせず,別の場でのプレゼンで使っていたのですが),その資料が『AI時代の働き方と法』書籍の骨格となっていますが,インタビューの時も1時間くらいAIと労働法に広い論点で話したように記憶しています。今回は,そのときおそらくとくに強調した自営業のところにフォーカスがあたっています。
 自営業者の「保護」は,『AI時代の働き方と法』や論文ではこだわって「サポート」という表現を使って区別をしていますが,新聞では一般の方向けであるし,字数の制限もあるということでしたから,あまり専門的なこだわりはせず,あえて記事の原案にあった表現を直すようには要請しませんでした。ただほんとうは「保護」と「サポート」は,区別して使いたいところではあります。「保護」は弱い労働者を前提としたもの,「サポート」は自立への支援というニュアンスを込めています。
 今後の政策議論においても,自営業者を弱い労働者に近づけて論じるのではなく,自立の実現のためにどうすればよいかという観点を中心に据えるべきであると思っています(より細かい点は『AI時代の働き方と法』の第7章,あるいは季刊労働法255号の論文「労働法のニューフロンティア?ー高度ICT社会における自営的就労と労働法」を参照してください)。

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2017年2月23日 (木)

労働組合の役割とは?

 「働き方改革実現会議」は労使のトップがメンバーになっているので,その重要性たるや半端ではありません。その動向について,私もこのブログにしつこく書いていますが,今朝の日経新聞に掲載されていたヤマト運輸の記事と連合の会長のコメントとのギャップに考えさせられるものがありました。
 連合の会長は,日経新聞の記事によると,記者団に対して,「上限時間を罰則付きで決めることは労働基準法70年の歴史にも極めて大きな改革だ」と述べたそうです。前後の文脈がわからないので,この発言の真意はよく分かりませんが,文字どおりにとらえると,首をかしげたくなるところがあります。
 もともと労働基準法はその制定のときから,週の労働時間の上限を48時間(現在は40時間)として罰則付きで強制していたのです。個々の事業場において,労働組合(過半数代表であればということですが)は,三六協定の締結を拒否すれば,企業がそれを超える労働時間を合法的にさせることを阻止することができました。あるいは三六協定を締結して,企業が合法的に時間外労働をさせる範囲を設定することもできました。法は,労働組合の力を信用して,労働組合が自力で労働時間の範囲を限定できるようにしており,これは企業側からすると,きわめて強力な規制であったのです。
 それなのに,今回のように三六協定で締結する時間外労働の上限を罰則付きで決めてもらうということになると,自分たちでは労働者を十分に代表できない,あるいは代表できる場合でも自分たちでは十分に時間外労働の長さをコントロールできないということを正面から認めるものであって,「歴史的にも極めて大きな改革」という意味は,労働組合の歴史的敗北であるとみるのが正しいのです。
 労働組合にもっと権限を与えるべきとして,分権型規制を提唱してきた私としては,国家の規制に依存することに抵抗感を見せない日本の労働組合には,労働組合という名を付与することそれ自体にためらいを感じてしまいます。結果がよければそれでよいというのは,敗北へのプロローグです。
 結局,労働政策審議会レベルでは時間がかかるとして,トップが交渉の場に引きずり出され,そして屈辱的な条件を飲まされ,後はそれはどう屈辱的でないかを粉飾しようとしているという感じで,見事に政府の戦略にはまったような気がしてなりません。 
 これは相当きびしいコメントになっていますが,私がずっと労働組合の応援団であったことは,私のこれまで書いてきたものを見てもらうとよくおわかりかと思います。愛情からくる叱咤激励であるということをよくご理解いただければと思います(ダメ虎を叱咤激励する阪神ファンのようなものです)。もちろん,すべて分かった上での深い大人の戦略があったが上での今回の行動であるとするならば,それは私の理解不足ということでお許し頂ければと思います。
  一方,今朝のヤマト運輸の労働組合のニュースは,逆に労働組合の将来に希望を持たせるものでした。長時間労働の元凶である過重サービスの解消について労働組合が要求をし,経営陣がこれに応える姿勢を示したということのようです。人手不足のいまだからこそ,労働組合にとっては千載一遇のチャンスです。労働環境の改善は,企業にとっても受け入れやすい状況にあります。とくにサービス業においては,企業が顧客に提供するサービス内容を抑制するという姿勢がなければ,労働環境の改善につながりません。労働者の論理と消費者(生活者)の論理の対立を直視し,ようやく前者の論理を優先しようとする動きが出てきたということでもあります。こうした動きの担い手は,現場にいる労働組合がもっとも適任でしょう。
 私自身もamazonをよく利用していて,こんなに便利でいいのだろうかと不安を抱くこともありました。よく顧客が悪い(モンスター化している)ということも言われますが,どんどんサービスを向上させて,顧客のサービス意識を高めてしまった企業側にも責任があると思います。たとえば,私の最近の例でいうと,ワインをまとめて注文したとき,宅配ボックスに入れられては困るし(腰痛なので重い荷物を宅配ボックスから部屋に運ぶのが大変),また再配達になっては申し訳ないと思って,18時以降の時間指定をしていたので,必死に時間に間に合うように17時50分くらいに帰ってくると,実はその日は別の便(書籍)があって,すでに午前中に宅配ボックスに一緒に入れられていたというようなことがあったとき,思わずクレームもつけたくなります(よく来てくれる人なので,迷惑になったら可愛そうと思い,結局,クレームの電話は入れませんでしたが)。
  サービスがあれば,それを前提に行動するし,そうしたサービスがなければ,ないなりに別の方法を考えるのです(近くの酒屋に頼んでの配達という方法もあるのです)。無理なサービスは最初からやめておいてくださいというのが,消費者のニーズであり,消費者のニーズが過剰であるだけではないのです。
 背景には,もっと込み入ったビジネスの仕組み(amazonの横暴?)が影響しているのかもしれませんが,私たちは消費者でもあり労働者でもあるので,これからは労働者のほうの論理をもっと考えていきたいと思います。労働組合がその担い手になってくれるというのは,たいへん心強いです。
 そして,良いサービスにはしっかり料金の上乗せをしてもらったほうが,消費者としてもかえってそのサービスを使いやすいということになるのではないでしょうか(料金の追加があると,かえって消費者の要求がきつくなるという話もあるのですが)。

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