日記・コラム・つぶやき

2017年5月17日 (水)

大学新テスト

 今朝の日本経済新聞に,文部科学省が発表した大学新テストの問題例が掲載されていました。国語の問題例を見たのですが,なかなか面白いと思いました。第2問は,駐車場の賃貸借契約書の条文をしっかり読ませるもので,こういう試験に備えた教育を高等学校でやるようになると,ずいぶん日本人も変わるのではないかと思います。
 実は多くの日本人は,契約書をきちんと読んでいないのではないか,という疑問があります。私は一応法律屋ですので,自分に関係する比較的大きな契約については,しっかりと契約書(通常は約款)の条文を読むようにしており,その文言を確認し,特記事項を追加してもらったり,文言そのものを修正してもらったりしたこともありました。あたりまえのことのようですが,契約書をきちんと読んで内容を確認してくる客はほとんどいなかったと言われることもあり,そういうものかと思ったものでした。
 私たちは消費者契約法でかなり守られているので,契約締結時点での緊張感をそれほどもたなくても悲惨なことにはならないのでしょう。しかし同法の3条2項は,消費者の努力する義務についても規定されており,私はこの文言は,場合によっては裁判所によって重く解釈される可能性もあるのではないかと思っています(この条文を参考に,労働契約の場面でいかして,使用者の情報提供・説明義務について,労働者のほうでも理解するよう努力する義務があるとした論文を書いたことがあります。「労働契約における対等性の条件-私的自治と労働者保護」『西谷敏先生古稀記念 労働法と現代法の理論(上)』日本評論社415頁以下を参照)。
 ところで,また拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の話になりますが,同書の第7章で,自営的就労のことを扱っていますが,そこで,このような働き方をする上での基礎となる教育が必要であるとし,その項目として,契約書を理解したり,自分で作成されすることができるようなリーガルリテラシーの教育が大切だということを書いています(196頁)。まさに今回の国語の問題は,リーガルリテラシー教育という観点からも注目されます。難しい法律の知識は必ずしも必要ではなく,まずは文書を論理的に読んで,自分たちの権利や義務というものをしっかりと確保するということが,これからは必要なのです。雇用労働者であるならば,労働条件は就業規則で定められていて,個人ではどうしようもないところがあります(もちろん,個人で交渉して特約を結ぶことは,労働契約法上も想定はされているのですが[7条ただし書])。しかし個人自営業者になると,自分の契約条件は,自分で考えて判断して行かなければなりません。弁護士に頼るだけではなく,自分でも最低限のリーガルリテラシーをもっていることは,来たるべき自営業の時代にとって非常に重要なこととなります。
 そしてこれは実は日本人には,とても苦手なことでもあったのです。契約できっちりと決めていこうとする意識が希薄で,何かあれば事後的になあなあで処理していこうとうする姿勢が強いからです(就業規則の不利益変更も,合理性があればいいといういい加減な法理が支持されてきて,いまでは法律上の条文[労働契約法10条]にもなってしまっていますが,こういう曖昧性は,日本的な契約文化の延長線上にあるものだと思っています)。
 国立情報学研究所の新井紀子先生は,人工知能登載のロボット(東ロボ君)が偏差値57まで行ったのは,問題文をきちんと読解できていない人が多いことが原因であるということを指摘されていました。私も,弘文堂スクエアのエッセイ「絶望と希望の労働革命」のなかで,現行のセンター試験の現代国語の試験は,よく理解できていなくても,テクニックで解けてしまうことの問題点を指摘したことがありました。こうしたことが,いま改善されようとしているのならば,これは喜ばしいことだと思っています。
 大学入試の今後のあり方について,引き続き注目していきたいです

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2017年5月16日 (火)

自民党案でもよいかも?

 店に喫煙マークをつけることを義務づけたらどうかという提案を前にやったところ,自民党は小規模の飲食店において,そのような案を出していましたね。でも塩崎厚生労働大臣は強硬に反対しているようです。店舗面積30平方メートル以内のバーやスナックは喫煙可で,それ以外は専有室内でのみ喫煙できるというのが厚生労働省の案のようです。
 専有室というのが,どの程度のものかわかりませんが,タバコの煙はかなり漏れてくるので,実はこの措置は半端な感じがします。それくらいなら,私は自民党案でよいのでは,という気もしています。喫煙か禁煙かの掲示を義務づけたうえで,もし禁煙と掲示しておきながら,客の喫煙行動を容認した場合には,営業停止などの厳罰に処すことが条件です。また,禁煙の掲示をしたところは,喫煙専有室を置くことも認めないほうがいいでしょう。
 もちろん,健康増進法25条であげられている公共施設(学校,体育館,病院,劇場,観覧場,集会場,展示場,百貨店,事務所,官公庁施設,飲食店その他の多数の者が利用する施設)は全面禁煙にするという法改正ができるなら,それがベストの解決です。東京都は条例でそれを目指しているのかもしれません。ほんとうに家の外で喫煙したいなら,会員制喫煙レストランといったようなものが誕生するはずで,それは許容すればいいのです。
 要するに喫煙者と禁煙者とを隔離してほしいのです。せっかく綺麗な空気で飲食していたのに,あとから一人の客がやってきて1本タバコを吸っただけで,こちらの全身に匂いが残るといった暴力的なことが起こらないようにしてくれれば,とりあえず私は満足です。もちろん煙の健康被害もあり,それも気になりますが,個人的には,店でショパンの生演奏を聴きながらワインを飲んでいるのに,横で一人の客が演歌をくちずさんでいるような不快感といったら,わかってもらえるでしょうか。だから本当はバーも例外扱いにしてほしくないですね。

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2017年5月13日 (土)

仕事の未来

12日は、ILOの事務局長のガイ・ライダー氏が来日されて講演されるということで、そのあとに開催されたパネルディスカッションに、コーディネータとして参加してきました。このフォーラムは、JILPTもILOとの共同主催で、濱口桂一郎所長の基調報告もありました。パネルディスカッションでは、濱口さんに加えて、NIRA総研理事の神田玲子氏、経団連から徳丸洋氏、連合から安永貴夫をパネリストにお迎えしました。メンバーからして、個々の企業でどういう取り組みをしているかといった実践的な話をするのではなく、労使が人工知能やデジタライゼーションといった技術革新に対して、どのようなスタンスで臨むのか、政策的に何が課題となるかといったことを中心に議論してもらいました。私の今回の仕事は、ライダーさんと濱口さんのプレゼンを受けて、論点整理しながら、パネリストに思うところを語ってもらえるようにすることで、まあ最低限の責任は果たせたと思っています。労使ともに技術革新に前向きに向かっていくことのようで心強く思いました。なかでも、使側に日本型雇用システムの堅持の自信がうかがえたこと、労側は、変化の中でも公正さの追求には引き続きこだわっていくと強調されていたところが、個人的には印象的でした。それに加えて、強い労働者論、自営的就労者の議論、これからの団結といった、かなり最先端の議論ができたのは望外でした。最初はそういうことまで議論できないだろうと思っていただけに、濱口さんと神田さんがコーディネーターの好みそうな論点を出してくれたおかげでした。
今回はILOが主役なので、最後の締めは、新しい形での社会的正義の追求が必要だという穏当なものにしましたが、そこから先の具体的な政策が大切であるのは言うまでもありません。私個人の政策提言は拙著『AI時代の働き方と法ー2035年の労働法を考える』(弘文堂)を参照してください。
それにしても、菅野和夫先生が最前列にすわっておられたので、そのことが一番気になりました。いくつになっても指導教員の前では緊張するものですね。

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28度は困る

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2017年5月11日 (木)

労働基準法違反の企業名公表

 日本経済新聞の記事に,「厚生労働省は11日までに,違法な長時間労働や労災につながる瑕疵(かし),賃金不払いなど労働関係法令に違反した疑いで書類送検した334件に関し,関与した企業名を同省のホームページで公開した。各労働局の発表内容を初めて一覧表にまとめ,一括して掲載した」とあったので,HPで確認しました。
 これは面白いデータですね。面白がってはいけないのでしょうが,世間でどのような労働法令違反がなされているのかを知るうえでの貴重なデータです。送検事案と局長指導事案のリストです(労働基準法違反よりも,労働安全衛生法違反や最低賃金法違反のケースが多かったですね)。これで送検かと思うようなケースもありましたが,おそらく同種の違反行動を繰り返していたのでしょう。要するにすでにイエローカードを発せられていた会社が,最後のファールでレッドカードを発せられたということだと推察しました。
 ただ,送検事案の公表は,「無罪の推定」という観点から問題がないかも,気になりました。企業相手だから,人権は関係なしということではないでしょう(法人の人権享有主体性という憲法の著名論点とも関係します)。
 労働局が厳選して送検しているので,公表しても問題はないということかもしれません。ただ,これは労働局が単にそう判断したということの公表にとどまらず,結果として,送検して犯罪の疑いがあったということの公表となってしまっていることが,ちょっとひっかかります(検察が起訴したわけでもありませんし)。労働局が送検するほどの悪質な事案に厳選したということで,企業側の利益に配慮したという理屈かもしれませんが,公表されたほうは,まだ有罪とは決まってもいないのに,強制的に公表されたという反発が出てこないでしょうか(1年が経過するか,掲載する必要がなくなれば,ただちに削除されるそうですが)。これは労働局の判断が疑わしいといっているのではなく,手続的な適正さの問題です。
 局長指導事案は,送検よりも軽い措置として公表という措置をとっているのだと思います。ただ,送検事案まで公表となると,いまのような疑問が出てくるのです。みなさんは,どう思われるでしょうか。

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2017年5月 6日 (土)

所有しないライフスタイル

 今朝の日本経済新聞で,経団連の榊原会長が,最近の若者について,「1番が節約,2番が貯蓄。海外旅行やテレビ,車を買うとは誰も言わない」と嘆いているという記事が出ていました。
 たしかに,最近,若者が車を買わなくなっているそうです。レンタルでいいと思う人が増えたみたいです。自動車には移動,所有,体感という価値があるそうですが,所有は別にいらないということでしょう。所有権のもつ,使用,収益,処分のうち,使用できれば十分だということです。
 ちなみに私は運転免許すらもっていないので,レンタルもできません(免許証がないので本人確認の証明はパスポートか健康保険証です。せっかく”苦労して”マイナンバーカードを取得したのに,本人確認で使えない場合が多いのは困りものです。パスポートの住所なんて手書きですし,健康保険証は写真もないのに,どうして証明力があるのでしょうかね)。
  マイカーはなくても,タクシーに乗ることによって,自動車のもつ移動と体感の価値は味わえます。所有にともなうコストや運転にともなうリスクを考えれば,タクシーで十分です。最近は健康のことを考えて,できるだけ歩くことも考えていますので,自動車はますます不要です。そうなると轢かれる危険だけがあるということで,早く自動運転を実用化してもらいたいものです。
 不動産となると,もっとこのことがあてはまるでしょう。所有することを夢だと思う人も多いでしょうが,所有することのリスクやコストを冷静に考えると,ほんとうに得かどうか難しいところです。無収入になったときに備えて不動産をもっておくと安心でしょうが,それならうちの父のように介護ケアつきシニアマンションを購入しておいたほうがいいでしょう。
 若者と違い,私は海外旅行など「コト」消費には関心がありますが,そのための節約というか,無駄な出費の抑制はしています。最近も携帯電話の契約の抜本的な見直しをしました。地元のAUショップが,店内に3分も居られないくらいの最悪の環境で(音楽が3曲くらい大音量で同時に流されていて気分が悪くなるのです),ついに愛想をつかしました。長い待ち時間は本を読みながら過ごしたいのですが,それがかなわないようなショップを放置している会社はダメです。ショップを使わないならネットの格安Simで十分です。ということでFreetelにあっさり乗り換えました(AUのMNPの担当者はさわやかで感じがよかったですが,携帯ショップの改善のほうこそ必要でしょうね)。電話の節約も考えて,Smartalkにも加入しましたが,これだって親しい人の間では無料のLine電話で十分なので,実際にはほとんど使わないでしょう(固定費はありません)。その分,端末には金をかけるという選択です。良い端末のほうが,アプリも使いやすくなり,コト消費が充実します。
 オジサン世代でもこうですから,若い人はもっとそうなのでしょう。
 ちなみに,リアル世界での所有に関心をどんどん失っている私は,昨年から大規模な断捨離も断行しました。それでも,邪魔になっているのは,紙です。膨大な量の無駄な紙が研究室では積み上がっています。だから,最近の紙媒体廃止の動きに大賛成です。書類大好きの役人さんも,トップのほうから意識を変えてもらう必要があります。紙で送られてもスグに捨てますし,送らないように頼んでいます。どうしても必要なものは,PDFファイルの電子メールでお願いしますと頼んでいます。新聞も今年から紙媒体のものはやめて電子版だけで,それで何も不便はありません。本もKindleで買えるものは,Kindleで買っています。もちろん確定申告もe-taxです。銀行の通帳もありません。それでも片付け下手な私は,まだモノにあふれているのですが……。

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2017年5月 4日 (木)

憲法の日に(広義の)刑法を思う

  安倍晋三首相が悲願の憲法改正に向けて国民に訴えかけていましたね。私は,現政権の労働政策におけるポピュリスティックな面(これに一部の官僚が悪のりしている)も,実は安倍首相の憲法改正を実現するという最終目的のための手段にすぎないとみているので,どこで本音を出して本丸の憲法改正に本腰を入れてくるかを注目していました。憲法改正の発議ができる3分の2の議席(日本国憲法96条1項を参照)を衆参両院で確保している現在,いよいよ安倍首相は動き出す可能性があります。
 国民はじっくりその動きをみて,自分たちの憲法のあり方を考えていく必要があります。たとえば,維新を味方にするためと言われている教育の無償化などは,憲法改正がなくても可能なことなのに,あたかも憲法改正が必要かのような説明をしているところなどを含め,私たちは騙されないようにしなければなりません。今後も次々とそういう餌がまかれるかもしれないので要注意です。個人的には,9条を変えたいのなら,堂々とやればよいと思っています。
 いずれにせよ,社会契約としての憲法については,主権者である国民が直接内容に関与してこそ真の正統性が得られると思います。憲法改正の国民投票は,私たちの憲法に,真の正統性を付与するための重要な機会となるでしょう。野党は逃げずに堂々と勝負したらよいと思います。国民投票となると,ひょっとしたら日本は大きく生まれ変わるかもしれません。みんなが本当に国のあり方を考えなければならなくなるからです。
 ところで,憲法よりも,ひょっとすると私たちにとって身近な問題となるかもしれないのが,テロ等準備罪(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)の改正論義です。こちらは担当大臣の無能ぶりが情けなくて,どうしてもっとまともな大臣を任命しなかったのだろう,と思いますよね(復興大臣もどうしようもない人で,天皇にも失礼です。高齢多忙ということで退位論も出ている天皇に,大臣更迭のたびにお出ましいただくていることにこそ,バカ大臣たちは深く反省すべきところです。これなら首相の任命はともかく,大臣の認証を国事行為とすること[日本国憲法7条5号]こそ改正して,任務軽減してもいいと言いたくなるくらいです)。
 さてテロ等準備罪の注目ポイントは,6条の2(見出しは,「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画」)です。そこでは,「次の各号に掲げる罪に当たる行為で,テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち,その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第3に掲げる罪を実行することにあるものをいう……)の団体の活動として,当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を2人以上で計画した者は,その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配,関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは,当該各号に定める刑に処する」と定められています。
 この犯罪では実行に着手せず,さらに予備にもなっていない準備行為の段階でも,犯罪として処罰される可能性があるということです。単なる計画だけでは処罰されないので,危険思想もっているだけで処罰されるわけではありませんが,準備行為の内容をどのように定義するかが気になるところです(「花見か下見か」論争)。
 本条の主体は,「組織的犯罪集団」の構成員であり,一般市民や労働組合の組合員は対象となっていません。「組織的犯罪集団」とは,その共同の目的が,一定の犯罪(別表3に列挙)を実行することにある団体と定義されており,たしかに,普通の人には関係がないようにも思います。ちなみに,別表第3の犯罪には,労働基準法5条も含まれています。同条では「暴行,脅迫,監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって,労働者の意思に反して労働を強制」することが禁止されており,このようなことを共同目的としている団体がかりに存在し,その団体が別表4記載のテロ犯罪の準備行為を企てていれば,そこで検挙できるということです。
 労働基準法5条は悪質性の高い犯罪とされているので,ここに列挙されていてもそれほど違和感はありませんが,その他の分野の法律のなかには,列挙されていることに疑問があるものもあるようです。おそらくさまざまな分野の法律家が自分たちの専門に関係する法律が含まれていないかチェックしていることでしょう。もっとも別表3の法律にリストアップされているかどうかよりも,そもそも準備行為段階での処罰が妥当であるのかということが,法律家にとっては大きな関心となっているのですが。
 そもそも犯罪は既遂でなければ処罰でなきない,という見解が最もリベラルな立場にはあり,さすがにそれでは不十分ということで,少なくとも実行に着手していれば未遂犯も処罰するということになり(刑法43条,44条),さらには特に重大な犯罪については,予備も処罰せよ,という形で処罰対象が広がってきているのです。もっとも未遂も予備も法律の定めがなければならず,たとえば殺人罪では既遂犯は199条ですが,未遂犯は203条,予備は201条で特別に処罰可能性が定められています。テロ等準備罪は,これをいわば一括した形で,別表4の犯罪(別表3ほどではありませんが,かなり多くの犯罪が列挙されています。内乱や外患誘致から,爆破物使用,不法入国,不法滞在まで)について,準備行為が処罰対象とされています(6条の2)。
 法律家は限界的な事例を想定して,そこで犯罪が成立するか(とくに構成要件に該当するか)を気にします(そうした検討が理論的に重要であることは言うまでもありません)が,おそらく国民へは,この規定の本来の狙いや標準的な適用範囲といったところを,まずはしっかり説明することが必要でしょう(花見か下見かは,証拠によって判断するということで仕方ないでしょう)。
 天皇の仕事を増やして申し訳ないのですが,首相は,法相も更迭し,しっかりこの法律を理解し,咀嚼したうえで,国民に説明できる人を新たに任命すべきでしょう。法相も理解できていないような法律を,強引に成立させようとするのはやめてほしいです。刑罰というのは,国家権力のもつ最も危険な武器なのですから,そのことの重みをしっかり認識したうえで,この法律の必要性を私たちに説得してもらいたいです。

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2017年5月 2日 (火)

労働政策審議会の新委員

 昨年の「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」は,労働政策審議会のメンバー構成のあり方を主として検討する目的があると聞いていたので,新しい委員のメンバー構成には関心をもっていました。公益委員のほとんどは知っている人ですが,労使委員はほとんど知らない人です。
 厚生労働省は,有識者会議の構成員には,最終報告書との関係で,今回の委員選考についての何らかの説明をしてくれるものだと信じていますが,私はもっと思い切った見直しをやる予定だと,この有識者会議の立ち上がりのときの事前説明で聞いていたので,若干の拍子抜けでもあります(慶應大学系に偏っている気もしますね)。いずれにせよ委員になった方は,大改革の時代ですから,日本の将来にコミットする重責をぜひ果たしてもらいたいと思います。
 ところで,前にブログで書いたかもしれませんが,上記有識者会議の途中で,個人的に事務局のほうに,まとめの方向性についてのメモを提出していました。取扱いは事務局にゆだねたので,厚生労働省のなかでどのように扱われたのかわかりませんが,当時の議論を受けて,かなり尖った意見を書いていました。最終報告書は,ずいぶんと丸くなっており,それは仕方ないことですし,私も了承したので,特に異論はありません。ただ,個人としての意見としてはあるし,せっかく時間をかけて考えたものでもありますので,以下にそのまま貼り付けて公開します(当初の原文どおりです)。
 今後の労働政策決定プロセスのあり方についてのたたき台として,アカデミックな場で議論をしてもらえれば幸いです。

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働き方に関する政策決定プロセス有識者会議
                     大内メモ(2016年11月8日時点のもの)

Ⅰ 前提的考察(5つの論点)

 ① 労働政策は,経済,産業,教育など多くの分野にまたがる政策である。戦略的な議論をする場合には,たとえそれが労働にかかわるものであっても,労働政策という限定された視野で議論をするのには適さない。つまり,労政審が適切な場とは言い切れない。

 ② 労働者と使用者に直接的な影響を及ぼす政策を,労使抜きで検討することも適切ではない。労使の意見を反映させることは,とくに次の点からみて望ましい。
  (1)立法プロセスの民主的正統性を強化しうるし,結果として,国会での審議時間を短縮できるというメリットも想定できる。
  (2)制定された立法の納得性(遵法への心理的態度)を高め,実効性(実際に法が遵守される状況)も高まる。法律のエンフォースメントは,つねにその実現に向けた努力が必要ではある(労働基準監督官の増員など)が,コストもかかることからすると,立法制定プロセスで,あらかじめ法の実効性が高まるような仕組みを設けておくことが望ましい。そうした仕組みの代表例が,事前の労使の関与である。

 ただし,(1)の民主的正統性をいう以上,労使の委員の代表性は厳格に判断すべきである。たとえば労働者委員でいえば,推薦の際の労働組合の優越を認めるか(たとえば,相対的に多数の組合員を組織している労働組合が推薦権をもつ),選挙による民主的正統性を重視するか(たとえば,労働組合とは無関係に労働者の選挙で委員を選ぶ,あるいは労働組合の推薦した者から労働者が選挙で委員を選ぶ)などの考え方がありうる。ただ,労使委員ともに,これまでどおりに事務局に選出をゆだねたうえで,その選考理由を公開するという方法で,代表性を担保するほうが現実的ともいえる。

 ③ 労政審で多様な働き方を反映させるべきという意見があり,その問題意識は共有できるが,そのための手法として,労働者や使用者のなかで細かくカテゴリーを分けて,それぞれから代表者を出すという発想は賛成できない。審議会としての意思決定が著しく困難となることが予想されるし,カテゴリーの設定や適切な代表者の選出は現実的には不可能に近い(たとえば若者の代表という場合,若者とは誰を指すのか,代表者をどういうように選ぶのか)。
 ただし,実情を知るという意味での情報収集(実態調査など)は広く行われるべきである。また専門性が高いテーマについては,専門家の知見を積極的に収集すべきである。これらは,エビデンスに基づく議論にもつながる。

 ④ 労働政策を審議するうえでの労使の関与という点については,労政審という場においても,理念的には,労使交渉をさせる労使交渉型の場合(公益委員はいわば行司役)と公益委員主導で労使は参考人という位置づけとなる労使参考人型(公聴会型)の場合とがありうる。規範の設定など技術性や専門性の高いものは後者で,労働条件に直結するものは前者で,という一応の基準は示すことができるが,実際に両者を分類することは容易ではない。しかし,審議すべき内容と労使関与の仕方とのミスマッチが生じると,適切な審議がなされない危険性が高くなることにも留意する必要がある。

  ⑤ 労使は利害が対立することが前提なので(その善悪は別として),労使が関与する意思決定には時間がかかることはやむを得ないし,それは納得性を高めるために必要なコストといえる。しかし,時間制限のない審議も問題がある。事前に審議の期限を設定し(議題の難しさに応じた審議の時間が設定されるべきである),その期限が来たときは公益委員が審議会としての最終決定(諮問案の確定など)をするという方法がとられるべきである(ただし,労使委員も公益委員も,反対意見を付けることはできるようにしたほうがよいであろう)。

Ⅱ Ⅰの前提的考察をふまえて,労政審の委員選出に関する改革案のたたき台を提示したい(上記5つの論点と対応)。
 ① 政府には,さまざまな会議体があり,労政審以外の場でも労働政策について議論されている。そこで示される労働政策の方針は,必ずしも一貫したものにはなっていない。こうした状況を解消するため,労政審とは別に,厚生労働省内に「将来構想委員会」(仮称)のような常設の機関を設けて,中長期的な政策を検討すると同時に,政府に設けられる労働に関係するさまざまな会議体での政策論議の場に,この委員会の委員が参加できるようにすべきである。
 「将来構想委員会」は三者構成である必要はない。むしろ,日本の社会や経済の将来を展望しながら,広い視野で多角的に議論できる高い識見をもつ人材を委員に選出すべきである。労政審の委員が兼ねることがあってよいが,労働組合や使用者団体の現役のメンバーが委員につくことは避けたほうがよい。

 ②  労政審の「労働者を代表する者」,「使用者を代表する者」でいう「労働者」「使用者」は,労働者全体,使用者全体を意味すると解すべきである(労使の代表者は同数が望ましい)。自らの所属する組織の利害を代表する行動は禁じられる。特定の労働者団体,使用者団体に所属する者を選出する場合には,その団体からの脱退を条件とすることも検討されるべきである。いずれにせよ選出された代表者の発言は,すべて個人のものであり,その責任も個人が負うこととし,出身母体から切り離すことが望ましい。

 ③  ②とも関係するが,「労働者を代表する者」,「使用者を代表する者」は,それぞれ,労働者全体,使用者全体の利害を考慮にいれながらも,日本の社会や経済にとって,どのような政策が必要かについての知見をもつ高い識見と専門性をもった人材が選出されるべきである。厚生労働省は,労働組合や使用者団体の推薦を求めてもよいが,最終的な選考の権限と責任を負い,人選の理由についてHPで公開すべきである。また,選出された者は,その所信をHPで公表するようにすることが望ましい。

 ④および⑤ 議事の運用を,労使交渉型にするか,労使参考人型にするかの区別は,事前に一義的に決めるのは困難であるので,公益委員の判断にゆだねるべきである。また⑤でみたように,審議期間の設定や時間切れの場合の最終決定も,公益委員が担当する。したがって,公益委員には,こうした任務を的確に遂行できるだけの労働政策に精通した高い専門性をもち,労使の代表者からも信頼が置かれている人物が望ましい。厚生労働省は,ここでも最終的な選考の権限と責任を負い,人選の理由についてHPで公開すべきである。また,選出された者は,その所信をHPで公表すべきである。なお公益委員は,労使の委員と同数である必要はない。

Ⅲ その他
 1 上記の提案については,ILO条約との関係は,ひとまず考慮外とした。
  2 労政審(および将来構想委員会)は,最新の機器を利用してWEB会議などができるようにし,東京への移動が困難な人材(地方在住者も含む)も委員に登用できるようにすべきである(役所こそ,テレワークの流れに一早く対応すべきである)。
 3 2とも関係して,労政審(および将来構想委員会)の委員は,会議に少なくとも3分の2以上の出席ができる人であることが望ましい。常勤委員がいれば,なおよい。
 4 事務局の担当職員(とくに幹部クラス)は,一つの政策案件について,最初から最後まで担当すべきであり,人事異動の際にはその点が配慮されるべきである。
 5 分科会の位置づけは,労政審の機能強化のなかで,その必要性や権限なども含め再検再検討していくべきである。

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2017年5月 1日 (月)

ルールとスタンダード-著作権と解雇権

 先日,同僚の知的財産法の専門である島並良教授から,「著作権法におけるルールとスタンダード・再論-フェアユース規定の導入に向けて-」(中山信弘他編『しなやかな著作権制度に向けて』(信山社)の抜刷をいただきました。専門外ですが,面白そうだったので読んでみました。明快で,たいへん勉強になりました。
 島並さんの論文の骨子は,著作権について,その制限規定が,現行法ではあまりにも個別的・具体的であり,相互に矛盾があったり,立法当初に想定されていなかったような利用に対する規範として不適切であったりすることから,一般条項としての「フェアユース規定」を導入すべきであるというものです。その論証において,法と経済学でよく使われる「ルールとスタンダード」という分析手法を使いながら,そのメリットとデメリットを論じています。
 このルールとスタンダードは,解雇権の文脈でも言われることがあります。解雇権では,著作権とは逆に,労働契約法16条で一般条項が用いられていてスタンダード型ですが,個人的にはその弊害があると考えています。島並さんは逆にスタンダード型のメリットを,著作権の文脈ではありますが強調しているところが興味深いです。
 島並さんによると,スタンダード型がルール型よりも柔軟であるとは言い切れず,むしろスタンダード型の特徴は,その適用範囲の開放性にあると指摘します。さらに著作権の文脈におけるスタンダード型(フェアユース規定)のメリットとして,イノベーションの促進,市場の失敗の治癒をあげます。他方,デメリットとして言われる,保護水準の低下,当事者負担の増加,予測可能性の減少には十分な理由がないと指摘します。
 ここで気になるのは,予測可能性の減少についてです。島並さんは,予測可能性が減少しても,具体的妥当性がそれを上回るものであれば,それは問題とならないとします。具体的妥当性をみると,創作前の創作者にとっては,予測可能性にはメリットがあることは認めます。一方,創作後かつ利用前の段階は,創作者にとっては予想可能性は意味がなく,利用者にとっては予測可能性が高いほうがよいものの,そこで最も重要となる著作物の類似性については,利用者は十分に情報をもっているので,スタンダード型の規制であっても,不当に予測可能性を減少させることはないとします。
  この論文の趣旨は,創作者にとっての創作前の予測可能性の欠如は,それほど深刻な問題ではなく,したがって予測可能性の減少を過大に考慮してはならないということなのでしょう。
 これを解雇の問題にひきつけて考えると,解雇権の制限におけるスタンダード型の規制は,解雇前では,企業にとって解雇するかどうかの判断を逡巡させる可能性があり,それはそれでよいという考えもありますが,本当に必要な解雇ができなくなるという点は,弊害としてとらえるべきでしょう。また解雇後は,労働者にとって,労働審判や訴訟など費用のかかる手続によって権利行使をするに値するものであるかどうかの判断を困難ならしめるという点でも,問題があるということができます。
 ということで,解雇規制については予測可能性の低いスタンダード型ではなく,できるだけルール型を志向しなければならないと考えています。拙著『解雇規制を考える』(中央経済社)は,この分類によると,スタンダード型の規制の中で,ルール型の要素をできる限り注入すること(ガイドライン方式,分権型規制,労使主導の金銭解決など)を目指したものといえます(金銭解決のほうは,職務発明の報酬の議論とも似ているところがあり,そこでも知財法との関連性がありそうですね)。

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2017年4月21日 (金)

中窪裕也・野田進『労働法の世界(第12版)』

 中窪裕也・野田進『労働法の世界(第12版)』(有斐閣)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。ついこの前にいただいたばかりだと思っていましたが,もう2年経過していたのですね。
 まずはコラムに目が行きました。
 48頁のコラムは,「フランスの労働法改革」というタイトルです。季刊労働法の最新号(256号)でも,野田さんが大学院生と執筆されていたので,このコラムも野田さんの執筆でしょう。フランスの改革は,規範のヒエラルヒーを逆転させ,現場に近いところの合意を優先させようとする試みのようであり,まさに分権型規制です(条文のあるHPを開きましたが,あまりに大部なので読むのは諦めました)。
 日本の解雇や労働時間などについて,私は分権型規制をすべきと述べてきています(中央経済社の『解雇改革』,『労働時間制度改革』)が,これについては批判的な意見もあります。野田さんも,フランスの動向について「危うさ」を指摘されています。
 そのとおり危うさはあるのです。ただ,この危うさを乗り越えなければ未来がないと思うのですが,どうでしょうか。
 分権型規制は,広義の労働条件の不利益変更の問題でもあります。そこには,個別レベルにおける合意の問題だけでなく,規範の階層構造論からみた労働条件不利益変更の扱い方もあるのです(拙著の『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)の比較法の部分は,規範の階層構造論とも関わっていました)。フランスの動向がどうかはさておき,分権型を実質化するためにも,労働者代表法制のあり方の根本的な議論が必要でしょう(私は従業員代表の立法化に反対の立場ですが,濱口桂一郎さんは,労働判例1147号の遊筆で,非正社員の組織化という観点から従業員代表法制に賛成していました。非正社員の労働組合の組織化については,ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」の次号では,オリエンタルランドの最近の事例を紹介しながら,その難しさについて論じています。だからといって,従業員代表法制の導入ということにはならないのですが)。
 86頁のコラムは,「大学教員の労働契約と解雇」というタイトルです。どきっとするものです。私もジュリストの連載「労働法なう。」で,「大学教員の辞めさせ方」というものを書いたことがありました(1476号)が,こちらのコラムは,大学教員の雇用保障に肯定的な考え方です。学問の自由,優秀な人材の育成という公的要素が根拠とされています。人材育成という点をあまり強調すると,人材育成に成果を出していない教員は解雇してよいという話になりかねないので,むしろ根拠とすべきなのは学問の自由(憲法23条)だと思います。私立大学であっても,大学教員の学問の自由は保障されていて,ある種の私人間効力があると解すべきでしょう。その意味で,かりに労働契約法16条がなくても,大学教員の解雇は,制限されるべきなのだと思います(解雇自由の国のアメリカも,おそらく同様ではないでしょうか)。
 他方,これからの大学は,研究専従教員と教育専従教員を区別していくようになるかもしれません。大学の大衆化により,教育には中学や高校の先生のような有資格者並みのスキルが必要となると同時に,研究はいっそう高度化していくので,教育負担を重く抱えながら研究することが難しくなっていくことが予想されるからです。もしこのような教員の区分がされるとすると,学問の自由が保障される研究専従教員とそうでない教育専従教員との間で雇用保障の程度が違うということはありうるかもしれません。
 ICTの発達により,高度専門教育は,一部の研究専従教員によってオンラインで発信されるようになり(これにより世界中の優秀な研究者の講義を聴くことができるようになる),教育専従教員は学生に対するチューターや補習に従事するという分業も起きていくでしょう。
 大学教員の雇用保障も大切ですが,今後の大きな大学改革のうねりの中で,教員はいかにして自力で生き残るか(研究で勝負するか,教育スキルを磨いて生き残るかなど)を考えることもまた必要です。コラムで「教員がそれに甘えてはならないのは当然である」と釘を刺していたのは,上に述べたような意味で賛成できるものです。

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