日記・コラム・つぶやき

2017年2月17日 (金)

第130回神戸労働法研究会

 一人目は,大阪経済法科大学のオランゲレルさんのテーマ報告で,「中国法における『事実上の労働関係』に関する判断と問題点」でした。中国における事実上の労働関係をめぐる議論は,日本でなされているものとは異なり,主として,書面性が労働契約成立の有効要件となっている関係で,書面によらない労働契約の効力についての問題として論じられているなどがわかりました(日本の議論については,拙著『労働法実務講義(第3版)』(2015年,日本法令)の590頁以下を参照。ドイツでは,「faktisches Arbeitsverhältnis」の議論です)。
 二人目は,弁護士の千野博之さんが,ツクイほか事件・福岡地裁小倉支部判平成28年4月19日労判1140号39頁とファイザー事件・東京地判平成28年5月31日労経速2288号3頁について報告してくださいました。ファイザー事件のほうは,後日,季刊労働法に掲載してもらう予定ですので,そちらにゆだねます。
 ツクイほか事件は,介護職員に対するマタニティ・ハラスメントの存否等が問題となりました。具体的にみると,原告の労働者は,被告会社の経営する営業所のデイサービスで介護職員として働いていましたところ,妊娠したため,業務の軽減を希望しました。しかし,会社側にすぐに対応してもらえず,その間の対応に問題があったのではないかということが争われました。
  2012年8月1日に原告は上司の営業所長(女性のようです)に妊娠の報告をし,9月13日の面談の際に業務の軽減を求めました。しかし会社のほうは何も対応しなかったため,原告はその夫とともに12月3日に,より上の管理職と面談し,業務の軽減を求め,その後は実際に業務の軽減がなされています。
 9月面談の際の営業所長による原告への発言が認定されていますが,その内容は相当に酷いもので,それだけをみると,少なくとも言われたほうが萎縮するようなものであると言えそうです。もっとも,裁判所は,この発言には,原告への配慮不足はあるものの,営業所長が嫌がらせの意図をもって発言したとは認められないとしています。
 また健康配慮義務という観点からは,営業所長の発言は,「原告の勤務態度につき,真摯な姿勢とはいえず,妊娠によりできない業務があることはやむを得ないにしても,できる範囲で創意工夫する必要あるのではないかという指導をすることにあったのであり,また,従前の原告の執務態度から見てその必要性が認められること……からすれば,その目的に違法があるということはできない」としたうえで,「妊娠をした者(原告)に対する業務軽減の内容を定めようとする機会において,業務態度等における問題点を指摘し,これを改める意識があるかを強く問う姿勢に終始しており,受け手(原告)に対し,妊娠していることを理由にすることなく。従前以上に勤務に精励するよう求めているとの印象,ひいては,妊娠していることについての業務軽減等の要望をすることは許されないとの認識を与えかねないもので,相当性を欠き,また,速やかに原告のできる業務とできない業務を区分して,その業務の軽減を図るとの目的からしても,配慮不足の点を否定することはできず,全体として社会通念上許容される範囲を超えているものであって,使用者側の立場にある者として妊産婦労働者(原告)の人格権を害するものと言わざるを得ない」としました。
 そして,「原告に対する言動には違法なものがあり,これにより原告が萎縮していることをも勘案すると,指示をしてから一月を経過しても原告から何ら申告がないような場合には,被告において原告に状況を再度確認したり,医師に確認したりして原告の職場環境を整える義務を負っていたというべきである。そして,被告は,同年10月13日以降も拱手傍観し,何らの対応していないところ,被告が,原告に対して負う職場環境を整え,妊婦であった原告の健康に配慮する義務に違反したものといえる」として,営業所長の損害賠償責任を認めました。また,会社のほうの責任についても,職場環境配慮義務違反を肯定しました。
  ここでは,職場環境配慮義務,健康配慮義務,人格権などの概念が入り乱れていて,十分に理論的に整理されていない印象を受けます。業務軽減の申出に対して,会社が1カ月放置していたことまでは問題ではないが,1カ月経過した10月13日以降も放置していたことは問題であるとして,それに発言の若干の行き過ぎが「合わせ技一本」となり35万円の慰謝料となったという感じです。
 端的に発言内容からしてハラスメントの意図があって違法であったとなっていればすっきりしたのですが,そういう事案ではないということのようです。会社側は,営業所長は,原告にできる業務を具体的にあげるように求めたのに,その申告がなかったから,配慮できなかったという趣旨の主張をしています。判決は,その場合でも,営業所長のほうから面談を呼びかけるべきであったと述べていますが,この判断の適否は議論のあるところでしょう。使用者のほうがコミュニケーションをもっとしっかり取って,労働者のニーズにあった対処をすべきやったということなのかもしれませんし,それが労働基準法65条3項で権利とし認められている女性の業務軽減に対応する使用者の義務ということなのかもしれませんが,これまでの解釈からするとやや行き過ぎのような気もします。
 以前に神戸大学で行ったマタニティ・ハラスメントに関するシンポジウムにおいて,広島中央保健生活協同組合事件(最高裁判所第1小法廷判決平成26年10月23日平成24年(受)2231号。拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第134事件も参照)が,妊娠による業務軽減に伴う降格について,労働者の自由意思による同意を得て行う場合は例外的に有効とするという判旨があり,これはコミュニケーションの促進という観点からは望ましいという議論をしていましたが,これはコミュニケーションをしっかりとっていれば,労働者も納得して降格となるので人事管理上望ましいという意味であって,コミュニケーションをしっかりとらなければ,それだけでハラスメントになるとか,配慮義務違反となるとか,そういう意味ではありません。
 介護労働者の離職を防ぐのは,今日における重要な政策課題の一つであり,そのことは私も強く認識していますが,それを意識しすぎて,理論的に不十分なまま介護サービス業者に対する負担を重くすることは,副作用の方が大きいと思います。これは最近ときどきみられる世論迎合的判決の一つといえるかもしれません。
 控訴審においてもう一度理論的に整理して,妊娠中の女性に対する業務軽減に関して,本件のような対応において,どのような義務が使用者に対して課され,どのような場合にその違反となるのかについて,説得力のある判決が出ることを期待したいと思います。

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2017年2月16日 (木)

政府の残業規制案に欠けているもの

 働き方改革実現会議に出された労働時間規制の見直し案(事務局案)が話題になっています。三六協定による時間外労働についての上限規制を厳格にするという内容になっています。
 一見,結構なことのように思えますが,経営側はこれをそのまま受け入れるのでしょうかね。私が『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要なのか』(中央経済社)で論じたのは,労働時間規制の仕組みとして,三六協定をなくし,割増賃金の脱強行法規化(水準は労使の合意にゆだねる)をおこなうことでした。それは三六協定と割増賃金が長時間労働の抑制手段として十分に機能していないという認識によるものです。そして,それに代わって,絶対的上限を定めるというのが私の提案でした(直接規制方式)。ところが,現在の提案では,私の見落としがなければ,割増賃金については触れられておらず,三六協定を維持したうえでの,上限規制です。事務局案のタイトルも「時間外労働の上限規制について」という限定的なものです。ここが大いに問題なのです。
 この提案は確かに規制の強化であり,部分的にみれば良さそうですが,労働時間規制のあり方全体としてみるという視点が欠けています。問題の土俵をはじめに限定して,議論をそちらに誘導してしまっている感があり,これではダメです。土俵の設定の仕方そのものが大切なのです。
 三六協定に特別条項がつけば,時間外労働の上限がなくなるという現行の規制方式に問題があるということは,多くの人が指摘しています(私も指摘していました)。それじゃ特別条項の場合にも上限を設ければいいのか,というとそう単純な話ではありません。
 事務局案では,時間外労働の上限を1カ月で45時間,1年で360時間とし,それを超えれば罰則,さらに特別条項に相当する部分は,臨時的な特別の事情があれば,労使協定の締結を条件に,時間外労働の合計を年間720時間まで引き上げることを認めるというものです。そして,この上限の水準で労使の交渉が始まってしまいました。現在,限度時間の適用除外になっている業種・職種への規制も検討するという規制強化の匂いだけかがせる「目くらまし」もあります。
 労働基準法の法定労働時間は,最低基準であり,それを超えると健康に支障があるなどの重大な影響があるから罰則が定められています。三六協定による時間外労働の許容は,法定労働時間(当初は1週48時間,1日8時間,現在は1週40時間,1日8時間)では厳しすぎるので,各事業場の事情もあるだろうから,過半数代表の同意があれば,法定労働時間の超過を認めるというものです。つまり,厳格な規制に弾力性の要素を入れたものです。
 事務局案は,法定労働時間に弾力性を入れた部分(三六協定)について,今度は限度時間を超えるとやっぱり健康に支障があるから罰則を科そうということでしょう(たんに限度基準に違反したという形式犯で罰則まで科そうとするのは過剰ですから,健康という重大な法益侵害という説明が必要なのです)。そうだとすると,実は法定労働時間で罰則を科すということに疑問が出てくるのです。かりに法定労働時間を罰則を科さないとすると,三六協定の存在意義も大きく減殺されるでしょう。
 絶対的上限とは,法定労働時間と限度時間という二元的基準をやめて,一元化しようとすることでもあります。そうすることによって,いったいどこまで働かせれば法的に問題なのかを,経営者にシンプルに示し,労働者にもわかりやすくすることが大切なのです。そこに臨時的に特別な事情による例外を認めるのでは,意味がありません。しかも年間トータル720時間というのは,基準としては緩すぎるでしょう。1週あたり14時間くらいの残業はいいだろうという発想かもしれませんが,私はこの発想や感覚が,もはや働き方改革という名に値しないものだと思っています。この程度の数字で議論するのなら,別にあの場で論じるほどのものではありません。
 絶対的上限は月の時間外労働45時間,年360時間とだけしておけばよいのです。あるいは年360時間だけとして弾力性をもたせたうえで,月の上限を60時間とすることでもよいでしょう(この程度のことは経済界は受け入れるべきです)。例外は,事務局案のような労使協定と総枠規制ではなく(労使協定が時間外労働のチェックとして機能していないというのが,改革論義の出発点です),業種や職種の特殊性によるものだけに留めるべきです。非常時の対応は労働基準法33条があるので,それで十分です。
 実は業種や職種の特殊性の例外を認めるという発想は,本格的なホワイトカラー・エグゼンプションの議論とつながるのです。創造性のある仕事など,本人の裁量にゆだねてよい職種や業種などについて適用除外を認める方式を考えていくということも同時にしなければならないのです。ホワイトカラー・エグゼンプションは,日経新聞に「脱時間給」などという変てこりんな名称を与えられて,賃金の問題のように思われがちですが,これは基本的には労働時間規制の問題であることを忘れてはなりません。
 労働時間制度改革が,上限の数字をめぐる議論に集中してしまっているのは,まさに木を見て森を見ない議論であり,こういうことにならないように,働き方改革実現会議の委員が適切に議論の土俵を設定する識見が問われると思います。政治家や役所の思惑に左右されず,落としどころなどを考えず,望ましい労働時間規制は何かということについて,真に国民の利益を考え,後世の批判に耐えうる責任ある議論を戦わせてもらいたいと思います。

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2017年2月14日 (火)

日本法令から3本

 年末から年始にかけて,日本法令関係で原稿をせっせと3本書いていました。一つはいつものビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」です。今回は「インディペンデント・コントラクター」です。もう1本は,同じ号における「同一労働同一賃金ガイドライン案」の特集への寄稿です。八代尚宏先生や実務家の方と並んで,私もガイドライン案について,やや長目のコメントをしています。
 このガイドライン案については,北海道新聞にも12月20日に私のコメントが掲載されています(どういうわけか,北海道新聞は昨年からあわせて3度登場しています)。ガイドライン案は直前に見せられたので,たいしたコメントになっていませんが,そのときにとくに困ったのは,ガイドラインというのは,すでに法律があって,その規定の解釈や運用方針を明確にするために出されるものなのに,今回は法律ができる前のガイドラインなので意味不明という点でした。労働契約法20条やパート労働法8条の不合理性をクリアにするためのガイドラインということならまだしも,労働契約法20条等とは別の法律(あるいは規定)を作るということですので,ますます意味不明でした。何か法律(あるいは規定)を作るということが先にあって,あとは何とかつじつまを合わせるという感じで,これがガイドライン先行という前代未聞のことにつながっているともいえます。というような表現は,ちょっと激しすぎるので,ビジネスガイドの原稿ではもっと内容はマイルドですが,ご関心のある方はぜひ読んでみてください。
 ついでに新刊の『AI時代の働き方と法』(弘文堂)でも,同一労働同一賃金の悪口(?)を書いていますが,これについては下井隆史先生から「わが意を得たり」というコメントをいただきました。
 さらに非正社員の格差問題については,以前に派遣関係の本を書くつもりで準備いていましたが,より戦線を拡大して非正社員一般を扱う構想で執筆中です。いつ完成するかわかりませんが,それほど長い時間をかけるつもりはありません。
 日本法令関係では,もう一つ,社会保険労務士向けの雑誌であるSRの「社労士と『働き方改革』」という特集の総論的なところで,「『働き方改革』のなかで,社労士に求められている役割は何か」という論考を寄稿しています。この雑誌への寄稿はおそらく初めてだと思います(「社労士V」という雑誌には書いたことがありますが)。
 目先の働き方改革もありますが,中期的な観点からAI時代の到来を見越して,より戦略的に今後のビジネス展開を考えていくことが必要ではないか,という問題意識から,書いてみました。これは総論的なことなので,具体的な話は,この雑誌に掲載されている別の方の書かれた各論の諸論考を参考にしていただければと思います。

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2017年2月13日 (月)

労働法で人事に新風を

 1年以上前に刊行していた『労働法で人事に新風を』(商事法務)が,昨日の日経新聞の日曜版の読書欄(今を読み解く)で,早稲田大学の川本裕子教授に紹介されていて,びっくりしました。そもそも,この本が,川本先生の目に留まっていたこと自体驚きでした(たぶんお会いしことはなかったと思います)。
 この本は,「労働法」と「人事」というキーワードが,書名に入っているので,キーワードでヒットしやすいようになっていますが(それを狙ったわけではなかったのですが),あまり多くの人に読まれている本ではなさそうなので(担当編集者がすでに退職しているので,本の売れ行き情報などは入ってきません),そろそろ忘れられた本になっているのではと心配していました。そのようななか,川本先生にしっかり読んでいただいたことは,ほんとうに有り難く思っています。
 一見,軽い本のようなのですが,全部をとおして読でんもらうと(意外に早く読めると思いますよ),労働法のちょっと変わった入門書になっていることをわかっていただけると思います。個人的には自信作であり,できれば電子書籍にしてぐっと値段を下げて売り出してもらいたいですね。

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2017年2月10日 (金)

フランチャイジーの労働者性

 フランチャイジーの労働者性をめぐる論点は,理論的に重要な問題を含んでいるように思います。
 拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)や昨年12月に出た拙稿「労働法のニューフロンティア?-高度ICT社会における自営的就労と労働法」季刊労働法255号(これと同じタイトルの論文を,Venezia大学のPerulli教授も書いていることを,今日,偶然知りました。"Le nuove frontieri del diritto del lavoro" in Rivista giuridica del diritto del lavoro 1/2016)でもふれたように,従属労働論でいう従属には,人的従属性と経済的従属性があり,どちらも要保護性を根拠づけますが,実定法上の労働者概念は,労働基準法9条では人的従属性(使用従属性)が判断基準に用いられています。経済的従属性は,基準としてはあまりにあいまいです。行政監督の対象とするかどうかを区別する基準には適さないのです。
 ところで労働組合法3条の労働者概念については,「使用され」という文言が使われていないことから,人的従属性ではなく,経済的従属性が判断基準となっているという解釈を示す見解もあります。しかし,労働基準法と労働組合法は,要保護性のある労働者について,一方で国家の法律により労働者保護のために契約内容に介入し,他方で労働者が自助のために団結することを助成するというように,いわば労働者の保護のやり方が違うというだけで,労働者の範囲が違うというのは,本来おかしいはずです。原則として,労働組合法3条の労働者概念は,ことの性質上明らかに違う場合を除き(たとえば失業者を含むかどうか),基本的には同一であると考えるべきなのです。
 このようにみると,新国立劇場運営財団事件,INAXメンテナンス事件(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第138事件)などで示された個人事業主的な働き方をしている人について,最高裁が,労組法上の労働者性を認めたという結論をどう考えるのかが問題となります。最高裁は,労働者性の判断について6つの判断要素を示していますが,これは「要件」を定立したものではありません。最高裁(あるいは中労委)がどのような理論的根拠に基づいて,この6つの判断要素を示したかについてはよくわかりません。
 しかし,私は,この判断は,実質的には,準従属労働者に対して,労働法の保護を一部拡張するという立法をしたとみるべきではないかと考えています。準従属労働者は,ここでは,人的従属性はないが,特定の相手との間で継続的に契約関係にあることにより,経済的依存関係が生じている労務提供者を意味します。人的従属性がないので,労働基準法上の労働者ではなく,上記の私の考えからすると,労働組合法上の労働者でもないのですが,経済的な従属性は認められることから,立法論として,労働組合の結成による自助は認められるとする考え方はありえるので,これを最高裁は解釈でやったとみるのです。6つの判断要素のうち,「事業の遂行に不可欠な労働力として組織に組み入れられている」という第1の判断要素は,まさに継続的に労務を提供しているという状況を示すものといえるのです。
 このようにみると,労働組合法3条の労働者概念は,労働基準法9条と同一に解して,人的従属性の基準を採用すべきですが,立法論としては,準従属労働者の類型については,いくつかの保護は(従属)労働者に準じて認めてもよく,そうした保護のカテゴリーの一つが労働組合の結成や活動であり,それを最高裁は解釈でやってしまったということです。このことは,理論的には,あくまで労働組合法3条は人的従属性を基準とすべきものであり,経済的従属性を例外的に考慮してよいのは,本来の労働者ではないが,特別に保護を拡張する必要性がある場合に限られるとしなければならないのです。
 今後は,より自覚的に準従属労働者の保護をどうすべきかということを検討して行く必要があります。実務的には,最高裁がやったように,一部の保護規定については,解釈によって労働者概念を拡張するという方法もありますが,特定の保護規定のみ拡張するつもりでも,それをたとえば労働基準法9条の解釈としてやってしまえば,法的に同条9条の「労働者」と性質決定されることによって,包括的に他の保護規定も適用されてしまう恐れがあります。
 立法による対処の必要性があるのは,こうした包括的な保護のパッケージが及ぶことを避け,準従属労働者に拡張してよい保護規定を選別する必要があるからです。
 フランチャイズの話に戻ると,ではフランチャイジーは,準従属労働者のカテゴリーに入るのでしょうか。準従属労働者は,たしかに労働契約を締結してはいないのですが,労務そのものではなくても,労務の結果を取引するという面があります。この労務的側面があるがゆえに準従属「労働者」と呼ぶことができるのです。フランチャイジーは,フランチャイザーに対して労務の結果を取引しているといえるでしょうか。これは実態によるとは思います。ただ,フランチャイザーからの細かい指示が,有能な経営コンサルタントからの指示とどれほど違うのでしょうか。そこになお疑問が残るため,フランチャイジーの労働者性は,よほどの例外的な事情がなければ認められるべきではないというのが,今のところの私の暫定的結論です。
 フランチャイジーは,誰かに従属しているというのではなく,真正な自営的就労者であるとみたうえで,そこになんらかの政策的介入の可能性がないかということを考えていくべきであるというのが,『AI時代の働き方と法』(弘文堂)や「労働法のニューフロンティア?」のなかで書いたような,これからの法政策で取り組むべきことなのです。
 これはブログで書くようなネタではありませんので,研究会で改めて報告し,検討を深めたうえで,論文としてまとめることにします。

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2017年2月 8日 (水)

À la sueur de leur front

 Japon infos.comというフランス語で日本の記事を流しているサイトの記者の方からメールで取材があり,それに答えた内容が,「À la sueur de leur front」というタイトルで掲載されています。残念ながら,abonné (購読申込者)に限定なので,普通の方は,さわりの部分しか読むことができません。
 取材のきっかけは,突然来た,フランス人の記者からのメールで,そこに具体的な質問事項が書かれていました。日本語でのやりとりでもよいということでしたが,質問事項はフランス語でしてもらい,日本語で答えるというやり方にしました。そのほうが誤解が生じにくいと思ったからです。記者の問題意識は,電通問題をきっかけとした日本の労働者の過労という状況について,日本の労働時間法制がどのようなものであるかを知りたいということにありました。タイトルの「À la sueur de leur front」は「額に汗して」という意味でしょうが,もちろんポジティブなニュアンスではなく,むしろ這いつくばって土をなめながらでも働けという感じで,あの「鬼十則」をイメージさせる表現だと思います。
 私は法学的な面からの説明をすると同時に,過労は悪いことばかりではなく,仕事を覚えるために必要な面もあるという最近よくやっている説明もしておきました。
 フランス語の媒体への登場は初めてなので,良い思い出になりそうです。

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2017年2月 6日 (月)

受難の正社員

  昨日の日経新聞の中外時評で,論説副委員長の水野裕司さんが,「AI時代の働き方改革 受難の『なんでもやる』正社員」という記事を執筆しておられました。拙著の書いているようなことだなと思って読んでいると,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)が登場してきたので驚きました。
 私が昨年から,ことあるごとに主張してきていたのが,正社員受難の時代が来るということであり,もっというとジェネラリスト型の正社員の需要が減っていき,正社員を軸とした労働法や雇用政策が転換点を迎えるということです。拙著は,まさに,そうした問題意識から新たな労働法や雇用政策の構築の必要性を説いたものです。
 日本の企業も労働者も,AI時代の到来にむけて,なんとかなるという楽観論が多いのではないか,という危機感をもっています。そのうち発表されるでしょうが,ある調査では,企業には,AIを使って何をしてよいかわからないというところも多く,これでは世界の最先端からみると周回遅れという感じでしょう。企業がこんな状況なので,労働者はもっと厳しいです。これまで,日本の労働者は,正社員にならなければ十分な教育訓練の機会が得られなかったのですが,その正社員が減っていきますし,企業も周回遅れたのところが淘汰されて新陳代謝により,新技術を中心に使って事業を営む企業が中心になってくると,それに備えた教育訓練をどこがどのようにやるかがとても重要となります。
 というようなことを,NIRAのオピニオン・ペーパーでも発表し,また拙著『AI時代の働き方と法』でも書いています。産業政策はすでに変わろうとしているので,これからは企業が変わり,労働者も意識を変え,そして政府の雇用政策・教育政策も変わる,ということが必要です。変革も,正しい方向に向かわなければ破滅的になります。拙著は,そうした時代の転換において,政策の方向性についての試論を投げかけたものです。国民がもっと危機感をもって,この問題に関心をもってもらえればと思います。
 

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2017年2月 1日 (水)

弘文堂スクエアでの連載終了

 半年以上,止まっていましたが,久しぶりに弘文堂スクエアで連載中であった「絶望と希望の労働革命」を更新しました。今回で最終回です。すでに前回の第8回を書いたときに,第9回の構想は定まっていたのですが,本の執筆のほうにエネルギーを注入していたので,こちらの更新には手が回りませんでした。ようやく本も刊行されたので(すでに1カ月以上前に私の手からは離れていましたが),連載を完結させることにしました。もう少し書き続けてみたいという欲求もあったのですが,限られたエネルギーを分散すべきではないと思い,今回で終わりにしました。
 飲み会の席でよく言っているイギリス嫌いをついにネット媒体で書いてしまったのですが,もちろん反発もあるでしょうね。植民地支配への嫌悪をいうと,日本の朝鮮半島,台湾はどうか,満州国はどうかという批判もあるでしょう。いまごろ大東亜共栄圏なんて言葉を持ち出すのはどうか,という批判もあるでしょう。それについては,私なりの考えもありますが,今回の原稿はあくまで西洋的正義の胡散臭さを批判するということがメインなので,それを中心に書いています。Trump新大統領への警戒感ということも背景にあります。歴史からみて,アングロサクソンを信用するな(たとえば,タスマニアの歴史を知ろう),その身勝手さに振り回されたくないというのが主題です。    
   二項対立の克服ということも,もう一つのテーマです。こちらのほうが,今回のエッセイのメインでもあります。Hegelにせよ,Marxにせよ,観念論,唯物論の違いはあるものの,弁証法的思考をとっています。そのダイナミズムにはひかれるものの,根源的な二項対立論に問題はないか,というような問題意識を,労使関係や人工知能vs人類というものにあてはめてみたのですが,成功しているかどうかは,読者のみなさんのご判断にゆだねることにしましょう。
 歴史という点では,定番の山川出版の日本史と世界史の教科書を横に置きながら,少し変わった本も参照しました。とくにイタリア研究仲間(大先輩)であった堺憲一さんの本『あなたが歴史と出会うとき』は,とても良い本だと思いますので,みなさんに推薦します。専門の歴史家ではなくても,歴史を自分なりに再構成していくというアプローチに引かれています。
 大学院に入り,留学も経験し,ずっと欧州かぶれであった私も,年齢を重ね,ずいぶんと前から欧州コンプレックスはなくなり,いまではむしろ日本のほうが社会システムとしてうまくいっているのではないかという意識をもっています(もちろん日本に問題がないと言っているわけではありません)。別に欧州が嫌いというわけではなく,いまでも機会があれば行きたい大好きな地域ですが,ときに盲目的に,あるいは意識的に欧州礼賛をする(後者の多くは,日本では自分の活躍の機会がないなどの満たされないもののある半エリートたちが,腹いせの日本批判のために欧州礼賛をしている)人をみると,ちょっと違うんじゃないかと言いたくなるのです。
 とはいえ,そんな国とでも,うまくやっていかなければなりません。それに欧米よりも,やはり近隣のアジアの国々とうまくやっていくことがとても大切です。日本的なreconciliation こそが,世界を変える原動力となってくれればと願わずにはいられません。
 最後に,弘文堂スクエアに,こういう乱暴なエッセイを書く機会を与えてくださった「さくらんぼ」さんと,素敵なレイアウトでネット作業を担当してくださった方に感謝です。また短い間ですが,御愛読くださった方にも感謝申し上げます。
 弘文堂関係では,いよいよ『雇用社会の25の疑問』の改訂作業が始まりますので,頑張っていきたいと思います。

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2017年1月21日 (土)

人工知能と人間社会に関する懇談会

 昨日の会合で終了しました。リアル出席が今回を含めて2回,WEB出席が2回,欠席が2回でした。一つ残念だったのは,WEBでの参加がやりにくかったことです。事務局の方の手を煩わせて,skypeを通しての参加だったのですが,委員数が多いことなどもあり,会議の状況がつかみにくかったです。WEB参加のやり方は,各役所で違うので,早く全省的に取り組んで,技術を磨いていってほしいですね。
 さて今回は鶴保庸介大臣(内閣府特命担当大臣)が冒頭の挨拶だけに参加され,その後は,報告書案をめぐる意見交換でした。構成員の多くは肯定的な評価をしていましたが,私はあまり身内で誉めるのもどうかと思い,多少,問題点も指摘しました。ただ全体的には,内閣府という,実権はあんまりないが,逆にフットワークが軽く横断的に政策提言できる立場にある役所ならではの報告書になったと思っており,事務局や座長の原山優子先生のご努力には敬意を表したいと思っています。
 人工知能の発達については,私は一国民としてとても楽しみにしていますし,さらに日本の経済や科学の国際競争という点からも,人工知能技術の研究や開発にもっと力を入れてもらいたいと思う反面,雇用についてはあまり楽観的にならず,何もしなければ大変になるという警戒心をもって,できるだけ迅速かつ的確に政策的対応をしていくべきであると考えています。そういう気持ちから,『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』を弘文堂から上梓しました。
 内閣府の報告書案は,AIの倫理的観点にフォーカスをあてており,そこは日本としてのAIをめぐる政策論議の総論的な意味をもっているのだと思います。そして,各論については,今後,AIを含め情報通信技術の活用による社会への影響という点は総務省が担当し,そのなかのとくに雇用や労働の面については,経産省と厚労省が,さらに初等中等教育のなかでの職業教育との関係では文科省も連携して取り組んでいくことになるのでしょう。
 私としては,いろいろ学ぶことができ,貴重な経験となりましたし,とても楽しかったです。構成員に入れていただいたことに大変感謝しています。

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2017年1月17日 (火)

労務事情に登場

 労務事情は,2011年1月から1年3カ月ほど,「労働法の歴史から“いま”を知る」というテーマで連載をしたことがありました(それをまとめたものは,日本法令から『歴史からみた労働法』として刊行されています)し,それ以前にも単発で2回ほど執筆したことがありました(公益通報と懲戒がテーマ)。今回の1332号では,座談会(鼎談)に登場です。テーマは「労基法施行70周年」ということで,労働基準法の過去,現在,未来を語るというものです。リクルート研究所の大久保幸夫所長と連合総合生活開発研究所の古賀伸明理事長が参加してくださいました。
 時間が限られていましたので,論点を網羅的にとりあげるというより,3人の関心の高いテーマにしぼって議論することになりました。結果,歴史よりも現在の論点がどうしても中心となった気がします。
 古賀さんは労働組合の方ですが,より広い視点から大局的に話してくださったと思います。大久保さんはやはり人事のプロですので,そういう視点で重要な指摘をしてくださいました。私は進行役ですが,法律屋なので,どうしても法規制のあり方という視点での話になりました。ほんとうなら,ここに現役の組合や経営者団体の幹部の声が入っていればさらに面白かったでしょうが,欲張りすぎですかね。労働基準法の制定や改正にくわしいはずの行政関係の人や歴史研究をしている人が入っていないのは,この企画には過去だけでなく,現在と未来を語るということがあったからでしょう。
 個人的には,日頃,直接お話する機会がほとんどない方と話をすることができて,とても楽しくかつ有益な時間を過ごすことができました。こういう企画を立ててくださった産労総合研究所には深く感謝いたします。

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